仕事が終わった。
タイムカードを切る。
帰る。
僕の中では、これで一つの流れが完成している。途中に別の工程が挟まる余地はない。手を洗うとか、着替えるとか、そういう必要なことはもちろんする。でも、それが済んだら帰る。
一刻も早く帰りたい。
家には読みたい本がある。書きたい文章がある。ご飯を食べたいし、何もしないでぼんやりする時間だって欲しい。仕事が終わった瞬間から、僕の頭はもう帰宅後の予定に切り替わっている。
ところが、世の中には違う人たちがいる。
仕事が終わっている。タイムカードも切っている。残業しているわけでもない。それなのに、帰らない。
「今日さあ、あれ大変やったよな」
「そうそう、それでな」
「そういえば昨日もさあ」
会話が始まる。
いや、待て。
仕事、終わったんやろ?
別に喋るなと言いたいわけではない。誰と何を話そうが自由だ。職場の人と仲がいいのも素晴らしいことだと思う。ただ、一つだけ聞かせてほしい。
なんで帰らへんの?
僕には、それがどうにも不思議なのである。
1.残業なら分かる。でも、もうタイムカードを切っている
仕事が終わっても職場にいる理由として、まず思いつくのは残業だ。
やり残した仕事がある。引き継ぎが必要だ。急な対応が入った。そういうことなら分かる。帰りたくても帰れない事情があるのだろう。
しかし、僕が見かける人たちは違う。
仕事は終わっている。タイムカードも切っている。もう給料は発生していない。それなのに、その場でおしゃべりを始める。
第一部、労働。第二部、雑談。
しかも第二部は無給である。
第一部が終わった瞬間、僕なら会場を出る。なのに、あの人たちは自主的に延長戦を開催している。誰に頼まれたわけでもない。参加費も出ない。むしろ自分の時間を使っている。
何をそんなに話すことがあるのだろう。
さっきまで一緒に働いていたのだ。顔を合わせていたのだ。もちろん仕事中は好き勝手に話せないだろうから、そこで初めてゆっくり話せるという事情もあるのかもしれない。
それでも、僕なら帰る。
どうしても話したいなら、どこか別の場所へ行けばいい。喫茶店でもファミレスでも、公園のベンチでもいい。いや、公園は寒い日もあるか。まあ、場所は任せる。
喋るなとは言わない。どっか行って喋れよ。
とはいえ、僕が帰ることを妨げられているわけではない。だから実際には何も言わない。僕は黙って帰る。それだけだ。
ただ、頭の片隅には小さな疑問が残る。
あの人たちは、職場がそんなに好きなのだろうか。
2.何分喋っているのかは知らない。僕は帰っているから
ここで、ひとつ断っておきたいことがある。
彼らが仕事終わりに何分間おしゃべりしているのか、僕は知らない。
五分なのか。十分なのか。三十分なのか。一時間なのか。
知らない。だって僕は帰っているんだもの。
仕事が終わったら帰る。それが僕の行動なので、誰がいつまで残っていたかを観察する機会がない。わざわざ時計を見ながら監視するほど暇でもない。そんなことをしていたら、僕まで帰らない人になってしまう。
ただ、たまに残業する日がある。
僕は仕事を続ける。やるべきことを片づける。いつもより遅くなる。ようやく終わった。さて、帰ろう。
ふと見る。
「……まだおるやん。」
さっきタイムカードを切っていた人が、まだそこにいる。
僕はあれから仕事をしていた。追加で働いていた。その間に時間が過ぎた。なのに、目の前には見覚えのある顔がある。
僕、残業終わったで?
もちろん、その人たちがずっと同じ話をしていたとは限らない。途中で用事があったのかもしれない。いったん離れて戻ってきた可能性だってある。
それでも、驚く。
僕の中では仕事が終わった人はすでに帰宅しているはずなのだ。少なくとも、駅へ向かっているはずなのだ。それなのに、まだ職場にいる。
時間の流れ方が違うのか?
僕の時計では残業が終わった。しかし、彼らの時計では雑談が続いている。まるで同じ建物の中に、二つの時間帯が存在しているようだ。
これは一体、どういうことなのだろう。
3.仕事が終わっても帰らない人の心理を考えてみた
本人たちに聞いたわけではない。だから、ここからは僕の勝手な仮説である。
一人ひとり事情は違うだろうし、同じ人でも日によって理由は変わるだろう。そもそも大した理由などなく、話が盛り上がったから残っているだけかもしれない。
それでも、あえて考えてみる。
① 職場の人と話すのが楽しい説
まず、最も単純な理由だ。
楽しいから帰らない。
職場には気の合う人がいる。共通の話題がある。同じ仕事をしているから、説明しなくても通じることが多い。
今日あった出来事を話せば、相手はすぐに分かってくれる。笑ってくれる。共感してくれる。
仕事中にはできなかった話を、終業後にまとめてしているのかもしれない。
なるほど。これは理解できる。
僕だって、好きな本の話をできる相手がいたら楽しいだろう。時間を忘れて話し込むこともあるかもしれない。
ただ、やっぱり思う。
それ、職場じゃないとあかんの?
別の場所で会えばいいのではないだろうか。休日に会うという方法もある。
もっとも、そこまでするほどではないのかもしれない。わざわざ予定を合わせるほどではないけれど、今ここにいるから話す。それくらいの距離感が、ちょうどいいのだろう。
そう考えると、少し分かる気もする。
② 家に帰ってもすることがない説
次はこれだ。
家に帰っても、特に予定がない。
見たいテレビもない。読みたい本もない。急いで帰ってすることがない。だったら、もう少し喋っていこう。
そういう考え方もあるのかもしれない。
僕は帰宅後にやりたいことが多い。だから、職場に残る時間が惜しい。
しかし、全員がそうとは限らない。何も予定がない夜なら、誰かと話して過ごすのも悪くないのだろう。
ただし、ここで注意したい。
帰らない人は暇人だ、と決めつけることはできない。
予定があっても雑談を選ぶ人はいるだろうし、家で何もしない時間を楽しみにしている人もいる。
何もしないなら、家で何もしない。
わざわざ職場で何もしない理由が、僕にはない。
③ 一人になりたくない説
家に帰ってもすることがないのと、一人になりたくないのは少し違う。
こちらは、誰かと一緒にいたいという気持ちだ。
家に帰れば一人。職場には話し相手がいる。だったら、もう少しここにいたい。
そんな心理もあるのかもしれない。
僕は一人で過ごす時間が好きだ。本を読んだり、文章を書いたり、頭の中であれこれ考えたりする。むしろ一人の時間が足りないと感じることさえある。
でも、それは僕の話だ。
同じ一時間でも、一人で本を読むと満たされる人がいれば、誰かと話すことで満たされる人もいる。
そう考えると、職場に残る人たちが不思議に見えるのは、僕と時間の使い方が違うからなのかもしれない。
僕は静かな部屋へ帰りたい。あの人たちは、もう少し人の声のある場所にいたい。
それだけの違いなのだろうか。
④ 仕事モードから切り替えたい説
仕事が終わったからといって、気持ちまで一瞬で切り替わるとは限らない。
忙しかった日。緊張する場面が多かった日。身体も頭も仕事の状態になっている。
そんなとき、すぐに帰るより、少し雑談して気持ちをほぐしたい人もいるのだろう。
いわば、仕事と私生活の間に置く緩衝材だ。
僕の場合、その切り替えは早い。
タイムカードを切る。帰る準備をする。外へ出る。もう頭の中では次に読む本のことを考えている。
しかし、そう簡単には切り替えられない人もいるのかもしれない。
仕事の緊張を雑談でほどく。笑ってから帰る。嫌な気分をそのまま家に持ち帰らない。
なるほど。これなら職場で喋る意味も少し分かる。
ただ、僕なら帰り道で切り替える。
仕事から解放されるために、仕事場に残る。
この発想が、やっぱり面白い。
⑤ 本当は帰りたいのに帰れない説
これは、少し違う角度からの仮説だ。
もしかすると、全員が好きで残っているわけではないのかもしれない。
五人で喋っているとする。
一人が話し始める。もう一人が相づちを打つ。別の人が新しい話題を出す。
会話が続く。
しかし、そのうちの誰かは心の中で思っているかもしれない。
「そろそろ帰りたいなあ」
でも、言い出せない。
せっかく盛り上がっているところで帰るのは気まずい。話の途中で抜けるのも申し訳ない。そう思っているうちに、次の話が始まる。
そして、また帰るタイミングを失う。
全員楽しそうに見えて、実は何人か帰りたい。
もしそうなら、なかなか面白い状況だ。
誰も「帰ろう」と言わないから、誰も帰れない。
一人が勇気を出して「じゃあ、お疲れさまでした」と言えば、残りの人たちも次々に帰り始めるかもしれない。
お前ら、誰か帰れよ。
仕事は終わっているのに、雑談から退勤できない。
無給の延長戦に、無言で参加している人がいるのかもしれない。
⑥ 仕事の愚痴を共有したい説
仕事が終わったあとだからこそ、話したくなることもあるだろう。
「あの対応、どう思う?」
「今日のあれ、しんどかったな」
「ほんま、びっくりしたわ」
同じ出来事を経験した人と話すことで、気持ちが軽くなる。
これは理解できる。
仕事中には言えなかったことも、終わってからなら話しやすいのかもしれない。
ただ、僕の場合は少し違う。
嫌なことがあった日ほど、早く職場から離れたい。
仕事で疲れた。嫌なこともあった。だから帰る。
なのに、彼らは残って仕事の話をする。
仕事が終わったのに、まだ仕事を振り返っている。
僕なら、もうその話題から離れたい。
ただ、人によって気持ちの整理の仕方は違うのだろう。話すことで区切りをつける人もいれば、話さず離れることで区切りをつける人もいる。
僕は後者だ。
⑦ 帰宅後の現実を先延ばしにしたい説
最後は、少し切実な可能性だ。
家に帰れば家事がある。食事の準備がある。片づけがある。家族の世話など、やらなければならないことが待っている人もいる。
職場の仕事は終わった。しかし、家に帰れば別の仕事が始まる。
だから、その間に少しだけ自由な時間を作りたい。
職場でのおしゃべりが、その人にとって貴重な息抜きになっているのかもしれない。
そう考えると、簡単に「早く帰ればいいのに」とも言えなくなる。
僕にとって帰宅は自由時間の始まりだ。しかし、誰にとってもそうとは限らない。
僕が帰りたがる理由と、あの人たちが帰らない理由は、実は同じなのかもしれない。
少しでも自分の時間を楽しみたい。
僕は家へ向かう。あの人たちは職場に残る。
選ぶ場所が違うだけなのだろう。
4.それでも、なぜわざわざ職場で喋るのか
七つの心理を考えてみた。
楽しいから。暇だから。一人になりたくないから。気持ちを切り替えたいから。帰るタイミングを失ったから。愚痴を話したいから。家に帰るのを少し遅らせたいから。
どれも、ありそうだ。
しかし、僕の疑問はまだ残っている。
なぜ、その場所が職場なのだろう。
話すことが目的なら、場所を変えてもいいはずだ。
ただ、考えてみると、職場だからこその手軽さもある。
全員がすでに集まっている。連絡を取り合う必要もない。店を探す必要もない。お金もかからない。「ちょっと聞いてよ」の一言で会話が始まる。
喫茶店へ移動するとなれば、それはもう約束だ。移動時間が必要になる。飲み物を注文するかもしれない。何時までいるかも考えなければならない。
でも、仕事終わりの立ち話なら、そこまで大げさなことをしなくていい。
わざわざ会うほどではないけれど、今ここでなら話したい。
そういう人間関係があるのだろう。
ただし、共有の休憩室や更衣室などを長時間占領したり、ほかの人の利用を妨げたりするなら話は別だ。
おしゃべりを楽しむ自由はある。でも、その場所を使う人はほかにもいる。
楽しむなら、周囲への配慮も忘れないでほしい。
そして僕は、そんなことを考えながらも帰る。
5.おしゃべりは、本当に無駄な時間なのか
最初は、こう思っていた。
タイムカードを切ったあと、職場で三十分も話していたら、その三十分がもったいなくないのだろうか。
三十分あれば、本が読める。文章も書ける。ご飯も作れる。
一日三十分なら、一週間でかなりの時間になる。毎日の習慣なら、一年では相当な長さになる。
僕なら、その時間を別のことに使いたい。
しかし、ここで気づいた。
そもそも、彼らはその時間を無駄だと思っていないのではないか。
僕が本を読んでいる時間を楽しいと思うように、彼らは誰かと話している時間を楽しいと思っている。
僕が文章を書いて満足するように、彼らは会話をして満足している。
そうだとしたら、どちらが有意義かなんて、簡単には決められない。
僕にとっては早く帰ることが大切だ。でも、彼らにとっては仕事終わりに誰かと話すことが大切なのかもしれない。
もちろん、僕が同じことをしたいかと聞かれたら、答えは変わらない。
したくない。帰りたい。
自分には理解できない楽しみが、ほかの人にはある。
そんな当たり前のことを、改めて考えさせられる。
6.僕は職場が嫌いだから帰りたいのか
ここで、逆に自分のことも考えてみた。
なぜ僕は、そんなに早く帰りたいのだろう。
職場が嫌いだからだろうか。
いや、それだけではないと思う。
たとえ仕事が順調に終わった日でも、僕は帰りたい。特に嫌なことがなかった日でも帰りたい。楽しい会話をした日でも、勤務が終われば帰りたい。
僕にとって、仕事は生活の一部だ。
でも、生活のすべてではない。
仕事をして、お金を稼ぐ。それは大切なことだ。しかし、そのためだけに一日を過ごしているわけではない。
読みたい小説がある。書きたいエッセイがある。考えたいことがある。何もせずに過ごしたい日もある。
仕事が終わったら、そういう時間に戻りたい。
だから、職場に残って雑談することが嫌いというより、自分の時間を早く始めたいのだと思う。
そして、ここが面白い。
あの人たちは、仕事が終わったあとに雑談を始めている。
つまり、彼らにとっては、すでに自分の時間が始まっているのかもしれない。
僕は職場を出てから自由時間が始まると思っている。
彼らはタイムカードを切った瞬間から、そこを自由時間の場所に変えている。
同じ職場。同じ終業時間。同じタイムカード。
なのに、その先の過ごし方がまるで違う。
僕にとっての出口が、彼らにとっては雑談の入口なのだ。
7.仕事終わりの雑談にも、終わりはあるのだろうか
それにしても、もう一つ気になる。
あの人たちは、どうやって会話を終えるのだろう。
僕は仕事が終わったら帰る。終了の合図がはっきりしている。
しかし、雑談にはタイムカードがない。
誰かが「そろそろ帰ろうか」と言うのだろうか。
それとも、話題が尽きるまで続くのだろうか。
「じゃあ帰るわ」
「お疲れ〜。あ、そういえばさ」
終わらへんやん。
帰りかけた人を新しい話題が引き戻す。もう一度別れの挨拶をする。また別の人が思い出したように話し始める。
そんな光景を想像してしまう。
だから、彼らの雑談が何時に終わるのかは分からない。
もしかすると、僕が思っているよりずっと早く解散しているのかもしれない。
逆に、僕が家に着いて本を開いているころ、まだ喋っている可能性もある。
その真相を確かめる方法は一つしかない。
僕も残ってみることだ。
……。
いや、それは嫌だ。
疑問は解決したい。しかし、そのために自分の帰宅時間を犠牲にするつもりはない。
そこまでして知りたい謎ではない。
8.結局、仕事が終わっても帰らないのは悪いことなのか
ここまでいろいろ考えてみたが、結局のところ、仕事が終わっても帰らないこと自体が悪いわけではない。
仕事が終わっている。タイムカードも切っている。業務の邪魔にならず、施設のルールにも反せず、周囲に迷惑をかけていない。
それなら、どう過ごそうが本人たちの自由だ。
楽しいなら喋ればいい。愚痴を言ってすっきりするなら、それもいい。家に帰る前に少し休みたいなら、そういう時間も必要なのだろう。
ただ、もし帰ろうとしている人を引き止めたり、帰りにくい空気を作ったりするなら、それは別の問題だと思う。
残りたい人は残る。帰りたい人は帰る。
それでいい。
誰かが「お疲れさまでした」と言ったら、気持ちよく送り出せばいい。
雑談に参加しない自由だってあるのだから。
僕は、その自由を全力で行使したい。
仕事が終わった。タイムカードを切った。帰る準備ができた。
その瞬間、僕の中ではもう終演である。
アンコールはない。
追加公演もない。
物販もない。
速やかに退場したい。
9.まあ、自由だ。僕は帰る
結局、なぜ仕事が終わっても帰らない人がいるのか。
いくつか理由を考えてみたが、本人たちの本当の気持ちは分からない。
ただ単に話すのが好きなのかもしれない。職場が居心地のいい場所なのかもしれない。家に帰る前に、少しだけ誰かと笑っていたいのかもしれない。
あるいは、本当は帰りたいのに、帰るタイミングを失っている人もいるのかもしれない。
どれもありそうだ。
そして、どれであっても、僕が答えを出す必要はない。
人それぞれ、仕事が終わったあとの時間の使い方がある。
僕は早く帰って本を読みたい。あの人たちはもう少しおしゃべりしたい。
まあ、自由だ。
ただ、たまに残業した日だけは、どうしても驚いてしまう。
仕事を片づけ、ようやく帰れると思って顔を上げる。
すると、そこにはさっき仕事を終えたはずの人たちがいる。
「え、まだおるん?」
思わず心の中でつぶやく。
向こうは楽しそうに話している。僕は帰る準備をする。
きっと、向こうから見れば、僕の方が不思議なのかもしれない。
「なんであの人、そんなに急いで帰るんやろ」
そう思われている可能性だってある。
答えは簡単だ。
帰りたいからだ。
仕事が終わったら帰る。それ以上の理由はいらない。
彼らには彼らの楽しみがある。僕には僕の楽しみがある。
今日も誰かが職場に残って、楽しそうにおしゃべりを始める。
僕はそれを横目に、タイムカードを切る。
「お疲れさまでした」
そして、帰る。
まあ、自由だ。
僕は帰る。
