今更ながら、『星の王子さま』を初めて読んだ。
タイトルはもちろん知っていたし、有名な作品であることも知っていた。「大切なものは目に見えない」という言葉も、どこかで何度も耳にしたことがある。
だから読む前は、なんとなく内容まで知っているような気になっていた。
小さな星に住む王子さまが旅をする、子どものためのおとぎ話。
そんなイメージだった。
でも、実際に読んでみると全然違った。
もちろん、物語そのものはとてもシンプルだ。
砂漠に不時着した飛行士の前に、小さな星からやってきた王子さまが現れる。
王子さまは、自分の星に残してきた一輪のバラのことや、旅の途中で出会った少し変わった大人たちのこと、地球で出会ったキツネのことを飛行士に語っていく。
けれど、その短い物語の中には、大人になった今だからこそ立ち止まってしまう言葉がたくさんあった。
大切にするとはどういうことなのか。
誰かと関係を結ぶとはどういうことなのか。
何かを「持つ」とはどういうことなのか。
そして、自分が見ている世界は、本当にそれだけなのか。
読み終わったあと、『星の王子さま』というタイトルから想像していたより、ずっと多くのことを考えていた。
もしかするとこの物語は、子どものためのおとぎ話というより、いつの間にか「大人の見方」に慣れてしまった人のためのおとぎ話なのかもしれない。
箱の中にヒツジを見ることができるか
物語の序盤で、飛行士は王子さまからヒツジの絵を描いてほしいと頼まれる。
何度描いても王子さまは気に入ってくれない。
そこで飛行士はとうとう箱の絵を描き、その中にヒツジがいることにする。
すると王子さまは喜ぶ。
ただの四角い箱。
当然、紙の上にヒツジの姿は描かれていない。
それでも王子さまには、その箱の中にヒツジが見えている。
しかも面白いのは、王子さまがさらに想像を膨らませるところだ。
「この箱がいいのはね、夜はこれがそのままヒツジの家になるってところだよ。」(p20より引用)
箱の中にヒツジがいるだけではない。
その箱は夜になればヒツジの家になる。
一枚の絵から、王子さまの中ではもう物語が始まっている。
一方で、物語を語っている飛行士は後に、自分には箱の壁を透かしてヒツジを見ることができなかったと語る。
そして、自分も少し大人になってしまったのかもしれない、と考える。
この場面がとても好きだった。
大人になると、見えるものは増えていく。
経験も知識も増える。
子どものころには分からなかった人の気持ちが分かるようになったり、社会の仕組みを理解したり、物事を現実的に考えられるようになったりする。
でもその一方で、大人になることで見えなくなってしまうものもあるのかもしれない。
箱を見たら、箱だと思う。
そこに描かれていないヒツジを見る必要なんてない。
現実にないものを「ある」と考えるより、目の前にあるものを正確に判断することのほうが、大人の世界では役に立つことも多い。
でも、それだけで世界を見るようになったとき、僕たちは何かを失っているのではないか。
箱の中にヒツジを見るということは、単なる子どもの空想ではなく、目に見えているものだけで世界を決めつけないことなのだと思った。
同じ星空を見ても、見えているものは違う
『星の王子さま』を読んでいて特に印象に残ったのは、同じものを見ていても、その人が何を経験してきたかによって、まったく違うものに見えるということだった。
王子さまにとって、夜空に浮かぶ星はただ綺麗なだけではない。
自分が残してきたバラが、その何百万もの星のどこかにいる。
だから星空を見るだけで幸せになれる。
星そのものは何も変わっていない。
王子さまがバラと出会う前から、きっと同じように夜空には星があった。
変わったのは星ではなく、王子さまの中にある物語だ。
この考え方は、物語のいろいろなところに繰り返し現れる。
砂漠についてもそうだ。
何もないように見える砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだと王子さまは言う。
目に見える砂だけが、砂漠のすべてではない。
家も、星も、砂漠も。
そこに見えない何かが隠れているから、美しく見えることがある。
そう考えると、僕たちが普段見ている景色も同じなのかもしれない。
誰かと歩いた道。
一緒に見た景色。
何気なく聴いていた音楽。
昔読んだ一冊の本。
いつも座っていた場所。
それ自体は、昨日と今日で何も変わっていない。
それなのに、ある出来事を境にまったく違うものに見えることがある。
そこに自分だけの物語が生まれたからだ。
もしかすると、人生経験を重ねるほど世界が美しく見えることもあるのかもしれない。
もちろん、歳を取れば自動的に世界が美しくなるという意味ではない。
経験によって嫌いになる場所だってあるし、聴けなくなる音楽だってある。
それでも、生きて誰かと出会い、何かを大切にしていくことで、ただの景色ではなくなる場所が少しずつ増えていく。
世界そのものは変わらない。
自分の中にある物語が、世界の見え方を変えていく。
一番好きだった、王子さまとキツネ
この作品の中で、一番好きだったのは王子さまとキツネが出会う場面だった。
王子さまと出会ったばかりのキツネにとって、王子さまは大勢いる人間の一人でしかない。
王子さまにとっても、キツネはたくさんいるキツネの一匹にすぎない。
お互いに代わりがいる。
まだ二人の間には、何の物語もないからだ。
でも、一緒に時間を過ごすことで関係が変わっていく。
少しずつ近づいて、待つ時間が生まれ、相手が来る時刻に意味が生まれる。
そうして、たくさんの中の一人だった存在が「この人でなければならない」という存在に変わっていく。
そして僕が特に好きだったのが、小麦畑の話だった。
キツネはパンを食べないから、それまで小麦には何の興味もなかった。
ところが王子さまの髪は金色をしている。
だから王子さまと関係を結んだあと、金色の小麦を見ると王子さまを思い出すようになる。
王子さまがいなくなっても、小麦畑を渡る風を好きになる。
これがとても美しいと思った。
誰かが大切になるということは、その人だけが特別になることではない。
その人につながっているものまで特別になっていく。
その人と歩いた道。
その人が好きだった歌。
よく一緒に食べたもの。
何気なく交わした言葉。
季節や匂いや音まで、その人につながることがある。
キツネにとっての小麦畑は、王子さまと出会う前と何も変わっていない。
それでも、もう同じ小麦畑ではない。
誰かと関係を結ぶことで、世界の中に意味を持つものが一つ増えたのだ。
そう考えると、人との出会いは面白い。
大切な人が一人増えるたび、その人一人だけが人生に加わるのではない。
その人につながる世界まで、自分の世界の中に入ってくる。
一人との出会いによって、好きになれる景色が増えることがある。
『星の王子さま』を読んでいて、一番好きだった考え方だった。
特別だから大切にするのか、大切にしたから特別なのか
キツネとの出会いによって、王子さまは自分のバラについても理解していく。
地球に来た王子さまは、たくさんのバラが咲いている庭を見つける。
自分の星にあるバラは、この世に一輪しかないと思っていた。
でも目の前には、よく似たバラがたくさん咲いている。
客観的に見れば、王子さまのバラもその中の一輪なのかもしれない。
それでもキツネとの出会いを経て、王子さまは自分のバラがやはり特別なのだと知る。
その理由を表す言葉が、この作品の中でも特に好きだった。
「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。」(p104より引用)
この言葉を読んで、僕は「特別」というものについて考えた。
僕たちは、特別なものを見つけたから大切にするのだと思いがちだ。
この人は特別だから時間を使う。
この本は特別だから何度も読む。
この場所は特別だから何度も訪れる。
もちろん、それもあると思う。
でも、反対方向もある。
時間を使ったから、特別になった。
王子さまはバラに水をやった。
風よけをしてやった。
話を聞いた。
わがままに振り回された。
腹を立てた。
それでも一緒に過ごした。
その時間があるから、何千本のバラが目の前にあったとしても、自分のバラとは同じではない。
これは人間関係だけの話でもないと思う。
長く使っているもの。
何度も読み返した本。
ずっと通っている店。
育てている植物。
一緒に暮らしている動物。
最初から世界で一番特別だったわけではないものが、自分が時間を使ったことで、いつの間にか代わりのないものになっている。
価値があるから時間を費やすだけではなく、時間を費やすことそのものが価値をつくっていく。
そう考えると、「大切なもの」という言葉の意味が少し変わって見えた。
愛していても、愛し方は分からない
王子さまとバラの関係も面白い。
バラはかなり面倒くさい。
見栄を張ったり、嘘をついたり、王子さまを困らせたりする。
王子さまはバラの言葉に振り回され、とうとう自分の星を離れる。
でも旅をしてから、王子さまは当時のことを振り返る。
バラの表面的な言葉ではなく、その奥にあった優しさを見ればよかった、と。
そして、自分は若く、彼女の愛し方が分からなかったのだと考える。
ここも、大人になって読むからこそ面白いところだった。
王子さまはバラを愛していなかったわけではない。
むしろ大切だった。
でも、愛することと、相手の愛を読み取ることは別なのだ。
相手が自分と同じ方法で愛情を表現してくれるとは限らない。
素直に「大切だ」と言える人もいれば、言えない人もいる。
バラのように、自尊心や不器用さの奥に気持ちを隠してしまうこともある。
もちろん、だからどんな言動でも我慢しなければならないという話ではない。
ただ、目の前に現れた言葉だけをその人のすべてだと思ってしまうと、見えなくなるものがある。
ここでもまた、最初の箱の中のヒツジの話につながってくるように思った。
見えているものの奥に、何があるのか。
王子さまは旅をしたことで、過去そのものを変えたわけではない。
バラの言葉も、二人の間に起きた出来事も変わらない。
変わったのは、それを見る王子さまの側だった。
同じ過去が、経験によって違って見える。
それもまた、この物語に何度も登場する「見え方」の話なのだと思う。
星を持つビジネスマンと、バラを持つ王子さま
旅の途中で王子さまが出会う大人たちは、どこかおかしい。
その中でも印象に残ったのが、たくさんの星を自分のものだと言うビジネスマンだった。
彼は星の数を数え、それを紙に書き、銀行にしまうことで星を所有していると考えている。
でも王子さまは、その「持っている」という考え方に納得しない。
王子さまも、自分は花を一輪持っていると言う。
でも王子さまは、その花に毎日水をやる。
火山も持っているけれど、きちんと掃除をする。
だから自分は花や火山の役に立っている。
一方、ビジネスマンが星を所有することで、星には何が起きるのだろう。
何も起きない。
ここで描かれているのは、単なる「お金持ちは駄目だ」といった話ではないと思う。
面白いのは、「持つ」という言葉の意味が二人でまったく違うことだ。
ビジネスマンにとって、持つとは所有すること。
王子さまにとって、持つとは世話をすること。
自分が何を所有しているかではなく、自分がそのもののために何をしているか。
王子さまの「持つ」には責任がついてくる。
これはキツネの話ともつながっている。
関係を結んだものには責任がある。
大切にするということは、ただ「これは僕にとって大切です」と宣言することではない。
水をやる。
掃除する。
時間を使う。
面倒を見る。
その存在のために自分が何かをする。
だからこそ王子さまの一輪のバラは、何千本のバラよりも大切になるのだと思う。
何をどれだけ持っているのかではなく、自分が大切にしているもののために何をしているのか。
この王子さまの価値観が、とても好きだった。
「規則だから」で終わらせない
王子さまが旅の途中で出会う点灯夫の話も、短いけれど面白かった。
点灯夫は、決められた規則に従って街灯をつけたり消したりしている。
ところが惑星の回転はどんどん速くなり、一日はとても短くなってしまった。
当然、点灯夫はものすごい頻度で街灯をつけたり消したりしなければならない。
状況は変わった。
でも、
「惑星が年ごとに前より速く回るようになった。それでも規則は変わらない!」(p73より引用)
この場面を読んでいると、なんだか笑える。
でも、現実の世界を考えると、そこまで笑えない気もする。
昔からそうだから。
決まりだから。
普通そうするから。
みんながやっているから。
僕たちの周りにも、理由を聞くと最後はそれしか残らないものがある。
もちろん規則は必要だ。
社会で生きる以上、すべてを自分の好きなようにしていいわけではない。
でも、規則が存在することと、その規則を疑ってはいけないことは別だと思う。
状況が変わっているのに、昔と同じことを続ける意味はあるのか。
そもそも、何のために始まったのか。
今でもその目的を果たしているのか。
王子さまは、旅の中で何度も「なぜ?」と問いかける。
大人たちが当然だと思っていることを、そのまま当然だとは受け取らない。
この「なぜ?」という感覚も、『星の王子さま』の好きなところだった。
疑問を持つというと、何でも否定することのように聞こえるかもしれない。
でも僕は、そうではないと思う。
疑問を持つことは、目の前に見えているものだけで結論を出さないことだ。
「これはこういうものだ」と決める前に、本当にそうなのかと考えてみる。
そう考えると、これも箱の中のヒツジと似ている。
箱を見て「箱だ」と言えば、それで終わる。
でも、「この中には何があるんだろう」と考えた瞬間、その向こうに別の世界が生まれる。
当たり前に見えるものほど、一度疑ってみる。
その奥に何が隠れているのかを想像してみる。
大人になっても、そんな見方は持っていたい。
数字では分からないもの
『星の王子さま』では、大人と数字の関係も何度か描かれる。
大人は数字が好きだ。
新しく友達ができたと言っても、その人がどんな声で笑うのか、何が好きなのかを聞かず、年齢や収入のような数字を知りたがる。
数字は便利だ。
比較できる。
説明しやすい。
誰かと共有もしやすい。
でも、人間にとって本当に大切なものの多くは数字にできない。
どれだけその人と一緒にいたいか。
どれだけその場所が好きか。
なぜその本を何度も開いてしまうのか。
なぜ、ある曲を聴いただけで昔のことを思い出すのか。
数字では説明できない。
王子さまは旅の途中で、数字や所有や権威に夢中になっている大人たちを見る。
そして不思議そうに眺める。
この「王子さまから大人を見る」という構図が面白い。
僕たちは普段、大人の側から子どもを見る。
子どもはまだ世の中を知らない。
だから教えてあげなければならない。
でも『星の王子さま』では、それがひっくり返される。
本当に分かっていないのは、どちらなのだろう。
大人になることが悪いわけではない
ただ、この作品を読んで「子どもは正しく、大人は駄目だ」という話だけで終わらせるのは、少し違うようにも思った。
なぜなら、王子さま自身も旅をすることで変わっているからだ。
星を出たころの王子さまには、バラの愛し方が分からなかった。
キツネと出会い、いろいろな大人を見て、地球を旅して、ようやく自分のバラがなぜ特別だったのかを理解する。
つまり、経験することによって初めて見えるものもある。
これは面白い矛盾だと思う。
大人になると見えなくなるものがある。
でも、大人になることで見えるようになるものもある。
だから必要なのは、子どものころに戻ることではないのだと思う。
経験も知識も持ったまま、それでも箱の中にヒツジを見ることができること。
現実を知ったうえで、目に見えないものを想像できること。
数字を使いながら、数字では測れないものがあると知っていること。
規則を守りながら、その規則に「なぜ?」と問いかけられること。
もしかすると、それが『星の王子さま』の描く理想の「大人」なのかもしれない。
自分が何を探しているのか
物語の中に、こんな言葉がある。
「子供だけが自分が何を探しているのか、知っているんだ。」(p106より引用)
この言葉も妙に残った。
子どものころは、自分が好きなものに理由なんていらなかった。
好きだから好き。
欲しいから欲しい。
やりたいからやる。
ところが大人になると、そこにいろいろな基準が入ってくる。
これは役に立つのか。
得をするのか。
人からどう見えるのか。
普通なのか。
価値があるのか。
そういう基準をたくさん覚える。
それ自体が悪いわけではない。
でも、外側の基準ばかり見ていると、いつの間にか自分が何を探していたのか分からなくなることがある。
作中の人間たちは急行列車に乗って忙しく走り回っている。
でも、何を探しているのか自分でも分かっていない。
この描写は、今読んでもまったく古く感じなかった。
むしろ、忙しくするための道具が増えた現代のほうが刺さるのかもしれない。
速く移動できる。
すぐに連絡できる。
大量の情報を得られる。
効率よく物事を進められる。
それでも、「どこへ行きたいのか」が分からなければ、速さそのものには意味がない。
何をするかより前に、自分は何を探しているのか。
王子さまは、そんな当たり前だけれど難しいことを問いかけてくる。
王子さまの旅は「帰るための旅」だったのかもしれない
読み終えてから王子さまの旅を振り返ると、不思議な旅だと思う。
物語では、主人公が旅に出ると、何か新しいものを手に入れることが多い。
宝物を見つける。
夢を叶える。
新しい居場所を見つける。
でも王子さまの旅は少し違う。
旅の果てに王子さまが大切だと知ったのは、最初から自分の星にあった一輪のバラだった。
バラは最初からそこにいた。
王子さまが旅をしている間に、バラが特別な花へ変身したわけではない。
変わったのは王子さまだ。
遠くまで旅をしたからこそ、自分が毎日水をやっていたことの意味を知った。
たくさんのバラを見たからこそ、自分のバラが特別である理由を知った。
キツネと関係を結んだからこそ、自分がすでにバラと関係を結んでいたことに気づいた。
だから僕には、王子さまの旅が、新しい何かを手に入れるための旅というより、最初から自分のそばにあったものの大切さを知り、そこへ帰っていくための旅のように見えた。
遠くまで行かなければ、近くにあったものの価値に気づけないことがある。
離れて初めて分かることがある。
失いそうになって初めて、ずっと持っていたものを見ることがある。
旅をしたからバラが変わったのではない。
旅をしたから、王子さまの目が変わった。
これも結局、最初から最後まで続いている「見え方」の物語なのだと思う。
別れたあとも、その人によって変わった世界は残る
物語の終盤、王子さまは飛行士に星を贈る。
といっても、本当に星を一つ渡すわけではない。
王子さまの星はあまりにも小さく、夜空のどこにあるのか教えることができない。
だからこそ、飛行士はすべての星を見ることになる。
そのどこかに王子さまがいる。
王子さまが笑っている。
そう思えば、夜空にある全部の星が特別になる。
ここで、キツネの小麦畑を思い出した。
キツネにとって小麦は、王子さまの髪を思い出させるものになった。
飛行士にとって星は、王子さまを思い出させるものになった。
そして王子さまにとって星空は、バラのいる場所になった。
みんな同じものを見ている。
でも、見えているものは違う。
誰かと出会うということは、その人が自分の人生に加わるだけではない。
その人によって、世界の一部が以前とは違って見えるようになることなのかもしれない。
そして、その人がいなくなったあとにも、それは残る。
小麦は残る。
星は残る。
その人と一緒に見た景色も残る。
そこに結びついた物語も残る。
出会った人がいなくなっても、その人によって変わった世界の見え方は、自分の中に残っていく。
そう考えると、王子さまが飛行士に贈ったものは星そのものではないのだと思う。
星を見る、新しい見方を贈ったのだ。
大人になった今だからこそ、見つけられたもの
『星の王子さま』を読み終えて、最初に抱いていた印象はすっかり変わった。
これは確かに子どもでも読める物語だ。
でも、大人になってから読むことで初めて分かる部分もたくさんあるように思う。
人と関係を結ぶこと。
誰かの不器用な愛情。
時間を費やすことで生まれる特別さ。
何かを大切にすることに伴う責任。
数字では測れない価値。
昔からある規則を疑うこと。
自分が本当は何を探しているのかを忘れないこと。
そして、目に見えているものだけで世界を決めつけないこと。
子どものころに読んでいたら、僕はこの物語をどう読んでいただろう。
きっと今とは全然違ったと思う。
でも、それでいいのだと思う。
同じ星を見ても、人によって意味が違うように。
同じ本を読んでも、そのとき自分が何を経験してきたかによって、見えるものは変わる。
だから本は面白い。
何年か経ってもう一度『星の王子さま』を読んだら、今回とは違うところに線を引いているかもしれない。
今は見えていないヒツジが見えるようになっているかもしれないし、逆に、今見えているものが見えなくなっているかもしれない。
だから、ときどき自分が見ているものを疑ってみたい。
これは本当に、目に見えている通りのものなのか。
当たり前だと思っていることは、本当に当たり前なのか。
その人の言葉の奥には何があるのか。
何もないと思っている砂漠の下に、井戸はないのか。
ただの箱だと思っているものの中に、ヒツジはいないのか。
知識や経験を増やしながら、それでも目に見えないものを想像できる大人でいたい。
そして、大切なものをただ「大切だ」と言うだけではなく、そのために時間を使える人でいたい。
特別なものを見つけたから大切にするだけではない。
時間を費やして大切にしたからこそ、特別になっていくものがある。
そんなものが少しずつ増えていけば、同じ世界でも、以前より少しだけ美しく見えるのかもしれない。
読み終えて空を見上げる。
星は、読む前と何も変わっていない。
それでも、
いつもの星空が、ほんの少し違って見える気がする。
