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仕事をサボることは本当に悪いのか?『余白』が必要だと思う理由。

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AさんとBさんがいる。

二人は同じ会社で働いている。

ある日、上司からまったく同じ仕事を与えられた。

「これ、1時間くらいでお願いね」

二人とも仕事を始めた。

求められている成果も同じ。

品質も同じ。

やるべきことも同じだ。

Aさんは集中した。

できるだけ無駄な動きをしない。

必要なものを先に準備して、効率のいい順番で作業を進める。

そして50分後。

「よし、終わった」

仕事が終わった。

予定より10分早い。

確認もした。

問題ない。

そこでAさんは椅子に座った。

ちょっと疲れた。

水でも飲んで、残りの10分くらいゆっくりしよう。

一方、Bさんはまだ仕事をしている。

55分。

58分。

そして60分。

「終わりました」

Bさんも仕事を終えた。

二人の成果物を確認する。

どちらも問題ない。

品質も同じ。

Aさんは50分。

Bさんは60分。

ただそれだけの違いだった。

さて。

翌日も同じような仕事が与えられた。

Aさんは昨日と同じように集中した。

50分後。

「よし、終わった」

今日も10分余った。

Aさんは椅子に座る。

そのときだった。

上司がやってきた。

そして、椅子に座っているAさんを見た。

「お前、何サボってんねん」

Aさんは思う。

いや。

僕はもう終えたんだ。

隣を見る。

Bさんはまだ働いている。

上司もBさんを見る。

「Bさんを見てみろ。まだちゃんと働いてるぞ」

いや。

Bさんはまだ終わってないんだ。

Aさんは仕事を終えている。

Bさんは仕事をしている途中だ。

二人が最終的に作るものの品質は同じ。

それなのに、上司がやってきたその瞬間だけを切り取ると、

働いているBさん。

サボっているAさん。

という構図になる。

なんだか不思議だ。

目次

サボることは、本当にそんなに悪いのだろうか

もちろんAさんはサボっている。

ここを無理やり、

「これはサボりではありません!」

と言うつもりはない。

椅子に座って何もしていないのだから、その瞬間だけを見ればサボっている。

でも、僕が気になるのはその先だ。

確かにサボっている。では、それの何が悪いのだろう。

Aさんは仕事を放棄したわけではない。

誰かに押しつけたわけでもない。

品質を落としたわけでもない。

期限に遅れたわけでもない。

むしろ予定より早く終わらせている。

1時間かかると想定されていた仕事を、同じ品質のまま50分で終わらせた。

そして、自分で生み出した10分を休んでいる。

これ、本当に怒られなければならないことなのだろうか。

僕にはどうも分からない。

その10分は、頑張って生み出した10分だ

Aさんに最初から10分の休憩が与えられていたわけではない。

Aさん自身が生み出した10分だ。

集中した。

無駄を省いた。

効率よく動いた。

その結果、60分かかるはずだった仕事が50分で終わった。

つまり、この10分はある意味、

頑張ったご褒美

みたいなものではないだろうか。

「50分頑張ったら10分休める」

そう思えるから、Aさんは集中できる。

次の仕事も、

「よし。また早く終わらせよう」

と思える。

別に、

「会社の生産性向上に貢献するため、業務効率の最大化に努めます!」

なんて立派な理由じゃなくていい。

10分座りたいから頑張る。

それでいいじゃないか。

むしろ僕はこっちの方が信用できる。

人間なんてそんなもんだ。

ちょっと休みたい。

コーヒー飲みたい。

ぼーっとしたい。

そのために50分頑張る。

立派じゃないか。

ところが、その10分を見つけるたびに、

「暇ならこれやって」

「終わったなら次これ」

「手空いてる?」

と仕事を追加されたらどうなるだろう。

Aさんは学習する。

早く終わらせても得しない。

50分で終わらせたら、10分別の仕事をさせられる。

だったら最初から60分かければいい。

昨日まで50分でやっていた仕事を、今日は60分かけてやる。

少しゆっくり歩く。

確認に少し時間をかける。

急がない。

時計を見ながら調整する。

そして60分後。

「終わりました」

上司は満足する。

今日はAさんがサボっていない。

ずっと働いていた。

よかったよかった。

……いや。

効率下がっとるやないか。

昨日は50分で終わっていた仕事が、今日は60分かかっている。

なのに、昨日より真面目に見える。

これほど奇妙な話もない。

「サボるな」が仕事を遅くすることもある

会社はよく言う。

「効率化しよう」

「無駄をなくそう」

「生産性を上げよう」

分かる。

でも、従業員が頑張って効率化した結果、

「10分余りました」

となった瞬間、

「じゃあ、その10分でこれやって」

と全部回収していたらどうだろう。

従業員からすれば、

効率化するほど仕事が増える。

そんな仕組みになってしまう。

だったら、効率化しない方が得だ。

50分でできることに気づいても60分かける。

無駄な工程に気づいても黙っておく。

便利な方法を思いついても、そのままにしておく。

だって改善したところで、その分また仕事を入れられるのだから。

これでは、

「業務を効率化してください」

と言いながら、

「効率化した人には追加で仕事を与えます」

と言っているようなものだ。

一方で、

「早く終わったら、その分少し休んでいいよ」

と言われたらどうだろう。

急に話が変わる。

「これ、もっと早くできないかな」

と考え始める。

毎回取りに行っている道具を、最初にまとめて持ってこよう。

この順番、逆の方が早くないか。

同じ場所を何度も往復しているけど、一回で済ませられないか。

この作業、本当に毎回必要なのか。

もっと簡単な方法ないかな。

なぜなら、無駄を一つなくすたびに、

自分の余白が増えるからだ。

会社に、

「業務効率化について考えてください」

と言われても、

「はいはい」

で終わるかもしれない。

でも、

「早く終わった分、休んでいいよ」

と言われた瞬間、

ちょっと待て。この工程いらんのちゃうか?

急に本気になる。

人間らしくていい。

Bさんだって10分休みたい

そして、この仕組みはAさんだけの話ではない。

隣で働いているBさんがいる。

いつもAさんは50分で仕事を終える。

そして10分休んでいる。

最初はBさんも60分かかっている。

でもある日、思うかもしれない。

「私も10分休みたい」

当然だ。

休みたい。

人間だもの。

そこでBさんも考え始める。

「Aさん、なんでそんなに早いんですか?」

Aさんが教える。

「これ、先に準備しておいた方が早いですよ」

「こっちからやった方が往復減りますよ」

「これ最後にまとめてやった方が楽ですよ」

Bさんも工夫する。

60分かかっていた仕事が58分になる。

55分になる。

52分になる。

そしていつか50分になる。

二人とも10分休む。

上司が見る。

二人とも座っている。

「お前らサボってんじゃねえ!」

いや。

二人とも仕事が早くなったんだ。

サボりたいという、なんとも不純な動機によって職場の効率が上がっている。

面白い。

ただし、仕事を雑にするのは違う

もちろん問題もある。

「早く終わったら休んでいい」

と言われて、

「よっしゃ! 30分で終わらせたろ!」

と確認を飛ばし、仕事を雑にしてしまったら意味がない。

それは効率化ではない。

ただの手抜きだ。

今回の話には大前提がある。

品質を落とさないこと。

Aさんが50分で作ったものと、Bさんが60分で作ったもの。

その品質が同じだから成立する。

誰かに仕事を押しつけるのも違う。

「俺、休みたいからこれやっといて」

それで50分で終わりましたと言われても困る。

それはお前が早いんじゃない。

人にやらせただけだ。

やるべき仕事をちゃんとやる。

品質も守る。

周りにしわ寄せを出さない。

そのうえで生まれた10分。

僕が言いたいのは、その10分まで何がなんでも仕事で埋める必要があるのか、ということだ。

これは「サボり」ではなく「余白」なのかもしれない

ここまで考えていて、少し思った。

僕はずっと「サボる」と言っている。

でも、本当に言いたかったのは、

余白

なのかもしれない。

仕事を放棄して生まれた時間ではない。

仕事をちゃんと終えたことで生まれた時間。

頑張って生み出した10分。

その10分くらい、余白として残してもいいんじゃないか。

何もしなくていい。

座っていてもいい。

水を飲んでもいい。

ちょっとぼーっとしてもいい。

次の仕事について考えてもいい。

余裕があれば誰かを手伝ってもいい。

何をするか自分で選べる10分。

それがあるだけで、働き方はかなり変わる気がする。

会社が奪っているのは「10分」だけではない

そして、この余白について考えているうちに、もう一つ気づいた。

Aさんが50分で仕事を終えたとする。

時計を見る。

あと10分ある。

「よし、終わった」

この瞬間、Aさんの中に生まれているのは、単なる10分の空き時間だけではない。

終わったという達成感がある。

少し休めるという安心感がある。

次の仕事まで一度頭を休ませられるという解放感がある。

つまりAさんは、仕事を早く終わらせることで、

自分で心の余裕まで作っている。

ところが、そこへ上司がやってくる。

「終わった?」

「はい」

「じゃあこれお願い」

仕事が追加される。

Aさんが頑張って生み出した10分が消える。

でも、消えたのは10分だけだろうか。

僕は違うと思う。

「終わった」という達成感まで消えている。

「少し休める」という安心感も消えている。

「よし、次も頑張ろう」と思うための小さな回復時間まで消えている。

会社側からすれば、

「空いていた10分を有効活用した」

くらいの感覚かもしれない。

でも、その10分と一緒に、

本人が頑張って作った心の余裕まで回収しているのかもしれない。

これは結構大きいと思う。

ゴールテープを切るたびに、ゴールが逃げていく

仕事が終わった。

はい次。

終わった。

はい次。

また終わった。

はい次。

これが延々と続く。

どれだけ頑張っても終わらない。

早く終わらせても次の仕事が生えてくる。

まるでマラソンを走っていて、

「やった! ゴールだ!」

と思ってゴールテープを切ろうとした瞬間、

係員がゴールテープを持って100メートル先へ走っていくようなものだ。

「はい、もうちょっと!」

100メートル走る。

「よし、今度こそ!」

また係員が走る。

「はい、もうちょっと!」

いつ終わんねん。

そりゃ、そのうち全力で走らなくなる。

どうせゴールが逃げるなら、最初からゆっくり走ろう。

そう思っても不思議ではない。

仕事でも同じじゃないだろうか。

「これを終わらせたら少し休める」

という小さなゴールがあるから頑張れる。

あと20分。

あと10分。

よし。

終わった。

ちょっと休もう。

そして少し休んだあと、

「よし、次やるか」

と戻る。

この、

「よし、次やるか」

が結構大事なんじゃないかと思う。

余白は単なる時間ではない。

次に向かうための心の余裕でもある。

余白を全部壊したら、頑張る理由までなくなる

毎回ゴールした瞬間に次の仕事を置かれる。

これが続けば、Aさんもそのうち学習する。

「早く終わらせても休めない」

「頑張っても余白はもらえない」

「だったら急ぐ必要ないな」

これは怠け者になったというより、かなり自然な学習だと思う。

頑張って生み出した余白を毎回没収されるなら、

そもそも余白を生み出さなければいい。

50分でできるけど60分使う。

自分で自分のペースを落とす。

結果として、会社はAさんの10分を仕事で埋めることには成功した。

でも代わりに、

Aさんが「10分作ろう」と頑張る気持ちを壊した。

果たして得だったのだろうか。

10分の労働時間を手に入れるために、

本人の心の余裕と、

効率化しようとする意欲と、

次も頑張ろうとする気持ちを失った。

僕なら、そっちの方がもったいないと思う。

余白が失敗を減らすことだってある

余白はミスを減らすことにもつながるかもしれない。

仕事。

仕事。

仕事。

仕事。

ずっと途切れない。

一つ終わった瞬間に次へ行く。

頭を切り替える暇もない。

疲れてくる。

確認を飛ばす。

「あれ、さっきやったっけ?」

となる。

そんなこともあるだろう。

でも少し余白があれば、

仕事を終える。

ちょっと休む。

頭を切り替える。

次へ行く。

ができる。

あるいは50分で終わって、少し座っていると、

「あれ? あそこ確認したっけ?」

と思い出すかもしれない。

見に行く。

ミスを見つける。

直す。

それでも予定時間内だ。

何もしていないように見えた5分が、結果的にミスを防いでいることだってあるかもしれない。

人はずっと動いているからミスをしないんじゃなくて、止まる時間があるからミスを防げることもある。

余白は何も生み出していないように見える。

でも、本当に何も生み出していないのだろうか。

ずっと全力では、本当に必要なときに全力を出せない

もう一つ思う。

普段からずっと100%を求められていたら、

本当に100%が必要になったとき、どうするのだろう。

急に忙しくなった。

欠員が出た。

トラブルが起きた。

予定外の仕事が入った。

「今日だけは本当に忙しい! 全力で頼む!」

いや。

もうずっと全力なんですけど。

100%の上に120%はない。

普段から余白を全部削って、

止まるな。

動け。

暇なら仕事を探せ。

座るな。

サボるな。

とやっていたら、本当に頑張らなければならないときに使える力まで残っていない。

普段は少し余力を残しておく。

必要なときはギアを上げる。

終わったらまた戻す。

その強弱があってもいい。

余白とは、単なる無駄ではなく、

いざというときのために残している力

でもあるのかもしれない。

急な仕事を受け止めるのも余白だ

予定を100%仕事で埋める。

一見すると無駄がない。

素晴らしい。

でもそこへ急な仕事が一つ入ったらどうなるだろう。

もう入れる場所がない。

全員100%埋まっている。

「これ、急ぎでお願い!」

「無理です」

そりゃそうだ。

全部埋めたんだから。

一方、多少の余白があれば、

「これ今お願いできる?」

「はい、いけます」

となる。

会社からすると何もしていない時間は削りたくなるのかもしれない。

でも、余白をゼロにすることは、想定外の出来事を受け止める場所までなくすことでもある。

予定表をびっしり埋めることだけが、効率ではないと思う。

たった5分を見て、その人を判断していないか

そして僕が一番気になるのはこれだ。

上司が通りかかった。

部下が座っている。

「サボってる」

これだけで判断してしまう。

でも、その人が8時間勤務だったとして。

もしかしたら、

その前の7時間55分を全力で駆け抜けていたのかもしれない。

最後の5分。

ちょっと座っていた。

そこへ上司が来た。

「何サボってんねん」

その5分すら許されないのだろうか。

お前らは鬼軍曹か。

「止まるな!」

「動け!」

「手を動かせ!」

ここは職場だ。

訓練所ではない。

もちろん本当に7時間55分全力だったかなんて分からない。

でも、それなら逆も同じだ。

5分座っているところを見ただけで、その人が一日中サボっていたとも分からない。

人を一点だけ見て判断しすぎなんじゃないかと思う。

上司が見たのは5分。

その人が働いたのは8時間。

なのに、5分で8時間の評価が決まる。

なんだそれ。

AさんとBさんの話だってそうだ。

55分目に上司が来た。

Aさんは座っている。

Bさんは働いている。

「A! サボるな! Bさんを見習え!」

でも、

Aさんは50分で仕事を終えている。

Bさんはまだ終わっていない。

上司が来た瞬間だけを見ると評価が逆転する。

Aさんからしたら、

僕の50分も見てくれ。

である。

「働いているように見えること」が仕事になってしまう

こういう環境が続くと、人は学習すると思う。

仕事をすることより、

仕事をしているように見せることが大事なんだ。

と。

上司が来た。

立て。

何か持て。

とりあえず歩け。

パソコンを開け。

何でもいいから動け。

よし。

働いている。

上司が去った。

座れ。

何の訓練なんだ。

さらに悪いのは、仕事をゆっくりやることまで合理的になってしまうことだ。

50分で終わったらサボっていると思われる。

60分かけたら真面目に見える。

だったら60分かけよう。

成果は同じ。

時間だけ10分増えた。

なのに評価は上がる。

こんなことになったら、会社が育てているのは効率のいい人ではない。

サボっていないように見せるのが上手い人

になってしまう。

上司は何でも注意しなくていいと思う

だから上に立つ人には、少しくらい見逃すという選択肢があってもいいと思う。

もちろん、仕事を放置している。

誰かにしわ寄せがいっている。

品質が落ちている。

長時間ずっと何もしていない。

そういうときは言えばいい。

でも、普段ちゃんと仕事をしている人が5分座っている。

ちょっと雑談している。

水を飲んでいる。

ぼーっとしている。

それくらいなら、

気づいていても言わない。

それも管理なんじゃないだろうか。

何でも注意することだけが上司の仕事ではないと思う。

「まあ、あいつ普段ちゃんとやってるしな」

で終わらせる。

そのくらいの寛容さがあってもいい。

上司は「サボっている人を発見する係」ではない。

仕事がちゃんと回っているかを見る人だ。

結果として仕事が回っているなら、多少の余白まで全部取り締まる必要があるのだろうか。

真面目な人ほど、自分で余白を消してしまうこともある

これは特に真面目な人ほど大事なんじゃないかと思う。

「勤務時間中なんだから働かないと」

「みんな働いているから自分も動かないと」

「手が空いたら何か探さないと」

「座っていたら申し訳ない」

そうやって、自分で自分の余白まで仕事に変えてしまう人もいるだろう。

そこへ上司まで、

「暇なら仕事探して」

「止まらないで」

「サボらないで」

と言い続ける。

いつ休むんだ。

だから上司が少しくらい、

「まあ、ちょっと休んどき」

という空気を作ることには意味があると思う。

サボりを推奨しているわけではない。

休んでも大丈夫だという許可を出す。

それだけで気持ちが楽になる人もいるんじゃないだろうか。

サボる自由があれば、自分から働くこともある

そして不思議なことに、休んでもいいと言われた方が、自分から働くこともあると思う。

Aさんは50分で仕事を終えた。

残り10分は休んでいい。

今日はそれほど疲れていない。

隣を見る。

Bさんが少し大変そうだ。

そこでAさんが、

「なんか手伝いましょうか?」

と言う。

これ、結構いい状態だと思う。

上司に、

「暇ならBさん手伝え!」

と言われたのではない。

休んでもいい。

でも今日は余裕がある。

だから自分で手伝うことを選んだ。

サボる自由があるからこそ、サボらないことも自分で選べる。

逆に、早く終わるたびに仕事を追加される職場ではどうだろう。

余裕があることを見せたくなくなる。

「手伝いましょうか?」

なんて言ったら仕事が増える。

だったら黙っていよう。

善意を出すほど仕事が増える職場では、善意を隠すのが合理的になってしまう。

それもなんだか寂しい。

もちろん、すべての仕事に当てはまる話ではない

ここまで書いておいてなんだが、当然、すべての仕事がこんな単純ではない。

接客なら、お客さんを待っている時間そのものが仕事になることもある。

警備や監視なら、何も起きていなくてもその場にいることに意味がある。

医療や介護のように、自分の仕事だけ早く終わればいいとは言えない仕事もある。

チームで動いているなら、一人が終わっても全体としては終わっていないこともある。

時給で働いている以上、

「その時間も会社が買っている」

という考え方だってあるだろう。

だから僕は、

「仕事を早く終わらせたら、残り時間は全部自由にしろ!」

と言いたいわけではない。

今回考えているのは、

やるべき仕事が明確で、

品質を落とさず、

他人にしわ寄せをせず、

予定より早く仕事を終えた場合。

その結果として生まれた余白まで、必ず別の仕事で埋める必要があるのだろうか。

ということだ。

サボりを全部「悪」にするのは雑すぎる

仕事を放棄する。

人に押しつける。

品質を落とす。

やるべきことをやらない。

それはダメだと思う。

でも、

やることをやった。

品質も問題ない。

誰にも迷惑をかけていない。

そして少し休んでいる。

それまで全部まとめて、

「サボり=悪」

で片づけるのは、ちょっと雑すぎないだろうか。

サボっているかどうかより、

仕事がちゃんとできているか。

そっちを見た方がいい。

5分座っていることより、一日で何をしたのか。

働いているように見えるかより、何を終わらせたのか。

そこを見る方がよほど自然だと思う。

僕たちは「上手にサボる」くらいでいい

とはいえ。

ここまで長々と書いてきたけれど、

現実には、

「50分で終わった? じゃあ残り10分ゆっくりしていいよ」

なんて言ってくれる寛容な上司は、そんなに多くない気もする。

仕事を早く終わらせる。

「終わりました」

「じゃあこれお願い」

新しい仕事が出てくる。

それも終わらせる。

「終わりました」

「じゃあ次これ」

仕事が進化して帰ってくる。

倒しても倒しても終わらない。

だったら僕たちは、

上手なサボり方を身につけるしかないのかもしれない。

やるべきところではやる。

必要なときには全力でいく。

品質は落とさない。

人には迷惑をかけない。

でも、抜けるところでは少し抜く。

5分くらいぼーっとする。

水を飲む。

座る。

何もしない。

そのくらいの余白は、自分で守ってもいいと思う。

そういえば、これまでいろいろな人を見ていると、

優秀な人ほどサボるのが上手かったりする。

やるところではめちゃくちゃやる。

でも、ずっと全力ではない。

抜けるところを知っている。

この話もなかなか面白い。

ただ、長くなりそうなので、また別の記事で詳しく書くとしよう。

余白くらい、残しておいてくれ

仕事には余白があっていい。

その余白がご褒美になる。

「あと10分休みたいから頑張ろう」

と思える。

無駄を省こうとする。

効率化する。

そして、

「終わった」

と一度仕事から離れられる。

その瞬間に生まれるのは、10分という時間だけではない。

達成感がある。

安心感がある。

心の余裕がある。

その余裕があるから、

「またやろう」

と思える。

頭を切り替えられる。

ミスを防げることもある。

急な仕事にも対応できる。

そして本当に頑張らなければならないときに、全力を出せる。

何もしていない5分は、

本当に何も生み出していないのだろうか。

もしかしたら、その5分があるから、残りの7時間55分を頑張れるのかもしれない。

だから上司のみなさん。

もし部下が少し座っていても、その瞬間だけで判断しないでほしい。

その人は、その前まで全力で働いていたのかもしれない。

頑張って仕事を早く終わらせて、自分で5分の余白を作ったのかもしれない。

そして、その5分で、

次も頑張るための心の余裕を作っているのかもしれない。

そこへ仕事を持ってきて、

「暇ならこれやって」

と毎回壊さないでくれ。

少しくらい見逃してくれ。

毎回毎回、

「何してるの?」

「手空いてる?」

「暇ならこれやって」

と言わなくてもいいじゃないか。

余白をくれ。

その5分すら許さないなんて、お前らは鬼軍曹か。

ということで、これを読んでいる上司のみなさん。

少しくらい考えを変えてくれ。

部下にも余白を与えてくれ。

きっとその方が、やるべきときにはちゃんと頑張れる。

僕も明日から、やるべき仕事はきっちりやろうと思う。

品質も落とさない。

人にも迷惑をかけない。

必要なときには全力で働く。

そして。

明日はめいっぱいサボります。

この記事を上司が読んでいないことを願う。

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