「ああ、忙しい」
また始まった。
職場に、忙しいが口癖の人がいる。
朝から忙しい。
昼も忙しい。
夕方になっても忙しい。
一体、いつ暇になるのだろう。
いや、別に暇になってほしいわけではない。仕事があるのなら、しっかり働いてもらいたい。
ただ、ひとつだけお願いがある。
少し黙って仕事をしてくれないだろうか。
「ああ、今日も忙しいわ」
そうですか。
「もう、やることいっぱいあるわ」
大変ですね。
「全然時間が足りひん」
それは困りましたね。
僕は心の中で返事をする。
しかし、実際には何も言わない。
なぜなら、何を返せばいいのかわからないからだ。
忙しい。
忙しい。
忙しい。
何度も聞いているうちに、もはや仕事の報告なのか、独り言なのか、それとも僕に何かを訴えているのか、わからなくなってくる。
そもそも、忙しいという言葉は便利すぎる。
仕事が終わらないときにも使える。
疲れているときにも使える。
何かを頼まれたくないときにも使える。
そして、なぜか自分が頑張っていることをアピールするときにも使える。
実に万能である。
しかし、聞かされる側からすれば、たまったものではない。
僕だって仕事をしている。
何もせず、椅子に座っているわけではない。
それなのに、隣で何度も忙しいと言われると、まるで自分だけが暇人であるかのような気分になってくる。
いや、僕も働いているのだが。
そんなことを考えていると、また聞こえてきた。
「ああ、忙しい」
知ってる。
もう十分知ってる。
あなたが忙しいという情報は、すでに僕の頭の中に保存されている。
更新しなくて結構です。
今回は、そんな「忙しい」が口癖の人について考えてみたい。
なぜ何度も忙しいと言うのか。
なぜ聞いている側はイライラするのか。
そして、本当に仕事ができる人は、忙しいという言葉を使わないのだろうか。
なぜ「忙しい」が口癖になるのか
そもそも、なぜ人は忙しいと口にするのだろう。
もちろん、本当に忙しいからという理由はある。
仕事量が多い。
人手が足りない。
締め切りが迫っている。
そんな状況で、思わず「ああ、忙しい」と口にしてしまうことは、誰にでもあるだろう。
僕だって、忙しいと感じることはある。
しかし、今回考えたいのは、たまに忙しいと言う人ではない。
いつも忙しいと言っている人だ。
朝から晩まで忙しい。
昨日も忙しい。
今日も忙しい。
おそらく明日も忙しい。
もはや、天気予報より安定している。
晴れの日もある。
雨の日もある。
しかし、その人だけは毎日忙しい。
一体、なぜなのだろう。
考えられる心理のひとつが、承認欲求である。
人は、自分の努力を誰かに認めてもらいたいと感じることがある。
頑張っている。
苦労している。
こんなにたくさん仕事を抱えている。
そんな自分を、周囲に知ってほしいのかもしれない。
「ああ、忙しい」
この一言には、「私はこんなに頑張っているんですよ」という意味が隠れている可能性がある。
もちろん、本人が意識的にアピールしているとは限らない。
無意識のうちに、自分の頑張りを言葉にしていることもあるだろう。
しかし、聞いている側からすると、少し困る。
忙しいと言われたら、褒めなければならないのだろうか。
「すごいですね」
「頑張っていますね」
「あなたがいないと職場が回りませんね」
そこまで言えば満足してもらえるのだろうか。
いや、最後の一言はさすがに言いすぎだ。
僕は、そこまで思っていない。
むしろ、忙しいと言っている時間に仕事を進めれば、少しは余裕ができるのではないかと思っている。
もちろん、それだけで解決するほど仕事は単純ではない。
それでも、何度も同じ言葉を聞かされると、そんな疑問が浮かんでしまうのだ。
忙しい自分に価値を感じている人
もうひとつ考えられるのが、自己重要感である。
自分は必要とされている。
自分にはたくさん仕事がある。
自分がいなければ困る人がいる。
そう感じることで、自分の存在価値を確認しているのかもしれない。
確かに、仕事を任されることは悪いことではない。
信頼されている証拠でもある。
しかし、仕事が多いことと、その人が優秀であることは、必ずしも同じではない。
例えば、同じ仕事を一時間で終わらせる人と、三時間かかる人がいたとする。
三時間かかった人の方が、長い時間働いている。
しかし、だからといって、その人の方が仕事ができるとは限らない。
むしろ、同じ品質で仕事を終わらせたのであれば、一時間で終わらせた人の方が効率的だ。
それなのに、忙しさばかりを評価してしまうと、おかしなことになる。
一時間で仕事を終わらせた人は、暇そうに見える。
三時間かけて仕事をしている人は、頑張っているように見える。
そして、三時間かけている人が言う。
「ああ、忙しい」
なるほど。
確かに忙しそうだ。
しかし、その忙しさは一体どこから生まれているのだろう。
仕事量が多いのか。
仕事の進め方に問題があるのか。
それとも、ほかの事情があるのか。
そこを見なければ、本当のことはわからない。
忙しいという言葉だけでは、仕事の能力は判断できないのだ。
仕事を頼まれたくないから忙しいと言う?
忙しいという言葉には、自己防衛の意味が含まれることもある。
例えば、誰かに仕事を頼まれそうになったとき。
「ああ、忙しい」
先にそう言っておけば、相手は頼みにくくなる。
「今、大丈夫ですか?」
「ああ、もう忙しくて」
そう言われれば、普通は遠慮するだろう。
つまり、忙しいという言葉が、仕事を断るための予防線になっている可能性がある。
これは、必ずしも悪いことではない。
実際に仕事を抱えすぎているのであれば、これ以上引き受けられないと伝えることは大切だ。
問題は、伝え方である。
「忙しい」
これだけでは、何がどれほど忙しいのかわからない。
今すぐ対応できないのか。
今日中なら対応できるのか。
そもそも引き受けられないのか。
聞いている側は判断できない。
それなら、
「今はこの作業をしているので、三十分後なら対応できます」
「今日は予定が詰まっているので、明日でもよければできます」
そう言ってもらえた方が、ずっとわかりやすい。
忙しいという言葉は、自分の状態を表しているだけだ。
しかし、仕事では、その状態を相手にどう伝えるかが重要になる。
ただ忙しいと繰り返すだけでは、周囲は困ってしまう。
もしかすると、忙しいという言葉そのものが、便利な盾になっている人もいるのかもしれない。
何かを頼まれそうになったら、忙しい。
面倒な仕事が来そうになったら、忙しい。
都合の悪い話になったら、忙しい。
実に便利だ。
僕も使ってみようか。
「ああ、忙しい」
……。
いや、やめておこう。
自分が嫌いなものに、自分までなりたくはない。
忙しいと言うことでストレスを発散している
一方で、忙しいという言葉が、単なるストレス発散になっている場合もある。
人は、疲れたときに「疲れた」と言う。
暑いときには「暑い」と言う。
寒いときには「寒い」と言う。
別に誰かに何かを求めているわけではない。
ただ、今の気持ちを口に出しているだけだ。
忙しいという言葉も、それと同じなのかもしれない。
仕事に追われている。
頭の中がいっぱいになっている。
何から手をつければいいのかわからない。
そんなとき、思わず「ああ、忙しい」と言ってしまう。
言葉にすることで、自分の状態を整理したり、気持ちを落ち着かせたりしている可能性もある。
そう考えると、少し理解できる。
本人にとっては、深い意味のない独り言なのかもしれない。
しかし、問題がある。
聞こえるのだ。
独り言であっても、周囲には聞こえている。
「ああ、忙しい」
「ああ、忙しい」
「ああ、忙しい」
何度も聞かされれば、こちらも気になってしまう。
僕だって、疲れたと口にすることはある。
しかし、隣で一日中「疲れた、疲れた」と言われたら、どうだろう。
こちらまで疲れてしまいそうだ。
言葉には、周囲の気分に影響を与える力がある。
本人に悪気がなくても、同じ言葉を何度も聞かされることが負担になる場合はあるのだ。
なぜ忙しいアピールはうざいのか
ここで、聞かされる側の心理について考えてみたい。
なぜ僕は、忙しいという言葉を何度も聞くとイライラするのだろう。
まず考えられるのは、反応を求められているように感じることだ。
「ああ、忙しい」
そう言われたら、何か返事をした方がいいのだろうか。
「大変ですね」
「頑張ってください」
「無理しないでくださいね」
最初の一回なら、普通に返せる。
しかし、これが何度も続くとどうだろう。
毎回、同じように返事をしなければならないのか。
僕は、忙しいという報告を受け取るために出勤しているわけではない。
仕事をしに来ているのだ。
しかも、忙しいと言う人が、本当にこちらの反応を求めているのかもわからない。
独り言なのか。
相談なのか。
愚痴なのか。
助けてほしいのか。
全部曖昧である。
それなのに、聞いている側は何となく気を遣ってしまう。
これが面倒くさい。
もうひとつは、不公平感だ。
自分も仕事をしている。
自分にもやることがある。
それなのに、相手だけが忙しいと繰り返している。
すると、まるで自分の仕事は大したことがないと言われているように感じる場合がある。
もちろん、相手はそんなつもりではないかもしれない。
しかし、忙しさを何度も強調されると、無言の比較をされているような気分になる。
「私はこんなに忙しいんです」
では、僕は?
僕は暇なのか?
そんなことはない。
僕だって働いている。
ただ、わざわざ口に出していないだけだ。
仕事をしていることを、いちいち宣言する必要があるのだろうか。
「ああ、仕事してる」
「今日も仕事してる」
「今、ものすごく仕事してる」
そんな人がいたら、少し怖い。
しかし、忙しいという言葉を繰り返す人は、それに近いことをしているようにも感じられる。
そして、もうひとつ。
何度も忙しいと言われると、こちらが何かを頼みにくくなる。
本来なら相談したいことがあっても、相手が忙しいと言い続けていれば、声をかけることをためらってしまう。
つまり、本人が意図していなくても、周囲とのコミュニケーションに影響が出ることがあるのだ。
忙しい人ほど仕事ができないのか
では、忙しいが口癖の人は、仕事ができないのだろうか。
僕は、そう感じてしまうことがある。
なぜなら、仕事ができる人ほど、落ち着いて仕事を進めているように見えるからだ。
やるべきことを整理する。
優先順位を決める。
必要な時間を考える。
無駄な作業を減らす。
そうした工夫ができる人は、仕事量が多くても、比較的落ち着いて対応している印象がある。
一方で、何から手をつければいいのかわからず、目の前の仕事に追われ続けている人は、常に忙しそうに見える。
「あれもしないと」
「これもしないと」
「ああ、忙しい」
そして、忙しいと言っているうちに、さらに時間が過ぎていく。
ただし、ここは勘違いしてはいけない。
忙しいと言う人が、必ずしも仕事ができないわけではない。
本当に仕事量が多すぎる場合もある。
人手不足の職場では、一人に過剰な負担が集中することもある。
また、仕事ができる人ほど、周囲から次々と仕事を任される場合もあるだろう。
その結果、優秀な人が忙しくなってしまうこともある。
つまり、忙しさだけでは能力は判断できない。
大切なのは、なぜ忙しいのかということだ。
仕事量が多いから忙しいのか。
仕事の進め方に問題があるから忙しいのか。
周囲から仕事を押し付けられているから忙しいのか。
それとも、自分で仕事を増やしているのか。
原因によって、必要な対策はまったく違う。
ただ、ひとつ言えることがある。
忙しいと繰り返すだけでは、仕事は減らない。
「ああ、忙しい」
その言葉を百回唱えても、書類が完成するわけではない。
仕事が片付くわけでもない。
もし忙しさに困っているのであれば、具体的に何が問題なのかを考える必要がある。
忙しいという言葉は、問題の説明にはなっても、解決策にはならないのだ。
なぜ日本では忙しいことが偉いのか
そもそも、なぜ僕たちは忙しい人を見ると、頑張っていると感じるのだろう。
仕事が多い。
残業している。
休む暇もない。
そんな人を見ると、何となく立派に見えることがある。
一方で、仕事を早く終わらせて余裕がある人を見ると、暇そうだと思ってしまう。
しかし、これはおかしな話ではないだろうか。
例えば、同じ仕事を二人に任せたとする。
一人は三時間で終わらせた。
もう一人は六時間かかった。
仕事の品質が同じであれば、三時間で終わらせた人の方が効率的だ。
ところが、六時間かかった人の方が、長く働いているように見える。
しかも、その人が言う。
「ああ、忙しかった」
なるほど。
大変だったのですね。
一方、三時間で終わらせた人は、特に何も言わない。
すると、周囲はどう思うだろう。
「あの人、余裕がありそうだな」
「まだ仕事を任せられそうだな」
そして、さらに仕事が増える。
なんということだ。
仕事を早く終わらせた人が、仕事を追加される。
仕事に時間がかかる人は、忙しそうに見える。
これでは、効率よく働くことが損になってしまう。
もちろん、すべての職場がそうではない。
成果や効率を正当に評価している職場もあるだろう。
しかし、長時間働いていることや、忙しそうにしていることが評価につながる場面は、今でもあるのではないだろうか。
僕は、仕事とは忙しさを競うものではないと思う。
大切なのは、何をどれだけ達成したかだ。
どれほど忙しかったかではなく、どんな成果を出したのか。
そこを見なければ、本当の評価はできない。
忙しいことが偉いのであれば、仕事を終わらせない人が一番偉くなってしまう。
そんなわけがない。
忙しいが口癖の人への対処法
では、忙しいが口癖の人には、どう対応すればいいのだろう。
まず大切なのは、毎回大げさに反応しないことだ。
「ああ、忙しい」
「そうなんですね」
それくらいで十分な場合もある。
相手がただ独り言を言っているだけなら、無理に会話を広げる必要はない。
毎回「大変ですね」と同情していたら、こちらが疲れてしまう。
次に、具体的な相談があるのかを確認する方法もある。
「何か手伝ってほしいことがあるんですか?」
そう聞けば、相手が何を求めているのかわかりやすくなる。
本当に困っているのであれば、必要な支援について話せるだろう。
ただの独り言であれば、それ以上深く関わる必要はない。
また、相手の忙しさを自分の責任にしないことも大切だ。
誰かが忙しいからといって、必ずしも自分がその仕事を引き受けなければならないわけではない。
もちろん、協力が必要な場面はある。
しかし、毎回同じ人が仕事を引き受けていれば、負担が偏ってしまう。
自分の仕事量や優先順位を考えたうえで、できることとできないことを伝える必要がある。
そして、本当に仕事量が多すぎる場合は、個人の努力だけで解決しようとしないことだ。
人員配置や業務の分担に問題があるなら、職場全体で見直す必要がある。
忙しいという言葉の裏には、本人の心理だけでなく、職場の仕組みの問題が隠れていることもある。
ただし、何度も忙しいと言われることが不快だからといって、相手を頭ごなしに否定するのは避けたい。
本人には本人の事情があるかもしれない。
こちらが知らない仕事を抱えている可能性もある。
大切なのは、忙しいという言葉そのものに振り回されず、具体的な行動や状況を見ることだと思う。
忙しくなくなったら、この人はどうなるのだろう
ここまで考えてきて、ひとつ気になることがある。
忙しいが口癖の人は、もし忙しくなくなったら、どうなるのだろう。
仕事が全部終わった。
やることがない。
誰からも仕事を頼まれない。
そんな状況になったとき、安心するのだろうか。
それとも、不安になるのだろうか。
もし、忙しい自分に価値を感じているのであれば、暇になることが怖いのかもしれない。
誰からも必要とされていないように感じる。
自分だけ仕事をしていないように思える。
そんな不安を埋めるために、忙しいという言葉を繰り返している可能性もある。
もちろん、すべての人がそうではない。
本当に忙しくて、思わず口にしているだけの人もいるだろう。
しかし、忙しさが自分の価値を証明するものになってしまうと、少し苦しい。
仕事がないと不安になる。
暇になると落ち着かない。
休んでいると罪悪感を覚える。
そんな状態では、いつまでたっても心が休まらない。
本来、仕事が早く終わることはいいことのはずだ。
余裕ができることも、悪いことではない。
それなのに、忙しくしていなければ自分に価値がないと思ってしまう。
もしそうだとしたら、少し寂しいことだと思う。
僕は、暇であることを恥ずかしいとは思わない。
むしろ、やるべき仕事を終わらせて、自由な時間ができるのであれば、それは素晴らしいことではないだろうか。
仕事のために生きているわけではない。
生きるために仕事をしているのだ。
もちろん、仕事にやりがいを感じる人もいる。
働くことが好きな人もいる。
それはそれでいい。
しかし、忙しいことだけが、自分の価値を決めるわけではない。
仕事が終わったら、帰ればいい。
休めるときには、休めばいい。
何もすることがない時間があっても、別にいいではないか。
忙しくない自分を、もっと認めてもいいと思う。
今日も元気に忙しいらしい
さて。
そんなことを考えていると、また聞こえてきた。
「ああ、忙しい」
おお。
今日も忙しいらしい。
昨日も忙しかった。
一昨日も忙しかった。
おそらく、明日も忙しいのだろう。
もはや、忙しいという言葉が、その人の挨拶になっている。
おはようございます。
忙しいです。
お疲れ様です。
忙しかったです。
実にわかりやすい。
しかし、僕は思う。
忙しいと言わなくても、忙しいことは伝わる場合がある。
一生懸命に仕事をしている人。
黙々と作業を進めている人。
周囲の状況を見ながら、必要なことをこなしている人。
そんな人を見れば、わざわざ忙しいと言われなくても、頑張っていることはわかる。
逆に、忙しいと何度も言われても、実際に何をしているのかわからなければ、その忙しさを評価することはできない。
忙しいという言葉は、仕事の成果ではない。
忙しそうに見えることと、仕事ができることも違う。
もちろん、本当に忙しいときには、遠慮せず伝えればいいと思う。
仕事量が多すぎるのであれば、助けを求めるべきだ。
無理をしてまで黙って働く必要はない。
ただ、忙しいと繰り返すだけでは、周囲もどうすればいいのかわからない。
何が忙しいのか。
何に困っているのか。
どうしてほしいのか。
そこまで伝えてくれれば、話はずっとわかりやすくなる。
そんなことを考えながら、僕は仕事を続ける。
すると、また聞こえてきた。
「ああ、忙しい」
……。
なるほど。
忙しいのですね。
よくわかりました。
しかし、僕はひとつだけ気になっている。
あなたは今日、何回忙しいと言ったのだろう。
十回か。
二十回か。
それとも、もっと多いのか。
もし、その回数を数えていたら、僕まで忙しくなってしまいそうだ。
だから、もう数えるのはやめよう。
僕は僕の仕事をする。
あなたはあなたの仕事をしてほしい。
そして、できれば、少し静かにしていただきたい。
「ああ、忙しい」
……。
忙しいのはわかったから、仕事してくれ。
