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『勝手にふるえてろ』感想・考察|自分の愛ではなく、他人の愛を信じるということ

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綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』を読んだ。

めちゃくちゃ面白かった。

主人公は26歳のOL・江藤良香。

彼女には、中学2年生の頃から12年間思い続けている「イチ」がいる。

まともに話したこともほとんどない。それでも彼への思いは消えず、12年もの間、良香の中で大切に育てられてきた。

そんな良香の前に現れるのが、会社の同期「ニ」。

突然ニから告白されたことで、良香は長年大切にしてきた片思いと、目の前に現れた現実の恋との間で揺れ始める。

こう書くと、

「理想のイチと、現実のニ。良香はどちらを選ぶのか」

という恋愛小説に見える。

僕も最初はそう思っていた。

でも、読み終えてみると少し違った。

これは単純に「理想か現実か」を選ぶ話ではない。

自分の中だけで完結していた世界から、自分ではどうすることもできない“他人”のいる世界へ踏み出していく物語だったように思う。

そして何より、綿矢りささんの文章がすごかった。

恋愛、結婚、正直さ、嫉妬、見栄、自意識。

僕たちが普段なんとなく「こういうものだ」と思っているものを、一度バラバラにしてしまう。

綺麗な答えが出たと思ったら、その答えまで疑う。

読んでいると何度も、「そこまで考えるのか」と立ち止まらされた。

目次

良香は面倒くさい。でも、妙に分かってしまう

良香は、とにかく自意識が強い。

人付き合いが苦手で、頭の中ではずっと何かを考えている。

相手の何気ない一言を必要以上に受け取ったり、自分がどう見られているのかを気にしたり、勝手に期待して、勝手に傷つく。

かなり面倒くさい。笑

でも、不思議と嫌いになれなかった。

むしろ、「こんなこと考えたことあるな」と思わされる瞬間が何度もある。

仕事中なら「会社員」という役割がある。

何をすればいいのかも、どう振る舞えばいいのかも、ある程度決まっている。

ところが仕事を離れた瞬間、そのルールが消える。

良香は、

「オフの場面になったら途端にどういうのが普通か分からなくなる」(p88より引用)

と考える。

これ、すごく分かる。

職場では仕事をしていればいい。

でも、飲み会や結婚式や同窓会のような「自由に振る舞ってください」という場所になると、突然難しくなる。

自由なのに、そこには見えない正解がある。

誰と話すのか。

どのくらい笑うのか。

いつ手伝うのか。

どこまで自分を出すのか。

良香は、そういう人間関係の見えないルールをいちいち拾ってしまう。

だから疲れる。

でも、その面倒くささこそが、この小説の面白さでもある。

普通なら流してしまう感情を、良香は流さない。

いったん拾って、眺めて、疑って、ひっくり返す。

良香の頭の中を読んでいるうちに、自分まで普段なら考えないところまで連れていかれる。

イチは「理想の男」だけではない

良香が12年間思い続けているイチ。

最初は単純に「理想の男」なのだと思っていた。

でも、読み進めるうちに、少し違って見えてきた。

良香はイチのことを、それほど知らない。

まともに話したことさえほとんどない。

だからこそ、12年間好きでいられたのではないだろうか。

相手を知らなければ、幻滅することもない。

嫌な癖も知らない。

価値観が合わないことも分からない。

自分を傷つける言葉を言われることもない。

知らない部分を、自分の理想で埋めることができる。

つまり良香が12年間愛していたのは、現実のイチであると同時に、良香の中で育ち続けたイチでもあった。

良香自身も途中でそれに気づく。

「私が恋しいのは現実のイチじゃない、私のなかで勝手に暖め続けていたイチの幻影だ」(p120より引用)

この一文は、この物語を考えるうえでかなり重要だと思う。

片思いは苦しい。

叶わない恋はつらい。

でも同時に、片思いにはある種の安全さもある。

なぜなら、相手の気持ちが必要ないからだ。

自分が好きでいる限り、その恋は続けられる。

極端に言えば、一人で完成できる。

良香はイチに恋をしていた。

でも同時に、誰にも壊されない自分だけの世界を守っていたのかもしれない。

傷つきたくないから、本気を出さない

良香の性格を象徴していると思った言葉がある。

私はベストを尽くしても欲しいものが手に入らなければ、きっとプライドを傷つけられて立ち直れなくなるから、ほどんど何もせずにいつも欲しいものは見ているだけ。イチに対してもそうだ。(p110より引用)

「ベストを尽くしても欲しいものが手に入らなければ」立ち直れなくなるから、ほとんど何もせずに欲しいものを見ているだけだと良香は考える。

これも痛い。

何もしなければ、「本気を出していないから」という逃げ道を残せる。

告白しなければ、振られない。

挑戦しなければ、失敗しない。

欲しいものに手を伸ばさなければ、「本当は手に入ったかもしれない」という可能性を永遠に残しておける。

良香のイチへの12年間の片思いにも、それがあるように思う。

恋が叶わないことよりも、

本気で手を伸ばして、それでも自分が選ばれないことの方が怖い。

だから見ている。

想像している。

好きでいる。

その場所なら、傷つくことはあっても、自分の世界そのものを壊されることはない。

良香の面倒くささの奥には、ものすごく強い臆病さがある。

そして、その臆病さは案外、多くの人の中にもあるんじゃないだろうか。

ニとの恋には「他人」がいる

一方、ニは違う。

ニは良香の想像の中の人物ではない。

実際に良香の前にいて、喋って、行動して、勝手に良香を好きになる。

良香の思い通りにならない。

子どもっぽい。

腹も立つ。

「なんでそんなことを言うんだ」と思うこともある。

でも、それこそが現実の人間なのだと思う。

イチへの恋は、良香一人でも続けられた。

でも、ニとの恋愛には必ず「ニ」がいる。

ここが、この小説で一番面白かったところだった。

自分の愛を信じるだけなら、一人でもできる。

自分がイチを好きだという気持ちは、自分のものだから疑わなくていい。

でも、ニが自分を好きだという気持ちは違う。

それはニの中にある。

良香には管理できない。

明日も好きでいてくれる保証なんてない。

心変わりするかもしれない。

裏切るかもしれない。

そもそも、良香が理解できない理由で良香を好きなのかもしれない。

他人の愛を信じるということは、自分ではどうにもできないものを信じることでもある。

だから怖い。

でも良香は少しずつ、その怖さの方へ向かっていく。

「相手の直感を信じる」ということ

途中で良香は、

「自分の直感だけを信じず、相手の直感を信じるのも大切かも知れない」(p116より引用)

と考える。

何気ない一文だけれど、この物語の核心にかなり近い気がする。

良香はそれまで、自分の感覚を信じて生きてきた。

自分が好きな人。

自分が嫌いなもの。

自分が思う自分。

自分が考える幸せ。

全部、自分の側から世界を見ている。

でも恋愛には相手がいる。

自分が「この人ではない」と思っていたとしても、相手は「あなたがいい」と思っているかもしれない。

だったら、自分の直感だけではなく、

「私を選んだこの人の直感」を信じてみることもできるのではないか。

これは面白い考え方だった。

自分を信じることは大切だと言われる。

でも、自分だけを信じ続けることが、逆に自分を閉じ込めることもある。

誰かに愛されたとき、

「いや、私なんかを好きになるのはおかしい」

と自分の判断だけで否定してしまったら、永遠に他人は入ってこられない。

ニを受け入れることは、自分を捨てることではない。

自分とは違う判断をする他人に、自分の世界の一部を預けてみることなのだと思う。

「妥協」ではなく「挑戦」

だからこそ、終盤の言葉が強く残った。

「ふりむくのは、挑戦だ。自分の愛ではなく他人の愛を信じるのが、自分への裏切りではなく、挑戦だ。」(p174より引用)

ここで、この物語の見え方が大きく変わった。

イチを諦めてニを選ぶ。

それだけを見ると、「理想を諦めて現実的な相手で妥協した」とも見える。

でも、良香にとっては逆なのだ。

イチを思い続ける方が安全だった。

誰にも邪魔されない。

自分の中で育てた美しい恋を、自分一人で守り続けることができる。

ニを選ぶ方が怖い。

他人だからだ。

だから良香がニへ振り向くことは、理想を捨てた「妥協」ではない。

自分だけを信じていれば安全だった場所から出て、自分ではない誰かを信じてみる「挑戦」なのだ。

この小説は恋愛小説だけれど、ここは恋愛だけの話ではないと思う。

人と関わるということそのものが、そうなのかもしれない。

他人は、自分の思い通りにならない。

完全には理解できない。

どれだけ近づいても、自分にはならない。

それでも、その分からなさを抱えたまま一緒にいる。

良香が踏み出したのは、そんな世界だった。

『勝手にふるえてろ』というタイトルの意味

そして、タイトル。

『勝手にふるえてろ』。

ずっと強烈なタイトルだと思いながら読んでいたけれど、実際にこの言葉が登場する場面がものすごく良かった。

良香はそこで、イチを「ヒト」、さらには「ほ乳類」とまで引きずり下ろしていく。

12年間、良香の中で特別な存在だったイチ。

ほとんど神様のように、自分の中で大きくなり続けていた存在を、ただの一人の人間へ戻していく。

でも面白いのは、良香が12年間の片思いそのものまで否定していないことだ。

むしろ、

「私の中で十二年間育ちつづけた愛こそが美しい」(p131より引用)

と考える。

ここが好きだった。

イチが美しいのではない。

イチを12年間思い続けた自分の愛に、美しさを見つける。

だから、イチを手放すことは、12年間を無駄にすることではない。

「あんな人を好きだった私は馬鹿だった」と過去の自分まで否定する必要もない。

現実のイチと、自分の中で育ててきたイチを切り離す。

そして、自分の愛だけは自分のものとして持って帰る。

そのうえで、

「イチなんか、勝手にふるえてろ。」(p131より引用)

と言う。

ものすごく強い決別だと思う。

そして読み終えたあとでは、このタイトルがイチだけに向けられた言葉ではなく、どこか良香自身に、さらには読んでいるこちら側にも跳ね返ってくるような気もした。

怖い。

傷つきたくない。

失敗したくない。

他人なんて信用できない。

そんなものを全部なくしてから前へ進む必要なんてない。

震えるなら、震えたままでいい。

そう言われているようにも感じた。

綿矢りさは「綺麗な答え」で終わらせない

そして、とにかく文章が面白い。

綿矢りささんの文章を読んでいると、当たり前だと思っていた感情や価値観が次々に解体されていく。

たとえば「正直」。

普通なら、

「好きな人には正直でいたい」

という言葉は美しい。

そこで終わってもいい。

ところが、この小説は終わらない。

良香は、好きな人に正直でいたいという気持ちさえ、

「ただの欲望の一つ」(p68より引用)

として見てしまう。

すごい角度だと思った。

正直でいたい。

それは良いことだ。

でも、「正直でいたい」という自分の願望を相手に押しつけているだけでは?

そこまで行く。

嘘についても同じだ。

嘘は人を傷つける。

普通ならそれで終わる。

でも良香は、

「正直に言うことも、ときには同じくらい人を傷つける」(p126より引用)

と考える。

また壊す。

この小説には、こういう瞬間が何度もある。

一度答えにたどり着いたと思ったら、

「いや、本当に?」

ともう一度潜る。

正しさを疑う。

その疑った自分さえ疑う。

だから、綺麗な名言集にはならない。

人間はそんなに綺麗に整理できないからだ。

恋愛も結婚も「普通」を疑っていく

結婚についての考え方も面白かった。

良香は結婚式を想像するとき、友人たちを「過去の集大成の友だちコレクション」のように捉える。(p12より)

言い方がひどい。笑

でも、分からなくもない。

結婚式という「人生の晴れ舞台」に、これまでの人間関係を年代順に集める。

そこには幸福だけではなく、

「私はこれだけの人生を歩んできました」

という展示のような部分もある。

さらに良香は、既婚者には新婚旅行の休暇や育児休暇があるのに、結婚しない人にも、

「自分の人生をじっくり見直す休暇」(p136より引用)

が必要なのではないかと考える。

これも面白かった。

結婚する。

子どもを産む。

家族を作る。

そういう人生の節目には、社会から「大きな出来事」として名前が与えられている。

でも、結婚しない人生にも当然、大きな節目はある。

一人で生きている人間だって、人生について立ち止まりたい。

良香のひねくれた視線は、ときどき社会の「普通」の方を奇妙に見せる。

比喩がいちいち変なのに、妙に分かる

そして綿矢りささんの文章で特に好きだったのが、比喩。

処女を、

「新品だった傘」の持ち手についているビニールの覆いにたとえる場面がある。(p80より)

なんでそこに例えた。笑

でも、妙に分かる。

最初は新品の証のようだったものが、時間が経つにつれて「まだこれ付けてるの?」というものに変わっていく。

引っ剥がしたい。

でも、ここまで付けていたら、なんとなく取るのも惜しい。

「処女」という抽象的な概念を、傘の持ち手のビニールという、ものすごく生活感のある物体にしてしまう。

こういう比喩が本当にうまい。

気が合う二人についても、

「ふつうよりちょっとだけ距離の近い平行線」(p105より引用)

と表現する。

気が合う。

だから恋愛になる。

とは限らない。

どれだけ近くても、平行線なら交わらない。

「仲が良い」と「恋をする」の間にある説明しにくい距離を、一本の線で見せてしまう。

こういう文章に何度もやられた。

最後に残ったのは「やさしさ」だった

これだけ人間の身勝手さを描いている小説なのに、不思議と読後感は冷たくなかった。

良香は面倒くさい。

ニも完璧ではない。

イチも、良香の中で作り上げられた理想とは違う。

恋愛だって綺麗ではない。

正直であることすら、いつでも正しいわけではない。

人は欲深い。

自分勝手。

臆病。

それでも最後に残ったのは、人間なんてくだらないという冷笑ではなかった。

ニが良香の髪をやさしくなでる。

それを良香は、

「私の好きなやさしさに似ていた」(p174より引用)

と感じる。

この「似ていた」が好きだった。

完全な理想ではない。

ずっと夢見ていた何かそのものでもない。

でも、似ている。

それでいいのかもしれない。

散々、恋愛を疑った。

結婚を疑った。

正直さを疑った。

理想を疑った。

自分自身まで疑った。

それでも最後には、

他人を信じてみる。

綺麗事を散々疑ったあとだからこそ、その選択が強く心に残った。


併録「仲良くしようか」――意味が分からない。でも、それでいい

文庫版には「仲良くしようか」という短編も収録されている。

そして、これがまたすごかった。

正直に言う。

よく分からない。

本編『勝手にふるえてろ』のように、物語を追って人物の変化を考えていく読み方とはかなり違う。

散文詩のようでもある。

私小説のようでもある。

夢の中を歩いているようでもある。

一つのイメージから別のイメージへ飛び、思考が連想によってどんどん別の場所へ流れていく。

「これは何を意味しているんだろう」

と必死に整理しようとすると、逆に逃げていく。

途中から、意味を理解しようとするのをやめた。

それでよかった気がする。

音楽を聴くときに、すべての音の意味を説明する必要がないように、文章にも「意味」より先に感覚へ届くものがある。

「仲良くしようか」は、そんな読み方をしたくなる短編だった。

「限界の先のスローモーションに永遠が横たわっている。」

この短編で特に心を持っていかれた一節がある。

才能や、一瞬のきらめきのために人生を振り回されることについて語ったあと、

「限界の先のスローモーションに永遠が横たわっている。」(p189より引用)

と続く。

なんだこれは。

意味を説明しろと言われると難しい。

でも、めちゃくちゃ好きだった。

その直前では、激しく燃え尽きていくろうそくの火が描かれている。

速い。

激しい。

一瞬。

燃え尽きる。

ところが、その先に突然「スローモーション」が現れる。

時間が反転する。

そして、そこに「永遠」がある。

しかも永遠は「存在する」のではない。

横たわっている。

永遠という抽象的な概念が、突然そこに寝転がっているような物体になる。

速さの限界を越えた先で、時間がゆっくりになり、その中に永遠が横たわっている。

分かるような、分からないような。

でも、その光景だけは頭の中に残る。

こういう文章に出会うと、

文学って、全部理解できなくてもいいんだな

と思う。

意味が分からないのに忘れられない。

むしろ意味が一つに決まらないから、ずっと頭の中に残り続ける。

よく分からないものは、よく分からないまま持ち帰る。

それも読書の楽しさなのだと思う。

ラストに現れる少女は誰なのか

そして「仲良くしようか」で、もう一つ気になったのがラストに現れる少女だった。

あの少女は誰なのだろう。

普通に読めば、主人公とは別の一人の少女として読むことができる。

でも、読んでいると、どこか主人公自身の別の姿にも見えてくる。

過去の自分なのか。

自分の中にいるもう一人の自分なのか。

あるいは、まったく別の他人なのか。

僕には分からなかった。

ただ、どちらに読んでも最後の「仲良くしようか」という言葉が面白くなる。

もし少女が「他人」なら、それまで自分の内側を漂い続けていた主人公が、最後に自分とは違う存在へ声をかけたことになる。

理解できない相手。

自分とは違う存在。

それでも、

仲良くしようか。

一方、少女が主人公自身の分身のような存在なら、この言葉は自分自身に向けられたものにもなる。

うまく扱えなかった自分。

好きになれなかった自分。

過去の自分。

自分の中にいる、自分とは少し違う何か。

それに対して、

「仲良くしようか」

と声をかける。

どちらが正解なのかは分からない。

そもそも、一つに決めなくてもいい気がする。

むしろ「仲良くしようか」という言葉そのものが、自分と自分ではないものの間に置かれているように感じた。

そして、ここまで読んでから『勝手にふるえてろ』と並べて考えると、二つの作品が少しだけ響き合って見えてくる。

『勝手にふるえてろ』では、自分だけで完結していた世界から、他人のいる世界へ踏み出していく。

「仲良くしようか」では、自分とは違う何か――それが他人なのか、自分自身の一部なのかさえ曖昧な存在に向かって、最後に言葉を投げかける。

他人は分からない。
自分だって、全部は分からない。

それでも、分からないものを排除するのではなく、

「仲良くしようか」

と言ってみる。

僕には、この短編の最後がそんなふうに残った。

分からないものを、分からないまま持ち帰る

『勝手にふるえてろ』を読んで、一番面白かったのは、恋愛の答えを教えてくれる小説ではなかったことだ。

理想の人を追い続けるのが正しい。

自分を好きになってくれる人を選ぶのが正しい。

正直でいることが正しい。

結婚することが幸せ。

そんな簡単な答えは、ことごとく疑われる。

人間は矛盾している。

好きなのに腹が立つ。

嫌いなのに気になる。

正直でいたいのに、正直さで人を傷つける。

一人でいたいのに、誰かに見つけてほしい。

自分を守りたいのに、誰かを信じてみたい。

その矛盾を綺麗に整理しないところが、この小説の好きなところだった。

良香は完璧な答えを見つけたわけではない。

ニが運命の人だと証明されたわけでもない。

ただ、自分一人で完結する世界から少しだけ外へ出てみる。

自分の愛だけではなく、他人の愛を信じてみる。

それは妥協ではない。

挑戦だ。

そして、その挑戦にはきっと怖さがある。

だから読み終えた今、『勝手にふるえてろ』というタイトルは、イチに向けられた言葉でありながら、どこか良香自身にも、そして読んでいるこちら側にも向けられているような気がしている。

怖くてもいい。

迷ってもいい。

全部分からなくてもいい。

人のことも、自分のことも、人生のことも。

分からないものは、分からないまま持っていけばいい。

それでも誰かと関わってみる。

それでも明日へ進んでみる。

『勝手にふるえてろ』と「仲良くしようか」。

まったく違う手触りを持つ二つの作品を読み終えて、最後に僕の中に残ったのは、そんな不器用で、少しやさしい人間の姿だった。

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