僕はジャズが大好きだ。
あの独特なリズム。複雑に重なり合う音。予想もしない方向へ展開していくメロディー。
聴いているだけで楽しくなる。
ところが、ある日、友人にジャズを聴かせたときのことだ。
「なんだこれ。ただただ退屈だ」
衝撃だった。
退屈?
今、退屈と言ったのか?
僕は耳を疑った。
この音楽が退屈だと?
僕にとっては、これほど刺激的な音楽もない。次に何が起こるかわからない。どんな音が飛び出してくるかわからない。その予測不能な展開こそがたまらないのだ。
ところが友人は、まるで興味を示さない。
僕が興奮している横で、友人は退屈している。
同じ音楽を聴いているはずなのに、一体どういうことなのだろう。
ちなみに、僕が聴かせたのはマーカス・ミラーだ。
ジャズやフュージョンの世界で活躍する、世界的なベーシストである。
彼の演奏は実に刺激的だ。鋭いスラップベース。うねるような低音。ファンキーなリズム。
僕はベースの音を聴いているだけでも楽しい。
それなのに、退屈。
なんということだ。
もちろん、音楽の好みは人それぞれだ。友人の感想を否定するつもりはない。
しかし、僕にはひとつの疑問が生まれた。
もしかすると、ジャズの魅力は、ジャズを聴かない人には伝わりにくいものなのだろうか。
そもそも、ジャズの何がおもしろいのか。
今回は、ジャズを愛する一人の人間として、その魅力について考えてみたい。
ジャズ好きは、一体どこにいるのか
そういえば、僕はこれまでの人生で、ジャズが好きだという人にあまり出会ったことがない。
「俺、ロック好きやねん」
いる。
「ヒップホップが好き」
いる。
「最近、K-POPにハマってる」
いるいる。
では、ジャズはどうだろう。
「俺、ジャズ好きやねん」
……。
あまり聞いた記憶がない。
もちろん、世の中にはジャズ好きがたくさんいるはずだ。
ジャズ喫茶もあれば、ジャズバーもある。世界中でライブが開催され、今も多くのミュージシャンが演奏している。
それなのに、僕の周囲にはほとんどいない。
一体どこにいるのだろう。
もしかすると、ジャズ好きは自分がジャズ好きであることを隠しているのかもしれない。
隠れジャズ好き。
なんだそれは。
かくれんぼでもしているのか。
僕が鬼なのか。
もういいかい。
まーだだよ。
いつまで隠れているつもりだ。
そろそろ出てきてくれ。
一緒にジャズの話をしようではないか。
とはいえ、僕自身も普段からジャズ好きを公言しているわけではない。
誰かに好きな音楽を聞かれたら答えるが、突然「ジャズって最高ですよね」と話しかけることはない。
そんなことをすれば、ただの不審者である。
もしかすると、みんな同じなのかもしれない。
ジャズが好きでも、わざわざ口にする機会がない。
あるいは、ジャズが好きだと言ったところで、話が広がらないと思っているのかもしれない。
実際、僕も友人に聴かせてみた結果が「退屈」だった。
なるほど。
隠れたくなる気持ちも、少しわかる。
しかし、僕は声を大にして言いたい。
ジャズはおもしろい。
本当におもしろいのだ。
ジャズは全部同じに聞こえる?
ジャズに興味がない人からすると、どの曲も似たように聞こえることがあるらしい。
なんとなくピアノが鳴っている。
サックスが吹いている。
ドラムがシャカシャカしている。
ベースがボンボン鳴っている。
おしゃれなカフェで流れていそうな音楽。
そんな印象だろうか。
確かに、ジャズには独特の雰囲気がある。
しかし、ジャズと一口に言っても、その種類は実に幅広い。
軽快で踊りたくなるようなスウィングジャズもあれば、目まぐるしく音が飛び交うビバップもある。
静かで落ち着いた演奏もあれば、激しく情熱的な演奏もある。
ファンクやロックの要素を取り入れたフュージョンもある。
僕が友人に聴かせたマーカス・ミラーも、そうしたジャンルと深く関わっている。
つまり、ジャズが全部同じに聞こえるというのは、実際にはかなり幅広い音楽をひとまとめにしていることになる。
とはいえ、僕もその感覚がまったくわからないわけではない。
知らないジャンルの音楽を聴いたとき、曲の違いがよくわからないことはある。
聴き慣れていない音楽は、どこに注目すればいいのかわからない。
何が特徴なのか。
何がおもしろいのか。
そもそも、どこがサビなのか。
そう考えると、ジャズが退屈に聞こえる理由も少し見えてくる。
僕たちは普段、音楽を聴くときにメロディーや歌詞を楽しむことが多い。
印象的なサビがあり、何度も聴くうちに覚えてしまう。
好きな歌詞に共感したり、好きなメロディーを口ずさんだりする。
しかし、ジャズには歌詞のない曲が多い。
わかりやすいサビが存在しない演奏もある。
そして、曲の途中で突然、長いアドリブ演奏が始まる。
ジャズに馴染みのない人からすると、何が起こっているのかわからないのかもしれない。
しかし、僕にとっては、そこからが本番なのだ。
アドリブ演奏という、最高におもしろい世界
僕がジャズを好きな理由のひとつが、アドリブ演奏だ。
即興演奏とも呼ばれる。
簡単に言えば、その場で音楽を作り上げていく演奏方法である。
もちろん、何も決まっていないわけではない。
曲のメロディーやコード進行、リズムなど、ある程度の土台が存在することが多い。
しかし、その土台の上で何を演奏するのかは、演奏者に委ねられる。
例えば、ピアノがメロディーを弾き終えたとする。
すると、そこからピアニストのアドリブが始まる。
もともとのメロディーとは違う音が次々と飛び出してくる。
速いフレーズを弾くこともあれば、ゆっくりと音を置くこともある。
突然、音数が減ることもある。
そして、思いもよらない音の組み合わせが生まれる。
これが実におもしろい。
次にどんな音が鳴るのか、誰にもわからない。
演奏している本人でさえ、その場で生まれたアイデアによって演奏を変えることがある。
もちろん、完全に何も考えずに弾いているわけではない。
積み重ねてきた練習や音楽的な知識、経験がある。
だからこそ、自由に演奏できる。
僕はここに、ジャズの大きな魅力があると思っている。
例えば、同じ曲を二人のピアニストが演奏したとしよう。
曲名は同じ。
メロディーも同じ。
コード進行も同じ。
それなのに、まったく違う音楽になることがある。
一人は軽快に演奏する。
もう一人は、ゆっくりと情感豊かに演奏する。
アドリブの内容も違う。
音の選び方も違う。
間の取り方も違う。
同じ曲なのに、別の表情を見せるのだ。
さらにおもしろいのは、同じ演奏者でも、毎回同じ演奏になるとは限らないことだ。
昨日の演奏と今日の演奏が違う。
昼の演奏と夜の演奏が違う。
一緒に演奏するメンバーが変われば、さらに変わる。
その瞬間にしか生まれない音楽。
僕は、これほど贅沢なことはないと思う。
ジャズは、演奏者同士が会話をしている
ジャズを聴くとき、僕が楽しみにしていることがもうひとつある。
演奏者同士の掛け合いだ。
ジャズでは、楽器同士がまるで会話をしているように感じることがある。
ピアノがあるフレーズを弾く。
すると、ドラムがそれに反応する。
ベースがリズムを変える。
それを受けて、ピアノがさらに違うフレーズを弾く。
まるで会話だ。
「こんなのはどう?」
「おもしろいね。じゃあ、これは?」
「おお、そう来たか」
そんなやり取りが、音楽の中で行われているように聞こえる。
もちろん、実際にそんな言葉を交わしているわけではない。
しかし、演奏者たちは互いの音を聴き、反応しながら音楽を作っている。
これを意識して聴くと、ジャズの印象は大きく変わると思う。
単にピアノのメロディーを追いかけるのではなく、ドラムが何をしているのかにも耳を傾けてみる。
ベースがどんなリズムを刻んでいるのかを聴いてみる。
すると、それまで背景に聞こえていた音が、突然おもしろくなってくる。
僕は高校時代、軽音楽部でベースを弾いていた。
だからなのか、音楽を聴くときには自然とベースに耳が向くことがある。
マーカス・ミラーの演奏も、僕にとってはベースそのものが大きな魅力だ。
ベースは単に低音で伴奏するだけの楽器ではない。
リズムを支えながら、メロディーを奏でることもできる。
ときには主役にもなる。
低音がうねり、ほかの楽器と絡み合う。
その動きを追いかけるだけでも、僕は十分に楽しめる。
ところが友人には退屈だった。
なんということだ。
僕がベースの一音一音に興奮している間、友人は一体何を考えていたのだろう。
晩ご飯のことだろうか。
明日の予定だろうか。
それとも、早く曲が終わらないかな、だろうか。
悲しい。
実に悲しい。
ジャズのコードは、なぜあんなに美しいのか
ジャズの魅力を語るうえで、コードの響きも外せない。
コードとは、簡単に言えば和音のことだ。
複数の音を同時に鳴らすことで生まれる響きである。
例えば、ピアノでド・ミ・ソを同時に弾く。
これは基本的な明るい響きの和音だ。
しかし、ジャズではそこに別の音を加えたり、音の重ね方を変えたりすることが多い。
セブンスやナインスと呼ばれる音を加えることもある。
すると、響きが変わる。
単純に明るいとも、暗いとも言い切れない。
少し切ないような。
少し不安定なような。
それでいて、妙に心地よい。
そんな響きが生まれる。
僕は、この複雑なコードの響きが大好きだ。
もちろん、こうした和音はジャズだけで使われるものではない。
ポップスやR&Bなど、さまざまな音楽にも登場する。
しかし、ジャズではそうした響きの変化を存分に楽しめる。
同じメロディーでも、下で鳴っているコードが変わるだけで、印象が大きく変わることがある。
明るかったメロディーが、急に切なく聞こえる。
落ち着いていた曲に、緊張感が生まれる。
そして、その緊張が次のコードで解き放たれる。
これがたまらない。
僕はジャズを聴いていると、音そのものに色があるように感じることがある。
もちろん、実際に色が見えるわけではない。
しかし、柔らかい響き、冷たい響き、温かい響き、どこか寂しい響き。
同じピアノから、さまざまな表情が生まれる。
ジャズはおしゃれな音楽だと言われることがある。
確かに、その印象もわかる。
しかし、僕にとっては単におしゃれなだけではない。
複雑な感情を、言葉を使わずに表現できる音楽なのだ。
嬉しい。
悲しい。
寂しい。
楽しい。
人間の感情は、そんな単純な言葉だけでは説明できない。
嬉しいけれど、少し寂しい。
悲しいけれど、どこか温かい。
そんな曖昧な感情に、ジャズのコードはよく似合う気がする。
スウィングのリズムは、なぜ心地よいのか
ジャズと聞いて、独特の跳ねるようなリズムを思い浮かべる人もいるだろう。
スウィングと呼ばれるリズムだ。
これも、ジャズの大きな魅力のひとつである。
例えば、同じ音を均等な長さで並べて演奏する場合と、独特の弾みをつけて演奏する場合では、印象が変わる。
スウィングには、思わず体を揺らしたくなるような心地よさがある。
ただし、単純に音を長く短く弾けば完成するわけではない。
テンポによっても変わるし、演奏者によっても変わる。
微妙なタイミング。
音の強弱。
アクセント。
そうした要素が重なり合って、独特のグルーヴが生まれる。
そして、僕が好きなのがウォーキングベースだ。
その名のとおり、歩いているように音を刻むベースの演奏方法である。
ボン、ボン、ボン、ボン。
一定の流れを保ちながら、音が進んでいく。
その上でピアノが自由に演奏し、ドラムがリズムを彩る。
実に心地よい。
何時間でも聴いていられる。
もっとも、ジャズがすべてスウィングしているわけではない。
まっすぐなリズムのジャズもあれば、ファンクやラテン音楽の要素を取り入れた演奏もある。
マーカス・ミラーの音楽にも、スウィングとは異なるファンキーなグルーヴが多く登場する。
つまり、ジャズのリズムはひとつではないのだ。
それぞれに違う楽しさがある。
そして、リズムのおもしろさは、必ずしも音楽理論を理解しなければ感じられないものではない。
気づけば足で拍子を取っている。
自然と首が動いている。
そんな感覚だけでも十分だと思う。
もっとも、友人は首すら動かしていなかった。
なかなか手強い。
30歳から、僕はジャズピアノを習い始めた
僕は30歳の頃、ジャズピアノを習い始めた。
週に一度、個人レッスンに通い、約2年間続けた。
大人になってからピアノを始めたのである。
なぜジャズピアノだったのか。
それは、僕がジャズという音楽に魅力を感じていたからだ。
聴くだけではなく、自分でも弾いてみたい。
そんな気持ちがあった。
しかし、実際に演奏するとなると、話は別である。
聴いているときには、あれほど自由で楽しそうに聞こえていた音楽。
ところが、いざ自分で弾こうとすると、簡単にはいかない。
右手と左手で違うことをする。
コードを押さえる。
リズムを意識する。
音の強弱をつける。
ピアノとは、こんなにも難しい楽器だったのか。
僕は高校時代にベースを弾いていたが、ピアノはまた別の難しさがある。
特に、ジャズ特有のコードの響きやリズムを表現することは、簡単ではない。
ただ音を間違えずに弾けばいいわけではないのだ。
同じ音符でも、弾き方によって印象が変わる。
音を置くタイミング。
力の入れ方。
余韻の残し方。
ほんの少しの違いで、音楽の表情が変わる。
そして、ジャズにはアドリブという世界がある。
楽譜に書かれた音を再現することと、その場で自分のフレーズを作ることは、まったく違う。
自由に弾いていい。
そう言われたところで、簡単に自由になれるわけではない。
むしろ、自由だからこそ難しい。
何を弾いてもいいと言われると、何を弾けばいいのかわからなくなる。
これは音楽に限った話ではないかもしれない。
何でも自由にしていいと言われると、人間は意外と困ってしまうものだ。
しかし、コードやリズムを学び、少しずつ音楽の仕組みを理解していくと、それまでとは違った聴こえ方がしてくる。
僕はレッスンで、ジェイコブ・コーラーさんがアレンジした『いとしのエリー』を暗譜したこともある。
ひとつの曲と向き合い、何度も繰り返し弾く。
そうした経験を通して、演奏することの難しさと楽しさを感じた。
そして、実際に楽器に触れることで、演奏者たちへの尊敬も深まった。
何気なく聴いていたフレーズ。
自然に流れているように聞こえたコード。
その一つひとつに、演奏者の技術や感性が詰まっている。
ジャズは自由な音楽だ。
しかし、その自由は決して簡単なものではない。
自由に演奏するために、途方もない努力を重ねている人たちがいる。
僕は、そのこともジャズの魅力だと思っている。
ジャズは、世界で一番自由な音楽だと思う
僕にとって、ジャズは世界で一番自由な音楽だ。
もちろん、これは僕の個人的な感想である。
ほかの音楽にも自由な表現はある。
ロックにも、クラシックにも、ヒップホップにも、それぞれの自由がある。
しかし、僕がジャズに感じる自由さは、少し特別だ。
同じ曲を演奏しても、同じ演奏になるとは限らない。
演奏者が変われば、音楽が変わる。
その日の気分によっても変わる。
共演者の音に刺激を受けて、思いがけない展開が生まれる。
そして、何よりおもしろいのが、決まりごとの中に自由が存在していることだ。
ジャズにはコード進行があり、リズムがあり、曲の構成がある。
何もかもが無秩序なわけではない。
一定のルールを共有しているからこそ、演奏者たちは自由に表現できる。
僕は、これが実におもしろいと思う。
自由とは、何も決まっていないことなのだろうか。
それとも、決まりごとの中で自分なりの表現を見つけることなのだろうか。
ジャズを聴いていると、そんなことまで考えてしまう。
例えば、同じ言葉を使っていても、人によって文章は違う。
同じ日本語なのに、書く人によってまったく違う世界が生まれる。
小説もそうだ。
使える文字は限られている。
文法もある。
それでも、書き手によって無数の物語が生まれる。
ジャズも、それに似ている気がする。
同じ音階。
同じコード。
同じ曲。
それでも、演奏者によって無数の表現が生まれる。
音楽の中に、その人自身が表れる。
僕は、そんなジャズが大好きなのだ。
ジャズを理解しようとしなくてもいい
ここまでジャズの魅力を語ってきたが、ひとつ伝えたいことがある。
ジャズは、難しく考えなくてもいい。
コードの名前を知らなくてもいい。
音楽理論を理解していなくてもいい。
スウィングの仕組みがわからなくてもいい。
アドリブ演奏がどこから始まったのかわからなくても、まったく問題ない。
ただ、聴けばいいのだ。
心地よいと思ったら、それでいい。
格好いいと思ったら、それでいい。
何となく好き。
そんな理由でも十分だと思う。
そもそも、音楽を好きになるのに資格など必要ない。
ジャズを聴くからといって、難しい顔をする必要もない。
腕を組んで、目を閉じて、うんうんとうなずく必要もない。
もちろん、そうやって楽しむ人がいてもいい。
しかし、僕はもっと気軽に聴いてほしいと思っている。
散歩しながらでもいい。
家事をしながらでもいい。
何も考えず、ぼんやり聴いていてもいい。
気になる音があれば、そこに耳を傾けてみる。
ピアノの響きが好きなら、ピアノを聴けばいい。
サックスの音色が好きなら、サックスを聴けばいい。
ベースが格好いいと思ったら、ベースを追いかければいい。
最初からすべてを理解する必要はない。
僕だって、ジャズのすべてを理解しているわけではない。
知らない曲も、知らない演奏者も、まだまだたくさんいる。
むしろ、知らないことがあるからこそおもしろい。
これからどんな音楽に出会えるのだろう。
どんな演奏に驚かされるのだろう。
そう考えるだけで、楽しくなる。
退屈な音楽と、自由な音楽
さて、友人の話に戻ろう。
僕が大好きなマーカス・ミラーを聴かせたところ、友人は「ただただ退屈だ」と言った。
あのときは衝撃だった。
しかし、今になって考えてみると、それも当然なのかもしれない。
僕が好きな音楽を、友人も好きになるとは限らない。
僕にとって心地よいコードの響きが、友人には何も感じられない音かもしれない。
僕が興奮するアドリブ演奏も、友人には長々と続く退屈な演奏に聞こえるのかもしれない。
それは仕方のないことだ。
音楽の好みは人それぞれなのだから。
ただ、少しもったいないとも思う。
ジャズの魅力を知らないまま、退屈な音楽だと決めつけてしまうのは、少し惜しい。
ジャズには、さまざまな表情がある。
静かな夜に似合う演奏もあれば、思わず踊りたくなるような演奏もある。
優しい音楽もあれば、激しい音楽もある。
一曲が気に入らなかったからといって、ジャズという音楽すべてが退屈だとは限らない。
だから、もしジャズを聴いて退屈だと感じたことがある人には、もう一度だけ違う曲を聴いてみてほしい。
ピアノでもいい。
サックスでもいい。
トランペットでもいい。
もちろん、ベースでもいい。
そして、少しだけ意識してみてほしい。
今、どの楽器が何をしているのか。
演奏者たちは、どんなやり取りをしているのか。
次にどんな音が飛び出してくるのか。
そうして聴いているうちに、今まで気づかなかったおもしろさが見つかるかもしれない。
もちろん、見つからないかもしれない。
それでもいい。
ジャズは自由な音楽なのだから、聴く側だって自由でいいはずだ。
好きになる自由もあれば、好きにならない自由もある。
僕は、そんなふうに思っている。
それにしても、ジャズ好きは一体どこにいるのだろう。
僕は今でも、現実世界でジャズ好きに出会う機会があまりない。
もしかすると、すぐ近くにいるのかもしれない。
電車で隣に座っている人。
職場ですれ違う人。
スーパーで買い物をしている人。
その中に、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスを愛する人がいるのかもしれない。
しかし、お互いに何も知らない。
隠れジャズ好き。
やはり、かくれんぼではないか。
もういいかい。
まーだだよ。
いや、もういいだろう。
そろそろ出てきてくれ。
僕はジャズが大好きだ。
コードの響きも、スウィングのリズムも、アドリブ演奏も、何もかもが好きだ。
次に何が起こるかわからない。
同じ曲でも、同じ演奏にはならない。
演奏者たちが互いの音を聴きながら、その瞬間だけの音楽を生み出していく。
僕にとってジャズは、世界で一番自由な音楽だ。
そして、その自由さがたまらなく好きなのだ。
友人には、ただただ退屈だったらしい。
しかし、僕には、ただただおもしろい。
同じ音楽を聴いているのに、こんなにも感じ方が違う。
考えてみれば、それもまた自由ではないか。
まあ、できれば少しくらいは気に入ってほしかったのだけれど。
