世の中には、何でも否定から入る人がいる。
「いや、それは違う」
「でも、そうじゃなくて」
「いや、そんなことしても意味ないから」
なんなんだ、こいつ。
僕はまだ最後まで喋っていない。
それなのに、すでに否定されている。
もしかして、僕が口を開いた瞬間、否定することが決まっているのだろうか。
僕の職場にも、そんな人間がいる。
しかも、一人ではない。
直属の上司だ。
友人なら距離を置けばいい。知人なら会わなければいい。しかし、直属の上司となると、そう簡単にはいかない。
仕事の報告もある。相談しなければならないこともある。
できることなら話したくない。
しかし、話さなければならない。
なんとも面倒な関係である。
別に、僕の意見をすべて認めてほしいわけではない。
反対意見があるなら、それはそれで構わない。僕だって間違えることはあるし、知らない事情だってあるだろう。
ただ、毎回否定から入る必要があるのだろうか。
今回は、何でも否定から入る人の心理について考えてみたい。
なぜ人は他人の意見を否定したがるのか。本人は嫌われていることに気づいていないのか。そして、そんな人間が直属の上司だった場合、どう対処すればいいのだろう。
自分から意見を聞いておいて、否定する上司
僕の職場には、何でも否定から入る上司がいる。
ある日、その上司が聞いてきた。
「最近、仕事どうですか?」
どうですか。
なるほど。
仕事について何か意見がないか、ということなのだろう。
僕は普段、そこまで積極的に仕事の改善案を出す人間ではない。
むしろ、できることなら余計な仕事を増やしたくない。
しかし、聞かれたからには答える。
僕なりに考えていたことを、一つ提案してみた。
すると、上司は言った。
「いや、それは考えてない」
……。
はい?
それだけだった。
なぜ考えていないのか。
何か問題があるのか。
実現するのが難しいのか。
そういった説明は、一切ない。
ただ、「考えてない」。
いや、待て。
お前が聞いたんだろう。
僕は別に、どうしても提案を聞いてほしかったわけではない。
会議を開いてくれと頼んだわけでもない。
自分から意見を発表するために、わざわざ上司を呼び止めたわけでもない。
向こうから「最近、仕事どうですか?」と聞いてきたので、答えただけだ。
それなのに、返ってきたのは否定の一言。
一体、何を求めていたのだろう。
「最高です! 何も問題ありません!」
これが正解だったのか。
それとも、
「毎日楽しく働かせていただいております!」
こう答えればよかったのだろうか。
だとしたら、最初からそう言ってほしい。
僕だって、適当に答えることくらいできる。
そもそも、提案というのは必ず採用しなければならないものではない。
実現できない事情があるなら、説明してくれればいい。
「その方法も考えたんだけど、こういう問題があるんですよ」
それだけで、こちらの受け取り方はずいぶん変わる。
ところが、理由もなく否定されると、会話はそこで終わってしまう。
僕は何も納得していない。
ただ、これ以上話しても無駄なのだろうと思うだけだ。
そして、次からは余計なことを言わなくなる。
上司としては、それでいいのだろうか。
「いや、そんなことしたら負担が増えるから」と否定する上司
僕の職場には、もう一人、否定から入る上司がいる。
こちらは少し種類が違う。
一人目の上司は、理由を説明せずに否定する。
しかし、二人目の上司は理由を説明する。
ただし、毎回のように否定から始まる。
例えば、新人教育について話していたとする。
僕が言う。
「新人が入ってきたとき、最初の何日かは同じ人が教えた方がいいと思うんですけどね。教える人によって言うことが違うと、新人も混乱するでしょうし」
すると、上司は答える。
「いや、そんなことしたら教える人の負担が増えるから」
……。
なるほど。
確かに、同じ人が何日も新人を教えるとなれば、その人の負担が増える可能性はある。
それは理解できる。
しかし、だからといって、そこで話を終わらせる必要があるのだろうか。
例えば、教育担当を交代制にする。
教える内容を統一する。
新人が確認できる資料を用意する。
考えられる方法はいくつもある。
もちろん、どの方法にも欠点はあるだろう。
しかし、欠点があるからといって、最初からすべてを否定していたら何も変わらない。
僕は絶対にそうしろと言っているわけではない。
こういう方法もあるのではないか、と提案しているだけだ。
ところが、上司はまず否定する。
そして、できない理由を説明する。
僕には、これが不思議で仕方がない。
何かを改善しようとすれば、問題が出てくるのは当たり前ではないか。
その問題をどう解決するか考えるのが、話し合いというものではないのだろうか。
もちろん、上司の反対意見が正しい場合もある。
現場の事情を考えれば、僕の提案が現実的ではないことだってあるだろう。
しかし、反対意見が正しいことと、毎回否定から入ることは別の話だ。
「確かに教える内容は統一した方がいいですね。ただ、担当者の負担が増えるのが問題なんですよ」
こう言われれば、僕だって考える。
「それなら、負担を減らす方法を考えましょうか」
そんな会話ができるかもしれない。
しかし、最初から「いや、無理だから」と言われれば、こちらも話す気がなくなる。
そもそも、僕は仕事を増やしたくない人間なのだ。
それなのに、わざわざ改善案を考えている。
なかなか珍しいことである。
その貴重な機会を、開始数秒で終了させないでほしい。
何でも否定から入る人の心理とは?
では、なぜ人は何でも否定から入るのだろうか。
もちろん、すべての人に同じ理由があるわけではない。
しかし、いくつか考えられる心理がある。
まず一つ目は、自分が正しいと思いたい心理だ。
人は誰でも、自分の考えを認めてもらいたい。
自分の判断は間違っていない。
自分の経験には価値がある。
そう思いたい気持ちは、僕にもある。
しかし、その気持ちが強くなりすぎると、他人の意見を受け入れることが難しくなる場合がある。
相手の意見を認めることが、自分の間違いを認めることのように感じられるのかもしれない。
特に、上司と部下という関係では、その心理が働く可能性もある。
部下の提案を採用する。
つまり、部下の方がいい方法を思いついた。
そう考えると、自分の立場が脅かされたように感じる人もいるのだろう。
しかし、僕には理解できない。
部下がいい方法を思いついたなら、採用すればいいではないか。
その結果、仕事が円滑に進むなら、上司にとっても悪い話ではない。
それなのに、なぜ張り合う必要があるのだろう。
そもそも、僕は勝負を挑んでいない。
仕事の話をしているだけだ。
二つ目は、相手より優位に立ちたい心理だ。
他人の意見を否定すると、自分の方が知識や経験を持っているように見えることがある。
「いや、それは違う」
この一言には、どこか相手を指導するような響きがある。
もちろん、間違いを指摘すること自体は悪くない。
しかし、何でも否定していれば、それだけで自分が優秀になれるわけではない。
相手の意見の欠点を見つけることと、自分でよりよい方法を考えることは違う。
僕だって、他人の提案に問題点を見つけることくらいできる。
むしろ、できない理由を探すだけなら、いくらでも思いつく。
面倒くさい。
時間がかかる。
人手が足りない。
前例がない。
ほら、もう四つも出てきた。
しかし、それでは何も解決していない。
三つ目は、失敗を避けたい心理だ。
新しい方法には、必ず何らかのリスクがある。
慣れたやり方を変えれば、思わぬ問題が起こるかもしれない。
だから、最初から否定しておけば安心できる。
これは、ある意味では理解できる。
特に責任を負う立場の上司なら、慎重になることも必要だろう。
ただ、慎重であることと、何も考えずに否定することは違う。
リスクを検討するのは大切だ。
しかし、リスクがあるという理由だけで、すべての可能性を閉ざしてしまうのはどうなのだろう。
そして四つ目は、単なる口癖だ。
これが一番厄介かもしれない。
本人には否定している自覚がない。
ただ、会話の最初に「いや」と言う癖がついている。
「いや、そうですね」
「いや、確かに」
「いや、それはそうなんですけど」
……。
おい。
今、同意しているよな。
だったら、なぜ「いや」から始まる。
もはや、何を否定しているのかわからない。
ただし、口癖だからといって、相手が不快に感じないわけではない。
言っている本人に悪気がなくても、受け取る側には小さなストレスが積み重なる。
本人は普通に会話しているつもりなのだろう。
しかし、こちらは毎回、軽く突き返されているような気分になるのだ。
なぜ否定から入る人はめんどくさいし、うざいのか
そもそも、なぜ僕たちは否定から入る人をめんどくさいと感じるのだろう。
考えてみると、反対意見を言われること自体が嫌なのではない。
僕だって、自分と違う意見を聞くことはある。
むしろ、自分では思いつかなかった考え方を知るのは面白い。
問題は、会話の始まり方だ。
こちらが何かを話す。
相手がまず否定する。
すると、こちらは自分の発言を説明し直さなければならなくなる。
「いや、そういう意味ではなくて」
「別に、絶対そうしろと言っているわけではなくて」
「一つの案として話しただけなんですけど」
なんで僕が、こんなに弁明しなければならないのだ。
僕は取り調べを受けているのか。
しかも、相手が上司となると、余計に面倒くさい。
友人なら「いや、だからさ」と言い返せる。
しかし、直属の上司には、それなりに言葉を選ばなければならない。
こちらが説明する。
相手が否定する。
また説明する。
また否定する。
気がつけば、最初に何を話したかったのかわからなくなっている。
そして、ようやく会話が終わる。
疲れた。
何もしていないのに疲れた。
ただ話しただけなのに。
否定から入る人との会話が面倒なのは、意見の違いだけではない。
毎回、自分の発言を守るための余計な労力が必要になるからではないだろうか。
否定と反対意見は、まったく違う
ここで、一つ整理しておきたい。
僕は、反対意見を言う人が嫌いなわけではない。
何でも賛成する人ばかりでも、それはそれで困る。
仕事では、間違いを指摘しなければならない場面もある。
危険な方法や、明らかに問題のある提案なら、止める必要があるだろう。
ただし、否定と建設的な反対意見は違う。
例えば、僕が何かを提案したとする。
「いや、それは無理」
これだけでは、何もわからない。
一方で、
「その方法にはこういう問題があります。ただ、この部分なら取り入れられるかもしれません」
こう言われれば、話は前に進む。
意見を採用するかどうかよりも、相手の話を検討する姿勢があるかどうか。
僕にとっては、そこが大きい。
もちろん、すべての提案を長々と検討する時間があるわけではない。
忙しいときもあるだろう。
しかし、それなら「今は難しいから、また時間があるときに聞かせて」と言えばいい。
少なくとも、理由も説明せずに否定するよりは、ずっといい。
何でも否定する人は、意見を聞いているようで、実際には結論を先に決めていることがあるのではないか。
そうなると、もはや話し合いではない。
結論が決まっているのなら、僕を参加させる必要はない。
一人で決めてくれ。
否定ばかりする上司は、仕事ができるのか?
何でも否定から入る人は、どこか仕事ができそうに見えることがある。
問題点をすぐに指摘する。
リスクを見つける。
簡単には賛成しない。
一見すると、冷静で慎重な判断をしているようにも見える。
しかし、本当にそうなのだろうか。
もちろん、否定することが必要な場面はある。
無理な計画を止める。
危険な作業を防ぐ。
実現できない提案について説明する。
これらは大切な仕事だ。
ただ、何でも否定するだけなら、話は別である。
問題点を見つけたあと、どうするのか。
代わりの方法はないのか。
相手の意見の一部だけでも取り入れられないのか。
そこまで考えて初めて、仕事を前に進められるのではないだろうか。
例えば、部下が改善案を出したとする。
上司が問題点を指摘する。
部下が別の方法を考える。
上司がまた問題点を指摘する。
部下がさらに考える。
そして、ようやく実現できる方法が見つかる。
これなら意味がある。
しかし、最初の段階で「いや、無理だから」と終わらせてしまえば、何も生まれない。
それどころか、部下が次に意見を出す機会まで失ってしまうかもしれない。
上司の仕事は、部下の発言を否定することなのだろうか。
少なくとも、それだけではないはずだ。
否定され続けると、部下は何も言わなくなる
僕が特に問題だと思うのは、ここである。
人は、何度も否定されると、次第に意見を言わなくなる。
これは自然なことではないだろうか。
何かを提案する。
否定される。
別の案を出す。
また否定される。
それが何度も続けば、どうなるか。
「もう、何も言わなくていいか」
こうなる。
少なくとも、僕はそうだ。
別に、提案することで給料が増えるわけではない。
採用されなかったからといって、僕の人生が終わるわけでもない。
それなのに、わざわざ考えて、説明して、否定される。
何の時間なのだ、これは。
だったら、最初から何も言わない方が楽である。
しかし、そうなると職場にとっては損失かもしれない。
現場で働く人間だからこそ気づく問題もある。
毎日同じ仕事をしているからこそ、思いつく改善案もある。
その意見が正しいとは限らない。
しかし、聞かなければ、検討することすらできない。
何でも否定する上司は、部下の提案だけでなく、部下が意見を言おうとする気持ちまで失わせている可能性がある。
そして、そんな上司に限って、いつかこう言い出すかもしれない。
「最近の若い人は、自分から意見を言わないね」
……。
いや、お前が全部否定するからだろう。
言ったら否定する。
言わなければ意見がないと不満を言う。
一体、どうすればいいのだ。
何でも否定から入る人は、嫌われていることに気づかないのか?
ここも不思議である。
何でも否定されれば、こちらは話したくなくなる。
会話が減る。
相談しなくなる。
必要最低限のことしか話さなくなる。
しかし、本人はその変化に気づいているのだろうか。
もしかすると、気づいていないのかもしれない。
本人にとっては、ただ意見を言っているだけなのだ。
間違いを指摘している。
正しいことを教えている。
相手のために説明している。
そんなつもりなのかもしれない。
しかし、相手がどう感じているかは別の問題だ。
正しいことを言っていれば、何を言ってもいいわけではない。
同じ内容でも、伝え方によって印象は大きく変わる。
そして、上司という立場では、部下が不満を表に出さないこともある。
本当は面倒くさいと思っていても、適当に相槌を打つ。
本当は納得していなくても、「わかりました」と答える。
すると、上司は自分の話し方に問題があると気づかない。
部下が反論しないから、納得していると思ってしまう。
いや、違う。
もう話すのが面倒くさいだけかもしれない。
沈黙は、必ずしも同意ではないのだ。
何でも否定から入る上司への対処法
では、そんな上司にはどう対処すればいいのだろうか。
僕なりに考えてみた。
まず、すべての否定に反論しないことだ。
何でも否定する人に対して、毎回こちらが説明し直していたら疲れてしまう。
もちろん、仕事に必要なことや、安全に関わることなら話し合う必要がある。
しかし、どうでもいい雑談まで議論する必要はない。
「そうなんですね」
「なるほど」
「わかりました」
こうして会話を終わらせるのも、一つの方法だろう。
次に、否定された理由を具体的に聞いてみる。
例えば、
「それは考えてない」
と言われたら、
「どういう点が難しいのでしょうか?」
と聞く。
これなら、感情的に反論せず、相手の判断の根拠を確認できる。
もし理由があるなら、それを聞けばいい。
こちらが知らなかった事情が見えてくるかもしれない。
一方で、何度聞いても説明がないなら、少なくともその場で議論を続ける意味は薄いだろう。
三つ目は、提案するときに問題点への対策も一緒に伝えることだ。
「こうした方がいいと思います」
だけではなく、
「こうすると負担が増えるかもしれませんが、担当を交代制にすれば対応できると思います」
と話す。
そうすれば、相手が否定しそうな点を先に整理できる。
もちろん、それでも否定されることはあるだろう。
ただ、少なくとも話し合いの材料は増える。
四つ目は、必要以上に期待しないことだ。
これも大切だと思う。
相手が何でも否定する人だとわかっているなら、毎回まともな話し合いを期待しすぎない。
必要な報告や相談はする。
しかし、雑談や、急ぎでもない提案まで無理に続ける必要はない。
上司の機嫌を取るために、毎回会話を盛り上げる義務もない。
そして五つ目は、否定されたからといって、自分の意見が間違っていると思い込まないことだ。
これは忘れてはいけない。
相手が否定したことと、自分の考えが間違っていることは、同じではない。
もちろん、実際に間違っている場合もある。
しかし、否定する理由が曖昧だったり、そもそも話を理解していなかったりする場合もある。
大切なのは、相手の反応だけで判断しないことだろう。
そもそも、僕はそんなに話したいわけではない
ここまで、何でも否定から入る人の心理や対処法について考えてきた。
しかし、最後に一つ言っておきたい。
僕は、そもそも職場でそんなに話したいわけではない。
仕事の改善について、毎日熱く議論したいわけでもない。
自分の考えを認めてもらいたくて仕方がないわけでもない。
むしろ、できることなら静かに働きたい。
余計な仕事は増やしたくない。
余計な会話も増やしたくない。
それでも、上司から聞かれれば答える。
仕事について何か考えがあれば、提案することもある。
それなのに、否定される。
しかも、理由もなく否定されることがある。
一体、何のために僕は口を開いたのだろう。
別に、僕の意見を採用しなくてもいい。
反対してもいい。
ただ、普通に会話してほしい。
それだけなのだ。
僕が何か言う。
上司が聞く。
必要なら意見を交換する。
それでいいではないか。
なぜ、こんな当たり前のことが難しいのだろう。
最近、僕は一つの結論にたどり着いた。
何でも否定する人への最も簡単な対処法。
それは、余計なことを言わないことである。
素晴らしい。
これなら否定されることもない。
僕は仕事に集中できる。
上司も反論する必要がない。
お互いにとって平和な職場になるはずだ。
そして、僕は黙ることにした。
そんなある日、上司が聞いてきた。
「最近、何か意見とかないの?」
僕は答えた。
「特にありません」
すると、上司は言った。
「いや、何かあるでしょ」
……。
もう、どうすればいいのだ。
僕は静かに仕事がしたいだけなのに。
いや、待て。
今、僕も「いや」と言ったな。
……。
まさか。
僕も、否定から入る人間なのだろうか。
