ある日、後輩からLINEが届いた。
「お疲れ様でふ」
……。
でふ?
僕は思わず画面を二度見した。
お疲れ様でふ。
舐めてんのか、こいつ。
いや、待て。落ち着こう。
おそらく、ただの打ち間違いだろう。「お疲れ様です」と打ちたかったに違いない。そんなことは百も承知である。
しかし、でふ、である。
何だ、その語尾は。急に赤ちゃんになったのか。それとも、僕に甘えているのか。せめて最後まで社会人でいてくれ。
僕は別に、後輩に完璧な敬語を求めているわけではない。多少言葉遣いがおかしくても、意味が伝わればそれでいい。
ただ、「お疲れ様でふ」は気になる。
「す」が「ふ」になっただけなのに、文章全体の雰囲気が変わってしまっている。
「お疲れ様です」
こちらは普通の挨拶だ。
「お疲れ様でふ」
こちらは何だろう。今からお昼寝でも始めそうである。
もちろん、僕は指摘しなかった。わざわざ「でふって何?」などと聞くほどのことでもない。
普通に返信した。
「お疲れ様です!」
僕はちゃんと「す」である。
会話は何事もなく終わった。しかし、僕の頭には疑問が残った。
なぜ、誤字のまま送信するのだろう。
今回は、その心理について考えてみたい。
そもそも送信前に確認しないのだろうか
僕はLINEを送る前に、一応文章を確認する。
別に出版社へ原稿を提出するわけではない。仕事の重要な報告書でもない。ただのLINEである。
それでも、誤字があれば直すし、文章がおかしければ修正する。数秒あれば済むことだ。
だから、誤字のまま送信してくる人が不思議なのである。
例えば、
「そうでし」
「終わりにました」
こんなメッセージが届いたとする。
意味はわかる。「そうです」「終わりました」と打ちたかったのだろう。
しかし、なぜ直さない。
「そうでし」
……。
でし?
「終わりにました」
……。
終わりにました?
何かを終わらせたのか。それとも、終わったことを報告しているのか。
いや、単なる打ち間違いだと理解している。僕自身も誤字をすることはある。間違えることを責めたいわけではない。
僕が気になるのは、間違った文章がそのまま相手に届いてしまうことだ。
考えてみると、そこにはいくつもの理由がありそうである。
① そもそも誤字に気づいていない
最初に考えられるのは、本人が誤字に気づいていないという可能性だ。
スマートフォンのフリック入力では、指の動きが少しずれるだけで違う文字が入力される。予測変換で意図しない言葉を選んでしまうこともある。
「お疲れ様です」と入力したつもりが、「お疲れ様でふ」になっていた。しかし、本人は気づかずに送信してしまった。
それだけの話なのかもしれない。
ここで面白いのが、人間は自分の文章の間違いを見落としやすいということだ。
自分の頭の中には、すでに完成した文章がある。「お疲れ様です」と伝えたいのだから、当然、頭の中にもその言葉が残っている。
実際の画面には「お疲れ様でふ」と表示されていても、読み返したときに正しい文章だと思い込んでしまう場合がある。
人間は文字を一つずつ機械的に確認しているわけではない。前後の文脈から意味を補いながら読んでいる。だから、少し文字が違っていても、自然に理解できてしまう。
僕だってブログの記事を何度も読み返したのに、あとから誤字を発見することがある。
つまり、送信前に確認したからといって、必ず気づけるわけではないのだ。
これは理解できる。
理解できるのだが……。
「お疲れ様でふ」
やはり気になる。
人間の脳は、こんなに堂々とした「でふ」を見逃してしまうのか。
何とも不思議である。
ただ、ここは区別しておきたい。誤字に気づかなかった人は、直さないと判断したわけではない。そもそも直す必要があると認識していないのだ。
② 意味が伝わればいいと思っている
次に考えられるのは、文章の正確さより、意味が伝わることを重視しているという心理である。
「そうでし」と送っても、相手は「そうです」の間違いだと理解できる。
だったら、別に直す必要はない。
そんな考え方なのかもしれない。
僕は、意味が伝わるとしても直したい。なぜなら間違っているからである。
しかし、相手にとって重要なのは、間違っているかどうかではない。相手が理解できるかどうかなのだろう。
つまり、文章に求めているものが違うのである。
日常会話でも、多少言い間違えても訂正せずに話を続けることがある。大切なのは話の内容であって、一言一句正しく話すことではない。
LINEも会話の延長だと考えれば、多少の誤字を気にしないのは自然なのかもしれない。
ただ、僕には一つ気になることがある。
意味が伝わることと、印象が正しく伝わることは別ではないだろうか。
「お疲れ様です」と「お疲れ様でふ」。どちらも挨拶であることはわかる。しかし、受け取る印象は違う。
「了解でふ」
「ありがとうございまふ」
「よろしくお願いしまふ」
……。
どんどん赤ちゃんになっていくではないか。
本人は普通に挨拶したかっただけなのに、受け取った僕は一瞬「舐めてんのか」と思った。
一文字の違いでも、文章の雰囲気は変わる。意味さえ伝われば問題ないとは、必ずしも言い切れないのである。
とはいえ、毎回完璧な文章を求めるのも窮屈だろう。友人同士の何気ない会話なら、正確さより気軽さが大切な場面もある。
結局は、そのメッセージを何のために送るのか、という問題なのかもしれない。
③ 修正するのが面倒くさい
三つ目は、誤字に気づいていても、修正するのが面倒くさいという心理だ。
例えば、文章を入力している途中で間違いに気づく。
「あ、間違えた」
しかし、意味は伝わる。わざわざ文字を消して入力し直すほどのことでもない。
そう考える人もいるのだろう。
僕からすれば、たった一文字である。直せばいいではないか。
しかし、相手からすれば、たった一文字なのである。直さなくてもいいではないか。
……。
同じ「たった一文字」なのに、考え方が正反対なのである。
これは少し面白い。
僕は一文字だから簡単に直せると思う。相手は一文字だから直す価値がないと思う。
修正に必要な時間よりも、修正する必要性を感じているかどうかが違うのだろう。
確かに、長文の最初に誤字があれば、カーソルを戻して直すのは少し面倒かもしれない。
しかし、今回の「お疲れ様でふ」は最後の一文字である。
……。
そこは頑張ってくれ。
もっとも、送信したあとで誤字に気づいた場合は話が変わる。
「お疲れ様でふ」
送信。
「あ、間違えた」
しかし、今さら訂正するのも面倒くさい。
「す、です」
……。
何だ、その訂正は。
僕が「大丈夫です」と返せば、誤字一つのために余計なやり取りが増える。
それなら放置する方が合理的なのかもしれない。
つまり、送信前に気づいて直さない場合と、送信後に気づいて訂正しない場合では、手間の大きさが違う。
僕が特に不思議なのは前者である。
間違っているとわかっている。直す時間もある。それでも、そのまま送る。
僕にはなかなかできない行動だが、相手にとっては些細なことなのだろう。
④ 親しい相手だから気にしない
四つ目は、相手との関係性である。
仕事の上司に送るLINEと、親しい友人に送るLINEでは、文章に対する意識も変わるだろう。
仕事では丁寧に書く。友人には気軽に送る。
多少間違っていても、相手は理解してくれる。いちいち怒ったりしない。
そんな安心感が、誤字を気にしない理由になっているのかもしれない。
これは、ある意味では信頼関係の表れとも考えられる。
親しい相手には、きれいに整えた文章よりも、思いついたままの言葉を送りたくなることがある。変に気取らず、普段どおりに話せる関係ということだ。
そう考えると、誤字が多いことは、必ずしも相手を軽く見ていることを意味しない。
むしろ、気を許しているからこそ生まれる場合もあるのだろう。
しかし、ここで例の後輩を思い出す。
「お疲れ様でふ」
……。
なるほど。僕に気を許しているということなのだろうか。
それなら、それでいい。
いいのだが、もう少しだけ緊張感を持ってくれてもいいのではないか。
僕は先輩なのである。
別に偉そうにしたいわけではない。ただ、突然「でふ」と言われると、どう反応していいのかわからない。
こちらまで「お疲れ様でふ」と返せばよかったのだろうか。
いや、それは違う。
二人そろって赤ちゃんになる必要はない。
ただし、誤字があるからといって親しみを感じているとは限らない。単純に確認する習慣がないだけかもしれない。
逆に、親しい相手だからこそ、丁寧な文章を送りたいと思う人もいるだろう。
相手との距離感は、誤字一つでは判断できないのである。
⑤ 急いでいる。返信の速さを優先している
五つ目は、単純に急いでいるという理由だ。
LINEは、いつでも落ち着いて送れるとは限らない。
仕事の合間。移動中。何かをしながら。
短い時間で返信しなければならない場面もある。
早く返信したい。相手を待たせたくない。次の作業に戻りたい。
そんなときは、文章の正確さよりも送信する速さを優先することがあるだろう。
これは理解できる。僕だって急いでいるときは、確認が雑になることがあるはずだ。
ただ、急いでいるから誤字をする人と、普段から速さを優先している人では、少し事情が違う。
前者は、そのときの状況によるものだ。
後者は、LINEに対する考え方そのものが違うのかもしれない。
例えば、友人とのやり取り。
「今日何してる?」
「家にいる」
「暇?」
「そうでし」
……。
そうでし。
本人にとって重要なのは、文章の正確さではなく、会話のテンポなのだろう。
僕はLINEを文章として見ている。相手はLINEを会話として捉えている。
そんな違いがあるのかもしれない。
また、返信が遅いと思われたくない人もいるだろう。文章を読み返すより、とにかく早く返したい。そうした気持ちが、確認を後回しにさせる場合も考えられる。
ただ、急いで送った結果、意味が伝わらなければどうなるだろう。
「終わりにました」
「終わったってこと?」
「そうです」
……。
最初から直した方が早かったのではないか。
速さを優先することが、必ずしも効率のよさにつながるとは限らないのである。
もっとも、相手にとっては一秒でも早く返すことの方が大切なのかもしれない。僕とは優先順位が違うだけなのだろう。
⑥ わざと誤字を使っている。会話のノリを楽しむ心理
六つ目は、そもそも誤字ではないという可能性だ。
つまり、わざと間違ったような文章を送っているのである。
例えば、
「おやすみでふ」
こんなLINEが届いたとする。
かわいらしさを演出したい。相手を笑わせたい。親しみやすい雰囲気を出したい。
そんな心理が働いているのかもしれない。
文字だけのやり取りでは、声の調子や表情が伝わらない。だから、あえて言葉を崩すことで、柔らかい雰囲気を表現する人もいるのだろう。
例えば、
「了解しました」
これは丁寧だが、少し堅い印象もある。
「りょーかい!」
こちらは親しみやすい。
「わかりました」を「わかりまちた」と書けば、幼い印象になる。
もちろん、相手によっては不快に感じるかもしれない。しかし、親しい間柄なら冗談として成立することもある。
また、わざと誤字のような表現を使って、相手からの反応を期待している場合もある。
「おやすみでふ」
「でふって何?笑」
「間違えたでふ」
……。
もう完全にわざとではないか。
普通に「おやすみ」と送れば、そこで会話は終わる。しかし、「おやすみでふ」と送れば、相手が突っ込んでくれるかもしれない。
つまり、あえて文章を崩すことで、会話を続けるきっかけをつくっている可能性もある。
これは、単なる誤字とは違う心理である。
間違いに気づいていないのではない。修正が面倒なのでもない。
あえて正しく書かないことに意味があるのだ。
ただし、不自然な文章がすべて意図的なものとは限らない。本当に打ち間違えただけかもしれない。
ここを勝手に決めつけるのも、少し危険だろう。
恋愛では、わざとの誤字がかわいく見えることもある
ここで、少し恋愛の話をしてみたい。
例えば、好きな人からこんなLINEが届いたとする。
「おやすみでふ」
……。
でふ。
これは、もしかすると、かわいいと思う人もいるのではないだろうか。
普段は普通に話している相手が、LINEでは少し幼い言葉遣いになる。
甘えているのだろうか。距離を縮めようとしているのだろうか。それとも、こちらの反応を楽しんでいるのだろうか。
恋愛では、些細な言葉遣いにまで意味を求めてしまうことがある。
句読点の使い方。絵文字の数。返信の速さ。そして、誤字。
たった一文字の違いに、特別な感情が隠されているのではないかと考えてしまう。
ここで面白いのは、同じ誤字でも、誰から送られてきたかによって印象が変わることだ。
好きな人から届いた「おやすみでふ」。
かわいい。
後輩から届いた「お疲れ様でふ」。
舐めてんのか、こいつ。
何という違いだろう。
文字は似ているのに、受け取る側の感情によって印象が変わってしまう。
好きな人ならかわいい。親しい友人なら面白い。仕事の後輩なら少し気になる。
つまり、誤字そのものに特別な意味があるとは限らない。こちらが相手に抱いている感情によって、勝手に意味を見いだしている場合もあるのだ。
もっとも、「でふ」と送ってきたからといって、好意があるとは限らない。
ただの打ち間違いを恋愛のサインだと思い込んだら、それこそ大変である。
誤字を指摘する人と、指摘しない人
ところで、誤字を見つけたとき、相手に指摘する人もいる。
「でふって何?笑」
「誤字ってるよ」
そんなふうに伝える。
一方で、僕のように何も言わずに返信する人もいる。
誤字を指摘する人は、単純に面白いと思っているのかもしれない。親しい相手だからこそ、気軽に突っ込める場合もあるだろう。
しかし、僕は基本的に指摘しない。
なぜなら、意味がわかっているからである。
「お疲れ様でふ」
「お疲れ様です」と言いたかったのだろう。
だったら、それでいい。わざわざ指摘する必要はない。
それに、指摘したところで何が起きるのだろう。
「すみません、誤字でした」
「大丈夫です」
……。
何だ、このやり取りは。
誤字を訂正するために、さらに二通もLINEを増やしているではないか。
だから、僕は何も言わない。
しかし、心の中では気になっている。
でふ。
なぜ、でふなのだ。
相手には何も言わず、頭の中では延々と考えている。
何とも厄介な性格である。
ただ、誤字によって意味が変わる場合は別だ。集合時間や金額など、間違えると困る情報なら確認した方がいい。
僕が放置できるのは、「でふ」のように意味がわかる誤字だからである。
誤字には性格が表れるのだろうか
誤字を直さない人は、大ざっぱな性格なのだろうか。
細かいことを気にしない。意味が伝わればいい。そんな考え方なのかもしれない。
一方で、送信前に確認する僕は慎重な性格なのだろうか。
ただ、誤字一つで人間の性格を判断することはできない。
普段は几帳面な人でも、急いでいれば誤字をする。文章を丁寧に書く人でも、疲れていれば見落とす。
逆に、普段は大ざっぱな人でも、重要な連絡では何度も確認するだろう。
それに、誤字に気づかなかった人と、気づいていて直さなかった人では事情が違う。
わざと「でふ」と書く人なら、そもそも間違いだと思っていないかもしれない。
だから、誤字が多いからといって、その人がいい加減だと決めつけるのは違う。
そんなことは僕も理解している。
理解しているのだが……。
「お疲れ様でふ」
やはり気になる。
何度考えても、あの一文字が頭から離れない。
僕は一体、何と戦っているのだろう。
結局、僕の方が面倒くさいのかもしれない
ここまで、誤字を直さず送る人の心理について考えてきた。
気づいていない。意味が伝わればいい。修正するのが面倒くさい。親しい相手だから気にしない。急いでいる。そして、わざと崩した表現を使っている。
同じ誤字でも、理由はいくつも考えられる。
しかし、後輩がどの心理で「お疲れ様でふ」と送ってきたのかは、本人に聞いていないのでわからない。
おそらく、ただの打ち間違いだったのだろう。
本人は「お疲れ様です」と伝えたかった。それだけなのかもしれない。
そして、きっとそんなことを深く考えていない。
一方で、僕はどうだ。
たった一文字の誤字について、ここまで考えている。
気づかない心理。意味が伝わればいいという心理。修正するのが面倒な心理。親しい相手だから気にしない心理。速さを優先する心理。わざと崩す心理。
さらに恋愛や性格との関係まで考えてしまった。
何ということだろう。
相手は「す」を「ふ」と打ち間違えただけかもしれないのに、僕はその一文字について、こんなにも長い文章を書いているのである。
しかも、本人には何も言っていない。
普通に返信しただけだ。
後輩はきっと、もう「お疲れ様でふ」なんて送ったことすら覚えていないだろう。
しかし、僕は覚えている。そして、こうして文章にまでしてしまった。
……。
冷静に考えてみれば、僕の方がよほど面倒くさい人間ではないだろうか。
まあ、いい。
僕自身も誤字をすることはある。だから、他人の間違いを責めるつもりはない。
ただ、これからもLINEを送る前には文章を確認するだろう。たった一文字でも、間違っていれば直す。それが僕の習慣なのである。
さて、最後に後輩へ一言だけ伝えておきたい。
もちろん、本人に直接言うつもりはない。ただ、心の中で思っているだけである。
お疲れ様でふ。
……。
ああ、なるほど。
これはこれで、少しかわいいのかもしれない。
いや、やっぱり直してくれ。
