電車で席を譲るのが苦手だ。
いや、違う。
席を譲ること自体は、そんなに難しくない。
立てばいい。
僕のお尻を座席から離せば、それで席はひとつ空く。必要な動作だけを考えれば、スクワットより簡単だ。
問題は、その前後である。
目の前にお年寄りが立っている。
「あ、席を譲った方がいいかな」
そう思う。
ここまではいい。
問題はここからだ。
どうやって声をかければいい。
「どうぞ」
これでいいのだろうか。
いや、たぶんいい。
世の中の多くの人は、それで席を譲っている。
でも僕の頭の中では、なぜか会議が始まる。
この人は本当に座りたいのだろうか。
もしかしたら次の駅で降りるのではないか。
そもそも、お年寄りと判断していいのだろうか。
「どうぞ」と言った瞬間、
「いやいや、そんな年寄りじゃないよ」
みたいな顔をされたらどうしよう。
そう考えているうちに、一駅過ぎる。
まだ譲れていない。
そして、こういうときに限って周りの視線が気になる。
もちろん、実際には誰も僕のことなんて見ていないのかもしれない。
みんなスマホを見ている。
イヤホンをしている。
窓の外を見ている。
それぞれの世界にいる。
それでも僕には聞こえる。
誰も何も言っていないのに。
「お前、若いんだから譲れよ」
という声が。
幻聴である。
僕はスマホを見る。
すると今度は、
「気づいてないふりしてスマホ見てるやん」
と思われている気がする。
違う。
気づいている。
めちゃくちゃ気づいている。
むしろ気づきすぎて、さっきから何もできなくなっている。
じゃあ窓の外を見るか。
それも怪しい。
急に景色に興味を持ち始めた人になる。
さっきまでスマホを見ていたのに、突然、大阪の街並みに感動し始める。
寝るのはもっとダメだ。
さっきまで起きていた。
お年寄りが目の前に来た瞬間、睡魔が襲ってきたことになる。
そんな都合のいい睡魔があるか。
もう、逃げ道がない。
だったらさっさと譲ればいい。
分かっている。
分かっているのだ。
でも、その「さっさと」が難しい。
「どうぞ」とすぐ言える人はすごい
だから僕は、電車で席をすぐに譲れる人を尊敬している。
目の前に杖をついた人が来る。
すっと立つ。
「どうぞ」
早い。
僕の脳内会議が招集される前に、もう譲っている。
しかも、そういう人ほど何でもない顔をしている。
「いいことをしました」
という感じもない。
席を譲る。
相手が座る。
それで終わり。
かっこいい。
僕なら、その数秒の間に、
「譲った方がいいかな」
「でも失礼かな」
「断られたらどうしよう」
「どこに立とう」
「僕も結構疲れてるんだけどな」
「あと何駅だっけ」
くらいは考えている。
その横で、
「どうぞ」
もう終わっている。
はやい。
席を譲れることもすごいけれど、僕が特にすごいと思うのは、その瞬発力だ。
人に親切にするとき、考えすぎない。
必要そうだと思ったら、動く。
僕にはなかなかできない。
だから、素直に尊敬する。
ただ、僕も席を譲りたくないわけではない。
譲ろうとは思っている。
思っているからこそ、こんなに考えている。
考えすぎて動けないだけだ。
親切にも、向き不向きがあるのだろうか。
そんなことを考えている間にも、電車は進んでいく。
断られたあとの世界
勇気を出して声をかけたとする。
「どうぞ」
すると、
「ありがとうございます」
と言って座ってくれる。
よかった。
これならいい。
問題は、
「いや、大丈夫です」
である。
これが怖い。
もちろん、断ること自体は何も悪くない。
次の駅で降りるのかもしれない。
座ると立つのが大変なのかもしれない。
立っている方が楽なのかもしれない。
単純に座りたくないのかもしれない。
理由はいくらでもある。
だから、
「いや、大丈夫です」
なら、まだいい。
たまに、ほんの少しだけ嫌そうな顔をされることがある。
気のせいかもしれない。
でも、
「え、私そんなに年寄りに見える?」
みたいな空気を感じることがある。
その瞬間、
僕の親切はどこへ行けばいい。
こっちは、
「座ってください」
と言っただけである。
「あなたは老人です」
とは一言も言っていない。
でも、席を譲るという行為そのものに、年齢の判断が含まれてしまうことがある。
難しい。
そして、もっと難しいのが、一度立ってから断られた場合だ。
僕はもう立っている。
席は空いている。
相手は、
「大丈夫です」
と言った。
さて。
僕はどうすればいい。
座り直すのか。
「そうですか」
と言って、
スッ。
元の席へ戻る。
これはこれで、めちゃくちゃ気まずい。
一度手放した席に、わずか三秒で帰還する。
「では、引き続き僕が使わせていただきます」
みたいになる。
かといって、立ち続けるのも変だ。
目の前に空席がある。
相手も座らない。
僕も座らない。
二人とも立っている。
何の時間なんだ、これは。
そこへ全然関係ない第三者がやってきて、
スッ。
と座る。
お前が座るんかい。
でも、何も言えない。
席は空いていたのだから。
その人は何も悪くない。
悪くないのだが、僕の中では壮大なドラマがあった席である。
三秒前まで僕が座っていた。
目の前の人に譲った。
断られた。
座り直すか迷った。
その間にあなたが座った。
そんなことは、その人には関係ない。
席ひとつで、こんなに難しい。
実は、譲ったあとが一番困る
そして僕が一番苦手なのは、席を譲ったあとだ。
無事に、
「どうぞ」
「ありがとうございます」
が成立したとする。
よかった。
親切は成功した。
めでたし、めでたし。
ではない。
僕はどこにいればいい。
これが分からない。
譲った相手の目の前に立つ。
近い。
さっきまで僕が座っていた席に、その人が座っている。
そして僕が目の前に立っている。
なんだか、
「どうですか。僕が譲った席の座り心地は」
と確認しているみたいだ。
もちろん、そんなつもりはない。
でも気まずい。
じゃあ少し離れる。
これが一番自然なのかもしれない。
ただ、どのくらい離れればいい。
一歩?
二歩?
ドアの横?
車両の端?
距離を取りすぎると、今度は避けているみたいになる。
席を譲っただけなのに、人間関係の距離まで考え始める。
そして、ここで僕はよく路線図を見る。
別に迷っていない。
行き先も知っている。
何度も乗っている路線なら、次の駅だって知っている。
それでも見る。
「なるほど。次はここか」
知っている。
めちゃくちゃ知っている。
でも見る。
なぜなら、路線図を見ている人には目的があるからだ。
席を譲ったあと、何となく立っている人ではない。
路線図を確認するために立った人になれる。
これは大きい。
僕は別にあなたに席を譲ったわけではありません。
ちょっと路線図が気になりまして。
たまたま立ったところ、そこに席が空きまして。
よかったら使ってください。
そういう空気を出せる。
もちろん、全部僕の頭の中の話である。
相手はそこまで考えていないだろう。
でも僕は考える。
そして、路線図を見ながら、視界の端で確認する。
座ったかな。
座った。
よし。
ここで振り返ってはいけない。
「座ったかな」と確認したことがバレる。
だから、もう少し路線図を見る。
次の駅も知っている。
その次も知っている。
終点まで知っている。
それでも見る。
親切を隠すために、僕は知っている路線図を眺め続ける。
僕の奥義は、何も言わずに立つ
そんな僕が長年の電車生活で編み出した方法がある。
僕は勝手に奥義だと思っている。
何も言わずに立つ。
これだ。
「どうぞ」
と言わない。
「座りますか?」
とも聞かない。
「次なんで」
という小さな嘘もつかない。
ただ、
スッ。
と立つ。
以上。
僕は席を譲ったとは一言も言っていない。
ただ突然、立ちたくなった人である。
相手が座ればいい。
座らなくてもいい。
僕は知らない。
これなら断られることもない。
「いや、大丈夫です」
が発生しない。
だって聞いていないからだ。
相手も「ありがとうございます」と言わなくていい。
僕も「いえいえ」みたいな返事をしなくていい。
赤の他人のままでいられる。
完璧だ。
ただし、この奥義には弱点がある。
別の人に座られる。
僕が立つ。
「よし」
と思う。
すると、狙っていた人とは全然違う人が、
スッ。
と座る。
お前ちゃうねん。
とは言えない。
僕は何も言わずに立っただけなのだから。
「この席は、あちらの方に譲るために空けました」
なんて言い始めたら、奥義が全部崩れる。
だから黙る。
僕はただ立った。
その人はただ座った。
それだけだ。
奥義、敗北。
最終奥義は、違う車両へ行く
そして、さらに気まずさを消したいとき。
僕には最終奥義がある。
何も言わずに立つ。
そして、
違う車両へ行く。
これなら完璧だ。
相手が座ったかどうかも見ない。
お礼を言われることもない。
譲ったあと、どこに立つか考える必要もない。
同じ空間から消える。
存在ごと消す。
「どうぞ」
もない。
「ありがとうございます」
もない。
僕はただ席を立ち、隣の車両へ移動しただけ。
相手からすれば、僕が席を譲ったのか、単に移動したかったのかも分からない。
いい。
これがいい。
僕は「席を譲った人」になりたいわけではない。
ただ、その人に座ってもらえればいい。
だから、これくらいがちょうどいい。
ただ、冷静に考えるとおかしい。
なぜ席を譲った僕が、車両まで失っているのだろう。
席を失った。
そして車両も失った。
親切の代償が大きすぎる。
しかも混んでいたら大変だ。
「すみません」
「すみません」
と人の間を抜けて隣の車両へ向かう。
席をひとつ譲っただけなのに、僕だけ小さな旅を始めている。
ようやく隣の車両に着く。
そこで空席を見つける。
さて。
座っていいのだろうか。
また始まった。
いや、座ればいい。
もう違う車両なのだから。
誰も知らない。
でも僕の中には、
「さっき席譲ったのに、もう座るんかい」
という謎の声がある。
いいだろう。
座らせてくれ。
僕だって疲れている。
「僕、次なんで」は危険である
もうひとつ、席を譲るときによく使われる言葉がある。
「僕、次なんで」
これは強い。
相手が遠慮しにくい。
どうせ次で降りる人なら、
「じゃあ」
と座りやすい。
とても自然な方法だと思う。
本当に次で降りるなら。
問題は、
次ではない場合だ。
席を譲りたい。
でも「どうぞ」だけでは断られるかもしれない。
そこで、
「僕、次なんで」
と言ってしまう。
相手が座る。
よかった。
しかし僕は、あと七駅ある。
次の駅に着く。
どうする。
降りなければ、
「次なんで」
が嘘だったことになる。
相手は覚えていないかもしれない。
いや、たぶん覚えていない。
でも僕は覚えている。
だから降りる。
一度ホームに出る。
そして、
隣の車両に乗る。
何をしているんだ、僕は。
席を譲るためについた小さな嘘を守るために、乗る車両まで変わった。
しかもホーム越しに、さっきの人と目が合ったら最悪だ。
「あれ?」
となる。
お前、次なんじゃなかったのか。
違う。
次の車両だったのだ。
そんな日本語はない。
やはり嘘はよくない。
席を譲るだけで、こんなに設定を守る必要が出てくるとは思わなかった。
席がまた空いたら、座るのか
席を譲ったあとの問題は、まだある。
少し離れて立っていたら、別の席が空いた。
さて。
座る?
僕はこれも迷う。
普通に考えれば座ればいい。
最初の席は、より必要そうな人に譲った。
そして別の席が空いた。
誰も困らない。
座ればいい。
なのに、
「結局座るんかい」
という気持ちがどこかにある。
誰もそんなこと思っていない。
でも僕の中の誰かが言っている。
じゃあ立っておくか。
いやいや。
空いている。
座れ。
僕も疲れている。
そもそも僕は、立ちたかったから席を譲ったわけではない。
座っていたかった。
ここは大事である。
僕だって座りたい。
仕事帰りならなおさらだ。
足が疲れている日もある。
眠い日もある。
今日は絶対座るぞ、と思って電車に乗る日だってある。
それでも、目の前にもっと必要そうな人がいたら、
「譲ろうかな」
と思う。
だから、別の席が空いたなら座っていい。
理屈では分かっている。
でも、妙に気まずい。
さらに難しいのが、さっき譲った人の隣が空いた場合だ。
これは座りにくい。
さっき、
「どうぞ」
「ありがとうございます」
をやった二人が、
数分後、
横並び。
急に距離が近い。
別に話すことはない。
当然である。
知り合いではない。
でも完全な他人でもないような気がする。
いや、他人だ。
間違いなく他人だ。
なのに、ほんの少しだけ関係ができてしまっている。
この「ほんの少し」が厄介なのだ。
降りるときまで気まずい
さらに電車は進む。
自分の降りる駅が来る。
ここでも問題が発生する。
僕が先に降りる場合。
席を譲った人の近くを通って、ドアへ向かう。
なんとなく、
「では、僕はこれで」
という空気になる。
もちろん何も言わない。
向こうも何も言わない。
ただ降りるだけだ。
なのに、少しだけ別れの感じがする。
逆に相手が先に降りる場合。
立ち上がる。
「あ、この人ここで降りるんだ」
と思う。
そして、なんとなく見送ってしまう。
いや、見送るな。
家族でも友達でもない。
数十分前に席を譲っただけの人である。
一番困るのは、
同じ駅で降りる場合だ。
あ。
一緒だ。
そして同じ階段へ向かう。
同じ改札を通る。
同じ出口へ向かう。
まだ一緒。
駅を出る。
同じ方向。
いつまで一緒なんだ。
席を譲っただけなのに、謎の同行者になっている。
別に何も悪くない。
目的地が同じ方向なだけだ。
でも妙に気まずい。
だったら最初から違う車両に行っておけばよかった。
僕の最終奥義は、意外と理にかなっているのかもしれない。
そもそも、若いから元気とは限らない
席を譲る話になると、
「若い人が譲ればいい」
という話になりやすい。
確かに、一般的には若い方が体力はあるだろう。
僕も、元気な日に目の前にお年寄りが立っていたら、自分が立った方がいいと思う。
でも、
若者だって、しんどいときはある。
いや、若者だけではない。
中年だってしんどい。
高齢者だって元気な人はいる。
年齢だけで、その人が今どれくらい疲れているかなんて分からない。
朝からずっと働いていたかもしれない。
体調が悪いかもしれない。
腰が痛いかもしれない。
夜勤明けかもしれない。
外からは分からない事情があるかもしれない。
電車で座っている人の今日一日を、僕たちは何も知らない。
だから、若い人が座っているのを見て、
「譲れよ」
と簡単に責めるのも違うと思う。
その人は、その席を必要としているのかもしれない。
もちろん、本当に何ともなくて、
「絶対譲らん」
と思っている人もいるだろう。
それも外からは分からない。
結局、分からないことだらけなのだ。
座っている人にも事情がある。
立っている人にも事情がある。
譲ろうとしている人にも事情がある。
そして、譲られたくない人にも事情がある。
だから難しい。
親切は、受け取る側にも自由がある
もうひとつ忘れてはいけないことがある。
席を譲るのは、こちらの善意だ。
でも、相手には断る自由がある。
「せっかく譲ってあげたのに」
と思い始めたら、少し変な話になる。
頼まれていない。
こちらが勝手に、
「この人に座ってもらおう」
と思っただけだ。
だから断られても仕方ない。
嫌な顔をされたとしても、相手には相手の気持ちがある。
それでも少し傷つくけれど。
人間だから。
勇気を出して声をかけて、
「いや、いいです」
と強めに言われたら、
「あ、はい」
となる。
その日はもう、路線図をいつもより長めに見るかもしれない。
でも、それでいい。
親切って、相手が必ず喜んでくれるものではないのだと思う。
自分が親切だと思ったことと、相手がしてほしいことが一致するとは限らない。
だから難しい。
正解なんて、たぶんない
ここまで考えてみたけれど、結局、正しい席の譲り方なんてないのだと思う。
「必ず声をかけましょう」
とも言えない。
何も言わず立つ方が自然な場面もある。
「高齢者には必ず譲りましょう」
とも単純には言えない。
その人が座りたいかどうかは分からない。
「若者は立ちましょう」
も違う。
若者だってしんどい日はある。
中年だって疲れている。
見た目では分からない事情を抱えている人もいる。
電車が混んでいるのか。
空いているのか。
相手はどんな人なのか。
自分は今日どれくらい疲れているのか。
あと何駅なのか。
その場面ごとに全部違う。
だから結局、
そのとき、その相手を見て、自分で決めるしかない。
そして、もしかすると必要なのは、完璧な判断力より瞬発力なのかもしれない。
「あ、この人に座ってもらおう」
そう思った瞬間に動く。
考え始めると、僕みたいになる。
「失礼かな」
「断られたら」
「どこに立とう」
「別の席が空いたら」
「同じ駅だったら」
「路線図を見ようか」
「違う車両に行こうか」
そんなことを考えているうちに、目的地に着く。
だから、迷わず、
「どうぞ」
と言える人はやっぱりすごい。
僕にはまだ、その技は難しい。
たぶんこれからも、少し迷うと思う。
席を譲りたい。でも、席を譲った人にはなりたくない
考えてみると、僕が気まずいと感じる理由は、席そのものではないのかもしれない。
席を譲る前、その人と僕は完全な他人だ。
名前も知らない。
どこへ行くのかも知らない。
もう二度と会わないかもしれない。
でも、
「どうぞ」
「ありがとうございます」
この二言を交わした瞬間、ほんの少しだけ関係ができる。
知り合いではない。
友達でもない。
でも、完全な「その他大勢」でもなくなる。
だから、譲ったあとにどこに立つか気になる。
相手が降りると気づく。
同じ駅だと妙に気まずい。
隣の席が空いたら、座っていいのか考える。
たった数秒のやり取りなのに。
僕はたぶん、
席を譲りたい。でも、席を譲った人にはなりたくない。
のだと思う。
恩を売りたいわけでもない。
お礼がほしいわけでもない。
「優しいですね」と思われたいわけでもない。
ただ、
「この人が座った方がいいな」
と思ったから席を空けたい。
それだけで終わりたい。
だから僕には、
何も言わずに立つ方法が合っている。
そして、気まずくなったら路線図を見る。
それでもダメなら、違う車両へ行く。
そこまで行けば、もう大丈夫だ。
たぶん。
今日も僕は、知っている路線図を見る
これからも電車に乗れば、同じ場面は何度もあると思う。
譲ろうか迷う日もある。
すぐ立てる日もある。
疲れていて、
「今日はごめん。座らせてくれ」
と思う日もあるだろう。
それでいいと思う。
毎回同じ答えを出す必要なんてない。
相手も違う。
状況も違う。
自分の体調も違う。
親切に、ひとつの正解なんてない。
ただ、目の前の人を見て、
「あ、今は僕が立とう」
と思えたなら、できるだけその瞬間に動きたい。
声をかけられるなら、
「どうぞ」
と言えばいい。
怖かったら、何も言わずに立てばいい。
そして僕はたぶん、少し離れたところにある路線図を見に行く。
知っている路線図を。
何度も見た路線図を。
「次はここか」
なんて思いながら。
それでも気まずかったら、違う車両へ行こう。
席を譲っただけなのに、なぜ僕がそこまで移動しなければならないのかは、いまだによく分からない。
でも今のところ、それが僕には一番気楽なのだ。
そして隣の車両で空席を見つけたら。
今度こそ、座ろうと思う。
だって。
ここまで席を譲ることについて偉そうに書いてきたけれど、
最後に一つだけ言わせてほしい。
僕だって、本当は座っていたい。
