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「叩けば直る」は本当なのか?昭和の修理方法を令和に持ち込まないでくれ。

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実家に帰ったときのことだ。

リビングにはテレビがある。

薄型テレビだ。

当然だ。

今どきブラウン管テレビを使っている家庭なんて、レトロ好きでもなければほとんどいないだろう。

僕が子どもの頃、実家にあったテレビは大きかった。

とにかく分厚い。

奥行きがあって、重くて、後ろがやたらと出っ張っている。

テレビというより、家具に近かった。

しかし、時代は変わった。

テレビは薄くなり、画質は美しくなり、インターネットにもつながるようになった。

素晴らしい進化である。

ところが、そのテレビの調子が突然悪くなった。

画面が乱れている。

映像がちらつき、人物の顔がおかしなことになっている。

何が起きたのだ。

さっきまで普通に映っていたではないか。

故障だろうか。

それとも、一時的な不具合だろうか。

配線の問題かもしれない。

HDMIケーブルが緩んでいる可能性もある。

僕はテレビの裏側を確認しようと、立ち上がった。

そのときだった。

親父が、ものすごい勢いで駆け出した。

何事だ。

火事でも起きたのか。

泥棒でも入ってきたのか。

いや、違う。

親父はテレビに向かって一直線に走っている。

どうしたのだ。

何をそんなに急いでいる。

僕が声をかける間もなく、親父はテレビの前に到着した。

そして。

バンッ! バンッ!

……。

叩き出した。

テレビを。

令和の薄型テレビを。

目次

親父がテレビを殴り始めた

「バンッ! バンッ!」

親父はテレビを叩いている。

何の迷いもない。

まるで、ずっとこの瞬間を待っていたかのような動きである。

そして、画面を確認した。

「あれ?」

……。

いや、何が「あれ?」だ。

こっちが「あれ?」だ。

「バンッ! バンッ!」

「あれ? おかしいな」

おかしいのはお前だ。

何をしているのだ。

僕は配線を確認しようとしていた。

しかし、親父は違った。

不具合を確認した瞬間、修理ではなく攻撃を開始したのだ。

しかも、一度で諦めない。

叩く。

画面を見る。

首をかしげる。

また叩く。

テレビが悪いことをして、親父に説教されているような光景である。

「おい! 何してんねん! いかれたんか?」

僕が叫ぶと、親父はテレビを見つめたまま答えた。

「そうや。テレビがイカれたんや」

……。

違う。

お前に言っているのだ。

僕はテレビの故障を確認しているのではない。

テレビを殴り続ける、お前の正気を確認しているのだ。

しかし、親父にはまったく伝わっていない。

自分がテレビを修理していると信じて疑わない。

「なんで叩いてん? 壊れるやん」

すると親父は、不思議そうな顔をした。

「あ? 直してんねん」

……。

直している?

これが?

バンバン叩くことが?

僕には、どう見ても破壊しているようにしか見えない。

しかし、親父は大真面目なのだ。

テレビの調子が悪い。

だから叩く。

直らない。

だから、もう一度叩く。

修理方法が一種類しかない。

しかも、直らなければ叩く回数が増えていく。

ちょっと待ってくれ。

画面が乱れているだけなのだ。

配線が緩んでいるだけかもしれない。

設定の問題かもしれない。

それなのに、なぜ叩く。

本体まで壊れるだろ!

故障の原因を調べる前に、故障の原因を増やすな。

テレビは今、少し調子が悪いだけかもしれない。

それをお前が完全に破壊しようとしている。

しかも本人は、善意でやっている。

なんという恐ろしさ。

お前は修理業者ではない。故障の追加担当者だ。

救世主だと思った母親までおかしかった

そのときだった。

「どうしたん?」

母親がやってきた。

助かった。

ようやく、まともな人間が来た。

僕は母親に事情を説明しようとした。

しかし、その前に母親がテレビを見て、ひと言。

「もっと強く叩かなあかんで」

……。

お前もか!

何を言っているのだ。

僕はてっきり、親父を止めてくれるものだと思っていた。

「そんな叩いたら壊れるやろ!」

そう言ってくれると信じていた。

しかし、母親は違った。

親父の修理方法に疑問を抱くどころか、改善案を出してきた。

叩くという方針には賛成なのだ。

問題は威力らしい。

「もっと強く叩かなあかんで」

何の助言なのだ。

僕はテレビを守ろうとしている。

親父はテレビを叩いている。

そして母親は、その攻撃力を上げようとしている。

完全に二対一だ。

しかも、僕が少数派である。

おかしい。

この家では、テレビの不具合を直すために、まず物理攻撃を仕掛けるらしい。

親父が実行犯。

母親が指導者。

僕は現場に居合わせた唯一の反対派だ。

しかし、誰も僕の意見を聞いていない。

そもそも、なぜ二人とも叩けば直ると信じているのだろう。

昭和のテレビなら、まだわかる。

しかし、これは薄型テレビだ。

液晶画面がある。

精密な電子部品がある。

衝撃に弱い部分だってあるだろう。

それなのに、二人はまったく気にしていない。

テレビは進化した。しかし、両親の修理方法は昭和で止まっている。

クレイジーだ。

この家で一番まともなのは、画面が乱れているテレビなのかもしれない。

もういい。好きにしてくれ

僕は諦めた。

これ以上、何を言っても無駄だろう。

親父はテレビを叩き、母親はもっと強く叩けと指導している。

もはや修理ではない。

共同作業だ。

二人の間には、長年連れ添ってきた夫婦ならではの信頼関係があるのかもしれない。

「もっと強く!」

「おう!」

素晴らしい連携である。

できれば、もっと平和な場面で発揮してほしかった。

もういい。

好きにしてくれ。

僕はテレビに最後の視線を送った。

すまない。

助けてやれそうにない。

どうか無事でいてくれ。

そして、二階の自分の部屋へ上がった。

ベッドに横になる。

ようやく、あの騒動から解放された。

そう思った、そのとき。

バンッ! バンッ!

階下から音が聞こえてきた。

まだ叩いている。

バンッ! バンッ!

いつまでやるつもりなのだ。

テレビの画面が乱れていただけではないか。

それが今では、家中に打撃音が響き渡っている。

もしかすると、あの二人はテレビが直るまで叩き続けるつもりなのだろうか。

恐ろしい。

僕は布団をかぶった。

もう知らない。

直るなら直ってくれ。

壊れるなら、せめて静かに壊れてくれ。

バンッ! バンッ!

僕は、そんな音を聞きながら眠りについた。

実家の子守唄は、昭和の修理音だった。

翌朝、テレビが壊れた

翌朝。

僕が一階に降りると、母親が言った。

「テレビ壊れたわ」

……。

そらそうだ。

あれだけ叩いていたのだ。

むしろ、壊れないと思っていたのか。

昨日まで、画面が乱れているだけだった。

配線の問題だったかもしれない。

一時的な不具合だったかもしれない。

しかし、今では完全に壊れてしまったらしい。

もちろん、叩いたことが直接の原因なのかはわからない。

最初から深刻な故障が起きていた可能性だってある。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

調子の悪いテレビを、二人がかりで叩き続けていたのだ。

親父は修理しているつもりだった。

母親はその修理を指導していた。

そして翌日、テレビは壊れた。

修理チーム、解散である。

それにしても、不思議だ。

なぜ二人は、あんなにも自信満々だったのだろう。

まるで、叩けば直ることが科学的に証明されているかのような態度だった。

そこで僕は、ある疑問を抱いた。

そもそも、昭和の「叩けば直る」というのは、本当だったのだろうか。

昭和の「叩けば直る」は本当だったのか?

調べてみた。

すると、驚くべきことがわかった。

本当に直ることがあったらしい。

なんと。

親父の修理方法には、一応、科学的な理由が存在したのだ。

昔のブラウン管テレビなどでは、内部の部品の接触不良によって、映像や音声に不具合が起こることがあった。

例えば、電気を通す接点がうまく触れていなかったり、はんだ付けされた部分に亀裂が生じたりしている場合だ。

そこに衝撃が加わると、部品がわずかに動き、接触が一時的に回復することがある。

つまり、テレビを叩いた結果、映像が元に戻る場合は実際にあったのだ。

なるほど。

だから昔の人たちは、テレビを叩いていたのか。

親父よ。

少しだけ見直したぞ。

しかし、話はここで終わらない。

それは、あくまで一時的な回復だった。

接触不良が根本的に修理されたわけではない。

一時的に映像が戻ったとしても、また同じ症状が出る可能性がある。

さらに、叩くことで別の部品を傷めたり、故障を悪化させたりする危険もある。

つまり、叩いて直ったように見えても、本当の意味で修理できたとは限らないのだ。

……。

親父よ。

やっぱり見直すのはやめておく。

しかも、現代の薄型テレビは昔のブラウン管テレビとは構造が違う。

液晶パネルや内部の電子基板など、衝撃で破損するおそれのある部品が使われている。

そんなものをバンバン叩くのは、修理方法としておすすめできない。

昔、叩いて直ったことがある。

それは事実かもしれない。

しかし、だからといって、現代のテレビまで叩いていい理由にはならない。

昭和の成功体験を、令和の精密機器に押しつけないでくれ。

なぜ親父は「叩けば直る」と信じ続けているのか

ここで、もうひとつ疑問が生まれた。

なぜ親父は、あれほど迷いなくテレビを叩いたのだろう。

僕は配線を確認しようとしていた。

しかし、親父は違った。

画面が乱れているのを見るや否や、ものすごい勢いで駆け出した。

まるで、テレビが故障する瞬間を待ち構えていたかのような反応だった。

おそらく、過去に成功した経験があるのだろう。

昔、テレビの調子が悪くなった。

叩いた。

直った。

この経験が、強烈に記憶に残っているのかもしれない。

人間は、一度うまくいった方法を繰り返したくなるものだ。

特に、原因がよくわからない問題を自分の力で解決できた経験は、忘れにくい。

「テレビが映らない」

「叩いたら映った」

これほどわかりやすい成功体験もないだろう。

修理業者を呼ぶ必要もない。

工具もいらない。

専門知識もいらない。

必要なのは、自分の手だけだ。

なんという手軽な修理方法なのだ。

しかし、問題がある。

一度成功したからといって、すべての故障に通用するわけではない。

テレビの種類も変わっている。

故障の原因だって違う。

それなのに、親父の中では「テレビが壊れたら叩く」という公式が完成しているのだろう。

一度成功した修理方法を、永久ライセンスだと思っているのだ。

しかも、そのライセンスには有効期限がない。

昭和に取得した資格を、令和になっても堂々と使っている。

更新講習も受けていない。

新しい家電の説明書も読んでいない。

それでも本人は、自信満々だ。

これは、家電に限った話ではないと思う。

昔うまくいった仕事のやり方。

昔教わった常識。

昔から続けている習慣。

それらを、時代が変わっても使い続けることがある。

もちろん、昔の知恵が役立つ場面もある。

しかし、すべてが今でも正しいとは限らない。

大切なのは、必要に応じて方法を変えることなのだろう。

親父よ。

お前の修理方法にも、そろそろ更新が必要だ。

なぜ直らないと、もっと強く叩くのか

そして、僕が一番不思議だったのは母親の発言だ。

「もっと強く叩かなあかんで」

この言葉である。

普通、叩いても直らなかったら、別の方法を考えるのではないだろうか。

しかし、母親は違った。

叩くという方法は正しい。

ただ、力が足りない。

そう考えたらしい。

修理方法が間違っているという選択肢が、最初から存在していないのだ。

これは興味深い。

うまくいかないとき、人間は方法そのものを疑うより、努力が足りないと考えてしまうことがある。

勉強しても成績が上がらない。

もっと勉強しよう。

仕事がうまくいかない。

もっと頑張ろう。

テレビを叩いても直らない。

もっと強く叩こう。

いや、最後だけおかしい。

しかし、根本にある考え方は似ているのかもしれない。

もちろん、努力することは大切だ。

何度も挑戦した結果、うまくいくことだってある。

しかし、方法が間違っているなら、努力の量を増やしても解決しない場合がある。

むしろ、悪化することすらある。

テレビがいい例だ。

一度叩いて直らない。

もう一度叩く。

それでも直らない。

もっと強く叩く。

努力すればするほど、テレビが危険にさらされている。

なんという悲しい努力なのだ。

しかも、本人たちは一生懸命である。

テレビを直したい。

その気持ちは本物なのだろう。

だからこそ、余計に恐ろしい。

間違った方向への努力は、ときに何もしないことより危険なのだ。

まさか実家のテレビ修理から、こんな教訓を学ぶことになるとは思わなかった。

親父と母親は、身をもって教えてくれたのだ。

いや、正確にはテレビを犠牲にして教えてくれた。

できれば、もっと安い教材を使ってほしかった。

令和のテレビが故障したら、どうすればいいのか

では、現代のテレビの画面が乱れたとき、どうすればいいのだろう。

少なくとも、いきなり叩く必要はない。

まずは、症状を確認することだ。

テレビ放送だけがおかしいのか。

ゲーム機やレコーダーなど、外部機器の映像だけがおかしいのか。

すべての画面で同じ症状が出ているのか。

それによって、原因を絞り込める場合がある。

外部機器の映像だけが乱れているなら、HDMIケーブルの接続状態や、接続先の機器を確認する。

テレビ放送だけに問題があるなら、アンテナケーブルや受信状況を確認する。

機種によっては、メーカーが案内する手順で再起動することで、一時的な不具合が改善する場合もある。

ただし、操作方法は機種によって異なるので、取扱説明書やメーカーのサポート情報に従うことが大切だ。

それでも直らなければ、修理を相談する。

異臭や煙、異常な発熱などがある場合は、使用を中止して安全を優先する。

そして、ひとつだけ忘れてはいけないことがある。

叩かない。

これだ。

「テレビの調子がおかしい」

「よし、叩こう」

この二つの間に、もう少し考える時間を設けてくれ。

原因を確認してほしい。

説明書を読んでほしい。

それでもわからなければ、専門家に相談してほしい。

テレビは、言うことを聞かない部下ではない。

叱っても反省しない。

怒鳴っても謝らない。

殴っても心を入れ替えない。

ただの機械なのだ。

調子が悪いのには、何らかの原因がある。

その原因を調べることが、修理への第一歩だと思う。

拳を握るのは、最後の手段ですらない。

最初から選択肢に入れないでほしい。

テレビは進化した。親父はどうだ。

それにしても、時代は変わった。

昭和から平成、そして令和。

家電は驚くほど進化している。

テレビは薄くなった。

親父の頭も薄くなった。

画質は美しくなった。

親父は老けた。

テレビの機能は増えた。

親父の機能は減った。

……。

テレビも親父も、ずいぶん変わった。

しかし、ひとつだけ変わらないものがある。

親父の修理方法だ。

昭和から令和まで、ずっと叩いている。

もはや伝統芸能である。

一子相伝の技なのだろうか。

いや、僕は受け継がないぞ。

そもそも、親父がテレビを叩いていたのは、壊したかったからではない。

直したかったからだ。

その気持ちはわかる。

母親も同じだったのだろう。

テレビが壊れたら困る。

だから、何とかしようとした。

二人とも、悪意があったわけではない。

ただ、方法が少しばかり過激だったのだ。

いや、少しではないか。

令和の薄型テレビを、二人がかりで叩き続けていたのだ。

十分に過激である。

それでも、僕は思う。

昔の成功体験に頼りたくなる気持ちは、誰にでもある。

新しいことを覚えるのは面倒だ。

今までのやり方を変えるのも簡単ではない。

だから、つい慣れた方法を選んでしまう。

親父にとっては、それが「叩く」だったのだろう。

しかし、家電は進化し続けている。

それを使う人間も、少しは変わらなければならない。

テレビだけが新しくなっても、修理方法が昔のままでは困る。

親父よ。

頼む。

そろそろアップデートしてくれ。

そう願っていた。

その翌日のことだった。

母親が言った。

「なんか冷蔵庫の調子がおかしいわ」

……。

その瞬間。

親父が立ち上がった。

まさか。

おい。

やめてくれ。

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