僕には妹がいる。
昔、僕たちは毎日のように争っていた。原因は風呂である。
どちらが先に入るのか。たったそれだけのことで、我が家では連日のように激しい戦いが繰り広げられていた。
僕は風呂が短い。おそらく10分から20分程度だろう。頭を洗う。体を洗う。顔を洗う。必要なことを済ませる。それで終わりだ。風呂とは、そういう場所ではないのだろうか。
ところが妹は違う。妹は長風呂だ。いや、長すぎる。
1時間は当たり前。調子のいいときには2時間ほど出てこない。
怖い。もはや恐怖である。
一体、何をしているのだ。
僕ならその間に何回風呂に入れるだろう。仮に20分としても6回である。6回も入れば、もはや体を洗っているのか削っているのかわからない。しかし妹は、たった1回だ。
僕は入浴の最速記録を目指しているわけではない。別に風呂を競技にしたいわけでもない。ただ、さっぱりしたいだけなのだ。
僕も風呂に入りたいのである。
2時間も風呂に入って、一体何をしているのか
妹が浴室に入る。
10分。20分。30分。
まだ出てこない。まあ、わかる。髪を洗ったり、湯船につかったりしているのだろう。
40分。50分。1時間。
……。
そろそろではないだろうか。しかし、出てこない。
1時間半。まだ出てこない。
2時間。
生きているのだろうか。
ここまでくると、イライラを通り越して心配になる。のぼせていないだろうか。倒れていないだろうか。いや、単にくつろいでいるだけなのかもしれない。だが、わからない。
確認しようにも、妹の入浴中なのだ。当然、のぞくわけにはいかない。浴室の中で何が起きているのか、僕には知るすべがない。
もしかすると、浴室の奥には僕の知らない扉があるのかもしれない。その扉の向こうには別の世界が広がっていて、妹はそこで何か重大な使命を果たしているのだ。
王国を救っているのかもしれない。伝説の剣を探しているのかもしれない。ならば仕方がない。世界の命運がかかっているのなら、風呂くらい待とう。
しかし、何の報告もない。こちらには状況がまったく伝わってこない。王国は救われたのだろうか。せめて途中経過を教えていただきたい。
我が家で最も身近な密室。それが風呂場だった。
風呂場とは、これほど謎に満ちた空間だっただろうか。
「普通じゃ!」という妹の主張
ある日、僕は妹に聞いた。
「お前、長すぎやろ。何してん?」
すると妹は言った。
「は? 普通じゃ!」
……。
普通?
2時間である。映画が一本観られる。僕なら6回風呂に入れる。短い小説なら読み終わるかもしれない。それなのに、妹にとっては普通らしい。
では、僕の10分から20分は何なのだ。超高速入浴なのか。僕が異常なのか。それとも妹の浴室だけ時間の流れが違うのだろうか。
僕は納得できなかった。
「じゃあもう、次から一緒に入るか?」
我ながら画期的な提案である。二人で入れば順番を争う必要はない。待ち時間もなくなる。非常に合理的ではないか。
しかし妹から返ってきた言葉は、
「死ね!」
だった。
……。
交渉決裂である。
もちろん、僕だって本気で一緒に入りたいわけではない。あまりにも長いから、半ばやけくそで言っただけだ。しかし妹は一切取り合わない。
「普通じゃ!」
「死ね!」
わずか二言で、僕の疑問と提案はすべて片づけられてしまった。何という決断力だろう。
妹は風呂からなかなか出てこないのに、言葉だけはすぐに出てくる。
その速さを、入浴にも生かしていただきたい。
長風呂する人の心理とは?
そもそも、なぜ長い時間お風呂に入りたいのだろう。
僕にとって入浴は、汚れを落とすための行為だ。しかし長風呂が好きな人は、お風呂そのものに別の価値を感じているのかもしれない。考えられる心理を整理してみよう。
① 心も体もリラックスしたい
温かい湯につかって、緊張をほぐしたい。仕事や学校で疲れた一日の終わりに、何も急がず過ごしたい。そういう人はいるだろう。
これはわかる。僕だって疲れを取りたい。何も考えずにゆっくりする時間は大切だと思う。
ただ、2時間である。リラックスするにも、ずいぶん本格的ではないか。もはや休息というより合宿である。
② 誰にも邪魔されず、一人になりたい
家族と暮らしている人にとって、浴室は数少ない一人の空間かもしれない。扉を閉めれば、話しかけられることも少ない。誰かに気を使う必要もない。
確かに魅力的だ。僕だって一人の時間は好きである。
しかし、待ってほしい。妹が一人の時間を満喫している間、僕は外で待っている。
妹の自由時間によって、僕の自由時間が奪われているのだ。
③ 日常から少し離れたい
学校、仕事、人間関係。考えることが多い人ほど、浴室を小さな避難場所にしている可能性もある。扉を閉めれば、面倒なことをひとまず忘れられる。
なるほど。現実逃避というわけか。
ただ、浴室の外には現実が残っている。僕である。
妹が現実から離れている間、僕は現実として待ち続けていた。
④ 何も考えず、ぼんやりしたい
常に何かをしていなければならない生活から離れ、何もしない時間を楽しみたい。これも立派な理由だろう。
しかし僕は、どうしても考えてしまう。何もしないのなら、そろそろ出てきてもいいのではないか。
もちろん、何もしないこと自体に価値があるのは理解している。ただ、その価値を味わうために、次の人を2時間待たせる必要があるのだろうか。
⑤ 入浴そのものが好き
結局、これが一番単純な理由かもしれない。温かい湯が好き。浴室の雰囲気が好き。ゆっくり過ごすことが好き。
僕が読書を楽しむように、長風呂の人は入浴そのものを楽しんでいるのだろう。そう考えると、少しだけ納得できる。
ただ、読書なら自分の部屋で好きなだけできる。
風呂は次の人が待っているのである。
長風呂する人は実際に何をしているのか?
心理は少し理解できた。しかし、僕が本当に知りたいのはここからだ。
一体、浴室の中で何をしているのだ。
スマホで動画やSNSを見る
防水対策をして、動画やSNSを楽しむ人がいる。次の動画、次の投稿と見続けているうちに、時間が過ぎるのだろう。
なるほど。スマホなら2時間も不思議ではない。僕だって気づけば長時間見ていることがある。
しかし、僕は思う。
それ、部屋で見ればよくないか。
スマホを見たいのか、風呂に入りたいのか。どちらなのだ。しかも水没の心配まである。何もそこまでして動画を見る必要はないのではないか。
本や雑誌を読む
浴室で読書をする人もいる。静かな空間でページをめくる時間が好きなのかもしれない。
僕も本は好きだ。だから気持ちは少しわかる。しかし、本は湿気に弱い。僕なら気になってしまう。ページが波打たないだろうか。うっかり湯船に落とさないだろうか。
僕は本を読みたいのであって、紙をふやかしたいわけではない。それなら部屋で読みたい。
マッサージや美容ケアをする
トリートメント、マッサージ、丁寧な洗髪。こうしたことに時間をかける人もいるだろう。髪の長さやケアの内容によって、必要な時間は変わるはずだ。
なるほど。僕の知らない工程がいくつもあるのかもしれない。洗って終わり、という僕の入浴とは別物なのだろう。
ただ、2時間である。
全身を一から組み立て直しているのだろうか。
音楽を聴く、考え事をする
湯船につかりながら音楽を聴いたり、ぼんやり考え事をしたりする人もいる。静かな場所だと、考えがまとまることもある。
これもわかる。しかし、考え事はいつ終わるかわからない。妹の頭の中で難しい問題が発生していたとしたら、僕はその解決を待たされていたことになる。
何ということだ。せめて難問は浴室の外へ持ち帰っていただきたい。
特に何もしない
そして、長風呂中に何をしているかというアンケートでは、「特に何もしない」という回答も見られる。
……。
何もしていない?
待ってほしい。僕は妹が風呂から出てくるのを、1時間も2時間も待っていたのだ。その間、妹は何もしていなかった可能性があるというのか。
何かしてくれ。せめて何かしていてくれ。こちらとしても、待たされた理由がほしいのだ。
難しい数学の問題を解いていた。それなら納得できる。世界平和について考えていた。それもいい。新しい発明をしていた。素晴らしいではないか。
しかし、何もしていない。ただ湯船につかっていた。
……。
僕は何を待っていたのだろう。
もちろん、妹が実際に何をしていたのかはわからない。これらは長風呂をする人に考えられる過ごし方であって、妹の行動を確認したわけではない。それでも謎は深まるばかりである。
なぜ長風呂を待つとイライラするのか
ここで気づいたことがある。僕は妹が風呂に長く入ることそのものに怒っていたのだろうか。
もちろん、それもある。しかし、一番つらかったのは、いつ終わるかわからないことだったのかもしれない。
30分で出るのか。1時間なのか。2時間なのか。わからない。
待つ時間には、終わりが見える待ち時間と、見えない待ち時間がある。たとえば映画が2時間だとわかっていれば、その間は別のことをして過ごせる。しかし、妹の風呂には上映時間がない。
エンドロールも流れない。「まもなく終了します」という案内もない。突然始まり、いつ終わるのかわからない。
妹の入浴には、終演予定時刻が存在しなかった。
だから、つい気になってしまう。そろそろかな。まだかな。もう出たかな。そのたびに意識が風呂へ向く。
自分の時間を過ごしているはずなのに、頭の片隅ではずっと妹の入浴を待っている。これが疲れるのだ。
しかも、こちらはすぐに風呂に入りたい。さっぱりして、次のことをしたい。それなのに予定が進まない。
待たされることへのイライラには、自分で時間を決められないもどかしさもあるのだと思う。
「ちょっと風呂入ってくる」の恐ろしさ
長風呂の人と短風呂の人では、時間の感覚が違うのかもしれない。僕にとって20分は十分な入浴時間だ。しかし妹にとっては1時間でも普通。この差は大きい。
たとえば妹が、「ちょっと風呂入ってくる」と言ったとしよう。僕は思う。ちょっとなら、すぐ出てくるだろう。
しかし30分たっても出てこない。1時間たっても出てこない。2時間たって、ようやく出てくる。
……。
ちょっととは何だ。
僕の知っている「ちょっと」と、妹の知っている「ちょっと」は違うらしい。もはや旅行である。
もちろん、これは時間感覚の違いを説明するための例えだ。問題は、本人が長いと思っていない可能性があることだ。
「普通じゃ!」と言い切る妹にとって、僕の待ち時間は大した問題ではなかったのかもしれない。しかし僕にとっては大問題である。
同じ1時間でも、好きなことをしている1時間と、誰かを待っている1時間はまるで違う。妹はくつろいでいる。僕は待っている。
同じ時間が流れているはずなのに、ずいぶん不公平ではないか。
なぜ待っている側だけが我慢するのか
一人暮らしなら、何時間風呂に入っていても自由だ。好きなだけ楽しめばいい。僕が口を出すことではない。
しかし、家族と暮らしているなら話は別だ。風呂は共有設備である。誰かが使っている間、ほかの人は使えない。
長風呂を楽しむ自由があるなら、次の人が入りたいという事情もある。僕は妹の長風呂を禁止したいわけではない。ただ、順番を考えてほしいのだ。
僕が先に入る。10分から20分で出る。そのあと妹がゆっくり入る。これなら待ち時間は少なくて済む。非常に合理的ではないか。
しかし、当時の僕たちは毎日のように争っていた。僕が先に入りたい。妹も先に入りたい。どちらも譲らない。
「俺、すぐ出るやん!」
「は? 知らん!」
話が進まない。風呂は一つしかない。僕たちは二人いる。たったそれだけのことなのに、なぜこんなに難しいのだろう。
家庭内にもう一つ浴室があれば解決するのかもしれない。しかし、風呂の順番のために増築するわけにもいかない。
僕が求めていたのは、豪邸ではない。20分の入浴時間だった。
長風呂の人は疲れないのだろうか
もう一つ不思議なことがある。長風呂の人は、風呂に入っていて疲れないのだろうか。
僕は10分から20分で十分だ。それ以上入っていたら、逆に疲れてしまいそうな気がする。もちろん、長風呂が好きな人は心地よさを感じているのだろう。
ただ、熱い湯に長時間つかることは、のぼせや脱水の危険もある。入浴時間が長ければ長いほど健康に良いわけではない。
だから妹が2時間も出てこないと、イライラする一方で心配にもなる。早く出てきてほしい。でも、無事なのだろうか。まさか倒れていないだろうか。
そんなことを考えてしまう。
風呂を待っているだけなのに、なぜこんなにも感情が忙しいのだろう。
そもそも、風呂とは疲れを取る場所ではなかっただろうか。妹は風呂の中でリラックスしているのかもしれない。しかし僕は、浴室の外でストレスを感じている。
妹の疲れが取れる。僕の疲れが増える。
我が家では、疲労が移動しているだけだったのかもしれない。
10分と2時間。どちらが普通なのか
妹は言った。「普通じゃ!」
しかし、普通とは何なのだろう。
入浴時間は、シャワーだけなのか、湯船につかるのかによって変わる。季節や髪の長さ、生活習慣でも違う。
入浴時間に関する調査では、平均が20〜30分前後になるものもある。ただし調査対象や数え方によって結果は変わる。平均だけで正しい入浴時間が決まるわけではない。
そう考えると、僕の10分から20分は、特別おかしな長さではなさそうだ。一方、妹の1時間から2時間は、かなり長い部類に入るだろう。
しかし本人は普通だと思っている。人は、自分が慣れ親しんだ習慣を当たり前だと感じやすい。
食事にかける時間も、寝る時間も、出かける準備にかける時間も、人によって違う。風呂も同じなのだろう。
妹からすれば、僕の入浴時間のほうが不思議だったのかもしれない。「そんなに早く出て、ちゃんと洗ってるん?」そう思っていた可能性だってある。
なるほど。自分の普通を他人に押しつけてはいけないということか。実に大切な教訓である。
……。
しかし、待ってほしい。
普通かどうかは、もうどうでもいい。早く出てきてくれ。
家族の長風呂にイライラしないための対処法
では、家族に長風呂する人がいる場合、どうすればいいのだろう。
まずは、入浴する順番を決めておくことだ。短時間で終わる人が先に入り、そのあと長風呂の人がゆっくり入る。生活リズムが合えば、これだけでも待ち時間は減らせる。
次に、入浴時間の目安を伝えておく。「今日は1時間くらい入る」と言われれば、待っている側も予定を立てられる。
そして、次に入りたい人がいるときは、お互いに譲り合うことだ。風呂は共有の場所なのだから、どちらか一方だけが我慢する必要はない。
また、熱い湯に長時間つかり続けるのは危険なので、無理な長湯は避けたい。長く出てこず、呼びかけにも反応がないような場合は、単なる長風呂だと決めつけず安全を確認する必要もある。
なるほど。順番を決める。時間を伝える。譲り合う。どれも当たり前のことではないか。
しかし、当時の僕たちは毎日のように争っていた。
「先に入る!」
「いや、俺が先や!」
「は? なんで?」
「お前、長いやん!」
「普通じゃ!」
まったく話が進まない。お互いに譲らない。そして、どちらかが先に入る。風呂に入る前から、すでに疲れている。
風呂は一日の疲れを癒やす場所だと聞く。
我が家では、風呂に入る前から疲れていた。
風呂を待つ時間は、なぜこんなに長いのか
僕は、妹が入浴している間ずっと浴室の前に立っていたわけではない。もちろん、ほかのことをして過ごすこともできたはずだ。
それなのに、なぜか風呂のことが気になってしまう。
たとえば、これから本を読もうと思う。しかし、妹がもうすぐ出てくるかもしれない。だったら今から読み始めるのも中途半端だ。
何か食べようかとも思う。しかし、風呂に入る直前に食べるのもどうなのだろう。テレビを見ようか。いや、途中で風呂が空いたらどうする。
結局、何をするにも「妹がいつ出てくるか」がついて回る。
そして、妹は出てこない。
僕はまだ何もしていない。妹も、もしかすると何もしていない。なのに、二人合わせて2時間も経過している。
何もしていない兄妹が、家の中で時間だけを大量に消費している。
これはいったい、どういう現象なのだろう。
長風呂の問題は、単に浴室を占領されることだけではない。次の予定を決めにくくなることも、待つ側には負担になる。
それなら、最初から僕が先に入ればいい。何度考えても、そこに行き着く。
しかし、妹も先に入りたい。理由はわからない。先に入って2時間過ごしたいのだろうか。
僕は20分で終わる。妹は2時間かかる。
もし僕が先に入ったとしても、妹が待つのはせいぜい20分だ。それなのに、なぜ妹が先に入ると僕は2時間も待たなければならないのだ。
この差を妹に説明しても、きっと返事は同じだろう。
「は? 普通じゃ!」
何が普通なのか、いよいよわからなくなってきた。
考えてみれば、風呂の順番を決めるだけで毎日揉めるのも妙な話だ。学校では時間割があった。電車には時刻表がある。映画館にも上映時間がある。なのに、我が家の浴室だけは完全な自由営業だった。
開店時間は妹次第。閉店時間も妹次第。客である僕は、いつ入店できるのかわからない。
せめて整理券を配ってほしい。現在の待ち時間を表示してほしい。できれば、残り時間を知らせる電光掲示板も設置していただきたい。
もっとも、そんな設備を導入する前に、妹が少し早く出てくれば済む話である。
結局、妹は何をしていたのだろう
今となっては、妹と風呂の順番を争うこともない。それぞれの生活がある。あの頃は毎日のように喧嘩していた。今思えば、懐かしい思い出である。
ただ、一つだけ、いまだにわからないことがある。
結局、妹は風呂で何をしていたのだろう。
1時間。2時間。
あの長い時間を、どのように過ごしていたのだろう。湯船につかっていたのか。考え事をしていたのか。何もしていなかったのか。
もしかすると、僕の知らない世界が浴室の奥に広がっていたのかもしれない。真相は今もわからない。
まあ、もうどうでもいい。人には人の時間の使い方がある。それを理解することも大切なのだろう。
さて、風呂に入ろう。
……。
ん?
姉が帰ってきた。
