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食べるのが早い人の心理と性格とは。イライラするし嫌い。食事のペースは合わせるべき?

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僕は食べるのが早いらしい。

らしい、というのは、自分では特別早く食べているつもりがないからだ。

急いでいるわけではない。食事を面倒に思っているわけでもない。むしろ、食べることは大好きである。

ただ、おいしいものを目の前にすると、どうにも箸が止まらない。

そして、これまでの人生で何度も言われてきた。

「食べるの早すぎやろ」

「もうちょっとゆっくり食べたら?」

「ちゃんと味わってる?」

……。

味わっている。

めちゃくちゃ味わっている。

むしろ、僕ほど食事を楽しんでいる人間がいるのだろうか。

しかし、どうやら世間には、食事はゆっくり楽しむものだという考え方があるらしい。

ゆっくり食べる人は上品で、早く食べる人はせっかち。

そんな印象を持たれることもある。

本当にそうなのだろうか。

そもそも、食べるのが早い人には、どんな心理や性格があるのだろう。

そして、もっと気になることがある。

なぜ僕は、他人と食べる速度を合わせなければならないのだろうか。

その疑問を抱くようになったのには、ある女性との食事が関係している。

目次

餃子がうまい。うますぎるぞ。

この前、女性と食事に行ったときの話だ。

目の前には餃子がある。

白米もある。

味噌汁もある。

素晴らしい。

何という完璧な組み合わせだろう。

さっそく餃子を一つ口に運ぶ。

うまい。

すかさず白米をかき込む。

うまい。

さらに味噌汁で流し込む。

うめえええ。

これである。

餃子と白米と味噌汁。

この三つが組み合わさったときの幸福感は、なかなか言葉にできない。

餃子だけでもおいしい。

白米だけでもおいしい。

味噌汁だっておいしい。

しかし、この三つを続けて口に運ぶことで、何かとんでもないことが起きる。

口の中で、小さな祭りが開催されるのだ。

さあ、二個目の餃子だ。

一口食べる。

うまい。

また白米をかき込む。

うますぎるぞ。

味噌汁を飲む。

たまらない。

もう止まらない。

三個目。

四個目。

次から次へと餃子が消えていく。

箸が止まらない。

白米も減っていく。

味噌汁も減っていく。

何という幸せな時間だろう。

僕は今、間違いなく食事を楽しんでいる。

誰にも邪魔されたくない。

餃子、白米、味噌汁。

餃子、白米、味噌汁。

完璧なリズムである。

このまま最後まで駆け抜けたい。

そして、残りの餃子があとわずかになった頃だった。

ふと、目の前の存在に気がついた。

そうだ。

僕は女性と食事に来ていたのだ。

目の前の女性は、まだ一個目の餃子を食べていた

顔を上げる。

おや。

目の前の女性は、まだ一個目の餃子を食べているではないか。

正確には、一個目の餃子を少しかじり、皿に置いていた。

……。

何ということだ。

僕はもう、ほとんど食べ終わっている。

白米も残りわずか。

味噌汁も残りわずか。

餃子だって、あと一個である。

しかし、彼女はまだ一個目。

一体、どういうことなのだろう。

僕の時間だけが早く進んでいるのだろうか。

いや、違う。

彼女の時間がゆっくり進んでいるのかもしれない。

そんなことを考えていると、彼女が言った。

「食べるん早すぎやろ。もうちょっと合わせて」

……。

出た。

このセリフである。

僕はこれまでの人生で、何度この言葉を聞いてきただろう。

食べるのが早い。

もう少しゆっくり食べろ。

相手に合わせろ。

何度も言われてきた。

そして、そのたびに僕は思う。

そんなに早いだろうか。

僕はただ、目の前の料理をおいしく食べているだけなのだが。

しかし、今回は女性との食事である。

少しは配慮したほうがいいのかもしれない。

目の前には最後の餃子がある。

食べたい。

非常に食べたい。

今すぐ白米と一緒に口へ運びたい。

しかし、先ほど言われた言葉が頭をよぎる。

「もうちょっと合わせて」

……。

どうしよう。

最後の餃子を食べたい。

でも、食べればまた早いと言われるかもしれない。

僕は迷った。

そして、決断した。

最後の餃子を我慢することにした。

最後の餃子は、もうホクホクではなかった

僕は箸を置いた。

目の前には最後の餃子。

まだ温かそうである。

今ならおいしく食べられるだろう。

しかし、我慢だ。

女性と会話をする。

話を聞く。

こちらも話す。

また話を聞く。

時間が過ぎていく。

その間、最後の餃子は皿の上で静かに待っている。

いや、待っているのは僕なのか。

餃子なのか。

よくわからなくなってきた。

しばらくして、僕は最後の餃子に箸を伸ばした。

しかし、ここで勢いよく食べるわけにはいかない。

せっかく速度を合わせようとしているのだ。

僕は餃子を少しずつ食べることにした。

ちびちび。

ちびちび。

……。

おいしい。

おいしいのだが、何かが違う。

最初の餃子とは違う。

あの熱さがない。

あの勢いがない。

白米をかき込み、味噌汁で流し込む、あの幸福感がない。

最後の餃子は、もうホクホクではなかった。

僕は何をしているのだろう。

おいしい料理を食べに来たはずなのに、なぜ一番おいしい瞬間を自分から逃しているのだろう。

もちろん、彼女と会話することも大切だ。

一緒に食事をする以上、相手への配慮も必要だろう。

しかし、食べる速度を合わせることが、本当に配慮なのだろうか。

そんな疑問が浮かんできた。

食べるのが早い人の心理とは?

そもそも、なぜ僕はこんなに食べるのが早いのだろう。

ここで一度、早食いする人の心理について考えてみたい。

もちろん、早食いする理由は人によって違う。僕のような人もいれば、まったく別の理由で早く食べる人もいるだろう。

① おいしいから次の一口が待ちきれない

まず、僕に最も当てはまりそうなのがこれである。

おいしい。

だから、もっと食べたい。

餃子を食べる。

おいしい。

白米が欲しくなる。

白米を食べる。

おいしい。

味噌汁が欲しくなる。

味噌汁を飲む。

おいしい。

また餃子が欲しくなる。

この繰り返しである。

食事を早く終わらせたいのではない。

次のおいしさを求めているうちに、自然と速度が上がってしまうのだ。

言ってしまえば、食欲が食欲を呼んでいる。

僕は急いでいるのではない。

おいしさに追いかけられているのである。

② 食事のリズムを崩したくない

食事にはリズムがあると思う。

特に、ご飯とおかずを交互に食べるときだ。

餃子。

白米。

味噌汁。

この流れが気持ちいい。

一度リズムに乗ると、なかなか止められない。

音楽を聴いているとき、好きな曲の途中で突然停止されたらどうだろう。

せっかく盛り上がっているのに、何とも中途半端な気分になる。

僕にとって、食事中に箸を止めることも、それに近いのかもしれない。

餃子を食べた。

次は白米だ。

そこで突然、会話のために中断する。

いや、ちょっと待ってくれ。

今、白米の出番なのだ。

そんな感覚である。

③ 温かい料理を温かいうちに食べたい

これも大きい。

料理には、おいしいと感じやすい温度がある。

もちろん、冷めてもおいしい料理はある。

しかし、焼きたての餃子には焼きたての魅力がある。

熱々の餃子を口に運ぶ。

白米を食べる。

味噌汁を飲む。

この組み合わせを、僕は楽しみたいのだ。

ゆっくり食べることが、必ずしも料理をおいしく食べることにつながるとは限らない。

実際、最後の餃子は冷めてしまった。

僕は時間をかけて食べた。

しかし、最初の餃子ほどおいしく感じなかった。

何とも皮肉な話である。

④ 食事に集中しすぎている

僕は目の前の料理に夢中になると、周囲への意識が薄くなるのかもしれない。

今回もそうだ。

女性と食事に来ていた。

しかし、餃子と白米と味噌汁に夢中になり、相手の食事の進み具合をほとんど見ていなかった。

気づいたときには、こちらは完食寸前。

彼女はまだ一個目。

これは少し極端だったかもしれない。

ただ、食べることに集中するのは、それほど悪いことなのだろうか。

目の前の料理を楽しんでいるのだから。

もっとも、女性との食事で相手の存在を忘れるほど夢中になっていたことについては、少し反省したほうがいいのかもしれない。

⑤ 早く食べることが習慣になっている

長年の生活習慣も関係しているのだろう。

普段から早く食べていると、その速度が自分にとって普通になる。

だから、周囲から指摘されても実感が湧かない。

僕もそうだ。

「早すぎる」と言われても、自分では急いでいるつもりがない。

ただ、いつものように食べている。

つまり、早食いは必ずしも意識的な行動ではない。

気づけばそうなっていることもあるのだと思う。

食べるのが早い人の性格とは?

次に、性格について考えてみたい。

早食いする人には、どんな性格の特徴があるのだろう。

ただし、食べる速度だけで人の性格を判断することはできない。

ここでは、考えられる特徴を僕自身に当てはめながら検討してみよう。

① せっかちな性格なのか?

早食いする人は、せっかちだと思われやすい。

確かに、何でも早く済ませたい人なら、食事も早くなるかもしれない。

しかし、僕の場合はどうだろう。

別に、食事を早く終わらせたいわけではない。

むしろ、おいしい料理を楽しみたい。

その結果、食べるのが早くなっている。

これは、せっかちとは少し違う気がする。

そもそも、早く食べる人が必ずしも待つことを嫌うわけではない。

食べるのが早いことと、何でも急ぎたがることは別なのだ。

② 一つのことに夢中になりやすい性格なのか?

これは、少し当てはまる気がする。

目の前に好きなものがあると、夢中になる。

餃子を食べる。

白米をかき込む。

味噌汁で流し込む。

それ以外のことが、あまり気にならなくなる。

今回も、女性の食事の進み具合に気づいたのは、ほとんど食べ終わる頃だった。

集中力があると言えば聞こえはいい。

しかし、食事の相手がいることまで忘れていたのだから、少々問題もある。

③ 自分のペースを大切にする性格なのか?

僕は、自分にとって心地よい速度で食べたい。

それは確かだ。

ただ、これは早食いする人だけの特徴ではないと思う。

ゆっくり食べる人だって、自分のペースを大切にしているはずだ。

だからこそ、僕にゆっくり食べることを求めるのだろう。

しかし、ここで疑問が生まれる。

自分のペースを大切にすることと、他人に自分のペースを求めることは違うのではないか。

僕は早く食べたい。

彼女はゆっくり食べたい。

それなら、それぞれの速度で食べればいい。

④ 効率を重視する性格なのか?

早食いする人は、効率を重視しているのかもしれない。

食事を短時間で済ませ、ほかのことに時間を使いたい。

そういう人もいるだろう。

しかし、僕は違う。

餃子を効率よく処理したいわけではない。

早く食事を終えて、何か別のことをしたいわけでもない。

ただ、おいしいから食べている。

僕にとって食事は、処理すべき作業ではない。

楽しみなのだ。

だから、早く食べる人を一括りにして、効率重視の性格だと考えるのは無理があると思う。

⑤ 好きなことには一直線な性格なのか?

これは、僕に近いかもしれない。

好きなものを見つけると、夢中になる。

おいしいものを食べると、次の一口が楽しみになる。

そして、気づけば食べ終わっている。

ただ、好きなことに夢中になる人が、必ず早食いするわけではない。

じっくり時間をかけて楽しむ人もいるだろう。

結局、食べる速度だけで性格を判断するのは難しい。

早食いとは、性格そのものではなく、その人の習慣や食事の楽しみ方が表れた行動なのかもしれない。

ゆっくり食べる人のほうが料理を味わっているのか?

ここで、どうしても考えたいことがある。

ゆっくり食べる人のほうが、料理を味わっているのだろうか。

一般的には、ゆっくり食べることが丁寧な食事のように思われている。

一口ずつ噛む。

味を確かめる。

時間をかけて食べる。

確かに、それも素敵な食事の楽しみ方だ。

しかし、僕はどうだろう。

餃子を食べて、白米をかき込み、味噌汁で流し込む。

うまい。

うますぎるぞ。

僕は心の底から感動していた。

その感動は、食べるのが早いという理由で否定されるものなのだろうか。

一口に一分かければ、よりおいしく感じるのだろうか。

十秒で食べたら、おいしさは十分の一になるのだろうか。

そんなわけはない。

もちろん、よく噛んで食べることには健康面での意味がある。早食いには食べすぎや消化への負担といった注意点もあるだろう。

ただ、それは料理をどれほど楽しんでいるかという話とは別だ。

食事にかけた時間と、感じたおいしさは比例するのだろうか。

僕は、そうは思わない。

むしろ、最初の餃子を勢いよく食べたときのほうが、最後の餃子をちびちび食べたときよりも、はるかに幸せだった。

ゆっくり食べることが、すべての人にとって最もおいしい食べ方とは限らないのだ。

早食いの人は、相手を待つのも苦手なのか?

早く食べる人は、せっかちだと思われる。

せっかちな人は、待つことが苦手だと思われる。

しかし、本当にそうなのだろうか。

僕は食べるのが早い。

だが、相手がゆっくり食べているからといって、必ずしもイライラするわけではない。

先に食べ終わったら、待っていればいい。

それだけの話ではないか。

僕が早く食べ終わったからといって、相手にも早く食べることを求める必要はない。

食べる速度と、待つことへの耐性は別だ。

僕は食べるのが早いのであって、帰るのが早いわけではない。

ここは、ぜひ区別して考えてほしい。

一緒に食事をする以上、相手を急かさないことは大切だ。

しかし、相手を急かさないために、自分までゆっくり食べる必要があるのだろうか。

僕が先に食べ終わっても、普通に会話をして待っていればいい。

それでは、なぜ駄目なのだろう。

食べる速度を相手に合わせる必要はあるのか?

ここからが、今回最も考えたいことである。

「食べるん早すぎやろ。もうちょっと合わせて」

僕は、この言葉を人生で何度も聞いてきた。

しかし、考えてみると不思議だ。

なぜ早く食べる側が、ゆっくり食べる側に合わせることが前提なのだろう。

逆でもいいではないか。

「食べるん遅すぎやろ。もうちょっと合わせて」

もし僕がそう言ったら、どうだろう。

おそらく、感じが悪いと思われる。

しかし、早く食べる人に「ゆっくり食べて」と言うことは、比較的自然に受け止められる。

なぜだろう。

合わせるという行為は、本来どちらにもできるはずだ。

僕がゆっくり食べる。

彼女が早く食べる。

お互いに少しずつ調整する。

いろいろな方法がある。

それなのに、なぜ僕だけが減速しなければならないのだろう。

もちろん、僕は彼女に早く食べてほしいわけではない。

無理に早く食べれば、彼女にとっての食事の楽しさが失われてしまうかもしれない。

それは望んでいない。

だからこそ、思うのだ。

そもそも、食べる速度を合わせる必要があるのだろうか。

人それぞれに、おいしいペースがある

僕は、人それぞれにおいしいペースがあると思う。

ゆっくり食べるのが好きな人もいる。

一口ずつ味わうのが好きな人もいる。

一方、僕のように勢いよく食べるのが好きな人もいる。

どちらが正しいという話ではない。

それぞれに、自分にとって心地よい食べ方があるのだ。

これは、マラソンにも似ていると思う。

人それぞれ、気持ちよく走れるペースがある。

速く走る人もいる。

ゆっくり走る人もいる。

速く走っているからといって、景色を楽しんでいないとは限らない。

ゆっくり走っているからといって、走ることを楽しんでいないわけでもない。

それぞれに、自分の呼吸がある。

自分のリズムがある。

食事だって同じではないだろうか。

僕には、餃子を食べ、白米をかき込み、味噌汁で流し込むという、最高に気持ちのいいペースがある。

彼女には、一口ずつゆっくり食べるという、心地よいペースがある。

それでいいではないか。

人それぞれに、気持ちよく走れるペースがあるように、人それぞれに、おいしく食べられるペースがある。

なぜ、その違いを認められないのだろう。

なぜそんなにもゴールテープを一緒に切りたがるのか

マラソンの話を続けよう。

二人で走っている。

一人は速い。

一人は遅い。

速い人が先にゴールする。

そして、遅い人がゴールするまで待つ。

何も問題はないではないか。

ところが、食事になると話が変わる。

「もうちょっと合わせて」

なぜだ。

なぜそんなにも、ゴールテープを一緒に切りたがるのだ。

それほど一緒にゴールしたいのなら、そちらが早く食べてもいいのではないか。

……。

いや、違う。

僕は、彼女に早く食べてほしいわけではない。

彼女には彼女のペースがある。

僕には僕のペースがある。

だったら、僕は先にゴールして、彼女を待っていればいい。

それで何の問題があるのだろう。

一緒に食事をすることと、同じ速度で食べることは違う。

僕が先に食べ終わったとしても、二人の時間が終わるわけではない。

会話をすればいい。

相手が食べ終わるまで待てばいい。

そもそも、僕は先に食べ終わったからといって、席を立つつもりなどない。

僕はあなたのゴールを急かさない。だから、僕の走る速度も奪わないでほしい。

もちろん、一緒にゆっくり食事を楽しみたいという気持ちもわかる。

相手があっという間に食べ終わってしまえば、寂しく感じることもあるだろう。

しかし、それなら、その気持ちを伝えればいいのではないか。

食べる速度を合わせることだけが、思いやりではないはずだ。

同じ速度で食べることが、思いやりなのだろうか

食事のペースを合わせることは、優しさだと思われているのかもしれない。

確かに、相手のことを考えて行動するのは大切だ。

しかし、相手に合わせることと、相手を尊重することは同じなのだろうか。

僕は、そうとは限らないと思う。

相手がゆっくり食べるなら、そのペースを尊重する。

僕が早く食べるなら、そのペースも尊重してほしい。

お互いに無理をしない。

それこそが、自然な思いやりではないだろうか。

もちろん、食事中に相手を完全に無視して、ひたすら料理だけを食べるのも違うと思う。

一緒に食事をする以上、会話や雰囲気を楽しむことも大切だ。

今回の僕も、餃子に夢中になりすぎていた部分はあっただろう。

しかし、それと食べる速度は別の問題である。

早く食べながら会話を楽しむこともできる。

先に食べ終わってから、ゆっくり話すこともできる。

方法はいくらでもあるはずだ。

それなのに、なぜ食べる速度そのものを変える必要があるのだろう。

同じ速度で食べることより、お互いがおいしく食べられることのほうが大切ではないだろうか。

あの女性とは、もう会っていない

さて、話を戻そう。

僕は最後の餃子を我慢した。

女性に合わせようと思ったからだ。

箸を置き、会話を続けた。

そして、時間が過ぎてから、最後の餃子をちびちび食べた。

もう、あのホクホクした餃子ではなかった。

あのとき、僕は自分にとってのおいしいペースを失ってしまったのだ。

もちろん、女性が悪いと言いたいわけではない。

彼女は、二人でゆっくり食事を楽しみたかったのだろう。

僕も、彼女との時間を大切にしようとした。

ただ、お互いの食事に対する考え方が違っていたのかもしれない。

僕は、料理がおいしければ夢中で食べる。

彼女は、会話を楽しみながらゆっくり食べる。

どちらも間違っていない。

だからこそ、無理に合わせる必要はなかったのではないかと思う。

僕は僕のペースで食べればよかった。

彼女は彼女のペースで食べればよかった。

そして、先に食べ終わった僕が待っていればよかった。

それだけの話だったのかもしれない。

ちなみに、もうその女性とは会っていない。

嫌われたのだろう。

理由はわからない。

食べるのが早すぎたからかもしれない。

ほかに原因があったのかもしれない。

今となっては、確かめようもない。

ただ、一つだけ後悔していることがある。

あのとき、最後の餃子を食べておけばよかった。

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