接客業は、しんどい。
これはもう、接客業を経験したことがある人なら、一度くらいは思ったことがあるんじゃないだろうか。
毎日いろんな人が来る。
優しい人もいる。
丁寧な人もいる。
こちらが恐縮するくらい気を遣ってくれる人もいる。
そして当然、
とんでもない人もいる。
何を説明しても聞いてくれない。
自分の思い通りにならないと怒る。
こちらにはどうしようもないことまで、どうにかしろと言ってくる。
なぜか店員には何を言ってもいいと思っている。
接客業を長くやっていると、本当にいろんな人間を見る。
僕はホテルを中心に、接客の仕事を10年ほど続けた。
そんな僕には、一つ大きな問題がある。
僕は、人間があまり好きではない。
なんで接客業やってたんだ。
自分でもそう思う。
人間が大好きで、人と話すことが何より楽しくて、初対面の人ともすぐ仲良くなれて、誰かに喜んでもらうことが生きがい。
そんな人なら分かる。
接客業との相性は良さそうだ。
でも僕は、どちらかというと逆だった。
一人でいるのが好きだし、必要以上に人と関わりたくない。
職場でも、全員と仲良くなりたいとは思わない。
休憩時間くらい一人にしてほしい。
それなのに、接客業を10年ほど続けた。
最近になって、その理由を考えることがある。
そして一つの結論にたどり着いた。
もしかすると僕は、
人間嫌いだったからこそ、接客業をここまで続けられたのかもしれない。
一見すると矛盾している。
でも、長く接客をしてきた今なら、そんなにおかしな話でもないような気がしている。
接客業は「人と話す仕事」だけではない
接客業というと、「人と話す仕事」というイメージがある。
もちろん間違ってはいない。
でも、実際にやってみると、それだけではないことが分かる。
接客業は、
人に反応し続ける仕事
でもある。
何か作業をしている。
「すみません」
呼ばれる。
対応する。
作業に戻る。
電話が鳴る。
対応する。
また作業に戻る。
「ちょっといいですか?」
また呼ばれる。
対応する。
自分で一日の流れを組み立てていても、他人の都合でどんどん中断される。
しかも、その相手が全員機嫌のいい人とは限らない。
こちらが疲れている日でも関係ない。
寝不足でも関係ない。
今日はあまり人と話したくないな、と思っていても関係ない。
目の前にお客さんが来たら、接客が始まる。
そして自分の感情を、そのまま全部表に出すわけにもいかない。
腹が立っても、
「は?」
とは言えない。
意味不明なことを言われても、
「何言ってるんですか?」
とは、なかなか言えない。
こちらにどうしようもないことを要求されても、まずは説明しなければならない。
つまり接客業では、商品やサービスだけではなく、
自分の感情まで仕事に使う。
これが、かなり疲れる。
肉体的な疲れとはまた違う。
仕事が終わって家に帰ったあと、
「もう今日は誰とも話したくない」
となることもある。
あれは単純に会話をたくさんしたからではなく、何時間も他人に反応し続けた疲れなのかもしれない。
それでも10年続いた
そんな仕事を、僕は10年ほど続けた。
もちろん、何度もしんどいと思った。
腹が立つこともあった。
「なんやねん、この人」
と思ったことも、一度や二度ではない。
人間嫌いだからといって、何を言われても平気なわけではない。
僕は仏ではない。
むしろ、かなり遠いところにいる。
でも、なぜか続いた。
今になって考えてみると、僕は接客中、お客さんと必要以上に分かり合おうとしていなかったのだと思う。
いい意味で、他人だった。
この人に好かれたい。
この人に自分のことを理解してほしい。
この人とはいい関係を築きたい。
そんなことを、すべてのお客さんに対して思っていたわけではない。
仕事として必要なことをする。
質問されたら答える。
困っていたら対応する。
こちらにミスがあれば謝る。
必要な説明をする。
それで終わり。
丁寧に接することと、その人を好きになることは別だ。
僕にとって、この距離感がちょうどよかった。
接客業を長くやると、人間のサンプルだけは増える
10年も接客業をしていると、本当にいろんな人を見る。
人間という生き物のサンプル数だけは、かなり増えたと思う。
「こんな人、本当にいるの?」
と思うような人もいる。
いる。
普通に来る。
こちらから探しに行かなくても、
向こうから来る。
接客業というのは、ある意味すごい仕事だ。
年齢も違う。
職業も違う。
考え方も違う。
普段の生活なら絶対に関わらないような人とも、一対一で話すことになる。
そして、ときどき図鑑に載っていないタイプの人間が現れる。
たとえば、説明をまったく聞いてくれない人。
こちらが事情を説明する。
「こちらはこういう決まりになっておりまして……」
説明する。
すると、
「いや、だから!」
と言われる。
いや、
今その「だから」の部分を説明していた。
聞いてくれ。
僕の説明はBGMではない。
あるいは、こちらではどうにもできないことを要求してくる人。
「できません」と説明する。
理由も伝える。
すると出てくる。
「そこをなんとかするのが仕事でしょ」
接客業をしていると、この「そこをなんとか」という言葉に出会うことがある。
そのたびに思う。
僕の後ろに「そこをなんとかするボタン」があると思っているのだろうか。
あるなら僕だって押したい。
むしろ連打する。
でも、ない。
できないものは、できない。
接客業を長くやっていると、こちらを店員ではなく、魔法使いか何かだと思っている人に出会う。
残念ながら僕は魔法学校を出ていない。
「お客様」という肩書きが急に強くなる人もいる
普段どんな人なのかは分からない。
家では優しいお父さんかもしれない。
会社では素晴らしい上司かもしれない。
近所では評判のいい人かもしれない。
でも、「客」という立場になった瞬間、急に強くなる人がいる。
「こっちは金払ってるんだぞ」
という考え方だ。
もちろん、お金を払ってサービスを受けている。
だから、提供する側には責任がある。
ミスがあれば謝るべきだし、約束したサービスは提供しなければならない。
それは当然だと思う。
でも、
お金を払った瞬間、相手より偉くなるわけではない。
千円払ったから、千円分の王様になれるわけでもない。
一万円払ったら、王様レベルが10に上がるわけでもない。
お客さんと店員は、サービスを受ける側と提供する側という違いがあるだけで、同じ人間だ。
でも、接客をしていると、ときどきその境界線がものすごく太い人に出会う。
「客なんだから」
という言葉を万能カードのように使う。
こちらが何を言っても、
「でも客でしょ?」
となる。
いや、そうなんだけど。
客である前に、一回人間に戻ってきてほしい。
そんなことを思ったこともある。
用件が終わっても、終わらない人
逆に、怒っているわけではない。
嫌な人でもない。
むしろ、いい人なのかもしれない。
でも、
話が終わらない。
そんな人もいる。
最初の用件は30秒で終わっている。
質問に答えた。
解決した。
「ありがとうございます」
こちらも、
「ありがとうございます」
終わった。
はずだった。
ところが、そこから第二部が始まる。
天気の話。
旅行の話。
昔この辺に来た話。
家族の話。
最近あった出来事。
こちらは、
「そうなんですね」
と聞く。
さらに話が続く。
また、
「そうなんですね」
と言う。
僕の中の「そうなんですね」の在庫が減っていく。
用件は8分前に終わっている。
でも帰らない。
接客業では、自分から会話を終わらせにくい場面がある。
友達なら、
「じゃ、また」
で終われる。
でもお客さん相手だと、そう簡単にはいかない。
僕は笑顔で話を聞きながら、
この会話のエンディングはどこにあるんだろう
と考えていた。
接客業には、こういう種類の疲れもある。
理解できない人を、理解しようとしすぎなくていい
こういう人たちに出会うたび、
「どうしてこの人はこんなことを言うんだろう」
と考えていたら、たぶん僕はもっと早く接客業を辞めていたと思う。
なぜ怒っているんだろう。
なぜそんな言い方をするんだろう。
僕の説明の仕方が悪かったのかな。
もっと違う対応ができたのかな。
もちろん、自分の対応を振り返ることは必要だ。
こちらに改善できることがあるなら、改善した方がいい。
でも、全部を自分の問題にする必要はない。
世の中には、
どう考えても分からない人がいる。
その人が今日たまたま機嫌が悪かったのかもしれない。
家で嫌なことがあったのかもしれない。
仕事で疲れていたのかもしれない。
元々そういう話し方をする人なのかもしれない。
知らない。
僕には分からない。
そして、
分からないままでいい。
これが、人間嫌いだった僕の強みだったのかもしれない。
相手の人生まで理解しようとしない。
その人の機嫌を、仕事が終わったあとまで持って帰らない。
必要な対応をした。
終わった。
さようなら。
理解できない人を、理解できないまま帰す。
接客業を長く続けるには、こういう距離感も必要なのではないかと思う。
全員に好かれようとすると、たぶん疲れる
接客業をしていると、「いい接客」という言葉をよく聞く。
もちろん、いい接客は大切だ。
僕も仕事をしている以上、ちゃんと対応したいと思っていた。
でも、
すべてのお客さんから100点をもらうことは無理だ。
たくさん話しかけてほしい人がいる。
必要なこと以外、話しかけないでほしい人もいる。
丁寧な説明を喜ぶ人がいる。
「長い」と感じる人もいる。
フレンドリーな接客が好きな人がいる。
馴れ馴れしいと感じる人もいる。
同じ接客をしても、評価は変わる。
だったら、全員に好かれようとするのはかなり難しい。
僕は途中から、
仕事として必要なことはちゃんとする。でも、好かれるところまでは仕事にしなくていい。
と思うようになった。
嫌われたいわけではない。
わざと不愛想にする必要もない。
ただ、
「この人にどう思われるだろう」
まで全部背負わない。
接客する。
必要なことをする。
相手が満足してくれたら嬉しい。
でも、相手の感情を完全にコントロールすることはできない。
そこまで自分の責任にしたら、しんどい。
人間嫌いでも、丁寧にはできる
「人間嫌いなら接客業に向いていない」
そう思われるかもしれない。
僕も昔はそう思っていた。
でも、10年やってみて思う。
別に、
人が好きじゃなくても、接客はできる。
相手を好きにならなくても、挨拶はできる。
興味がなくても、質問には答えられる。
困っている人がいたら、必要な対応はできる。
ミスをしたら謝れる。
何かしてもらったら感謝もできる。
人間を愛していなければ「いらっしゃいませ」と言えないわけではない。
むしろ僕の場合、他人との間に一定の距離があったからこそ、仕事と感情を分けやすかったのかもしれない。
目の前のお客さんと一生付き合うわけではない。
数分後には別れる。
それなら、その数分間ちゃんと接すればいい。
そう考えると楽だった。
人間嫌いは、接客業では致命的な弱点だと思っていた。
でも案外、
ちょうどいい防具だった。
もちろん、いいお客さんもたくさんいた
ここまで書くと、
「10年間、変な人しか来なかったのか」
と思われそうなので、ちゃんと言っておきたい。
そんなことはない。
むしろ、大半の人は普通だった。
普通に話して、
普通にサービスを利用して、
普通に帰っていく。
そして、すごくいい人もいた。
こちらが何かすると、
「ありがとう」
と言ってくれる。
忙しそうにしていると、
「急がなくて大丈夫ですよ」
と言ってくれる。
こちらのちょっとした気遣いに気づいて、お礼を言ってくれる。
接客をしていると、そういう言葉が思っている以上に嬉しい。
たった一言なのに、
「ああ、よかったな」
と思える。
嫌なことがあった日でも、一人の優しいお客さんのおかげで少し気持ちが戻ることもある。
人間嫌いの僕でも、
「人間も悪くないな」
と思う瞬間はあった。
そして翌日、またすごい人が来る。
やっぱり判断は保留にしておこう。
そんな10年間だった。
接客業を経験して、店員さんを見る目が変わった
そして僕が接客業を経験して、一番変わったことがある。
それは、
自分が客になったときの店員さんの見え方だ。
コンビニに行く。
スーパーに行く。
飲食店に行く。
ホテルに泊まる。
いろんなところで接客を受ける。
昔なら何も考えていなかったことでも、今は少し考える。
この人、今日何人目のお客さんなんだろう。
もしかすると、僕の直前にものすごい客が来ていたかもしれない。
理不尽なことで怒られた直後かもしれない。
今日は体調が悪いかもしれない。
家で嫌なことがあったかもしれない。
それでも、目の前の僕には普通に接してくれる。
「いらっしゃいませ」
と言う。
質問したら答えてくれる。
商品を渡してくれる。
料理を運んでくれる。
ホテルなら、必要な案内をしてくれる。
接客を経験したからこそ思う。
これ、当たり前のようで結構すごい。
人間を相手にする仕事は、やっぱり大変だ。
相手を選べない。
今日は優しい人だけお願いします、とはできない。
列の先頭から順番に来る。
ガチャである。
しかも、
一日何十連も引く。
それでも次のお客さんが来れば、また普通に接客する。
僕は接客業を離れてからも、接客をしている人にはかなりのリスペクトを持っている。
人間を相手に働く大変さを、少しは知っているからだ。
店員さんだって、完璧じゃなくていい
接客を経験してから、店員さんに完璧を求めることも減ったと思う。
少し言葉を噛んだ。
別にいい。
ちょっと待った。
まあ、忙しいんだろう。
笑顔じゃなかった。
そんな日もある。
もちろん、明らかに失礼な対応をされたら嫌だ。
何をされても許さなければならない、という話ではない。
お金を払っている以上、必要なサービスを受ける権利もある。
ただ、
少しのことで「接客態度がなっていない」と人間性まで評価する必要はない
と思うようになった。
店員さんだって人間だ。
ずっと100点の笑顔でいるのは難しい。
僕だって無理だった。
たぶん顔の筋肉が先に退職する。
接客する側にいたからこそ、
「まあ、そんなこともあるよな」
と思えるようになった。
僕は「ああいう客」にはならないようにしたい
そして接客業を10年経験して、今でも強く思っていることがある。
僕は、ああいう客にはならないようにしたい。
店員さんに横柄な態度を取る。
自分の思い通りにならないだけで怒鳴る。
店員なら何を言ってもいいと思う。
「金を払っている」という理由だけで、必要以上のものを要求する。
相手が言い返しにくい立場なのを利用して強く出る。
そういう人を見てきた。
だから、自分が客側に回ったときには気をつけたい。
別に「理想のお客様」になる必要はない。
入店した瞬間から満面の笑顔で、
「本日も働いてくださりありがとうございます!」
なんて言う必要はない。
怖い。
店員さんも困る。
拍手もしなくていい。
チップを渡す必要もない。
ただ、
何かしてもらったら、
「ありがとうございます」
と言う。
それくらいでいいと思っている。
忙しそうなら少し待つ。
何かミスがあっても、いきなり敵として扱わない。
こちらの希望が通らなかったからといって、相手を責める前に「本当にこの人にどうにかできることなのか」と一度考える。
完璧な客になる必要なんてない。
普通に、一人の人間として接する。
それで十分だと思う。
感謝は、相手のためだけじゃない
僕は接客業を経験したからこそ、店員さんに感謝を持って接したいと思っている。
何かをしてもらった。
ありがとうございます。
料理を運んでもらった。
ありがとうございます。
案内してもらった。
ありがとうございます。
大したことではない。
でも接客をしていた側からすると、こういう普通の言葉が意外と嬉しかったりする。
接客業では、「できて当然」と思われることが多い。
100人に普通に対応しても、それは普通。
でも一回ミスをすると、その一回が目立つ。
だからこそ、「ありがとう」と言ってくれる人の存在は大きい。
そして僕は、感謝することは相手のためだけでもないと思っている。
店員さんを「サービスを提供する装置」ではなく、一人の人間として見る。
そうすると、自分も必要以上にイライラしなくなる。
少しくらい待っても、
「まあ忙しいんだろうな」
と思える。
ちょっとしたミスがあっても、
「そんなこともある」
と思える。
接客業を経験したことで、客としての自分も少し楽になった気がする。
接客業がしんどいなら、それは不思議なことではない
今、接客業をしていて、
「しんどい」
と思っている人がいるなら、それ自体は何も不思議なことではないと思う。
毎日、知らない人に反応し続ける。
自分の感情をある程度コントロールする。
相手を選べない。
理不尽なことを言われる日もある。
それでも次のお客さんには普通に接する。
そりゃ疲れる。
だから、全部を背負わなくていい。
全員に好かれなくてもいい。
全員を満足させられなくてもいい。
理解できない人を、無理に理解しなくてもいい。
仕事として必要なことをする。
それで十分な場面もたくさんある。
相手が不機嫌だからといって、全部自分の責任とは限らない。
あなたの接客が悪かったのではなく、
その人が最初から不機嫌だっただけ
ということも普通にある。
他人の機嫌まで自分の仕事にしてしまったら、接客業はあまりにも守備範囲が広すぎる。
それでも無理なら、離れてもいい
そして、どれだけ考え方を変えてもしんどいなら、接客業から離れるのも一つだと思う。
僕は「接客業は考え方次第で誰でも楽しく働ける」なんて言うつもりはない。
向き不向きはある。
仕事によって疲れ方も違う。
人と話すことより、一人で黙々と作業する方が楽な人もいる。
逆に、一人で作業するより、ずっと人と話している方が楽な人もいる。
接客業で消耗するからといって、
「自分は仕事ができない人間なんだ」
とまで考える必要はない。
単純に、人に反応し続ける仕事との相性が悪いだけかもしれない。
環境を変えれば、同じ8時間働いても疲れ方がまったく違うことはある。
自分に合う疲れ方を探してもいい。
仕事なんて、人生の全部ではない。
人間嫌いだったからこそ、続けられたのかもしれない
接客業を10年ほど経験した。
いろんな人を見た。
優しい人もいた。
面白い人もいた。
意味の分からない人もいた。
「そこをなんとか」と言われて、魔法使いへの転職を求められたこともある。
人間について、少しは詳しくなった気がする。
それで人間が大好きになったのか。
なっていない。
そこは変わらなかった。
でも、今振り返ると、それでよかったのかもしれない。
人間が好きじゃないから、全員に好かれようとしなかった。
他人に期待しすぎなかった。
分かり合えない人がいても、「まあ、そういう人もいる」で終わらせることができた。
必要な距離を取れた。
それが僕にとって、接客業を続けるための防具になっていた。
そして不思議なことに、人間嫌いのまま10年接客をした結果、
接客業をしている人へのリスペクトは、以前よりずっと強くなった。
人間を相手にするのは大変だ。
それを知っている。
だから、自分が客になったときくらいは、感謝を持っていたい。
「ああいう客にはならないようにしよう」
と思う。
完璧な客でなくていい。
ただ、目の前にいる人を店員という記号だけで見ない。
一人の人間として接する。
何かしてもらったら、
「ありがとう」
と言う。
それくらいは忘れたくない。
人間嫌いだったから、接客業を10年続けられた。
接客業を10年続けたから、人間を相手に働いている人のすごさが分かった。
そして今度は、自分が客としてその人たちと接する。
なんだか妙な話である。
でも、10年やったからこそ手に入ったものがあるとすれば、僕にとってはこれなのかもしれない。
人間を好きになる必要はない。
でも、目の前にいる一人の人間には、できるだけ敬意を持って接したい。
接客する側でも。
客になる側でも。
僕はこれからも、それくらいの距離で人間と付き合っていこうと思う。
