僕は昔、本の汚れが異常に気になる人間だった。
本を買うとき、まず確認するのは表紙だ。傷はないか。汚れはないか。角は折れていないか。裏返して背表紙も見る。ページの端まで確認する。ようやく問題がないと判断して、購入する。
本を選んでいるのか、検品しているのか。
しかも、新品だけではない。古本屋でも同じだった。読みたかった小説を見つけても、汚れがあれば棚に戻す。内容は変わらない。値段だって魅力的だ。それでも買わない。
さらにひどいときには、買って帰ってから小さな汚れを発見し、買い直そうかと真剣に悩んでいた。
いや、待て。同じ物語だぞ。
自分でもそう思う。しかし、気になるものは気になるのだ。
どうやら、本の傷や汚れを気にする人は、僕以外にもいるらしい。では、なぜそこまで気になってしまうのだろう。今は以前ほど気にしなくなった僕が、昔の自分を思い出しながら考えてみたい。
本を買う前に、まず検品が始まる
本屋で気になる一冊を見つける。
「おっ、面白そうだなあ」
普通なら、あらすじを読んで、値段を確認して、レジへ向かうのだろう。しかし、かつての僕にはもう一つ、大切な工程があった。
状態確認である。
表紙を光に当ててみる。薄い擦れはないか。角が潰れていないか。裏表紙には何か付着していないか。気になる箇所があれば、別の一冊も手に取る。
同じ本が何冊か並んでいれば、なるべく綺麗なものを選びたい。文章は同じだし、登場人物も同じ。結末だって変わらない。それなのに、僕にとっては大きな違いだった。
そして、ようやく納得できる一冊を見つける。
よし、これだ。
何をそんなに真剣に選んでいるのだろう。
もちろん、購入する商品の状態を確認すること自体はおかしくない。新品なのに明らかな傷があれば、気になる人もいるだろう。問題は、その確認にどれほど気持ちを奪われるかだ。
僕の場合、面白そうな小説を見つけた喜びよりも、小さな汚れを発見した落胆の方が大きくなることさえあった。
本を読むために買いに来たはずなのに、いつの間にか「傷のない一冊を手に入れること」が目的になっていたのかもしれない。
古本屋に行っても、汚れていたら買わない
さらに不思議なのは、古本屋でも同じ基準を持ち込んでいたことだ。
古本屋に並んでいる本は、基本的に誰かが所有していたものだ。何度も読まれた本もあれば、ほとんど開かれていないような本もある。状態が一冊ずつ違うのは当然である。
そんなことは、僕だって理解している。
それでも、気になる本を手に取って汚れを見つけると、購入する気持ちがしぼんでしまう。
「ああ、読みたかったのになあ」
そして、そっと棚に戻す。
いや、読みたかったのなら買えばいいじゃないか。
今ならそう思う。けれど当時は、そう簡単には割り切れなかった。
本の内容に興味があることと、その一冊を所有したいと思えることは、僕の中で別だったのだろう。
古本には、前の持ち主が残した時間の痕跡がある。ページの折れ、表紙の擦れ、紙の変色。それを味わいとして楽しめる人もいる。僕は当時、そうした痕跡をなかなか受け入れられなかった。
古本屋へ行っているのに、できるだけ新品に近い本を探す。
なんとも勝手な客である。
ただ、古本を買う人が皆、傷や汚れを歓迎しなければならないわけではない。綺麗な古本を探すこと自体も、買い物の楽しみの一つだ。
僕が疲れてしまったのは、そのこだわりが強すぎたからだと思う。
買ったあとに汚れを見つけると、買い直したくなる
昔の僕にとって、もっと厄介だったのは購入後である。
気に入った本を買って帰る。表紙を眺める。ページをめくる。いい買い物をしたと満足する。
ところが、ある瞬間に気づく。
……ん?
ここ、汚れてないか?
購入前には気づかなかった小さな汚れがある。
それまで気にも留めていなかった部分なのに、一度見つけると、そこばかり目に入ってしまう。
何度も確認する。
やっぱり汚れている。
そして、頭の中に恐ろしい考えが浮かぶ。
「……買い直そうかな」
真剣に悩んでいたのだから、今思えば自分でも驚く。
同じタイトル。同じ著者。同じ文章。物語を読むうえでは、ほとんど何の問題もない。
それなのに、もう一冊買おうとしている。
僕は小説を買ったのか。それとも、傷のない紙の束を買ったのか。
もちろん、当時の僕にも本を読む楽しさはあった。ただ、綺麗な状態で所有したいという気持ちが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に強くなっていたのだろう。
小さな汚れ一つで、本全体が台無しになったように感じる。けれど、実際に失われたのは何だろう。文章は消えていない。ページも読める。登場人物は相変わらずそこにいる。
失われたのは、「完璧に綺麗な一冊を持っている」という満足感だったのかもしれない。
なぜ本の汚れだけが気になるのか
ここで、ひとつ大きな疑問がある。
僕は、決して何に対しても綺麗好きな人間ではない。
たとえば、服だ。
服が多少汚れていても、そこまで気にならない。
もちろん、どんな汚れでも平気という意味ではない。ただ、本に対する反応と比べれば、ずいぶん寛容である。
ところが、本になると話が変わる。
小さな擦れが気になる。手垢が気になる。ページの汚れが気になる。
お前の清潔感は、いったいどこに向かっているんだ。
服は身につけて外へ出るものだ。他人の目にも触れる。それなのに、本の方が気になる。
このことから考えると、僕の場合、単純に汚れ全般が嫌いだったわけではなさそうだ。
本だけに、特別な価値を感じていたのだと思う。
本は物語を読む道具であると同時に、手元に残しておきたい所有物でもある。装丁が美しいものもあるし、紙の質感が好きなものもある。好きな作家の作品が本棚に並んでいるだけで嬉しくなることもある。
僕にとって本は、ほかの日用品とは少し違う存在だった。
だから、綺麗な状態を保ちたいと思った。
大切に思う気持ちが強いほど、変化を嫌うこともあるのだろう。
ただし、愛着が強ければ必ず汚れが気になるわけではない。使い込まれた状態を愛する人もいる。大切なものほど積極的に使いたい人だっている。
同じ「好き」という気持ちから、まったく違う行動が生まれる。
ここが、人間の面白いところだと思う。
読書を始める前に、念入りに手を洗う
昔の僕は、本を買うときだけでなく、読むときにも気を遣っていた。
本を開く前には、必ず手を洗う。
しかも、念入りに。
指先までしっかり洗う。手に汚れが残っていないか気にする。ようやく納得してから、本を手に取る。
何も知らない人がその姿を見たら、どう思うだろう。
これから手術でも始めるのか。
いや、違う。
小説を読むだけである。
しかも、服の汚れは大して気にしない男なのだ。
なんとも奇妙な光景ではないか。
もちろん、手を洗ってから本を読むこと自体は悪くない。食事のあとなど、手を清潔にしておくのは自然なことだ。
しかし、当時の僕は、本に手垢をつけたくないという気持ちが強すぎた。
手には皮脂がある。どれほど気をつけても、本を触れば多少の使用感は生まれる。何度も読めば、ページや表紙の状態も少しずつ変わっていく。
そんな当たり前のことまで気にしていたら、読書をするだけで疲れてしまう。
本を開く前に気を遣い、本を読んでいる間も気を遣う。
一体、僕は何と戦っていたのだろう。
本を汚したくない。ただ、それだけだった。
でも、その気持ちが強くなりすぎると、本を読むという楽しい行為に、余計な緊張が生まれてしまう。
大切にすることと、神経をすり減らすことは、同じではないのだと思う。
① 完璧な状態を求める心理
では、なぜ小さな汚れがそこまで気になるのだろう。
ひとつ考えられるのが、完璧な状態を保ちたいという心理だ。
新品の本は綺麗だ。表紙に傷がなく、ページにも折れ目がない。その状態を理想と考えると、小さな変化さえ気になってしまう。
百点だったものが、九十九点になったような感覚だろうか。
実際には、読むうえで何の問題もない。それなのに、残りの一点が気になって仕方がない。
これは完璧主義的な傾向として説明できる部分があるかもしれない。ただ、特定の物へのこだわりだけで、性格全体を完璧主義だと決めつけることはできない。
僕の場合も、服にはそこまで厳しくないのだから、なおさらである。
本に対してだけ、自分なりの理想の状態を設定していたのだろう。
そして、その理想から外れることが嫌だった。
しかし、考えてみれば、そもそも本は触るものだ。ページをめくり、開き、持ち歩き、読む。何年も新品の状態を保つ方が難しい。
読書という行為と、完璧な保存状態を求める気持ちは、ときにぶつかってしまうのである。
② 一度ついた汚れを元に戻せない心理
もうひとつ考えられるのが、汚れを元に戻せないことへの抵抗感だ。
服なら洗濯できる。多少汚れても、洗えば綺麗になることが多い。
しかし、本は違う。
水で洗うわけにはいかない。シミを無理に落とそうとすれば、かえって紙を傷めてしまうこともある。
折れ目も、完全に元通りになるとは限らない。
一度ついた傷が、そのまま残る。
この取り返しのつかなさが、汚れへの不安を強めていたのかもしれない。
特に、自分で汚してしまった場合は厄介だ。
あのとき、もっと気をつけていれば。
あの場所に置かなければ。
そんなふうに考えてしまう。
汚れだけでなく、自分の不注意まで気になるのだ。
でも、どれほど注意していても、物は少しずつ変化する。紙は時間とともに色が変わることもあるし、表紙にも使用感が出る。
それをすべて防ごうとするのは、なかなか大変なことである。
③ 小さな汚れに意識が集中する心理
人間は、一度気になったものを何度も見てしまうことがある。
たとえば、綺麗な表紙の端に、小さな黒い点がついていたとする。
それまでは何とも思っていなかったのに、気づいた瞬間から、その点ばかり目に入る。
表紙全体を眺めても、視線がそこへ戻ってしまう。
「やっぱり汚れているなあ」
確認するたびに、ますます気になる。
ほかの部分は綺麗なのに、たった一か所の欠点が、本全体の印象を左右してしまう。
注意が特定の部分に集中すると、実際の大きさ以上に、その汚れが重要に感じられることもあるのだろう。
ただ、汚れを気にする人すべてに同じ心理が働いているとは限らない。衛生面を気にする人もいれば、見た目の美しさを重視する人もいる。
僕の場合は、綺麗な状態で所有したいという気持ちが大きかったように思う。
そして、いったん欠点を見つけると、それまで感じていた満足感が揺らいでしまった。
何とももったいない話である。
④ 本を所有する喜びが強い心理
本を読むことと、本を所有することは、似ているようで違う。
読書は、文章や物語を楽しむ行為だ。
一方、所有する喜びには、装丁を眺めたり、本棚に並べたり、いつでも読み返せる安心感を得たりすることも含まれる。
僕は、その両方が好きだった。
だからこそ、本そのものの状態も大切だったのだろう。
本は、単なる情報の入れ物ではない。
手触りがある。重さがある。紙の匂いがある。表紙のデザインがある。
同じ作品でも、文庫本と単行本では印象が違う。装丁によって、手に取ったときの気持ちまで変わる。
本という物体に魅力を感じるからこそ、傷や汚れが気になる。
そう考えれば、当時の自分の行動にも、ある程度は納得できる。
しかし、物としての美しさばかりを気にして、肝心の物語を楽しめなくなってしまったらどうだろう。
それは、少し本末転倒ではないか。
僕は本を飾るためだけに買っているわけではない。
読みたいのだ。
その当たり前のことを、いつの間にか忘れかけていたのかもしれない。
⑤ 綺麗な状態を失うことへの惜しさ
もうひとつ、当時の自分を振り返って思うことがある。
僕は、汚れた本そのものが嫌だっただけではなく、「綺麗だった本が汚れてしまった」という変化を惜しんでいたのかもしれない。
買ったばかりの本は、まだ何も起きていない。角は綺麗で、表紙にも目立つ傷がない。その状態を自分のものとして手に入れた瞬間から、できるだけ変えたくないと思う。
しかし、読むということは、その状態を少しずつ変えることでもある。
なんとも困った話だ。
綺麗なまま持っていたいなら、開かなければいい。触らず、動かさず、ずっと本棚に置いておけばいい。
でも、それでは何のために買ったのかわからない。
読まずに保存することを楽しむ人もいるだろう。それはそれで自由だ。しかし、僕は物語を読みたいのである。
ここに、当時の僕の矛盾があった。
読みたい。でも、傷めたくない。
楽しみたい。でも、汚したくない。
まるで、新しい靴を買ったのに、靴底が汚れるのが嫌で外へ出られないようなものだ。
靴なら履いて歩けばいい。本なら開いて読めばいい。
頭ではわかっているのに、気持ちが追いつかない。
本に対する愛情と、変化を受け入れられない気持ちが、いつの間にか混ざってしまっていたのだと思う。
本を大切にしすぎて、疲れてしまった
昔の僕は、本の汚れを気にすることに、ずいぶん時間と気力を使っていた。
買う前に確認する。
買ったあとにも確認する。
読む前には念入りに手を洗う。
汚れを見つければ、買い直そうか悩む。
本を大切にしたいだけなのに、やることが多すぎる。
そして、あるとき疲れてしまった。
もう、いいじゃないか。
そう思うようになった。
別に、汚れた本が急に好きになったわけではない。今でも、できれば綺麗な本を買いたいと思っている。
新品を購入するときには、状態をサラッと確認することもある。
ただ、それくらいだ。
以前のように、隅々まで神経質に確認することはなくなった。
小さな傷を見つけても、すぐに買い直そうとは思わない。
何より、本を読む前から疲れるようなことは、もうしたくない。
考えてみれば、好きなものに対して、ここまで気を遣う必要があるのだろうか。
本は僕を楽しませてくれる存在である。
それなのに、僕が本の機嫌をうかがうようになっていた。
本に傷をつけないように。汚れをつけないように。綺麗な状態を保てるように。
まるで、本棚に並んだ本たちから監視されているようではないか。
もちろん、そんなことはない。
本は何も言わない。
勝手に緊張していたのは、僕の方である。
本は汚れることで、唯一無二の一冊になる
そして、僕の中で考え方が変わった。
本は、汚れることで唯一無二の一冊になっていくのではないか。
そう思うようになったのだ。
同じ作品は、何冊も印刷されている。
同じタイトル。同じ著者。同じ装丁。同じ文章。
書店に並んでいるときは、どれも同じように見える。
しかし、それぞれ違う人の手に渡れば、少しずつ姿が変わっていく。
何度も読み返されて、表紙が擦れる本。
通勤中に読まれて、角が少し傷む本。
長年、本棚に置かれて、紙の色が変わっていく本。
その一冊には、持ち主が本と過ごした時間が積み重なっている。
もちろん、汚れのすべてが美しいわけではない。誰かがつけた汚れを、不快に感じることだってあるだろう。
わざと汚す必要もない。
ただ、読んでいるうちに自然と生まれた使用感まで、嫌う必要はないと思うようになった。
昔の僕は、傷のない状態こそが理想だと考えていた。
しかし、今は違う。
何度も読んだ本が、少しくたびれている。
それでいいではないか。
むしろ、何年も一緒に過ごしてきたことが、その姿に表れているのかもしれない。
新品の本には、新品の美しさがある。
そして、読み込まれた本には、読み込まれた本の魅力がある。
どちらか一方だけが正しいわけではない。
僕はようやく、その両方を認められるようになったのだと思う。
綺麗な本より、楽しく読んだ本を大切にしたい
今でも、本を乱暴に扱いたいとは思わない。
できるだけ丁寧に扱いたいし、綺麗な状態で長く持っていたいという気持ちもある。
でも、以前のように、少しの汚れで落ち込むことは減った。
本を大切にすることと、本を完璧に保存することは違う。
本を読んで笑う。
驚く。
考え込む。
気に入った文章をもう一度読む。
時間が経ってから、同じページを開く。
そうした経験の方が、僕にとっては大切なのだ。
もしページの端が少し折れてしまっても、それだけで物語の価値がなくなるわけではない。
表紙に小さな傷がついても、好きだった文章はそこに残っている。
汚れを見つけたからといって、もう一冊買い直す必要もない。
むしろ、その一冊をこれからも読んでいけばいい。
本を大切にするというのは、傷ひとつつけないことだけではない。
その本を読み、楽しみ、長く付き合っていくことも、立派な愛情なのだと思う。
昔の僕が、今の僕の読書風景を見たら驚くだろうか。
「おい、手を洗ったのか?」
「その本、ちょっと汚れてないか?」
そんなことを言ってくるかもしれない。
うるさい。
僕は今、本を読んでいるのだ。
物語の途中なのだから、邪魔をしないでほしい。
そして、ふとページについた手垢に気づく。
昔なら、きっと気になって仕方がなかっただろう。
でも、今は違う。
手垢?
もういい。
読んだ歴史だ。
