「まあ、いけるやろ」から始まる
説明書を読むのが、めんどくさい。
家具でも家電でも、何かを買えばだいたいついてくる。
本当は最初に読むものなのだろう。
わかっている。
説明書なのだから、説明してくれている。
しかも無料で。
これから僕が何をすればいいのか、順番まで丁寧に教えてくれている。
親切のかたまりである。
でも僕は、読まない。
箱を開ける。
中身を出す。
部品を並べる。
説明書も出てくる。
一応、見る。
見るけれど、読まない。
そして、
「まあ、いけるやろ」
と始める。
この「まあ、いけるやろ」に、これまで何度裏切られてきたかわからない。
それでも僕は、毎回信じる。
絶大な信頼を寄せている。
自分に。
説明書を見るのは、なぜか負けた気がする
たとえば、組み立て式の家具。
板が何枚か入っている。
ネジもある。
棒みたいなのもある。
六角レンチもある。
なるほど。
何もわからない。
でも、なんとなく完成形は想像できる。
棚なら、板と板をネジでくっつければ、いつか棚になるはずだ。
そんなに難しい話ではない。
人類は月に行った。
僕は棚を作るだけだ。
いける。
まず、この板とこの板をくっつける。
ネジを締める。
おお。
それっぽい。
もう一枚つける。
さらにそれっぽい。
僕の中にいる家具職人が目を覚ます。
説明書?
いらんいらん。
こっちはもう構造を理解している。
そして20分後。
穴が合わない。
おかしい。
さっきまであんなに順調だったのに。
板をひっくり返す。
合わない。
向きを変える。
合わない。
一回外す。
別の板をつける。
もっと合わない。
ここで初めて、床に放置していた説明書を見る。
「最初に、板Aと板Bを取り付けます」
なるほど。
板A。
どれだ。
僕の前には、すでにAでもBでもない、独自の進化を遂げた木の集合体がある。
説明書のイラストと見比べる。
似ていない。
どうやら僕は、開始20分で説明書の世界線から離脱したらしい。
最初から読めば10分だった
ここからが長い。
一度締めたネジを外す。
固い。
さっきの僕が、必要以上に本気で締めている。
何をそんなに守りたかったのだ。
ようやく外れる。
板を外す。
向きを変える。
またつける。
説明書を読む。
「このとき、穴の位置に注意してください」
先に言ってくれ。
いや、言っている。
最初からずっと言っている。
僕が読んでいないだけだ。
腹が立つ相手がいない。
説明書は悪くない。
メーカーも悪くない。
板も悪くない。
ネジも、自分の仕事をしている。
悪いのは全部、僕である。
こういうときが一番困る。
誰かのせいにできない。
そして気づけば、最初から説明書を読めば10分で終わったであろう作業に、40分くらい使っている。
僕は説明書を読む3分を惜しみ、
30分を失った。
時間の使い方が豪快すぎる。
一本余ったネジほど怖いものはない
それでも、なんとか完成する。
棚が立つ。
おお。
できた。
やればできるじゃないか。
途中いろいろあったけれど、最終的に完成すればいい。
達成感に包まれながら、床に散らばったゴミを片づける。
段ボールを畳む。
ビニール袋を捨てる。
六角レンチをしまう。
そして見つける。
ネジが一本、余っている。
怖い。
完成したはずの家具が、一瞬で信用できなくなる。
さっきまで立派な棚だったものが、急に崩壊寸前の建造物に見えてくる。
この一本は、どこに行くはずだったのだ。
説明書を見る。
ネジの本数を数える。
合わない。
棚を見る。
どこかに穴がないか探す。
ない。
もう一度ネジを見る。
ネジは何も答えない。
そこで僕の中に、とても都合のいい考えが生まれる。
「予備ちゃう?」
素晴らしい。
なんて便利な言葉だろう。
余ったものは、全部予備。
これで世界は平和になる。
説明書に「予備1本」と書いてあるかどうかは確認しない。
確認したら、予備ではない可能性が出てくるからだ。
知らない方がいいこともある。
僕は余ったネジをそっと引き出しにしまう。
棚は今日も立っている。
たぶん大丈夫だ。
たぶん。
家電でも、同じことをする
家具だけではない。
新しい家電を買っても、だいたい同じだ。
電源を入れる。
ボタンを押す。
動く。
よし、使える。
説明書を閉じる。
数日後。
「これ、どうやって設定変えるんやろ」
ボタンを長押ししてみる。
違う。
二回押してみる。
違う。
電源を一回切ってみる。
何も解決しない。
スマホでもそうだ。
アプリでもそうだ。
説明を飛ばす。
「次へ」
「次へ」
「スキップ」
「あとで」
ものすごい速度で説明から逃げる。
そして数日後、
「これ、どうやって使うん?」
知らん。
お前が全部飛ばしたからだ。
説明されている最中は、
「使いながら覚えた方が早いやろ」
と思っている。
そして使い始めると、
「説明してくれなわからんやろ」
と思っている。
メーカーからしたら、たまったものではない。
たぶん、早く触りたいのだ
なぜ僕は、説明書を読まないのだろう。
めんどくさい。
もちろん、それもある。
でも、それだけでもない気がする。
たぶん僕は、
早く触りたいのだ。
新しいものを買った。
箱を開けた。
目の前にある。
もう使いたい。
そこで説明書を10分読むという行為が、ものすごく遠回りに感じる。
ゴールが目の前にあるのに、一回受付に寄ってくださいと言われているような感じだ。
いや、もう入らせてくれ。
こっちは来ている。
だから、とりあえず触る。
間違える。
困る。
そこで初めて説明書を読む。
おそらく僕にとって説明書は、
始める前に読むものではなく、困ってから読むものなのだ。
説明書からすれば、不本意だろう。
最初から読めと表紙に書きたいはずだ。
遠回りした方が、覚えていたりする
ただ、不思議なこともある。
自分で間違えて、散々悩んで、最後に説明書を読んで、
「ああ、そういうことか」
となったことは、意外と覚えている。
最初から正解だけを読んだことよりも、失敗したことの方が記憶に残る。
棚の板を逆につけたら、次は穴の位置を見る。
ボタンを適当に押して設定がおかしくなったら、次は少し慎重になる。
ネジが余ったら、
……次も「予備ちゃう?」と思うかもしれない。
そこは成長していない。
効率だけ考えれば、最初から説明書を読んだ方が絶対にいい。
間違えない。
時間も無駄にならない。
メーカーが何人もの人間を使って、僕が失敗しないように作ってくれた紙なのだ。
読んだ方がいいに決まっている。
それでも、自分で触って、失敗して、困ってから理解する。
僕はどうやら、そういう遠回りの方が性に合っているらしい。
そして次も、たぶん読まない
ここまで書いておいてなんだけれど、
たぶん僕は、これからも説明書を読まない。
反省はしている。
毎回している。
家具を組み立てるたびに、
「次から絶対、最初に説明書読も」
と思う。
家電の設定で困るたびに、
「こういうの最初にちゃんと読まなあかんな」
と思う。
その反省は本物だ。
嘘ではない。
ただし、有効期限が短い。
次に何かを買った頃には、きれいに切れている。
箱が届く。
開ける。
新品の匂いがする。
部品を取り出す。
説明書が出てくる。
一応、手に取る。
パラパラとめくる。
そっと横に置く。
そして僕は、何の根拠もなく思う。
「まあ、いけるやろ。」
いけない。
たぶん今回も。
