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スマホの操作音・フリック音がうるさい人。なぜ消さないのか。迷惑だ。

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ピコピコピコピコ。

今日も鳴っている。

職場である。ゲームセンターではない。人が働く場所だ。それなのに、どこからともなく電子音が聞こえてくる。

ピコッ。ピコピコ。ピコピコピコ。

スマートフォンの文字入力音である。画面を触るたび、律儀に鳴る。一文字打つたびにピコッ。次の文字でまたピコッ。文章が長くなるほど音も増える。

僕は別に、誰が誰に何を送っているのか知りたいわけではない。それなのに、文字数だけは逐一報告されている。

ピコピコピコピコ。

ずっと打っている。ようやく止まった。終わったか。そう思ったのも束の間。

ピコン!

通知が届いた。そして、再び。

ピコピコピコピコピコ。

なんなんだ、この謎の永久機関は。

返信を打ち終える。相手から連絡が来る。また返信を打つ。会話としては自然な流れなのだろう。しかし、こちらからすると、終了したはずの演奏が何度もアンコールを始めるのである。しかも頼んでいない。

僕はあなたの会話に参加していない。送信先も知らない。内容も知らない。なのに効果音だけを共有させられている。画面は本人しか見ていないのに、操作音だけは周囲に公開されている。

職場だけではない。電車にもいる。走行音の合間からピコピコ。しばらくしてピコン。そしてまたピコピコ。電車の中でまで、見知らぬ人のメッセージ交換の進行状況を聞かされる。

僕はいつも思う。

なんで消さないの?

目次

そもそも操作音は必要なのか

スマホの操作音は消せる。多くの機種にはキーボードの音をオフにする設定がある。iPhoneなら通常、消音モードでも入力音が鳴らなくなる。Androidは機種やキーボードアプリによって方法が異なるが、設定できるものが多い。

そして重要なのは、音を消しても文字が打てることだ。一文字も失われない。変換精度が落ちるわけでもない。送信したメッセージが相手に届かなくなるわけでもない。

音を消したスマホも、立派にスマホとして働く。

では、なぜ鳴らしているのだろう。僕なりに五つの理由を考えてみた。

一つ目。初期設定のまま使っている

買ったときから音が鳴っていた。だから、そのまま使っている。そもそも操作音を消せることを知らないのかもしれない。

確かに、スマホには膨大な設定項目がある。すべてを把握している人など、ほとんどいないだろう。僕だって知らない機能はいくらでもある。

しかし、毎日何十回、何百回と聞いている音である。一度くらい「これ、消せないのかな」と思わないのだろうか。

壁紙は変える。アプリは並べ替える。通知の表示も自分好みにする。ところが、文字入力の音だけは購入時のまま。スマホを最新機種に買い替えても、ピコピコという伝統だけは守り続けている。

もちろん、本当に知らないなら仕方がない部分もある。ただ、知らないまま何年も使えてしまうのが、少し不思議なのだ。

二つ目。音が鳴る方が入力しやすい

昔の携帯電話には物理的なボタンがあった。押せば指先に感触が返ってきた。今のスマホは平らな画面だから、音が鳴ることでキーを押した感覚が得られる。確認音として使っている人もいるのだろう。

なるほど。これは理由として理解できる。

ただ、文字を打てば画面に文字が表示される。入力できたかどうかは目でも確認できる。もちろん、音による確認が役立つ人もいるはずだ。だから一律に不要だとは言わない。

それでも、周囲に人がいる場所でまで鳴らし続ける必要があるのだろうか。本人にとって便利な機能であっても、周囲の人間まで確認作業に付き合う必要はない。

あなたが「あ」を入力できたことを、僕に知らせなくても大丈夫である。

安心してほしい。僕は確認係ではない。

三つ目。自分の操作音に慣れている

毎日聞いているうちに、音が気にならなくなっている可能性もある。人は日常的な刺激に慣れる。自宅の冷蔵庫の音は気にならなくても、初めて泊まったホテルの空調音が妙に気になることがある。

スマホの操作音も本人には日常の一部なのだろう。ピコピコ鳴っていても、特に何も感じない。

しかし、本人が慣れていることと、周囲も慣れていることは別だ。あなたにとっては、いつもの音。僕にとっては、突然始まる電子音。しかも、いつ終わるかわからない。

自分の指を動かすタイミングは自分でわかる。けれど、他人の指が次にいつ動くかなど知る由もない。同じ音でも、予測できる本人と予測できない周囲では、受け取り方が違うのかもしれない。

本人の耳には溶け込んでいる音が、隣の人間の耳には突き刺さっている。そういうことは十分あり得る。

四つ目。周囲が不快に感じると思っていない

自分は気にならない。だから、他人も気にならない。そんなふうに考えているのかもしれない。

しかし、音の感じ方は人によって違う。時計の秒針が気になる人もいれば、まったく気にならない人もいる。咀嚼音が苦手な人もいれば、何とも思わない人もいる。

スマホの操作音も同じだ。自分が平気だからといって、周囲も平気とは限らない。

これはスマホに限らない。話し声が大きいことに気づかない人もいる。ペンをカチカチ鳴らす癖が、誰かの集中を妨げていることに気づかない人もいる。

本人に悪気はないのかもしれない。しかし、悪気がないことと、迷惑になっていないことは別である。

「僕は平気」を「みんな平気」に変換する。その変換機能は、できればオフにしてほしい。

五つ目。消す必要性を感じていない

最後は、操作音を消すという発想そのものがない可能性だ。これは一つ目とは違う。消せることは知っている。しかし、消そうと思ったことがない。

本人にとっては何の問題も起きていないからだ。スマホは普通に使える。文字も打てる。通知も届く。困っていない。だから設定を変える必要がない。

ある意味では、もっとも自然な理由かもしれない。人は、自分が困っていないことをわざわざ改善しようとはしない。

しかし、そこに落とし穴がある。本人が困っていないからといって、周囲も困っていないとは限らない。

自分の中では問題が存在していないのに、隣ではすでに問題が発生している。しかも、その問題は設定を少し変えるだけで解消できるかもしれない。

ここまで五つ考えた。どれもあり得る。事情のある人もいるだろう。理由としては理解できる。

だが、納得できるかは別だ。

家で一人なら好きに鳴らせばいい。ピコピコでもポコポコでも、本人が楽しいならそれでいい。しかし、職場や電車である。周囲に人がいる。

そこまで考えても鳴らし続けるのは、なぜなのか。

……いや、わからん。

アホなのか。

もちろん、操作音の設定だけで人の知性が決まるわけではない。それくらいはわかっている。ただ、僕の頭にはこの言葉が浮かんでしまうのである。

なぜ小さな電子音がこんなにも不快なのか

そもそも操作音は、それほど大きな音ではない。電車なら走行音の方がずっと大きい。職場にも空調や足音、物を動かす音がある。

それなのに、ピコピコという電子音だけが妙に耳に残る。不思議だ。

音の不快さは音量だけで決まらない。高さ、繰り返し方、突然鳴るかどうか、聞く側の疲れや集中状態なども関係する。

遠くの車の走行音は気にならなくても、近くで誰かがペンをカチカチ鳴らしていると落ち着かないことがある。時計の秒針も、昼間は存在を忘れているのに、眠れない夜にはやけに大きく聞こえる。

スマホの操作音で厄介なのは、一定のリズムではないことだ。

ピコッ。

ピコピコピコ。

……ピコッ。

少し止まる。

ピコン!

今度は通知音だ。そしてまた文字入力が始まる。

こちらは、いつ始まっていつ終わるのか予測できない。音が止まったと思ったら通知が来る。通知が来たら返信が始まる。まるで休憩時間のない小さな電子音楽祭である。

しかも、演奏者は一人。観客は強制参加だ。

高めの短い音が、周囲の低く続く音から浮き上がって聞こえることもある。もちろん、すべての電子音が同じように不快なわけではない。音色や音量、環境によって印象は変わる。

それでも、何度も繰り返されると、耳がその音を拾うようになる。小さな音だから迷惑ではない、と簡単には言えないのだ。

特定の音に強い嫌悪感を覚える現象として、ミソフォニアという言葉もある。咀嚼音などが例に挙げられる。ただ、ある音が嫌いだからといって、すぐにそう判断できるわけではない。僕が言いたいのは診断の話ではなく、小さな音にも不快さが生まれるという、ごく身近な話である。

なぜ他人のスマホの音に敏感になるのか

音の性質だけでは説明できない部分もある。

それは、自分にはまったく意味のない情報を、一方的に聞かされていることだ。

通知が来た。返信している。また通知が来た。また返信している。

そんなことを知って、僕はどうすればいいのか。明日の天気がわかるわけでもない。電車の到着時刻がわかるわけでもない。仕事が早く終わるわけでもない。

ただ、誰かのスマホで何かが起きているという事実だけが、音になって飛んでくる。

しかも、自分で止められない。自分のスマホなら設定を変えればいい。しかし、他人のスマホはそうはいかない。勝手に取り上げて操作音を消すわけにもいかない。

つまり、こちらには停止ボタンがない。

いつ終わるかは相手次第。その小さな無力感が、不快さを強めているのかもしれない。

一度気になると、鳴っていない時間まで気になり始める。

ピコピコピコ。

止まった。よし、終わったか。

……。

まだ鳴らない。今度こそ終わりか。

ピコン!

来た。そしてまたピコピコ。

何をしているのだろう、僕は。音を聞きたくないはずなのに、次の音が鳴るのを待っている。

人の注意は、不快だと感じる刺激に引き寄せられることがある。無視しようと意識するほど、かえって気になる場合もある。

気にするな。気にするな。

ピコッ。

気になるわ。

相手はスマホを操作している。しかし、僕はそのスマホに操作されている。画面に触れてもいないのに、他人のスマホに集中力を奪われているのだ。

なんという理不尽な遠隔操作だろう。

新聞のページをめくる音と同じなのか

こういう話をすると、反対意見もある。

「たかだか操作音くらいで迷惑ですか」

「そのうち新聞や雑誌のページをめくる音まで迷惑と言い出すのでは」

なるほど。公共の場で多少の生活音が発生するのは当然だ。何でもかんでも迷惑だと言い始めたら、窮屈な社会になる。その心配はわかる。

しかし、僕はこの比較に違和感がある。

新聞や雑誌のページをめくれば、紙が擦れる音がする。パラッ。それは紙という物を扱う以上、基本的には避けられない音だ。

一方、スマホのフリック音は、入力を知らせるために鳴らしている電子音である。しかも設定で消せる。

ここが大きく違う。

新聞のページを無音にする設定があるなら、ぜひ教えてほしい。僕も知りたい。

もちろん、紙を乱暴にバサバサめくれば迷惑になることはある。逆に、スマホの音が小さく、周囲が気にならない場面もあるだろう。紙なら何でも許され、電子音なら何でも悪いという話ではない。

ただ、どうしても発生する音と、消そうと思えば消せる音を同列に扱うのは乱暴ではないか。

頻度も違う。ページを一枚めくる音と、文字を一つ入力するたびに鳴る音では、繰り返し方が違う。もちろん読む速さや打つ速さによるが、スマホでは短い間に細かな音が何度も続きやすい。

そして音の性質も違う。紙の擦れる音と、機械が意図的に鳴らす電子音を、同じ「小さな音」というだけでまとめてしまっていいのだろうか。

僕は新聞を無音で読めと言っているわけではない。

スマホの操作音、消せるやん。

ただ、それを言っているのである。

公共の場で鳴らすのはマナー違反なのか

では、操作音を鳴らすことはマナー違反なのだろうか。これは簡単には決められない。どこでも一律に禁止されているわけではないし、気にならない人もいる。

ただ、職場や電車のように他人と空間を共有する場所では、少し配慮してもいいのではないかと思う。

動画を大音量で流していたら、多くの人は気にするだろう。通話の声が大きければ、周囲を見回す人もいる。ところが、文字入力の音は、なぜか見落とされがちだ。

一回の音が小さいからだろうか。しかし問題は一回の大きさだけではない。ピコッが一回なら、僕も何とも思わないかもしれない。それが十回、百回と続く。通知が来れば、また始まる。

小さな音でも、積み重なれば存在感を増す。

操作音をオンにする自由はある。ただし、自由という言葉は、周囲への配慮を一切しなくていいという意味ではないはずだ。

一方で、僕が不快だからといって、相手に何もかも合わせろと言うつもりもない。電車も職場も、僕一人の空間ではない。人がいれば音はする。完全な静寂を求めるのは無理がある。

それでも、避けられる音なら避ける。僕には、それくらいの配慮があってもいいように思える。

なぜ我慢する側ばかりが責められるのか

操作音が気になると言うと、「そんな小さな音くらい我慢すればいい」と返されることがある。

しかし、なぜ我慢する側の努力ばかりが求められるのだろう。

公共の場で暮らす以上、ある程度の我慢は必要だ。他人の話し声も足音も、生活の中で生まれる音をすべて排除することはできない。それはわかる。

しかし、今回の話は少し違う。スマホの操作音は設定を変えれば消せる。音を出している側にも、比較的簡単にできる対策がある。

それなのに、不快に感じる側だけが「神経質だ」「気にしすぎだ」と言われるのは、少し不公平ではないだろうか。

例えば、誰かが机を指でトントン叩き続けているとする。その音が気になると伝えたとき、「そんな小さな音くらい我慢しろ」と言われたらどうだろう。

叩くのをやめる選択肢もある。

少し配慮してもいいのではないか。

ところが、こういう小さな問題ほど、なぜか極端な議論になりやすい。

「そんなことまで迷惑と言うのか」

「何もできなくなるじゃないか」

いや、そこまで言っていない。

スマホの操作音を消してほしい。ただ、それだけである。

なぜ、この小さなお願いが、人間の自由を巡る壮大な論争に発展してしまうのだろう。こちらは社会制度を変えたいわけではない。ピコピコを止めてほしいだけなのだ。

それでも音が気になるときは

現実的には、距離を取る方法がある。電車なら席を移動する。職場なら、可能な範囲で場所を変える。ただ、いつでも移動できるわけではない。仕事中なら離れられないし、電車に空席がないこともある。

イヤホンや耳栓で気になりにくくする方法もある。ただし、必要な声や周囲の音が聞こえなくなると困る場面では注意が必要だ。

別のことに集中する手もある。本を読む。景色を見る。目の前の作業に意識を向ける。とはいえ、それが簡単にできれば苦労しない。無視しようとして、かえって耳を澄ませてしまうこともある。

相手に伝えるという方法もあるが、言い方には気をつけたい。いきなり「うるさいんですけど」と言われたら、相手も不快になるだろう。職場なら、必要に応じて穏やかに相談する選択肢もある。

僕だって、知らないうちに誰かを不快にさせているかもしれない。自分の足音や物を置く音、何気ない癖。人は自分の出す音には案外鈍感なのだろう。

だから、僕も気をつけたい。

そのうえで、やっぱり思う。

スマホの操作音は、消せるやん。

電車の中では、逃げ場がない

職場なら、まだ作業の区切りで場所を移せることもある。しかし、電車はそうはいかない。座ってしまえば、隣の人がどんな音を出すかは運次第だ。立っていても、満員なら簡単には離れられない。

車内には、いろいろな音がある。走行音、ドアの開閉を知らせる音、駅のアナウンス。これらは移動するために必要だったり、安全のために意味があったりする。

その中に、突然ピコピコが混ざる。

誰かが次の駅を確認しているのかもしれない。家族に連絡しているのかもしれない。仕事の返信をしているのかもしれない。何をしているかはわからないし、別に知る必要もない。

ただ、入力するたびに音が鳴る。しかも、一文字ずつ。

もしも車内の全員が操作音をオンにしていたら、どうなるのだろう。あちらでピコピコ、こちらでピコピコ。通知が来るたびにピコン。電車なのか、電子機器の動作確認会場なのかわからなくなる。

大半の人が静かにスマホを操作している中で、一人だけピコピコと鳴らしている。その状況に遭遇すると、僕はどうしても考えてしまう。

周りのスマホは静かなのに、なぜあなただけがそんなに元気なのか。

ただ、スマホの操作音は、わざわざ鳴らさなくてもいい。しかも、本人が簡単に止められる。その違いが、どうしても引っかかる。

通知音が加わると、さらに厄介だ

文字入力の音だけでも気になるのに、通知音まで鳴ると話は変わってくる。

ピコピコという細かい音が止まったあと、少し間が空く。そこでピコンと鳴る。すると、また文字入力が始まる。

音だけで、相手とのやり取りが続いていることがわかってしまう。

相手がすぐに返信してくるタイプなら、こちらに静寂は訪れない。返信が遅いタイプでも安心できない。忘れた頃にピコンと鳴るからだ。

早く返信してほしいのか、返信しないでほしいのか。僕には何の権限もないのに、知らない二人の会話のテンポに振り回されている。

そもそも、通知を受け取るのは本人である。僕ではない。返信するのも本人である。僕ではない。

それなのに、なぜ音だけがこちらに届くのだろう。

ただ、鳴るのである。

それでも、僕には理解できない

職場でピコピコピコピコ。止まったと思えばピコン。そしてまたピコピコピコピコ。電車でも、同じ音が聞こえてくる。

僕はなぜ操作音を鳴らすのか、五つの理由を考えてみた。初期設定のままなのかもしれない。入力の確認に使っているのかもしれない。慣れているのかもしれない。他人が不快になると思っていないのかもしれない。消す必要を感じていないのかもしれない。

どれもあり得る。人にはそれぞれ事情も好みもある。それはわかる。

公共の場には生活音があるし、すべての音を消すことなどできない。それもわかる。

しかし、何度考えても疑問は同じところへ戻ってくる。

なぜ、消せる音を消さないのか。

もちろん、操作音を鳴らす人全員が無神経だと決めつけるつもりはない。ただ、僕にはどうにも理解できない。

そして今日も、どこかで鳴っている。

ピコピコピコピコ。

ピコン!

ピコピコピコピコピコ。

……。

頼むから、スマホの会話に僕まで参加させないでくれ。

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