僕は虫が嫌いだ。
かなり嫌いだ。
大きい虫はもちろん嫌いだし、小さければ平気というわけでもない。
小さい虫も普通に嫌いだ。
飛んでいる虫なんて最悪だ。
どこへ行くか分からない。
さっきまで壁にいたのに、次の瞬間には僕の方へ飛んでくる。
やめてくれ。
そっちには何もない。
僕しかいない。
来るな。
虫と僕の間には、できれば十分な距離がほしい。
そんな僕なのだが、一匹だけ例外がいる。
ダンゴムシだ。
ダンゴムシはかわいい。
道端で見つけても、
「うわ、虫や」
とはならない。
「あ、ダンゴムシや」
となる。
なんなら、ちょっと嬉しい。
大の虫嫌いなのに、なぜお前だけ僕の虫嫌い審査を通過しているんだ。
考えてみれば不思議である。
小学生の頃、友達の家の庭によくいた
ダンゴムシを見ると、今でも思い出す庭がある。
小学生の頃、よく遊びに行っていた友達の家の庭だ。
その友達のお父さんは釣りをしていた。
だから友達は、庭でミミズを捕まえると、お父さんからお小遣いをもらえた。
なかなか素晴らしいシステムである。
庭にいるミミズを捕まえる。
お父さんは釣り餌を手に入れる。
息子はお小遣いを手に入れる。
双方に利益がある。
僕にはない。
当然である。
僕はよその家の子だ。
僕までミミズを捕まえるたびにお小遣いをもらっていたらおかしい。
友達のお父さんも、
「おお、今日も来たか。ミミズ10匹で100円な」
なんてやっていたら、よその子を使った謎のミミズ事業が始まってしまう。
だから僕はもらえない。
でも別に羨ましくもなかった。
なぜなら、
僕はミミズが嫌いだった。
今も嫌いだ。
なんだ、あのフォルムと動きは。
細長い。
そして、
うねうね、うねうね。
何をそんなにうねっているんだ。
シャキッとしろ! シャキッと!
もう少し姿勢よく移動できないのか。
もちろん無理である。
ミミズなのだから。
友達はお小遣いのためにミミズを探している。
僕はその横で、
「よう触るなあ」
くらいに思っていた。
僕にはお金も入らない。
そもそも触りたくもない。
そこで僕が見つけたのが、
ダンゴムシだった。
僕はダンゴムシと遊んでいた
友達がミミズを探している横で、僕はダンゴムシを探していた。
石をひっくり返す。
いる。
植木鉢の下を見る。
いる。
湿った場所を見る。
いる。
ダンゴムシは小学生でも簡単に見つけられた。
見つけると、手に乗せる。
指でちょんと触る。
すると、
クルン。
丸くなる。
かわいい。
しばらく手のひらに乗せている。
すると、少しずつ体を開く。
また歩き始める。
ちょん。
クルン。
待つ。
開く。
トコトコ歩く。
ちょん。
クルン。
僕は一体、何をしていたんだろう。
でも楽しかった。
それどころか、僕は友達の家へ行くときに虫籠まで持って行っていた。
カブトムシを捕まえるわけではない。
クワガタでもない。
セミでもない。
ダンゴムシである。
庭で見つけたダンゴムシを虫籠に入れる。
また見つける。
入れる。
また見つける。
入れる。
そうして何匹か集まったダンゴムシを、
僕はぼーっと眺めていた。
何か特別なことをするわけではない。
ダンゴムシが歩いている。
ただそれを見る。
一匹が虫籠の中をトコトコ歩く。
何かにぶつかる。
方向を変える。
また歩く。
別のダンゴムシがいる。
そいつも歩いている。
それを見る。
楽しい。
何が楽しいのか。
今の僕にもよく分からない。
ダンゴムシが芸をするわけでもない。
歌うわけでもない。
突然二本足で立って踊り始めるわけでもない。
ただ歩いている。
それを僕はぼーっと見ていた。
友達はミミズを捕まえてお小遣いをもらう。
僕は一円にもならないダンゴムシを虫籠に入れて眺める。
でも僕は、それで結構楽しかった。
たまに偽物がいる
ただし、ダンゴムシ探しには罠があった。
見た目がよく似たやつがいる。
子どもの頃、僕らはそいつを**「ベンジョムシ」**と呼んでいた。
今調べると、僕がそう呼んでいたものは、おそらくワラジムシだ。
石をひっくり返す。
「あ、ダンゴムシや」
触る。
普通なら、
クルン。
となる。
ところが、そいつは丸くならない。
それどころか、
サササササッ。
「えええ、気持ちわるっ!」
となる。
さっきまでダンゴムシだと思っていたくせに。
見た目だけなら間違えるくらい似ていたくせに。
丸くならずに素早く動いた瞬間、
気持ち悪い。
ひどい話である。
ワラジムシは何も悪くない。
ダンゴムシのふりをして僕を騙したわけでもない。
「僕、丸くなれますよ」
と宣伝していたわけでもない。
勝手に僕がダンゴムシだと思った。
勝手に触った。
勝手に丸くなることを期待した。
そして丸くならなかったから、
「えええ、気持ちわるっ!」
である。
しかも「ベンジョムシ」なんて呼んでいる。
申し訳ない。
でも、この記憶を考えると、僕がダンゴムシをかわいいと思う理由が少し見えてくる。
丸くなる。
これはかなり大きい。
なんで丸くなるだけで、あんなにかわいいんだ
ダンゴムシを触る。
クルン。
丸くなる。
たったそれだけだ。
でもかわいい。
不思議である。
もしダンゴムシが触った瞬間、
「シャーッ!」
とこちらへ向かってきたら、僕は絶対に好きではない。
突然飛んでも無理だ。
ものすごい速度で走って逃げても、多分ちょっと嫌だ。
でもダンゴムシは、
丸くなる。
怖い。
よし。
●
閉店。
みたいな感じだ。
こちらに攻撃するわけでもない。
ものすごい速度で逃げるわけでもない。
自分の中へ引っ込んでしまう。
そして、しばらくすると、
「もう大丈夫かな」
とでも言うように、少しずつ開く。
またトコトコ歩き始める。
ちょん。
●
また閉店。
そら小学生は遊ぶ。
何回でもやる。
今考えれば、ダンゴムシからしたら迷惑だっただろう。
せっかく危険がなくなったと思って歩き始めたのに、
また巨大な人間の指がやってくる。
クルン。
待つ。
開く。
巨大な指。
クルン。
いつまでやるねん。
ダンゴムシもそう思っていたかもしれない。
すまない。
小さいからかわいいのかもしれない
サイズも関係していると思う。
ただし、僕は「小さい虫ならかわいい」と思っているわけではない。
小さくても虫は嫌いだ。
むしろ小さすぎると、どこへ行ったか分からなくなるから嫌なこともある。
だから、
小さい=かわいい
ではない。
でも、
ダンゴムシのかわいさには、あの小ささが必要
なのだと思う。
試しに巨大化させてみよう。
30センチのダンゴムシ。
道を歩いている。
ガサガサガサガサ。
硬そうな節に覆われた30センチの生き物が、こちらへ向かってくる。
触ってみる。
ゴロンッ。
巨大な球になる。
無理だ。
全然かわいくない。
「わあ、丸くなった」
ではない。
逃げる。
50センチならもっと嫌だ。
一メートルになったら、もう怪獣である。
そう考えると、ダンゴムシはあのサイズだからいい。
手のひらに乗る。
指先でちょんと触れる。
小さな体がクルンと丸くなる。
そのサイズと動きの組み合わせが、かわいいのだと思う。
よく見ると、見た目は結構すごい
それにしても不思議だ。
ダンゴムシを冷静に観察すると、僕が普段嫌っている「虫っぽさ」もかなりある。
背中には何枚もの節が並んでいる。
脚もたくさんある。
特に裏側を見ると、
おお……。
となる。
僕は別に裏側をじっくり見たいとは思わない。
上から見よう。
上から。
上から見るといい。
丸みのある体。
硬そうな背中。
何枚も並んだ節。
その小さな装甲車みたいな体で、
トコトコトコ。
と歩いている。
なんだ、あのフォルムと動きは。
かわいい。
ここでミミズと比べる。
うねうねうね。
シャキッとしろ!
ダンゴムシ。
トコトコトコ。
よし。
ワラジムシ。
サササササッ。
えええ、気持ちわるっ!
僕の判定はかなり勝手である。
生き物側からしたら知ったことではない。
でも「かわいい」という感覚なんて、案外そんなものなのかもしれない。
形だけではない。
大きさ。
動く速さ。
動き方。
触ったときの反応。
そして、自分がその生き物をどう知ってきたか。
いろんなものが混ざって、
「かわいい」
になる。
ところで、ダンゴムシって何者なんだ
子どもの頃は何も考えずに捕まえていたけれど、改めて調べてみるとダンゴムシは結構面白い。
ここで少しだけ、ダンゴムシ豆知識を入れておこう。
一つ目。
ダンゴムシは昆虫ではなく、甲殻類の仲間である。
横浜市の生物相資料でも、ダンゴムシは昆虫とは別に「甲殻類」として分類されている。
なるほど。
僕は虫が大嫌いなのにダンゴムシだけ好きなのではない。
そもそも昆虫ではなかった。
解決。
……とはならない。
僕は甲殻類なら何でも手のひらに乗せてかわいがれるわけではない。
分類を知って好きになったわけでもない。
小学生の僕はそんなこと知らない。
二つ目。
ダンゴムシとワラジムシは、どちらも甲殻類の仲間。
しかも見分けるポイントの一つが、まさに子どもの僕がやっていた「触って丸くなるかどうか」だという。
丸くなるのがダンゴムシ。
丸くならないのがワラジムシ。
つまり、
「えええ、気持ちわるっ!」
と叫んでいた僕の判別方法。
一応、理にかなっていた。
言い方は最低だったが。
三つ目。
成長したダンゴムシの脚は7対、14本ある。
14本。
文字にすると急に怖い。
「脚が14本ある生き物、かわいい?」
と聞かれたら、
「いやです」
と答える。
でもダンゴムシならかわいい。
不思議である。
四つ目。
ダンゴムシやワラジムシは、主に落ち葉などを食べる土壌動物で、分解に関わっている。
子どもの僕が虫籠に入れて、
「歩いてるなあ」
とぼーっと眺めていたあいつら。
自然界ではちゃんと仕事をしている。
僕より働いていたかもしれない。
五つ目。
昼間は石や落ち葉、朽ち木などの下に隠れていることが多い。
だから僕が友達の家の庭で石をひっくり返すと、よく見つかったわけだ。
小学生の僕は、
「ここにおるやろ」
くらいの感覚で探していた。
ちゃんとダンゴムシの生活圏へ踏み込んでいたらしい。
以上。
ダンゴムシ豆知識。
調べればもっといろいろあるけれど、僕はダンゴムシ博士になりたいわけではない。
僕が知りたいのは、
なぜ虫嫌いの僕が、こいつだけは今でもかわいいと思うのか。
そっちだ。
昔から知っているから、怖くないのかもしれない
虫が嫌いな理由の一つに、
何をするか分からない
というのがあると思う。
突然飛ぶ。
急に走る。
予想していなかった方向へ動く。
気づいたらいなくなっている。
怖い。
僕は虫と心理戦をしたくない。
その点、ダンゴムシは昔から知っている。
小学生の頃、虫籠に入れてぼーっと眺めていた。
何匹も見た。
何度も手に乗せた。
何度もちょんと触った。
何度も丸くなるところを見た。
僕にとってダンゴムシは、
「よく分からない生き物」ではない。
昔から知っているやつなのだ。
もちろん、生態について詳しかったわけではない。
甲殻類だなんて知らなかった。
脚が何本あるかも知らなかった。
でも、
「こいつはこういう感じ」
という感覚は知っていた。
トコトコ歩く。
触る。
丸くなる。
待つ。
また開く。
その繰り返しを何度も見てきた。
だから今、大人になって虫嫌いになっても、ダンゴムシだけは「怖い虫」の箱に入らないのかもしれない。
かわいいから観察していたのか、観察していたからかわいいのか
ここで一つ分からなくなる。
僕はダンゴムシがかわいかったから、虫籠に入れて眺めていたのだろうか。
それとも、
子どもの頃に何度も捕まえて、何時間も眺めていたから、今でもかわいいのだろうか。
多分、両方なんだと思う。
最初に何か惹かれるものがあった。
丸くなるのが面白かったのかもしれない。
フォルムが好きだったのかもしれない。
トコトコ歩く姿が好きだったのかもしれない。
だから捕まえた。
捕まえたから、さらによく見るようになった。
虫籠に入れて眺めた。
何度も触った。
そうしているうちに、ダンゴムシが「虫」という大きなカテゴリーから外れて、
「ダンゴムシ」
という特別枠になった。
今の僕にとって、
虫とダンゴムシは少し違う。
生物学的な話ではない。
完全に僕の頭の中の分類である。
虫。
嫌い。
ダンゴムシ。
かわいい。
雑である。
ダンゴムシを見ると、あの庭を思い出す
そして多分、もう一つ大きな理由がある。
ダンゴムシを見るたびに、僕はあの庭を思い出す。
小学生だった頃。
友達の家。
庭。
土。
石。
植木鉢。
友達はミミズを探している。
捕まえると、お父さんからお小遣いをもらえる。
僕には関係ない。
そもそもミミズが気持ち悪い。
何をうねっているんだ。
シャキッとしろ。
その横で僕は石をひっくり返す。
ダンゴムシを見つける。
手のひらに乗せる。
ちょんと触る。
クルン。
虫籠へ入れる。
また探す。
また見つける。
また入れる。
そして集めたダンゴムシを、ぼーっと眺める。
何を話していたのか。
何時間遊んでいたのか。
その日が何曜日だったのか。
季節がいつだったのか。
もうほとんど覚えていない。
でも、
ダンゴムシがいたことは覚えている。
不思議だ。
友達が捕まえたミミズが何匹だったのかなんて覚えていない。
お小遣いがいくらだったのかも覚えていない。
僕が虫籠に何匹入れたのかも覚えていない。
でも、庭でダンゴムシを探していたことは覚えている。
今でもダンゴムシを見ると、
あの庭がぼんやり浮かんでくる。
大人になると、ダンゴムシと遊ばなくなる
考えてみれば、大人になってからダンゴムシと遊んだ記憶がない。
見つけることはある。
でも虫籠を持って取りに行かない。
石を何個もひっくり返して探したりもしない。
手のひらいっぱいに集めない。
そもそも今、僕が虫籠を持って友達の家へ行って、
「ダンゴムシ探そうぜ」
と言ったら怖い。
33歳である。
友達も困る。
でもダンゴムシは、多分あの頃とそんなに変わっていない。
今でも石の下にいる。
今でもトコトコ歩く。
今でも触れば丸くなる。
変わったのは僕の方だ。
虫が大嫌いになった。
虫籠を持たなくなった。
庭で何時間も遊ばなくなった。
石の下に何がいるかなんて、普段は考えなくなった。
でも、たまたま道端でダンゴムシを見つける。
すると、
「あ、ダンゴムシや」
となる。
そこだけ小学生の頃と変わらない。
ダンゴムシだけは、今でもかわいい
結局、なぜ僕はダンゴムシだけをかわいいと思うのだろう。
丸くなるから。
これはかなり大きい。
あのクルンはずるい。
小さいから。
これもある。
30センチになったら絶対に嫌いになる。
動き。
トコトコ歩く感じがいい。
急に飛ばない。
そして、昔から何度も見てきた。
虫籠に入れて、ぼーっと観察していた。
だから怖くない。
そして何より、
ダンゴムシには、あの庭の記憶がくっついている。
多分、全部なんだと思う。
どれか一つではない。
小さなフォルム。
トコトコした動き。
ちょんと触ると丸くなる。
子どもの頃から見慣れている安心感。
そして友達の家の庭。
それらが全部まとまって、
僕の中では、
ダンゴムシ=かわいい
になっている。
だから今の僕が初めてダンゴムシという生き物を見たら、同じようにかわいいと思うのかは分からない。
脚が14本ある甲殻類です。
石の下にいます。
触ると丸くなります。
そんな説明だけを聞いたら、
「いや、いいです」
となる可能性もある。
でも僕はもう知っている。
あいつがトコトコ歩くことを。
ちょんと触ればクルンと丸くなることを。
しばらく待てば、また開くことを。
そして、それを見ているだけで楽しかった時間があったことを。
ああ。これこれ。
最近は、ダンゴムシを見つけても捕まえない。
虫籠もない。
持って帰って飼おうとも思わない。
ただ、見つけると少し立ち止まる。
あ、ダンゴムシや。
大の虫嫌いの僕が、虫みたいな見た目をした小さな甲殻類を見て、かわいいと思っている。
おかしな話だ。
でも、かわいいものはかわいい。
なんだ、あのフォルムと動きは。
小さな体でトコトコ歩く。
そして、もし指でちょんと触れば、
きっと昔と同じように、
クルン。
と丸くなる。
その瞬間だけ、僕の頭の中にはあの庭がある。
友達がいる。
ミミズを探している。
お父さんからお小遣いをもらうためだ。
僕は横でダンゴムシを探している。
虫籠には何匹か入っている。
それをぼーっと眺めている。
何の役にも立たない。
一円にもならない。
でも、楽しい。
今思えば、ずいぶん贅沢な時間だったのかもしれない。
ダンゴムシを見かけるたびに、僕はあの庭を思い出す。
だから今でも、ダンゴムシだけはかわいい。
いや。
思い出だけではないな。
今見てもやっぱりかわいい。
トコトコ。
ちょん。
クルン。
ああ。これこれ。
