MENU

職場にはなぜゴシップ好きが大量発生するのか。うざすぎる。

当ページのリンクには広告が含まれています。

職場には、なぜか他人の人生にめちゃくちゃ詳しい人がいる。

「あの人、彼氏と別れたらしいで」

「○○さん、旦那さんとうまくいってないらしい」

「あの二人、最近ちょっと怪しいらしいで」

知らん。

そして、なぜお前が知っている。

僕は職場の人間のプライベートなど、つゆほど興味がない。

結婚していようが、離婚していようが、彼氏がいようが、昨日夫婦喧嘩をしていようが、僕の仕事にはほとんど関係がない。

今日ちゃんと出勤している。

必要なときに仕事の話ができる。

それで十分である。

自分の人生だけでも、それなりに忙しい。

本を読みたい。飯も食いたい。家にも帰りたい。

そのうえ、田中さんの離婚事情まで抱えていられない。

それなのに、職場ではゴシップがよく飛び交っている。

飲み会になると、さらにすごい。

本人のいないところで、

「○○さんって、実はこうらしいで」

「えー! そうなん!」

と盛り上がっている。

みんな楽しそうだ。

何がそんなに楽しいのだろう。

僕には、いまだによくわからない。

他人の恋愛事情。

夫婦関係。

誰と誰が仲が悪い。

誰が上司から嫌われている。

僕はその横で唐揚げを食べている。

唐揚げの方が、圧倒的に興味深い。

目次

「これ言ったらあかんねんけど」

職場のゴシップには、必ずと言っていいほど前置きがある。

「これ言ったらあかんねんけど……」

じゃあ、言うな。

あなたは今、自分で答えを言った。

頼む。その理性をあと五秒だけ維持してくれ。

「絶対誰にも言わんといてな」

とも言われる。

いや、僕は今の今まで知らなかったのだ。

あなたが僕に言わなければ、僕が誰かに言う確率はゼロだった。

「ここだけの話やねんけど」

この「ここ」は、一体どこまで広いのだろう。

僕の経験上、かなり広い。

秘密が職場を一周して、別の人からもう一度僕のところへ帰ってくることすらある。

「これ言ったらあかんねんけど」は、秘密を守るための言葉ではない。

もはや、

「今から私は言ってはいけないことを言います」

という開会宣言である。

なぜ、そんなに他人のことが気になるのだろう

ただ、ここまでゴシップがどこの職場でも発生するとなると、少し不思議でもある。

なぜ人は、そんなに他人のことが気になるのだろう。

僕なりに考えてみた。

一つは、優越感なんじゃないかと思う。

誰かが仕事で失敗した。

誰かが上司に怒られた。

誰かが恋人と別れた。

それを知ることで、ほんの少しだけ自分が上にいるような気持ちになる。

もちろん、誰かが仕事で失敗したところで、僕の仕事能力が上がるわけではない。

誰かが恋人と別れたところで、僕の人生が充実するわけでもない。

自分の位置は、一ミリも動いていない。

それでも、誰かが下がったように見えると、相対的に自分が上がったような気がする。

人間とは、不思議なものである。

もう一つは、自己評価の低さも関係しているのかもしれない。

自分の中に「まあ、僕は僕でいいか」がないと、周囲の人間の位置が気になる。

誰が評価されている。

誰が嫌われている。

誰が上司に気に入られている。

誰が失敗した。

そんな情報を集めながら、自分が今どこにいるのかを確認する。

「○○さん、みんなから嫌われてるらしいで」

そう聞けば、

少なくとも自分ではない。

少し安心する。

今日は。

もちろん、本当にそうなのかは知らない。

ただ、ゴシップには、自分と他人を比べる材料としての側面もあるんじゃないかと思う。

悪口は、仲間を作るのが早い

そして、もう一つ。

仲間意識。

これもかなり大きい気がする。

「○○さん、ちょっと苦手やねん」

「わかる! 私も!」

これだけで、急に二人の距離が縮まる。

共通の趣味がなくてもいい。

好きな音楽が違ってもいい。

休日の過ごし方がまったく違ってもいい。

共通の嫌いな人が一人いれば、仲間になれる。

ものすごく手軽である。

「私たち」と「あの人」。

この構図ができた瞬間、妙な連帯感が生まれる。

ゴシップというのは、職場で人と仲良くなるための、かなり即効性のある接着剤なのかもしれない。

ただし、この接着剤には重大な欠点がある。

今日、二人でAさんの噂話をしている。

楽しい。

意気投合する。

そして僕がトイレへ行く。

第二部・僕編が始まる可能性がある。

さっきまで「私たち」だった僕が、席を外した瞬間「あの人」になる。

そんな仲間意識なら、僕はいらない。

ゴシップは、勝手に続きを書く

そして僕が職場のゴシップを信用しない理由が、もう一つある。

だいたい盛られている。

もちろん、全員が悪意を持って嘘をついているとは思わない。

でも、人から聞いた話を録音データのように、そのまま次の人へ渡すことなんてできない。

本人がAさんに話す。

AさんがBさんに話す。

BさんがCさんに話す。

そしてCさんが僕に話す。

その間に、

「たぶんこういうことだと思う」

「あの人なら、こう考えてそう」

「そういえば前にもこんなことがあった」

そんな解釈が少しずつ混ざっていく。

「上司に少し注意された」

だった話が、

「上司に怒られたらしい」

になり、

「めちゃくちゃ怒られたらしい」

になり、

「上司と揉めてるらしい」

になり、

最終的には、

「辞めるらしいで」

になっている。

どこで退職した。

しかも、普通の話より面白い話の方が人に伝えたくなる。

「田中さんが上司と普通に話していた」

こんな話を、わざわざ家に持って帰る人はいない。

でも、

「田中さん、上司と揉めてるらしいで」

となると、急に話したくなる。

つまりゴシップは、人から人へ渡っていくうちに、人に話したくなる形へ少しずつ変わっていく。

事実そのものより、「その方がおもしろい」という物語が生き残る。

僕は、勝手に付き合っていた

僕自身、職場のゴシップの登場人物になったことがある。

同僚と一緒に帰っていただけなのに、

なぜか付き合っていることになっていた。

もちろん、付き合っていない。

一緒に帰った。

ただ、それだけである。

どうやら職場では、男女が同じ方向に歩くと交際が始まるらしい。

恋愛というものは、僕が思っていたよりずっと簡単だった。

告白もしていない。

デートもしていない。

手もつないでいない。

帰った。

交際開始。

僕の知らないところで、僕の人生が進んでいた。

一緒に帰っていた。

それは事実である。

仲がいい。

まあ、そうかもしれない。

付き合っている。

誰がそこまで行けと言った。

事実と事実の間にある余白を、誰かが想像で埋める。

その想像を聞いた別の誰かが、さらに続きを書く。

そうやって、ただの帰宅が恋愛になった。

この経験があってから、僕は職場の噂話を基本的に信用しないようにしている。

というより、

本人から直接聞いた話しか、信用しない。

「○○さん、こうらしいで」

と聞いても、

本人が言っていたのか?

と一度考える。

本人から聞いていないのなら、僕の中では保留である。

ただし、本人に確認しに行くわけでもない。

「なあ、離婚したん?」

なんて聞かない。

そこまでして真相を知りたいわけではない。

本人が僕に話したいことなら、本人から話すだろう。

話さないのなら、僕が知らなくていいことなのだと思う。

他人に興味を持つことと、他人のプライベートを勝手に娯楽にすることは、たぶん別の話だ。

僕の噂は、好きに育ててくれ

ただし、一つだけ例外がある。

僕についての噂なら、好き勝手やってくれて構わない。

もう盛ってくれていい。

同僚と一緒に帰っただけで付き合っていることになったのなら、その先も自由だ。

結婚したことにしてもいい。

子どもが三人いることにしてもいい。

実はものすごい金持ちでもいい。

海外に別荘を持っていてもいい。

好きなように設定を追加してほしい。

好きなように育ててくれ。

僕は訂正して回らない。

誰が何を信じているのか、確認する気もない。

僕が職場の人のプライベートに興味がないように、職場の人が僕をどう思っているのかにも、あまり興味がない。

それくらい、僕は職場の人間に興味がない。

そう考えると、職場のゴシップも少しだけ面白く思えてきた。

僕の知らないところに、もう一人の僕がいる。

彼女がいる僕。

結婚している僕。

金持ちの僕。

ものすごく性格が悪い僕。

もしかすると、僕の知らない僕は、今日も職場のどこかで少しずつ成長しているのかもしれない。

もう止めるつもりはない。

好きに生きてほしい。

明日は、どんな人物になっているんだろうと思うと、

なんだかウキウキしてきた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次