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自分を変えたい。変われない人と変われる人の違いと特徴を考察してみた。

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自分を変えたい。

そう思ったことがある人は多いと思う。

明日から早起きする。

毎日本を読む。

運動する。

タバコをやめる。

勉強する。

新しいことを始める。

よし。明日から俺は変わる。

次の日。

いつもの俺がいる。

お前、昨日と一緒やないか。

そして、これは自分だけではない。

「自分を変えたい」

そう言って、僕にアドバイスを求めてくる人がいる。

どうしたらいいと思う?

何から始めたらいい?

このままじゃダメだと思ってる。

僕なりに考えて答える。

「なるほど」

「確かに」

「やってみる」

数日後。

何も変わっていない。

また同じことで悩んでいる。

また同じ話をしている。

またアドバイスを求めてくる。

そしてまた、

「やってみる」

と言う。

やらない。

なんなんだ。

もちろん、僕のアドバイスが正しいとは限らない。

むしろ間違っていることだってあるだろう。

でも、それ以前の問題なのだ。

何も試していない。

変わりたいと言う。

方法も聞く。

納得もする。

でも行動は昨日と同じ。

そう。

人は、変われない。

少なくとも、僕はずっとそう思っていた。

人間は思っている以上に昨日と同じことをする。

同じ時間に起きる。

同じものを食べる。

同じ道を歩く。

同じことで悩む。

同じ言い訳をする。

「変わりたい」と言いながら、昨日とほとんど同じ今日を生きる。

そして今日とほとんど同じ明日を生きる。

でも。

ただ、稀にいる。

本当に稀に、変われる人がいる。

ずっとタバコを吸っていたのに、本当にやめた人。

運動なんてしていなかったのに、走るようになった人。

本なんて読まなかったのに、いつの間にか読書が習慣になっている人。

何年も「仕事を辞めたい」と言っていたのに、本当に辞めて別の道へ進んだ人。

「いつかやりたい」と言っていたことを、本当に始めた人。

最初はこちらも思う。

どうせ続かんやろ。

一週間。

続いている。

一か月。

まだやっている。

半年。

まだやっている。

お前、本当に変わったな。

あれは何なんだろう。

同じ人間なのに。

「変わりたい」と言い続けて何年経っても変わらない人と、本当に変わってしまう人。

意志の強さなのか。

根性なのか。

性格なのか。

才能なのか。

それとも、もっと別の何かなのか。

気になったので、「変われない人」と「変われる人」の違いを、自分なりに調べながら考えてみることにした。

目次

「変わりたい」と言っているのは嘘なのか

まず僕が疑ったのはこれだった。

本当は変わりたくないんじゃないか。

口では「変わりたい」と言っているけれど、どうせ本気じゃない。

だから何もしない。

そう考えれば簡単だ。

でも調べてみると、どうやらそんなに単純でもない。

心理学では、人が「こうしたい」と思うことと、実際にそう行動することの間にズレがあることが研究されている。

いわゆる**「意図と行動のギャップ」**だ。

2016年のレビューでも、人は自分が意図したことを必ずしも実行するわけではないことが、これまでの研究をもとに整理されている。

つまり、

「運動したい」

と本気で思っていても運動しないことがある。

「勉強したい」

と思いながらスマホを触る。

「痩せたい」

と思いながら食べる。

なんだ。

普通の僕たちじゃないか。

ここで大事なのは、「変わりたい」という気持ちそのものが嘘とは限らないことだと思う。

相談してきた人も、その瞬間は本当に変わりたいのかもしれない。

「やってみる」と言ったときも、本当にやるつもりだったのかもしれない。

でも、

「思う」と「やる」の間には溝がある。

僕らは頭の中では簡単に変われる。

明日から毎朝六時に起きて、運動して、本を読んで、勉強して、健康的な飯を食べる。

頭の中の僕、すごい。

完璧だ。

次の日。

七時半。

布団。

スマホ。

いつもの俺。

頭の中で未来を決めることと、朝になって布団から出ることは別の仕事なのだ。

だから「変わりたいなら変わればいい」は、正しいようで何も説明していない。

本人だって変わりたい。

なのに変われない。

問題は、その間に何があるのかだ。

変われない理由① 現状維持の方が楽

まず思った。

単純に、今の方が楽なのではないか。

ここでいう「楽」は、「今の人生が楽しい」とか「今の自分が好き」という意味ではない。

慣れている、という意味だ。

今の仕事が嫌い。

でも仕事内容は知っている。

誰が面倒くさいかも知っている。

何時に家を出ればいいかも知っている。

どこで昼飯を食べるかも知っている。

転職すれば全部変わる。

新しい仕事。

新しい人間関係。

新しい通勤経路。

自分にできるかもわからない。

嫌な会社なのに、今の会社には「知っている」という安心がある。

運動も同じだ。

運動しない生活なら、もうやり方を知っている。

帰る。

飯を食う。

スマホを見る。

寝る。

簡単だ。

ところが運動を始めると決めた瞬間、考えることが増える。

何時にやる?

何分やる?

何を着る?

雨の日は?

疲れていたら?

明日も?

昨日まで存在しなかった仕事が大量に発生する。

そりゃ昨日と同じ方が楽だ。

意思決定研究には**「現状維持バイアス」**と呼ばれるものがある。

SamuelsonとZeckhauserによる1988年の古典的研究では、実験や実際の選択データから、人が現在の状態や以前の選択を維持する選択肢を選びやすい傾向が示されている。

これを知って、少し納得した。

変われない人は、必ずしも今の自分を愛しているわけではない。

むしろ嫌いだったりする。

それでも、知らない自分になるより、知っている自分でいる方が楽なのだ。

「今がいい」のではない。

「今なら知っている」。

この差は大きい。

変われない理由② 変化には何かを手放す必要がある

「変わりたい」と「変わりたくない」は、同時に存在できる。

痩せたい。

でも食べたい。

貯金したい。

でも使いたい。

早く寝たい。

でも動画を見たい。

タバコをやめたい。

でも吸いたい。

転職したい。

でも今の安定は捨てたくない。

こう並べると、当たり前のことに気づく。

変わるということは、新しい何かを手に入れるだけではない。

今持っている何かを手放すことでもある。

運動する時間を作るなら、今まで別のことに使っていた時間を手放す。

禁煙するなら、タバコそのものだけでなく、休憩の仕方や一服する習慣も変わる。

転職するなら、嫌いな職場だけではなく、慣れた仕事や知っている人間関係も一緒に手放すことになる。

僕らは「変わった先で手に入るもの」ばかりを見るけれど、その途中には必ず「今まで持っていたものを離す瞬間」がある。

だから怖い。

変化って、思っていたより引っ越しに似ているのかもしれない。

新しい家は楽しみだ。

でも、今の部屋の荷物を全部まとめなければならない。

面倒くさい。

もうここでええか。

そうなる。

変われない理由③ 今までの自分を否定したくない

もう一つ、僕がかなり大きいと思ったものがある。

プライドだ。

悪い意味だけではない。

今まで自分がやってきたことへのプライド。

ずっと信じてきた考え。

選んできた仕事。

続けてきた方法。

費やした時間。

それを変えるとき、人は未来だけを見ているわけではない。

後ろには、これまでの自分が立っている。

例えば十年間続けた仕事を辞めようとする。

すると、

「じゃあ、この十年は何だったんだ」

と思う。

何年も「読書なんて意味ない」と言ってきた人が、本を読んでみようと思う。

でも読んで面白かったら、

「じゃあ今までの俺は何だったんだ」

となる。

ずっと信じていた考えを変える。

「俺、間違ってたのか?」

これ、結構しんどい。

過去に投じた時間やお金、労力があるほど、そのまま続けたくなる現象に近いものとして**「サンクコスト効果」**が知られている。

ArkesとBlumerによる研究では、すでに金銭・努力・時間を投資していると、その活動を継続する傾向が強まることが示されている。

もちろん、人生のすべてをサンクコストだけで説明することはできない。

でも、

「ここまでやったんだから」

という気持ちはよくわかる。

僕らは未来の自分を変えようとするとき、同時に過去の自分の選択にも触れてしまう。

だから変化が、過去の自分への敗北宣言みたいに感じられることがある。

でも、本当は違うのだと思う。

あのときは、それが自分なりの正解だった。

今は違う。

それだけでいい。

十年前の自分と今の自分が違う答えを出したからといって、十年前の自分を殴る必要はない。

むしろ十年生きたから、答えが変わったのかもしれない。

変われる人は、

過去の自分と違う選択をすることを「負け」だと思わない人なのかもしれない。

これは僕の考察だけれど、かなり大事な違いに思える。

変われない理由④ 「自分を変える」がデカすぎる

そもそも、

「自分を変える」って何なんだ。

よく考えると、とんでもなく大きい言葉だ。

性格を変えるのか。

生活を変えるのか。

仕事を変えるのか。

見た目を変えるのか。

考え方を変えるのか。

人生を変えるのか。

全部?

無理やろ。

「自分を変える」と考えた瞬間、話が巨大になる。

明日から新しい俺。

そんな大規模アップデート、一晩で終わるわけがない。

だから僕らは決意だけして寝る。

そして翌朝、鏡を見る。

いつもの顔。

いつもの髪。

いつもの眠そうな目。

何も変わってない。

当たり前だ。

寝ている間に人格のアップデートは配信されない。

でも、

「明日、本を十ページ読む」

ならどうだろう。

「帰りに十分歩く」

「タバコを一本減らす」

「英単語を五個見る」

「応募ページを開く」

これなら急に小さくなる。

自分を変えるのは難しい。

でも、行動を一個変えるならできそうだ。

もしかすると、変われる人は最初から「自分」なんて巨大なものを動かそうとしていないのかもしれない。

では、稀に変われる人は何が違うのか

ここまで調べていると、「変われない人は意志が弱い」という単純な話ではなくなってきた。

むしろ、人間が変わりにくい理由はいくらでもある。

現状維持の方が楽。

変化は不確実。

何かを手放さなければならない。

過去の自分も揺れる。

そして「自分を変える」という目標自体がデカすぎる。

そりゃ変わらんわ。

では、それでも変わる人は何をしているのだろう。

僕なりに研究と、これまで見てきた人を重ねながら考えてみた。

変われる人① 「変わりたい」ではなく、やることが決まっている

「運動したい」

「本を読みたい」

「勉強したい」

全部、気持ちだ。

では、いつやるのか。

どこでやるのか。

何をやるのか。

ここまで決まっていない。

目標達成の研究には**「実行意図」**という考え方がある。

簡単にいえば、

「もし○○になったら、△△する」

という形まで行動を具体化しておく。

例えば、

「本を読む」

ではなく、

「通勤電車で座ったら本を開く」。

「運動する」

ではなく、

「仕事から帰って着替えたら十分歩く」。

「勉強する」

ではなく、

「夕食を食べたら机で問題集を一ページやる」。

GollwitzerとSheeranによる2006年のメタ分析では、94の独立した検証をまとめた結果、こうした実行意図は目標達成に中程度から大きめの効果(d=0.65)を示した。研究では、強い目標意図を持つことだけでは目標達成は保証されないことも指摘されている。

なるほど。

変われる人は、決意が強いというより、

決意を行動まで翻訳するのがうまいのかもしれない。

「痩せるぞ!」

では、明日の自分は何をすればいいかわからない。

「夕食後に二十分歩く」

なら、わかる。

未来の自分に精神論を送るのではなく、指示書を渡しておく。

これならできそうだ。

変われる人② 意志の強さより、環境をいじる

僕らは何かを続けている人を見ると、

「あの人は意志が強い」

と思いがちだ。

毎朝走っている。

すごい。

毎日本を読んでいる。

すごい。

勉強を続けている。

すごい。

でも、本当に毎日ものすごい精神力で自分を殴って動かしているのだろうか。

もしかすると、毎日戦わなくていい状態を作っているだけかもしれない。

朝走るなら、前日の夜にウェアを出しておく。

本を読むなら、鞄に本を入れておく。

スマホを触りすぎるなら、手の届かないところに置く。

お菓子を食べすぎるなら、家に置かない。

行動を変えるたびに毎回、

「さあ! 今こそ強い意志を発動するぞ!」

なんてやっていたら疲れる。

僕なら三日で負ける。

それより、やる方が簡単な環境にしてしまう。

あるいは、やらない方を面倒にする。

変われる人は、強い自分を作るのではなく、

弱い自分でもできる仕組みを作るのがうまい。

そう考えると、少し希望がある。

僕は明日から鋼の精神を持つ必要はない。

そんなもの、たぶん明日になっても届いていない。

今の僕のままでも動けるようにしておけばいい。

変われる人③ 失敗を「終了」にしない

これも大きいと思う。

何かを始める。

三日続く。

四日目。

サボる。

ここで、

「やっぱり俺は続かない」

となる。

そしてやめる。

でも考えてみれば変だ。

一日サボっただけだ。

なぜ一日休んだことが、未来永劫できない証明になるのだ。

ダイエット中にラーメンを食べた。

終わり。

運動を一日休んだ。

終わり。

本を三日読まなかった。

終わり。

人生の判定が早すぎる。

変われる人だって、たぶん失敗する。

寝坊もする。

サボる。

やる気がない日もある。

予定通りいかない。

違いがあるとすれば、失敗しないことではなく、

戻ってくることなのではないか。

昨日やらなかった。

今日やる。

それだけ。

一回崩れた自分を見て、

「ほら、やっぱり俺はこういう人間だ」

と元の自己像に戻らない。

ここでも「自分」を大きく考えすぎない方がいい。

昨日運動しなかった。

それは、

「運動を続けられない人間」

という人格診断ではない。

昨日、運動しなかった。

ただの一日分の事実だ。

今日やればいい。

変われる人④ 過去の自分を守りすぎない

さっきのプライドの話にも戻る。

変わるということは、昨日までの自分と違う選択をすることだ。

だから、

「今までこうしてきたから」

を絶対にしてしまうと変われない。

昔の自分がAを選んだ。

今日の自分はBを選ぶ。

別にいい。

昔の自分に許可を取る必要はない。

「前と言ってること違うやん」

と言われてもいい。

違う。

人間だから。

新しいことを知った。

経験した。

考えた。

だから答えが変わった。

むしろ何十年生きても一度も考えが変わらない方が不思議だ。

変われる人は、

「あのときはあれでよかった。でも今は違う」

と言える人なのかもしれない。

過去を否定しない。

でも、

過去に未来の決定権も渡さない。

このバランスはかなり大事な気がする。

アドバイスを聞くだけでは変われない

ここまで考えると、僕にアドバイスを求めてきた人が何も変わらなかった理由も少し見えてくる。

もちろん、その人がなぜ動かなかったかは本人にしかわからない。

だから、

「相談する人は行動しない」

なんて決めつけるつもりはない。

相談して人生が動く人だっている。

ただ、少なくとも一つ言える。

方法を知ることと、方法をやることは違う。

「本を読んだ方がいいよ」

知ってる。

「運動した方がいいよ」

知ってる。

「早く寝た方がいいよ」

知ってる。

「貯金したいなら使う額を減らした方がいい」

知ってる。

僕らは結構、知っている。

健康になる方法を一個も知らないから不健康な生活をしているわけではない。

それでもやらない。

だから、さらに情報を一個増やせば変われるとは限らない。

「どうすればいい?」

と聞かれて答える。

「なるほど」

となる。

その瞬間、少し前進した気になる。

でも翌日の行動が昨日と同じなら、現実はまだ何も変わっていない。

もしかすると必要なのは、もっとすごいアドバイスではない。

今日何をするか。

そこまで小さくすることなのかもしれない。

「変わった瞬間」なんて、たぶんない

ここまで書いていて、もう一つ気づいた。

人が変わる瞬間って、いつなんだろう。

ずっと本を読まなかった人が読書を始める。

一日目。

本を十ページ読んだ。

この瞬間に「読書する人」に変身したのだろうか。

二日目。

また読んだ。

三日目。

読んだ。

四日目。

読まなかった。

五日目。

また読んだ。

一か月後。

何冊か読んでいる。

半年後。

いつも鞄に本が入っている。

周りから見れば、

「あいつ、本読むようになったな」

となる。

いつ変わった?

一日目?

十日目?

三か月目?

たぶん、そんな境界線はない。

ある日突然、画面が光って、

「読書する人に進化しました」

とはならない。

小さな行動が積み重なって、後から振り返ったときに、

「あ、変わってる」

となる。

つまり変化は、出来事ではなく、

あとから付けられる名前なのかもしれない。

これはかなり大事だと思う。

「自分を変えたい」と思うと、僕らは変身を期待する。

昨日までの自分。

決意。

新しい自分。

でも実際には、そんな綺麗に切り替わらない。

昨日までの自分を引きずったまま、新しいことを一個やる。

次の日もやる。

たまにやらない。

またやる。

それを繰り返しているうちに、いつの間にか以前とは違う場所にいる。

自分を変えるのではなく、行動を変える

最初、僕はこう考えていた。

自分が変わる。

だから行動が変わる。

意志の強い人になる。

だから運動できる。

自信のある人になる。

だから挑戦できる。

やる気のある人になる。

だから勉強できる。

でも、もしかすると順番は逆なのかもしれない。

運動する。

だから少しずつ「運動する自分」になる。

本を読む。

だから「本を読む自分」になる。

挑戦する。

だから「挑戦した自分」になる。

行動が先。

自分は後。

そう考えると、「自分を変える」という巨大な仕事をしなくてよくなる。

性格を変えなくていい。

人格を作り直さなくていい。

明日の朝、別人になっていなくていい。

いつもの自分でいい。

いつもの自分に、昨日とは違うことを一個やらせればいい。

これならできそうだ。

変われる人は、特別な人ではないのかもしれない

僕は、変われる人を見ると少し特別な人だと思っていた。

意志が強い。

行動力がある。

僕らとは何かが違う。

もちろん、本当にそういう人もいるだろう。

性格や環境、置かれている状況にも個人差はある。

誰でも同じ方法で同じように変われる、なんて言うつもりはない。

でも調べてみると、

「変われる人=強い人」

という見方は少し雑に思えてきた。

変わりたいという気持ちだけでは行動につながらないことがある。

現状維持には強い力がある。

過去に費やしたものも、僕らを引っ張る。

一方で、いつ・どこで・何をするか具体的に決めることは、目標達成を助けることが研究でも示されている。

つまり必要なのは、超人的な精神力だけではない。

むしろ、

自分が弱いことを前提にする。

面倒くさがることを前提にする。

サボることを前提にする。

失敗することを前提にする。

そのうえで続けられる形を作る。

こっちの方が現実的だ。

「絶対にサボらない人になる」

より、

「サボっても次の日戻る」

の方が僕にはできそうだ。

「毎日やる気に満ちた人になる」

より、

「やる気がなくても始められるようにしておく」

の方がいい。

強くなるより、弱いまま進める方法を作る。

もしかすると、稀に変われる人の中には、それがうまい人がいるのかもしれない。

昨日までの自分を連れていけばいい

自分を変えたい。

この言葉には、どこか、

「今の自分ではダメだ」

という響きがある。

だから新しい自分にならなければならない。

今までの自分を捨てなければならない。

でも、そこまで大げさにしなくてもいいのかもしれない。

昨日までの自分も連れていけばいい。

サボる自分。

面倒くさがる自分。

意志の弱い自分。

今まで失敗してきた自分。

全部そのまま。

そいつに本を一ページ読ませる。

十分歩かせる。

一回応募させる。

五分勉強させる。

その程度からでいい。

過去の自分を殺して、新しい自分を誕生させる必要なんてない。

そんな壮大な儀式を始めるから疲れる。

昨日の自分に、

「今日はこれだけやろうぜ」

くらいでいい。

そして一個やる。

次の日も一個。

たまに何もしない。

またやる。

それを繰り返す。

「お前、変わったな」

自分を変えたい。

そう思って眠る。

明日から早起きする。

毎日本を読む。

運動する。

勉強する。

新しいことを始める。

よし。

明日から俺は変わる。

次の日。

鏡を見る。

いつもの俺がいる。

そりゃそうだ。

一晩寝ただけだ。

顔も同じ。

性格も同じ。

昨日までの癖も残っている。

やる気だって、思っていたほどない。

でも、それでいい。

昨日まで本を読まなかったなら、一ページ読む。

運動しなかったなら、少し歩く。

勉強しなかったなら、五分だけやる。

やりたいことがあるなら、最初の一個だけやる。

見た目は何も変わらない。

性格も変わっていない。

いつもの俺だ。

でも、

昨日とは一つだけ違うことをした。

次の日も、できたらやる。

できなかったら、その次の日にまたやる。

一週間。

一か月。

半年。

一年。

たぶん本人には、いつ変わったのかわからない。

変わった瞬間なんてなかったからだ。

ただ、ある日。

久しぶりに会った誰かが言う。

「お前、変わったな」

そのとき初めて気づくのかもしれない。

自分を変えてから行動するんじゃない。

行動したから、少しずつ自分が変わった。

変われる人は、最初から特別な人だったわけではないのかもしれない。

いつもの自分のまま、昨日と違うことを一つやった。

そして、それを何度も繰り返した。

自分を変えたい。

そう思ったら、明日から別人になる必要はない。

明日もたぶん、

いつもの俺がいる。

それでいい。

いつもの俺のまま、昨日と違うことを一つやればいい。

たぶん、自分が変わるって、

そういうことなんだと思う。

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