夫婦とはなんだろう。
不倫とはなんだろう。
『スイートリトルライズ』を読み終えても、答えは出なかった。
むしろ、読む前よりわからなくなった。
僕は結婚したことがない。だから、この小説に描かれている夫婦の感情に「わかる」と頷けたわけではない。
むしろ、全くと言っていいほど共感できなかった。
それなのに、すごい小説を読んだと思った。
いや、共感できなかったからこそ、すごいと思ったのかもしれない。
自分が経験したことのない夫婦という関係。自分なら選ばないかもしれない生き方。理解できないはずの不倫。
それらを読んでいるうちに、今まで自分の中で当たり前だった「正しさ」が少しずつわからなくなっていった。
不倫はダメなこと。
愛しているなら嘘をつかない。
別の人を愛したら、もう夫婦は終わり。
本当に、そんな単純なものなのだろうか。
読み終えた今も、わからない。
ただ、その「わからない」を残されたこと自体が、この小説のすごさなのだと思う。
『スイートリトルライズ』あらすじ
テディベア作家の瑠璃子と、IT企業に勤める夫・聡。
一緒に眠り、一緒に起き、出かけても同じ家に帰る。穏やかな日常を送る二人だったが、その心には埋められない淋しさがあった。
そんな中、瑠璃子は年下の青年・春夫と出会い、次第に惹かれていく。
一方、聡も大学時代の後輩・しほと再会し、心を寄せるようになる。
夫婦でありながら、それぞれ別の相手に恋をしていく二人。
互いに秘密を抱え、小さな嘘を重ねながら、それでも夫婦の日常は続いていく――。
こうやって愛はなくなっていくのか
主人公は、テディベア作家の瑠璃子と、その夫・聡。
二人は一緒に暮らしている。
同じ家で眠り、起き、出かけても同じ場所へ帰ってくる。
夫婦仲が決定的に悪いわけでもない。
激しい喧嘩を繰り返しているわけでもない。
憎み合っているわけでもない。
それでも、何かが足りない。
このうちには恋が足りないと思うの。(p35より引用)
この言葉が妙に残った。
恋が「ない」ではなく、「足りない」。
ゼロではないのだ。
少しはあるのかもしれない。でも満たされるほどではない。
そして、そのすぐあとには、
ほんというと恋が必要なのかどうかもわからないの。(p36より引用)
と続く。
恋が足りない。
でも、そもそも夫婦に恋は必要なのか。
わずか一ページで、自分が立っていた場所をひっくり返される。
夫婦は恋愛の延長線上にあるものだと、なんとなく思っていた。
好きだから付き合う。好きだから結婚する。その「好き」が続いて夫婦でいる。
そんな一直線のものを想像していた。
でも、瑠璃子と聡を見ていると、どうもそうではない。
恋愛としての熱は少しずつ失われている。
でも、「ここで愛がなくなった」とわかるような瞬間があるわけじゃない。
決定的な何かが起きて壊れるわけでも、大喧嘩をするわけでもない。
昨日と同じように今日が来て、今日と同じように明日が来る。
同じ家で、いつも通りの日常が続いていく。
こうやって愛はなくなっていくのか。
そう思った。
その変化が妙にリアルだった。
でも、二人は続いていく。
ここがずっと不思議だった。
愛ではないなら、二人のあいだにあるものは何なのか
瑠璃子は聡を嫌いになったわけではない。
どうでもよくなったわけでもない。
必要としているし、頼ってもいる。
聡もまた、瑠璃子を捨てたいわけではない。
むしろ二人は、長く一緒にいるからこそ、相手のほんの小さな変化までわかっている。
聡が帰宅が遅くなると電話したときの場面がある。
遅くなる、と告げた途端のあの沈黙は、百の言葉より饒舌だと聡は思う。(p71より引用)
「沈黙」と「饒舌」。
真逆の言葉なのに、読めばわかる。
何も言わない。
でも、何も言っていないわけではない。
長く一緒にいるからこそ、声にならない感情までわかってしまう。
それだけ相手のことを知っている。
なのに、足りない。
瑠璃子自身も、その矛盾を説明できない。
聡の声を聞いても幸福にはならない。嬉しくさえならない。
それなのに電話をしてしまう。
そして彼女は、自分でも説明できないその関係に対して「愛でないなら何なのか」と考える。
ここが、この小説の怖いところだった。
愛しているか、愛していないか。
好きか、嫌いか。
一緒にいたいか、別れたいか。
そんなふうに人間の感情を二つに分けられたら簡単なのに、実際にはその間に名前のつかない感情が大量にある。
嫌いではない。
でも満たされない。
幸福ではない。
でも離れたいわけでもない。
恋人だった頃と同じ愛ではない。
それでも、その人がいなくなれば困る。
必要とされること。頼られること。習慣。安心。執着。依存。積み重ねてきた時間。
それらを全部まとめて「愛」と呼んでいいのかもわからない。
それでも二人のあいだには、確かに何かが残っている。
もしかすると、恋がなくなったあとに残るものまで含めて「夫婦」なのかもしれない。
足りないものを、夫婦の外に求めていく
そんな二人は、それぞれ夫婦の外に相手を見つける。
瑠璃子は春夫に惹かれ、聡はしほに惹かれていく。
普通に考えれば、不倫だ。
配偶者に隠れて別の相手と関係を持つ。
「裏切り」と言ってしまえば、それで話は終わる。
僕も読む前なら、それで終わっていたと思う。
でも、この小説を読んでいると、そんな単純な言葉だけでは片づけられなくなっていった。
特に印象に残ったのが、瑠璃子が春夫といるときに感じる「やすらかさ」だった。
春夫は、言葉と感情と表情がつながっている。
感じていることが表情に出て、それが言葉になる。
瑠璃子は、そのわかりやすさに安らぐ。
夫婦なのだから、聡の方が安心できる存在なのだろう。
最初はそんなふうに思ってしまう。
でも違う。
聡との関係は、沈黙から百の言葉を読み取れるほど深い。
一方で春夫との関係には、そんなふうに相手の心を読み解く必要がない。
言葉と感情と表情が同じ方向を向いている。
だから楽なのだ。
深くわかり合っていることと、安らげることは同じではない。
この小説には、そういう簡単には整理できない関係が何度も出てくる。
聡にとってのしほも同じだった。
しほは、聡の中から失われていた何かを思い出させる存在になる。
さらに聡は、しほの快活さを、自分の生活に必要な「小川の流れ」のように感じる。
この感覚には驚いた。
しほは瑠璃子の代わりではない。
瑠璃子と別れて、しほと生きていきたいという単純な話でもない。
聡の中では、しほから何かを得ることで、むしろ瑠璃子に向き合うことができる。
夫婦の外にいる人間が、夫婦を壊す存在ではなく、夫婦を続けるために必要な存在になっている。
もちろん、だから不倫してもいい、とは思わない。
隠されている側が同意していない以上、裏切りという面は確実にある。
「君を大切にするために不倫しているんだ」なんて言われても、知らんがな、となる。
でも、人間の心の動きとして考えたとき、本当にそんなことはあり得ないのだろうか。
外で満たされるから、家で優しくできる。
別の誰かに救われるから、大切な誰かとの生活を続けられる。
離れることで、一緒にいられる。
裏切ることで、守ろうとする。
倫理的に正しいかどうかと、人間が実際にそう感じるかどうかは、別の問題なのかもしれない。
その二つを分けて考えさせられた。
不倫はダメなことなのか、わからなくなった
この小説を読んで、一番自分の中で揺れたのはここだった。
不倫はダメなこと。
そんなことは当たり前だと思っていた。
今だって、不倫を肯定したいわけではない。
嘘をつかれた側が傷つくこともある。
信頼を失うこともある。
「相手を守るため」という言葉が、自分の行為を正当化するための便利な言い訳になることだってある。
それでも『スイートリトルライズ』を読んでいると、善悪だけでは拾えないものが残った。
愛しているなら嘘をつかない。
別の人を愛したら、もう夫婦は終わり。
不倫をした人間は、配偶者を愛していない。
本当に、そんな単純なものなのだろうか。
そして、僕がこの小説で最も心に残った言葉がある。
人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに。(p206より引用)
これには完全にやられた。
普通、嘘は相手を裏切るためにつくものだと思う。
少なくとも「愛」と「嘘」を並べたとき、愛しているなら正直でいることが誠実だと考える。
でも江國香織は、その関係を反転させる。
大切だから嘘をつく。
失いたくないから隠す。
壊したくないから本当のことを言わない。
もちろん、それが本当に相手を守るためなのか、自分を守るためなのかはわからない。
むしろ多くの場合、その二つは混ざっているのだと思う。
だからこそ、この言葉は簡単に「いい言葉」で終わらない。
少し怖い。
愛しているからこそ、本当のことを言えない。
そんな関係もあるのだとしたら、正直であることだけが愛の証明なのだろうか。
読めば読むほど、わからなくなった。
「負の要素」で結びついた二人
もう一つ、夫婦というものについて考えさせられた言葉がある。
必要とされること、頼られること。私たちはたぶん、負の要素ばかりで結びついているのだ。(p180より引用)
最初に読んだとき、不思議だった。
「必要とされること」「頼られること」は、本当に負の要素なのだろうか。
誰かに必要とされる。
誰かを頼る。
むしろ人間関係では、どちらかといえば肯定的に語られることの方が多い。
でも、それだけで結びついている関係は「愛」と呼べるのか。
ここでも答えは出ない。
ただ、この「負の要素ばかりで結びついている」という言葉は、瑠璃子と聡の関係を考えるうえで妙にしっくりきた。
恋愛のような華やかなものだけが、二人をつなぐわけではない。
依存もある。
習慣もある。
役割もある。
必要とされたい気持ちもある。
一人になることへの不安だってあるかもしれない。
そういう、綺麗とは言えないものまで全部絡み合って、人と人との関係は続いていく。
それを「そんなの愛じゃない」と切り捨てるのは簡単だ。
でも、では愛とは何なのかと聞かれると、僕には説明できない。
瑠璃子と聡のあいだに恋が足りないことはわかる。
それでも、二人のあいだに何もないとは思えなかった。
江國香織は、言葉にできないものを言葉にする
そして、この小説で何より圧倒されたのが江國香織の文章だった。
難しい言葉を使っているわけではない。
ものすごく華美な比喩を連発するわけでもない。
文章だけを取り出せば、驚くほど静かだ。
なのに、何度もページをめくる手が止まった。
たとえば、
約束は大切だと思っている。とくに、どうでもいいような約束は。(p30より引用)
普通なら「大切な約束ほど大切にする」と考える。
でも、「どうでもいいような約束」こそ大切だと言う。
たしかに、どうでもいい約束を覚えていてくれることの方が、その人が自分との時間を大切にしているように感じることがある。
そんな、言われて初めて「ああ、わかる」と思う感覚を、一文にしてしまう。
「沈黙は百の言葉より饒舌」もそうだった。
「言えないことが一つある方が、他のことを話しやすい」という感覚もそう。
普通なら逆に考える。
秘密がないから何でも話せる。
正直だから親密になれる。
でも、秘密が一つあるからこそ、それ以外のことを自由に話せる場合もある。
江國香織は、僕たちが無意識に「普通はこうだ」と考えているものを、ほんの少しだけずらす。
大きくひっくり返すわけではない。
数センチだけ動かす。
すると、それまで見えていなかったものが突然見える。
だから怖い。
そして、うまい。
読んでいる途中、何度「こんな言葉どうやったら出てくるんだ」と思ったかわからない。
特に好きだったのが、春夫が言葉を選ぶ場面で使われる「清潔」という表現だった。
清潔な言葉。
それは「手垢にまみれていない言葉」だという。
そのとき、その場所だからこそ生まれる言葉。
どこかから借りてきたような言葉ではなく、その人の感情から直接生まれた言葉。
これは小説の登場人物について書かれた文章なのに、文章を書くことそのものについて言われているようにも感じた。
僕にはこんな言葉、一生出てこない。
そう思った。
でも、たぶん同じ言葉を出す必要はないのだ。
江國香織には江國香織にしか書けない言葉がある。
なら、自分には自分にしか書けない言葉を探すしかない。
この小説を読みながら、物語だけではなく「言葉を書く」ということについてまで考えてしまった。
全く共感できなかった。だからこそ、すごいと思った
僕は結婚したことがない。
だから、瑠璃子と聡の夫婦としての感情に、正直ほとんど共感できなかった。
「夫婦ってこうだよね」と頷ける経験もない。
不倫にも共感できない。
自分だったらどうするのかと考えても、やっぱりわからない。
でも、だからこそ、この小説を読んでよかったと思う。
読書は、共感するためだけにするものではないのかもしれない。
自分と同じ人間が、自分と同じことを考え、自分と同じ人生を生きている物語だけを読んでいたら、自分の知っている世界から出ることはできない。
自分には経験のない関係。
自分なら選ばない生き方。
自分とは違う愛の形。
自分では理解できない価値観。
それを、小説の中で一時的に生きることができる。
僕は瑠璃子にはなれない。
聡にもなれない。
二人の夫婦関係を本当の意味で理解することも、おそらくできない。
それでも二百数十ページのあいだ、その二人を見続けた。
そうすると、読み始める前には「わかっていた」はずのことが、読み終わる頃にはわからなくなっていた。
不倫はダメ。
嘘は裏切り。
夫婦なら一人だけを愛する。
愛がなくなれば別れる。
そういう単純な線が、少しずつぼやけていた。
小説を読んで、何かの答えを知ることもある。
でも、自分が答えを知っていると思っていたことを、わからなくさせられる読書もある。
『スイートリトルライズ』は、僕にとって後者だった。
わからなくなった。それでいい
読み終えて、夫婦とは何なのか。
愛とは何なのか。
不倫とは何なのか。
結局、答えは出なかった。
不倫を肯定するようになったわけでもない。
嘘をつくことが正しいと思ったわけでもない。
ただ、それまで簡単に「悪い」「間違っている」と分類していたものの中にも、人間のどうしようもない淋しさや、誰かを必要とする気持ちや、壊したくないという願いが混ざっていることを知った。
人間の感情は、正しいか間違っているかだけでは整理できない。
愛しているのに、足りない。
大切なのに、嘘をつく。
一緒にいるのに、淋しい。
別の人を求めながら、それでも同じ家へ帰る。
矛盾している。
でも、人間はたぶん、矛盾しないようにはできていない。
江國香織は、その矛盾を無理に解決しない。
「本当はこういうことです」と答えも教えてくれない。
ただ、そこにある感情に言葉を与えて、読者の前に置いていく。
だから読み終えても、すっきりしない。
むしろ読む前よりわからない。
でも、それでいいのだと思う。
共感できるから読書がおもしろいんじゃない。
共感できない人生を覗けるから、おもしろいこともある。
自分が持っていなかった答えをもらえる本もいい。
でも、自分がずっと正しいと思っていた答えを持っていかれる本もいい。
『スイートリトルライズ』は、僕からいくつかの答えを持っていった。
そして最後に、「わからない」だけを残した。
すごい小説だった。
あなたは、愛しているからこそ、嘘をついたことはありますか?
