57歳。
この年齢を聞いて、「まだ若い」と思う人もいれば、「もう若くはない」と思う人もいるだろう。
新しい仕事を始めるには遅い。
新しい趣味を始めるには遅い。
夢なんて追いかける年齢じゃない。
ましてや、仲間を集めてヘヴィメタルバンドを結成するなんて。
普通なら、そう思うかもしれない。
でも、『57歳のメタルランド』を読み終えた僕が思ったのは、まったく逆だった。
57歳からでも始められるのなら、30代の僕なんて、まだまだこれからじゃないか。
そんなことを思わせてくれる小説だった。
これは単なる「中年男性が昔の青春を取り戻す物語」ではない。
昔に戻る話でもない。
若かった頃を懐かしみながら、昔の仲間と昔の曲を演奏して、「あの頃はよかったなあ」と酒を飲む物語でもない。
むしろ逆だ。
過去ではなく、これから。
もう一度人生を動かす物語だ。
そして、その人生を動かすものが、ヘヴィメタルなのである。
57歳、死んだ魚のような目で生きる江夏悟志
主人公の江夏悟志は57歳。
かつては本社で働くエリート社員だった。
仕事を頑張り、出世し、会社の中で自分の価値を証明しようとしてきた。
ところが、部下だった五十嵐に手柄を奪われ、子会社へ飛ばされる。
そこから8年。
江夏は、どこか抜け殻のように生きている。
仕事への情熱もない。
家族との間にも溝がある。
何かを楽しみにしているわけでもない。
そんな江夏に投げつけられる言葉がある。
その死んだ魚みたいな目で、あと何年生きるんだ。
(p22より引用)
なかなか強烈だ。
でも、この言葉は本作全体を象徴しているようにも思う。
人間は、生きているだけなら生きられる。
朝起きて、会社へ行く。
言われた仕事をする。
時間になったら帰る。
ご飯を食べる。
寝る。
そしてまた会社へ行く。
それでも一日は終わるし、一年は過ぎる。
気がつけば50歳になり、60歳になっているかもしれない。
もちろん、それが悪いわけではない。
穏やかな毎日に幸せを感じる人だっている。
ただ、江夏の場合は違った。
彼は穏やかに生きているのではない。
止まっている。
会社で評価されなくなった瞬間、自分自身の価値まで失ってしまったように感じている。
ここが、この小説の面白いところだった。
会社での評価は、その人自身の価値なのか
社会人になると、不思議なくらいたくさんの肩書きがついてくる。
会社名。
役職。
年収。
部署。
勤続年数。
実績。
出世した。
左遷された。
評価された。
評価されなかった。
それらが、いつの間にか「自分そのもの」のように感じられてしまうことがある。
江夏もそうだったのだと思う。
本社で活躍していた頃の自分には価値があった。
出世コースから外れた自分には価値がない。
でも、本当にそうなのだろうか。
物語の終盤、江夏は自分の人生を振り返る。
俺は見失っていた。日々の仕事。出世競争。絶え間ない承認欲求。それを疑うことすらしなかった。だから左遷されて俺は全てを失ったと思っていた。だけどそれは間違いだ。失ったものもあったが、失わなかったものの方が多かったはずだ。それに気づいていなかった。
(p315より引用)
僕はここがすごく好きだった。
左遷された。
確かに、会社の中では何かを失ったのかもしれない。
でも、人生のすべてを失ったわけではない。
音楽を好きだった自分もいる。
楽器を弾ける自分もいる。
家族もいる。
仲間もいる。
まだ動く体もある。
そして何より、これから使える時間が残っている。
会社というひとつの世界で負けたからといって、人生そのものに負けたわけではない。
そんな当たり前のことを、人は案外忘れてしまうのかもしれない。
35年ぶりの再会。そして、ベースを持つ
そんな江夏の止まっていた人生を動かしたのが、大学時代のバンド仲間・ジャッキーだった。
35年ぶりの再会。
ジャッキーは、髪が薄くなってもメタル魂を燃やし続けている。
そして江夏は、半ば強引に再びベースを持つことになる。
この展開がいい。
人生を変える瞬間というと、僕たちは何か大げさな出来事を想像してしまう。
転職するとか。
海外へ行くとか。
会社を辞めるとか。
起業するとか。
でも、最初の一歩なんて案外小さい。
久しぶりに楽器を持ってみる。
昔好きだった曲を聴いてみる。
本屋で気になった本を一冊買ってみる。
ずっと行きたかった場所へ行ってみる。
その程度のことでいいのかもしれない。
江夏の場合、それがベースだった。
そして、その一本のベースから止まっていた人生が少しずつ動き始める。
年齢も国籍も仕事も違う。それでもバンドになれる
やがて江夏とジャッキーのもとに、30歳の脇田と、フィンランド人のタウノが加わる。
こうして誕生するのが、平均年齢43歳のヘヴィメタルバンド「メタルランド」だ。
このメンバーが、またいい。
年齢が違う。
国籍が違う。
仕事も違う。
立場も違う。
それまで歩いてきた人生も違う。
作中にも、こんな言葉がある。
50代2人に30代と20代。日本人とフィンランド人。サラリーマンとフリーター。普通なら、絶対に一緒にいないような組み合わせ。でも、今、俺たちは仲間だ。
(p93より引用)
これ、すごくいい。
社会にいると、人はカテゴリー分けされる。
若者。
中年。
会社員。
フリーター。
管理職。
部下。
日本人。
外国人。
成功している人。
失敗した人。
でも、スタジオに入って楽器を持てば、そんなものは関係なくなる。
そこにいるのは、
ただ音楽が好きな人たちだ。
僕自身、高校時代に軽音楽部でベースを弾いていた。
だから、この感覚は少し分かる。
バンドって不思議なのだ。
普段なら絶対に仲良くならなさそうな人間でも、同じ曲を演奏するとなぜか成立する。
性格が違ってもいい。
考え方が違ってもいい。
会話がめちゃくちゃ盛り上がらなくてもいい。
ドラムが鳴って、ギターが入って、ベースを合わせて、ボーカルが歌えば、一つになる瞬間がある。
社会ではバラバラだった人間が、音楽の中では同じ方向を向ける。
『57歳のメタルランド』には、その面白さがある。
完璧じゃなくていい。「俺たちの音」があればいい
僕は本作を読んでいて、「完璧じゃない」という言葉が何度も印象に残った。
メタルランドは、最初から演奏のうまいバンドではない。
リズムだって合わない。
失敗もする。
若い頃のように体が動くわけでもない。
それでも演奏する。
俺たちは、完璧じゃない。リズムも合わない。音程も取れない。でも、俺たちには、俺たちの音がある。それで十分だ。
(p105より引用)
これって、音楽だけの話ではないと思う。
何かを始めようとすると、人はすぐ「ちゃんとできるか」を考えてしまう。
下手だったら恥ずかしい。
今さら始めても遅い。
若い人には勝てない。
才能がない。
続かなかったらどうしよう。
でも、そもそも勝つ必要なんてあるのだろうか。
趣味ならなおさらだ。
下手でもいい。
途中でやめてもいい。
誰にも評価されなくてもいい。
本作には、こんな言葉もある。
でも、続かなくてもいい。大事なのは、今、やってるってことだ。
(p94より引用)
僕はこの考え方が好きだ。
「一生続けられる趣味を見つけよう」と思うから、始めることが重くなる。
一生続かなくてもいい。
三年でもいい。
一年でもいい。
一か月でもいい。
極端な話、一日でやめてもいい。
その一日が楽しかったなら、それでいいではないか。
続けることだけを価値にしてしまうと、始めることが怖くなる。
始めたことそのものに価値があってもいい。
なぜ、この物語は「メタル」なのか
そして、この小説で何より面白かったのが、彼らが演奏するのがヘヴィメタルだということ。
これが、爽やかなポップスだったら全然違う物語になっていただろう。
江夏たちは、それぞれに抱えているものがある。
怒り。
悔しさ。
悲しみ。
挫折。
会社への不満。
家族との問題。
失ってしまった時間。
そんな感情を、綺麗な言葉にして説明するのではない。
ギターを歪ませる。
ドラムを叩く。
ベースを鳴らす。
声を張り上げる。
そして全部、音にしてぶつける。
脇田が歌う場面には、こんな描写がある。
これは歌じゃない。魂の咆哮だ。
(p47より引用)
僕は、この一文にメタルランドというバンドの本質が詰まっている気がした。
上手に歌う必要なんてない。
綺麗に表現する必要もない。
心の中にあるものを、とにかく外へ出す。
言葉にできない叫びまで、音楽なら叫べる。
だから、この物語にはメタルが合う。
むしろメタルじゃなければ成立しなかったのかもしれない。
「怒り」は悪い感情なのか
僕たちは、怒りをあまり良いものとして扱わない。
怒るな。
冷静になれ。
大人になれ。
我慢しろ。
社会人なら感情を出すな。
もちろん、怒りのまま誰かを傷つけていいわけではない。
でも、怒りという感情そのものまで消す必要はないと思う。
悔しいなら悔しい。
腹が立つなら腹が立つ。
悲しいなら悲しい。
その感情があること自体は悪くない。
大切なのは、その感情をどう扱うかだ。
本作では、それを音楽に変える。
俺たちは、完璧じゃない。でも、本物の怒りがある。それを、音にする。
(p153より引用)
この言葉が好きだった。
怒りを誰かにぶつけるのではなく、音にする。
悔しさを抱え込むのではなく、表現する。
自分の中にあるドロドロしたものさえ、創作の材料になる。
音楽でもいい。
文章でもいい。
絵でもいい。
スポーツでもいい。
怒りを燃料に変える場所がひとつあるだけで、人は案外救われるのかもしれない。
「推し活定時退社」が面白い。好きなものを会社に持ち込んだらどうなる?
そして、この小説で個人的に面白かったのが、**「推し活定時退社」**という発想だった。
物語の終盤には、
推し活定時退社も、定着した。みんなが自分の「好き」を共有する時間。それが、職場の雰囲気を変えていく。
(p333より引用)
とある。
これ、かなり面白いと思う。
会社という場所では、ときどき「仕事以外の自分」が消える。
あの人は営業部の○○さん。
あの人は上司。
あの人は新人。
あの人はパート。
それだけになる。
でも当然、その人たちにも会社の外の人生がある。
アイドルが好きな人もいる。
野球が好きな人もいる。
漫画が好きな人もいる。
旅行が好きな人もいる。
ゲームが好きな人もいる。
鉄道が好きな人もいる。
もちろん、本が好きな人もいる。
そういう「好き」が見えると、その人が急に人間らしく見えてくることがある。
普段ほとんど話さない人でも、
「え、あなたもそれ好きなんですか?」
から会話が始まるかもしれない。
役職ではなく、「好き」でつながる。
これって、メタルランドのメンバーが音楽でつながったことと同じなのだと思う。
会社では立場が違う。
年齢も違う。
でも、「好き」の前では対等になれる。
僕はこの発想がすごく好きだった。
そして、何より「推し活のために定時で帰る」というところがいい。
仕事を早く終わらせて何をするのか。
別に、立派なことをしなくていい。
資格の勉強じゃなくていい。
副業じゃなくていい。
自己成長じゃなくていい。
推しを見るために帰っていい。
ライブへ行くために帰っていい。
本を読むために帰っていい。
ゲームするために帰っていい。
仕事の外に楽しみが待っているから、仕事を終わらせる。
それでいい。
むしろ、その方が人間として健全なのではないかと僕は思う。
仕事を人生の中心に置きすぎない。
でも、仕事を適当にするわけでもない。
自分の好きなものを守るために、仕事をちゃんと終わらせる。
なかなかいい働き方だ。
好きなものを持っている人は強い
この小説を読んで、一番強く思ったことがある。
好きなものを持っている人って、強い。
仕事で失敗しても、音楽がある。
会社で評価されなくても、本がある。
人間関係がうまくいかなくても、ゲームがある。
嫌な一日でも、家に帰れば好きな映画がある。
もちろん、好きなものがあればすべて解決するわけではない。
現実の問題は残る。
でも、自分の世界が会社だけではなくなる。
これが大きい。
江夏は会社での評価を失ったことで、自分の人生すべてを失ったように感じていた。
でも、音楽と再会することで、世界は会社だけではないことを思い出していく。
「会社で評価される自分」以外にも、自分は存在していた。
ベースを弾く自分。
仲間と笑う自分。
音を出して興奮する自分。
夢中になる自分。
それらも全部、江夏悟志なのだ。
好きなものは、人生の逃げ道になることもある。
でも、「逃げ道」というと悪く聞こえる。
僕はむしろ、別の道だと思う。
道が一本しかないから、そこを塞がれたときに絶望する。
何本もあればいい。
仕事。
家族。
趣味。
友人。
一人の時間。
創作。
読書。
音楽。
いろんな道がある。
一本くらいうまくいかなくても、人生そのものまで終わるわけではない。
フェスの演奏シーンは、本当に音が聞こえてくるようだった
そして、本作で僕が特に好きだったのが、フェスでの演奏シーン。
ここは本当に心が震えた。
小説なのだから、当然音は鳴らない。
ページからギターの音が出てくるわけでもない。
それなのに、読んでいると音が聞こえてくるようだった。
特に印象に残ったのが、江夏のベース、ジャッキーのギター、タウノのドラムが一気に爆発していく場面だ。
ここでは、ただ「上手に演奏しました」とは描かれない。
血が滲んでも弾く。
ギターが炎のようになる。
ドラムを殴りつける。
音が塊になって爆発する。
それまで彼らが抱えてきたものが、全部ステージの上で音になっているようだった。
仕事での挫折。
怒り。
家族との問題。
悔しさ。
迷い。
過去。
全部だ。
だから、演奏が単なる演奏ではなくなる。
人生そのものを鳴らしている。
そんな感じがした。
一人では出せない音がある。
一人では吐き出せなかった感情がある。
でも、バンドになれば、それがひとつの巨大な音になる。
読んでいて、やっぱりバンドっていいなあと思った。
『Paranoid』『Smoke on the Water』。元軽音部にはたまらない
僕自身、高校時代は軽音楽部だった。
担当はベース。
だから、本作を読んでいると懐かしくなるところがたくさんあった。
Black Sabbathの「Paranoid」。
Deep Purpleの「Smoke on the Water」。
曲名を見るだけで、昔の記憶が戻ってくる。
音楽って不思議だ。
何年も聴いていなかった曲なのに、イントロを聴いた瞬間、その頃の景色まで戻ってくることがある。
練習していた場所。
一緒に演奏していた人。
当時使っていた楽器。
その頃の自分。
本を読んでいるはずなのに、僕自身の高校時代まで引っ張り出された。
ちなみに僕はベーシストだったのに、「Paranoid」はギターソロが好きだ。
久しぶりに聴いたら、やっぱりかっこいい。
そして『57歳のメタルランド』を読み終えたあと、僕は久しぶりにベースを手に取った。
ほんの少しだけ弾いてみた。
うまく弾けるとか、そんな話ではない。
昔みたいに指が動くわけでもない。
でも、
ああ、やっぱり楽しい。
と思った。
これが、この本を読んだ僕に実際に起きたことだった。
自己啓発書ではない。でも、自己啓発書より動かされた
『57歳のメタルランド』は自己啓発書ではない。
小説だ。
物語を楽しむためのエンターテインメントだ。
でも僕は、下手な自己啓発書を読むより「何かやってみようかな」と思わされた。
「今すぐ行動しましょう」
なんて言われたわけではない。
「人生を変えるための七つの習慣」が書かれているわけでもない。
57歳のおっさんたちがメタルをやっているだけだ。
でも、それを読んでいたら、
僕がベースを持っていた。
これって、すごいことだと思う。
人は「行動しろ」と言われるより、誰かが楽しそうに行動している姿を見た方が動きたくなるのかもしれない。
江夏たちがボロボロになりながら音を鳴らしている。
完璧じゃない。
若くもない。
失敗もする。
それでも楽しそうだ。
だったら、自分も何かやってみようかな。
そう思える。
物語には、そういう力がある。
バンドを続けることだけがゴールじゃない
そして、この物語の終わり方も好きだった。
僕は途中まで、メタルランドがずっと続いていく物語なのかと思っていた。
でも、そうではない。
それぞれが、それぞれの道へ進んでいく。
ここがいい。
「仲間ならずっと一緒」
「夢なら最後まで続ける」
「始めたならやめてはいけない」
そんな単純な話ではない。
同じ時間を過ごした。
一緒に音を鳴らした。
本気になった。
それによって、それぞれの人生が動いた。
なら、それでいい。
バンドそのものが人生の最終目的だったわけではない。
メタルランドは、人生をもう一度動かすための場所だった。
だから、解散することは失敗ではない。
一緒にいた時間が無意味になるわけでもない。
これは趣味にも仕事にも人間関係にも言える気がする。
終わったから失敗なのではない。
その時間によって何かが変わったなら、それにはちゃんと意味がある。
続かなかったものにも価値はある。
終わった関係にも価値はある。
辞めた趣味にも価値はある。
人生には、そのときの自分を次の場所へ運ぶためだけに存在するものもあるのかもしれない。
「青春を取り戻す」のではなく、今から新しい青春を始める
中年になって昔好きだった音楽をもう一度始める。
そう聞くと、「青春を取り戻す物語」に見える。
でも、僕は少し違うと思った。
取り戻す必要なんてない。
高校時代や大学時代の青春は、もう終わっている。
その時間に戻ることはできない。
だったら、新しいものを始めればいい。
57歳には57歳の青春があっていい。
30歳には30歳の青春があっていい。
70歳には70歳の青春があっていい。
青春という言葉を若者だけのものにする必要なんてない。
何かに夢中になっている時間。
明日が楽しみな時間。
仲間とくだらないことで笑っている時間。
失敗して悔しがる時間。
ライブの前日に眠れない時間。
そういうものを青春と呼ぶなら、何歳になっても始められる。
江夏は最後に、
何を始めるのか、まだ分からない。でも、動き出そう。今年57歳の、新しいスタート。
(p332より引用)
と思う。
これがいい。
「次に何をするか」が決まっていないところがいい。
人生を変える壮大な目標なんてなくてもいいのだ。
まず動く。
その先で考える。
57歳の江夏を見て、30代の僕が思ったこと
僕は今、30代だ。
『57歳のメタルランド』を読んでいると、なんだか妙な気持ちになった。
57歳の男がベースを持って、仲間を集めて、ステージに立っている。
だったら僕は何を「もう遅い」と思っているのだろう。
まだ30代。
もちろん、10代ではない。
高校生にも戻れない。
でも、人生全体で考えたら、まだまだこれからだ。
何か始めてもいい。
やめてもいい。
また始めてもいい。
昔好きだったものに戻ってもいい。
全然知らないことを始めてもいい。
それで人生が劇的に変わらなくてもいい。
少し楽しくなるだけでも十分だ。
本作には、
俺たち、ライブをやった。それだけで、十分だ。
(p159より引用)
という言葉がある。
この「それだけで十分」という感覚が僕は好きだ。
何かを始めると、すぐ成果を求めてしまう。
上達したか。
稼げたか。
評価されたか。
フォロワーが増えたか。
資格になったか。
仕事につながったか。
でも、別に何にもならなくてもいい。
ライブをやった。
楽しかった。
それだけでいい。
本を読んだ。
面白かった。
それだけでいい。
ベースを弾いた。
楽しかった。
それだけでいい。
人生には、成果にならない時間がもっとあっていいのかもしれない。
好きなものがひとつあるだけで、人は変われる
『57歳のメタルランド』を読み終えて、僕の中に一番残ったのはこれだった。
好きなものがひとつあるだけで、人はこんなにも変われるのかもしれない。
好きなものは、人生のすべてを解決してくれる魔法ではない。
会社の問題が消えるわけでもない。
家族との関係が一瞬で修復されるわけでもない。
過去が消えるわけでもない。
年齢が若返るわけでもない。
それでも、明日を少し楽しみにすることはできる。
今夜スタジオへ行く。
週末ライブがある。
新しい曲を練習する。
好きな本の発売日がある。
推しに会いに行く。
旅行へ行く。
映画を観る。
そんな小さな予定があるだけで、今日を越えられることがある。
江夏にとって、それが音楽だった。
そしてメタルランドで過ごした時間は、彼を昔の江夏に戻したのではない。
新しい江夏を作った。
そこが、この物語の好きなところだ。
何かを始めるのに、「もう遅い」なんてことはない
57歳からだって始められる。
もちろん、年齢によってできなくなることは現実にある。
時間にも体力にも限界はある。
だから「年齢なんて何の関係もない」とまで言うつもりはない。
でも、僕たちは実際の限界よりずっと早く、自分で「もう遅い」と決めてしまうことがある。
楽器。
絵。
小説。
スポーツ。
勉強。
旅行。
新しい趣味。
昔やめてしまったこと。
誰に許可を取る必要もない。
プロになる必要もない。
上手になる必要もない。
続ける保証もいらない。
やってみて、つまらなかったらやめればいい。
面白かったら続ければいい。
そのくらいでいい。
『57歳のメタルランド』は、そんな当たり前のことを、ヘヴィメタルの爆音とともに思い出させてくれる小説だった。
僕自身、読み終えて久しぶりにベースを手に取った。
ほんの少し弾いただけだ。
でも、楽しかった。
それだけで、この本を読んだ意味は十分にあった気がする。
そして、ふと思った。
僕も、もう一回バンドしてみようかな。
57歳の江夏が新しいスタートを切れるのなら、30代の僕なんて、まだまだこれからだ。
さて。
あなたは今、何を始めてみたいですか?
