大人になってから、人に誘われるときの言葉が、だいたい同じになった。
「今度、飲みに行こうや」
久しぶりに会った友人。
「また飲みに行こう」
職場で少し仲良くなった人。
「今度、飲みに行きません?」
昔の知り合いと偶然会っても、
「また飲もうや」
また酒である。
大人になると、人と会うことと酒を飲むことが、いつの間にかセットになる。
別に酒が嫌いなわけではない。
居酒屋も嫌いじゃない。
酒を飲みながら、くだらない話をするのが楽しいことだってある。
でも、僕はたまに思う。
大人の遊び、酒に頼りすぎじゃないか。
子どもの頃は、なんでも遊びだった
子どもの頃は、もっといろんな遊び方をしていた。
「公園行こう」
「ゲームしよう」
「チャリでどっか行こう」
「川行こう」
「ボール持ってこい」
そんな感じだった。
そもそも、何をするのかすら決まっていないことも多かった。
とりあえず集合する。
それから考える。
公園に行って、何をするでもなく喋る。
自転車に乗って、知らないところまで行く。
誰かの家に集まってゲームをする。
途中で飽きて、コンビニに行く。
公園で意味もなく石を蹴る。
それだけで一日が終わった。
何も得ていない。
何も成し遂げていない。
でも、
めちゃくちゃ遊んだ気がしていた。
今考えると、不思議だ。
遊ぶために理由なんて必要なかった。
「これをするために会おう」ではなく、
「会ってから何するか考えよう」
くらいだった。
たぶん、あの頃の僕たちは、遊ぶことがものすごく上手だった。
大人になると、とりあえず酒
それが大人になると、急に変わる。
久しぶりに会う。
飲みに行く。
職場の人と仲良くなる。
飲みに行く。
仕事が終わる。
飲みに行く。
歓迎する。
飲みに行く。
送別する。
飲みに行く。
お祝いする。
飲みに行く。
酒、万能すぎるだろ。
人間関係に何かあれば、とりあえず酒が登場する。
大人になった僕たちは、あんなにいろんな遊びを知っていたはずなのに、いつの間にか「飲みに行く」という一つの選択肢に集約されてしまった。
もちろん、飲みに行くのが楽しい人もいる。
それはそれでいい。
僕だって、酒を飲みながら喋る時間を否定するつもりはない。
ただ、
それしかなくなっていくのが、ちょっと寂しい。
子どもの頃よりお金はある。
行動範囲も広い。
電車にも一人で乗れる。
車を運転できる人もいる。
夜遅くまで外にいたって、誰にも怒られない。
行こうと思えば、かなり遠くまで行ける。
できることは圧倒的に増えた。
なのに、
遊び方は減ってないか。
「河原で石投げに行こや」
もし今、誰かから突然、
「河原で石投げに行こや」
と連絡が来たらどうするだろう。
僕はたぶん、
二つ返事でOKする。
最高じゃないか。
河原に行く。
平べったい石を探す。
水切りをする。
一回。
二回。
三回。
四回。
「今の五回いったやろ!」
「いや、四回や」
そんなことで揉める。
もっと跳ねそうな石を探す。
また投げる。
腕がちょっと疲れる。
飽きる。
帰る。
途中でアイスでも買う。
最高の休日じゃないか。
何も生まれない。
人脈も広がらない。
仕事にも役立たない。
資格も取れない。
自己成長もしない。
SNSに載せなくてもいい。
ただ河原へ行って、石を投げただけ。
でも、
遊びって、本来それでよかったはずだ。
大人になると、「遊ぼう」と言わなくなる
そういえば、大人になってから、
「遊ぼう」
という言葉をあまり使わなくなった。
「ご飯行こう」
「飲みに行こう」
「映画行こう」
「○○行こう」
何をするのかを決めてから誘うことが増えた。
「遊ぼう」だけだと、なんとなく子どもっぽく聞こえる。
でも、僕はこの言葉が結構好きだ。
遊ぼう。
何をするかは、あとで考えればいい。
三十歳を過ぎた大人が二人で公園に行ってもいい。
バドミントンをしてもいい。
ゲームセンターに行ってもいい。
知らない駅で降りてもいい。
意味もなく自転車で走ってもいい。
本屋を何軒も回ってもいい。
駄菓子屋で千円分のお菓子を買ってもいい。
河原で石を投げてもいい。
何なら、石を拾っただけで帰ってもいい。
誰にも怒られない。
僕たちはもう大人なのだから。
大人だからこそ、もっと自由に遊べるはずなのだ。
遊びに意味なんていらない
大人になると、何をするにも意味を求めるようになる。
勉強するなら、仕事に役立つもの。
本を読むなら、学びになるもの。
人と会うなら、人脈。
運動するなら、健康。
旅行するなら、経験。
何かを始めるなら、副業になるかもしれない。
もちろん、そういう時間も必要だと思う。
でも、全部に意味があったら疲れる。
遊びくらい、
何の役にも立たなくていい。
子どもの頃、公園で鬼ごっこをしながら、
「この経験は将来のキャリア形成に役立つだろうか」
なんて考えていなかった。
自転車で知らない道を走りながら、
「今日の経験を自己投資につなげよう」
とも思っていなかった。
ただ楽しかった。
だからやった。
それだけだった。
大人になった僕たちは、いろんなことを知った。
効率も知った。
コスパも知った。
タイパまで知った。
でも、その代わりに、
意味もなく遊ぶ方法を忘れてしまったのかもしれない。
飲みに行くのもいい。でも、それだけじゃ寂しい
飲みに行くのが悪いわけじゃない。
仕事終わりの一杯が好きな人もいる。
久しぶりに会った友人と酒を飲みながら、何時間も喋る。
それも立派な遊びだと思う。
ただ、
「久しぶりに会おう」
の次に来る言葉が、毎回、
「飲みに行こう」
なのは、やっぱり少し寂しい。
たまには、
「動物園行こや」
でもいい。
「知らん街歩こや」
でもいい。
「公園でキャッチボールしよや」
でもいい。
そして、
「河原で石投げに行こや」
でもいい。
むしろ、そんなことを真顔で誘ってくる人がいたら最高だ。
何歳になっても、しょうもないことで遊べる人。
大人になったからといって、大人っぽい遊びだけをする必要なんてない。
子どもの頃よりお金もある。
自由もある。
行ける場所も増えた。
だったら、もっと遊べるはずだ。
大人になった。
酒も飲めるようになった。
でも、遊び方まで酒一色になる必要はない。
大人になって、「飲みに行こう」ばかり。
それは、ちょっと悲しすぎるだろ。
だから誰か、
河原で石投げに行こや。
二つ返事で行くから。
