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あくびはなぜ失礼なのか?もう「あくび=失礼」、やめませんか

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あくびは失礼らしい。

困った。

僕は生き物である。

眠くなるし、疲れるし、あくびもする。

できることなら、人前で盛大なあくびなんてしたくない。誰かが真剣に話している目の前で、口を限界まで開いて、

「ふぁぁぁぁぁぁぁぁ〜」

なんてやろうとも思わない。

出そうになったら我慢する。

口を閉じる。

それでも出そうなら、手で覆う。

なるべく目立たないようにもする。

僕なりに気をつけている。

それでも、出るときは出る。

そして、あくびが一度外に出てしまうと、途端にそこへいろんな意味がくっついてくる。

「退屈している」

「話を聞いていない」

「集中していない」

「やる気がない」

「失礼だ」

たった一回、口が開いただけである。

ずいぶん遠くまで話が進んだ。

僕はいつから、あくび一つで人間性まで審査される生き物になったのだろう。

そもそも、あくびはなぜ失礼なのだろうか。

そして、どれだけ気をつけても出るものを「失礼」とする必要が、本当にあるのだろうか。

最近、そんなことを考えている。

目次

まず、僕たちは生き物である

当たり前すぎて、わざわざ書くほどでもない。

でも大事なので書いておきたい。

僕たちは生き物である。

眠くなる。

お腹が減る。

トイレにも行きたくなる。

くしゃみも出る。

咳も出る。

お腹だって鳴る。

そして、あくびも出る。

もちろん、人間は社会の中で生きているから、出るものをすべて好き放題に出していいわけではない。

会議中にお腹が減ったからといって、突然カバンから焼きそばを取り出して食べ始めたら、たぶんちょっと驚かれる。

トイレに行きたくなったからといって、人が話している途中で毎回無言で立ち去るのもどうかと思う。

くしゃみをするときは、人に飛ばないようにする。

咳が出るなら、周りへの配慮もする。

そこは分かる。

社会で生きる以上、ある程度のマナーは必要だ。

でも、それはあくまで**「出るものをどう扱うか」**の話ではないだろうか。

「出ることそのものが失礼」となると、話が変わってくる。

だって、完全にはどうしようもない。

朝から、

「本日は一度たりともあくびをいたしません」

と決意したところで、あくび側はそんな契約を結んでいない。

午後三時。

こっちは真面目に仕事をしている。

突然、向こうからやってくる。

あ。

来る。

まずい。

今はダメだ。

戻れ。

頼む。

戻ってくれ。

……ふぁ。

負けた。

こんなものまで人格の問題にされても困る。

どれだけ気をつけても、出るときは出る

「あくびなんて我慢すればいいじゃないか」

そう思う人もいるだろう。

僕もできるだけ我慢する。

そこに異論はない。

人と話しているときなら、なおさら気をつける。

でも、気をつけることと、完全になくせることは違う。

どれだけ気をつけても、出るときはある。

そして僕は、ここが妙に不公平だと思っている。

たとえば、誰かが会議中に一回あくびをしたとする。

それを見た人は、

「あの人、あくびしてたよ」

と言うかもしれない。

でも、その一回が出るまでに、その人が何回あくびを飲み込んだのかは誰にも分からない。

一回目だったのかもしれない。

五回我慢して、六回目だけ出てしまったのかもしれない。

ずっと眠気と戦っていたのかもしれない。

口を閉じ、奥歯を噛み、なんとか耐えていたのかもしれない。

その努力は誰にも見えない。

当然である。

我慢したあくびは、外から見えないからだ。

ところが、一回だけ外に出る。

その瞬間だけは、よく見える。

そして、

「集中してないな」

となる。

厳しすぎないだろうか。

五回の我慢は0点。

一回のあくびはマイナス10点。

なんという採点方式だ。

せめて五回分の我慢ポイントを先につけてほしい。

それなら、

我慢+5。

あくび-1。

合計+4。

まだ僕の勝ちである。

でも現実には、そんなポイントカードは存在しない。

見えてしまった一回だけが評価される。

僕たちは、人が何を我慢したかを見ることはできない。

だからこそ、たまたま見えた一瞬だけで、その人全体を判断しない方がいいんじゃないかと思う。

そもそも、なぜあくびは失礼に見えるのか

ここが一番不思議である。

なぜ、あくびは失礼なのだろう。

あくび自体が誰かに危害を与えるわけではない。

物を壊すわけでもない。

誰かを罵倒するわけでもない。

なのに、失礼に見える。

おそらく僕たちは、あくびそのものではなく、あくびの向こう側にある意味を見ている。

人と話しているとき、相手がこちらを見る。

うなずく。

相槌を打つ。

笑う。

体をこちらに向ける。

こういう行動を見ると、

「この人は僕の話を聞いてくれている」

と感じる。

反対に、スマホを見る。

よそ見をする。

目を閉じる。

そして、あくびをする。

こういう行動を見ると、

「この人は僕の話に興味がない」

と感じる。

つまり、

あくびをした

という事実が、

退屈している

に変換される。

さらに、

退屈している

話を聞いていない

自分に興味がない

自分を軽く扱っている

失礼な人だ

と進んでいく。

すごい。

最初はただ口が開いただけだったのに、最後には人格まで到達した。

あくび、ものすごい速度で出世している。

でも、ここで一度止まりたい。

その意味、本当に本人が発信したものなのだろうか。

「あなたの話は退屈です」

と言ったわけではない。

「あなたに興味がありません」

とも言っていない。

「早く帰りたいです」

とも言っていない。

ただ、あくびをした。

そこに周囲が意味を足している。

もちろん、本当に退屈している場合もあるだろう。

でも、単純に眠かっただけかもしれない。

前日が忙しかったのかもしれない。

朝が早かったのかもしれない。

長時間働いて疲れているのかもしれない。

本人に聞かなければ分からない。

それなのに、僕たちは「あくび」という一つの動作を見ただけで、本人の心の中にまで入った気になる。

あくびに、ちょっと意味を背負わせすぎではないだろうか。

眠そうに見えることと、やる気がないことは同じなのか

特に仕事では、この変換が起こりやすい。

あくびをする。

眠そうに見える。

すると、

「やる気がない」

につながる。

でも、これも考えてみると不思議だ。

眠いことと、やる気がないことは同じではない。

やる気があっても眠い日はある。

仕事をきっちりやっていても疲れる。

集中していてもあくびは出る。

逆に、あくびを一度もしないからといって、ものすごく仕事への情熱があるとも限らない。

あくびをせず、姿勢よく座り、真剣そうな顔をしながら、

頭の中では、

「晩ご飯何にしようかな」

と考えている人だっているだろう。

外からは分からない。

それなのに、なぜか僕たちは「眠そうに見えないこと」を「真面目さ」と結びつけたくなる。

仕事なら、本来見るべきものは仕事だと思う。

任されたことをやったのか。

期限を守ったのか。

周りに必要な配慮をしたのか。

ちゃんと成果を出したのか。

そこを見ればいい。

八時間、一度もあくびをしなかった。

だから何なんだ。

あくびをしないことは、成果ではない。

もちろん、接客中にお客さんの目の前で何度も盛大にあくびをするとか、明らかに仕事に支障が出ているなら別の話になる。

でも、一回あくびが出た。

それだけで「やる気がない人」にされるのは、どうにも納得できない。

僕たちは時々、「ちゃんと仕事をしているか」よりも「ちゃんと仕事をしているように見えるか」を大事にしすぎる。

あくびは、その象徴みたいなものなのかもしれない。

むしろ、起きていようとして頑張っているのではないか

そして僕は最近、逆のことまで考えるようになった。

あくびをしている人って、

むしろ頑張って起きている人なのではないか。

眠い。

本当なら目を閉じたい。

できることなら横になりたい。

でも、寝てはいけない。

だから起きている。

仕事を続ける。

授業を受ける。

会議に参加する。

人の話を聞く。

その途中で、あくびが出る。

それを見て、

「やる気がない」

と言われる。

いやいや。

こっちは起きている。

そこをまず評価してほしい。

本当にすべてを諦めた人は、あくびなんてしていない。

もう寝ている。

机に突っ伏している。

目を閉じている。

完全敗北である。

あくびをしているうちは、まだ戦っている。

眠気と僕との戦いは継続中だ。

つまり、

あくび=敗北

ではない。

あくび=戦闘継続中

である。

もちろん、「あくびをした人は全員ものすごく頑張っている」と言いたいわけではない。

ただ少なくとも、

「あくびをした=やる気がない」

と一方向に決めつけるくらいなら、

「眠いのに頑張って起きているのかもしれない」

という見方が一つくらいあってもいい。

同じあくびなのに、

「怠けている」

と見ることもできれば、

「耐えている」

と見ることもできる。

だったら、わざわざ悪い方だけを採用しなくてもいいじゃないか。

そして、本当に退屈だった場合

ただし、ここで大きな問題が残っている。

本当に退屈していた場合である。

誰かが話している。

長い。

とにかく長い。

どこへ向かっているのか分からない。

一つの話が終わったと思ったら、

「あともう一点だけ」

と言う。

その一点が十五分ある。

そして十五分後、

「最後に」

と言う。

さっきの一点は最後ではなかったらしい。

こちらは聞いている。

ちゃんと座っている。

逃げてもいない。

スマホも見ていない。

なんとか話を追いかけている。

でも眠い。

そして、ついに、

「ふぁ……」

と出る。

すると話している人が思う。

「人が話しているのに、あくびなんて失礼だ」

ここで僕は聞きたい。

退屈させているお前は失礼ではないのか。

かなり乱暴なことを言っている。

それは分かっている。

でも、一回くらい聞いてみたい。

なぜ、聞く側には、

「集中しなさい」

「ちゃんと聞きなさい」

「あくびをしないようにしなさい」

というマナーがあるのに、話す側には、

「できるだけ退屈させないように話しましょう」

というマナーがほとんど要求されないのだろう。

聞き手ばかりに厳しくないか。

三十分の話を一時間にしてもいい。

同じ話を三回してもいい。

結論がどこにあるのか分からなくてもいい。

聞いている側は最後まで姿勢を正し、目を輝かせ、適度にうなずき、決してあくびをしてはいけない。

難易度が高すぎる。

もちろん、すべての話を面白くしろなんて言わない。

仕事では退屈な説明も必要だ。

授業だって、すべてをエンターテインメントにする必要はない。

人間同士の会話だって、いつも面白いわけではない。

それでも、

あくびを我慢することが聞き手のマナーなら、人を必要以上に退屈させない努力も話し手のマナーではないか。

とは思う。

話を短くする。

要点をまとめる。

同じことを何度も繰り返さない。

相手の表情を見る。

「この話、長くなってないかな」と考える。

それくらいはできる。

誰かが自分の話の途中であくびをしたら、

「失礼だ!」

と怒る前に、

「あれ、僕の話長かった?」

と一瞬くらい疑ってもいい。

僕もそうしたい。

「あくびをした」と「あくびの仕方が失礼」は分けたい

ここまで書くと、

「じゃあ人前で好き放題あくびしていいってこと?」

と思われそうなので、これははっきりさせておきたい。

違う。

僕は、マナーそのものを全部なくしたいわけではない。

人の目の前で、口を最大まで開けて、

「ふぁぁぁぁぁぁぁ〜! 眠っ!」

とやれば、そりゃ感じが悪い。

相手が真剣な話をしている最中に、わざと見せつけるようにあくびをする。

これは失礼だと思う。

でも、それは、

「あくびが失礼」なのではなく、「振る舞いが失礼」なのではないか。

ここは分けたい。

あくびが出た。

口を覆った。

できるだけ目立たないようにした。

それでも相手に見えた。

もう、それでいいじゃないか。

くしゃみだってそうだ。

くしゃみが出た人を見て、

「なんて失礼な人なんだ」

とは普通ならない。

ただし、人の顔に向かって盛大にくしゃみをすれば話は変わる。

問題なのは、くしゃみそのものではなく、そのときの振る舞いである。

あくびも同じくらいでいいと思う。

出ることは責めない。出たときには少し配慮する。

これで十分ではないだろうか。

ゼロにすることをマナーにすると、人間であることそのものがマナー違反になってしまう。

「失礼」と言われると、人はあくび以外のことまで演じ始める

あくびについて考えていると、これはあくびだけの話ではない気がしてくる。

僕たちは、人からどう見えるかをかなり気にして生きている。

姿勢が悪いと思われないようにする。

機嫌が悪そうに見えないようにする。

ちゃんと聞いているように見せる。

興味があるようにうなずく。

笑った方がいいところでは笑う。

返事も適度な大きさでする。

そして、あくびも我慢する。

もちろん、周りへの配慮として必要なものもある。

でも、全部をやり始めると疲れる。

「ちゃんとする」ことより、

「ちゃんとしているように見せる」こと

に力を使うようになる。

人の話を聞きながら、あくびが出そうになったとする。

すると、頭の中がこうなる。

まずい。

あくび出そう。

我慢しないと。

口閉じよう。

目、涙出てないかな。

今あくびしたら失礼かな。

バレたかな。

……。

もう話聞いてない。

あくびを我慢することに集中しすぎて、肝心の話が入ってこない。

なんとも本末転倒である。

「ちゃんと聞いているように見せる」ために、話を聞けなくなっている。

だったら、口を覆って一回あくびをして、

「よし」

と戻ってきた方が、まだいいんじゃないか。

そんなことで評価を下げるなら、もう下げてもらっていい

僕もできるだけ気をつける。

人前なら口を覆う。

大事な話なら、なるべく我慢する。

相手に不快な思いをさせないようにもする。

そこまではやる。

でも、それでも出るときは出る。

どれだけ気をつけても出てしまった一回のあくびを見て、

「あいつはやる気がない」

「あいつは態度が悪い」

「あいつは失礼だ」

と僕という人間の評価まで下げるのなら、

もう下げてもらっていい。

それでいい。

僕は、その評価を守るためだけに、生理現象まで完璧に管理することはできない。

というより、そこまでして評価を守りたいとも思わない。

一回のあくびで下がる評価なら、たぶん別のことでもすぐ下がる。

返事が少し小さかった。

マイナス一点。

笑顔が少なかった。

マイナス一点。

会議中に一瞬よそ見した。

マイナス一点。

あくびをした。

マイナス一点。

そのうち、呼吸の回数まで採点されそうである。

僕はそんな採点表の満点を目指して生きたくない。

もちろん、他人からどう見られてもいい、という話ではない。

僕だって人と生きている。

最低限の礼儀は大切にしたい。

でも、

自分で気をつけられる部分には気をつける。

そのうえで、

どうしても出てしまうものまで責められたら、それはもう仕方がない。

それくらいの距離でいいと思う。

一瞬だけを見て、その人全部を決めなくていい

あくびに限らず、人は他人の一瞬を見て、そこから大きな物語を作る。

返事が短かった。

「怒っているのかな」

目が合わなかった。

「嫌われているのかな」

笑わなかった。

「機嫌が悪いのかな」

あくびをした。

「退屈しているのかな」

そこまでは自然なのかもしれない。

でも、そこから、

「自分のことを大切にしていない」

「やる気のない人だ」

「礼儀を知らない人だ」

まで行く必要はない。

返事が短かったのは、疲れていただけかもしれない。

目が合わなかったのは、考え事をしていただけかもしれない。

笑わなかったのは、単純に聞こえていなかったのかもしれない。

あくびをしたのは、

ただ眠かっただけかもしれない。

人間の一つ一つの行動に、そんなに深い意味があるとは限らない。

僕たちはもう少し、他人を雑に見てもいいんじゃないかと思う。

悪い意味で雑に扱うのではない。

余計な意味を足さないという意味で、雑に見る。

「あくびしたな」

「眠いんだな」

終わり。

それでいい。

相手の頭の中に勝手に入り込み、

「僕の話が退屈なんだ」

「僕を軽く見ているんだ」

「失礼な人なんだ」

と物語を作らない。

もし本当に気になるなら、聞けばいい。

でも、ほとんどの場合は聞くほどのことでもない。

あくび一つである。

もう「あくび=失礼」、やめませんか

僕はこれからもあくびをする。

たぶん明日もする。

仕事中にもするかもしれない。

誰かと話しているときに出そうになることもあるだろう。

そのときは、できるだけ我慢する。

出てしまったら口を覆う。

相手が真剣な話をしているなら、少し申し訳なく思うかもしれない。

それくらいの配慮はする。

でも、

あくびをしたことそのものを「失礼」とは、もう思わなくていいんじゃないか。

どれだけ気をつけても、出るときは出る。

それまで何回我慢していたのかも分からない。

眠いのに、それでも起きていようと頑張っているのかもしれない。

そして、本当に退屈していたのだとしても、聞いている側だけを責めるのではなく、

「もしかして話が長かったかな」

と話している側が少し考えたっていい。

あくびを我慢することがマナーなら、

人をあくびさせない努力も、少しくらいマナーに入れてほしい。

もちろん、わざと大きなあくびを見せつける必要はない。

口くらいは覆う。

配慮はする。

でも、生理現象そのものまで人格の評価に使わない。

それくらいでいい。

誰かがあくびをした。

眠いんだな。

疲れてるのかな。

昨日忙しかったのかな。

あるいは、

僕の話が長いのかな。

そのくらいの選択肢を持っておけばいい。

少なくとも、

あくびをした。だから失礼な人だ。

そんな一直線の評価は、もうやめたい。

そして、僕が一回あくびをしただけで、

「態度が悪い」

「やる気がない」

と評価を下げられるのなら、

もう下げてもらっていい。

僕はできる範囲では気をつける。

でも、人間であることまで隠して生きるつもりはない。

眠くなる。

疲れる。

あくびもする。

僕だけじゃない。

あなたもする。

みんなする。

だったら、もう少しくらい許し合ってもいい。

あくびをした人を見たら、

「失礼だ」

ではなく、

「まだ起きてるな」

くらいに思っておこう。

本当に限界が来たら、その人はたぶん寝る。

そのときに考えればいい。

だから、そろそろ。

もう「あくび=失礼」、やめませんか。

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