ダンスのカッコよさが、一ミリも理解できない。
ダンスのカッコよさが、一ミリも理解できない。
こう書くと、ダンスが嫌いな人間だと思われそうだ。
たぶん、それも少し違う。
大学時代、ダンスサークルを見に行った
大学生の頃、知り合いに「ダンスサークルの発表を見に来て」と誘われたことがある。
見に行った。
音楽が流れた。
何人もの大学生が出てきた。
踊る。
腕を振る。
身体をくねらせる。
ピタッと止まる。
キメ顔をする。
周りから歓声が上がった。
僕は困った。
何を見せられているんだ。
みんな真剣だった。
真剣だからこそ、余計に困った。
笑ってはいけないことは分かっている。
本人たちは一生懸命練習してきたのだろう。
でも、僕にはどうしても滑稽に見えてしまった。
「俺の踊りを見てくれ」が分からない
「俺の踊りを見てくれ」
「俺の技術を見てくれ」
「俺のセンスを見てくれ」
そう言われているような気がした。
そして僕の中には、
「……どう?」
と聞かれているような感覚が残る。
どう、と言われても。
カッコいいとは思わない。
すごいとも、あまり思わない。
もちろん、僕にはできない。
でも、自分にできないことを全部すごいと思うわけではない。
ただ、人が音楽に合わせて身体を動かしている。
僕には、そう見えてしまう。
そして、踊っている本人がカッコいい表情をすればするほど、自分に酔っているように見えてしまう。
これは、どんな顔をして見ればいいんだ。
拍手をすればいいのか。
「フゥー!」とか言えばいいのか。
分からない。
でも、ミュージカルはめちゃくちゃ好きだ
ここまで考えて、僕は単純にダンスが嫌いなのだと思った。
ところが、そうでもない。
僕はミュージカルがめちゃくちゃ好きだ。
登場人物が突然歌い始め、突然踊り始める。
冷静に考えれば、日常生活で突然歌って踊り始める人間の方がよっぽどおかしい。
でも、ミュージカルでは何とも思わない。
むしろ感動する。
生歌で踊るアイドルにも心を動かされる
アイドルが歌って踊っているのも好きだ。
特に生歌なら、かなり心を動かされることがある。
踊りながら歌う。
息を切らしながら、それでも声を出す。
その姿には見入ってしまう。
よさこいも好きだ
よさこいも好きだ。
祭りの熱気があって、衣装があって、音があって、その土地の文化や歴史まで背負っている。
大勢の人が一斉に踊る姿を見ると、素直にいいなと思う。
では、身体表現が嫌いなのか。
違う。
ギターソロは、めちゃくちゃカッコいい
自己陶酔が嫌いなのか。
これも違う。
ギタリストがステージの前に出てきて、
「俺のギターを聴け!」
と言わんばかりにソロを弾く。
めちゃくちゃカッコいい。
ギュイイイイーン、とやってほしい。
もっと自分に酔ってくれ、とすら思う。
だったら、ダンスの何がそんなに駄目なのだろう。
僕が苦手なのは「ダンスそのもの」なのかもしれない
考えてみると、僕が苦手なのは、
「俺の踊りそのものを見てくれ」
なのかもしれない。
ミュージカルには物語がある。
アイドルには歌がある。
よさこいには文化や祭りがある。
ギターソロには音がある。
その向こうに、僕が受け取りたい「何か」がある。
でも、ダンスそのものの技術やセンスを、
「これを見てくれ」
と目の前に置かれると、途端に僕の感性は動かなくなる。
カッコいいでしょ?
すごいでしょ?
この動き、センスあるでしょ?
いや、どうと言われても。
たぶん僕には、その回路がない
もちろん、ダンスが好きな人にとっては、身体そのものが表現なのだろう。
腕の角度。
身体の止め方。
リズムの取り方。
そこに美しさや技術を感じるのだと思う。
たぶん僕には、その回路がない。
だからといって、ダンスに価値がないなんて話ではない。
僕に、その価値が分からないだけだ。
でも、それって結構おもしろい。
世の中で「カッコいい」とされているものを、自分もカッコいいと思わなければいけない理由なんてない。
みんなが歓声を上げていても、自分の心だけ一ミリも動かないことがある。
逆に、誰かにとっては何でもないものに、自分だけがどうしようもなく心を動かされることもある。
感性なんて、そんなものなのかもしれない。
今でも、やっぱり分からない
大学時代のあの日。
踊っている人たちは、楽しそうだった。
観客も盛り上がっていた。
きっと、あの空間はちゃんと成立していたのだ。
ただ一人。
僕だけが座席で、
「何を見せられているんだ」
と思っていた。
今なら少しだけ分かる。
たぶん、僕が見るべきものを知らなかったわけじゃない。
見ても、何も感じなかったのだ。
そして今でも、ダンスのカッコよさは一ミリも理解できない。
まあ、それでいい。
僕が踊るわけでもない。
踊りたい人は、今日も踊ればいい。
僕はたぶん、ギターソロを聴いている。
