僕は、人の足音に異様に注目している。
別に趣味ではない。
「今日はどんな足音に出会えるかな」
と楽しみにしながら出勤しているわけでもない。
足音フェチでもない。
でも、なぜか聞いてしまう。
職場で仕事をしていると、遠くから誰かが歩いてくる。
まだ姿は見えない。
廊下の向こう。
曲がり角の向こう。
でも、
コツ、コツ、コツ。
あ。
あの人だ。
分かる。
しばらくすると本人が現れる。
やっぱりそうだった。
僕は職場の人とそんなに会話をしない。
顔もそんなに見ていない。
仕事中、相手の表情をじっと観察することなんてほとんどない。
でも、
足音は毎日聞いている。
だから職場の人がどんな足音で歩くのか、なんとなく覚えている。
音の大きさ。
速さ。
リズム。
靴を擦る音。
かかとが床に当たる音。
歩幅。
歩く速度。
姿勢。
腕の振り方。
それらが組み合わさると、一人ひとり全然違う。
人間には顔がある。
声がある。
指紋もある。
そしてたぶん、
足音にもその人らしさがある。
少なくとも僕の職場では、足音だけで誰が来たのか大体分かる。
そして毎日聞いていると、もう一つ分かることがある。
「今日、いつもと違うぞ」
ということだ。
足音だけで誰が来たのか分かる
人間の足音なんて、全部同じようなものだと思うかもしれない。
靴を履いて床を歩く。
右。
左。
右。
左。
それだけだ。
でも毎日聞いていると、全然違う。
コツ、コツ、コツ。
一定のテンポで歩く人。
ズッ……ズッ……ズッ……。
靴の裏を擦りながら歩く人。
カン! カン! カン!
かかとを床に打ちつけるように歩く人。
タッタッタッタッ。
やたら速い人。
ほとんど音がしない人もいる。
気づいたら横にいる。
怖い。
忍者か。
僕の職場では、姿を見るより先に足音が届くことがある。
だから、
「あ、来た」
となる。
顔を見る前に誰か分かる。
声を聞く必要もない。
名札もいらない。
足音が名札になっている。
これは長く一緒に働いている人ほど分かりやすい。
毎日同じ場所を歩いているから、こちらも知らないうちに覚えているのだろう。
本人は、
「これが私の足音です」
なんて自己紹介していない。
ただ歩いているだけ。
でも毎日聞いている僕には分かる。
人間は、歩くだけでも自分の情報をかなり出している。
僕の中には「すり足くん」がいる
特に分かりやすいのが、すり足で歩く人だ。
ズッ……ズッ……ズッ……。
足をしっかり持ち上げず、靴の裏を床に擦る。
歩幅も小さい。
テンポも遅い。
なんというか、
全身から「今日はもういいでしょう」が出ている。
まだ仕事は始まったばかりかもしれない。
何なら出勤してきたところかもしれない。
でも足だけはもう退勤しようとしている。
ズッ……。
ズッ……。
本人は何も言っていない。
「今日はやる気がありません」
とも言っていない。
でも僕には、
足がそう言っているように聞こえる。
「本日、やる気ありません」
「できれば帰りたいです」
「最低限でお願いします」
そんな情報を床との摩擦で伝えてくる。
もちろん、本当にそう思っているかは知らない。
ただの歩き方の癖かもしれない。
でも僕にはそう見える。
そう聞こえる。
だから僕の中では勝手に、
すり足くん
である。
本人には言わない。
言う必要もない。
僕の頭の中だけの名前だ。
すり足くんが、今日は違うぞ
ところが面白いことがある。
いつも、
ズッ……ズッ……ズッ……。
と歩いているすり足くん。
ある日、その音が違う。
コッ、コッ、コッ、コッ。
あれ。
足が上がっている。
いつも床と仲良く擦れ合っている靴が、今日は床から離れている。
しかも少し速い。
歩幅もいつもより大きい。
おや。
すり足くんが、今日は違うぞ。
何があった。
いいことでもあったのか。
よく寝たのか。
仕事が早く終わるのか。
給料日なのか。
知らない。
僕は本人に聞かない。
「今日、何かいいことあったんですか?」
なんて質問もしない。
ただ、
「今日は調子よさそうだな」
と思う。
それで終わりだ。
逆もある。
いつも軽快に歩いている人が、その日だけ、
ズッ……ズッ……。
と歩いている。
あれ。
どうした。
お前が今日、すり足くんになるのか。
疲れているのか。
寝不足なのか。
何か嫌なことでもあったのか。
それも聞かない。
でも、
いつもと違う
ことは分かる。
これが重要なのだと思う。
僕は足音だけを一回聞いて、その人のすべてを見抜いているわけではない。
そんな特殊能力はない。
「この足音は内向的ですね」
「この歩幅は恋愛運が上昇しています」
みたいな占いをしているわけでもない。
僕が知っているのは、
その人の「いつも」だ。
いつもの速さ。
いつもの音。
いつもの歩幅。
いつもの姿勢。
いつものリズム。
それを毎日見て、聞いている。
だから少し変わると気づく。
「今日、なんか違うな」
と。
顔より先に、足が教えてくれる
人の精神状態を知ろうと思ったら、普通は顔を見ると思う。
表情。
目。
口元。
声のトーン。
話し方。
そういうところを見る。
でも僕は、職場の人の顔をそんなに見ない。
会話もそんなにしない。
だからむしろ、
足音の方がよく知っている。
遠くから、
ドス、ドス、ドス。
あ。
今日ちょっと強いな。
いつもより速い。
歩幅も大きい。
何かイライラしているように感じる。
しばらくして本人が現れる。
「おはようございます」
普通に言う。
でも僕は思う。
いや、お前の足、さっきめっちゃ怒ってたぞ。
口では普通にできる。
表情も作れる。
「別に何もないです」
と言うこともできる。
でも歩き方までは、いちいち演技しない。
「今日は機嫌が悪いけど、悟られないように歩幅を通常より3センチ小さくしよう」
なんて考えて歩いている人はいないだろう。
だからこそ、無意識のものが出るような気がする。
もちろん僕が勝手にそう感じているだけかもしれない。
でも、
人は口だけで喋っているわけではない。
歩くだけでも、かなり喋っている。
「カン! カン! カン!」が来ると嫌だ
僕が特に苦手な足音がある。
カン! カン! カン!
これだ。
かかとを硬く床に当てるような足音。
遠くから響いてくる。
カン!
……来た。
カン! カン!
こっち来るな。
カン! カン! カン!
頼む。
途中で曲がってくれ。
しかし音はどんどん近づいてくる。
カン! カン!
来る。
カン!
来た。
別にその人が僕に何かするわけではない。
ただ歩いているだけだ。
でも嫌だ。
音が強い。
硬い。
一歩ごとに存在を主張してくる。
僕には、
「私は今ここを歩いています!」
と一歩ずつ館内放送しているように聞こえる。
分かった。
いるのは分かった。
もう少し静かに来てくれ。
「自信あります」のカンカン
しかも僕の中では、このカンカンにも種類がある。
微妙に違う。
一つは、
「自信あります」
のカンカン。
胸を張っている。
歩幅もしっかりしている。
速度はそこまで速くない。
一定のテンポで、
カン! カン! カン!
と進んでくる。
堂々としている。
迷いがない。
床を踏むことに一切の遠慮がない。
なんというか、
「私はここにいます」
という感じがする。
まだ何も喋っていない。
仕事をしているところも見ていない。
なのに、
「この人、自信ありそうだな」
と思う。
歩き方だけで堂々としている。
床すら自分のものみたいに歩く。
すごい。
僕にはできない。
そして僕は思う。
嫌いだ。
すまない。
堂々としているのは悪いことではない。
自信があるのも素晴らしい。
本人に罪はない。
でも僕はあの、
カン! カン! カン!
が苦手なのだ。
「機嫌悪いです」のカンカン
そしてもう一種類ある。
「機嫌悪いです」
のカンカン。
これは同じカンカンでも微妙に違う。
カン!! カン!! カン!!
強い。
速い。
ちょっと荒い。
歩幅もいつもより大きい。
体が前に出ている。
床に何か恨みでもあるのかというくらい、踏む。
何があった。
床は何もしていない。
床に当たるな。
こっちのカンカンを聞くと、
「今日、機嫌悪いな」
と感じる。
本人が現れて普通の顔をしていても、もう遅い。
僕の中では、
足から先に機嫌の悪さが到着している。
「おはようございます」
と言われても、
はい、おはようございます。
でもさっき床に怒ってましたよね?
と思う。
もちろん言わない。
僕は静かにしている。
二つは微妙に違う。でも、どっちも嫌いだ
「自信あります」のカンカン。
「機嫌悪いです」のカンカン。
文章にすると同じように見える。
でも僕には微妙に違って聞こえる。
テンポ。
強さ。
歩幅。
姿勢。
体の勢い。
いろんなものが少しずつ違う。
長く聞いていると、
「あ、これは自信カンカン」
「こっちは不機嫌カンカン」
となんとなく分かる。
ただし僕の感想は同じだ。
どっちも嫌いだ。
静かに歩いてくれ。
僕はただ静かに仕事をしたい。
床と戦いながらこちらへ向かってこないでほしい。
バタバタする足音は、用件より先に緊急事態を伝える
ほかにもある。
バタバタバタバタ!
これは分かりやすい。
急いでいる。
何かあった。
まだ本人が見えていなくても分かる。
普通に歩いていない。
走っているのか、走る一歩手前なのか。
とにかく速い。
この足音は面白い。
本人が、
「ちょっと大変です!」
と言う前に、
足音がもう「大変です!」と言っている。
用件より先に緊急事態が到着する。
バタバタバタ。
何。
何があった。
こっち来るな。
僕を巻き込むな。
できればそのまま別の部署へ行ってくれ。
でもこちらへ来る。
嫌な予感しかしない。
こういうとき、足音はかなり正確だ。
ゆったり歩いてきて、
「大変です!」
という人はあまりいない。
本当に急いでいる人は、足も急いでいる。
当たり前なのだが、改めて考えると面白い。
心が急ぐと、足も急ぐ。
ほとんど音がしない人もいる
逆に、まったく足音を立てない人もいる。
これはこれで怖い。
僕が仕事をしている。
誰もいないと思っている。
ふと横を見る。
いる。
うわ。
いつ来た。
音がなかった。
気配もなかった。
忍者である。
カンカン族とは正反対だ。
カンカン族は50メートル先から存在を知らせてくれる。
忍者は50センチまで来ても知らせてくれない。
どちらがいいか。
難しい。
カンカンはうるさい。
忍者は怖い。
ちょうどよく歩いてくれ。
人間には中間というものがある。
足音だけではなく、歩き方もかなり喋っている
そして僕が見ているのは足音だけではない。
歩き方。
これも面白い。
同じ人間なのに、本当にいろんな歩き方をする。
歩幅が大きい人。
小さい人。
速い人。
遅い人。
背筋が伸びている人。
猫背の人。
前のめりの人。
腕を大きく振る人。
ほとんど振らない人。
左右に揺れる人。
下を向いている人。
真正面だけを見る人。
周囲をキョロキョロ見る人。
歩くだけなのに個性がある。
遠くからシルエットを見るだけで、
「あの人だ」
と分かることすらある。
顔なんて見えない。
でも歩き方で分かる。
人間、歩くだけで個性出すぎだろう。
歩幅が大きい人
歩幅が大きい人を見ると、僕はなんとなく、
「前へ行く人だな」
と感じる。
一歩がでかい。
どんどん進む。
こちらが二歩使うところを一歩で行く。
迷いがないように見える。
急いでいる場合もあるだろう。
身長や脚の長さも関係する。
だから性格だと決めつけるつもりはない。
でも、
大股。
顔は前。
腕もしっかり振る。
テンポも速い。
ここまで揃うと、
「この人、せっかちそうだな」
と僕は勝手に思う。
体より先に予定が進んでいそうだ。
次。
次。
次。
歩行にも「次」がある。
小さい歩幅で、ゆっくり歩く人
逆に、小さな歩幅でゆっくり歩く人。
ちょこ。
ちょこ。
あるいは、
のそ。
のそ。
急ぐ気配がない。
これも普段からそうなら、その人の歩き方なのだろう。
でもいつも大股の人が急にこうなっていたら、
「今日しんどいんかな」
と思う。
人間は疲れているとき、体の動きまで小さくなるように見える。
今日という一日をなるべく少ないエネルギーで終わらせたい。
そんな歩き方。
僕には分かる。
なぜなら、
後で出てくるが、僕がそれだからだ。
猫背で下を向いて歩く
猫背。
視線は床。
歩幅も小さい。
足音も弱い。
こうなると僕の中では、
「今日は世界と関わりたくなさそう」
に見える。
別に落ち込んでいるとは限らない。
スマホを見ているだけかもしれない。
単純に姿勢が悪い人もいる。
でも普段は顔を上げて歩いている人が、その日だけ下を向いていたら、
「あれ?」
と思う。
これも結局、
普段との差
なのだ。
一つの歩き方だけを切り取って性格を決めるのではない。
毎日の積み重ねがあるから変化が見える。
背筋を伸ばして堂々と歩く
反対に、背筋が伸びている。
顔が上がっている。
歩幅もしっかりしている。
一定の速度。
こういう人は、なんとなく自信がありそうに見える。
まだ何もしていない。
ただ廊下を歩いているだけ。
なのに、
仕事できそう。
ずるい。
歩くだけで評価を稼いでいる。
僕なんて仕事をする前から、
ズッ……ズッ……。
である。
もう負けている。
出勤した瞬間から、
「今日もやる気なさそう」
という印象を無料配布している。
姿勢というものは恐ろしい。
腕をブンブン振る人
腕を大きく振って歩く人もいる。
右。
左。
右。
左。
元気だ。
エネルギーが余っているように見える。
少し分けてほしい。
僕の腕はそんなに働いていない。
歩くために必要な最低限しか動いていない。
一方、腕をほとんど振らない人もいる。
省エネ。
足だけで移動している。
「腕は本日の業務対象外です」
みたいな歩き方。
これもその人らしさが出る。
人が来ても避けない人
歩き方を見ていて、もう一つ気になることがある。
人とすれ違うときだ。
向こうから人が来る。
普通なら、お互い少しずつ避ける。
右へ。
左へ。
ほんの少しずつ譲れば、何事もなくすれ違える。
でもいる。
絶対に進路を変えない人。
一直線。
こちらへ来る。
おい。
見えてるよな。
僕もいるぞ。
まだ来る。
仕方なく僕が避ける。
翌日。
また来る。
また一直線。
また僕が避ける。
お前の人生に「譲る」というコマンドはないのか。
こういうところにも性格を感じてしまう。
もちろん本人は何も考えていないだけかもしれない。
単純に周りを見ていない可能性もある。
でも、その「周りを見ていない」こと自体が、僕にはその人らしく見えてくる。
歩くという行為は思っている以上に情報量が多い。
足音と歩き方を掛け合わせる
そして一番分かりやすいのが、
足音と歩き方を掛け合わせたときだ。
足音だけなら分からないことがある。
歩き方だけでも分からないことがある。
でも二つを見ると、かなり情報が増える。
たとえば、
ズッ……ズッ……というすり足。
さらに、
猫背。
小さい歩幅。
遅い。
下を向いている。
ここまで揃うと、
僕には、
「今日、完全に死んでるやん」
と見える。
逆に、
軽い足音。
歩幅が大きい。
テンポが速い。
顔が上がっている。
腕もしっかり振っている。
「今日めっちゃ調子いいやん。何があった」
となる。
カンカン。
速い。
前のめり。
動きが荒い。
「今日なんかイライラしてんな」
カンカン。
一定のテンポ。
胸を張る。
顔が上がっている。
「自信あります、か」
そして僕は思う。
どっちも嫌いだ。
さらに「いつものその人」を掛け合わせる
ただ、足音と歩き方だけでは足りない。
もう一つある。
いつものその人。
これが一番大きい。
足音。
歩き方。
そして普段。
この三つを掛け合わせる。
すると、
「今日は違う」
が見えてくる。
いつもカンカン歩く人なら、今日もカンカンでも何も思わない。
通常営業。
でも普段静かに歩く人が、
カン!! カン!!
と来たら、
おい。
何があった。
となる。
いつもすり足の人が軽快に歩いていれば、
「すり足くん、今日はどうした」
となる。
いつも大股の人が小股なら、
疲れているように見える。
いつも顔を上げている人が下を向いていたら、
何かあったように感じる。
結局、僕が見ているのは、
その人そのものより、昨日までのその人との差なのかもしれない。
僕はみんなのメンタルを足から見ている
改めて考えると変な話だ。
僕は職場の人とそんなに話さない。
雑談もそんなにしない。
顔もそんなに見ていない。
「最近どう?」
「元気?」
「今日調子どう?」
なんて聞かない。
でも、
足音は毎日聞いている。
歩き方も見ている。
だから、
今日は元気そう。
今日は疲れてそう。
今日は機嫌悪そう。
今日は急いでる。
今日はやる気なさそう。
今日はいつもより軽い。
そんなことを勝手に感じている。
本人に確認しないから、本当に当たっているかは分からない。
でも少なくとも、
「いつもと違う」
はかなり分かる。
人と話さないのに、人の変化を足で感じている。
なんだこのコミュニケーション。
会話ではない。
アイコンタクトでもない。
足音コミュニケーション。
相手は送っているつもりがない。
僕だけ受信している。
人は何も話さなくても、その人が出る
僕はこれが面白いと思う。
人間は自分を説明するとき、言葉を使う。
「僕はこういう人です」
「今日は元気です」
「大丈夫です」
「怒ってません」
でも、何も話していない時間にも、その人は出ている。
歩き方。
足音。
姿勢。
速度。
歩幅。
人とのすれ違い方。
腕の振り方。
全部その人の一部だ。
しかも多くは無意識だ。
だからこそ面白い。
人間は黙っていても、結構うるさい。
言葉ではなく、体が喋っている。
ところで、僕はどんな歩き方をしているのか
ここまで他人の歩き方について好き勝手言ってきた。
すり足くん。
カンカン族。
忍者。
大股。
猫背。
腕ブンブン。
避けない人。
では、
僕はどうなのか。
ここまで読んだ人なら、
「こいつはさぞ静かで綺麗な歩き方をしているんだろう」
と思うかもしれない。
人の足音にこれだけ文句を言うのだ。
自分は模範的な歩き方をしているはずだ。
答えを言おう。
僕は、すり足である。
ズッ……。
ズッ……。
しかも、
ゆっくり。
のっそり。
一番やる気がなさそうなやつである。
僕の足音は「やる気ありません」と言っている
もし僕の足音を初めて聞いた人がいたら、おそらく思うだろう。
「こいつ、今日やる気ないな」
正解である。
全くない。
これは誤解ではない。
足音診断、大正解。
僕は仕事へ向かう。
ズッ……。
ズッ……。
歩幅もそんなに大きくない。
速くもない。
のっそり。
別に体調が悪いわけではない。
悲しいことがあったわけでもない。
機嫌が悪いわけでもない。
仕事をしたくないだけである。
僕の足は正直だ。
「今日」ではない。「いつも」だ
だから、僕の足音を聞いて、
「今日、やる気なさそう」
と思った人には、一つだけ訂正したい。
今日ではない。
いつもだ。
そこを間違えないでほしい。
僕にとって、
ズッ……ズッ……。
は通常営業である。
平常時。
基準値。
だから逆に、僕がある日突然、
タッタッタッタッ!
と軽快に歩いていたら心配してほしい。
「どうした?」
「何があった?」
「宝くじでも当たった?」
と。
普段との違いを見るなら、そういうことになる。
すり足の僕がすり足なのは正常。
すり足の僕が軽快なのが異常。
やっぱり人を見るときに大事なのは、
その人の「いつも」を知ること
なのだと思う。
もしかすると、向こうも僕を見ている
僕は職場の人の足音を聞いている。
今日もすり足だな。
今日はカンカン強いな。
今日は速いな。
今日は静かだな。
そんなことを勝手に考えている。
でも当然、逆もあり得る。
向こうも僕の足音を聞いているかもしれない。
遠くから、
ズッ……ズッ……ズッ……。
「あいつ来た」
ズッ……ズッ……。
「今日もやる気ないな」
ズッ……。
来た。
僕。
そうです。
今日もありません。
もしかすると僕が思っている以上に、僕自身も毎日いろんな情報を垂れ流している。
ただし、
静かに。
カンカン族のように大音量ではない。
僕は、
やる気のなさだけを静かにお届けしている。
足音は、その人の小さな実況中継なのかもしれない
人は毎日歩く。
何も考えずに歩く。
右足。
左足。
右足。
左足。
でも、その単純な動作にいろんなものが混ざる。
性格。
癖。
疲れ。
焦り。
気分。
自信。
苛立ち。
やる気。
もちろん、歩き方だけで本当の心が全部分かるわけではない。
僕が勝手にそう感じているだけのこともあるだろう。
でも毎日同じ人を見ていると、
「今日のこの人は、いつもと少し違う」
くらいは感じる。
僕は職場の人とそんなに会話しない。
顔もそんなに見ていない。
それでも足音は毎日聞いている。
だから今日も、
廊下の向こうから聞こえてくる音に耳が向く。
カン! カン! カン!
来た。
自信カンカンか。
不機嫌カンカンか。
まだ分からない。
歩き方も見る。
ああ。
今日はそっちか。
嫌だな。
次。
コツ、コツ、コツ。
いつも通り。
よし。
次。
ズッ……ズッ……ズッ……。
お。
すり足くん。
今日もやる気ないな。
……と思ったら、
違った。
僕だった。
今日も僕の足は正直である。
ズッ……ズッ……。
ゆっくり。
のっそり。
何も喋っていない。
でもたぶん、職場中に伝わっている。
「本日も、やる気ありません」
正解である。
