電車に乗っている。
車内はガラガラだ。
座席はいくらでも空いている。
僕は当然のように座り、本を読んでいる。
電車というのは、実に素晴らしい。座っているだけで目的地まで運んでくれる。しかも、その間に読書までできるのだ。
僕にとって電車は、移動手段であると同時に読書室でもある。適度な揺れと走行音に包まれながら、物語の世界へ入り込む。気がつけば目的地に着いている。これほど便利な読書室もないだろう。
そんなことを考えながら本を読んでいたとき、ふと顔を上げた。
立っている人がいる。
一人ではない。車内にパラパラと、立っている人がいるのだ。
……。
ん?
何でだ?
座ればいいのに。
座席は空いている。一つや二つではない。僕の周りにも、誰も座っていない席がずらりと並んでいる。
それなのに、立っている。
なぜだ。椅子が嫌いなのか。
もちろん、電車で立つのは自由だ。座らなければならないという法律があるわけでもない。立ちたい人は立てばいい。
しかし、僕にはどうにも不思議だった。せっかく座れるのに、なぜわざわざ立っているのだろう。
ああ、なるほど。
きっと、すぐに降りるのだろう。
次の駅で降りるなら、座ったところでまた立ち上がらなければならない。それなら最初から立っていた方が楽だ。
僕は一人で納得し、本に目を戻した。
やがて、電車が駅に到着した。扉が開く。
僕はちらりと顔を上げた。
……。
降りない。
まあ、次の駅なのだろう。
電車が走り出す。次の駅に到着する。
……。
降りない。
さらに次の駅。
……。
まだいる。
おかしい。僕の予想は外れ続けている。
この人は、いつ降りるのだ。
電車が駅に着くたび、僕はその人の様子を確認するようになっていた。次こそ降りるのか。いや、降りない。今度こそ降りるのか。やっぱり降りない。
座席はずっと空いている。彼はずっと立っている。
いつの間にか、僕は本の内容よりも、彼がいつ降りるのか気になっていた。
本を読め。何をしているのだ、僕は。
そう思っても、気になるものは気になる。
そして、とうとう終点に到着した。
彼も降りた。
僕も降りた。
結局、最後まで一緒だった。
……。
何だったのだ。
なぜだ。
なぜなんだ。
同じ電車に乗り、同じ時間を過ごし、同じ駅で降りた。僕は座って本を読んでいた。彼は一度も座らなかった。
何かの修行だったのだろうか。
だとしたら、勇ましい。かっこいい。
空席という誘惑に負けず、終点まで立ち続ける。電車が揺れようとも、座席が空いていようとも、決して腰を下ろさない。
なんという精神力だ。
僕なんて乗車した瞬間に座っている。しかも、できれば端の席がいい。隣が空いていれば、なおいい。
修行僧と煩悩の塊である。
いや、待て。そもそも修行なのか。僕は一体、何を考えているのだ。
しかし、この出来事以来、気になって仕方がない。
電車で座らない人は、なぜ座らないのだろう。
少し真面目に考えてみたい。
電車で座らない人の心理とは?
① 立っている方が楽だから
まず考えられるのは、立っている方が楽だという理由だ。
僕には意外だが、座ることが必ずしも楽とは限らない。例えば、一日中デスクワークをしていた人。朝から夕方まで椅子に座りっぱなしだったら、帰りの電車くらい立っていたいと思うかもしれない。
腰や背中の状態によっては、座る姿勢の方がつらい人もいるだろう。外から見ただけでは、そんな事情はわからない。
僕は座席を見つけると、ほっとする。ようやく座れる、と思う。しかし、同じ座席を見ても、別の人は何とも思わないのかもしれない。
座った方が楽。これは僕の感覚であって、万人共通の事実ではないのだ。
そう考えると、あの日の彼も立っている方が快適だった可能性がある。
ただ、終点まで立ち続けるとは、なかなかのものだ。僕なら途中で一度くらい座りたくなる気がする。
② 他人と密着したくないから
電車の座席は、知らない人との距離が近い。
隣に誰かが座れば、肩が触れることもある。足が当たることもある。荷物が大きければ、さらに窮屈だ。
そうした距離感が苦手な人は、最初から立っていた方が気楽なのかもしれない。
これは理解できる。僕だって、できれば隣に誰も座ってほしくない。だから端の席が好きなのだ。片側だけでも人がいないという安心感。実に素晴らしい。
空席がたくさんあるのに、なぜか自分の隣へ向かってくる人がいると、少し身構えてしまう。もちろん、どこに座ろうと自由なのだが。
だったら、そもそも座らない。隣に誰が来るかを気にしなくて済む。
なるほど、合理的だ。
もっとも、あの日の電車はガラガラだった。隣に誰かが座る可能性は低そうだったが、今後の混雑を見越していたのかもしれない。
③ 座席の衛生面が気になるから
不特定多数の人が利用する座席に抵抗がある人もいるだろう。
誰が座っていたかわからない。服が汚れるのが嫌だ。そうした理由で、なるべく座らないようにしているのかもしれない。
もちろん、電車の座席が必ず汚れているという話ではない。清潔さに対する感覚は人それぞれだ。
例えば、外出着のままベッドに座ることを気にする人もいれば、まったく気にしない人もいる。同じものを見ていても、感じ方は違う。
僕は電車の座席にそこまで抵抗がない。むしろ空いていれば喜んで座る。しかし、気になる人にとっては、立っていることが最も快適な選択なのだろう。
座席が空いているからといって、全員が座りたいわけではない。考えてみれば、これも当たり前のことだ。
④ 健康や運動を意識しているから
健康のために、あえて立つことを選んでいる人もいるかもしれない。
日頃から階段を使う。少しの距離なら歩く。エスカレーターを避ける。そんな習慣の延長で、電車でも立つと決めているのだろう。
長時間座りっぱなしになることを避けたいという考え方もある。電車で立つだけで十分な運動になるわけではないが、姿勢を変える機会にはなる。
だとしたら、あの日の彼は健康のために立っていたのだろうか。
僕が座って本を読んでいる間、彼は健康的な生活を実践していたのかもしれない。
なんという意識の高さだ。
僕は端の席が空いているかどうかばかり気にしているというのに。
ここで再び修行説が頭をよぎる。いや、健康習慣を勝手に修行に変換するのはやめよう。
⑤ 一度座ると立ち上がるのが面倒だから
座ったら、いつかは立たなければならない。
当たり前だ。電車は永遠に走り続けるわけではない。目的地に着けば降りる必要がある。
荷物を持ち直し、席を立ち、通路に出る。混雑していれば、前に立っている人の間を通らなければならない。そうした一連の動作が面倒なのかもしれない。
それなら最初から立っていた方が楽だ。
僕は逆である。立っている方が面倒くさい。座れるなら座りたい。できれば降りる直前まで座っていたい。
ただ、あと一駅しか乗らないなら、立ったままでもいいと思うことはある。
しかし、あの日の彼は終点まで一緒だった。
それほど長く乗るなら、僕なら座る。
……。
また自分の基準で考えてしまった。そういうところが、今回の謎の始まりなのである。
⑥ 座ると眠ってしまうから
座席に座ると眠くなる人もいるだろう。
電車の揺れは不思議だ。一定のリズムで響く走行音。ゆったりとした揺れ。疲れているときには、なかなかの睡眠環境になる。
少し目を閉じただけのつもりが、気がつけば目的地を通り過ぎていた。そんな経験をした人なら、寝過ごさないために立っているのかもしれない。
もちろん、立っていれば絶対に眠らないわけではない。しかし、座るよりは眠りにくいと感じる人もいるはずだ。
僕も眠いときは、本の同じ行を何度も読み返してしまう。文字を追っているのに、内容がまったく頭に入ってこない。
そうなると読書どころではない。
なるほど。眠気を避けるために立つ。これは十分に考えられる。
ただ、あの日の彼は終点まで乗っていた。終点なら比較的寝過ごしにくい気もするが、彼が最初から終点を目指していたかはわからない。
推理する材料が足りないのである。
考えてみれば、僕は彼の名前も、仕事も、普段の生活も知らない。知っているのは、終点まで立っていたということだけだ。
それだけの情報で、ここまで考えている。探偵なら、もう少し証拠を集めてから推理するだろう。
しかし、僕には聞き込みをする勇気などない。そもそも、電車で座らない理由を聞き込む探偵とは何なのだ。
⑦ 他の人に席を譲りたいから
自分より座席を必要としている人のために、あえて立っている可能性もある。
高齢者や妊婦、体調の悪い人などが乗ってきたとき、すぐ座れるように席を空けておく。
なんと優しい人なのだろう。
もちろん、ガラガラの電車なら、自分が座っても十分な空席は残る。それでも、最初から座らないという気遣いもあるのかもしれない。
また、一度座ると、席を譲るタイミングに迷う人もいるだろう。声をかけるべきか。相手は座りたいのか。断られたらどうしよう。
それなら最初から立っていればいい。
僕は空いている席があれば座り、必要としている人がいればそのとき譲ればいいと思っている。しかし、最初から座らないという考え方もある。
だとしたら、僕が「座ればいいのに」と不思議がっていた相手は、実は誰かを気遣っていたのかもしれない。
そう考えると、少し申し訳なくなってくる。
⑧ 立っていることが習慣になっているから
毎日の通勤や通学で、いつも立っている人もいるだろう。
同じ車両に乗り、同じ場所に立ち、同じつり革を持つ。そんな生活を何年も続けていれば、立っていることが当たり前になっていても不思議ではない。
僕は電車に乗ると自然に座席を探す。そして、座れたら本を開く。もはや一連の動作が習慣になっている。
彼にとっては、電車に乗ったら立つことが自然なのかもしれない。
僕は座って本を読む。彼は立って電車に揺られる。
どちらも、いつもの過ごし方をしているだけだ。
ただ、習慣の違いというのは面白い。僕が何も考えずに座るように、彼も自然と立つ場所を選んでいるのだろうか。
⑨ 座ると落ち着かないから
座席に座ると、周囲との位置関係が固定される。隣に人が座れば動きにくいし、目の前に人が立つこともある。
一方、立っていれば姿勢を変えたり、場所を移動したりしやすい。周囲を見渡すこともできる。
そうした自由さを好む人もいるのだろう。
僕は座っている方が落ち着く。しかし、立っている方が落ち着く人もいる。
座席が空いていることと、その人が座りたいことは、必ずしも同じではない。
こうして考えると、座らない理由はいくつもある。
一見、不思議に見える行動にも、本人にとってはちゃんとした理由があるのかもしれない。
そもそも、なぜ僕は座らない人が気になるのか
ここまで、電車で座らない人の心理を考えてきた。
立っている方が楽。他人と密着したくない。衛生面が気になる。健康を意識している。眠りたくない。席を譲りたい。
どれも、あり得る理由だ。
そして、ふと気がついた。
そもそも、なぜ僕は他人が座らないことを、こんなにも不思議に思うのだろう。
別に僕が困っているわけではない。むしろ、座席が空いているのだからありがたい話である。
僕は座って本を読める。彼は立っていられる。誰も困っていない。
それなのに、僕は気になって仕方がなかった。
僕の中では、空席があれば座ることが当たり前だからだ。
自分にとって当たり前の行動をしない人を見ると、理由を知りたくなる。
しかし、僕の当たり前が他人の当たり前とは限らない。
僕が電車で本を読むことだって、読書をしない人からすれば不思議に映るかもしれない。
なぜ、わざわざ電車で本を読むのか。家で読めばいいではないか。スマートフォンでも見ていればいいのに。
そう思う人もいるだろう。
僕には僕の快適な過ごし方がある。彼には彼の快適な過ごし方がある。
それだけの違いなのかもしれない。
とはいえ、頭で理解しても、やはり気になる。あの日の彼は、なぜ終点まで立ち続けたのか。
僕の好奇心は、なかなかしつこいのである。
しかも厄介なことに、答えが出ないほど気になってしまう。すぐに降りてくれれば、それで終わった話なのだ。ところが彼は終点まで立ち続けた。
その結果、僕の頭の中には、いまだに小さな謎が残っている。本人は知る由もないだろう。見知らぬ男の読書時間を、こんなにも奪っていたなんて。
電車で座らない人は、逆に迷惑なのか?
もう一つ考えたいのが、座らない人は迷惑なのかという問題だ。
ガラガラの電車で立っているだけなら、基本的に何の問題もない。むしろ座席が空くのだから、座りたい人にとってはありがたい。
しかし、混雑した車内では話が変わることもある。
空席があるのに、通路やドア付近に人が集まり、乗り降りを妨げている。そんな場合は、周囲の状況に合わせて移動する必要があるだろう。
ちなみに、ドア横から頑なに動かない人については、以前、別の記事を書いた。
【関連記事:ドア横キープマンについての記事】
ただし、座らない人とドア横を占領する人は、まったく別の話だ。
立っていること自体が迷惑なのではない。周囲の通行を妨げているかどうかが問題なのである。
そもそも、座らないことで誰かのために席を空けている人もいるかもしれない。
なんと優しい人なのだろう。
それなのに、混雑した電車で立っていると、今度は邪魔だと言われることがある。
……。
かわいそうだ。
席を空けているのに、邪魔者扱いである。
座ればいいのにと言われ、立っていれば邪魔だと言われる。
一体どうすればいいのだ。
もちろん、立つ場所や周囲への配慮は大切だ。しかし、考えてみれば、座っている人だって文句を言われることがある。
足を広げるな。荷物を置くな。席を譲れ。足を組むな。
立っていても邪魔。
座っていても邪魔。
一体、どこにいればいいのだ。
もはや宙に浮くしかない。
いや、待て。宙に浮いたところで、今度は視界の邪魔だと言われるかもしれない。
浮く場所まで考えなければならないのか。電車に乗るというのは、なんと難しいことなのだろう。
しかし、僕はひらめいた。
そうか。
天井だ。
天井に張り付いていればいいのだ。
これなら座席も使わない。通路も塞がない。誰の邪魔にもならない。
完璧ではないか。
しかし、ふと天井を見上げた乗客はどう思うだろう。
……。
いや、怖いわ。
電車に乗って、天井に人間が張り付いているのである。もはや怪奇現象だ。
しかも、一人ではない。何人もの人間が、天井に張り付いている。
想像するだけで恐ろしい。
そして、次の駅でどうやって降りるのだ。
天井から突然、人間が降ってくる。
ドサッ。ドサッ。
次々と着地する乗客たち。
そんな電車には乗りたくない。
結局、人間は普通に立つか座るかした方がいいのである。
ずいぶん遠回りをして、当たり前の結論にたどり着いてしまった。
みんなが快適になんて、できないのかもしれない
電車には、いろいろな人が乗っている。
座りたい人もいる。立っていたい人もいる。静かに過ごしたい人もいれば、誰かと話したい人もいる。
本を読む人。スマートフォンを見る人。眠る人。窓の外を眺める人。
それぞれに事情があり、それぞれに快適な過ごし方がある。
しかし、自分にとって快適なことが、他人にとっても快適とは限らない。
僕は座って本を読みたい。けれど、立っている方が快適な人もいる。座席を必要としている人もいれば、座席に座りたくない人もいる。
電車は公共の乗り物だ。生活も考え方も違う人たちが、同じ空間に乗り合わせている。
全員の希望が一致するわけではない。
みんなが快適になんて、できないのかもしれない。
だからこそ、少しずつ譲り合うしかないのだろう。
立つ人は、周囲の通行を妨げないように気を配る。座る人は、必要以上に場所を占領しない。席を必要としている人がいれば、できる範囲で譲る。
そして、自分とは違う行動をしている人がいても、それだけでおかしいと決めつけない。
僕は座るのが好きだ。しかし、だからといって、立っている人がおかしいわけではない。
あの日のことを思い出す。
ガラガラの電車。僕は座って本を読んでいた。彼はずっと立っていた。
結局、終点まで一緒だった。
なぜ立っていたのか。今でも、その理由はわからない。
しかし、彼には彼なりの理由があったのだろう。
立っている方が楽だったのかもしれない。健康を意識していたのかもしれない。他人との距離を保ちたかったのかもしれない。
あるいは、本当に何かの修行だったのかもしれない。
いや、最後の可能性はひとまず置いておこう。
僕は座って本を読む。彼は立って電車に揺られる。
それでいいではないか。
もっとも、ここまで考えても、やはり少し気になる。
あの日の彼は、なぜ立っていたのだろう。
次に見かけたら、聞いてみたい。
「すみません。なぜ座らないんですか?」
……。
いや、怖すぎるだろう。
ガラガラの電車で、見知らぬ男が突然近づいてきて、真剣な顔でそんな質問をするのである。
今度は僕が不審者になる。
やはり、そっとしておこう。
僕は今日も電車に乗る。空席を見つけ、当然のように腰を下ろす。鞄から本を取り出す。
そして、ふと顔を上げる。
……。
また、立っている人がいる。
なぜだ。
なぜなんだ。
僕は静かに本を閉じた。
