朝に本を読むのと、夜に本を読むのは、どちらがいいのだろう。
読書を習慣にしようとすると、一度くらい考えることではないだろうか。
「朝は頭がすっきりしているから読書に向いている」
そんな話も聞く。
一方で、
「寝る前に本を読むのが好き」
という人も多い。
僕はどちらもやる。
朝に本を読む日もあるし、夜に本を読む日もある。通勤中にも読むし、仕事の休憩中にも読む。
本が読めそうな隙間を見つけたら、とりあえず本を開いている。
だから最初は、朝でも夜でも大して変わらないと思っていた。
読書は読書だ。
同じ本を読むなら、朝に30ページ読もうが、夜に30ページ読もうが同じじゃないか。
でも、両方やっているうちに、少しずつ違いを感じるようになった。
同じ30分でも、朝と夜では読書の感覚が違う。
集中の仕方も違う。
本の世界への入り方も違う。
そして、読む本によっても違う。
自己啓発書を読む朝と、小説を読む夜では、そもそも本を読む目的まで違っているような気がする。
結論から言えば、僕は夜読書のほうが好きだ。
理由はものすごく単純である。
僕は、小説が好きだからだ。
でも、朝読書が嫌いなわけではない。
むしろ本によっては朝に読みたい。
休日なら、朝から小説を読むのも好きだ。
では結局、朝と夜のどちらが読書に向いているのか。
両方やってみて感じたメリットとデメリット、読む本との相性について考えてみたい。
朝読書のメリット。まだ一日が始まっていない
朝に本を読む一番の良さは、まだ一日が始まっていないことだと思う。
起きる。
顔を洗う。
コーヒーを飲む。
本を開く。
まだ仕事も始まっていない。
誰とも大して話していない。
SNSもニュースも、それほど見ていない。
頭の中に入っている情報が少ない。
夜になると、頭の中には一日の残骸がたくさん残っている。
仕事で言われたこと。
自分が言ったこと。
明日やらなければならないこと。
どうでもいい会話。
帰り道で見たもの。
SNSで見た知らない人の投稿。
「なんであんなこと言ったんだろう」
という、今さら考えても仕方のない反省会まで始まる。
人間の頭は、夜になるほど散らかっている。
朝はまだ比較的きれいだ。
そこへ最初に本を置く。
これは気持ちがいい。
一日の最初に、誰かの言葉が入ってくる。
たった10ページでも、
「今日はもう本を読んだ」
という謎の達成感まである。
まだ午前8時なのに、一仕事終えたような気分になる。
何も成し遂げていない。
本を読んだだけである。
でも、ちょっと勝った感じがする。
誰に勝ったのかは知らない。
朝読書は、その日に使える
朝読書には、もう一つ大きなメリットがある。
読んだことを、その日のうちに使えることだ。
これは自己啓発書や仕事に関係する本を読むときに特に感じる。
たとえば、人との話し方について書かれた本を朝に読む。
「今日は相手の話を最後まで聞いてみよう」
と思う。
そのまま仕事へ行く。
すぐ試せる。
仕事術について読んだなら、その日の仕事で使える。
考え方について書かれた本なら、その考え方を一日持ち歩ける。
朝に一つ新しい視点を手に入れて、その視点で現実を見る。
これは朝読書ならではの面白さだと思う。
夜に同じ本を読んでも、もちろん意味はある。
ただ、
「よし、明日からやってみよう」
となる。
そして寝る。
朝起きる。
「何やるんやったっけ」
僕の場合、普通にある。
昨夜あれだけ感銘を受けていた自分はどこへ行ったのだ。
自己啓発書を読んで、
「明日から人生を変える」
と思った人間が、翌朝には目覚ましを三回止めている。
人間は弱い。
だからこそ、読んですぐ現実へ出ていける朝は強い。
新書も朝に読みたい
僕は新書も朝と相性がいいと思っている。
社会、歴史、科学、心理、教育、仕事。
もちろん新書といっても内容はいろいろあるが、現実の見方を少し変えてくれる本が多い。
朝に20ページ読む。
一つ知らなかったことを知る。
そのまま電車に乗る。
街を見る。
人を見る。
仕事をする。
すると、朝読んだことがふと現実とつながることがある。
「あ、これ本に書いてあったやつだ」
となる。
この瞬間が好きだ。
本の中にあった知識が、現実の中で急に立体になる。
だから僕にとって新書は、夜に一日を終えるための本というより、
朝に一つ視点をもらって、現実へ出ていくための本
に近い。
朝読書は、本を読んで終わりではない。
本を持ったまま、一日が始まる。
でも、朝に小説を読むと困る
ここまで書くと、
「じゃあ朝読書が一番いいじゃないか」
となりそうだ。
でも、僕には大きな問題がある。
僕が一番好きなのは、小説なのだ。
そして仕事がある日の朝に小説を読むと、どうにも物語へ入りきれない。
本を開く。
主人公が歩いている。
物語が動き始める。
面白くなってくる。
でも、頭の片隅にいる。
仕事が。
まだ出勤していないのに、もういる。
「あと50分」
「そろそろご飯食べないと」
「着替えないと」
「何時に出れば間に合う」
「今日あれやらないとな」
現実がうるさい。
小説を読んでいる僕の肩を、ずっと後ろから叩いてくる。
「そろそろですよ」
わかってる。
今いいところなんだ。
もう少し待ってくれ。
でも時計を見る。
あと30分。
また読む。
時計を見る。
あと20分。
もう物語どころではない。
朝は「何時まで読めるか」を考えてしまう
仕事がある日の朝読書で僕が一番苦手なのは、これだ。
何時まで読めるかを考えてしまう。
夜なら、
「今日はどこまで読もうかな」
と考えられる。
あと一章。
あと30ページ。
面白かったら、もう少し。
眠かったらやめる。
自分で決められる。
でも朝は違う。
終了時間が先に決まっている。
8時30分には家を出る。
なら8時には読むのをやめる。
物語がどれだけ盛り上がっていても関係ない。
犯人がわかりそうでも終わり。
主人公が告白しそうでも終わり。
怪物が出てきても終わり。
「続きは帰ってからね」
知らん。
今読みたい。
小説というのは、ページをめくっている時間だけが読書ではないと思う。
世界に入っていくまでの時間がある。
登場人物の感情に追いつく時間がある。
そして読み終わったあと、その世界からゆっくり戻ってくる時間もある。
朝には、その時間がない。
ものすごい一文に出会う。
本を閉じる。
「…………」
としたい。
でも時計を見る。
「やば、歯磨かな」
余韻が弱い。
現実が強すぎる。
朝が悪いのではなく、「このあと仕事」が強すぎる
だから、僕は最初、
「小説は朝読書に向いていない」
と思っていた。
でも、よく考えると少し違う。
朝が悪いわけではない。
「このあと仕事」という存在が強すぎるのだ。
仕事がある朝は、身体は家にいても、頭の一部がすでに職場へ向かっている。
小説を読んでいる。
でも完全には本の中へ入れない。
現実と物語の間に片足ずつ置いている感じがする。
これが自己啓発書や新書なら、それほど気にならない。
むしろ現実が待っているからいい。
読んだことを、そのまま仕事や生活へ持っていける。
でも小説の場合、僕は現実から離れたい。
知らない町へ行きたい。
知らない人の人生を生きたい。
百年前へ行ってもいい。
宇宙でもいい。
殺人事件の真ん中でもいい。
意味のわからない純文学の世界でもいい。
せっかく飛び立とうとしているのに、
「あと30分で出勤です」
と言われる。
飛べない。
朝読書のデメリットは「時間制限」だけではない
朝読書のデメリットとして、よく「時間が短い」と言われる。
確かにそれもある。
でも僕の場合、本当に大きいのは時間の長さではない。
時間制限を意識してしまうことだ。
仮に朝に1時間あったとしても、
「1時間後には終わる」
と知っている。
一方、夜に1時間しか読まなかったとしても、
「面白かったらもう少し読める」
という自由がある。
この違いは大きい。
読書時間が同じ60分でも、僕にとっては同じ60分ではない。
朝は終わりが外から決められている。
夜は終わりを自分で決められる。
だから僕は夜のほうが物語に入りやすい。
それに、朝には別の敵もいる。
眠気だ。
「朝は頭がすっきりしている」
と言われても、
いや、起きたばかりなんですが。
という日もある。
目が開いていない。
文字を追っている。
三行読む。
何も入っていない。
もう一度読む。
やっぱり入っていない。
朝の僕は、いつでも知的な人間ではない。
ただ眠そうなおじさんである。
夜読書は、一日を終えてから始まる
では、夜読書はどうか。
僕は夜に小説を読むのが好きだ。
仕事が終わる。
ご飯を食べる。
風呂に入る。
やることを終わらせる。
そして本を開く。
この時間になると、少なくとも今日の予定はほとんど終わっている。
もう出勤しなくていい。
誰かに呼ばれる予定もない。
何時までに家を出る必要もない。
ここから先は、自分の時間だ。
本を開く。
今度は飛べる。
朝は物語を読んでいても、現実が後ろで待っていた。
夜は違う。
現実を一度、横に置ける。
仕事で何があったとしても、ページを開けば別の場所へ行ける。
これが僕にとって、夜読書の一番大きなメリットだと思う。
朝は現実へ。夜は物語へ
朝読書と夜読書を両方やっていて、僕の中ではだんだん役割が分かれてきた。
朝は、現実へ向かう読書。
本から何かを受け取って、そのまま今日へ持っていく。
新しい考え方。
知識。
仕事のヒント。
一つの問い。
それをポケットに入れて外へ出る。
一方で、
夜は、現実から離れる読書。
今日あったことをいったん置く。
仕事も置く。
予定も置く。
自分自身さえ少し置く。
そして、物語の中へ入っていく。
僕にとって、この違いは大きい。
朝は、本から何かを持って現実へ出ていく。
夜は、現実を置いて本の中へ入っていく。
どちらも読書だ。
でも、向いている方向が逆なのだ。
夜は小説に沈める
僕が小説を読むときに求めているものは、情報だけではない。
もちろん小説から学ぶこともある。
知らなかった世界を知ることもある。
人間について考えることもある。
でも、それ以前に僕は物語へ入りたい。
登場人物の人生を少し借りたい。
自分では絶対に選ばない人生を覗いてみたい。
自分とはまったく違う価値観の人間についていきたい。
現実では行けない場所へ行きたい。
だから、時計を気にしながら読むより、
「もう今日はどこにも行かなくていい」
という状態で読みたい。
夜ならそれができる。
一時間読んでもいい。
二時間読んでもいい。
途中で本を閉じてもいい。
読み終わって、そのまま天井を見てもいい。
何か考えたくなったら考える。
何も考えたくなかったら、そのまま寝る。
この自由が、小説と相性がいい。
純文学は夜に読みたい
特に純文学は、僕にとって夜の本だ。
もちろん朝に読んでもいい。
休日の朝ならむしろ気持ちいい。
でも、どちらか一つ選ぶなら夜がいい。
純文学を読んでいると、一文で止まることがある。
意味が難しいからではない。
なんとなく引っかかる。
もう一度読む。
ページをめくる。
でも、さっきの文章がまだ残っている。
そういう読書が好きだ。
物語がどうなるかだけではなく、文章の感触や人物の感情を持ったまま、しばらくぼーっとする。
朝にそれをやると、
「そろそろ準備しないと」
が入ってくる。
夜なら、そのままでいられる。
本を閉じる。
部屋が静かになる。
さっきまで読んでいた言葉だけが頭に残る。
僕は純文学を読んだあと、すぐ現実に戻りたくない。
だから夜がいい。
ホラーは、もう夜でいい
ホラーについては、議論する必要がない。
夜である。
朝7時。
カーテンから日差しが入っている。
鳥が鳴いている。
トーストが焼けた。
コーヒーがおいしい。
そこで怪異が出てきても、
「はい、おはようございます」
となる。
怖さが弱い。
もちろん朝に読んでも怖い作品は怖い。
でも夜には、環境そのものが味方してくれる。
部屋が暗い。
外が静か。
家の中で何か音がする。
さっきまで気にならなかった廊下が気になる。
トイレへ行きたい。
行きたくない。
本を閉じても怖い。
これである。
ホラーは、本を読んでいる時間だけで終わらない。
読み終わったあと、現実の部屋まで少し怖くなる。
だから夜読書との相性がいい。
わざわざ自分で怖さを増幅させている。
何をしているのだろう。
でも、それが楽しい。
ミステリーも夜のほうが止めやすい。いや、止めにくい
ミステリーも僕は夜に読みたい。
理由は単純だ。
途中で止められないからだ。
朝、
「あと10分だけ」
と思って読んでいると、とんでもない事実が判明する。
無理だ。
ここで仕事へ行けというのか。
犯人がわかりそうなのに。
それでも家を出なければならない。
電車の中でも続きを読む。
乗り過ごしそうになる。
仕事中もちょっと気になる。
よくない。
夜なら、
「あと一章だけ」
ができる。
ただし夜には夜の問題がある。
あと一章。
もう一章。
ここまで来たらもう少し。
犯人だけ知りたい。
午前1時。
午前2時。
寝ろ。
夜読書は自由だ。
自由すぎる。
夜読書最大のデメリットは眠気
夜読書にも、もちろんデメリットがある。
最大の敵は眠気だ。
これは強い。
朝より圧倒的に強い。
仕事を終えて、ご飯を食べて、風呂に入る。
本を開く。
今日は50ページ読むぞ。
7ページ。
眠い。
昨日あれだけ、
「明日は絶対ここまで読む」
と思っていたのに、身体が拒否する。
文字が滑っていく。
同じ行を三回読む。
内容が入らない。
本がだんだん下がってくる。
最終的に顔へ落ちてくる。
読書終了。
小説に入り込みたいのに、夢の中へ入り込んでしまう。
これは夜読書のどうしようもない弱点だ。
面白すぎる本は睡眠を壊す
逆の問題もある。
眠くない。
面白すぎる。
これはこれで困る。
夜11時。
「あと30ページ」
0時。
「ここでやめるのは無理やな」
1時。
「あと一章だけ」
2時。
「もう最後まで読む」
翌朝。
後悔。
夜は終了時間を自分で決められる。
それが夜読書のメリットだと書いた。
でも、自分で決められる人間が、きちんと決められるとは限らない。
自由には責任が伴う。
まさか読書でこの言葉を使うとは思わなかった。
朝なら強制終了がある。
夜にはない。
だから面白い小説ほど危険だ。
夜読書は物語へ飛んでいける。
たまに帰ってこなくなる。
自己啓発書や実用書は朝がいい
では、読む本によって朝と夜を分けるなら、どうなるのか。
僕の場合、自己啓発書や実用書は朝がいい。
理由は、やはり現実へつながっているからだ。
自己啓発書を読む目的は、人によって違うだろう。
でも僕は、何か一つでも生活や考え方に持ち帰れたらいいと思っている。
それなら、読んだあとすぐ一日が始まる朝のほうが使いやすい。
「今日はこれを意識してみよう」
と決められる。
仕事に関係する本もそうだ。
朝読んだことを、その日の仕事で試せる。
本と現実の距離が近い。
朝には現実が待っている。
小説ではそれが邪魔だった。
でも実用書では、その現実が役に立つ。
面白い。
同じ「このあと仕事」が、本によってデメリットにもメリットにもなる。
哲学は朝でも夜でもいい
分類に困るのが哲学だ。
哲学は朝でも夜でもいい。
むしろ、時間によって楽しみ方が変わる。
朝に哲学を読む。
「幸福とは何か」
「自由とは何か」
「自分とは何か」
そんな問いを一つ持って外へ出る。
すると、一日中その問いがどこかに残る。
仕事をする。
人と話す。
電車に乗る。
ご飯を食べる。
普通の日常を過ごしながら、ときどき朝読んだ問いが戻ってくる。
朝の哲学は、問いを一日持ち歩く読書になる。
夜に哲学を読むと、また違う。
静かな部屋で一つの問いを考える。
ページが進まなくてもいい。
一文読んで10分考えてもいい。
誰にも急かされない。
そして深夜1時。
「そもそも僕とは何なのか」
知らん。
寝ろ。
夜の哲学は危険である。
でも楽しい。
だから哲学については、僕は朝と夜を選べない。
朝なら問いを現実へ持っていける。
夜なら問いの中へ自分が入っていける。
どちらもいい。
僕の場合、ジャンルで分けるとこうなる
ここまでの僕自身の感覚をまとめると、だいたいこうなる。
自己啓発書、実用書、仕事に関係する本、新書。
これは朝に読みたい。
読んだものを、そのまま一日の現実へ持っていけるからだ。
小説、純文学、ホラー、ミステリー。
これは夜に読みたい。
現実をいったん横に置いて、本の中へ入りたいからだ。
哲学。
これは朝でも夜でもいい。
朝は問いを持ち歩ける。
夜は問いに沈める。
もちろん、これは読書の正解ではない。
僕が両方やってみて、なんとなく感じる相性だ。
人によっては朝から長編小説を読むのが最高かもしれない。
寝る前に新書を読むのが落ち着く人もいるだろう。
それでいい。
本は好きな時間に読めばいい。
ただ、自分が「なぜこの時間にはこの本が読みやすいのか」を考えてみると、意外と面白い。
休日の朝は話が変わる
そして、ここまで書いてきたことを少し壊す。
休日なら、朝から小説もいい。
結局そうなる。
仕事の日の朝に小説へ入り込めないのは、朝だからではなかった。
このあと仕事があるからだ。
休日なら違う。
朝起きる。
コーヒーを淹れる。
小説を開く。
予定はない。
30分読む。
まだ読める。
一時間読む。
腹が減った。
何か食べる。
また読む。
昼になる。
最高じゃないか。
めちゃくちゃ飛べる。
つまり、小説への没入を邪魔していたのは朝日ではない。
予定だった。
これに気づいた。
「朝読書と夜読書、どっちがいい?」
という記事を書いているのに、朝と夜だけでは決められない。
仕事の日か。
休日か。
このあと予定があるのか。
何を読むのか。
どんな気分なのか。
全部関係する。
読書、思ったより面倒くさい。
予定のない朝は、夜に少し似ている
休日の朝に小説を読んでいると、夜読書と似ているところがある。
このあと何をしてもいい。
これだ。
僕が夜読書を好きな理由も、結局ここなのかもしれない。
夜そのものが好きなのではなく、読書のあとに強制的な予定がないことが好きなのだ。
仕事の日の朝は、読書の終了時間を会社が決めている。
もちろん会社から、
「8時12分に本を閉じてください」
と言われているわけではない。
でも出勤時間から逆算すれば、勝手に決まる。
休日にはそれがない。
だから朝でも飛べる。
となると、朝読書VS夜読書の本当の対決は、
予定のある読書VS予定のない読書
なのかもしれない。
僕は、予定のない読書が好きだ。
ものすごく当たり前の結論に近づいてきた。
読書は効率だけで決めなくていい
朝読書について調べると、集中力や習慣化、時間の有効活用といった話が出てくる。
もちろん、それも大事だと思う。
せっかく読むなら集中できたほうがいい。
習慣になれば本もたくさん読める。
でも、僕は読書を全部効率で考えたくない。
一時間で何ページ読めたか。
朝と夜でどちらが記憶に残ったか。
月に何冊読めたか。
そういう数字も面白い。
でも、小説を読むときに僕が欲しいのは、必ずしも効率ではない。
一ページで止まってもいい。
同じ文章を二回読んでもいい。
登場人物の気持ちを考えて、しばらく進まなくてもいい。
本を閉じてぼーっとしてもいい。
読書には、進んでいないように見える時間がある。
僕はその時間も好きだ。
だから「朝のほうが効率がいい」と言われても、それだけでは朝を選べない。
僕が欲しいのは、たくさん読む時間だけではなく、
深く入っていける時間なのだと思う。
朝読書と夜読書、結局どっちがいい?
では、結局どちらがいいのか。
たぶん、万人に共通する答えはない。
生活リズムによる。
仕事の時間による。
家族との時間にもよる。
朝型か夜型かにもよる。
そして何より、読む本による。
仕事や生活に生かしたい本なら、僕は朝が好きだ。
新書も朝に読みたい。
朝に一つ知識や考え方を手に入れて、それを持って一日を始める。
哲学なら、朝も夜もいい。
朝なら問いを一日持ち歩ける。
夜なら一つの問いにゆっくり沈める。
小説なら夜。
特に純文学やホラーは夜に読みたい。
ただし休日なら、朝から小説も最高だ。
ここまで条件がつくと、
「結局どっちやねん」
と言われそうである。
僕もそう思う。
でも、読書なんてそれくらいでいいのではないか。
それでも僕は夜読書を選ぶ
それでも一つ選べと言われたら、僕は夜を選ぶ。
理由は最初に書いた。
僕は小説が好きだからだ。
本から知識を得るのも好きだ。
新しいことを知るのも好きだ。
仕事や生活に使えることを読むのも面白い。
でも、僕が一番本に求めているのは、たぶんそこではない。
僕は飛びたい。
自分ではない誰かになりたい。
知らない町へ行きたい。
存在しない世界へ行きたい。
誰かの孤独を覗きたい。
自分には理解できない人の人生を少しだけ生きたい。
怖い場所へ行きたい。
悲しい話を読んで沈みたい。
意味のわからない文章に引っかかって、そのまま考えていたい。
そういう読書が好きだ。
だから、現実がすぐ後ろで待っている朝より、
今日の現実を終えた夜のほうがいい。
朝は、本を持って現実へ。夜は、現実を置いて本の中へ
朝読書と夜読書。
どちらにもメリットがある。
どちらにもデメリットがある。
朝は静かで、頭に余計な情報が少ない。
読んだことを、その日の生活へ持っていける。
その一方で、仕事や予定がある日は時間を気にしてしまう。
物語へ入り込んだところで、現実に呼び戻される。
夜は一日の予定を終えて、自由に読める。
小説へ沈める。
読み終わったあとの余韻も、そのまま抱えていられる。
その一方で眠い。
そして面白すぎると寝ない。
どちらも完璧ではない。
でも、両方やってみて、僕の中では一つの違いが見えてきた。
朝は、本を持って現実へ出ていく。
そして、
夜は、現実を置いて本の中へ入っていく。
僕はたぶん、後者が好きなのだ。
一日の終わり。
もう仕事へ行かなくていい。
時計をそれほど気にしなくていい。
本を開く。
ページをめくる。
少しずつ、自分がいた場所から離れていく。
さっきまで仕事をしていたことも、今日何を食べたかも、どうでもよくなっていく。
気づけば、知らない誰かの人生を心配している。
存在しない町の天気を気にしている。
起きてもいない事件の犯人を考えている。
そして本を閉じる。
電気を消す。
さっきまで読んでいた物語だけが、まだ頭の中に残っている。
明日になれば、また現実が始まる。
だったら今くらい、ここではないどこかへ行ってもいい。
僕は小説が好きだ。
だから、朝読書と夜読書のどちらか一つを選ぶなら、
僕は夜がいい。
