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ボールペンをカチカチする人。うるさいしイライラする。癖なのか?心理は?

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カチカチ。

カチカチ。

カチッ。

カチカチカチカチ。

いる。

ボールペンをひたすらカチカチしている人。

職場でも、学校でも、会議中でも。

何かを考えているとき、誰かの話を聞いているとき、あるいは何もしていないとき。

とにかくカチカチしている。

一度気になり始めると、もう止まらない。

いや、ボールペンってそんなにカチカチする必要ある?

文字を書くための道具だろう。

何回芯を出したり引っ込めたりするんだ。

そんなに出し入れしていたら、ボールペンだって疲れるんじゃないか。

しかし、僕はカチカチしている人を一方的に批判することができない。

なぜなら、僕自身がかつて、立派なカチカチマンだったからだ。

しかも、自分がカチカチマンであることに気づいていなかった。

今日は、そんな僕の恥ずかしい体験談から始めたい。

そして、人はなぜボールペンをカチカチするのか。

なぜ、あの小さな音にイライラしてしまうのか。

自分なりに考えてみようと思う。

目次

僕はかつて、カチカチマンだった。

以前、僕は接客業をしていた。

お客さんに説明をしたり、書類について案内したりする仕事だった。

ある日、いつものようにお客さんに説明をしていると、突然こう言われた。

「お前、何カチカチさせてんねん」

え?

カチカチ?

何のことだろう。

一瞬、意味がわからなかった。

すると、お客さんはさらに言った。

「口コミにカチカチマンがいたと書くぞ」

カチカチマン。

何だ、その名前は。

接客スタッフとして働いていたはずなのに、突然、謎の怪人みたいな名前を与えられてしまった。

しかし、そこで自分の手元を見て気づいた。

ボールペンを握っている。

ああ、確かにカチカチしていた。

言われて初めて気がついたのだ。

僕はお客さんに説明をしていた。

その間、指は勝手にボールペンを操作していたらしい。

頭は接客をしている。

口は説明をしている。

目はお客さんを見ている。

しかし、指だけは別の仕事をしていた。

僕の知らないところで、僕の指が活動していたのだ。

そして、さらに恐ろしいことに気づいた。

これ、今日だけなのだろうか。

今までにも同じことをしていたのではないか。

何人のお客さんの前でカチカチしてきたのだろう。

何人が心の中で「うるさいな」と思っていたのだろう。

誰も指摘しなかっただけで、僕はずっとカチカチしていた可能性がある。

つまり、あの日突然カチカチマンになったのではない。

以前からカチカチマンだったのに、本人だけが知らなかったのだ。

それにしても、口コミにカチカチマンがいたと書かれたらどうなるのだろう。

「スタッフの対応は普通でした。ただし、カチカチマンがいました」

こんな口コミが投稿されたら、職場でも話題になるかもしれない。

「カチカチマンって誰?」

「そんな人いた?」

「何をカチカチしてたん?」

そこで僕が名乗り出る。

「僕です」

嫌すぎる。

接客についての評価ではなく、ボールペンの操作によって有名になってしまう。

しかし、笑い話にしている場合ではない。

お客さんは実際に不快だったのだろう。

僕はその出来事をきっかけに、自分の行動を意識するようになった。

そして、ある疑問が生まれた。

そもそも、僕はなぜカチカチしていたのだろう。

僕がカチカチしていた理由を考えてみた。

あのとき、僕は何を考えていたのか。

自分なりに振り返ってみた。

そして、二つの理由が思い浮かんだ。

もちろん、当時の僕が明確な目的を持っていたわけではない。

あくまで、後から考えた僕自身の推測である。

① 話し出すリズムをつけるため

一つ目は、話すリズムをつけるためだったのではないか、ということ。

接客では、相手に説明をする。

何を伝えるか。

どの順番で話すか。

どこで区切るか。

頭の中で言葉を組み立てながら話している。

そんなとき、ボールペンを押す動作が、僕にとって小さなリズムになっていたのかもしれない。

カチッ。

「まず、こちらをご確認ください」

カチッ。

「続いて、こちらについてですが」

カチッ。

「何かご不明な点はございますか」

まるでメトロノームである。

僕はボールペンで会話のテンポを取っていたのかもしれない。

ただし、お客さんからすれば、そんなメトロノームは必要ない。

そもそも、接客中に伴奏をつける必要がない。

僕は説明をしているつもりだった。

しかし、実際にはボールペンによる打楽器演奏まで披露していたのだ。

しかも、頼まれてもいないのに。

② 自分を落ち着かせるため

もう一つは、自分を落ち着かせるため。

接客中は、相手の反応を見ながら説明する。

こちらの説明が伝わっているか。

質問はないか。

間違ったことを言っていないか。

慣れている仕事でも、多少は気を使う。

そんなとき、指先で同じ動作を繰り返すことで、無意識に気持ちを整えていたのかもしれない。

カチカチ。

いつもの感触がある。

いつもの音が鳴る。

それによって、少し落ち着く。

僕の場合、そんな役割があったのではないかと思う。

そして、この二つはつながっていた可能性もある。

カチカチすることで話すリズムが生まれる。

リズムが生まれることで、落ち着いて説明できる。

しかし、ここに大きな問題がある。

僕は落ち着く。お客さんは落ち着かない。

僕が自分の気持ちを整えるために、相手の気持ちを乱していた可能性があるのだ。

何とも迷惑な話である。

ほかの人は、なぜボールペンをカチカチするのだろう。

僕の場合は、話すリズムと気持ちを落ち着かせるためだったのではないかと思う。

しかし、すべての人が同じ理由でカチカチしているわけではないだろう。

ほかにも理由があるはずだ。

そこで、考えられる心理をいくつか挙げてみたい。

① 完全に癖になっている

まずは、単なる癖。

最初は何かの理由があって始めたのかもしれない。

しかし、何度も繰り返しているうちに、いつの間にか習慣になっている。

ボールペンを持つ。

親指をボタンに置く。

カチッ。

もう一度押す。

カチッ。

そこに深い意味はない。

気づけば指が動いている。

人間には、無意識に繰り返している動作がいろいろある。

髪を触る。

貧乏ゆすりをする。

爪を触る。

机を指でトントンする。

そして、ボールペンをカチカチする。

本人が休んでいるつもりでも、指だけは出勤しているのである。

しかも、この指はなかなか仕事熱心だ。

誰にも頼まれていないのに、何度も同じ作業を繰り返す。

休憩もしない。

残業代も請求しない。

ただひたすらカチカチする。

できれば、その勤勉さを別のことに使ってほしい。

② ストレスや緊張を紛らわせている

ストレスや緊張を感じたとき、身体を動かしたくなる人もいるだろう。

落ち着かない。

何となくそわそわする。

じっとしていられない。

そんなとき、ボールペンが手元にあれば、つい押してしまうのかもしれない。

指先を動かすことで、気持ちを紛らわせている。

これは僕が考えた「自分を落ち着かせるため」という理由とも似ている。

ただし、カチカチしているからといって、その人がストレスを抱えていると決めつけることはできない。

単純に癖になっているだけかもしれない。

③ 手持ち無沙汰だから

これもありそうだ。

会議中。

誰かの話を聞いている。

目は資料を見ている。

耳は説明を聞いている。

頭も、それなりに働いている。

しかし、手だけが暇なのだ。

そこで、目の前のボールペンに手を伸ばす。

カチッ。

カチカチ。

暇を持て余した指によって、ボールペンが犠牲になる。

特に、ノック式のボールペンは押しやすい。

ちょうど親指が届く位置にボタンがある。

押せば芯が出る。

もう一度押せば引っ込む。

何度でも繰り返せる。

考えてみれば、ずいぶんカチカチしやすい道具である。

押したくなる。

押したら戻したくなる。

戻したら、また押したくなる。

ボールペン側にも、少しは責任があるのではないか。

いや、ない。

完全に人間の問題だ。

④ 集中するため

何かを考えているとき、無意識に身体を動かす人がいる。

歩きながら考える人。

指を組み替える人。

机をトントンする人。

そして、ボールペンをカチカチする人。

小さな動作を繰り返すことで、考えやすく感じる人もいるのかもしれない。

ただし、ボールペンをカチカチすれば集中力が高まると断定できるわけではない。

あくまで、本人にとって集中しやすい感覚がある可能性の話だ。

それにしても、ここにも困った問題がある。

本人は集中できる。

しかし、周囲の人は集中できなくなる。

一人の集中力を高めるために、周囲の集中力が犠牲になっているかもしれない。

⑤ 音や感触そのものが好き

カチッという音が好き。

ボタンを押す感触が好き。

指先に伝わる小さな抵抗感が気持ちいい。

そんな人もいるのではないだろうか。

ボールペンによっても、押し心地は違う。

軽いもの。

少し硬いもの。

音が大きいもの。

静かなもの。

特に、新しいボールペンを手にしたとき。

つい何度か押してしまうことはないだろうか。

カチッ。

おお。

カチッ。

なるほど。

何を確認しているのかは、よくわからない。

しかし、押してしまう。

ボールペンの試し書きならぬ、試しカチカチである。

もっとも、一人で楽しむ分には何の問題もない。

問題は、それを他人のすぐそばで延々と続けてしまうことだ。

⑥ イライラや退屈を表現している

これまでとは少し違う理由も考えられる。

本人がイライラしている場合だ。

会議が長い。

話がなかなか終わらない。

待ち時間が長い。

早く帰りたい。

そんな気持ちが、指先の動きに表れている可能性もある。

あるいは、わざと音を出して不満を伝えている人もいるかもしれない。

カチカチ。

まだ終わらないのか。

カチカチカチカチ。

早くしてくれ。

言葉には出さず、ボールペンに代弁させる。

ボールペンによる無言の抗議活動である。

ただし、音だけで相手の気持ちを判断してはいけない。

むしろ、落ち着こうとしているのかもしれない。

外から見える行動と本人の気持ちは、必ずしも一致しないのだ。

⑦ 考える時間を作っている

質問されたとき、すぐに答えが出てこない。

少し考えたい。

そんなときに、ボールペンをカチカチしてしまう人もいるかもしれない。

カチッ。

何と言おう。

カチッ。

どう説明しよう。

カチッ。

ああ、そうだ。

言葉を探している間に、指先が動いている。

僕の場合の「話すリズムをつける」という理由にも近い。

ただ、こちらは話し出す前の時間を埋める動作だ。

考えてみれば、僕たちは何かを考えるとき、案外じっとしていない。

腕を組んだり、顎に手を当てたり、天井を見たり。

そこにボールペンがあれば、カチカチしてしまうのかもしれない。

こうして考えると、ボールペンをカチカチする理由は一つではない。

そして、その人自身も理由を知らない場合がある。

何しろ、僕がそうだったのだから。

では、なぜカチカチ音を聞くとイライラするのか。

ここからは、聞かされる側について考えてみたい。

ボールペンのカチカチ音は、そこまで大きな音ではない。

工事現場のような騒音ではない。

電車の走行音ほど大きくもない。

一回だけなら、ほとんど気にならないだろう。

カチッ。

はい。

それで終わりだ。

しかし、これが何度も続くと話が変わってくる。

カチカチ。

カチカチ。

カチッ。

カチカチカチカチ。

何だか、少しずつ腹が立ってくる。

音は小さいのに、怒りは大きくなっていく。

なぜなのだろう。

僕なりに、三つの理由を考えてみた。

① いつ終わるのかわからないから

一つ目は、終わりが見えないこと。

一回だけなら何とも思わない。

二回でも、まだいい。

しかし、何度も続くと気になり始める。

カチカチ。

まあ、いいか。

カチカチ。

まだやってるな。

カチカチカチカチ。

そろそろ終わるだろう。

……。

止まった。

よかった。

カチッ。

また始まった!

これが厄介なのだ。

いつ終わるのかわからない。

止まったと思ったら再開する。

しかも、一定のリズムとは限らない。

速くなったり、遅くなったり。

突然、連打が始まったり。

音そのものよりも、終わりが見えないことにストレスを感じるのかもしれない。

② 一度気になると、その音ばかり聞こえるから

最初は気にならなかった。

しかし、一度「うるさいな」と思うと、そこからはカチカチ音ばかりが耳に入ってくる。

周囲には、ほかにもいろんな音がある。

人の話し声。

空調の音。

パソコンのキーボード。

それなのに、なぜかボールペンだけが気になる。

カチカチ。

ああ、まただ。

カチカチ。

まだやっている。

カチッ。

今、押したな。

気にしないようにすればするほど、気になってしまう。

そして、いつの間にかボールペンの音を待ち構えている。

もはや、こちらがカチカチマンの専属監視員になっている。

頼まれてもいないのに。

何の報酬もないのに。

相手の指先の動きを、ひたすら気にしている。

これでは疲れてしまう。

③ 相手もイライラしているように見えるから

これも大きいのではないかと思う。

ボールペンを何度もカチカチしている人を見ると、つい考えてしまう。

「何かイライラしてるんかな?」

「早く終わらせたいんかな?」

「退屈なんかな?」

もちろん、本人が本当にイライラしているとは限らない。

僕のように、落ち着くためにやっている場合もあるだろう。

しかし、聞いている側からすると、落ち着きがないように見えることがある。

すると、その態度まで気になり始める。

カチカチ。

イライラ。

カチカチ。

イライラ。

カチカチカチカチ。

イライライライラ。

何だ、このセッションは。

カチカチマンがボールペンを鳴らす。

それに合わせて、こちらの怒りも高まっていく。

カチカチ。

イライラ。

見事にリズムが合っている。

もはや二人で演奏しているようなものだ。

ただし、片方は無意識。

もう片方はブチギレ寸前である。

世界一迷惑なデュオが誕生してしまった。

自分が出す音と、他人が出す音は違うのかもしれない。

ここで、もう一つ考えたいことがある。

それは、自分が出す音と他人が出す音では、感じ方が違うのではないかということだ。

僕は接客中、ボールペンをカチカチしていた。

当然、音は僕の耳にも届いていたはずだ。

それなのに、まったく気にならなかった。

一方、お客さんはその音に気づいていた。

そして、指摘するほど不快に感じていた。

同じ場所にいる。

同じ音を聞いている。

それなのに、感じ方がまったく違う。

自分が出している音は、いつ鳴るのかある程度わかる。

自分の指で押しているのだから。

しかし、他人が出す音は違う。

いつ鳴るかわからない。

いつ止まるかもわからない。

しかも、こちらの意思では止められない。

こうした違いが、不快感につながることもあるのではないだろうか。

さらに、僕の場合は接客中だった。

お客さんからすれば、目の前のスタッフがカチカチしている。

「ちゃんと説明してくれているのか」

「何かイライラしているのか」

「早く終わらせたいのか」

そう受け取られても不思議ではない。

もちろん、あのお客さんが実際に何を考えていたのかはわからない。

ただ、少なくとも僕のカチカチが気になったことは確かだ。

自分にとっては何でもない行動が、他人にとっては不快なこともある。

あの日、僕はそれを教えられたのだと思う。

カチカチマンは、悪気がないから厄介なのかもしれない。

ここまで考えてみると、ボールペンをカチカチする人は、必ずしも周囲を困らせようとしているわけではないのだろう。

単なる癖だったり、無意識だったりする場合もある。

本人に悪気はない。

それでも、周囲は不快になる。

ここが難しいところだ。

悪気がないからといって、何をしてもいいわけではない。

しかし、本人が気づいていなければ、直すきっかけもない。

だからこそ、指摘することにも意味があるのだと思う。

もちろん、怒鳴る必要はない。

「すみません、その音が少し気になるので」

そんなふうに伝えるだけでも、気づく人はいるだろう。

僕も、あのお客さんに言われて初めて自分の癖を知った。

カチカチマンは、自分がカチカチマンであることを知らない。

だからこそ、誰かに教えてもらう必要があるのかもしれない。

あのお客さんがいてよかった。

あの出来事以来、僕はボールペンをカチカチしなくなった。

少なくとも、自分で気づく範囲では、あの癖はなくなったと思う。

そして、かなり意識するようになった。

ボールペンを持ったとき。

誰かに説明するとき。

人の話を聞いているとき。

自分の指先が何をしているのか。

以前よりも気をつけるようになった。

あのお客さんに言われた瞬間は、驚いた。

まさか、自分がカチカチマンと呼ばれるとは思っていなかった。

しかし、今振り返ると、あの人がいてよかったと思う。

あの人が指摘してくれなければ、僕は自分の癖に気づかなかったかもしれない。

もちろん、指摘されたときの言葉はなかなか強烈だった。

「口コミにカチカチマンがいたと書くぞ」

普通に生活していて、こんなことを言われる機会はそうそうない。

しかし、インパクトがあったからこそ、今でも覚えているのだと思う。

カチカチマン。

何とも情けない名前である。

しかし、僕にとっては忘れられない名前になった。

今となっては感謝している。

あのときは、うるさくしてしまって申し訳ありませんでした。

そして、教えてくれてありがとうございました。

おかげで、カチカチマンは引退しました。

ただし、ここで話を終わらせるわけにはいかない。

最近、もう一つ考えることがあるからだ。

僕の知らない僕が、まだいるのかもしれない。

ボールペンのカチカチには気づくことができた。

しかし、ふと思う。

ほかにも、自分が気づかずにやっていることがあるのではないか。

たとえば、無意識に足を揺らしているかもしれない。

机を指でトントンしているかもしれない。

自分では普通に話しているつもりでも、声が大きいことがあるかもしれない。

本人にとっては何でもない。

しかし、周囲の誰かは気になっている。

そんな行動が、まだまだあるのではないだろうか。

考え始めると、少し怖くなる。

何しろ、ボールペンをカチカチしていたことにさえ気づかなかったのだ。

自分の手でボールペンを持ち、自分の指でボタンを押していた。

それなのに、他人に指摘されるまで知らなかった。

自分の身体のことなのに、自分が知らなかったのである。

もちろん、すべてを気にしながら生活するのは難しい。

常に自分の動きを監視していたら、それこそ疲れてしまう。

誰にも迷惑をかけず、完璧に振る舞うことなんてできないだろう。

それでも、誰かに指摘されたときは、一度考えてみたい。

本当に自分はそんなことをしているのか。

相手はなぜ気になったのか。

直せることなのか。

指摘されたことをすべて受け入れる必要はない。

しかし、自分では見えていなかったものを、他人が教えてくれることはある。

僕が知らない僕を、他人の方が知っていることもある。

そう考えると、人からの指摘も、必ずしも嫌なものばかりではない。

僕は、あのお客さんのおかげで一つの癖を直すことができた。

だから、今でもあの出来事を覚えている。

そして、もう一度お礼を言いたい。

ありがとうございました。

あの日、あなたが指摘してくれなければ、僕は今でもカチカチしていたかもしれません。

ただ、一つだけ心配なことがある。

僕の中には、まだ僕の知らない別の何とかマンが潜んでいるかもしれない。

そいつが何者なのか。

今はまだ、わからない。

できれば、もう二度と口コミで命名されることがないようにしたい。

そして、もしどこかで僕の知らない僕を見つけた人がいたら、教えてほしい。

できれば、優しく。

口コミに書く前に。

カチカチマンは引退した。

しかし、僕の知らない僕は、まだ引退していないのかもしれない。

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