「あれー?」
また始まった。
「ええええ?」
何がだ。
「そうか、だからか」
何がそうかで、何がだからなのか。こちらにはさっぱりわからない。
職場に、独り言がやたらとうるさい人がいる。しかも上司である。
別に僕は、人間が一言も喋らず仕事をするべきだと思っているわけではない。必要な会話なら当然する。何かを落として「あっ」と言うこともあるだろう。疲れたときに「よいしょ」と声が出ることだってある。
しかし、その上司は違う。
「あれー?」
「ええええ?」
「そうか、だからか」
作業の途中で、思いついたことが次々と口から出てくる。誰かに話しかけているわけでもなさそうだ。説明を求められているわけでもない。どうやら、頭の中で起きている出来事を、そのまま実況しているらしい。
僕は仕事に来ているのであって、上司の脳内実況を聞きに来ているのではない。
しかも、うるさい。
声が大きい。何度も聞こえる。静かになったと思ったら、また始まる。
もう、ノイローゼになりそうだ。もちろん比喩である。それくらい、うんざりしているということだ。
どうして独り言は、こんなにも人を疲れさせるのだろう。そして、そもそもなぜ、人はあんなにも独り言を言うのだろうか。
今回は、職場の上司に毎日心の中でツッコミを入れている僕が、その心理と対処法を考えてみたい。
「あれー?」と言われても、僕には何もわからない
「あれー?」
この一言には、実に多くの可能性がある。
何かを探しているのかもしれない。予定と違うことが起きたのかもしれない。書類の数字が合わないのかもしれない。あるいは、ただ何となく「あれー?」と言いたくなったのかもしれない。
知らない。
僕には、何もわからない。
それなのに、声だけははっきり聞こえてくる。
続いて、「ええええ?」。
今度は何だ。何に驚いた。何がそんなに意外だったのだ。僕は知りたくない。知りたくないのに、耳が勝手に反応する。
そして、「そうか、だからか」。
おめでとう。どうやら解決したらしい。
しかし、こちらには問題の発生も、解決までの経緯も、一切知らされていない。突然、最終回だけを見せられたような気分になる。
しかも、別に続きを見たいわけでもない。
独り言とは、文字どおり一人で言う言葉だ。ところが、周囲に人がいる場所で大きな声を出せば、聞き手が生まれてしまう。
本人は一人で喋っているつもりでも、こちらは勝手に参加させられる。
「あれー?」
知らん。
「ええええ?」
何やねん。
「そうか、だからか」
よかったな。
僕の頭の中では、すでに立派な会話が成立している。
もちろん、声には出さない。出したら僕までうるさくなるからだ。
なぜ独り言を聞くと、こんなにストレスがたまるのか
考えてみると、不思議な話である。
職場には、いろいろな音がある。足音、作業音、物を置く音、機械の音。仕事をしていれば、ある程度の騒音は避けられない。
それなのに、独り言は妙に気になる。
理由の一つは、人の声には意味があるからだと思う。
物が床に置かれた音なら、音がしただけで終わる。しかし、「あれー?」という声が聞こえると、何かが起きたのかと考えてしまう。
自分には関係ないとわかっていても、一瞬、意識を持っていかれる。
文章を読んでいるとき、近くで誰かが会話を始めると内容が頭に入りにくくなることがある。人の言葉は、無視しようとしても注意を引きやすい。仕事でも似たことが起きるのだろう。
集中しているところに、突然「あれー?」。
こちらの思考が中断する。
再び仕事に戻ろうとしたところで、「ええええ?」。
また中断する。
そして、「そうか、だからか」。
もう、何が何だかわからない。
本人にとっては数秒の発言かもしれない。しかし、聞かされる側は、そのたびに集中を立て直さなければならない。
たった一言でも、何度も繰り返されれば負担になる。
僕が嫌なのは、単に音量だけではない。自分とは関係のない思考が、何の前触れもなく割り込んでくることなのだと思う。
いつ始まるかわからないのが厄介だ
もう一つ、独り言が厄介なのは、タイミングが読めないことだ。
一定の音なら、しばらくすると慣れる場合がある。時計の秒針や換気扇の音など、最初は気になっても、いつの間にか意識しなくなることがある。
しかし、独り言は違う。
静かだ。
よし、今なら集中できる。
「あれー?」
始まった。
また静かになる。
今度こそ終わったか。
「ええええ?」
終わっていなかった。
この繰り返しが、じわじわと疲れる。
しかも、一度その人の独り言が気になり始めると、次の声を待ち構えるような状態になることもある。
まだ喋るのだろうか。また何か言うのだろうか。
そんなことを考えている時点で、もう仕事への集中力を奪われている。
うるさい人が実際に喋っている時間だけではない。次に喋るかもしれないという警戒まで、こちらの負担になってしまうのだ。
もちろん、僕が気にしすぎている部分もあるのかもしれない。別の人なら、何とも思わず聞き流せる可能性もある。
ただ、気になる音というのは、本人の意思だけで簡単に消せるものではない。
「気にしなければいい」と言われて気にならなくなるなら、最初から苦労していない。
むしろ、気にしないようにしようと思うほど、余計に耳がそちらへ向いてしまうことすらある。
静かに仕事をしたい。
それだけのことが、なぜこんなに難しいのだろう。
話しかけられたのか、独り言なのかわからない
独り言の中でも、特に面倒なのが、誰に向けた言葉なのかわからないものだ。
「あれー?」
僕に何か聞いているのだろうか。
「これ、違うなあ」
何かを確認してほしいのだろうか。
「そうか、だからか」
いや、もう自己解決したのか。
こういう判断を、いちいちさせられる。
仕事中、上司が声を出したら、部下としては多少なりとも気になる。業務上の指示かもしれないし、何か問題が起きたのかもしれない。
ところが、ただの独り言だったりする。
それが何度も続けば、こちらも疲れる。
返事をした方がいいのか。放っておいた方がいいのか。
しかも、下手に「どうしました?」と聞いて、単なる独り言だったらどうだろう。
「いや、何でもない」
そうですか。
では、最初から心の中でお願いします。
独り言を言う本人には、会話を始める意図がないのかもしれない。しかし、聞こえる場所にいる人間には、その意図がわからない。
そこに、独り言特有の煩わしさがあると思う。
独り言を言う人は、何を考えているのか
では、そもそもなぜ、人は独り言を言うのだろう。
僕には、上司の頭の中まではわからない。本人に聞いたわけでもないし、声を出しているという事実だけで性格を決めつけることもできない。
ただ、考えられる理由はいくつかある。
まずは、考えを整理するためだ。
人は、頭の中で考えていることを言葉にすることで、手順を確認したり、問題を整理したりすることがある。心理学では、自分に向けて話すことを自己発話と呼ぶ場合がある。
たとえば、「まずこれをやって、次にあれをして」と声に出せば、作業の順番を確認しやすくなる人もいるだろう。
そう考えると、上司の「そうか、だからか」も、何かを理解した瞬間の言葉なのかもしれない。
なるほど。
本人の中では、ちゃんと意味があるのだろう。
しかし、僕には意味がない。
いや、本人が何かを理解するのは結構なことだ。仕事が進むなら、むしろ喜ばしい。
ただ、その理解の瞬間を毎回、職場全体に発表する必要はあるのだろうか。
「そうか、だからか」
おめでとうございます。
できれば、心の中で表彰式まで済ませていただきたい。
無意識の癖になっている可能性もある
独り言は、単なる癖になっていることも考えられる。
本人にとっては、息をするように自然な行動なのかもしれない。
驚いたら「ええええ?」。何かを探したら「あれー?」。納得したら「そうか、だからか」。
頭の中の反応と、口から出る言葉が直結している。
長年そうしてきた人なら、自分がどれほど頻繁に声を出しているか、意識していない可能性もある。
ここが難しい。
悪気があるとは限らないのだ。
本人は誰かを困らせようとしていない。ただ、いつものように喋っているだけかもしれない。
しかし、悪気がないことと、迷惑になっていないことは別である。
たとえば、本人は気持ちよく鼻歌を歌っているつもりでも、近くで聞かされる人にとっては騒音になることがある。
独り言も同じだ。
自分にとって自然な習慣が、他人にとっても快適とは限らない。
そして、厄介なのは、本人が無意識なら、周囲の不快感にも気づきにくいことだ。
誰も何も言わない。
だから、問題ないと思っている。
でも、誰も何も言わないのは、単に言いづらいからかもしれない。
特に、その人が上司ならなおさらだ。
ストレスや感情が声になっているのかもしれない
独り言には、感情を外へ出す働きもあるのだろう。
「あれー?」には困惑がある。
「ええええ?」には驚きがある。
「もう、いやだ」には疲れや不満がある。
声に出すことで、少し気持ちが落ち着く人もいるのかもしれない。
仕事をしていれば、思いどおりにいかないこともある。予定が狂ったり、探し物が見つからなかったり、面倒な作業が増えたりする。
そのたびに、思わず声が出ることはあるだろう。
僕だって、驚いたときに声を出すことはある。
だから、独り言そのものを全面的に否定するつもりはない。
問題は、頻度と音量だ。
たまに「あれ?」と言うくらいなら、気にならない。
しかし、何度も何度も、周囲にはっきり聞こえる声で繰り返されると話が変わる。
本人はストレスを外へ出しているのかもしれない。
その一方で、聞かされる僕のストレスは、どこへ行けばいいのだろう。
上司のストレスが声になり、その声を聞いた僕にストレスがたまる。
職場の中で、ストレスの受け渡しが行われている。
そんな業務は、誰からも指示されていない。
誰かに反応してほしい独り言もあるのだろうか
もう一つ考えられるのが、周囲の反応を期待している場合だ。
独り言のように聞こえても、実は誰かに気づいてほしい。話しかけるほどではないけれど、何か言ってほしい。
そんな心理が働くこともあるのかもしれない。
たとえば、近くで誰かが「困ったなあ」と言っていたら、「どうしました?」と声をかけたくなる人もいるだろう。
ただし、すべての独り言が反応を求めているわけではない。僕の上司がそうなのかも、わからない。
むしろ、本人は完全に自分へ向けて喋っている可能性もある。
だからこそ、厄介なのだ。
反応を求めているのか、いないのか。
声をかけたら喜ぶのか、余計なお世話なのか。
聞いている側には判断できない。
そして僕は、できればどちらにも参加したくない。
「あれー?」
どうぞ、ご自身で解決してください。
「そうか、だからか」
ああ、解決しましたね。
素晴らしい。
僕は心の中で拍手を送り、仕事に戻る。
もちろん、実際に拍手をしたら、それはそれで問題になるだろう。
しかも相手が上司という問題
さて、今回の話で最も厄介なのは、独り言を言っている相手が上司だということだ。
これが同僚なら、まだ言いやすいかもしれない。
「ちょっと声が大きいですよ」
そんなふうに、軽く伝えることもできるだろう。
しかし、相手は上司である。
なぜ、部下の僕が、上司に独り言の音量を注意しなければならないのか。
おかしくないか。
上司は、職場の仕事が円滑に進むように管理する立場のはずだ。部下が集中できる環境にも、ある程度は気を配る必要があるだろう。
ところが、その上司自身が騒音の発生源になっている。
これは、どういうことだ。
僕が注意するのか。
「すみません。独り言がうるさいです」
言えるか、そんなこと。
もちろん、上司に意見を伝えること自体が悪いわけではない。必要なら、落ち着いて相談するのも一つの方法だ。
ただ、部下の側には、言いづらさがある。
相手の機嫌を損ねないか。仕事に影響しないか。面倒な空気にならないか。
そんなことまで考えなければならない。
すでに独り言で疲れているのに、注意の仕方まで考える必要があるのだ。
何という追加業務だろう。
しかも、手当は出ない。
うるさいと感じるのは、僕の心が狭いからなのか
ここで、少しだけ自分のことも考えてみたい。
僕は、上司の独り言に強い苛立ちを感じている。
しかし、同じ場所にいる全員が、同じように感じているとは限らない。
まったく気にならない人もいるだろうし、むしろ賑やかな方が落ち着く人もいるかもしれない。
音への敏感さは、人によって違う。
仕事の内容や、その日の疲れ具合によっても変わるだろう。
では、僕の心が狭いのか。
そう決めつける必要もないと思う。
職場では、集中して作業したい人もいれば、声に出して考えたい人もいる。大切なのは、どちらか一方のやり方だけを当然としないことではないだろうか。
独り言を言う自由があるとしても、周囲への配慮が不要になるわけではない。
反対に、僕が静かな環境を望んでいるからといって、すべての発話を禁止できるわけでもない。
結局は、程度の問題なのだ。
ただ、僕の場合は、もう十分に聞いた。
「あれー?」も、「ええええ?」も、「そうか、だからか」も。
そろそろ別の演目にしていただけないだろうか。
いや、別の演目もいらない。
できれば、無音でお願いします。
職場で独り言がうるさい人への対処法
では、実際にどうすればいいのだろう。
まず考えたいのは、すべての独り言に反応しないことだ。
誰かに話しかけられたと明確にわかる場合や、業務上の確認が必要な場合は別として、単なる独り言まで拾う必要はない。
「あれー?」
反応しない。
「ええええ?」
反応しない。
「そうか、だからか」
よかったですね、と心の中で思うだけにする。
これだけでも、余計な会話に巻き込まれる機会は減るだろう。
次に、可能であれば物理的な距離を取ることだ。
作業場所を変えられるなら、声が届きにくい場所を選ぶ。休憩中など、自分で場所を決められる時間には、静かな場所へ移動する。
ただし、仕事の都合で簡単には動けない場合もある。安全上、周囲の声や音を聞く必要がある職場では、耳栓やイヤホンなどを勝手に使うのも適切ではない。
無理のない範囲で、できることを探すしかない。
そして、どうしても仕事に支障が出るなら、音量について伝える方法もある。
「独り言が気持ち悪いです」と言ってしまえば、相手は傷つくだろうし、話もこじれやすい。
それより、「声が聞こえると作業に集中しづらいことがあります」と、具体的な影響を伝えた方が建設的だ。
相手が上司で直接言いづらいなら、別の管理者に相談することも考えられる。
もちろん、相談すれば必ず改善するとは限らない。
ただ、我慢するか、喧嘩するか。その二択しかないわけではないのだ。
「気持ち悪い」と感じる理由も考えてみた
独り言がうるさいと感じるだけでなく、気持ち悪いと感じることもある。
この感覚は、少し説明が難しい。
独り言を言う人が、必ずしもおかしな人というわけではない。独り言は珍しい行動ではないし、それだけで病気や性格の問題を判断することもできない。
それでも、近くで延々と喋られると、居心地が悪くなることがある。
おそらく、会話の形をしているのに、会話として成立していないからではないだろうか。
誰かが声を出せば、普通は相手がいると思う。
ところが、独り言には相手がいない。
「あれー?」
誰に聞いているのだ。
「そうか、だからか」
誰に説明しているのだ。
聞こえてくる言葉の意味はわかるのに、その言葉が向かう先がわからない。
そのちぐはぐさに、違和感を覚えるのかもしれない。
加えて、何度も繰り返されるうちに、「また始まった」という嫌悪感が積み重なる。
最初は単なる騒音だったものが、いつの間にか、その人の声そのものへの苦手意識になってしまう。
そうなると、本人が何を言っているかよりも、声が聞こえたこと自体に苛立つ。
これは、聞く側にとってもつらい。
相手の声がするたびに気分が悪くなるなんて、できれば避けたいことである。
だからこそ、相手を一方的に変な人だと決めつけるのではなく、まずは音量や頻度という具体的な問題として考えた方がいいのだろう。
独り言は自由でも、職場は一人の部屋ではない
家で一人きりなら、好きなだけ独り言を言えばいいと思う。
「あれー?」
どうぞ。
「ええええ?」
ご自由に。
「そうか、だからか」
何よりです。
誰にも迷惑をかけていないなら、問題はない。
しかし、職場には他人がいる。
誰かにとって快適な行動が、別の誰かにとっては不快なこともある。
だから、ある程度はお互いに気を配る必要があるのだと思う。
僕だって、仕事中に一言も声を出さないわけではない。驚くこともあるし、何かを確認するために声を出すこともある。
ただ、それが周囲にどう聞こえているかは、意識しておきたい。
自分では小さな声のつもりでも、近くの人には大きく聞こえるかもしれない。
自分では一回だけのつもりでも、相手には何度も繰り返されているように感じられるかもしれない。
結局、独り言を言う側にも、聞かされる側にも、それぞれの事情がある。
だからこそ、相手を攻撃するより、仕事がしやすい環境を考える方がいい。
そうは思う。
思うのだが。
「あれー?」
……またか。
「ええええ?」
……うるさい。
「そうか、だからか」
……だから何なんだ。
理屈ではわかっていても、感情というものは、なかなか思いどおりにならない。
ようやく静かになった
そんなことを考えているうちに、上司がどこかへ行った。
ようやく、静かになった。
ああ、やっとどっか行ったなあ。うるさかったなあ。しかし、なんであんなに独り言を言うんだろう。もう、いやだ、いやだ。さあ、仕事でもしようかな〜。何からしようかな……ランランラン♪るんるんスキップ!
