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悩みすぎる性格でしんどい。疲れた。眠れない。「悩まない」と決めるだけでいい。

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僕は昔、ウジウジ悩む人間だった。

ウジウジくんだ。

ああでもない。こうでもない。

あの人に嫌われたかもしれない。

あんなことを言わなければよかった。

明日はどうしよう。

そんなことばかり考えていた。

朝から晩までウジウジしていた。

体も、心なしかウジウジしていた。

背中は丸まり、肩は落ち、歩き方までどこか頼りない。

もはや人間というより、ウジウジという生き物だった。

しかも、このウジウジくんは非常に働き者である。

朝起きた瞬間から悩み始める。

電車に乗っても悩む。

仕事中も悩む。

ご飯を食べながら悩む。

布団に入っても悩む。

そして、ようやく眠りについたと思ったら、翌朝また悩み始める。

年中無休。24時間営業。

僕の頭の中には、ブラック企業も驚くほど働き続けるウジウジくんが住んでいたのだ。

しかし、そんな生活を続けているうちに、僕は疲れてきた。

もう、悩みに悩んで疲れてしまった。

考えても、考えても、答えが出ない。

ひとつ解決したと思ったら、また別の悩みがやってくる。

まったく、忙しい。

僕の頭の中では、毎日悩みの会議が開かれていた。

しかも、誰ひとり結論を出さない。

そんなある日、ふと思った。

「あれ? 悩まんという選択肢もあるやん」

僕は衝撃を受けた。

これまで、どうすれば悩みを解決できるのか。そればかり考えていた。

しかし、もっと簡単な方法があったのだ。

そうだ。シンプルなんだ。

悩まなかったらいいんだ。

なんだ、そんなことか。

僕は今まで、何をあんなにウジウジしていたのだろう。

悩みを解決しようとして、さらに悩みを増やしていた。

もう、そんなことはやめよう。

僕は決めた。

悩まない。

これで、ひとつ決まった。

あとは知らない。

どうにでもなるだろう。

だって、もう悩んでいないのだから。

目次

① なぜ人は「悩まない」という選択肢を見落とすのか

人は悩みが生まれると、解決方法を探そうとする。

仕事で失敗した。

どうしよう。

上司に怒られるかもしれない。

どうやって謝ろう。

明日、会社に行きたくない。

どうすればいいんだ。

こんな具合だ。

もちろん、問題を解決しようとすることは悪くない。

むしろ、必要な場合も多い。

しかし、僕は思う。

そもそも、なぜ悩むことが前提になっているのだろうか。

悩みが生まれた。

だから悩む。

当たり前のように思える。

でも、本当にそうだろうか。

悩みが生まれたからといって、必ず悩まなければならないという法律でもあるのだろうか。

そんな法律、聞いたことがない。

「悩みが発生した場合、国民は最低3日間悩まなければならない」

そんな法律があったら、僕は真っ先に反対する。

国会前でデモをしてもいい。

いや、デモは面倒くさい。

それも悩まずにやめておこう。

話を戻そう。

僕たちは、悩みが生まれると、その悩みの中で選択肢を探そうとする。

Aにするか。

Bにするか。

それともCにするか。

しかし、僕はそこにもうひとつ、選択肢を加えたい。

「悩まない」だ。

AでもBでもCでもない。

そもそも、その問題について悩まない。

これも立派な選択肢ではないだろうか。

僕は、この選択肢を長い間見落としていた。

悩みが生まれたら、悩まなければならない。

そんな思い込みがあったのかもしれない。

しかし、誰かに命令されたわけではない。

自分で勝手に悩んでいたのだ。

だったら、自分でやめたっていいじゃないか。

② 「悩まない」と決めた瞬間、何が起きるのか

ここが、僕の考え方で一番大切なところだ。

例えば、ある悩みがあるとしよう。

どうするか。

こうするか。

ああするか。

いろいろな選択肢が頭に浮かぶ。

しかし、どれも決められない。

だから悩む。

そして、決められないこと自体が、また新しい悩みになっていく。

悩みの上に悩みを積み重ねる。

まるで悩みのタワーマンションだ。

しかも、どんどん増築されていく。

何階建てになるつもりなのだろう。

そこで、僕は考える。

「悩むか、悩まないか」

そして、悩まない方を選択する。

すると、どうなるか。

ひとつ、決まるのだ。

これが大きい。

さっきまで何も決められなかった。

しかし、今は違う。

「僕は、この問題について悩まない」

そう決めたのだ。

つまり、何も決めていない状態ではなくなった。

少なくとも、ひとつの結論が生まれた。

そして僕の場合、不思議なことに、それだけで悩みが消えてしまう。

もちろん、問題そのものが消えるわけではない。

仕事の問題なら、仕事の問題は残っている。

人間関係の問題なら、相手は相変わらず存在している。

借金があれば、借金も残っている。

残念ながら、銀行の残高まで増えるわけではない。

しかし、僕の中ではもう終わっている。

悩まないと決めたのだから、悩まない。

あとは放置だ。

結果がどうなるかなんて、知らない。

いい結果になるかもしれない。

悪い結果になるかもしれない。

何も変わらないかもしれない。

でも、それはそのときの話だ。

結果が気になって仕方がない?

いや、僕はもう悩んでいない。

だから、その結果についても今は考えない。

もちろん、実際に何かが起きたら、そのとき対応すればいい。

未来の問題まで、今の僕が先回りして全部引き受ける必要はない。

問題が解決していなくても、悩みが終わることはある。

僕はそう考えている。

③ 人間関係の悩みなんて、悩まないことにすればいい

人間関係は、悩みの代表選手だと思う。

職場の人間関係。

友人関係。

恋愛。

家族。

人が二人以上集まれば、何かしらの問題が生まれる。

例えば、職場に嫌いな人がいるとしよう。

その人は、いつも嫌なことを言ってくる。

態度も悪い。

顔を見るだけで腹が立つ。

そして、家に帰ってからも考える。

「あの人、なんであんな言い方するんだろう」

「僕のことが嫌いなのかな」

「明日も何か言われるのかな」

気づけば、仕事が終わっているのに、その人のことで頭がいっぱいになっている。

これは、もったいない。

なぜ、仕事が終わってからも、その人を頭の中に住まわせているのだろう。

しかも、家賃は無料だ。

電気代も水道代も払わない。

それなのに、僕の大切な時間を奪っていく。

とんでもない居候である。

だったら、追い出せばいい。

「もう、お前のことで悩まない」

そう決める。

それで終わりだ。

別に仲直りしなくてもいい。

相手を理解しなくてもいい。

嫌いな人を無理に好きになる必要もない。

もちろん、仕事で必要な会話はする。

挨拶だってする。

しかし、それ以上のことは考えない。

その人について悩まないと決めたのだから。

ただし、これは相手からの嫌がらせやハラスメントまで我慢しろという話ではない。

必要なら相談するし、距離を取るし、職場を変えることだってできる。

それはそれで、別の選択だ。

僕が言いたいのは、嫌いな人のことを、いつまでも頭の中で考え続ける必要はないということだ。

そして、もうひとつ。

本当に大切な人なら、どうだろう。

例えば、恋人と喧嘩した。

大切な友人を傷つけてしまった。

家族との関係がうまくいかない。

そんなときは、悩んだっていい。

いや、むしろ悩みたいと思うかもしれない。

相手の気持ちを考えたい。

どうすれば仲直りできるのか考えたい。

自分の言動を振り返りたい。

だったら、悩めばいい。

僕は、悩むことが悪いと言っているわけではない。

悩みたいなら、悩めばいいのだ。

大切な人だから必ず悩まなければならない、ということでもない。

ただ、自分が悩みたいと思ったなら、悩む方を選べばいい。

そこに立派な理由なんて必要ない。

考えることで何かが変わるかどうか。

そんなことは、僕にもわからない。

でも、悩みたい。

だったら悩む。

それだけだ。

悩む自由もある。悩まない自由もある。

どちらを選んでもいいではないか。

④ 禁煙も、吸わなかったらいいだけ

この考え方は、禁煙にも少し似ていると思う。

「タバコをやめたいんだけど、なかなかやめられない」

そんな話を聞くことがある。

僕は思う。

「吸わなかったらいいだけやん」

なんとも乱暴な話だ。

そんな簡単にやめられたら苦労しない。

そう言われるだろう。

もちろん、ニコチンには依存性がある。

離脱症状もあるし、習慣になっている人もいる。

禁煙が簡単ではないことはわかる。

だから、禁煙に苦しんでいる人を馬鹿にしたいわけではない。

ただ、僕が注目しているのは、もっと根本的な部分なのだ。

吸うか。

吸わないか。

まず、この二つの選択肢がある。

そして、吸わない方を選ぶ。

禁煙するために、どんな方法があるのか。

いつから始めるのか。

何本ずつ減らしていくのか。

そういうことを考えるのも、もちろんいい。

しかし、僕は思う。

方法を考える前に、まず自分がどうするかを決めたらいいのではないか。

吸わない。

そう決める。

もちろん、決めただけで身体の依存が消えるわけではない。

禁煙補助薬や医療機関の力を借りる必要がある人もいるだろう。

でも、僕が言いたいのは、複雑なことを考える前に、まず単純な選択肢に目を向けるということだ。

これは悩みも同じ。

どうすれば悩まなくなるのか。

どうすれば前向きになれるのか。

どうすれば気持ちを切り替えられるのか。

そんな方法を探す前に、

「悩まない方を選んでみよう」

それでいいのではないか。

もちろん、禁煙と悩みはまったく同じではない。

身体の依存と心の働きを、ひとまとめにすることはできない。

でも、僕にとっては発想の入り口が似ているのだ。

何かをやめたいと思ったとき。

まず、やめるという選択肢がある。

当たり前のことかもしれない。

でも、その当たり前を、僕たちは案外見落としているのではないだろうか。

⑤ 悩まないことは、無責任なのだろうか

ここまで読んで、こう思った人もいるだろう。

「そんなこと言っても、放置できない問題もあるだろう」

そのとおりだ。

例えば、仕事で重大なミスをした。

お金を返さなければならない。

誰かに迷惑をかけてしまった。

そんな問題をすべて放置していたら、大変なことになる。

僕も、それはわかる。

しかし、ここで考えてほしい。

問題に対応することと、悩むことは、本当に同じなのだろうか。

例えば、仕事でミスをした。

だったら、必要な報告をする。

謝罪が必要なら謝る。

修正できるなら修正する。

それでいい。

そのあと、家に帰ってからも、

「ああ、どうしよう」

「明日、怒られるかな」

「評価が下がるかもしれない」

と、何時間も悩み続ける必要があるのだろうか。

僕は、そこまでしなくてもいいと思う。

やるべきことはやる。

でも、悩まない。

この二つは両立する。

もちろん、僕が言っている「放置」は、場合によっては本当に何もしないという意味でもある。

どうでもいい人間関係。

今さら変えられない過去。

まだ起きてもいない未来。

そんなものなら、もう放置でいい。

結果もどうでもいい。

なぜなら、悩まないことにしたからだ。

ただし、誰かの安全や生活に関わる問題なら、必要な対応まで放棄するわけにはいかない。

責任を果たすことと、心の中で苦しみ続けることは別だ。

僕は、そう考えている。

そして、もうひとつ。

「そんなに簡単に悩まなくなれるなら、誰も苦労しない」

そう言いたくなる人もいるだろう。

それもわかる。

僕だって昔はウジウジくんだった。

あの頃の僕に、今の僕が「悩まなかったらいいやん」と言っても、簡単には納得しなかったかもしれない。

でも、今の僕はこう思うのだ。

悩まないという選択肢を、最初から捨てる必要はない。

できるかどうかは、やってみなければわからない。

そして、できなかったからといって、自分を責める必要もない。

それこそ、悩みがひとつ増えてしまう。

ウジウジくんが帰ってきてしまうではないか。

せっかく退職してもらったのに。

⑥ 「悩まない」を選ぶ。日々の思考の訓練

「悩まないと決めても、どうしても悩んでしまう」

そんな人もいると思う。

それは、仕方のないことかもしれない。

長年、悩むことが当たり前だった人が、今日から突然悩まなくなるのは難しいだろう。

僕も昔はそうだった。

だから、これは日々の思考の訓練なのだと思う。

ただし、訓練と言っても、難しいことは何もない。

瞑想する必要もない。

山にこもる必要もない。

滝に打たれる必要もない。

修行僧になる必要もない。

「悩む」「悩まない」

この二つの選択肢から、

「悩まない」を選ぶ。

たったそれだけだ。

悩みが生まれた。

どうしよう。

そう思ったら、一度考えてみる。

「悩むか、悩まないか」

そして、悩まない方を選んでみる。

最初は、うまくいかないかもしれない。

悩まないと決めたのに、また考えてしまうかもしれない。

だったら、もう一度選べばいい。

「悩まない」

また悩んでしまった。

もう一度。

「悩まない」

それを繰り返す。

もちろん、悩みが自然に浮かんでくることまで、自分の意思で完全に止められるとは限らない。

強い不安や不眠が続く場合には、誰かに相談したり、専門家の助けを借りたりすることも大切だ。

でも、日常のちょっとした悩みなら、こういう選択を繰り返すことで、考え方が変わっていくかもしれない。

僕は、そう思っている。

そして、重要なのは、必ず「悩まない」を選ばなければならないわけではないということだ。

今日は悩みたい。

だったら、悩めばいい。

明日は悩みたくない。

だったら、悩まなければいい。

昨日は悩んでいたことを、今日は放置したっていい。

自分の選択を、いつまでも守り続けなければならないわけでもない。

人間なのだから、気持ちが変わることもある。

それでいいではないか。

僕は、悩みを完全になくしたいわけではない。

悩むことを禁止したいわけでもない。

ただ、悩むかどうかを、自分で選びたいのだ。

⑦ 悩みを解決しなくても、悩みは終わる

僕たちは、悩みが生まれると、どうにかして解決しようとする。

もちろん、それが必要なこともある。

しかし、世の中には、簡単には解決できない問題が山ほどある。

他人の気持ち。

過去の失敗。

未来への不安。

自分ではどうにもできない出来事。

そういうものについて、いつまでも考え続けてしまう。

でも、僕は思う。

解決できないからといって、悩み続けなければならないわけではない。

例えば、誰かに嫌われているかもしれない。

本当に嫌われているのかどうかは、わからない。

本人に聞いても、本当のことを言ってくれるとは限らない。

だから悩む。

でも、僕ならこう考える。

「まあ、悩まんとこ」

終わりだ。

嫌われているかもしれない。

嫌われていないかもしれない。

どちらでもいい。

その人の気持ちは、その人のものだ。

僕がいくら考えても、相手の頭の中を自由に変えられるわけではない。

だったら、もう考えない。

これは、相手のことをどうでもいい人間だと思っているという意味ではない。

単純に、その問題について悩まないことを選んだだけだ。

そして、ここで僕が言いたいことがある。

「どうでもいいから悩まない」のではない。

「悩まないと決めたから、どうでもよくなる」のだ。

この順番が、僕にとっては大切なのだ。

最初からどうでもいいことなら、そもそも悩みにはならない。

気になっている。

不安もある。

だから悩みが生まれる。

でも、そこで「悩まない」を選ぶ。

すると、その問題を追いかけ続ける必要がなくなる。

僕の場合、それだけで気持ちが切り替わる。

何も解決していない。

でも、悩みは終わっている。

不思議な話だ。

しかし、僕にとっては、これが一番自然なのだ。

⑧ 悩むことを選んだなら、とことん悩んでもいい

ここまで「悩まない」と言い続けてきた。

しかし、誤解しないでほしい。

僕は、悩むことが嫌いなわけではない。

悩むことを選ぶ日だってある。

例えば、本当に大切な人のことで悩む。

相手にどう伝えればいいのか。

どうすれば気持ちが届くのか。

自分はどうしたいのか。

そんなことを考える。

答えが出ないかもしれない。

考えても何も変わらないかもしれない。

でも、それでいい。

僕が悩みたいと思ったのだから。

悩むことに意味があるのか。

そんなことは知らない。

意味がなくてもいい。

自分がそうしたいのだから、それでいい。

僕は、悩むことにも価値があると思っている。

悩む時間があるからこそ、気づけることもあるだろう。

誰かを大切に思っているからこそ、悩みたいこともあるだろう。

でも、別に立派な理由がなくたっていい。

悩みたいから悩む。

それで十分だ。

つまり、僕が言いたいのは、

「悩まない人間になろう」ではない。

「悩むか悩まないか、自分で選んだらいいじゃないか」

ということなのだ。

そして、悩まないことを選んだなら、もうその件は放置する。

結果がどうなるかも、今は考えない。

どうにでもなるだろう。

また何か起きたら、そのとき考えればいい。

もちろん、そのときも悩まないことを選ぶかもしれない。

それは、そのときの僕が決めることだ。

⑨ 悩みすぎて眠れない夜に、思い出してほしいこと

夜になると、いろいろなことを考えてしまう人がいる。

昼間の失敗。

明日の仕事。

人間関係。

将来のこと。

布団に入った途端、頭の中で反省会が始まる。

しかも、議題が多い。

今日の反省。

昨日の反省。

先週の反省。

なぜか、10年前の失敗まで登場する。

もう勘弁してほしい。

今は寝る時間なのだ。

そんなとき、僕ならこう考える。

「悩むか、悩まないか」

そして、悩まない方を選ぶ。

明日のことは、明日考えればいい。

昨日のことは、もう終わった。

10年前の失敗なんて、今さらどうしようもない。

だから、もう悩まない。

もちろん、それだけで眠れるようになるとは限らない。

眠れない原因は人それぞれだし、強い不安が続く場合もある。

でも、少なくとも僕は、悩まないという選択肢を持っていることで、ずいぶん気持ちが楽になった。

「今夜は、この問題について悩まない」

そう決める。

それだけでも、ひとつの結論になる。

あとは布団に入って、寝る。

眠れなかったら?

まあ、そのときはそのときだ。

眠れないことについて、さらに悩む必要もない。

悩みの上に悩みを積み重ねていたら、またウジウジタワーマンションが完成してしまう。

もう建設は中止だ。

⑩ 悩みなんて、悩まなかったらいいだけ

昔の僕は、ウジウジくんだった。

何かあるたびに悩んでいた。

どうしよう。

どうすればいいんだろう。

ああでもない。

こうでもない。

そんなことばかり考えていた。

しかし、ある日気づいた。

悩まないという選択肢があるじゃないか。

それから僕は、悩みが生まれたとき、まず選ぶようになった。

悩むか。

悩まないか。

たった二つだ。

悩みたいなら、悩めばいい。

悩みたくないなら、悩まなければいい。

そして、悩まないことを選んだなら、もう放置する。

結果がどうなるかなんて、知らない。

うまくいくかもしれない。

失敗するかもしれない。

でも、今はそんなことを考えない。

だって、もう悩んでいないのだから。

もちろん、誰もが簡単にできるとは思わない。

僕だって昔は、そんなふうに考えられなかった。

でも、悩みが生まれたときに、ひとつ選択肢を増やしてみてほしい。

「どうすれば解決できるか」

その前に、

「そもそも、悩むか悩まないか」

と考えてみる。

それだけだ。

人生には、これからもいろいろな問題が起こるだろう。

嫌なこともある。

失敗もする。

人間関係で揉めることもある。

未来が不安になることもある。

それらをすべてなくすことはできない。

でも、僕はもう、すべての問題について悩み続けるつもりはない。

悩みたいことは、悩む。

悩みたくないことは、悩まない。

ただ、それだけ。

昔のウジウジくんは、もういない。

いや、たまには帰ってくるかもしれない。

そのときは、悩むことを選んだ僕が、しばらく相手をしてやろう。

そして、もう十分だと思ったら、帰ってもらう。

「今日はもう、悩まんことにしたわ」

そう言って。

悩みなんて、悩まなかったらいいだけ。

僕は、そう思っている。

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