僕の職場には、トランクス係長がいる。
夜勤が終わった。
長い一日の仕事を終え、更衣室で着替える。
ようやく帰れる。そんな解放感に包まれながら、僕は制服を脱ぐ。
隣では、50歳の係長も着替えている。
トランクスだ。
青地に白い縦線の入ったトランクス。
僕は心の中で、彼を「トランクス係長」と呼んでいる。
もちろん、本人には言っていない。勝手に命名しているだけである。
それにしても、トランクス。
久しぶりに見た気がする。
いや、僕が普段から他人の下着を観察しているわけではない。そんな趣味はない。たまたま更衣室で目に入っただけだ。
ただ、なぜか気になってしまった。
トランクスって、まだ現役なんや。
別に絶滅したと思っていたわけではない。しかし、僕の中では、いつの間にか過去の下着になっていた。
僕自身も、中学生くらいまでは履いていたような気がする。
記憶は曖昧だが、確かに履いていたはずだ。
それが、いつの間にかボクサーパンツに変わっていた。
なぜ変えたのだろう。
履き心地がよかったからか。周囲が履いていたからか。それとも、トランクスが何となく古臭く感じられるようになったからか。
はっきりとは覚えていない。
そんなことを考えている僕の隣で、トランクス係長は淡々と着替えている。
青地に白い縦線。
涼しそうだ。
快適そうだ。
そして、僕は思った。
羨ましい。
何も気にしていないように見える、彼が。
なぜトランクスはおじさんのイメージがあるのか
そもそも、なぜトランクスにはおじさんのイメージがあるのだろう。
昔は男性用下着の定番だったはずだ。
少なくとも、僕が子どもの頃には珍しいものではなかった。ブリーフを履く人もいれば、トランクスを履く人もいた。
ところが、いつの間にかボクサーパンツが主流になっていた。
今では、若い男性の下着といえばボクサーパンツを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
一方、トランクスと聞くと、なぜか中年男性の姿が浮かんでくる。
一体、いつからそうなったのだろう。
ボクサーパンツは、体にフィットする形状やスポーティーな印象などもあって、男性用下着の定番として広まってきた。ファッションブランドやスポーツブランドの商品も多く、下着を見た目で選ぶ文化とも相性がよかったのだと思う。
もちろん、トランクスにもさまざまなデザインがあるし、ボクサーパンツが普及した理由を一つに決めることはできない。
ただ、流行が変われば、以前の定番が古いものとして扱われることはある。
洋服でもそうだ。
昔は当たり前だった形が、いつの間にか時代遅れと言われる。ところが、何年かすると再び流行する。
昨日までダサいと言われていたものが、突然おしゃれになる。
何なんだ、この仕組みは。
誰が決めているのだろう。
そして、なぜ僕たちはそれを当たり前のように受け入れてしまうのだろう。
トランクスも、そうした流行の変化に巻き込まれた下着の一つなのかもしれない。
50代ではトランクスは珍しくない
ここで、興味深い調査がある。
ワコールが2025年に発表した男性の下着に関する意識調査だ。
20代から50代の男性を対象とした調査では、最も愛用している下着として、ボクサーパンツを選んだ人が55.6%、トランクスが34.4%だったという。
なるほど。
確かに、ボクサーパンツが多数派である。
しかし、トランクスも約3人に1人が愛用している。
思っていたより多い。
さらにおもしろいのが、50代男性の結果だ。
トランクス派が45.8%。
ボクサーパンツ派が45.6%。
ほぼ互角である。
しかも、わずかながらトランクス派が上回っている。
僕は思わず、あの係長の姿を思い出した。
青地に白い縦線。
そうか。
彼は別に珍しい存在ではなかったのだ。
僕が勝手に「トランクス係長」などと名づけているだけで、同世代の男性にとっては、ごく普通の選択なのかもしれない。
むしろ、50代男性の半数近くがトランクスを愛用しているという結果を考えると、僕の驚きの方がおかしいのではないだろうか。
トランクスは絶滅危惧種ではなかった。
僕が勝手に絶滅寸前だと思い込んでいただけである。
トランクスは本当にダサいのか
さて、本題である。
トランクスはダサいのだろうか。
そもそも、下着の何をもってダサいと判断するのか。
形だろうか。
柄だろうか。
色だろうか。
それとも、履いている人の年齢だろうか。
例えば、青地に白い縦線のトランクス。
50歳の係長が履いていると、おじさんっぽいと感じる人がいるかもしれない。
では、同じトランクスを20代の男性が履いていたらどうだろう。
それもダサいのだろうか。
あるいは、若くて容姿の整った男性が履いていたら、突然「レトロでおしゃれ」などと言われるのだろうか。
もしそうなら、おかしな話である。
トランクスは何も変わっていない。
青地に白い縦線。
まったく同じ下着である。
変わったのは、履いている人だけだ。
つまり、僕たちは下着そのものを評価しているつもりで、実際には履いている人の年齢や印象まで含めて判断しているのかもしれない。
それなら、トランクスがダサいのではなく、トランクスに結びついたイメージをダサいと思っているだけではないだろうか。
もちろん、下着にもデザインの好みはある。
派手な柄が好きな人もいれば、無地が好きな人もいる。ボクサーパンツの形が格好いいと感じる人もいるだろう。
それは自由だ。
しかし、個人の好みと、客観的にダサいかどうかは別の話である。
そもそも、下着にダサいもクソもあるか。
クソをつけてなんぼだ。
……いや、つけない方がいい。
できれば清潔に履いていただきたい。
ただ、それくらい下着の種類だけで人間を評価することに、僕は違和感があるのである。
トランクスを履く男性はモテないのか
トランクスについて調べようとすると、どうしても気になる言葉がある。
「モテない」
なぜだろう。
なぜ男性の下着の話になると、すぐにモテるかどうかという話が出てくるのだろう。
そもそも、下着でモテるモテないが決まるのか。
もちろん、女性にも下着の好みはあるだろう。
ボクサーパンツが好きな人もいれば、トランクスが好きな人もいるかもしれない。特にこだわりがない人だっているはずだ。
ただ、仮にトランクスを履いているという理由だけで恋愛対象から外されるのだとしたら、僕はこう思う。
そんな相手、こっちからお断りだ。
人柄でもない。
価値観でもない。
一緒にいて楽しいかどうかでもない。
パンツである。
たった一枚の布で、その人の魅力を判断するというのか。
しかも、普段はズボンの中に隠れている。
そんなところまで恋愛の審査対象になるのなら、もう何を履けばいいのかわからない。
もちろん、清潔感は大切だと思う。
洗濯していない下着や、傷みきった下着をどう感じるかという話なら理解できる。
しかし、清潔かどうかと、トランクスかボクサーパンツかは別の問題である。
トランクスを履いているから不潔というわけではない。
ボクサーパンツを履いているから清潔というわけでもない。
大切なのは、きちんと洗濯しているか、適切に取り替えているかといったことではないだろうか。
それなのに、なぜ下着の形だけでモテるかどうかを考えなければならないのだろう。
僕は不思議で仕方がない。
そして、またトランクス係長を思い出す。
青地に白い縦線。
彼がモテるかどうかなんて知らない。
そもそも、そんなことはどうでもいい。
パンツくらい、好きなものを履かせてやってくれ。
なぜ他人に見せない下着を恥ずかしいと思うのか
ここで、もう一つ疑問がある。
なぜ僕たちは、普段は他人に見せない下着にまで、周囲からの評価を気にするのだろう。
もちろん、下着を見せる場面がまったくないわけではない。
更衣室で着替えることもある。恋人や配偶者に見られることもあるだろう。
しかし、日常生活の大半では、下着はズボンの中に隠れている。
誰にも見えない。
それなのに、ダサいと思われるかもしれない。おじさんっぽいと思われるかもしれない。モテないかもしれない。
そんなことを気にしてしまう。
不思議な話である。
僕たちは、実際には誰にも見られていないときでさえ、頭の中に他人の視線を作り出しているのかもしれない。
誰かに見られたらどう思われるだろう。
そんな想像をしながら、下着を選んでいる。
もちろん、見えない部分までおしゃれを楽しむことは悪くない。
お気に入りの下着を履くことで気分が上がる人もいるだろう。
ただ、自分が好きだから選ぶことと、他人にダサいと思われたくないから選ぶことは、少し違う。
前者は自分の楽しみである。
後者は他人の評価を気にした選択である。
どちらも人間らしい心理だと思う。
しかし、後者ばかりになってしまうと、少し窮屈ではないだろうか。
洋服なら、まだわかる。
人前に出るのだから、周囲からどう見られるかを意識することもあるだろう。
しかし、下着である。
ズボンの中である。
そこまで他人の評価を持ち込まなければならないのか。
一体、どこまで他人の目を気にして生きればいいのだろう。
トランクスのメリットとは
ところで、トランクスにはどんなメリットがあるのだろう。
まず思い浮かぶのは、締め付けの少なさだ。
一般的なゆったりしたトランクスは、体に密着するボクサーパンツと比べて、脚の付け根や太もも周辺を締め付けにくい。
体にぴったりとした下着が苦手な人にとっては、快適に感じられるだろう。
次に、通気性。
ゆとりのある形状なので、空気が通りやすく感じられる場合がある。
ただし、実際の蒸れやすさは、生地の素材や厚さ、ズボンとの組み合わせなどによっても変わる。トランクスなら必ず涼しいと断言できるわけではない。
それでも、あのゆったりした形を見ると、涼しそうだと思ってしまう。
青地に白い縦線。
いかにも風通しがよさそうである。
そして、動きやすさ。
締め付けを嫌う人にとっては、ゆったりした履き心地が魅力になるかもしれない。
ワコールの調査でも、下着にこだわりがある男性が重視する点として、履き心地や肌触り、通気性などが挙げられていた。
考えてみれば、当然のことだと思う。
下着は毎日身につけるものだ。
長時間、肌に触れている。
それなら、見た目だけでなく、快適さを重視するのは合理的な判断ではないだろうか。
僕は、あの係長を思い出す。
夜勤を終えた50歳の男性。
青地に白い縦線のトランクス。
涼しそうだ。
快適そうだ。
もしかすると、彼は下着に求めるものを、すでに理解しているのかもしれない。
もちろん、本人が何を重視しているのかはわからない。
ただ、僕にはそう見えるのである。
トランクスのデメリットとは
一方、トランクスにもデメリットはある。
例えば、ズボンの中でもたつきやすいことだ。
ゆったりした形状なので、細身のズボンを履くと、生地が重なったり、位置がずれたりすることがある。
また、体へのフィット感が少ないため、運動するときには落ち着かないと感じる人もいるだろう。
走ったり、激しく動いたりするときには、ボクサーパンツの方が快適だという人もいるはずだ。
ただし、これも個人差がある。
トランクスにもさまざまな形があるし、ボクサーパンツにもゆったりしたものから密着するものまである。
つまり、どちらが優れていると簡単には決められない。
大切なのは、何を重視するかだ。
締め付けの少なさを選ぶのか。
フィット感を選ぶのか。
通気性を重視するのか。
デザインを楽しむのか。
人によって答えは違う。
それなのに、なぜトランクスというだけで古い、ダサいと判断されてしまうのだろう。
機能面で自分に合っているなら、十分に選ぶ理由になるはずだ。
下着はファッションであると同時に、毎日使う生活用品でもある。
見た目だけで価値を決めるのは、少しもったいないと思う。
そもそも下着まで流行に合わせる必要があるのか
僕は、ここが一番気になる。
なぜ下着まで流行に合わせなければならないのだろう。
洋服なら、流行を楽しむ気持ちはわかる。
新しい形の服を着たい。今までとは違う雰囲気を楽しみたい。
それはそれで楽しいことだと思う。
しかし、下着まで同じように考える必要があるのだろうか。
もちろん、下着のおしゃれを楽しみたい人は楽しめばいい。
それを否定するつもりはない。
ただ、流行しているからという理由だけで、自分に合わない下着を選ぶ必要はないと思う。
逆に、昔から履いているという理由だけで、気に入った下着を手放す必要もない。
トランクスが好きなら、トランクスを履けばいい。
ボクサーパンツが好きなら、ボクサーパンツを履けばいい。
それだけの話ではないだろうか。
それなのに、僕たちはいつの間にか、下着にまで年齢や流行のイメージを持ち込んでいる。
若い男性はボクサーパンツ。
中年男性はトランクス。
そんな単純な分類で、本当にいいのだろうか。
そもそも、年齢によって履いてはいけない下着があるわけではない。
50歳だからトランクスを履くべきだということもないし、20歳だからボクサーパンツを履くべきだということもない。
自分が快適だと思うものを選べばいい。
たったそれだけのことなのに、なぜこんなにも難しく考えてしまうのだろう。
僕はなぜトランクスを卒業したのか
ここで、自分自身のことを考えてみる。
僕も中学生くらいまでは、トランクスを履いていたような気がする。
少なくとも、昔の僕にとってトランクスは特別なものではなかった。
普通の下着だった。
それが、いつの間にかボクサーパンツに変わっていた。
なぜだろう。
思い返してみても、はっきりした理由が出てこない。
ボクサーパンツの方が格好いいと思ったのかもしれない。
周囲の友人が履いていたのかもしれない。
単純に、店で売られている商品を選んだだけかもしれない。
ただ、少なくとも僕は、トランクスを履かなくなった。
そして、いつの間にかトランクスをおじさんっぽいものとして認識するようになっていた。
不思議な話である。
昔は自分も履いていたのに。
一体、いつからそんなふうに考えるようになったのだろう。
もしかすると、僕は自分で選んでいるつもりで、周囲の流行やイメージに影響されていたのかもしれない。
もちろん、ボクサーパンツが悪いわけではない。
僕自身、今の下着に不満があるわけでもない。
ただ、トランクスを履かなくなった理由が思い出せないことが、少し気になるのである。
僕はいつの間にか、トランクスを卒業したつもりでいた。
しかし、そもそも卒業する必要なんてあったのだろうか。
卒業式があったわけでもない。
誰かから卒業証書を渡されたわけでもない。
ただ、気づけば履かなくなっていた。
それだけのことなのだ。
トランクス係長は、本当に何も気にしていないのか
ここまで考えて、僕は一つ気づいた。
僕は、あの係長のことを何も知らない。
いや、もちろん職場の人間としては知っている。
しかし、彼がなぜトランクスを選んでいるのかは知らない。
履き心地が好きなのかもしれない。
昔から履き慣れているだけかもしれない。
奥さんが買っているのかもしれない。
あるいは、青地に白い縦線という柄に、強いこだわりがあるのかもしれない。
本人に聞いたわけではないので、何もわからない。
それなのに、僕は勝手に彼を「何も気にしない自由な男」だと思い始めている。
これもまた、おかしな話である。
もしかすると、彼は下着の流行を誰よりも気にしているかもしれない。
あの青地に白い縦線こそが、彼なりのこだわりなのかもしれない。
朝、鏡の前で真剣に選んでいる可能性だってある。
今日は青か。
いや、白い縦線がいい。
……そんなことを考えているのだろうか。
知らない。
本当に何も知らない。
ただ、少なくとも僕には、彼が周囲の評価を気にしているようには見えなかった。
夜勤を終え、更衣室で淡々と着替える。
そこに、恥ずかしそうな様子はない。
当たり前だ。
ただ着替えているだけなのだから。
それなのに、僕は彼のトランクスを見て、こんなにも考えている。
一体、何をしているのだろう。
ダサいと感じていたのは、トランクスではなく年齢なのかもしれない
ここで、最初の疑問に戻ってみたい。
なぜトランクスを履いているだけで、おじさん扱いされるのだろう。
僕は、下着そのものの問題だけではないと思う。
トランクスを履いている人の年齢や、昔からのイメージが関係しているのではないだろうか。
例えば、50歳の男性がトランクスを履いている。
おじさんっぽい。
では、20歳の男性が同じトランクスを履いている。
それもおじさんっぽいのだろうか。
もし評価が変わるのなら、僕たちはトランクスではなく、その人の年齢を見ているのかもしれない。
そして、年齢に対する先入観を、下着に重ねているのかもしれない。
これは少し考えさせられる。
年齢を重ねることは、別に悪いことではない。
50歳になったからといって、好きなものを諦める必要はない。
それなのに、なぜ「おじさんっぽい」という言葉には、どこか否定的な響きがあるのだろう。
若く見えることがよい。
流行についていくことがよい。
そんな価値観が、いつの間にか当たり前になっているのかもしれない。
しかし、誰もが若く見られたいわけではない。
誰もが流行を追いかけたいわけでもない。
年齢を重ねても、自分に合うものを使い続ける。
それは決して悪いことではないはずだ。
むしろ、僕には少し格好よく思える。
他人の評価を気にしないことは、そんなに簡単ではない
僕は、トランクス係長が羨ましい。
少なくとも、そう感じた。
しかし、なぜ羨ましいのだろう。
たかが下着である。
しかも、僕は今のボクサーパンツに不満があるわけでもない。
それなのに、あの青地に白い縦線を見ると、妙に惹かれるものがある。
おそらく、僕が羨ましいのはトランクスそのものではない。
自分が快適だと思うものを、自然に選んでいるように見える姿なのだと思う。
僕たちは日常生活の中で、さまざまなことを気にしている。
この服は古くないだろうか。
この髪型は変ではないだろうか。
こんなものを使っていたら、どう思われるだろうか。
もちろん、他人の評価を気にすることがすべて悪いわけではない。
社会で生活している以上、周囲への配慮も必要だ。
ただ、必要以上に他人の目を気にしてしまうと、自分が何を好きなのかわからなくなることがある。
本当は好きなのに、ダサいと言われそうだから選ばない。
本当は快適なのに、古いと思われそうだから使わない。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分の選択肢が狭くなってしまう。
そして、ある日突然、気づく。
僕は一体、誰のためにこれを選んでいるのだろう。
下着の話から、ずいぶん大きなところまで来てしまった。
しかし、僕はこういう小さな日常の中にこそ、その人の価値観が表れることがあると思っている。
もちろん、トランクスを履いているだけで自由な人間だと決めつけることはできない。
ただ、あの係長の姿を見て、僕はそんなことを考えたのである。
トランクス係長は今日もトランクスを履いている
夜勤が終わる。
更衣室で着替える。
隣には、50歳の係長がいる。
青地に白い縦線のトランクス。
今日もトランクスだ。
僕は、以前ほど不思議に思わなくなった。
ワコールの調査を見れば、50代男性にとってトランクスは決して珍しいものではない。
機能面でも、締め付けの少なさやゆったりした履き心地を好む人には魅力がある。
そもそも、トランクスを履いているからダサいという根拠もない。
モテるかどうかなんて、なおさらわからない。
そして、そんなことで相手を判断する人がいたとしても、僕はあまり気にしたくない。
下着くらい、自分の好きなものを選べばいい。
そう考えると、僕が最初に抱いていた「トランクスはおじさんっぽい」という印象も、少し変わってきた。
彼は、ただトランクスを履いている。
それだけである。
何も特別なことはしていない。
しかし、その当たり前の姿が、今の僕には少し羨ましく見える。
僕は中学生くらいまでトランクスを履いていた。
それが、いつの間にかボクサーパンツに変わった。
なぜ変えたのか、今となってはよく覚えていない。
一方、彼は50歳になった今もトランクスを履いている。
もちろん、彼が昔からずっとトランクス派だったのかは知らない。
ただ、少なくとも今日の彼は、自分の選んだ下着を当たり前のように履いている。
涼しそうだ。
快適そうだ。
羨ましい。
何も気にしていないように見える、彼が。
僕はいつの間にかトランクスを卒業したつもりでいた。
しかし、そもそも卒業する必要なんてあったのだろうか。
もしかすると、時代遅れなのはトランクス係長ではなく、トランクスを時代遅れだと決めつけていた僕の方なのかもしれない。
そして今日も、彼は更衣室で着替えている。
青地に白い縦線。
僕は心の中で、そっとつぶやく。
トランクス係長。
今日も快適そうですね。
パンツくらい、好きなものを履けばいい。
ただ、それだけのことなのだ。
