更衣室で突然始まった謎の演奏会
更衣室での出来事だ。
僕の目の前に、一人のおじさんがいた。
その人は、ぽっこりとお腹が出ている。
見事なお腹だった。
丸みを帯びた、なかなか立派なお腹である。
本人は特に気にしている様子もなく、いつものように着替えをしていた。
僕も自分の着替えを進めていた。
何の変哲もない、いつもの更衣室。
しかし、突然だった。
ポン、ポン。
何か音が聞こえた。
ポン、ポン、ポポン。
何だ?
僕は音のする方を見た。
すると、先ほどのおじさんが、自分のお腹を叩いているではないか。
しかも、ただ叩いているのではない。
リズムを刻んでいる。
まるで太鼓の達人だ。
自分のお腹を楽器にして、軽快なリズムを奏でている。
僕は思った。
突然どうした!?
彼に何があったのだ!?
何か嬉しいことでもあったのだろうか。
それとも、何か悲しいことでもあったのか。
腹を叩かなければ抑えられない感情が、突然込み上げてきたのだろうか。
しかし、おじさんの表情はいたって普通である。
むしろ、少しも楽しそうではない。
無表情だ。
その顔と腹の動きが、まったく一致していない。
顔は静寂。
腹は祭り。
一体どういう状態なのだろう。
ポン、ポン、ポポン。
まだ叩いている。
終わる気配がない。
僕は考えた。
リズム感を見せつけているのだろうか。
俺はこんなリズムを刻めるんだぞ。
どうだ、すごいだろう。
そういうことなのか。
しかし、別に僕はリズム感を競いに来たわけではない。
ただ着替えに来ただけだ。
それとも、これは何かの合図なのだろうか。
僕に何かを求めているのかもしれない。
そうか。
歌え、ということか。
伴奏は俺がやる。
お前は歌え。
そういうことなのだろう。
しかし、困った。
曲名も知らされていない。
キーもわからない。
そもそも、突然始まった腹太鼓に歌で応える義務があるのだろうか。
僕は少し悩んだ。
歌うのは恥ずかしい。
更衣室で突然歌い出す男なんて、どう考えてもおかしい。
では、どうするか。
口笛ならどうだろう。
歌うほど目立たない。
歌詞を覚えている必要もない。
それでいて、ちゃんとメロディーを奏でることができる。
悪くない案だ。
僕は、おじさんの腹太鼓にそっと口笛を乗せてみた。
ポン、ポン、ポポン。
ピュ〜、ピュピュ〜♪
……おお。
意外と合っている。
おじさんがリズムを刻み、僕がメロディーを奏でる。
楽器なんて必要ない。
音楽室も必要ない。
必要なのは、ぽっこりした腹と、口笛を吹ける男だけだ。
更衣室に、即席の二人組バンドが誕生した。
しかも、結成までに一言も会話をしていない。
音楽とは素晴らしい。
言葉がなくても、人と人はつながれるのだ。
しかし、ここで重大な問題がある。
おじさんは、僕と演奏しているつもりなのだろうか。
そもそも、僕の口笛に気づいているのか。
おじさんは相変わらず無表情で、自分の腹を叩いている。
僕の方を見ようともしない。
ひょっとすると、僕だけが勝手にセッションしている可能性がある。
いや、ひょっとしなくても、その可能性は高い。
しかし、もう始めてしまった。
ここで急にやめるのも、なんだか中途半端だ。
僕は演奏を続けた。
そんなときだった。
ガチャ。
更衣室の扉が開いた。
一人の男性が入ってきたのだ。
そして、その場で立ち止まった。
呆然と立ち尽くしている。
無理もない。
目の前には、自分の腹を太鼓のように叩くおじさん。
その隣には、口笛でメロディーを奏でる僕。
彼は着替えをするために更衣室へ来たはずだ。
まさか、こんな演奏会が開催されているとは思ってもいなかっただろう。
僕は彼を見た。
さあ、君は何を担当する?
歌か。
手拍子か。
それともダンスか。
しかし、彼は動かない。
ただ、僕たちを見つめている。
どうやら観客を選んだらしい。
記念すべき初ライブの観客は、一人だった。
しかも、まったく楽しそうではなかった。
僕たちの音楽は、まだ時代が追いついていなかったのかもしれない。
そもそも、なぜおじさんは腹を叩くのか
……話を戻そう。
僕たちの音楽活動は、いったん置いておく。
そもそも、なぜおじさんは自分の腹をポンポン叩くのだろうか。
考えてみると、実に不思議な行動である。
誰かに頼まれたわけでもない。
仕事でもない。
腹を叩いたところで、お金がもらえるわけでもない。
何かが完成するわけでもない。
当然、腹がへこむわけでもない。
それなのに、あれほど自然に叩いている。
まるで、呼吸をするかのように。
しかも、僕がこれまで見てきた中でも、ぽっこりお腹のおじさんが腹を叩く姿には、妙な説得力がある。
もちろん、すべてのおじさんが腹を叩くわけではない。
若い人でも叩く人はいるだろう。
女性でも、そういう癖がある人はいるかもしれない。
ただ、少なくとも僕が更衣室で見たあのおじさんは、実に見事な腹太鼓を披露していた。
そこで、あの行動にどんな理由や心理が隠れているのか、僕なりに考えてみることにした。
なぜ、わざわざ「腹」なのか
まず、ここが気になる。
なぜ腹なのだろうか。
人間の体には、ほかにも叩ける場所がたくさんある。
頭。
胸。
太もも。
膝。
お尻。
別にどこでもいいはずだ。
しかし、あのおじさんは迷うことなく腹を選んだ。
しかも、手のひら全体を使っている。
まるで、そこが最初から楽器として用意されていたかのようだ。
確かに、腹は叩きやすい。
腕を大きく動かす必要がない。
目の前にある。
服を着ていても叩ける。
そして、何より適度な丸みがある。
この丸みが重要なのではないだろうか。
痩せた人が腹を叩いても、もちろん音は出る。
しかし、ぽっこりお腹のおじさんが叩くと、なぜか妙にしっくりくる。
まるで、腹太鼓をするために生まれてきたかのような完成度だ。
そこで、一つの疑問が浮かんだ。
お腹が出ているから叩くのか。
それとも、叩きたいからお腹を育てているのか。
いや、後者は絶対に違うだろう。
腹太鼓の音質を向上させるために、毎日ご飯を大盛りにしている人がいたら怖すぎる。
「最近、低音が足りなくてね」
そんな理由で太る人がいたら、もはや音楽家である。
しかし、腹が叩きやすい場所であることは間違いない。
しかも、自分の体なので、どこに行っても持ち歩ける。
忘れることもない。
充電も必要ない。
世界に一つだけの、持ち運び不要の楽器なのだ。
なぜ「ポンポン」と優しく叩くのか
もう一つ、不思議なことがある。
それは叩き方だ。
おじさんは、腹を思い切り殴っているわけではない。
拳を握りしめて、全力で打ち込んでいるわけでもない。
ポン、ポン。
実に優しい。
なでるでもない。
揉むでもない。
つねるでもない。
絶妙な力加減で、軽く叩いている。
まるで、小さな子どもの背中を優しく叩くような動きだ。
この優しさは何なのだろう。
腹に対する愛情なのだろうか。
長年付き合ってきた自分のお腹。
食べすぎた日も、飲みすぎた日も、ずっと一緒だった。
少しずつ大きくなっていく姿を、本人は誰よりも近くで見守ってきた。
そう考えると、あのポンポンは、愛情表現のようにも思えてくる。
「今日も元気か?」
ポン、ポン。
「そうか。よかったな」
ポン、ポン。
いや、腹から返事があるわけではない。
しかし、もし本当に腹と会話しているのだとしたら、それはそれで興味深い。
少なくとも、あのおじさんの叩き方には、攻撃的な雰囲気がまったくなかった。
むしろ、どこか楽しそうだった。
顔は無表情だったけれど。
では、具体的にどんな理由が考えられるのだろうか。
ここからは、僕が考えた9つの説を紹介したい。
もちろん、すべてが科学的に証明された理由というわけではない。
あくまで、一人のおじさんを目撃した僕の考察である。
① お腹の弾力を楽しんでいる説
まず考えられるのが、単純に感触を楽しんでいるという説だ。
ぽっこりしたお腹には、独特の弾力がある。
手のひらで軽く叩くと、その感触が返ってくる。
これが意外と気持ちいいのかもしれない。
人は無意識に、触っていて心地いいものを触り続けることがある。
柔らかいクッション。
もちもちしたぬいぐるみ。
ぷにぷにした玩具。
そういうものを、何となく触ってしまう。
では、ぽっこりお腹はどうだろう。
自分の体に、もちもちしたものが常備されているのだ。
わざわざ買いに行く必要もない。
どこかに置き忘れることもない。
いつでも触れる。
しかも、叩けば感触が返ってくる。
これほど手軽な娯楽があるだろうか。
ひょっとすると、あのおじさんは何も考えず、ただ弾力を楽しんでいただけなのかもしれない。
僕が勝手に音楽性を見いだしていただけで。
② お腹の成長を確認している説
次に考えたのが、成長確認だ。
人は自分の体の変化を気にするものだ。
髪の毛が伸びていないか。
筋肉がついていないか。
肌の調子はどうか。
では、お腹が出ている人はどうだろう。
自分のお腹の成長が気になることもあるのではないか。
そこで、ポンポンと叩いてみる。
「うむ。今日も順調に育っているな」
まるで農作物の生育状況を確認する農家のようだ。
もちろん、腹を叩いたところで、正確な大きさがわかるわけではない。
測定したいなら、メジャーを使えばいい。
体重計に乗るという方法もある。
しかし、おじさんはそんな面倒なことをしない。
ポンポン。
これで終わりだ。
何を測定しているのかはわからない。
測定結果もわからない。
ただ、本人は納得している。
非常に簡略化された健康診断である。
もっとも、これで健康状態が判断できるわけではない。
本当に体調が気になるなら、きちんと確認してほしい。
腹太鼓だけで健康管理ができるなら、病院の待合室は大変なことになっているだろう。
③ 満腹を表現している説
これは比較的わかりやすい。
お腹いっぱい食べたあと、腹をポンポン叩く。
そんな仕草を見たことがある人もいるのではないだろうか。
「いやあ、食った食った!」
そう言いながら腹を叩く。
言葉と動作が一致している。
非常にわかりやすい表現だ。
満腹という目に見えない状態を、腹を叩くことで周囲に伝えているのかもしれない。
しかし、よく考えてほしい。
満腹になったからといって、腹を叩く必要はあるのだろうか。
ご飯を食べたのは口である。
消化するのは胃腸である。
それなのに、最後に腹全体が表彰される。
ポン、ポン。
「よく頑張ったな」
そういうことなのだろうか。
まるで、仕事を終えた部下の肩を叩く上司である。
ただし、更衣室で見たおじさんが満腹だったかどうかはわからない。
食事を終えた直後だったのかもしれないし、空腹だったのかもしれない。
空腹で腹を叩いていたのだとしたら、それはそれで謎が深まる。
④ 太った自分を笑いに変えている説
お腹が出ていることを、コンプレックスに感じる人もいるだろう。
しかし、全員がそうとは限らない。
むしろ、自分のお腹を笑いのネタにする人もいる。
「いやあ、また太ったわ!」
そう言いながら、腹をポンポン叩く。
自分から笑いに変えてしまうのだ。
他人に指摘される前に、自分でネタにする。
そうすることで、体形を気にしすぎずに済む人もいるのかもしれない。
ただ、ここで一つ問題がある。
あのおじさんは、一言もしゃべっていなかった。
誰かを笑わせようとしていた様子もない。
しかも、無表情だ。
誰に向けた笑いなのだろう。
僕か。
僕を笑わせようとしていたのか。
だとしたら、もっとわかりやすくしてほしい。
突然、無言で腹を叩かれても、こちらはどう反応すればいいのかわからない。
結果として、口笛を吹いてしまったではないか。
しかし、自分の体を深刻に考えすぎず、笑いに変えられるというのは、一つの気楽な生き方なのかもしれない。
⑤ 落ち着くための無意識の癖説
これは、かなりありそうだ。
人には、それぞれ無意識の癖がある。
髪の毛を触る。
顎をなでる。
指を鳴らす。
足を揺らす。
机をトントン叩く。
本人は、いちいち理由を考えていない。
ただ、何となくやっている。
腹をポンポン叩くのも、その一つなのではないだろうか。
たとえば、着替えながら考え事をしていた。
今日の仕事のこと。
帰ってからの予定。
明日の天気。
そんなことを考えているうちに、手が自然と腹へ向かう。
そして、ポンポンと叩き始める。
本人にとっては、特別な行為ではない。
呼吸をするような、いつもの癖なのだ。
だとすると、僕が見たあの演奏会には、そもそも何の意味もなかったことになる。
おじさんはただの癖で腹を叩き、僕は勝手に音楽を始めていた。
これは困った。
おじさんは普通に着替えていただけなのに、僕の中ではすっかりドラマーになっている。
人の行動に意味を求めすぎるのも、考えものなのかもしれない。
⑥ 自分のお腹に愛着が湧いている説
長く使っているものには、愛着が湧く。
お気に入りの靴。
何年も使っている財布。
古くなった鞄。
多少傷んでいても、なかなか手放せない。
では、自分のお腹はどうだろう。
生まれてから、ずっと一緒だ。
楽しいときも、悲しいときも、仕事で失敗した日も、恋人に振られた日も。
いつだって腹はそこにあった。
しかも、年齢を重ねるにつれて、少しずつ形が変わっていくこともある。
昔は平らだった。
それが、いつの間にか丸くなった。
そして今では、立派な存在感を放っている。
もはや、長年育ててきた相棒ではないか。
そう考えると、ポンポン叩くのも理解できる気がする。
犬の頭をなでるように。
猫の背中を優しく叩くように。
自分のお腹にも、愛情を注いでいるのかもしれない。
「今日もよろしくな」
ポン、ポン。
「明日も頼むぞ」
ポン、ポン。
もちろん、腹が返事をすることはない。
しかし、もし返事をしたら、それはそれで怖い。
ポン。
「こちらこそ」
そんな腹があったら、僕はすぐに更衣室を出る。
⑦ 音を楽しんでいる説
これは、あのおじさんを見た僕としては外せない。
単純に、音が楽しいのではないだろうか。
人は、何かを叩いて音を出すのが好きな生き物なのかもしれない。
机を指で叩く。
膝でリズムを取る。
ペンをカチカチ鳴らす。
気づけば、何かしらの音を出している。
お腹も同じだ。
軽く叩けば、ポンという音がする。
叩く場所や力加減によって、多少は音も変わる。
それを楽しんでいる可能性がある。
考えてみれば、楽器というものも、何かを叩いたり、弾いたり、吹いたりして音を出すものだ。
ならば、腹を叩いて音を出すことだって、立派な音遊びではないか。
しかも、腹太鼓には大きな利点がある。
楽器を買わなくていい。
練習場所もいらない。
楽器ケースもいらない。
電車で持ち運ぶ苦労もない。
いつでも、どこでも演奏できる。
ただし、公共の場所で延々と叩いていたら、周囲の人は困惑するだろう。
実際、僕は困惑した。
そして、なぜか参加した。
もしかすると、あのおじさんは単に音を楽しんでいただけなのかもしれない。
そこへ、見知らぬ口笛奏者が突然現れた。
おじさんからすれば、僕の方がよほど意味不明だった可能性がある。
⑧ 自分の存在を確認している説
少し哲学的な話になる。
人は、自分の体に触れることで、そこに自分の体があることを感じる。
手を握る。
腕をさする。
頬に触れる。
腹を叩くのも、そうした身体感覚を確かめる行動の一つなのかもしれない。
ポン。
感触が返ってくる。
ポン。
確かに、そこに腹がある。
「俺は、ここにいる」
そんなことを、無意識に確かめているのだろうか。
いや、さすがに考えすぎかもしれない。
更衣室で着替えているだけのおじさんに、突然、存在論を背負わせてしまった。
本人は何も考えていない可能性が高い。
それなのに、僕は腹太鼓から人生の意味を探そうとしている。
もし本人に聞いたら、どう答えるだろう。
「なんで腹を叩いているんですか?」
「え? なんとなく」
たぶん、これで終わる。
僕がここまで考えた時間は、何だったのだろう。
しかし、人間の何気ない動作に、本人も意識していない意味があることは不思議ではない。
腹を叩くことも、そんな行動の一つなのかもしれない。
⑨ ご機嫌だから説
最後は、これだ。
単純に、機嫌がいいのではないだろうか。
人は機嫌がいいと、鼻歌を歌うことがある。
歩く足取りが軽くなる。
指で机をトントン叩く。
何となく、リズムを刻みたくなる。
では、おじさんはどうだろう。
腹を叩くのだ。
何かいいことがあったのかもしれない。
仕事が早く終わったのか。
給料が入ったのか。
好きな人から連絡が来たのか。
晩ご飯が大好物のカレーなのか。
理由はわからない。
ただ、気分がいい。
その喜びが、腹を通して外にあふれ出しているのではないだろうか。
そう考えると、あの更衣室での出来事も違って見えてくる。
僕は、突然始まった謎の演奏会だと思っていた。
しかし、おじさんは単にご機嫌だっただけなのかもしれない。
嬉しい気持ちが、自然と腹太鼓になっていた。
つまり、あのポンポンは幸福のサインだったのだ。
そして僕は、勝手に口笛で参加していた。
他人の幸せに、勝手に伴奏をつけていたのである。
なんだか、少しいい話に思えてきた。
ただし、本人が本当にご機嫌だったかどうかはわからない。
無表情だったし。
もしかすると、猛烈に機嫌が悪かった可能性だってある。
ストレスがたまっていても叩く。
幸せでも叩く。
そうなると、ますますわからない。
おじさんの腹は、いったい何を伝えようとしているのだろうか。
実際に、僕も自分の腹を叩いてみた
ここまで9つの説を考えてみた。
しかし、どれも推測にすぎない。
あのおじさんに直接聞いたわけではない。
本当の理由は、本人にしかわからない。
それならば、方法は一つだ。
自分でもやってみよう。
僕は、自分のお腹に手を当てた。
そして、軽く叩いてみた。
ポン、ポン。
もう一度。
ポン、ポン、ポポン。
……あれ?
意外と楽しい。
何だ、これは。
特に何かを考えているわけではない。
誰かに見せたいわけでもない。
ただ、自分の腹を叩いているだけだ。
しかし、何となく楽しい。
もう一度。
ポン、ポン、ポポン。
今度は少しリズムを変えてみる。
ポポン、ポン、ポン。
悪くない。
気づけば、僕まで腹太鼓を楽しんでいた。
そして、あることに気づいた。
これ、鼻歌を歌うのと似ている。
鼻歌を歌うとき、僕たちはいちいち理由なんて考えない。
歌唱力を披露したいわけでもない。
誰かに聴いてほしいわけでもない。
何かのメッセージを伝えたいわけでもない。
ただ、なんとなく歌いたくなる。
気分がよかったり、頭の中に曲が流れていたり。
気づけば、口からメロディーが出ている。
お腹を叩くのも、同じなのかもしれない。
鼻歌が口から出る音楽なら、腹太鼓はお腹から出る音楽なのだ。
そう考えると、あのおじさんの行動も、少し理解できる気がした。
別に、何かを確認していたわけではない。
お腹の成長を測定していたわけでもない。
僕にリズム感を見せつけていたわけでもない。
ただ、なんとなく叩いていた。
そして、それがちょっと楽しかった。
本当に、それだけなのかもしれない。
人の何気ない行動に、理由なんてないのかもしれない
僕たちは、他人の行動を見ると、つい理由を考えてしまう。
なぜ、あの人はあんなことをするのだろう。
何を考えているのだろう。
何か意味があるのだろうか。
しかし、本人にとっては、特に意味のない行動だったりする。
何となくやっている。
それだけだ。
今回の腹太鼓も、きっとそうなのだろう。
もちろん、9つの説のどれかが当てはまっている可能性もある。
弾力が気持ちよかったのかもしれない。
ご機嫌だったのかもしれない。
単なる癖だったのかもしれない。
ただ、一つわかったことがある。
実際にやってみると、意外と楽しい。
これだけは、僕自身が確かめた事実だ。
人の行動を外から見ていると、不思議に思うことがある。
しかし、自分で同じことをしてみると、案外あっさり理解できる。
それどころか、自分まで楽しんでしまう。
あのおじさんを見たとき、僕は思った。
「何をしているんだ、この人は」
しかし、今なら少し違う。
「なるほど。そういうことか」
いや、正確には、何もわかっていない。
それでも、あのポンポンの楽しさだけは、少し理解できた気がする。
そして、ここで重大なことに気づいた。
僕は、腹を叩くおじさんを不思議がっていた。
しかし、よく考えてほしい。
更衣室で突然口笛を吹き始めた僕は、どうなのだろうか。
おじさんは、自分の腹を叩いていただけだ。
誰にも迷惑をかけようとしていない。
誰かに演奏を依頼したわけでもない。
ただ、静かに腹を叩いていた。
そこへ、僕が勝手に口笛を乗せた。
そして、新しく入ってきた男性にまで、歌か手拍子かダンスを期待していた。
どう考えても、僕の方がおかしい。
あの男性が呆然と立ち尽くしていた理由も、今ならわかる。
彼は、腹を叩くおじさんに驚いたのではないかもしれない。
腹を叩くおじさんに合わせて、楽しそうに口笛を吹く男に驚いていたのではないだろうか。
だとしたら、申し訳ないことをした。
ただ着替えに来ただけなのに、突然、謎の二人組バンドを見せられたのだから。
しかも、入場料は無料だった。
いや、無料でも見たくないものはある。
それでも、僕は思う。
あのおじさんのおかげで、何でもない更衣室の時間が、少しだけ楽しいものになった。
そして、普段なら気にも留めないような行動について、こうして考えるきっかけにもなった。
人間とは不思議なものだ。
腹を叩くだけで、誰かの好奇心を刺激することがある。
さらには、口笛まで引き出してしまう。
あのおじさんは、きっと知らないだろう。
自分の腹太鼓が、こんなにも僕の心に残っていることを。
いつか僕も、ぽっこりお腹のおじさんになる日が来るかもしれない。
そのときは、きっと自分の腹を叩いてみよう。
ポン、ポン。
ポポン、ポン。
そして、誰かが口笛を乗せてくれたら嬉しい。
もっとも、その人が本当に現れたら、僕はきっと思うだろう。
「突然どうした!? 彼に何があったのだ!?」
おしまい。
