ちなみに僕は、めちゃくちゃ寝る。
寝るのが好きだ。
休みの日に目覚ましをかけなければ、平気で昼まで寝ている。途中で一度目が覚めても、時計を見て「まだ寝られる」とわかれば、もう一度目を閉じる。
二度寝には、一度目の睡眠にはない幸福がある。
一度起きてもいいのに、あえて寝る。
贅沢である。
そんな僕とは、ほとんど別の生き物みたいな人がいる。
堀大輔さん。
一日30分程度しか寝ないことで知られる、ショートスリーパーだ。
初めて知ったときは、当然こう思った。
嘘やろ。
僕が八時間寝ているとしたら、起きているのは一日16時間。
30分しか寝なければ、23時間30分。
差は7時間30分。
一週間なら52時間30分。
もう二日以上増えている。
ずるい。
僕が火曜日を生きているあいだに、堀さんだけ木曜日あたりまで進んでいる。
嘘か、本当か。それはどっちでもいい。
30分睡眠について調べると、いろんな意見が出てくる。
本当にそんな睡眠時間で大丈夫なのか。
誰にでもできるのか。
健康への影響はないのか。
実際には短い仮眠なども取り入れているという話もある。
もちろん気になる。
でも、この記事ではそこを追いかけない。
嘘か、本当か。それはどっちでもいい。
僕が気になったのは、もっと別のことだった。
仮に本当に、一日30分しか寝なくても元気に生活できるとする。
そうなったら、人間は増えた時間で何をするんだろう。
堀大輔の一日を見てみる。
堀さんの一日の過ごし方を見てみた。
仕事をする。
筋トレをする。
犬の散歩をする。
食事をする。
趣味を楽しむ。
そして、風呂にも入る。
しかも、多いときには一日に何度も入るらしい。
一回一回は短時間らしいし、筋トレなどを何度もする生活なら、そのたびに汗を流したくなるのだろう。
理屈はわかる。
わかるのだが。
めっちゃ風呂入るやん。
僕が寝ているあいだに、堀さんは筋トレをしている。
僕が寝返りを打っているあいだに、犬を散歩させている。
僕が布団の冷たい場所を探して足を動かしているあいだに、仕事をしている。
そして、風呂に入る。
すごい。
圧倒的に活動している。
でも、その生活を眺めているうちに、僕は思った。
これ、普通に寝たらよくない?
一日が七時間増えたら、僕は何をする?
もちろん、堀さんの生活を否定したいわけではない。
本人が起きていたくて、その時間でやりたいことをやっているのなら、それが一番いい。
むしろ僕にはできないから、少し羨ましい。
問題は僕の方だ。
もし明日から、僕も30分睡眠になったらどうするのか。
七時間以上、自由時間が増える。
本を読む。
文章を書く。
映画を見る。
散歩する。
まだ時間がある。
もう一冊読む。
まだある。
何か食べる。
まだある。
風呂に入る。
まだある。
もう一回、風呂に入るかもしれない。
時間というものは、足りないときにはあれほど欲しいのに、ありすぎると今度は「何をして使おう」と考え始めるのかもしれない。
せっかく増えた時間なんだから、有効に使わなければ。
勉強しよう。
運動しよう。
本を読もう。
何かを作ろう。
そうやって予定を詰めていく。
すると、自由時間を増やしたはずなのに、「自由時間を有効活用する」という仕事が一つ増える。
なんだか変な話だ。
寝ているから、起きている時間が楽しいのでは?
そもそも僕は、30分睡眠を知ったとき、無意識に「得だ」と思っていた。
八時間寝るより、30分しか寝ない方が人生をたくさん使える。
起きている時間が長ければ長いほど、人生も長くなる。
なんとなく、そんな気がしていた。
でも、本当にそうなのだろうか。
ふと思った。
寝ている時間があるから、起きている時間が楽しいんじゃないか。
腹が減るから、ご飯がおいしい。
寒い冬があるから、暖かくなった春が嬉しい。
仕事の日があるから、休みの前日の夜が嬉しい。
毎日が休日だったら、金曜日の夜に感じるあの無敵感はなくなる。
「ない」があるから、「ある」が嬉しい。
だったら睡眠も同じなのかもしれない。
僕たちは毎日、何時間も意識を手放している。
そのあいだ、本も読めない。
映画も見られない。
文章も書けない。
誰かと話すこともできない。
何もできない。
ものすごく非効率だ。
でも、その「何もできない時間」があるからこそ、朝起きて、コーヒーを飲んで、本を開いて、「今日は何をしよう」と思えるのかもしれない。
もし人間が一生眠らなくてもいい生き物だったら、朝は今と同じように気持ちいいのだろうか。
僕たちは「足りない」をなくしすぎている。
僕たちは、足りないものを増やそうとする。
お金が足りない。
もっと欲しい。
時間が足りない。
もっと欲しい。
移動時間が長い。
短くしたい。
待ち時間が長い。
なくしたい。
面倒くさい。
効率化したい。
動画を見る時間さえ惜しくて、倍速で見ることもできる。
人生から無駄をどんどん削っている。
それなのに、なぜかみんな「時間がない」と言っている。
不思議だ。
もしかすると僕たちは、「足りない」という状態を悪者にしすぎているのかもしれない。
お腹が一生いっぱいだったら、ご飯を楽しめるだろうか。
一年中ちょうどいい気温だったら、春を待つ楽しみはあるだろうか。
毎日が休みだったら、休日という言葉に今と同じ魅力を感じるだろうか。
一日中ずっと起きていられたら、起きていることを今と同じように楽しめるだろうか。
不足は不便だ。
でも、不足そのものが幸福を作っていることもある。
睡眠という毎日数時間の巨大な空白も、起きている時間を邪魔しているのではなく、起きている時間を面白くしているのかもしれない。
自分の一日だけ増えても、世界の一日は増えない。
もう一つ、30分睡眠について考えていて気づいたことがある。
僕だけ一日23時間30分活動できるようになっても、世の中の人まで23時間30分起きているわけではない。
午前3時。
僕は元気いっぱい。
でも、みんな寝ている。
午前4時。
まだ元気。
店もだいたい閉まっている。
午前5時。
本を一冊読み終わった。
誰かと話したい。
寝ている。
自分の一日が七時間増えても、世界の一日は七時間増えてくれない。
時間には、一人では使えないものが結構ある。
誰かと食事をする。
誰かと話す。
店に行く。
イベントに参加する。
社会には、社会の営業時間がある。
一日23時間30分活動できる人は、とんでもない「時間持ち」だ。
でも時間持ちになればなるほど、その一部は誰とも共有できない時間になる。
一億円持っていれば、一億円分の選択肢はかなり増える。
でも一日が七時間増えても、映画館が午前4時に上映してくれるわけではない。
時間って、量だけでは価値が決まらないのかもしれない。
僕は、起きていたいわけではなかった。
ここまでいろいろ考えたけれど、それでも僕は30分睡眠が少し羨ましい。
もし健康なまま30分しか寝なくてもいい身体になれるのなら、一度くらい体験してみたい。
僕には、やりたいことがたくさんある。
読みたい本は、読んでも読んでも増えていく。
書きたい文章もある。
小説も書きたい。
映画も見たい。
散歩もしたい。
何もせず、ぼーっとしたい。
一日が七時間増えたら、間違いなく嬉しい。
ただ、30分睡眠について考えているうちに、自分が欲しいものが少しわかった。
僕は、起きている時間を増やしたいわけではない。
楽しい時間を増やしたい。
この二つは、似ているようで少し違う。
一日23時間30分起きていても、その23時間30分を全部予定で埋めたいわけではない。
本を読んでもいい。
文章を書いてもいい。
何もしなくてもいい。
そして、眠たくなったら寝てもいい。
そんな時間が欲しい。
一日30分睡眠。
僕が八時間寝ているあいだにも、堀さんは活動している。
筋トレをしているかもしれない。
仕事をしているかもしれない。
犬を散歩させているかもしれない。
風呂にも入っているかもしれない。
僕がようやく目を覚ましたころには、いろんなことを終えているのだろう。
それはそれで、すごい人生だと思う。
でも僕は、たぶん明日も寝る。
八時間かもしれない。
十時間かもしれない。
休みなら昼まで寝てしまうかもしれない。
それでいい。
人生には、使わない時間があってもいい。
全部を有効活用しなくてもいい。
むしろ、何もできない時間があるからこそ、何かができる時間を嬉しく感じられるのかもしれない。
時間が足りないから、今日は何をしようと考える。
眠るから、また起きる。
腹が減るから、また食べる。
終わるから、また始められる。
僕は今日も、たっぷり寝る。
そして目が覚めたら、また好きなことをする。
30分睡眠の人を見ながら、そんなことを思った。
