僕は映画館に行くと、かなりの確率でトイレに行きたくなる。
それも映画が終わる直前ではない。
開始30分。
40分。
まだ物語がようやく動き始めたくらいで、
「……あれ?」
となる。
嫌な予感がする。
さっきまで何ともなかったのに、急に膀胱の存在を感じ始める。
まだ大丈夫。
全然大丈夫。
そう自分に言い聞かせる。
しかし、一度気づいてしまうと終わりだ。
さっきまで映画しか存在していなかった頭の中に、
「おしっこ」
という新しい登場人物が現れる。
しかも、こいつの存在感がものすごい。
主人公より強い。
ヒロインより気になる。
物語の核心より気になる。
映画を観に来たはずなのに、気づけば僕は自分の膀胱について考えている。
僕の膀胱はどうしたんだ、一体。
家で映画を観ているときは、こんなことにならない。
2時間くらい普通に座っていることもある。
本を読んでいても平気だ。
仕事をしていても平気。
電車に乗っていても、毎回こんなことになるわけではない。
なのに映画館に来ると騒ぎ始める。
映画館に何か恨みでもあるのだろうか。
多分、メンタルだ
僕は以前から、これは多分メンタルの問題もあるんじゃないかと思っている。
と言っても、
僕のメンタルが弱いという話ではない。
仕事でも人間関係でも、わりと「まあええか」と思える方だ。
嫌われたら嫌われたで仕方ない。
失敗しても死ぬわけではない。
大抵のことは何とかなる。
ただし、
膀胱に関しては、胸を張って弱い。
映画が始まる前から考えてしまうのだ。
「途中でトイレに行きたくなったらどうしよう」
これがよくない。
映画館では、家と違って一時停止ができない。
トイレへ行っている間も映画は進む。
しかも僕が中央付近の席に座っていたら、隣の人の前を通らなければならない。
そう考えると、
「トイレに行けない」
という意識が強くなる。
すると不思議なもので、急に膀胱が気になり始める。
まだ尿意なんてほとんどないのに、
「大丈夫かな」
と確認してしまう。
大丈夫。
5分後。
「まだ大丈夫かな」
大丈夫。
さらに5分後。
「……ちょっと行きたい?」
こうなる。
一度、膀胱に意識を向けてしまうと、
「僕、ここにいますよ」
と主張してくる。
調べてみると、これは完全な思い込みとも言い切れないらしい。
不安やプレッシャーは尿意や頻尿を悪化させる要因になり得るとされている。
「途中でトイレに行きたくなったら困る」
という不安そのものが、さらに尿意を意識させる可能性があるわけだ。
なるほど。
やっぱりメンタルも関係しているのか。
ただし何度でも言っておく。
僕のメンタルが弱いわけではない。
膀胱メンタルが弱い。
そこは分けていただきたい。
そして僕は映画の前にコーヒーを飲む
もう一つ、僕には大きな心当たりがある。
コーヒーだ。
僕はコーヒーが好きだ。
映画館へ行く前にも飲むことがある。
映画館は暗い。
座席は快適。
映画によっては2時間以上ある。
途中で眠くなったら嫌だ。
せっかくお金を払って映画を観に来たのに、肝心なところで寝てしまっては意味がない。
だから眠気覚ましも兼ねて、
コーヒーを飲む。
そして映画が始まってから、
「トイレ行きたい」
と言っている。
何をしているんだ。
調べてみると、カフェインは人によって膀胱を刺激したり、尿意や頻尿を強めたりすることがある。
コーヒーだけではなく、カフェインを含むお茶やコーラなども、尿意が気になる人にとっては注意する候補になる。
つまり僕は、
眠気という敵を倒すためにコーヒーを投入し、
尿意という新しい敵を召喚している。
どちらを取るか。
寝るか。
おしっこか。
映画一本観るだけなのに、敵が多すぎる。
一度気になったら、もう頭の中はおしっこしかない
映画開始40分。
少し尿意を感じる。
まだ大丈夫だ。
我慢できる。
映画に集中しよう。
主人公が何か重要な話をしている。
でも僕の頭の中では、
「あと何分ある?」
が始まる。
上映時間を思い出す。
あと1時間半。
長い。
まだいけるか。
いや、今のうちに行った方がいいか。
でも今行ったら、このシーンを見逃す。
じゃあ、このシーンが終わったら行こう。
いや。
次にもっと重要なシーンが始まったらどうする。
もう少し待とう。
……。
映画が全然入ってこない。
主人公は人生について悩んでいる。
僕は膀胱について悩んでいる。
主人公には重大な選択が迫っている。
僕にも重大な選択が迫っている。
行くか。行かないか。
映画を観に来たはずなのに、
もう頭の中はおしっこしかない。
トイレへ行っても地獄、行かなくても地獄
「そんなに行きたいなら、トイレ行けばいいやん」
そう思うかもしれない。
僕もそう思う。
でも映画館の途中トイレは、それはそれで嫌なのだ。
まず立つのが気まずい。
通路側ならまだいい。
問題は中央だ。
「すみません」
立つ。
「すみません」
横向きになる。
「すみません」
隣の人の前を通る。
暗い。
足を踏みそうになる。
ドリンクを倒しそうになる。
そして僕の体が一瞬、スクリーンを遮る。
申し訳ない。
みんな映画を観ているのに、
突然、
おしっこへ向かう僕が横切る。
そしてトイレへ急ぐ。
もちろん、その間も映画は止まってくれない。
こっちは必死におしっこしている。
しかしその頃、スクリーンでは何が起こっているか分からない。
犯人が判明しているかもしれない。
重要人物が死んでいるかもしれない。
主人公が告白しているかもしれない。
物語最大の伏線が回収されているかもしれない。
僕は知らない。
なぜなら、
おしっこしているからだ。
急ぐ。
手を洗う。
急いで劇場へ戻る。
また暗闇を進む。
「すみません」
「すみません」
「すみません」
ようやく座る。
ところが、戻ってきたら戻ってきたで集中できない。
「何があった?」
となる。
さっきまで仲が悪かった二人が抱き合っている。
なんで。
知らない人が泣いている。
誰。
主人公が決意に満ちた顔をしている。
何を決意した。
隣の人に聞きたい。
「すみません、僕がおしっこしてる間に何がありました?」
聞けるわけがない。
だから想像で補う。
しかし、本当に合っているのか気になる。
そして急いで戻ってきたから、少し息も上がっている。
スクリーンでは静かな感動シーン。
周囲はしんとしている。
僕だけ、
ハァ……ハァ……。
最悪だ。
つまり、
行かずに我慢すれば尿意で集中できない。
行けば映画を見逃す。
戻ってきても話が分からなくて集中できない。
どう転んでも映画に集中できない。
せっかくの感動シーンが台無しだ
そして最悪なのが、感動シーンである。
主人公が大切な人へ最後の言葉を伝える。
音楽が流れる。
劇場からすすり泣く声が聞こえる。
隣の人も泣いている。
僕も泣きそうだ。
ただし、
理由が違う。
トイレに行きたい。
登場人物が涙を流している。
僕の膀胱も限界を訴えている。
本来なら物語に感動する場面なのに、
「あと何分?」
しか考えられない。
しかも、こういうときに限って感動シーンが長く感じる。
抱きしめる。
回想が入る。
音楽が流れる。
空を見る。
まだ終わらない。
もうええ。
早く幸せになってくれ。
僕をトイレへ行かせてくれ。
本来なら「この時間が終わってほしくない」と思うような名場面で、
僕だけ、
「早く終わってくれ」
と願っている。
せっかくの感動シーンが台無しだ。
あと10分。早く終わってくれ
そして終盤。
時計を見る。
あと10分くらい。
ここまで来ると、逆にトイレへ行けない。
2時間近く我慢したのだ。
最後の10分を見逃すわけにはいかない。
だから耐える。
「あと10分」
自分に言い聞かせる。
しかし、この10分が異様に長い。
主人公が立ち上がる。
おい。
もうええぞ。
座っとけ。
お前、どこも行かんでええぞ。
新しい場所へ向かうな。
知らない人に会いに行くな。
「最後に確かめたいことがある」
とか言うな。
ない。
もうない。
僕の中では全部解決した。
主人公が車のキーを握る。
置け。
「俺、行かなきゃ」
行かんでええ。
お前が今からどこかへ行ったら、また話が広がる。
15分増える可能性がある。
もういい。
伏線も多少残していい。
あいつの正体も次回でいい。
二人の関係も次回でいい。
世界の危機も一旦保留しよう。
よし。2で続きをしよう。そうしよう。
制作会社も続編を作れる。
観客も次を楽しみにできる。
みんな得する。
だから今日は終わろう。
僕はこの映画を観るためにお金を払って来たはずなのに、
終盤には、
映画が早く終わることを願っている。
もう何しに来たのか分からない。
長い映画は、それだけで怖い
もちろん上映時間も大きい。
90分の映画と180分の映画では、単純に座っている時間が倍違う。
しかも実際には本編だけではない。
映画館へ早めに着く。
場合によっては、その前にカフェへ行く。
映画館で飲み物を買う。
予告編を見る。
本編を見る。
エンドロールを見る。
最後にトイレへ行ってから考えると、かなり長時間になる。
そして映画が長ければ長いほど、僕の場合、
「途中で行きたくなったらどうしよう」
という不安まで大きくなる。
実は僕、『国宝』も映画館で観たかった。
歌舞伎の世界を描いた映画だ。
評判も気になっていた。
映画館で観たら映像も迫力があるだろう。
よし、観に行こう。
上映時間を調べた。
175分。
2時間55分。
……。
僕はそっとスマホを閉じた。
約3時間。
僕には、自分の膀胱に対する絶対的な信頼がない。
作品は観たい。
しかし途中でトイレへ行けば、大事な場面を見逃すかもしれない。
我慢すれば、後半は喜久雄の人生どころではない。
そして最悪の場合、
国宝を汚してしまう恐れ大だ。
それだけは避けなければならない。
文化財は守ろう。
約3時間も我慢していたら、
僕の膀胱が歌舞いてしまうぞ。
そっちの歌舞伎はいらない。
ちなみに『国宝』公式サイトでは、主人公・喜久雄の50年を描く壮大な一代記と紹介されている。
50年。
僕はその人生を観たい。
ただ、
僕の膀胱は175分すら待てない。
なぜ映画館ではトイレに行きたくなるのか
改めて調べてみると、映画館には尿意が気になりやすくなる条件が結構揃っている。
まず僕の場合は、先ほど書いたようにコーヒー。
カフェインは尿意や頻尿を強めることがあり、膀胱を刺激する飲み物として挙げられている。
さらに映画館ではコーラを飲む人も多い。
炭酸飲料も、人によっては膀胱を刺激して尿意を悪化させることがある。
そして量。
映画館のドリンク、大きい。
映画館側は、
「上映時間3時間です」
と言いながら、
「Lサイズのコーラはいかがですか?」
と巨大な液体を売っている。
どっち側なん。
短時間に大量の水分を取れば、それだけ膀胱も早く満たされやすい。NHS系の膀胱ケア情報でも、一度に大量の水分を取ることは尿意や頻尿につながり得ると説明されている。
さらに冷え。
映画館って、じっと座っていると意外と寒いことがある。
冷たい環境そのものが尿意のきっかけになることもあるとされている。
そして僕が最初から疑っていた、
心理。
「途中で行きたくなったらどうしよう」
「今は席を立てない」
「あと2時間ある」
こうした不安やプレッシャーも、尿意を意識しやすくする可能性がある。
つまり僕の場合、
コーヒーを飲む。
長時間座る。
映画館が寒い。
途中退出したくない。
トイレを気にする。
さらに尿意が気になる。
完璧な布陣である。
僕の膀胱を追い詰めるためのチームが完成している。
じゃあ、どうすればいいのか
ここからは僕が普段意識していることに加えて、今回調べて「これは使えそうだ」と思ったものもまとめてみたい。
まず、
映画前にカフェへ行かない。
僕の場合、これがかなり大きい。
映画まで30分ある。
ちょっとコーヒー飲もう。
これをやめる。
悲しい。
僕はコーヒーが好きなのだ。
でも映画前だけは我慢する。
眠気を倒すために尿意を召喚していては意味がない。
次に、
映画館でコーラを買わない。
これも悲しい。
映画館で飲むコーラはうまい。
ポップコーンとの相性もいい。
でも長編映画で尿意が不安なら、カフェインや炭酸を含む飲み物を避けるのは一つの選択肢になる。
では何を飲むのか。
僕なら水だ。
ただし大量に飲まない。
少しずつ飲む。
水だから無限に飲んでいいわけではない。
水だって大量に飲めば当然トイレへ行きたくなる。
逆に水分を極端に断つのもよくない。尿が濃くなることで膀胱を刺激する可能性があるため、膀胱ケア情報でも極端な水分制限は勧められていない。
つまり、
水をちびちび。
映画館まで来て、
水をちびちび。
隣の人は巨大なコーラ。
僕は水。
病院の待合室か。
通路側は膀胱界のプレミアムシート
そして座席。
僕はトイレが心配なら、できるだけ通路側を取りたい。
もちろん映画そのものを観るなら、中央の見やすい席がいいかもしれない。
でも中央には弱点がある。
トイレへ行くとき、人の前を何人も通らなければならない。
これが心理的に大きい。
通路側なら、
いつでも出られる。
実際に出るかどうかは別だ。
でも「行きたくなったらすぐ行ける」と思えるだけでも、僕には大きい。
だから僕にとって通路側は、
膀胱界のプレミアムシートである。
スクリーンの真正面より大切なものがある。
出口へのアクセスだ。
寒さ対策もしておく
映画館が寒そうなら、羽織れるものを持っていく。
ブランケットが使える映画館なら、それもいい。
泌尿器科医への取材記事でも、長編映画の尿意対策として、水分を取りすぎないことに加えて体を冷やさないことが挙げられている。
映画を観るだけなのに、
飲み物を調整して、
座席を選んで、
上着を用意する。
だんだん遠征みたいになってきた。
ポップコーンやボンタンアメで尿意を抑えられる?
調べていると、面白い対策も出てきた。
ポップコーン。
餅。
大福。
そして、
ボンタンアメ。
長時間映画の尿意対策として、こうした食べ物がSNSなどで話題になっているらしい。
特にボンタンアメや大福については、「食べると尿意を感じにくくなる」という話まである。
これは面白い。
しかし、医学的に確実な方法として認められているわけではない。
泌尿器科医への取材でも、糖分や米によって一時的に体内の水分移動へ影響する可能性には触れられているものの、確実な尿意対策として推奨できるものではないとされている。
つまり、
「ボンタンアメ食った。これで3時間無敵や」
とはならない。
残念だ。
でも映画館の尿意について調べていて、ポップコーン、餅、大福、ボンタンアメが一堂に会するとは思わなかった。
映画の記事を書いていたはずなのに、
途中から遠足のおやつみたいになっている。
最終兵器、おむつ
そして僕は考えた。
もっと根本的な方法はないのか。
尿意そのものを完全に消すのは難しい。
だったら、
「トイレへ行けなくても大丈夫」
という状況を作ればいいのではないか。
そこで思いついた。
おむつ。
もちろん、
「よし。今日はここでするぞ」
という話ではない。
使わない。
あくまで保険である。
僕の場合、「途中でトイレへ行きたくなったらどうしよう」という不安そのものが尿意を意識する原因の一つになっている気がする。
だったら、
「最悪、大丈夫」
という逃げ道があれば、逆に膀胱を気にしなくなるのではないか。
これは僕の仮説であって、医学的な尿意対策として勧めているわけではない。
ただ、
心のお守りとしてのおむつ。
可能性は感じる。
まだやっていない。
今のところ。
映画一本観るだけなのに
こうして僕の映画館トイレ対策が完成した。
映画の前にカフェへ行かない。
コーヒーを飲まない。
巨大なコーラを買わない。
飲むなら水を少しずつ。
通路側の席を取る。
体を冷やさない。
必要なら上映前にトイレへ行く。
ポップコーンやボンタンアメについては、過信しない。
そして最終防衛ライン、
おむつ。
完璧だ。
これなら安心して映画を観られる。
……。
ちょっと待ってくれ。
カフェには行かない。
大好きなコーヒーも飲まない。
映画館のコーラも諦める。
中央の見やすい席も捨てる。
上着を持っていく。
水をちびちび飲む。
そして、
おむつ。
映画一本観るのに、どれだけ準備しているんだ。
もう登山である。
映画館に行くだけなのに装備を整えている。
でも仕方ない。
僕は映画を最後まで集中して観たいのだ。
感動シーンで、
「あと何分?」
なんて考えたくない。
主人公が立ち上がった瞬間、
「もうええぞ。どこも行くな」
なんて思いたくない。
「続きは2でやろう」
と勝手に続編を決定したくない。
映画には最後まで好きに物語をやってほしい。
主人公には好きなところへ行ってほしい。
回想もしていい。
伏線も全部回収してくれ。
感動シーンも好きなだけ長くやってくれ。
僕は静かに座って観ていたい。
そのためにも、
次に長編映画を観に行くときは少し準備してみようと思う。
コーヒーを我慢する。
水分を取りすぎない。
通路側に座る。
冷えないようにする。
そして上映が始まったら、
なるべく膀胱のことを考えない。
大丈夫だ。
今日は対策してきた。
映画に集中しよう。
スクリーンを見る。
主人公が歩き始める。
物語が始まる。
10分。
20分。
30分。
……。
あれ。
ちょっとトイレ行きたいかもしれない。
僕の膀胱は、
今日も元気だ。
