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職場の机はフィギュアにぬいぐるみ、写真。または整理整頓。どうして個性をここで出すのか。

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職場の机。

それは、

「これが私です」

の披露の場だ。

会社によって違うだろうが、職場を見渡してみると、本当にいろんな机がある。

フィギュアが置いてある机。

ぬいぐるみが置いてある机。

家族の写真が飾ってある机。

お気に入りらしいマグカップ。

キャラクターグッズ。

観葉植物。

逆に、何一つ置かれていない机もある。

書類すらない。

パソコン。

キーボード。

マウス。

以上。

ホテルのチェックアウト後みたいに綺麗である。

同じ会社。

同じような机。

同じような仕事をしている。

それなのに、一人ひとり全然違う。

不思議だ。

仕事をするだけなら、ぬいぐるみはいらない。

フィギュアもいらない。

家族写真もいらない。

ミッフィーはExcelを入力してくれない。

クマは電話を取らない。

観葉植物は会議に出ない。

家族写真に写っている家族も、おそらく今日の売上には貢献しない。

それなのに、なぜ人は職場の机で個性を出すのだろう。

目次

頼んでもいないのに、その人のことを知ってしまう

僕は別に、職場の人が何を好きなのか、そんなに知りたくない。

冷たいと思われるかもしれない。

でも本当にそうなのだから仕方がない。

この人は何のキャラクターが好きなのか。

休日に何をしているのか。

家族構成はどうなのか。

どこへ旅行したのか。

誰を推しているのか。

別に知らなくていい。

仕事で必要なら話す。

必要がなければ知らなくても困らない。

ところが机というものは、頼んでもいないのに情報を出してくる。

フィギュア。

「あ、この作品が好きなんだ」

ぬいぐるみ。

「こういうキャラクターが好きなんだ」

家族写真。

「家族がいるんだ」

旅行先のお土産。

「ここへ行ったんだ」

こちらから質問していない。

机が勝手にプロフィールを公開している。

SNSなら見なければいい。

プロフィールページを開かなければいい。

ところが職場の机は違う。

毎日そこにある。

視界に入る。

嫌でも入る。

特に、ぬいぐるみ。

変なぬいぐるみが、ずっとこっちを見ている。

仕事をしている。

視線を感じる。

見る。

いる。

昼休み。

見る。

まだいる。

夕方。

疲れてきた。

ふと見る。

まだこっちを見ている。

何なんだ、お前は。

持ち主が休みの日までいる。

お前だけ出勤してくるな。

僕はお前のことを何も知らない。

名前も知らない。

何のキャラクターなのかも知らない。

でも毎日顔を合わせている。

下手したら持ち主より見ている。

不思議な関係である。

課長の机には家族写真がある

そして僕の職場にも、家族写真を置いている人がいた。

課長だ。

机に家族の写真が飾ってある。

それを初めて見たとき、僕は、

「家族思いの素敵なお父さんなんだな」

とは思わなかった。

僕が最初に思ったのは、

「胡散臭いやつだな」

だった。

ひどい。

自分でも分かっている。

家族写真を置いているだけだ。

何も悪いことはしていない。

ただ家族が好きなのかもしれない。

仕事で疲れたときに写真を見ると元気が出るのかもしれない。

大切な家族を近くに感じていたいだけかもしれない。

それなのに僕は、

「何いいパパアピールしてんだ」

と思った。

本当に性格が悪い。

でも、ここに机の面白さがあるような気もする。

本人は、

「俺はいいパパだぞ!」

なんてアピールするために置いていないかもしれない。

ただ好きだから置いている。

それだけかもしれない。

しかし、それを見た側は勝手に意味を読み取る。

「家族を大切にしているんだな」

と思う人もいる。

「素敵ですね」

と思う人もいる。

そして僕みたいに、

「何いいパパアピールしてんだ」

と思う、ひねくれた人間もいる。

つまり机に何かを置いた瞬間、

その意味を決めるのは、置いた本人だけではなくなる。

見る人が勝手に解釈する。

これはちょっと怖い。

ぬいぐるみを置いただけなのに、

「かわいいものが好きな人」

と思われる。

フィギュアを置いただけなのに、

「この作品が大好きな人」

と思われる。

写真を置いただけなのに、

「家族思いの人」

あるいは僕から、

「いいパパアピールしてる人」

と思われる。

机とは、とんでもない情報発信装置なのかもしれない。

でも、本人は個性を出しているつもりなんてないのかもしれない

ここで一つ考えた。

僕は最初、

「なぜ職場の机で個性を出すのだろう」

と思った。

でも、そもそも本人たちは個性を出しているつもりなのだろうか。

「よし。今日は会社で自分らしさを表現するぞ」

と思って、ぬいぐるみを持ってきているわけではないだろう。

たぶん、

好きだから。

かわいいから。

見ていると落ち着くから。

家族が大切だから。

お気に入りだから。

便利だから。

その程度なのかもしれない。

でも、その積み重ねが結果的に個性になる。

本人は自己紹介しているつもりがない。

なのに、

机が勝手に自己紹介している。

これは面白い。

何も置かない人だって同じだ。

「俺は無個性でいくぞ」

なんて考えていないだろう。

邪魔だから置かないだけかもしれない。

毎日片付ける習慣があるだけかもしれない。

職場に私物を持ってきたくないだけかもしれない。

でも第三者から見れば、

「この人の机、いつも綺麗だな」

という印象になる。

つまり、

個性を出そうとしても出る。

個性を出そうとしなくても出る。

逃げられない。

机、怖い。

人は会社の机を「自分の場所」に変えているのか

気になって調べてみると、職場の机を自分仕様にする行動は、ちゃんと研究されていた。

オフィスのパーソナライズ。

つまり、自分の仕事場に写真や私物などを置き、自分らしい空間にしていく行動である。

職場の環境や縄張り行動についての研究では、こうした私物の配置は、その場所に対する心理的な所有感や「自分の場所」という感覚と関係するものとして研究されている。

考えてみれば納得できる。

入社した初日。

机がある。

ただの机だ。

誰かが用意した机。

会社の机。

そこに自分のペンを置く。

マグカップを置く。

写真を置く。

ぬいぐるみを置く。

引き出しに自分の物を入れる。

毎日そこに座る。

一週間。

一か月。

一年。

いつの間にか、

「会社にある机」から「僕の机」になる。

所有権は会社にある。

でも心理的には、

「ここ、俺の場所」

になる。

なるほど。

人間も縄張りを作るのか。

犬が電柱にマーキングするように、僕たちはマグカップを置く。

ぬいぐるみを置く。

家族写真を置く。

「ここです」

「私はここにいます」

と、自分の痕跡を残しているのかもしれない。

そう考えると、職場の机に私物が増えていくのも少し分かる。

会社は自分の家ではない。

好きな場所でもないかもしれない。

でも毎日何時間も過ごす。

だったら、その中のほんの小さなスペースくらい、

「自分の場所」にしたい。

そんな心理があっても不思議ではない。

ぬいぐるみは仕事をしない。でも意味はあるのかもしれない

職場を自分らしく飾ることと、働く人の満足感について調べた研究もある。

2000年に『Journal of Environmental Psychology』に掲載された研究では、20社338人のオフィスワーカーを調査し、ワークスペースのパーソナライズと、物理的な職場環境への満足、仕事への満足、ウェルビーイングとの関連が検討されている。

結果として、職場を自分らしくすることは、物理的な職場環境への満足や仕事への満足を介して、働く人のウェルビーイングと間接的に関連していたと報告されている。

なるほど。

ぬいぐるみ。

お前、意味あったんだな。

僕はずっと、

「何でこいつこっち見てんねん」

と思っていた。

でも持ち主にとっては、職場を少しだけ居心地のいい場所にしているのかもしれない。

仕事で疲れる。

嫌なことがある。

ふと横を見る。

クマ。

「……クマがおる」

それだけで少し落ち着く人もいるのだろう。

クマはExcelを入力しない。

電話も取らない。

会議にも出ない。

売上も作らない。

でも、

そこにいる。

それが仕事なのかもしれない。

そう考えると、ぬいぐるみを見る目も少し変わってくる。

いや。

やっぱりこっち見んな。

私物は「私はこういう人です」を確認するものでもある

さらに面白い研究がある。

固定席を持たない、いわゆるノンテリトリアルなオフィスについて調べた研究では、個人的な所有物を飾る機会が制限されることで、一部の従業員が職場での自分らしさやアイデンティティを確認しにくくなったことが報告されている。

これも面白い。

ぬいぐるみ。

写真。

フィギュア。

本。

マグカップ。

そういうものは他人に、

「これが私です」

と見せるだけではない。

自分自身にも、

「これが私です」

と確認させているのかもしれない。

職場にいると、基本的には会社員になる。

役職がある。

部署がある。

仕事がある。

ルールがある。

でも家族写真を見れば、

「自分は父親でもある」

と思える。

推しのグッズを見れば、

「仕事以外にも好きなものがある」

と思える。

フィギュアを見れば、

「自分はこの作品が好きだ」

と思える。

会社の中にいる自分だけが、自分の全部ではない。

それを小さな私物が思い出させてくれる。

そう考えると、

「これが私です」の披露の場

という最初の僕の考えは、半分当たっていて、半分違うのかもしれない。

他人に披露しているだけではない。

自分自身にも披露している。

では僕の机はどうなのか

ここまで、他人の机について偉そうに考えてきた。

フィギュア。

ぬいぐるみ。

家族写真。

整理整頓。

縄張り。

自己表現。

心理的所有感。

アイデンティティ。

では、

僕の机はどうなのか。

鬼汚い。

昔の書類が散乱している。

書類。

書類。

また書類。

何かのメモ。

もう使っていない紙。

いつのものか分からない資料。

「これは何だ?」

と思うものまである。

別に僕は、

「書類を使って自分らしさを表現しよう」

と思っているわけではない。

そんな高尚な理由ではない。

僕はただ、整理できない人だから汚いだけだ。

以上。

心理学終了。

縄張りでもない。

自己表現でもない。

片付けられない。

ただそれだけである。

でも面白いことに、結果として僕の個性は猛烈に出ている。

他の人が僕の机を見れば、

「あいつ整理できないんだろうな」

と思うだろう。

正解である。

ぬいぐるみの人は、

「かわいいものが好きなんだな」

と思われる。

家族写真の人は、

「家族を大切にしているんだな」

と思われる。

僕は、

「整理できないんだな」

と思われる。

プロフィールとして弱い。

他の人は趣味や大切なものを公開しているのに、

僕だけ欠点を公開している。

僕の机にも縄張り意識があるのだろうか

ただ、調べているうちに少し気になってきた。

僕は本当に、

「整理できないから汚いだけ」

なのだろうか。

もちろん直接的な理由はそれだ。

間違いない。

でも毎日そこを使っている。

自分の書類がある。

自分のペンがある。

自分が置いたものがある。

散らかっているけれど、

そこは確かに、

「僕の机」

になっている。

もし誰かが勝手にやってきて、

「汚かったから全部片付けておいたで!」

と書類を移動させる。

これはここ。

これは引き出し。

これは捨てる。

全部綺麗。

となったら、

たぶん僕は思う。

「勝手に触んなや」

汚い。

自分でも汚いと思っている。

片付けもしない。

でも他人が触るのは違う。

何なんだ、この勝手な心理は。

もしかすると、僕の書類の山も無意識では、

「ここは僕の場所です」

という印になっているのだろうか。

一枚。

二枚。

三枚。

書類が積み重なる。

マーキングである。

僕は犬だったのかもしれない。

そして課長が僕の縄張りを破壊しに来る

そんな僕の机を見て、課長が言う。

「お前、これ捨てろ」

昔の書類である。

確かにいらない。

今後使う可能性も低い。

邪魔である。

正論だ。

でも、なんだろう。

少し腹が立つ。

おい。

僕を捨てろと言っているのか。

これは僕だ。

僕が長い時間をかけて作り上げた書類の地層だ。

一番上は最近。

下へ行けば行くほど古くなる。

掘れば歴史が出てくる。

ここは机ではない。

遺跡である。

発掘してみろ。

昔の僕が出てくるぞ。

でも課長はそんな僕の歴史に興味はない。

「捨てろ」

終わり。

くそう。

待て。あっちの机のぬいぐるみはいいのか

そこで僕は周囲を見る。

ぬいぐるみ。

フィギュア。

写真。

観葉植物。

……待て。

それ、業務に関係ある?

僕の書類は、少なくとも昔は業務に関係していた。

今は関係ない。

でも昔はあった。

ぬいぐるみ。

お前はどうだ。

一度でも業務に関係したことがあるのか。

ないだろう。

入社初日から戦力外である。

フィギュア。

お前もだ。

電話一本取ったことがない。

観葉植物。

お前に至っては光合成しているだけだ。

家族写真。

もちろん大切だろう。

でも業務には関係ない。

なのに、

僕の書類だけ、

「捨てろ」

と言われる。

おかしい。

仕事に関係ないものが生き残り、

かつて仕事に関係していたものが処分される。

諸行無常である。

課長、お前の家族写真はどうなんだ

そして僕は気づく。

僕に、

「この書類捨てろ」

と言っている課長。

その課長の机には、

家族写真がある。

おい。

それはいいのか。

業務に必要なのか。

その写真を見ないと仕事が進まないのか。

Excelが開かないのか。

電話番号を忘れるのか。

違うだろう。

僕の書類には、

「捨てろ」

自分の家族写真は、

「置いておく」

何いいパパアピールしてんだ。

胡散臭いやつだな。

もちろん口には出さない。

僕も大人である。

心の中だけで、

「お前のそれも業務に関係ないやろ」

と言う。

ただ、別に僕は課長の家族写真を捨ててほしいわけではない。

そんなことを望んでいるわけではない。

家族写真は置いておけばいい。

大切なのだろう。

僕が求めているのは、

共存である。

課長。

お前は家族写真を置け。

僕は昔の書類を置く。

互いに干渉しない。

平和条約を結ぼう。

無理だろうか。

課長からしたら、

「いや、お前はゴミ捨てろ」

で終わる話なのだろう。

「仕事できる人は整理整頓できる人やで!」

悔しいけれど、僕は片付けを始めた。

いらない書類を捨てる。

これは?

いらない。

これは?

いらない。

これは何だ?

分からない。

捨てる。

次。

いらない。

次。

いらない。

全部いらんやないか。

課長が正しかった。

腹が立つ。

どんどん机が綺麗になっていく。

すると課長がやってきた。

机を見る。

そして言った。

「お前、綺麗なったやん」

はい。

綺麗になりました。

さらに課長。

「仕事できる人は整理整頓できる人やで!」

キリッ。

……。

黙れ。

なんだその格言。

どこで聞いた。

本当にそうなのか。

本当に「机が綺麗=仕事ができる」なのか

こういう話はよく聞く。

「仕事ができる人は机が綺麗」

「整理整頓できない人は仕事も整理できない」

「デスクを見れば仕事ができるか分かる」

本当だろうか。

調べてみると、そんなに単純な話ではなかった。

2013年に発表された有名な実験では、整然とした部屋と散らかった部屋で参加者に課題を行わせたところ、散らかった環境にいた参加者のアイデアが、創造性の面で高く評価されたと報告された。

おい。

課長、ちょっと来い。

僕の時代が来た。

僕の机は汚い。

つまり僕はクリエイティブ。

昔の書類はゴミではない。

創造性を生み出す装置だったのだ。

捨てさせやがって。

返せ。

今すぐゴミ箱から戻してくれ。

……と言いたいところだが、残念ながら話はそこで終わらない。

その後、より大きなサンプルと複数の創造性・実行機能の課題を使って行われた追試では、散らかった机と整理された机の間に、創造性や実行機能の有意な差は確認されなかった。

研究者たちも、現段階で「散らかった机は創造性を高める」といったセンセーショナルな主張をするには根拠が弱いとしている。

……。

課長も勝ってない。

僕も勝ってない。

引き分けである。

少なくとも、

「机が綺麗だから仕事ができる」

「机が汚いから仕事ができない」

と、それだけで単純に決められる話ではなさそうだ。

だから課長。

次から、

「仕事できる人は整理整頓できる人やで!」

と言うときは、

キリッ、

を少し弱めてほしい。

綺麗になった机を見た

そんなことを考えながら、僕は片付けを終えた。

書類がなくなった。

机の天板が見える。

広い。

こんなに広かったのか。

綺麗だ。

確かに気持ちはいい。

物を探しやすい。

作業もしやすい。

課長も満足している。

これが、

「仕事のできる人の机」

らしい。

僕はその机を眺めた。

……。

違う。

僕ではない。

誰の机だ、これは。

知らない人の机みたいだ。

これまで積み上がっていた書類。

メモ。

紙。

よく分からないもの。

全部なくなった。

もちろん、ただのゴミだった。

それは分かっている。

でも、なくなってみると妙に落ち着かない。

あれだけ、

「ただ整理できないから汚いだけ」

と思っていたのに。

綺麗になったら、

「僕ではない」

と思う。

もしかすると、やっぱりあの書類の山も、僕にとっては小さな縄張りだったのかもしれない。

意識して作ったわけではない。

ただ片付けられなかった。

その結果として、

「僕の場所」

が出来上がっていた。

職場の机は「これが私です」の披露の場だ

改めて職場を見渡してみる。

フィギュアがある。

ぬいぐるみがある。

写真がある。

綺麗に整理された机がある。

何もない机がある。

そして、汚い机もある。

本人たちは別に、

「個性を出そう」

と思っていないのかもしれない。

好きなものを置いただけ。

落ち着くものを置いただけ。

家族の写真を置いただけ。

邪魔だから何も置かないだけ。

片付けるのが好きだから綺麗なだけ。

僕みたいに、

整理できないから汚いだけ。

でも結果として、そこにはその人が出る。

職場の机とは、

意図しないプロフィール欄なのかもしれない。

僕はあなたの好きなキャラクターを知りたいわけではない。

あなたの家族構成を知りたいわけでもない。

でも知ってしまう。

あなたも僕が整理できない人間だと知りたくなかったかもしれない。

でも僕の机を見れば分かる。

お互い、知りたくもない情報を机から交換している。

なんだこれは。

何も置かないことだって個性になる

そして面白いのは、

何も置かない人も逃げられない

ということだ。

フィギュアなし。

写真なし。

ぬいぐるみなし。

書類なし。

毎日綺麗。

本人は何も発信していないつもりかもしれない。

でも周囲は、

「いつも綺麗だな」

「几帳面なんだな」

「私物を職場に持ち込まない人なんだな」

と勝手に思う。

つまり、

何も置かないという情報を発信している。

何をしても個性になる。

フィギュアを置けば個性。

置かなくても個性。

散らかしても個性。

片付けても個性。

もう逃げられない。

職場の机。

恐ろしい。

でも、少しだけ分かった気もする

最初、僕は思っていた。

なぜ職場で個性を出すんだ。

仕事する場所だろう。

ぬいぐるみなんて必要ないだろう。

家族写真なんて家で見ればいいだろう。

でも調べてみると、少しだけ分かった気がする。

会社は自分の家ではない。

自分で選んだ場所でもないかもしれない。

それでも一日のかなりの時間をそこで過ごす。

だから小さな机くらい、

自分の場所にしたい。

好きなものを置く。

大切な人の写真を置く。

落ち着くものを置く。

それだけで、無機質な職場の中に少しだけ自分の場所ができる。

その行動には、ちゃんと意味があるのかもしれない。

僕は相変わらず、他人が何を好きなのかそんなに知りたくない。

変なぬいぐるみがこっちを見ていたら、

「こっち見んな」

と思う。

課長の家族写真を見たら、

「何いいパパアピールしてんだ」

とも思う。

でも、置く理由は少し分かった。

課長にとって、あの写真が「自分の場所」を作るものなら、それでいい。

ぬいぐるみの人にとって、あいつが仕事中の小さな癒やしなら、それでいい。

フィギュアの人も好きにすればいい。

僕が知らなくてもいい情報を勝手に受信することにはなるが、まあいい。

それぞれの机だ。

では、僕はどうするか

問題は僕である。

僕の机は綺麗になった。

課長も褒めてくれた。

「仕事できる人は整理整頓できる人やで!」

キリッ。

はいはい。

分かりました。

でも、綺麗になった机を見ていると、どうにも落ち着かない。

僕ではない。

かといって、また昔の書類を積み上げたら、

「捨てろ」

と言われる。

どうする。

考えた。

そうか。

書類がダメなら、

ぬいぐるみにすればいい。

あっちの机にはぬいぐるみがある。

怒られていない。

フィギュアもある。

家族写真もある。

ならば僕もやろう。

空いたスペースにぬいぐるみを置く。

一体。

二体。

三体。

もっと置こう。

クマ。

犬。

ウサギ。

よく分からないやつ。

ずらっと並べる。

しかも書類と違って、綺麗に整列させる。

これなら整理整頓もできている。

課長の教えにも従っている。

完璧だ。

ぬいぐるみ王国を建国しよう。

課長が来る。

「なんやこれ」

僕は言う。

「整理整頓しました」

間違ってはいない。

すべて綺麗に並んでいる。

仕事のできる人の机である。

たぶん。

そして明日は朝から、

ぬいぐるみで遊んでおこう。

そうしよう。

仕事はそのあとだ。

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