新井素子さんの『くますけと一緒に』を読んだ。
怖くはない。
少なくとも僕は、この小説を読んで「怖い」とはあまり思わなかった。
それなのに、最初から最後まで、ずっとなんとなく不気味だった。
ものすごく恐ろしいものが出てくるわけでもない。残酷な描写が延々と続くわけでもない。文章だって軽い。むしろ、かわいらしい。
小学四年生の女の子の頭の中を、そのまま覗いているような文章で物語は進んでいく。
なのに、どこかがおかしい。
ページの端っこに、ずっと黒いものがいるような感じがする。
そして読み終わってみると、この小説がかなり好きになっていた。
ぬいぐるみの話であり、少女の話であり、家族の話でもある。
でも僕が一番考えたのは、
「普通って、誰が決めるんだろう」
ということだった。
くますけを手放せない。それだけで「不健全」なのか
主人公の成美ちゃんは小学四年生。
二歳のころから、熊のぬいぐるみ「くますけ」とずっと一緒にいる。
家の中だけではない。
学校にも連れていく。
どこへ行くにも、くますけと一緒。
十歳になってもぬいぐるみを手放せない。人間の友達をうまく作れない。そして、ぬいぐるみが生きていると信じている。
そんな成美ちゃんは、周囲から「普通ではない」子として見られている。
でも僕は読んでいて、ずっと引っかかっていた。
それって、そんなに悪いことなんだろうか。
作中には、こんな言葉がある。
「一般じゃないからって、それがどうして『不健全』なの? どうして成美ちゃんが『まともではない子』なの?」
(p23より引用)
僕はここが、この小説のかなり大きなテーマだと思った。
もちろん、十歳になっても学校にぬいぐるみを持っていく子は、多数派ではないだろう。
でも、
「珍しい」と「悪い」は同じではない。
「一般的ではない」と「不健全」も同じではない。
さらに作品では、
「多数決で決める訳ね。つまり、ぬいぐるみが生きているって信じる人が、人口の半分を越えたら、あなたは精神異常者な訳ね。」
(p24より引用)
とまで言う。
かなり鋭い。
多くの人がやっているから普通。
あまり誰もやっていないから変。
でも、それは多数派か少数派かを表しているだけで、その人が幸せなのか、不幸なのか、健全なのか、不健全なのかまでは決められない。
それなのに僕たちは、多数派から少し外れた人を見ると、その違いに名前をつけたくなる。
変わっている。
おかしい。
普通じゃない。
でも、成美ちゃんにはくますけが必要だった。
まずはそれだけのことなんじゃないかと思った。
大人だって、何かに安心を求めている
そもそも、人間はそんなに何にも頼らず生きているんだろうか。
大人だって、お酒だったり、煙草だったり、スマホだったり、誰かとの連絡だったり。
お気に入りの服かもしれない。
毎朝必ず飲むコーヒーかもしれない。
決まった場所、決まった習慣、いつも持ち歩いている何かかもしれない。
人それぞれ、安心するためのものを持っている。
もちろん、依存の程度によっては問題になるものもある。
でも、「何かがそばにあると安心する」ということ自体は、そんなに特別なことではないと思う。
それなのに、子どもがぬいぐるみに安心を求めると、
「もう大きいんだから」
「そろそろ卒業しなさい」
「いつまでそんなものを持っているの」
と言われる。
なんだか変な話だなと思った。
ぬいぐるみだから幼い。
大人になったら手放す。
そのルールは、いったい誰が決めたんだろう。
そして『くますけと一緒に』を読んでいると、成美ちゃんがくますけを必要としていることには、もっと切実な理由があることが見えてくる。
成美ちゃんは、決して幼い子ではない
成美ちゃんを「ぬいぐるみを手放せない小学四年生」とだけ説明すると、幼い女の子を想像するかもしれない。
でも、僕はむしろ逆に感じた。
成美ちゃんは、かなり賢い。
周囲の人をよく見ている。
自分が他人からどう思われているのかもわかっている。
大人が言っていることの矛盾にも気づく。
そして、ときどき妙に冷静だ。
作中には、
「人間って、凄いよね、自分に対してだって、嘘がつけちゃうんだから。」
(p35より引用)
という言葉も出てくる。
小学四年生が考えていることとして読むと、かなり鋭い。
学校生活についても、
「『理不尽』って言葉を、学校生活であたしは充分学び そして、世の中には、嫌って程、理不尽が満ち溢れているのだ。」
(p34より引用)
と考えている。
なんだか、十歳にしては世界を知りすぎている。
子どもだから何も知らないのではない。
知っている。
見えている。
傷ついている。
そのうえで、くますけを抱いている。
だから僕には、成美ちゃんが単純に「精神的に幼いから、ぬいぐるみを手放せない」ようには見えなかった。
むしろ周囲をよく見てしまう子だからこそ、くますけが必要だったように思う。
成美ちゃんは、両親に甘えることができなかった
この物語で避けて通れないのが、成美ちゃんと両親の関係だ。
成美ちゃんの家庭は、温かい家庭として描かれていない。
両親は仲が悪い。
そして成美ちゃんは、両親に思いきり甘えることができない。
子どもなのに、親に気を遣っている。
本来なら子どもは、家の中くらい何も考えずに甘えてもいいはずだ。
怖ければ助けを求めて、寂しければ抱きつく。
少なくとも、そういうことが許される場所の一つが家庭なんだと思う。
でも成美ちゃんにとって、家は完全に安心できる場所ではなかった。
親の機嫌を見る。
夫婦の関係を見る。
自分がどう振る舞えばいいのかを考える。
子どもなのに、子どもでいることができない。
そのことについて、裕子さんはこう語る。
「父親と母親に思いっきり甘えられなかった子供が、生まれた時から父親と母親に気を遣いっぱなしだった子供が、ぬいぐるみを親のかわりにしたって、誰も文句なんか言えないと思うのよ。」
(p134より引用)
この言葉を読んだとき、くますけの見え方がかなり変わった。
くますけは、単なるお気に入りのぬいぐるみではない。
成美ちゃんにとって、安心して甘えることのできる存在だったんだと思う。
親の顔色を見る必要がない。
機嫌をうかがう必要もない。
喧嘩もしない。
突然嫌いになったりもしない。
成美ちゃん自身も、
「こういう時、あたしの心を落ち着けてくれるのは、くますけだけ。」
(p70より引用)
と語っている。
「くますけだけ」。
この言葉は重い。
本来なら、十歳の子どもにとって「心を落ち着けてくれる存在」の中に、親がいてもおかしくない。
でも成美ちゃんには、それがくますけだった。
だから、「ぬいぐるみを手放しなさい」と言われても簡単に手放せるはずがない。
成美ちゃんにとっては、ただの物ではないからだ。
「親なんだから好き」が当たり前なのか
この小説を読んでいて、僕が特に考えたのがこれだった。
子どもは、親を好きでなければいけないのだろうか。
親子については、不思議なくらい「こうあるべき」が多い。
親は子どもを愛するもの。
子どもは親を慕うもの。
家族は大切にするもの。
もちろん、そういう家族は素敵だと思う。
でも、すべての親子がそうなるとは限らない。
人間同士なんだから、合わないことだってある。
親に傷つけられる子どもだっている。
親を怖いと思う子どももいる。
嫌いになることだってある。
それなのに「親」という名前がついた途端、その感情まで禁止されるようなところがある。
作中では、
「夫婦は、まだ、他人なのよね。他人だから、いつでも好きな時に、『離婚』して、また、他人に戻ることができる。けど、親子は、親子だ。たとえ本人がどんなに嫌だって、親子は、いつまでたっても、親子なんだ。」
(p142より引用)
と語られる。
これは結構怖い。
夫婦には、少なくとも関係を終わらせる制度がある。
でも親子は、嫌だからといって親子ではなくなることはできない。
そして子どもの側は、親を選べない。
成美ちゃんが抱えている苦しさは、そこにもあるように感じた。
親よりぬいぐるみを大切にしたら「罪」なのか
成美ちゃんには、かなり強烈な言葉が向けられる。
「成美。子供っていうのは、親のことを慕うものだ。親よりぬいぐるみの方が大事だなんて、これはおまえ、子供が犯せる、ほぼ最大の罪、だぞ。」
(p153より引用)
「最大の罪」。
すごい言葉だと思う。
でも、本当にそうなんだろうか。
成美ちゃんからすれば、
「実の親より、ぬいぐるみにすぎないくますけの方が、あたしのことを大事にしてくれるんだもの、あたしがくますけを大事にしたっていいじゃない。」
(p146より引用)
となる。
僕は、こちらの方がずっと自然に感じた。
「親だから」という理由だけで、子どもから無条件に愛される権利が発生するんだろうか。
親よりも自分を大切にしてくれる存在がいる。
その存在を大切にする。
それの何がいけないんだろう。
血がつながっているから。
親だから。
家族だから。
そういう肩書きだけで、人間の気持ちまで決めることはできない。
成美ちゃんは「親よりぬいぐるみを選んだ悪い子」なのではなく、自分を安心させてくれる存在を選んだだけなのかもしれない。
嫌いだった親が死んだら、どう悲しめばいいのだろう
さらに、この物語を複雑にしているのが、両親の死だ。
成美ちゃんは、両親のことが好きではなかった。
一緒にいることが苦しかった。
そして、いなくなってほしいと思ったことさえある。
その相手が、本当に死んでしまう。
これは相当きついと思う。
大好きな人が死んだのなら、
悲しい。
会いたい。
戻ってきてほしい。
そういう感情は理解しやすい。
でも、嫌いだった人が死んだらどうすればいいんだろう。
嫌いだった。
でも、死んでほしかったわけではない。
いなくなってほしいと思った。
でも、本当にいなくなると苦しい。
悲しい。
でも「大好きだった」とは言えない。
ほっとする気持ちが少しでもあったら、自分は酷い人間なんじゃないかと思ってしまうかもしれない。
まして成美ちゃんは、まだ十歳だ。
自分の中にある矛盾した感情を、きれいに整理できるはずもない。
人が亡くなると、その人に対して抱いていた悪い感情まで、急に許されなくなるようなところがある。
生きているときには腹が立った。
嫌いだった。
傷つけられた。
でも死んだ途端、「本当は大切な人だった」と思わなければいけないような気がする。
成美ちゃんの苦しさは、両親が死んだことだけではない。
嫌いだった両親が死んでしまったこと。
そこにあるんじゃないかと思った。
「死んでしまえばいい」と思った自分から逃げられない
さらに成美ちゃんには、もう一つ苦しみがある。
嫌いな相手に「死んでしまえばいい」と思ったあと、その相手に事故が起こる。
そして両親も死ぬ。
そこで、
もしかして、くますけがやったんじゃないか。
自分がそう願ったから、くますけが実現したんじゃないか。
という疑いが生まれる。
でも、本当に怖いのは、
もしそうなら、自分にも責任があるんじゃないか
と思ってしまうことだと思う。
人間なら、腹が立った瞬間に「もう知らん」「いなくなればいい」くらい思うことはある。
普通なら、その感情は感情のまま終わる。
でも、その直後に本当に相手が死んでしまったら。
たとえ自分が何もしていなくても、
「あんなことを思ったからではないか」
と考えてしまうかもしれない。
頭では関係ないとわかっていても、心が納得しない。
だから、くますけが本当に何かをしたのかどうかだけが問題ではない。
成美ちゃん自身が、
「自分が願ってしまった」
という事実から逃げられない。
そこが怖かった。
自分の心からは逃げられない
物語の後半には、こんな言葉がある。
「逃げている人間の目には、普段は全然何でもない景色も、特別怖いものに見えてしまう。」
(p203より引用)
怖いものがあるから景色が怖いのではない。
自分が怖がっているから、何でもない景色まで怖く見える。
人間って、心の状態によって同じ景色がまったく違って見える。
楽しい日に歩く夜道と、不安な日に歩く夜道は違う。
何も起きていなくても、自分の中に恐怖があれば、世界全体が怖くなる。
そして、さらにこんな言葉が続く。
「自分の心から無事に逃げおおせる人間など、いくら世界が広くとも、存在する筈がないではないか。」
(p205より引用)
僕は、この一文がこの小説の怖さをかなり表していると思った。
くますけから逃げればいい。
家から逃げればいい。
怖い場所から離れればいい。
普通のホラーなら、それで助かる可能性がある。
でも、自分の心からは逃げられない。
両親を嫌っていたこと。
死んでほしいと思ってしまったこと。
自分のせいだったんじゃないかという罪悪感。
それは、どこまで走ってもついてくる。
だからこの小説は、怖い怪物が追いかけてくる話ではないのに不気味なんだと思う。
一番逃げられないものが、自分の中にある。
それでも、両親を単純な悪者にはできない
ただ、この作品が面白いのは、
「全部親が悪かった」
という簡単な結論にはしていないところだと思う。
作中には、
「そりゃ、確かに、いい夫婦じゃなかったさ、俺達は。けれど……子供に何かあると、それはすべて、親のせいなのか?」
(p221より引用)
という問いも出てくる。
これもまた、簡単には答えられない。
子どもの問題は、全部親の責任なのか。
もちろん、そんな単純な話ではないと思う。
親も一人の人間だ。
間違える。
余裕がないこともある。
夫婦関係がうまくいかないこともある。
子どものことを理解できないこともある。
親になった瞬間、完璧な人間になるわけではない。
だから僕は、成美ちゃんの両親をただ「酷い親」として片づけるのも違う気がした。
ただし、
親が完璧ではなくていいことと、子どもが傷つかなかったことは別だ。
ここは分けて考えたい。
両親にも事情はある。
でも、成美ちゃんは実際に傷ついた。
親に悪意がなかったとしても、子どもの傷が消えるわけではない。
逆に、子どもが傷ついたからといって、親の人生すべてを悪として片づけることもできない。
両方が同時に存在してもいい。
誰か一人を完全な悪者にしなければ成立しない話ではない。
むしろ、この簡単に割り切れなさが親子なのかもしれない。
「子供は、親を、嫌っていいの。」
この作品で、一番心に残った言葉を一つだけ選ぶなら、僕はこれかもしれない。
「子供は、親を、嫌っていいの。」
(p242より引用)
ものすごく短い。
でも、この物語をここまで読んできたあとだと、とても大きな言葉に感じる。
成美ちゃんは、両親を嫌っていた。
そして両親が死んだ。
だからこそ、その「嫌い」という気持ちは罪悪感へ変わっていく。
嫌っていた自分が悪かったんじゃないか。
あんなことを思ったから死んでしまったんじゃないか。
自分は悪い子なんじゃないか。
でも、人を嫌うことと、その人を傷つけることは違う。
感情そのものに罪はない。
「嫌い」と思った瞬間に、それを実行したことになるわけではない。
親を好きになれない自分を、ずっと責め続けなくてもいい。
この言葉は成美ちゃんに対する言葉であると同時に、
「家族なんだから愛して当然」
という考えそのものに向けられた言葉のようにも感じた。
子どもには、親から愛される権利がある
その直後に出てくる言葉も、とても印象的だった。
「子供っていうのはね、特別な権利をもって生まれるのよ。親から無条件に愛される、この世の中で子供だけが持っている、ほんとうに特別な権利を。」
(p242より引用)
ここが面白い。
子どもには親を無条件に愛する義務があるのではない。
むしろ逆なんだ。
子どもの側に、親から愛される権利がある。
親子関係を「子どもは親を慕うもの」という方向から見るのではなく、「親は子どもを愛する」という方向から見直している。
この違いは大きい。
子どもは親を選んで生まれてきたわけではない。
だから、まず守られる側にいる。
そう考えると、成美ちゃんがくますけに求めたものも、より切実に見えてくる。
成美ちゃんが本来親から受け取りたかった安心を、くますけが代わりに与えていた。
だからこそ、くますけは成美ちゃんにとって「ぬいぐるみにすぎない」存在ではなかったんだと思う。
裕子さんが好きだった
僕はこの小説を読んでいて、成美ちゃんの両親よりも、裕子さんの接し方が好きだった。
裕子さんも、もちろん成美ちゃんを心配している。
でも、くますけを無理やり取り上げようとはしない。
「十歳なんだから、もうぬいぐるみはやめなさい」と単純に矯正しようともしない。
成美ちゃんにとって大切な存在なら、まずはその気持ちごと受け止めようとする。
すぐに「おかしい」と決めつけない。
その優しさが、この物語の中ではすごく温かく感じた。
ただ、裕子さんを単なる「理解のある優しい大人」として読んでいると、物語の途中で少し見え方が変わる。
裕子さんにも、ある秘密がある。
ここは好きなところなので、内容は書かないでおきたい。
でも、それを知ったとき、
ああ、だから裕子さんは成美ちゃんを簡単に否定しなかったのか。
と、少し納得した。
理解しようと努力したというより、もしかすると最初から、理解できる部分があったのかもしれない。
同じような気持ちを知っている人が一人いるだけで救われることがある。
成美ちゃんにとって、裕子さんはそういう大人だったのかもしれない。
くますけは、本当に怖い存在なのか
そして、くますけ。
僕は最後まで、くますけをそんなに怖い存在だとは思えなかった。
もちろん、不気味ではある。
成美ちゃんが「死んでしまえばいい」と思った相手に何かが起こる。
偶然なのか。
くますけがやったのか。
それとも、別の何かなのか。
物語を読んでいる間、ずっと疑いが残る。
でも僕には、くますけが邪悪な存在には見えなかった。
むしろ、成美ちゃんのことが大好きなんだと思う。
誰よりも成美ちゃんの味方でいたい。
傷つけたくない。
守りたい。
ただ、その「大好き」が強い。
あまりにも強い。
強すぎる。
そこが少しだけ怖い。
愛情は、強ければ強いほどいいのだろうか。
相手を守りたいという気持ちが大きくなりすぎたら、それはどこから支配になるんだろう。
相手のために何でもしてあげたい。
相手を傷つけるものは全部なくしてしまいたい。
そこまで行ってしまったとき、それをまだ「優しさ」と呼べるんだろうか。
守ってくれているのか。
それとも——。
この微妙な境界が、すごく好きだった。
「怖くないのに不気味」を作る新井素子さんの文体
そして何より印象に残ったのが、新井素子さんの文体だった。
かなり独特。
軽い。
話し言葉に近い。
成美ちゃんが頭の中で考えていることを、そのまま文字にしたように文章が進んでいく。
だから読みやすい。
かわいらしくさえ感じる。
なのに、ずっとうっすら不気味。
ここが本当に面白かった。
もし同じ物語を、もっと重く、暗い文章で書いたら、普通のホラーになっていたかもしれない。
でも文章が軽いからこそ、起きていることとの温度差がある。
かわいらしい声で、怖いことを考える。
日常的な言葉の中に、突然ものすごく冷たい考えが混ざる。
そのズレが、不気味さを生んでいるように感じた。
怖い文章を書いて怖がらせるのではない。
かわいい文章のまま、怖いところまで連れていかれる。
僕が感じた「ページの端っこにずっと黒いものがいるような感じ」は、この文体から来ているのかもしれない。
本当に怖いのは、くますけより「普通」なのかもしれない
読み終わって考えると、この作品で一番怖かったのは、くますけではなかったのかもしれない。
むしろ僕は、周囲の「普通」の方が少し怖かった。
十歳なら、ぬいぐるみを持ち歩かない。
人間の友達を作る。
親を慕う。
学校では周囲と同じように振る舞う。
そこから外れた成美ちゃんに、次々と名前がつけられる。
変わった子。
不健全な子。
まともではない子。
でも、名前をつけた瞬間、その人について理解したような気になってしまう。
なぜぬいぐるみが必要なのか。
なぜ人間の友達を作れないのか。
家ではどう過ごしているのか。
何を怖がっているのか。
本当は何に傷ついているのか。
そういうことを見る前に、「普通じゃない」で終わらせてしまう。
これは結構怖い。
人間そのものを見るより、分類した方が楽だからだ。
世間は成美ちゃん自身を見ていたのか
終盤に、かなり印象的な文章がある。
「あれ程成美のことを異常だって言ってきた世間ってもの、成美がくますけさえ連れて歩かなくなると、あっという間に、成美のことを、受け入れてくれたのだった。」
(p256より引用)
これ、結構怖くないだろうか。
成美ちゃん自身が別人になったわけではない。
突然、人間性が変わったわけでもない。
ただ、くますけを連れて歩かなくなった。
それだけで「普通」の側に入れてもらえる。
じゃあ、それまで世間が見ていたものは何だったんだろう。
成美ちゃん本人ではなく、
「十歳なのにぬいぐるみを持ち歩いている子」
という一点だけだったんじゃないか。
その一つがなくなれば、受け入れる。
人間そのものを見ているようで、実は「普通から外れている部分」だけを見ていた。
こういうことって、現実にもあるような気がする。
変わっている。
普通じゃない。
みんなと違う。
そういう部分を一つ見つけると、その人全体まで「変な人」として見てしまう。
でも、その「変」は誰が決めたんだろう。
結局、多数決なのかもしれない。
ぬいぐるみは「ただの物」なのか
ぬいぐるみは、物だ。
もちろん現実にはそうだ。
布と綿でできている。
でも、人間にとっての「物」は、それだけではないと思う。
大切な人からもらった物。
子どものころからずっと持っている物。
つらい時期を一緒に過ごした物。
そういうものには、値段とは別の価値が生まれる。
他人から見ればただの物でも、本人にとっては代わりがない。
それを「物なんだから捨てればいい」と言われても、簡単にはいかない。
終盤には、
「たとえ僕が、なんなんみたいにダンボールに封印されることがあったとしても、でも、心は、心だけは、いつまでも一緒だ。」
(p263より引用)
という言葉がある。
この言葉も好きだった。
物理的に一緒にいることだけが、「一緒にいる」ということではない。
その存在によって救われた記憶。
安心した時間。
一緒に過ごした年月。
そういうものは、ぬいぐるみを手放したからといって消えるわけではない。
大人になることは、大切だったものを全部捨てることではない。
抱きしめなくなったから、大切ではなくなるわけでもない。
そう考えると、『くますけと一緒に』というタイトルも、読み終わったあとでは少し違って見えた。
「普通って、誰が決めるんだろう」
読み終えて、一番残ったのはやっぱりこれだった。
普通って、誰が決めるんだろう。
十歳になったら、ぬいぐるみを手放す。
親は子どもを愛する。
子どもは親を慕う。
人間の友達を作る。
周囲と同じように成長する。
そういうものを全部満たしていたら「普通」なのかもしれない。
でも、そこから一つ外れたら不健全なんだろうか。
成美ちゃんには、くますけが必要だった。
親に甘えることができなかった。
人間関係もうまくいかなかった。
だから、自分を否定しないぬいぐるみに安心を求めた。
それを「普通ではない」と言うことはできるかもしれない。
でも、
「普通ではない」と「悪い」は違う。
ここは忘れたくないと思った。
くますけが必要だった成美ちゃん。
その成美ちゃんを「不健全」と見る大人たち。
どちらが本当に不健全だったのだろう。
そんなことまで考えてしまった。
かわいい。優しい。ちょっと怖い。でもやっぱり、かわいい
ホラーを期待して読むと、「思っていたほど怖くない」と感じる人もいるかもしれない。
僕も怖くはなかった。
でも、いい小説だった。
むしろ、怖くなかったからこそ好きだったのかもしれない。
くますけを「恐ろしい呪いのぬいぐるみ」として描くだけなら、もっと単純な物語になっていたと思う。
でも、この小説では最後まで、くますけをどう思えばいいのか少し迷う。
かわいい。
優しい。
成美ちゃんの味方。
でも、ちょっと怖い。
その全部が同時に存在している。
そして成美ちゃんも、両親も、裕子さんも、簡単に「正しい人」「間違っている人」に分けられない。
成美ちゃんは両親を嫌っていた。
でも、両親が死んで何も感じなかったわけではない。
両親は成美ちゃんを傷つけた。
でも、だからといって両親のすべてを悪だと言い切ることもできない。
くますけは成美ちゃんを救った。
でも、その愛情には少し怖さもある。
人間はそんなに簡単じゃない。
家族もそんなに簡単じゃない。
愛情だって、そんなに簡単じゃない。
だから読み終わったあとにも残るんだと思う。
そして今、くますけのことを考えると、
かわいい。
優しい。
ちょっと怖い。
でもやっぱり、かわいい。
そんな不思議な気持ちが残っている。
もしかすると誰にでも、「くますけ」のような存在が必要なのかもしれない。
人でなくてもいい。
ぬいぐるみでもいい。
動物でも、本でも、場所でもいい。
世間から見れば何でもないものでも、その人にとって大切なら、それでいい。
そばにいるだけで、少し安心できる。
そんな存在が一つあるだけで、人は思っている以上に救われるのかもしれない。
『くますけと一緒に』は、怖いぬいぐるみの話だと思って読み始めた。
でも読み終わった今は、
誰かにとって大切なものを、外側から勝手に「おかしい」と決めてしまうことの方が、少し怖い。
そんなことを思っている。
あなたにとって、
そばにいるだけで安心できる存在はありますか?
