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ぼっち飯。ご飯は、一人で食べるもの。

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「ご飯は、みんなで食べた方がおいしい」

子どもの頃から、何度も聞いてきた気がする。

家族で食卓を囲む。

友達と焼肉に行く。

恋人とレストランに行く。

「これ、おいしいね」

なんて言いながら食べる。

確かに楽しそうだ。

僕も、誰かと食べることが嫌いなわけではない。

好きな人と食べれば楽しいし、会話が盛り上がれば、それはそれでいい時間になる。

でも、ずっと疑問に思っていることがある。

それ、本当に「ご飯がおいしい」のだろうか。

楽しいんじゃないのか。

目次

「楽しい」と「おいしい」は、同じなのか

みんなで食べるご飯には、料理以外のものがたくさん乗っかっている。

会話がある。

笑いがある。

好きな人がいる。

店の雰囲気がある。

「これおいしいな」と言えば、「ほんまやな」と返ってくる。

旅行先なら、その土地に来た高揚感まである。

つまり、

料理の味。

会話。

人間関係。

雰囲気。

思い出。

それらが全部混ざって、

「今日のご飯、おいしかったな」

になっているんじゃないだろうか。

もちろん、それはそれで素晴らしい。

食事は栄養を摂るだけのものではない。

誰かと同じものを食べて、同じ時間を過ごす。

それ自体が食事の楽しさでもある。

ただ、僕は思う。

純粋に料理を味わうなら、一人の方が理にかなってない?

ご飯中の会話は、意外と忙しい

誰かとご飯を食べると、当然ながら会話をする。

「最近、仕事どう?」

「まあまあかな」

「そういえば田中が転職したらしいで」

「え、そうなん?」

その間にも、僕は食べている。

肉を噛んでいる。

田中が転職した。

肉が柔らかい。

田中は東京に行くらしい。

ソースがうまい。

田中は給料も上がるらしい。

田中、ちょっと黙ってくれ。

今、僕は肉を食べている。

肉の味を感じたい。

でも、田中がどんどん僕の食事に入ってくる。

田中本人はここにすらいない。

これは忙しい。

相手の話を聞く。

相槌を打つ。

自分も喋る。

笑う。

質問する。

その合間に料理を口へ運ぶ。

一つの脳で処理するには、なかなかのマルチタスクである。

特に、めちゃくちゃおいしいものを食べているときくらい、料理に集中したい。

一皿数千円の料理を食べながら、

「それで部長がさあ」

と話しかけられたら、

部長はあとでいい。

今は魚だ。

部長は明日も会社にいる可能性が高い。

この魚は、あと五分でいなくなる。

優先順位は明らかである。

一人で食べると、料理しかいない

一人でご飯を食べる。

目の前に誰もいない。

会話もしない。

相槌もいらない。

話題を考える必要もない。

そこにあるのは料理だけだ。

一口食べる。

「うまい」

もう一口食べる。

「さっきより脂が多いな」

米を食べる。

「合うな」

味噌汁を飲む。

「ちょっと濃いな」

また肉を食べる。

誰とも喋っていない。

でも、不思議と退屈ではない。

むしろ、ずっと何かを感じている。

味。

匂い。

食感。

温度。

噛んだときの音。

次に何を食べるか。

僕の意識は、ほとんど料理に向いている。

だから最近思う。

僕は一人で食べているわけではない。

食材と食べているのだ。

「一人飯」という言葉が、少し違う

「一人飯」という言葉には、どこか寂しそうな響きがある。

一人でラーメン。

一人で焼肉。

一人で居酒屋。

「一人で行けるのすごいね」

なんて言われることもある。

でも僕には、その感覚があまり分からない。

一人で食べている人が、寂しいとは限らない。

むしろ、

めちゃくちゃ真剣に飯を食っている可能性がある。

目の前には肉がいる。

米がいる。

野菜がいる。

味噌汁がいる。

立派なメンバーである。

焼肉なんて特にそうだ。

肉を網に置く。

焼ける。

ひっくり返す。

まだ早い。

もう少し待つ。

食べる。

うまい。

次の肉を焼く。

忙しい。

人間と喋っている場合ではない。

肉とのコミュニケーションで手いっぱいである。

焦がしたら終わりだ。

焼肉屋で最も真剣に向き合うべき相手は、一緒に来た人ではない。

肉である。

たぶん。

「みんなで食べるとおいしい」も間違っていない

とはいえ、

「みんなで食べるご飯の方がおいしい」

という言葉が間違っているとも思わない。

誰かと食べることで、料理がおいしく感じられることは確かにある。

「これ、めちゃくちゃうまいな」

「うまい!」

その一言を共有するだけで、嬉しくなる。

旅先で友達と食べたラーメン。

家族で囲んだ鍋。

好きな人と食べた料理。

料理の味だけなら、もっとおいしいものは他にあったかもしれない。

それでも記憶に残っている。

たぶん、食事には二種類の「おいしい」がある。

誰かと過ごした時間まで含めた「おいしい」。

そして、

料理そのものをじっくり味わった「おいしい」。

どちらが上という話ではない。

種類が違うのだと思う。

ただ、僕は後者が好きだ。

料理を食べるなら、料理に集中したい。

目の前の一皿を、ちゃんと味わいたい。

食べている途中に田中を転職させたくない。

食材と食べる

一人でご飯を食べる。

静かだ。

目の前には料理がある。

誰かと話さなくてもいい。

スマホすら見なくていい。

ただ、食べる。

この肉はうまい。

この野菜は甘い。

今日の米はちょっと柔らかい。

味噌汁が熱い。

そんなことを考えながら食べる。

それだけで十分楽しい。

食事を「人と過ごす時間」と考えるなら、みんなで食べる方がいいのかもしれない。

でも、食事を「食べ物を味わう時間」と考えるなら、一人はかなり贅沢だ。

料理以外のものが、ほとんど入ってこない。

僕と料理だけになる。

だから、

「一人でご飯を食べて寂しくない?」

と聞かれたら、こう答えたい。

寂しくない。

そもそも、

一人ではない。

今日も僕の目の前には、米がいる。

肉がいる。

味噌汁がいる。

十分じゃないか。

僕は今日も、

食材と一緒に、ご飯を食べている。

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