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『ブルーもしくはブルー』感想|違う人生を選んでいたら、本当に幸せだったのか

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「あのとき、違う選択をしていたら」

そんなことを、一度くらいは考えたことがあると思う。

あの人と結婚していたら。

あの仕事を選んでいたら。

あの学校に進んでいたら。

あの日、別の道を歩いていたら。

今とはまったく違う場所で、違う人たちに囲まれながら、違う人生を送っていたのかもしれない。

そして、その人生のほうが幸せだったのかもしれない。

山本文緒さんの『ブルーもしくはブルー』は、そんな「もしも」が現実になってしまう物語だ。

僕も最初は、「もう一つの人生を体験できたら」という少し不思議で面白い物語なのだと思っていた。

でも、全然違った。

もう一つの人生を手に入れた先に待っていたのは、単純な幸福ではない。

羨望。

嫉妬。

執着。

愛。

自由。

孤独。

そして、自分自身。

違う人生を手に入れたとしても、そこにいるのは結局、自分なのだ。

読み終わって僕が強く思ったのは、幸せとは「どの選択をしたか」だけで決まるものではないんじゃないか、ということだった。

もしかすると、どの道を選んでいたとしても、人はまた別の人生を羨んでしまうのかもしれない。

だったら、幸せになるために必要なのは、「正しい人生」を探し続けることではない。

今、自分が歩いている道をどう生きるのか。

結局は、心のあり方なのだと思う。

目次

『ブルーもしくはブルー』の簡単なあらすじ

主人公の佐々木蒼子は、高収入でスマートな夫と結婚し、都心の高級マンションで暮らしている。

外側から見れば、恵まれた生活なのかもしれない。

けれど、夫婦関係は冷え切っている。

夫には愛人がいて、蒼子自身にも若い恋人がいる。

そんな蒼子が、ある日、博多で昔の恋人・河見と再会する。

そして、そのそばには信じられない人物がいた。

自分とまったく同じ顔をした、もう一人の「蒼子」。

蒼子Aと蒼子B。

同じ顔。

同じ名前。

それなのに、二人が送っている人生はまったく違う。

二人はお互いの生活に興味を持ち、そして相手の人生を羨むようになる。

そこで二人は、期間限定で互いの人生を入れ替えてみることにする。

自分が選ばなかった人生を、本当に生きる。

夢のような話だ。

でも、そこから物語は思わぬ方向へ進んでいく。

「恋は旅に似ている」——非日常はいずれ日常になる

物語の序盤に、こんな言葉がある。

「恋は旅に似ている。非日常の楽しい毎日。けれど、それはいつか必ず終わる。そしてまた日常が始まるのだ。」(p13より引用)

この言葉が好きだった。

恋愛だけではなく、人生のいろいろなことに当てはまる気がする。

旅が楽しいのは、日常ではないからだ。

知らない街。

知らない景色。

いつもとは違う食事。

ホテルの部屋。

何もかもが新鮮に見える。

でも、そこに一年住めばどうだろう。

いつかその景色にも慣れる。

憧れていた街も、住んでしまえば「近所」になる。

恋愛だってそうなのかもしれない。

出会ったばかりの頃は、会うだけで特別だった。

一緒に食事をするだけで楽しい。

メッセージが届くだけで嬉しい。

でも、それが日常になれば、少しずつ当たり前になっていく。

これは恋愛だけではない。

ずっと欲しかった仕事に就いても、いつかそれは「仕事」になる。

欲しかったものを買っても、いつか部屋にあるのが当たり前になる。

僕たちは、幸せにも慣れてしまう。

だからこそ、今の人生が退屈に見えたとき、まだ経験していない人生が輝いて見えるのかもしれない。

選ばなかった人生は、どうして美しく見えるのだろう

人生には、無数の分岐点がある。

でも、実際に歩ける道は一つだけだ。

何かを選ぶということは、同時に何かを選ばないということでもある。

そして僕たちは、ときどき選ばなかった人生を想像する。

作中には、こんな言葉がある。

「正しい選択をした私が、違う土地で幸福に暮らしている。知らなければ知らないで済んだことなのに、私は知ってしまった。」(p65より引用)

「正しい選択をした私」。

この言葉がものすごく印象に残った。

今の人生がうまくいっていないとき、人はどこかに「正解だった人生」が存在すると考えてしまうのかもしれない。

自分は選び間違えた。

でも、あのとき別の道へ進んでいたら。

あの人を選んでいたら。

あの仕事を続けていたら。

そこには「正しい人生」があったはずだ、と。

でも、本当にそうなのだろうか。

選ばなかった人生には、現実がない。

だから、その人生には自分の都合のいいものだけを置くことができる。

嫌な上司はいない。

夫婦喧嘩もない。

お金の悩みもない。

孤独もない。

退屈もない。

だって全部、想像だからだ。

現実の人生と、頭の中で作った理想の人生。

比較すれば、現実が負けるのは当然だと思う。

「正しい人生」を一度だけ味わってみたい

蒼子は、こんなことも考える。

「一度だけでいい。平凡でまっとうな幸福を味わってみたかった。選び間違えた人生の、正しい方向はどういうものであったか見てみたかった。」(p71より引用)

「選び間違えた人生」。

かなり強い言葉だと思う。

人生そのものを「間違い」と考えてしまっている。

でも、この本を読んでいるうちに、僕はだんだん「正しい人生って何なんだろう」と思うようになった。

結婚すること?

子どもを持つこと?

安定した仕事をすること?

お金を持つこと?

自由に生きること?

愛されること?

どれも幸せになり得る。

でも、どれもそれだけで幸せを保証してくれるものではない。

平凡な生活には、平凡な生活の退屈がある。

自由には、自由の孤独がある。

愛には、愛の息苦しさがある。

どんな人生にも、表と裏がある。

それなのに、自分が持っていない側だけを見ると、なぜか表しか見えなくなる。

人間は、欲しかったものを手に入れても満足しない

この作品で特に好きだった言葉の一つが、

「余るほどの自由があれば心の拠り所が欲しくなり、強く愛されればそれは束縛に感じる。」(p125より引用)

という一文だった。

めちゃくちゃ人間らしい。

自由になりたい。

自由になった。

今度は寂しい。

愛されたい。

愛された。

今度は束縛されているように感じる。

一体どうすればいいんだ。

人間って、本当に面倒くさい。

でも、たぶん僕も同じだと思う。

欲しいものを手に入れた瞬間は嬉しい。

でも、それが日常になれば、今度は持っていないものが目につく。

だから、幸せになるための条件を外側に置き続けていたら、永遠に終わらないんじゃないかと思った。

「これさえあれば幸せになれる」

そう思っていたものを手に入れたら、次は、

「でも、あれがない」

が始まる。

幸せを条件にしてしまうと、条件はいくらでも増えていく。

どんな暮らしにも、少しくらいつらいことはある

作中に、とてもシンプルな言葉がある。

「どんな暮らしをしてたって、少しぐらいつらいことはあるわよ。」(p147より引用)

当たり前と言えば、当たり前だ。

でも、この物語を読んだあとでは、妙に響いた。

僕たちは、つらいことが起きると、

「選択を間違えたのかもしれない」

と思うことがある。

仕事がつらい。

だから、違う会社だったら幸せだった。

結婚生活がつらい。

だから、違う人と結婚していたら幸せだった。

一人が寂しい。

だから、結婚していたら幸せだった。

でも、つらいことがある=選択を間違えた、ではない。

どんな道にも、その道のしんどさがある。

だったら、「苦しいことのない人生」を正解として探し続けること自体が、少し違うのかもしれない。

どの道を選んでも、また別の人生を羨んでいたのではないか

『ブルーもしくはブルー』を読みながら、僕が一番考えたのはこれだった。

もし本当に違う人生を歩んでいたとしても、人はまた別の人生を羨んでいたんじゃないか。

「あのとき違う選択をしていたら」

と後悔することはある。

もちろん、取り返しのつかない出来事だってある。

すべての後悔を「気の持ちよう」で片づけたいわけではない。

でも、人生の選択について考えるとき、僕はどうしても思う。

もし、本当にあの道を選んでいたら?

その人生の中から、今度は選ばなかったこちらの人生を見て、

「あっちにしておけばよかった」

と思っていた可能性だってある。

結婚した人が独身を羨む。

独身の人が結婚生活を羨む。

都会で暮らす人が田舎を羨む。

田舎で暮らす人が都会を羨む。

会社員が自由な働き方を羨む。

自由に働く人が安定した会社員を羨む。

立っている場所を変えただけで、羨む方向が反対になる。

そういうことって、あると思う。

そして、この物語の最後に出てくる言葉が、とても好きだった。

「またいつか、どこかで会えたらいいですね。そうしたら、私達また、お互いの身をうらやましがるのかしら。」(p257より引用)

ここを読んで、やっぱり思った。

どちらの人生が正解だったのか、ではないんだ。

人間は、どちらを選んでも、持っていないほうを見てしまうのかもしれない。

幸せは「選択」より「心のあり方」にあるんじゃないか

この作品を読んで、僕は思った。

幸せは、どの選択をしたかよりも、心のあり方にあるんじゃないか。

これは「この作品がそう言っている」という意味ではない。

あくまで、僕がこの作品を読んで考えたことだ。

もちろん、環境は大切だ。

つらい職場なら辞めてもいい。

苦しい人間関係なら離れてもいい。

住む場所を変えることで楽になることもある。

だから「全部、心の持ちよう」なんて言うつもりはない。

ただ、どれだけ環境を変えても、自分自身はついてくる。

もっとお金があれば。

もっと自由なら。

もっと愛されたら。

もっと評価されたら。

もっと違う仕事なら。

もっと違う人生なら。

外側だけに幸せの条件を置いてしまったら、「もっと」は永遠に続く。

だったら僕は、今の人生を幸せにするという考え方を持っていたい。

選択によって人生は変わる。

でも、選択だけが幸せを決めるわけではない。

僕が歩く道が、幸せになる。

そういう生き方だってあると思う。

そもそも「選択できること」自体が幸せなのではないか

この本について考えているうちに、もう一つ思ったことがある。

「あのとき、違う選択をしていたら」

と考えられること自体、実は幸せなのではないか。

だって、それは選択肢があったということでもあるからだ。

AとBがあった。

その中から、自分で一つを選べた。

もちろん、人生には選べないこともたくさんある。

生まれる場所も、家族も、自分では選べない。

経済的な事情や健康、周囲の環境によって、選択肢が狭められることだってある。

それでも、自分の人生に「どちらにしよう」と悩める場面がある。

それ自体が、一つの自由なのだと思う。

そして、選択は過去だけにあるものではない。

今も選べる。

明日も選べる。

過去の選択を変えることはできない。

でも、今の人生を変える選択なら、これからだってできる。

「あのとき」を何千回考えても、過去には戻れない。

それなら、今から何を選ぶかを考えたい。

人生って、一回の選択で全部決まるほど単純ではないと思う。

途中で曲がってもいい。

立ち止まってもいい。

別の道へ行ってもいい。

今いる道が嫌なら、新しい道を探したっていい。

そう考えると、「あの一回の選択で人生を間違えた」と決めてしまうのは、少しもったいない。

愛されていることと、愛されていると感じること

『ブルーもしくはブルー』は、人生の選択だけではなく、愛についても考えさせられる。

蒼子は愛を求めている。

でも、物語の終盤には、

「私達、ちゃんと愛されてたのよ。(中略)それをねじ曲げたのは私達なのよ。」(p247より引用)

という言葉が出てくる。

この場面も印象に残った。

愛されていることと、自分が「愛されている」と感じられることは、同じではない。

誰かが愛情を与えていても、受け取る側がそれを愛だと思えなければ、「自分は愛されていない」と感じる。

逆に、愛情が強すぎれば、それを束縛だと感じることもある。

だから愛って難しい。

そして、これは幸せにも似ていると思った。

幸せが「ある」ことと、自分が「幸せだ」と感じることは違う。

どれだけ外側から見て恵まれていても、本人が満たされていなければ幸せとは感じない。

逆に、大したものを持っていなくても、本人が幸せなら幸せなのだと思う。

だからやっぱり、最後に戻ってくるのは心なのだ。

欲しくてたまらなかった「自由」の味

もう一つ、ものすごく好きだった言葉がある。

「口の中に、とても苦く嫌な味がした。欲しくてたまらなかった、自由の味が、それだった。」(p217より引用)

いい言葉だと思う。

自由って、いつも良いものとして語られる。

自由になりたい。

誰にも縛られたくない。

好きなように生きたい。

僕も自由は好きだ。

でも、自由になれば必ず幸せになるわけではない。

何でもできるということは、何をするかを自分で決めなければならないということでもある。

誰にも縛られないということは、誰も自分をつなぎ止めてくれないということでもある。

自由のすぐ隣には、孤独がある。

もちろん、それでも自由を選ぶ人はいる。

それでいい。

大切なのは、

「自由=幸せ」

「結婚=幸せ」

「お金=幸せ」

「安定=幸せ」

みたいに、一つのものを幸福の完成形にしないことなのかもしれない。

何かを手に入れれば、何かを失うこともある。

だから、選ばなかった人生に「全部」を求めてしまうと、永遠に今の人生では満足できなくなる。

もう一人の自分を見ることで、自分が見える

この作品でもう一つ、とても面白かったのが「自分を客観視する」ということだった。

「目の前に立っている女は私なのだ。嘘つきでわがままで冷酷な人間。それが私だ。彼女は私そのものではないか。」(p237より引用)

この一節が、とても印象に残った。

蒼子Aと蒼子Bを見ていて思ったのは、人は自分のことになると、驚くほど見えていないということだった。

自分の考え方。

価値観。

わがまま。

弱さ。

良いところだってそうだと思う。

自分の中にあるうちは、それが当たり前すぎて見えない。

でも、それが外側に現れた瞬間、急に見える。

自分と同じような言い訳をする人。

自分と同じように怒る人。

自分と同じように誰かを羨む人。

その人を見て、

「なんでそんなことするんだろう」

と思ったあとで、

「あれ、これ自分も同じじゃないか」

と気づく。

そういうことはあると思う。

もし自分にも、もう一人の自分がいたらどうだろう。

その人を見て、僕は何を思うのだろう。

嫌なところばかり見つけるのか。

意外と悪くないと思うのか。

それとも、自分では気づいていなかったものが見えるのか。

自分を客観視するって、簡単そうで難しい。

そもそも僕たちは、自分自身を自分の目で直接見ることすらできない。

鏡が必要だ。

心なら、もっと難しい。

だから、ときどき自分から少し離れて、自分を眺めてみることは大切なのかもしれない。

これは自分を責めるためではない。

「自分はダメだ」と言うためでもない。

ただ、見る。

自分は今、何を欲しがっているのか。

何を羨んでいるのか。

何に怒っているのか。

本当は何が寂しいのか。

蒼子Aと蒼子Bという二人を見ていると、そんな「自分を見ること」の大切さを感じた。

同じ顔でも、同じ人間ではない

そして、二人についてもう一つ印象的だった言葉がある。

「彼女は、私ではないのだ。私が私の利益を考えるように、彼女も彼女自身の利益を考えるのだ。」(p169より引用)

当たり前のことなのに、この物語の中では妙に怖い。

同じ顔。

同じ名前。

同じ「蒼子」。

だから、どこかで自分の延長のように感じてしまう。

でも、相手は別の人間なのだ。

自分には自分の欲望があり、相手には相手の欲望がある。

自分が幸福になりたいように、相手だって幸福になりたい。

そして、その幸福がぶつかることもある。

「もう一人の自分」なら分かり合える。

そんな単純な話ではない。

むしろ、自分と似ているからこそ、欲しいものまで似てしまう。

だからこそ、怖い。

自分自身からは逃げられない

人生を入れ替える。

住む場所を変える。

一緒にいる人を変える。

生活を変える。

それでも、自分自身までは入れ替えられない。

僕は、この作品の怖さはここにもあると思った。

環境を変えれば、すべてが解決する。

そんなふうに思っていたのに、新しい場所にも「自分」がいる。

自分が抱えていた欲望。

寂しさ。

嫉妬。

考え方。

全部ついてくる。

だから、新しい人生を手に入れても、また新しい不満が生まれる。

もちろん、環境を変えることが無意味だという話ではない。

環境によって人は大きく変わる。

でも、環境だけですべてが解決するわけでもない。

どこへ行っても、自分の人生を生きるのは自分だ。

だからこそ、心のあり方も大切なのだと思った。

「何も考えないこと」の幸福

作中には、

「海のように満ちては引いていく、その永遠の繰り返し。“私は何も考えないこと”の幸福を知った。」(p135より引用)

という言葉もある。

これも面白かった。

人間は考える。

過去を考える。

未来を考える。

他人と比較する。

「あっちだったら」と考える。

「もっと」と考える。

もちろん、考えることは大切だ。

でも、考えすぎることで、自分から苦しみを作ってしまうこともあるのかもしれない。

今ここにあるものを、そのまま受け取る。

食べる。

眠る。

歩く。

誰かと話す。

本を読む。

そういう時間の中では、「別の人生」は存在しない。

存在しているのは、今だけだ。

過去の分岐点を何度も頭の中で再生するより、目の前にある今を生きる。

それも一つの幸福なのだと思う。

心理サスペンスとしてもめちゃくちゃ面白い

ここまで人生や幸せについて書いてきたけれど、『ブルーもしくはブルー』は、単純な人生哲学の小説ではない。

物語として、めちゃくちゃ面白かった。

特に後半。

途中から空気が明らかに変わっていく。

最初は「もう一つの人生を体験する」という不思議な設定を楽しんでいた。

でも、少しずつ羨望の質が変わる。

羨ましい。

欲しい。

返したくない。

奪われたくない。

その感情が、少しずつ危険な方向へ向かっていく。

「え、そっちへ行くの?」

何度もそう思った。

派手な怪物が出てくるわけではない。

突然大きな音で驚かされるわけでもない。

怖いのは、人間の心だ。

自分でも気づかないうちに、羨望が嫉妬へ変わる。

嫉妬が執着へ変わる。

執着がさらに別の感情へ変わっていく。

その過程が、じわじわ怖い。

ホラーのようでもあり、ミステリーのようでもあり、心理サスペンスでもある。

でも、一番怖いのは「こんな感情、人間なら少しくらい分かる」と思えてしまうことだった。

完全に理解できない怪物なら怖くない。

少し分かってしまうから怖い。

そこが、この作品のすごさだと思う。

「退屈で孤独で平穏な毎日」に戻りたくなる

物語の後半には、

「退屈で孤独で平穏な毎日。そこへ戻るにはどうしたらいいのだろう。」(p232より引用)

という言葉がある。

これも皮肉だと思った。

最初は、その日常が嫌だった。

退屈だった。

孤独だった。

だから、違う人生が欲しかった。

ところが、その人生を失いそうになって初めて、「平穏」が欲しくなる。

人間って、失いそうになって初めて価値に気づくことがある。

何も起きない一日。

いつもの部屋。

いつもの生活。

退屈。

それは、ときに「つまらない人生」に見える。

でも、本当に失ったとき、それがどれだけ貴重だったかに気づく。

幸福って、案外こういうところにもあるのかもしれない。

愛することは「努力」なのか

終盤には、こんな言葉もある。

「努力して愛する、それは演技ではないか。上手い演技をすれば、素晴らしい人生の舞台ができ上がるとでもいうのだろうか。」(p248より引用)

これも考えさせられた。

愛は自然に湧き上がるものなのか。

それとも、続けるためには努力が必要なのか。

僕には答えは分からない。

でも、長い関係になれば、ずっと「旅」のような恋愛ではいられない。

日常になる。

そこで、相手を大切にすること。

話を聞くこと。

思いやること。

そういう行為には、多少の意識や努力が必要なのかもしれない。

でも、それを「演技」と呼ぶのか。

それとも「愛すること」と呼ぶのか。

この作品は、簡単な答えをくれない。

だから面白い。

「私は私自身に完敗した」

そして、

「私の負けだった。私は私自身に完敗したのだ。」(p253より引用)

という言葉。

相手に負けたのではない。

自分自身に負けた。

この物語をここまで読んできたあとだからこそ、重く感じた。

結局、戦っていた相手は誰だったのだろう。

もう一人の蒼子なのか。

夫なのか。

過去なのか。

運命なのか。

それとも、自分自身だったのか。

違う人生を手に入れれば、自分も変われると思った。

でも、そこにも自分がいる。

それがこの物語の残酷さであり、面白さなのだと思う。

「もう一つの人生」は、本当に青かったのか

タイトルの『ブルーもしくはブルー』。

読み終わると、このタイトルも妙に残る。

AかBか。

こちらか、あちらか。

どちらか一方が幸福で、もう一方が不幸というわけではない。

どちらにも幸福があり、どちらにも寂しさがある。

「隣の芝生は青く見える」という言葉がある。

自分の場所から隣を見れば、隣が青く見える。

でも、隣へ移動して、さっきまで自分がいた場所を眺めたら。

今度は、そちらが青く見えるのかもしれない。

だったら、一生移動し続けるのだろうか。

もっと青い場所へ。

もっと青い場所へ。

それでは終わらない。

だったら、自分が立っている場所に水をやる。

そんな選択もあると思う。

今の人生を諦めて受け入れるという意味ではない。

変えたいなら、変えればいい。

仕事を変えてもいい。

住む場所を変えてもいい。

新しいことを始めてもいい。

人生はこれからも選択の連続だ。

ただ、

「正しい選択さえすれば、いつか完璧な人生にたどり着ける」

という考えからは、少し離れてもいいのかもしれない。

『ブルーもしくはブルー』を読んで僕が思ったこと

読み終わって、僕はやっぱり思った。

人生には、正解の選択なんてないんだ。

どの道を選んでも、うまくいかない日はある。

退屈な日もある。

寂しい日もある。

誰かを羨むことだってある。

「あっちを選べばよかった」と思う瞬間もあるかもしれない。

でも、それだけで、その選択が間違いだったとは思わない。

もし本当に違う人生を歩んでいたとしても、その場所から今の人生を羨んでいたかもしれない。

そして、今いる場所が嫌なら、これからまた選べばいい。

人生は、過去の一回の選択ですべてが決まるわけではない。

今日だって選べる。

明日だって選べる。

これからだって変えられる。

だから僕は、「あのとき」をずっと眺め続けるより、今をどうするかを考えたい。

そして、もう一つ。

自分の人生を、ときどき少し離れたところから眺めてみたい。

本当に何もないのか。

本当に不幸なのか。

本当にあの選択だけが原因なのか。

今、自分が持っているものは何なのか。

昔の自分が今の自分を見たら、羨ましがるものだってあるかもしれない。

蒼子Aと蒼子Bを見ていると、そんなことを考えさせられた。

「あのとき、違う選択をしていたら」

そんな後悔を抱えたことがある人ほど、刺さる作品だと思う。

そして何より、ただ人生について考えさせるだけではなく、後半はページをめくる手が止まらない心理サスペンスとしても面白い。

人間の弱さ。

欲深さ。

羨望。

嫉妬。

愛。

自由。

孤独。

「もう一つの人生を生きてみたい」という誰にでもありそうな願いから始まり、最後には自分自身へ戻ってくる。

違う人生だったら幸せだったのではなく、

今の人生を幸せにすることもできる。

もちろん、選択によって人生は変わる。

でも、幸せまで全部、過去の選択のせいにしなくてもいい。

幸せなんて、自分にあるものだと思う。

僕が歩く道が、幸せになる。

『ブルーもしくはブルー』は、そんなことまで考えさせてくれた一冊だった。

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