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僕が『あたしンち』を何度も見てしまう理由。無心で見られるものこそ至高

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僕は、『あたしンち』が大好きだ。

仕事が終わって、ぼーっと見る。

出かける準備をしながら見る。

寝る前、特に見るものがないときに見る。

「今日は『あたしンち』を見るぞ!」

と気合を入れて再生することは、ほとんどない。

気づいたら見ている。

生活の隙間に、いつの間にか立花家がいる。

適当に一話を選んで再生する。

数分後。

これ、何回見てんねん。

と思う。

オチまで知っている。

このあと、お母さんが何をするのかも知っている。

それでも見る。

それでいい。

むしろ、それがいい。

目次

新しい作品を見るのは、意外と疲れる

新しい映画やドラマ、アニメを見るのは楽しい。

僕も好きだ。

でも、新しい作品を見るというのは、意外と体力を使う。

登場人物を覚える。

人間関係を理解する。

世界観を把握する。

ストーリーを追う。

伏線らしきものが出てきたら、なんとなく覚えておく。

ちょっとスマホを見ている間に話が進んで、

「え、この人誰?」

となる。

巻き戻す。

もう一度見る。

娯楽なのに、ちょっと仕事みたいになっている。

特に仕事が終わったあとは、もう頭を使いたくない。

一日いろんなことを考えた。

人とも喋った。

やることもやった。

そんな状態で、

「ここから壮大な世界観を理解してください」

と言われても困る。

今日はもういいです。

そんな夜に、『あたしンち』はちょうどいい。

途中で歯を磨いてもいい。

ちょっと目を離してもいい。

ぼーっとして、お母さんの話を半分聞いていなくてもいい。

戻ってきたら、だいたいまだお母さんが何か言っている。

安心する。

こちらに集中力を要求してこない。

僕は、この感じがたまらなく好きだ。

何も起こらない。それがいい

『あたしンち』では、基本的にとんでもないことは起こらない。

世界が滅亡しそうになったりしない。

誰かが特殊能力に目覚めたりしない。

巨大な陰謀もない。

だいたい家にいる。

学校に行く。

買い物に行く。

晩ご飯を食べる。

お母さんが変なことを言う。

みかんが困る。

ユズヒコが呆れる。

父はよく分からない。

平和である。

一話見終わったあと、

「この作品は現代社会に何を問いかけているのだろう」

なんて考えない。

考察サイトも開かない。

伏線を確認するために二周目を見る必要もない。

というか、すでに五周くらいしている可能性がある。

それなのに内容を忘れている。

そして、また見る。

僕は最近、この**「何も残らなさ」**って、ものすごく贅沢なんじゃないかと思っている。

何かを学ばなくていい。

成長しなくていい。

感動しなくていい。

ただ笑う。

そして忘れる。

娯楽って、本来それくらいでもいいんじゃないだろうか。

リアルにいたら、めちゃくちゃうざい

そして、立花家が好きだ。

まず、お母さん。

『あたしンち』で一番笑わせてくれるのは、やっぱりお母さんだと思う。

独自の理屈で突っ走る。

自分の都合のいいように話を解釈する。

よく分からないところで自信満々。

強い。

とにかく強い。

画面越しに見ている分には最高である。

ただ、一つだけ確信している。

リアルにいたら、めちゃくちゃうざい。

もし僕がお母さんの息子だったら、一日に何回「もうええて」と言うことになるのだろう。

想像しただけで疲れる。

でも、画面の向こうにいると全部笑える。

また始まった。

また謎の理論を展開している。

みかん、頑張れ。

ユズヒコ、耐えろ。

そう思いながら見ている。

他人の家のお母さんだから、こんなに愛せるのかもしれない。

父は、たぶん一番みんなを見ている

父も好きだ。

無口。

マイペース。

家族がワーワーやっていても、一人だけ違う時間が流れている。

一見すると、家族にあまり興味がないようにも見える。

でも僕は、

立花家で一番みんなのことを見ているのは、父なんじゃないかと思っている。

必要以上に口を出さない。

あれこれ聞かない。

何でも言葉にしない。

でも、ちゃんと家族を見ている。

本当に必要なときには、そこにいる。

お母さんの愛情が正面からドーンと飛んでくるものだとしたら、父の愛情は、ずっと後ろに置いてある感じがする。

普段は意識しない。

でも振り返ったら、ちゃんとある。

僕は、あの距離感が好きだ。

ユズヒコは、まともそうでまともじゃない

そしてユズヒコ。

立花家の中では、かなりまともに見える。

お母さんとみかんが騒いでいる横で、

「何やってんの……」

みたいな顔をしている。

たぶん視聴者に一番近い。

僕もよくユズヒコ側の気持ちになる。

ただ、ずっと見ていると分かってくる。

こいつも普通に変である。

比較対象がお母さんだから、まともに見えていただけなのかもしれない。

やっぱり立花家の人間だ。

逃げられない。

でも、家族に振り回されながらも、なんだかんだ付き合っている。

あの思春期特有の「家族にあんまり踏み込んでくんな」みたいな距離感も好きだ。

そして、みかんちゃん

みかんちゃん。

可愛すぎる。

これは『あたしンち』の魅力を語るうえで、避けては通れない。

ちょっとズボラ。

ちょっとドジ。

しょうもないことで悩む。

友達とくだらないことで盛り上がる。

そして、岩木くんのことで一人で勝手に一喜一憂する。

かわいい。

非常にかわいい。

僕は、

岩木くんになりたい。

……何の話をしているんだ。

無心で見られるアニメの素晴らしさについて書いていたはずだ。

でも仕方がない。

みかんちゃんが可愛いのだから。

たぶん僕が『あたしンち』を何度も見ている理由の何割かは、普通にみかんちゃんである。

「これ何回見てんねん」でいい

世の中には、次から次へと新しいものが出てくる。

新作映画。

新作ドラマ。

新作アニメ。

話題作。

おすすめ。

ランキング。

まだ見ていない作品なんて、一生かかっても見切れないくらいある。

だから、同じものを何度も見るのは、少しもったいない気もする。

でも、本当にそうだろうか。

好きな曲は何回も聴く。

好きな店には何回も行く。

好きな本を読み返す人もいる。

だったら、好きなアニメだって何回見てもいい。

新しい刺激を探し続けなくてもいい。

知っているものには、知っているからこその安心感がある。

何が起きるか分かっている。

だから安心して、ぼーっとできる。

「これ何回見てんねん」

と思いながら再生する。

それでいい。

たぶん僕は、『あたしンち』を「鑑賞」している感覚があまりない。

もっと生活に近い。

仕事から帰ってきた部屋に、なんとなく流れている。

準備をしている横で、お母さんが騒いでいる。

ふと画面を見ると、みかんちゃんがいる。

かわいい。

また準備に戻る。

それくらいがいい。

何も求めてこない娯楽

心を揺さぶられる作品も好きだ。

見終わって何日も考えてしまう映画もある。

人生観が少し変わるような小説もある。

そういう作品は、素晴らしい。

でも、毎日それじゃ疲れる。

何かを感じろ。

何かを学べ。

何かを考えろ。

娯楽にまで、そんなことを求められたくない夜がある。

何も考えなくていい。

何も学ばなくていい。

何も覚えていなくていい。

ただ、ぼーっと見る。

ちょっと笑う。

気づけば一話終わっている。

何かを与えてくれる作品だけが、いい作品ではない。

何も求めてこない作品に、救われる夜もある。

今日もたぶん、僕は『あたしンち』を見る。

適当に一話を選ぶ。

数分後には、きっと思う。

これ、何回見てんねん。

そして、みかんちゃんを見ながら思う。

岩木くんになりたい。

それでいい。

僕にとっては、こういう時間こそ至高なのだ。

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