僕は、嫌なことから逃げる。
ちょっと距離を取るとか、様子を見るとか、そういうレベルではない。
逃げに逃げ回る。
嫌なことが目の前に現れたら逃げる。
できることなら、嫌なことになる前に逃げる。
「この仕事、やってみない?」
「ああ、いいです」
「役職上がってみない?」
「いいです」
「今日ちょっと残業できる?」
「嫌です」
嫌いな人がこちらへ歩いてくる。
席を立つ。
別の場所へ行く。
また来たら、また逃げる。
向こうが近づく。
僕が離れる。
もはや人間関係ではない。
鬼ごっこである。
しかも僕は捕まったところで何も嬉しくないので、本気で逃げる。
「苦手な人とも向き合った方がいいよ」
と言われることもある。
なぜだ。
向き合ったら、目の前に嫌いな人がいるではないか。
背を向ければ見えない。
だったら僕は背を向ける。
「話してみたら、意外といい人かもしれないよ」
そうかもしれない。
「誤解しているだけかもしれない」
そうかもしれない。
「歩み寄ることも大切だよ」
そうか。
そっちで歩いていてくれ。僕は反対へ行く。
僕は相手に勝ちたいわけではない。
言い負かしたいわけでもない。
仲良くなりたいわけでもない。
戦いたくない。
僕は試合会場から帰る。
小さい頃から、だいたいこうだった。
そして34歳になった今も変わっていない。
世の中ではよく、
「嫌なことから逃げてはいけない」
と言われる。
逃げ癖がつく。
成長できない。
何も続かない人になる。
いつか逃げられないことがやってくる。
逃げ続けた先には、悲惨な末路が待っている。
なるほど。
では、小さい頃から嫌なことから逃げ続け、34歳まで逃げに逃げ回った人間がどうなったのか。
せっかくなので実例として僕が教えよう。
めちゃくちゃ快適だ。
今のところ、ストレスはほとんどない。
どうやら僕が逃げるのが速すぎるのか、恐ろしい「末路」はまだ追いついてきていない。
「逃げ癖がつくぞ」――もうついている
嫌なことから逃げようとすると、
「そんなことしてたら逃げ癖がつくぞ」
と言われる。
安心してほしい。
もうついている。
昨日今日の話ではない。
小さい頃からだから、かなり年季が入っている。
34年間かけて育ててきた立派な逃げ癖である。
今さら「逃げ癖がついたらどうしよう」と心配する段階ではない。
完全についている。
しかも最近では、嫌なことが起きてから逃げるだけではなくなった。
嫌なことが起きそうなら、その入口で逃げる。
仕事でもそうだ。
「この仕事、やってみない?」
と言われる。
話を聞く。
責任が増えそう。
面倒なことが増えそう。
人とのやり取りも増えそう。
その割に僕が欲しいものは特に増えない。
「ああ、いいです」
終わり。
世間では、こういうものを「チャンス」と呼ぶことがある。
新しい経験ができる。
成長できる。
評価につながる。
キャリアアップできる。
確かにそうかもしれない。
でも僕からすると、
嫌なことが待っていそうな入口
でもある。
もちろん、やってみたら面白かった可能性もある。
意外な才能が見つかったかもしれない。
もっと給料をもらえたかもしれない。
それはわからない。
やっていないからだ。
でも人生にあるすべての扉を開けることなんてできない。
だったら僕は、自分が開けたい扉を開ける。
嫌な予感しかしない扉を、
「成長できるかもしれないぞ!」
という理由だけで無理やり開ける必要はない。
僕は隣へ行く。
「主任なんだから」――じゃあ主任なんていらない
以前、僕は主任をしていた。
役職がつけば、それらしい仕事も増える。
責任も増える。
その一つがクレーム対応だった。
「主任、クレーム対応お願いします」
嫌だ。
知らない人が怒っている。
その人のところへ行く。
話を聞く。
場合によっては謝る。
状況を確認する。
やりたくない。
「でも主任なんだから」
それはわかる。
主任という役職にクレーム対応が含まれているなら、そうなのだろう。
だったら僕の答えは簡単だ。
じゃあ主任なんていらない。
僕は、
「主任という肩書きだけ欲しい。でも主任の仕事は全部嫌だ」
と言っているわけではない。
もっと単純だ。
その仕事をしなければ主任でいられないなら、
主任じゃなくていい。
残業も同じだった。
「この仕事が残ってるから、残業して」
嫌だ。
「役職者からお願いしてるんだけど」
嫌だ。
「主任なんだから」
じゃあ主任いらない。
役職を盾にして嫌なことをやらせようとしても、僕にはあまり効かない。
その盾ごと置いて帰るからだ。
もちろん、出世したい人なら話は違う。
もっと上に行きたい。
給料を上げたい。
責任ある仕事がしたい。
そう思っているなら、その途中にある嫌なことを引き受ける意味もある。
僕はそれを否定しない。
むしろ頑張ればいいと思う。
ただ、僕はいらない。
欲しくないものを手に入れるために、嫌なことを我慢する意味が僕にはない。
ゲームセンターで欲しくもないぬいぐるみを指さされて、
「あと5000円使えば取れるぞ!」
と言われても困る。
いや、それいらない。
5000円を持って帰る。
「みんな頑張ってるよ」――うん!頑張ればいい
仕事では、こんな言葉もある。
「みんな頑張ってるよ」
僕は思う。
うん! 頑張ればいい。
別に嫌味ではない。
本当にそう思う。
みんなが残業している。
偉い。
責任ある仕事を引き受けている。
すごい。
嫌な仕事もやっている。
立派だ。
その人たちの役職を上げてやってくれ。
僕の分も一つ余っている。
頑張っている人が評価されるなら、それでいいではないか。
僕まで一緒に頑張る必要はない。
「みんな頑張っている」という言葉には、どうやら、
「だからお前も頑張れ」
までがセットらしい。
でも僕は前半しか受け取らない。
みんな頑張っている。
そうですか。
頑張ってください。
終わり。
みんなが我慢しているから、自分も我慢しなければならない。
この理屈が僕にはよくわからない。
みんなが出世したいなら出世すればいい。
残業したいならすればいい。
僕とは欲しいものが違うだけだ。
僕が欲しくないもののために、僕まで頑張らせないでくれ。
嫌いな人が来たら、席を立つ
人間関係も同じだ。
僕は嫌いな人と無理に仲良くしようと思わない。
嫌いな人がこちらへ来る。
席を立つ。
ものすごく原始的だが、これでいい。
嫌いな人が近くにいるからストレスがたまる。
だったら、
近くにいなければいい。
「社会人なんだから、苦手な人とも上手に付き合わないと」
と言われることもある。
もちろん仕事で必要な会話ならする。
でも、必要以上に関係を深める必要まであるのだろうか。
「話してみたら意外といい人かもしれない」
そうかもしれない。
でも別に確認しなくていい。
「誤解かもしれない」
そうかもしれない。
誤解したままでいい。
嫌いな人を好きになるために時間を使うなら、好きな人や好きなことに時間を使いたい。
僕は相手を変えようとも思わない。
向こうには向こうの人生がある。
好きに生きればいい。
僕も好きに生きる。
ただ、近づいてきたら、
僕が逃げる。
かなり平和な解決方法だと思っている。
でも「しんどいこと」から逃げているわけではない
ここまで読むと、
「要するに、楽なことしかしたくないんでしょ」
と思うかもしれない。
でも、それは少し違う。
僕は30歳になってからボクシングを始めた。
スパーリングもした。
怖かった。
普通に怖い。
目の前にいる人間が、自分を殴ろうとしている。
こちらも殴る。
パンチが飛んでくる。
息が上がる。
疲れる。
しんどい。
スパーリングの前には、逃げたくなることもあった。
それでもやった。
なぜなら、
ボクシングが好きだったからだ。
スパーリングを体験してみたかった。
上手くなりたかった。
だから怖くてもやった。
ここで僕の中ではっきりする。
僕は「しんどいこと」から逃げているわけではない。
嫌なことから逃げている。
これは全然違う。
好きなことの中にも、しんどいことはある。
怖いこともある。
面倒なこともある。
できなくて悔しいこともある。
でも、その先に自分が欲しいものがあるならやる。
逆に、それほど大変ではなくても、欲しいものが何もないならやりたくない。
肉体的なしんどさだけなら、残業よりスパーリングの方がどう考えても大変だった。
一時間長く仕事をする。
人からパンチを打たれる。
どちらが怖いかと言われれば、パンチである。
それでも、
「スパーリングする?」
怖い。
でもやる。
「残業して」
嫌だ。
なんやこいつ。
自分でもそう思う。
でも僕の中では矛盾していない。
スパーリングの先には、僕が欲しいものがあった。
残業の先にはなかった。
それだけだ。
僕は挑戦から逃げているわけでもない
嫌なことから逃げ続けていたら、何も挑戦できない人になる。
そんなことも言われそうだ。
でも僕は30歳を過ぎてから、いろいろ始めた。
ピアノを始めた。
ボクシングを始めた。
本を読んだ。
Instagramで本について発信した。
ブログも書いた。
誰かに命令されたわけではない。
「将来のためにやりなさい」
と言われたわけでもない。
面白そうだったからやった。
やってみたかったからやった。
つまり僕は、
何もしたくないわけではない。
嫌なことをしたくないだけだ。
ここを一緒にされると困る。
出世したくないからといって、向上心がないとは限らない。
会社では上に行きたくなくても、ボクシングは上手くなりたい。
役職はいらなくても、ピアノは弾けるようになりたい。
仕事で評価されることに興味がなくても、自分の文章はもっと面白くしたい。
人にはそれぞれ、進みたい方向がある。
だから、
「成長できるよ」
と言われても、
そっちには成長したくない。
ということがある。
僕は成長そのものが嫌なのではない。
成長する方向くらい自分で決めたい。
「逃げる=甘え」でも、別にいい
嫌なことから逃げると、
「甘えだ」
と言う人もいる。
そうかもしれない。
それならそれでもいい。
そもそも僕は、なぜ人生ではそんなに嫌なことを我慢しなければならないのか、よくわからない。
もちろん、生活していれば嫌なことはある。
仕事だって、自分の好きなことだけできるわけではない。
全部の嫌なことから100%逃げるなんて無理だ。
僕だって、嫌なことを一秒たりともしていないわけではない。
でも、
嫌なことに耐えれば耐えるほど偉い
みたいになると、話は違う。
嫌な仕事を10年我慢した人は、1年で辞めた人より偉いのか。
嫌いな人と無理して付き合い続ける人は、距離を取った人より人間的に優れているのか。
毎日ストレスを抱えながら役職を守る人は、役職を降りた人より立派なのか。
僕にはわからない。
苦しむこと自体が目的なら別だ。
でも僕は、
苦しんだ量を競う大会に参加した覚えはない。
だから逃げる。
何が悪い。
逃げれば、たぶんいろんなものを失う
もちろん、逃げる人生に何の代償もないとは思っていない。
僕はたぶん、いろんなものを失っている。
あの仕事を引き受けていたら得られた経験。
役職を続けていたら得られた評価。
もっと上の役職。
収入。
人間関係。
嫌いだと思って離れた人と、その後仲良くなった可能性。
断った仕事が、実はものすごく自分に向いていた可能性。
いろいろあると思う。
僕が知らないだけだ。
逃げるということは、一つの道を選ばないことでもある。
だから、逃げれば何かを失う。
そこは仕方がない。
でも不思議なのは、
「逃げたことで失うもの」ばかり数えられることだ。
逃げなかったことで失うものだってある。
時間。
自由。
気力。
心の余裕。
好きなことをする時間。
ストレスの少ない生活。
役職を守るために嫌なことを何年も続けていたら、別の何かを失っていたかもしれない。
どちらの人生が得だったのか。
そんなものはわからない。
人生は二周できない。
僕は逃げた方の人生しか知らない。
だから、
「逃げなかったら、もっと幸せだったかもしれない」
と考えても答えは出ない。
いろんなものを失った。でも、悲惨ではない
僕は逃げたことで、たぶんいろんなものを失った。
でも、
別に悲惨ではない。
ここは分けて考えたい。
何かを失うことと、人生が悲惨になることは違う。
役職を失った。
それで人生が終わるわけではない。
一つの人間関係を失った。
それで世界から人間がいなくなるわけではない。
一つの可能性を捨てた。
別の可能性まで全部消えるわけではない。
僕の場合、嫌なものから逃げた先で、別のものを見つけた。
ピアノ。
ボクシング。
本。
Instagram。
ブログ。
もし僕が逃げなかった世界にいたら、これらを全部やっていたのか。
わからない。
もっとすごいものを手に入れていた可能性だってある。
でも、そんな世界は見られない。
生きていない人生とは比較できない。
だったら、今いる方を面白くすればいい。
嫌なことから逃げ続けた34歳の「末路」
「嫌なことから逃げ続けた人の末路」
こう書くと、なんだか恐ろしい。
仕事もない。
何も続かない。
誰からも信用されない。
暗い部屋の隅で膝を抱えて、
「あのとき逃げなければ……」
と呟いていそうだ。
では実際、小さい頃から嫌なことから逃げ続けた僕は、34歳になってどうなったのか。
普通に生きている。
それどころか、
めちゃくちゃ快適だ。
ストレスもほとんどない。
本を読む。
文章を書く。
好きなことをする。
興味を持ったら、新しいこともやる。
嫌な人間関係には近づかない。
欲しくもない役職を追わない。
「みんなが欲しがっている」という理由だけで、自分まで欲しがらない。
今のところ、
逃げ続けたせいで悲惨になったという実感はまったくない。
もちろん、まだ34歳だ。
人生の本当の末路ではない。
50歳になって、
「あのとき逃げなければよかった!」
と叫んでいる可能性もある。
70歳になって、
「もっと残業しておけばよかった!」
と泣いているかもしれない。
知らない。
そのときは、そのときの僕に任せよう。
未来の僕には未来の僕の仕事がある。
今の僕は今を担当する。
罪悪感なんてものは、もうない
「逃げるとき、罪悪感はないの?」
今はない。
罪悪感なんてものは、もうない。
嫌なことを断る。
嫌な場所から離れる。
欲しくない役職を捨てる。
それ自体を悪いことだとは思っていない。
もちろん、自分がやると約束したことまで何でも放り投げて、全部他人に押しつければいいという話ではない。
逃げれば、その結果はある。
仕事を断れば、評価が下がるかもしれない。
役職を断れば、給料が上がらないかもしれない。
人付き合いを避ければ、「付き合いの悪いやつ」と思われるかもしれない。
それは仕方がない。
逃げるなら、逃げた結果も受け取ればいい。
僕は、
「嫌なことは全部やりません。でも評価は最高にしてください」
と言いたいわけではない。
出世しない?
いい。
役職がなくなる?
いい。
評価されない?
そうですか。
僕はその代わりに、嫌なことを減らす方を選んだ。
逃げて後悔したことはない
では、これまで逃げてきたことを後悔したことはあるのか。
ない。
なぜなら、
逃げたことを正解にするからだ。
「あのとき逃げなければ、もっといい人生だったかもしれない」
そうかもしれない。
主任を続けていた僕。
もっと出世した僕。
残業を断らなかった僕。
嫌いな人とも頑張って付き合った僕。
そんな僕がどこかにいるなら、一度聞いてみたい。
「そっちどう?」
と。
もしかしたら、
「最高やで」
と言うかもしれない。
反対に、
「そっちはええなあ」
と言うかもしれない。
でも会えない。
人生は一つしかプレイできない。
そっちのルートはプレイしていない。
だったら、選ばなかった人生を想像して後悔し続けるより、今いる人生を面白くした方がいい。
逃げたあとに好きなことをやる。
新しいものを見つける。
面白そうなら始める。
そうやって、
「あのとき逃げてよかった」
と思えるところまで自分で持っていけばいい。
僕の場合、逃げた先にピアノがあった。
ボクシングがあった。
本があった。
Instagramがあった。
ブログがあった。
嫌なものから逃げた場所が、ずっと空っぽになるとは限らない。
空いた場所に、好きなものが入ってくることもある。
嫌なことがあったら、全然逃げていい
だから僕は思う。
嫌なことがあったら、
全然逃げていい。
仕事でもいい。
学校でもいい。
人間関係でもいい。
「逃げたら終わり」
なんてことはない。
少なくとも僕は終わっていない。
逃げれば何かを失うかもしれない。
それはある。
でも、逃げなかったことで失うものだってある。
時間。
自由。
心の余裕。
好きなことをする気力。
どちらを取るかは、自分で決めればいい。
そして、嫌なことでもその先に自分が欲しいものがあるなら、やればいい。
僕にとってのボクシングがそうだった。
怖かった。
しんどかった。
逃げたかった。
でも、やりたかった。
だからやった。
好きなことなら、しんどくても頑張れることがある。
でも、欲しくもないもののために嫌なことを我慢し続ける必要はない。
「みんな頑張ってるよ」
うん。
頑張ればいい。
頑張りたい人は頑張ればいい。
出世したい人は出世すればいい。
そして頑張っているなら、
役職も上げてやってくれ。
僕の分もどうぞ。
僕は別の方向へ行く。
僕はこれまで、嫌なことから何度も逃げてきた。
たぶんこれからも逃げる。
嫌なものが前から来たら曲がる。
曲がった先まで追ってきたら、また曲がる。
嫌いな人が来たら席を立つ。
欲しくない役職を渡されたら返す。
逃げ癖?
もうついている。
罪悪感?
もうない。
後悔?
ない。
逃げたことを正解にするからだ。
逃げた先で好きなことをやる。
そこでまた面白いものを見つければ、そっちへ進む。
そしてまた嫌なものが現れたら、逃げる。
それでいい。
嫌なことから逃げ続けたら、どんな悲惨な末路が待っているのか。
34歳現在の僕の場合。
今日も、めちゃくちゃ快適だ。
