僕には、ゴルフの楽しさがわからない。
いきなりゴルフ好きの人を敵に回しそうなことを書いてしまった。
でも、嫌いなわけではない。
そもそも僕は、まともにゴルフをしたことがない。やったこともない人間が「ゴルフなんてつまらない」と言うのは違うと思う。
プロゴルファーなんて、本当にすごい。
あんなに小さなボールを、あんなに遠くに飛ばす。
しかも、ただ遠くへ飛ばせばいいわけではない。風を読み、地形を読み、距離を考え、クラブを選び、何十メートル、何百メートルも先にある狙った場所へボールを運んでいく。
僕が同じ場所から打ったら、おそらくボールより先に芝生が飛んでいく。
プロの試合を見れば、技術のすごさもわかる。
だから、ゴルフという競技そのものを否定したいわけではない。
ただ、一つだけずっと疑問がある。
ゴルフって、何がそんなに楽しいんだろう。
そして、もう一つ。
なぜ大人になると、みんな急にゴルフを始めるんだろう。
これがわからない。
大人になると、どこからともなくゴルフが現れる
子どもの頃、僕の周りにゴルフはほとんどなかった。
休み時間に、
「今日の放課後、ゴルフ行こうぜ」
と言っている小学生を見たことがない。
公園でサッカーをする。
野球をする。
バドミントンをする。
鬼ごっこをする。
ゲームをする。
そういう遊びはあった。
ところが大人になると、どこからともなくゴルフが現れる。
「今度ゴルフ行くねん」
「会社の人とゴルフ」
「最近ゴルフ始めた」
「打ちっぱなし行ってきた」
急にゴルフ人口が増える。
どこにいたんだ。
君たちは学生時代、一言もゴルフの話なんてしていなかったじゃないか。
それどころか、大人になると、
「ゴルフやらないの?」
と聞かれることまである。
やらない。
すると、
「え、やったことない?」
みたいな顔をされる。
なんで僕が珍しい側になっているんだ。
僕からすれば、
「え、バドミントンやってないの?」
と同じである。
別にやってなくてもいいだろう。
なのにゴルフには、ときどき妙な「大人なら一度くらいやってるよね」感がある。
さらに、
「一回やったらハマるって」
と言われることもある。
これも不思議だ。
なぜ僕は、まだゴルフの良さを知らない未熟者みたいになっているのか。
僕はまだ目覚めていないのか。
ゴルフ場の芝生の向こう側に、悟りでもあるのだろうか。
スポーツの楽しさなら、なんとなく想像できる
僕はスポーツが嫌いなわけではない。
むしろ、スポーツの楽しさはわかりやすいと思っている。
バドミントンなら、シャトルを打つ。
相手が打ち返す。
また打つ。
スマッシュが決まった。
気持ちいい。
わかる。
野球なら、ボールを打つ。
飛んだ。
走る。
わかる。
フットサルなら、ボールを蹴る。
パスがつながる。
シュートが入る。
わかる。
ボクシングもそうだ。
もちろん僕が本格的に殴り合いたいという話ではない。
でも競技の構造はものすごくわかりやすい。
3分動く。
休む。
また3分動く。
いい。
実にいい。
動く時間と休む時間が、はっきり分かれている。
水泳だってそうだ。
泳ぐ。
タイムを見る。
昨日より速かった。
うれしい。
ものすごく単純だ。
では、ゴルフはどうなんだろう。
打つ。
歩く。
待つ。
また打つ。
歩く。
待つ。
僕には、この「待つ」が気になる。
ものすごく気になる。
僕にはゴルフの待ち時間が長すぎる
もちろん、ゴルフ好きの人にとっては、その時間も含めて楽しいのだと思う。
景色を見る。
仲間と話す。
次の一打を考える。
風を読む。
コースを見る。
そういう時間もゴルフなのだろう。
それはわかる。
理屈としては。
でも僕は、おそらく待てない。
「まだ僕の番じゃないな」
と思った瞬間、本を開きたくなる。
3ページくらい読ませてほしい。
いや、5ページいけるかもしれない。
でも僕の番が来る。
しおりを挟む。
打つ。
また本を開く。
たぶんゴルフに向いていない。
僕は、何もしていない時間が嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
公園のベンチでぼーっとするのも好きだし、コインランドリーで洗濯物が回っているのを眺めながら本を読むのも好きだ。
余白は好きなのである。
だから最初は不思議だった。
そんな僕が、なぜゴルフの待ち時間には惹かれないのか。
考えてみて、少しわかった。
僕が好きなのは、自分で選べる余白なのだ。
ぼーっとしてもいい。
本を読んでもいい。
帰ってもいい。
コーヒーを飲んでもいい。
何もしなくてもいい。
それが余白だ。
でも、ゴルフの待ち時間は、僕にとっては少し違う。
そこにいなければならない。
次の順番が来る。
勝手に帰れない。
完全に別のことを始めるわけにもいかない。
これは僕にとって、余白ではない。
待機だ。
この感じ、何かに似ていると思った。
飲み会だ。
飲み会にも、何もしていない時間はある。
誰かが話している。
僕は聞いている。
料理が来るのを待っている。
会話が途切れる。
でも、その時間を好きに使えるわけではない。
急に文庫本を取り出して読み始めたら、
「黒川、どうした?」
となる。
いや、暇だったので。
とは言えない。
時間は空いている。
でも、僕の時間ではない。
あの感じだ。
僕は余白が嫌いなんじゃない。
拘束された余白が苦手なのだ。
それならバドミントンでよくないか
そんなことを考えていると、僕の中に一つの疑問が生まれる。
それなら、バドミントンでよくないか。
二人でもできる。
四人でもできる。
運動になる。
道具も比較的少ない。
公園でもできる。
疲れたら休める。
やめたくなったらやめられる。
そして何より、シャトルを打っている間はずっと楽しい。
なぜ大人は、
「今度の日曜、ゴルフ行かない?」
とは言うのに、
「今度の日曜、公園でバドミントンしない?」
とは、あまり言わないのだろう。
僕にはバドミントンを誘ってくれ。
そのほうがうれしい。
さらに言えば、水泳でもいい。
「今度の日曜、50メートル自由形のタイム測りに行かない?」
こんな誘いをしてくる社会人は、なかなかいない。
でも、よく考えたら面白そうではないか。
朝9時、市民プール集合。
全員ゴーグル着用。
「今日は取引先の部長も来るからな。失礼のない泳ぎをしろよ」
どういうことだ。
部長が泳ぎ終わる。
「ナイススイムです!」
拍手。
「部長、今日フォームきれいですね!」
接待水泳である。
なぜこれは変なのに、接待ゴルフは成立するのだろう。
スポーツをしに来たはずなのに、仕事がついてきている。
ここが僕にはどうにも不思議なのだ。
なぜスポーツをしながら上司を接待するのか
「会社の付き合いでゴルフ」
この言葉も、よく考えるとかなり変だ。
休みの日である。
スポーツをする。
そこに上司がいる。
取引先がいる。
気を遣う。
ナイスショットと言う。
仕事の話もする。
それは休みなのだろうか。
僕ならスポーツをするときくらい、上司の機嫌を考えたくない。
バドミントンをしている最中に、
「今のスマッシュ、部長に打ち返していいのかな」
とか考えたくない。
スポーツくらい全力でやらせてくれ。
そもそもゴルフは、基本的には自分のスコアを競う個人競技だ。
なのに、なぜあれほど「みんなで行く」がセットになっているのだろう。
一人で自分と戦う競技なのに、社会性がものすごい。
不思議なスポーツである。
もちろん、一緒に回るからこそ楽しいのだろう。
同じ景色を見て、同じコースを進み、お互いのショットを見て、話をする。
競技は個人でも、体験は共有する。
たぶん、そこにゴルフ独特の魅力がある。
ただ僕は、その「長時間の共有」をそれほど求めていないのかもしれない。
ゴルフには、ゴルフ以外のものがたくさん乗っている
そして僕がゴルフを見ていて一番不思議に思うのは、ここだ。
ゴルフには、競技以外のものがたくさん乗っているように見える。
仕事。
人脈。
社交。
接待。
ステータス。
道具。
ファッション。
大人の趣味。
休日の過ごし方。
場合によっては、異性との出会い。
いろいろある。
ゴルフクラブも高いものがある。
ウェアにもブランドがある。
ゴルフ場へ行く。
写真を撮る。
Instagramに載せる。
これがまた、ものすごく絵になる。
緑の芝生。
青い空。
きれいなウェア。
ゴルフクラブ。
カート。
仲間。
一枚の写真に、いろんなものが入る。
「休日を楽しんでいます」
「運動しています」
「人と交流しています」
「ちゃんとした趣味があります」
「ちょっと余裕があります」
そんな雰囲気が、一枚で出る。
ゴルフは、SNS上でかなり強い記号なのだと思う。
たとえば僕が市民プールで50メートル自由形を泳いだあと、水泳帽とゴーグル姿で写真を撮る。
「今日は仲間と充実した休日」
難しい。
どう頑張っても、地域の水泳大会感が出る。
公園でバドミントンをしている写真も楽しそうではある。
でも「大人のライフスタイル」という雰囲気は、ゴルフほど簡単には乗らない。
ゴルフはすごい。
競技をしているだけなのに、その人の生活まで華やかに見える。
「ゴルフをしている自分」にも価値があるのかもしれない
ここまで考えると、ゴルフには二つの楽しさがあるのではないかと思えてくる。
一つは、純粋にゴルフをする楽しさ。
ボールを打つ。
狙ったところへ飛ぶ。
スコアが縮まる。
難しいコースを攻略する。
練習した成果が出る。
これはスポーツとしての楽しさだ。
もう一つは、
「ゴルフをしている自分」を楽しむこと。
ゴルフ仲間がいる。
休日にコースへ行く。
お気に入りのウェアを着る。
クラブを選ぶ。
写真を撮る。
仕事の人と交流する。
新しい人と知り合う。
それらも含めて、ゴルフというライフスタイルを楽しむ。
たぶん、これもあるのだと思う。
そして別に、それ自体は悪いことではない。
服だってそうだ。
車だってそうだ。
読書だって、もしかするとそうだ。
本を読むことそのものが好きな人もいれば、本屋へ行く時間や、本棚を作ることや、読んだ本について誰かと話すことまで含めて好きな人もいる。
趣味というものは、行為だけで完結するとは限らない。
周辺にあるものまで含めて趣味なのだ。
そう考えれば、ゴルフだけがおかしいわけではない。
ただ、僕にはゴルフの場合、その周辺部分があまりにも大きく見える。
だから気になるのだ。
全部剥がしても、ゴルフが好きですか
もし、人脈が増えなくても。
仕事に役立たなくても。
上司との付き合いにならなくても。
SNSに載せなくても。
誰にも「趣味はゴルフです」と言えなくても。
高いクラブを見せられなくても。
おしゃれなウェアを着なくても。
出会いがなくても。
それでも、
ただボールを打って、小さな穴に入れることが楽しい。
そう言う人がいたら。
僕は、その人が大好きだ。
もう、めちゃくちゃリスペクトする。
「なんでゴルフやってるんですか?」
「球打って穴に入れるのが楽しいから」
最高じゃないか。
それでいい。
いや、それがいい。
20年やっていても、
「いやあ、今日も球打つの楽しかったわ」
と言って帰ってくる。
なんて純粋なんだ。
僕がバドミントンでシャトルを打って、
「今のスマッシュ気持ちよかった」
と思うのと同じだ。
そこには説明なんていらない。
楽しいからやる。
ただ、それだけ。
趣味なんて、本来それでいいのかもしれない。
「自然の中でやるのが気持ちいい」と言われると、まだ疑ってしまう
一方で、
「ゴルフは自然の中でやるから気持ちいいんだよ」
と言われると、僕は少しだけ疑ってしまう。
本当にそれだけか。
自然が好きなら、ハイキングでもいい。
球を打つのが好きなら、打ちっぱなしでもいい。
歩きたいなら、散歩でもいい。
友達と話したいなら、カフェでもいい。
僕が知りたいのは、
ゴルフでなければ得られない快感は何なのか。
もちろん、これら全部が合わさっているからゴルフなのだろう。
自然の中を歩きながら、仲間と話し、技術を競い、戦略を考え、うまく打てた瞬間の快感を味わう。
一つずつ分解したら他の遊びでも代用できる。
でも、その組み合わせはゴルフにしかない。
たぶん、それが答えなのだと思う。
それでも僕は、少し疑う。
まだ何か隠していないか。
「女の子と出会えるから」くらい言ってくれたほうが気持ちいい
もし誰かが、
「俺、ゴルフ行くで。女の子と出会えるし」
と言ったら、僕はむしろ好きだ。
潔い。
いいじゃないか。
行ってこい。
楽しんでこい。
「取引先と仲良くなれるからやってる」
これもわかる。
「ゴルフウェア着るのが好き」
いい。
「Instagramに載せたら華やかに見える」
それもいい。
「高いクラブ集めるのが楽しい」
最高じゃないか。
別に、趣味の動機が純粋である必要なんてない。
僕だって本を読む理由は一つではない。
物語を楽しみたい。
知らない人生を覗きたい。
文章を学びたい。
Instagramで紹介したい。
ブログに感想を書きたい。
自分の小説にも生かしたい。
いろんな理由が混ざっている。
だからゴルフだって、いろんな理由でやればいい。
僕が妙に引っかかるのは、そこにいろいろ乗っているように見えるのに、
「いや、自然の中で打つのが気持ちいいんだよ」
だけで終わるときなのだ。
僕は心の中で思ってしまう。
本当に?
人脈、一ミリもない?
ウェア、一ミリもない?
「ゴルフやってます」という感じ、一ミリもない?
僕が勝手に疑っているだけかもしれない。
本当に純粋に自然とゴルフが好きな人も、もちろんいる。
でも、いろいろあるなら、いろいろあると言ってくれたほうが僕は好きだ。
人間の趣味なんて、そんなにきれいに一つの理由でできていない。
ゴルフでカモフラージュされた何か
そう考えているうちに、変な言葉が頭に浮かんだ。
ゴルフでカモフラージュされた何か。
僕がずっと気になっていたのは、これなのかもしれない。
人とつながりたい。
仲間がほしい。
仕事を円滑にしたい。
ちょっといい暮らしをしているように見られたい。
おしゃれしたい。
休日を充実させたい。
異性と出会いたい。
何かに所属したい。
大人らしい趣味がほしい。
そういう人間の欲求を全部まとめて、
「ゴルフ行ってきます」
という一言にできる。
これは、考えてみるとかなり便利だ。
「人脈を広げつつ運動して、おしゃれもして、休日が充実している感じも味わいたいんです」
と言うと、ちょっと長い。
「ゴルフ行ってきます」
四文字で済む。
ゴルフ、強い。
だから、もしかするとゴルフの人気を「競技として面白いから」だけで考えること自体が間違っているのかもしれない。
ゴルフはスポーツであり、社交であり、趣味であり、ファッションであり、コミュニケーションであり、場合によっては仕事でもある。
一つの行為に、いろんな役割を持たせられる。
それが大人にとって便利なのかもしれない。
だから大人になるとゴルフを始めるのか
ここで最初の疑問に戻る。
なぜ、大人になるとゴルフを始める人が増えるのだろう。
少しだけわかった気がする。
大人は忙しい。
仕事もある。
人付き合いもある。
運動もしなければならない。
趣味もほしい。
人脈も必要になることがある。
休日も楽しみたい。
全部を別々にやるのは大変だ。
ところがゴルフなら、一日にいろいろ詰め込める。
運動する。
外へ出る。
人と話す。
仕事の付き合いもできる。
趣味にもなる。
道具を集められる。
ファッションも楽しめる。
食事もする。
写真も撮れる。
なるほど。
そう考えると、かなり合理的である。
僕はずっと、
「なんでわざわざ一日かけて球を打つんだ」
と思っていた。
逆なのかもしれない。
一日かけるからこそ、いろんなものをそこに詰め込める。
僕には退屈に見えていた長さそのものが、ゴルフ好きには魅力なのかもしれない。
それでも僕は、50メートル自由形を推したい
ここまで考えて、ゴルフが大人に選ばれる理由は少しわかってきた。
それでも僕は思う。
たまには水泳でもよくないか。
「明日、朝からゴルフなんだ」
ではなく、
「明日、朝から50メートル自由形なんだ」
そんな大人がいてもいい。
「最近どう?」
「0.7秒縮んだ」
かっこいい。
ものすごくわかりやすい。
上司とのコミュニケーションも水泳でやればいい。
「部長、最近タイムどうですか?」
「いやあ、歳には勝てんよ」
「そんなことないですよ。ターン、めちゃくちゃ鋭かったです」
接待水泳。
流行らないだろうか。
流行らないだろうな。
では、バドミントンはどうだ。
取引先と公園へ行く。
「今日はよろしくお願いします」
名刺交換。
サンドイッチを食べる。
シャトルを打つ。
疲れたら芝生に寝転ぶ。
これはこれで、かなり平和である。
なのに僕たちは、それを「大人の付き合い」とは呼ばない。
ここには、競技そのものとは別の、社会的な約束事があるのだと思う。
もし全員がサンドイッチとバドミントンを始めたら
もし明日から、日本中の会社員が突然、
「仕事のできる人はサンドイッチとバドミントンだ」
と言い始めたらどうなるだろう。
休日になると、公園が会社員で埋まる。
スポーツ用品店には高級ラケットが並ぶ。
一本18万円。
「やっぱりできる営業マンはラケットにもこだわる」
雑誌に書かれる。
サンドイッチにも格が生まれる。
「取引先とのサンバドだから、失礼のないサンドイッチを選べ」
知らんがな。
Instagramには芝生の上に置かれた高級サンドイッチとラケット。
ハッシュタグは、
「#大人の休日」
「#サンバド」
「#経営者と繋がりたい」
最悪である。
そして数年後には、
「え、サンバドやったことないの?」
と言われる。
僕はまた、
なんで俺が珍しい側になってんねん。
と思うのだろう。
でも、こう考えると面白い。
僕たちが「大人なら普通」と思っている趣味の中には、単純にそれが社会の中で普通になったから普通に見えているものもあるのかもしれない。
ゴルフが悪いわけではない。
ただ、たくさんの人がやっているから、次の人も始めやすい。
会社の人がやっている。
友達がやっている。
誘われる。
道具を買う。
始める。
今度は自分が誰かを誘う。
そうやって文化になる。
趣味は個人の「好き」だけで生まれるとは限らない。
人は周りの人が楽しんでいるものを楽しむ。
それも、ごく自然なことなのだと思う。
そしてゴルフ場で突然、空を切る人たち
あと、ゴルフをする人には一つだけ聞きたいことがある。
なぜ突然、何も持っていないのにスイングするのだ。
街中でもたまにいる。
立ち止まる。
少し腰を落とす。
そして、
ブン。
何もない。
クラブがない。
ボールもない。
芝もない。
穴もない。
でも本人には、何かが見えている。
たぶん風も読んでいる。
僕には見えない18番ホールが、そこにある。
あれを見るたびに、
本当に好きなんだな。
と思う。
むしろ、あの人こそ信用できる。
クラブがなくても振っている。
誰も見ていなくても振っている。
Instagramにも載せられない。
人脈も増えない。
それでも振る。
純度100パーセントのゴルフだ。
僕はあの人たちを、少し尊敬している。
もしかすると僕もゴルフが嫌いなわけではない
ここまで散々ゴルフについて考えてきたが、一つ困ったことがある。
僕はゲームのゴルフなら、普通に楽しめる気がする。
『みんなのGOLF』とか。
家でやる。
誰にも気を遣わない。
待ち時間もほとんどない。
暑くない。
日焼けしない。
上司もいない。
取引先もいない。
ウェアもいらない。
高いクラブもいらない。
ボタンを押す。
ナイスショット。
楽しい。
ゴルフしとるやないか。
そう考えると、僕が引っかかっていたのは、ゴルフという競技そのものではないのかもしれない。
ボールを狙ったところへ飛ばす。
少ない打数で穴に入れる。
コースを攻略する。
ゲームとして考えれば、かなりよくできている。
僕が苦手なのは、その周りにあるものなのだ。
長い拘束時間。
仕事の付き合い。
「大人ならやるよね」という空気。
ステータス。
社交。
そして、ときどき漂う「まだゴルフの良さを知らないんだね」という感じ。
そこを全部外せば、
あれ。
ゴルフ、ちょっと面白そうじゃないか。
悔しい。
「一回やったらハマる」と言わないでほしい
だから、ゴルフ好きの人には何も言うことはない。
好きなら、好きなだけやればいい。
毎週行けばいい。
クラブも買えばいい。
ウェアも楽しめばいい。
Instagramにも載せればいい。
人脈を作ってもいい。
出会いを求めてもいい。
自然を楽しんでもいい。
空中で何回でもスイングしていい。
好きなように楽しんでほしい。
ただ、一つだけお願いがある。
僕に、
「一回やったらハマるって」
と言わないでほしい。
わからない。
ハマるかもしれない。
本当にハマって、半年後には僕が空中でスイングしている可能性もある。
でも、ハマらないかもしれない。
それでいい。
人の楽しいは、人によって違う。
ゴルフをしない人は、まだゴルフの楽しさを知らない人ではない。
別の楽しさを知っている人かもしれない。
自分の「楽しい」を他人に押しつけない
これはゴルフに限った話ではない。
「旅行しないの? 人生損してるよ」
「お酒飲めないの? もったいない」
「結婚しないの?」
「友達と遊ばないの?」
「ライブ行かないの?」
「一人でご飯食べるの寂しくない?」
世の中には、ときどき自分の楽しいを、そのまま他人の楽しいにしようとする人がいる。
たぶん悪気はない。
自分が本当に楽しかったから、相手にも味わってほしいのだろう。
その気持ちはわかる。
僕だって、ものすごく面白い本を読んだら誰かにすすめたくなる。
でも、
「これを楽しいと思わないなんて、おかしい」
まで行くと違う。
僕は自分の価値観を他人に押しつけたくない。
だから、ゴルフが好きな人に、
「バドミントンのほうが絶対楽しいって」
とは言わない。
ゴルフへ行ってください。
朝早く起きてください。
芝生を歩いてください。
球を打ってください。
ナイスショットしてください。
Instagramにも載せてください。
僕は家にいます。
それでいい。
ゴルフの楽しさを考えていたら、自分の休日が見えてきた
不思議なものである。
「ゴルフって何が楽しいんだろう」
と考えていたはずなのに、最後には自分が何を楽しいと思うのかを考えていた。
僕はたぶん、予定でぎっしり埋まった休日が好きではない。
朝から集合して、一日同じメンバーで行動して、終わる時間まで決まっている。
それだけで少し疲れる。
僕は、途中で変えられる休日が好きだ。
楽しかったら続ける。
疲れたら休む。
本を読みたくなったら読む。
帰りたくなったら帰る。
話したくなったら話す。
黙りたくなったら黙る。
何かをする時間より、いつでもやめられることが大事なのかもしれない。
だから僕にとって理想の休日は、ものすごく単純だ。
サンドイッチを買う。
公園へ行く。
バドミントンをする。
疲れる。
芝生に寝転ぶ。
本を読む。
お腹が空いたらサンドイッチを食べる。
またやりたくなったら、バドミントンをする。
話したくなったら、話す。
帰りたくなったら、帰る。
よく考えると、これだけでいろいろ入っている。
運動。
自然。
食事。
読書。
休息。
交流。
全部ある。
別に立派な趣味でなくてもいい。
「大人の嗜み」と呼ばれなくてもいい。
Instagramで華やかに見えなくてもいい。
仕事につながらなくてもいい。
人脈が増えなくてもいい。
何者にも見えなくていい。
ただ、自分が楽しかったらいい。
ゴルフって何が楽しいんだろう
結局、僕にはまだゴルフの本当の楽しさはわからない。
実際にコースを回れば、わかるのかもしれない。
ものすごく気持ちのいいショットを一度打ったら、全部ひっくり返るのかもしれない。
翌週にはクラブを買っているかもしれない。
そして一年後、
街中で突然、
ブン。
とエアスイングしているかもしれない。
そのときは笑ってほしい。
でも今のところ、僕にはまだわからない。
ただ、今回いろいろ考えて、一つだけわかったことがある。
ゴルフを心の底から楽しんでいる人は、やっぱりいい。
人脈でもない。
仕事でもない。
ステータスでもない。
SNSでもない。
「ただ、ゴルフが好きだからやっている」
そう言われたら、僕には理解できなくても、その「好き」はわかる。
僕にも、他人にはよくわからない「好き」がたくさんあるからだ。
だから、ゴルフ好きの人はゴルフへ行けばいい。
僕を誘わなくても大丈夫だ。
僕には僕の休日がある。
サンドイッチを持って、公園へ行く。
バドミントンをする。
疲れたら芝生に寝転んで、本を読む。
話したくなったら、話す。
何もしなくなったら、空を見る。
僕には、それがちょうどいい。
