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カラオケは人と行きたくない。嫌いだ。楽しくない心理とは。下手で気まずい。

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僕はカラオケが嫌いだ。

正確に言うと、人と行くカラオケが嫌いだ。

音楽が嫌いなわけではない。

むしろ音楽は好きだ。

好きなアーティストもいるし、好きな曲もたくさんある。一人で音楽を聴く時間も好きだ。

なのに、人とカラオケに行くと楽しくない。

友達と行っても楽しくない。

職場の人と行っても楽しくない。

誰と行っても、だいたい同じだ。

何を歌えばいいのか分からない。

歌っているときは恥ずかしい。

他人が歌っているときは、どんな顔をしていればいいのか分からない。

しかも僕は、

死ぬほど音痴だ。

致命的である。

そんな僕が人とカラオケに行くと、だいたいやることは決まっている。

自分の番が来たら、

『天体観測』を歌う。

他人の番が来たら、

タンバリンを叩く。

天体観測。

タンバリン。

天体観測。

タンバリン。

だいたいこれで二時間をやり過ごす。

何してんだ、僕は。

今回は、なぜ僕がここまで人と行くカラオケを楽しめないのか、真剣に考えてみたい。

目次

そもそも僕は、人とあまり音楽の趣味が合わない

まず、これが大きい。

僕は人とあまり音楽の趣味が合わない。

もちろん、まったく合わないわけではない。

同じアーティストが好きなこともある。

同じ曲を知っていることもある。

でも、カラオケで何時間も歌えるほど、好きな音楽が完全に一致する人なんてなかなかいない。

僕には僕の好きな曲がある。

相手には相手の好きな曲がある。

当たり前の話だ。

普段なら何の問題もない。

ところがカラオケに行くと、この違いが急に気になり始める。

デンモクを持つ。

本当に歌いたい曲を思い浮かべる。

検索する。

曲が出てくる。

歌いたい。

でも、

「これ、たぶん誰も知らんな」

と思う。

やめる。

別の曲を探す。

これも好きだ。

でも、

「これも知らんやろな」

と思う。

またやめる。

気づけば僕は、歌いたい曲ではなく、

その場で歌っても大丈夫そうな曲

を探している。

おかしい。

好きな歌を歌うための場所に来たはずなのに。

いつの間にか僕は、みんなとの共通知識を探している。

知らない曲を入れたときの空気が気まずい

もちろん、好きな曲を歌えばいい。

誰も知らなくても関係ない。

頭では分かっている。

でも僕には難しい。

勇気を出して、ちょっとマイナーな好きな曲を入れてみる。

イントロが流れる。

誰も反応しない。

歌い始める。

しばらくして誰かが言う。

「これ誰の曲?」

悪気なんてない。

ただ知らないから聞いているだけだ。

それでも僕は心の中で思う。

俺は好きなんだ。許してくれ。

知らない曲を歌っている数分間って、妙に長い。

みんなが、

「へえ、こういう曲なんだ」

みたいな顔をしているように見える。

たぶん誰もそんなことを気にしていない。

それでも気になる。

だから次からは、みんなが知っていそうな曲を選ぶ。

有名な曲。

昔流行った曲。

イントロだけで分かる曲。

そして最終的に、僕はあの曲へたどり着く。

BUMP OF CHICKENの『天体観測』だ。

僕はどれだけ、見えないものを見ようとしたのか

『天体観測』は強い。

知っている人が多い。

イントロが流れれば、

「あー!」

となる。

これだけで安心する。

少なくとも、

「これ誰の曲?」

とはなりにくい。

だから僕は困ったら『天体観測』を歌ってきた。

何回歌ったのだろう。

もう分からない。

僕はどれだけ、見えないものを見ようとしたのか。

何度、望遠鏡を担いだのだろう。

カラオケに行くたびに望遠鏡を担いでいる気がする。

何を歌おう。

困った。

天体観測。

もう一曲どうしよう。

困った。

天体観測。

いや、さっき歌った。

じゃあ、しばらく時間を空けよう。

一時間後。

そろそろ、もう一回いけるか。

また望遠鏡を担ぐ。

しかし、ここで問題がある。

僕は『天体観測』を知っている。

みんなも知っている。

だから安心。

……ではない。

僕には、もっと大きな問題がある。

僕は死ぬほど音痴だ

そう。

僕は死ぬほど音痴なのだ。

カラオケが苦手な理由として、これはかなり大きい。

人前で歌うだけでも恥ずかしい。

そのうえ下手なのだ。

歌い始める。

音を外す。

自分でも分かる。

「あ、今の違う」

でも止められない。

曲はどんどん進んでいく。

まだ一番だ。

長い。

普段聴いていると四分なんて一瞬なのに、自分が歌っている四分間は異常に長い。

しかも全員に見られている感じがする。

逃げ場がない。

会話なら、ちょっと噛んでも終わりだ。

でも歌は違う。

音を外しても曲は続く。

高い声が出なくても続く。

声が裏返っても続く。

まだ二番がある。

もう十分だろう。

しかし曲は許してくれない。

最後まで歌えと言ってくる。

有名な曲ほど、音痴がバレる

そして僕は気づいた。

みんなが知っている曲なら安心。

これは音痴にとって、半分間違っている。

なぜなら、

みんなが正解を知っているからだ。

『天体観測』なら、みんなメロディーを知っている。

つまり僕が音を外せば、

全員に分かる。

知らない曲なら、

「こういうメロディーなのかな」

で突破できたかもしれない。

でも有名な曲では無理だ。

僕が間違っていることを全員が知っている。

何のために有名な曲を選んだんだ。

安心するためだったはずだ。

なのに自分から音痴を分かりやすくしている。

それでも僕は歌う。

望遠鏡を担ぐ。

音を外す。

また外す。

僕の歌声を聞いたら、

星たちも逃げていくだろう。

望遠鏡を覗く。

何も見えない。

観測失敗である。

歌い終わったあとの「うまーい!」も気まずい

ようやく曲が終わる。

助かった。

マイクを置く。

すると、

「うまーい!」

パチパチパチ。

……。

本当か?

疑ってしまう。

僕は自分が音痴なのを知っている。

さっきも外した。

高音も怪しかった。

それなのに、

「うまいやん!」

と言われる。

気を遣わせてない?

と思う。

かといって、

「いやいや、めっちゃ下手やん」

と否定するのも面倒くさい。

相手は、

「そんなことないって!」

と言う。

僕がまた、

「いやいや」

と言う。

何だこのやり取り。

だから、とりあえず笑う。

歌う前も気まずい。

歌っている最中も気まずい。

歌い終わっても気まずい。

いつ楽しくなるんだ。

見られたくない。でも無視されるのも嫌だ

自分でも面倒くさいと思う。

歌っているとき、僕はあまり見られたくない。

全員が僕を見ていると緊張する。

できれば、適当にしていてほしい。

ところが、実際にみんながスマホを触り始めたり、隣同士で喋り始めたりすると、

いや、ちょっとは聴けよ。

と思う。

何なんだ、僕は。

見ないでほしい。

でも完全に無視されるのは嫌。

褒められると気まずい。

でも無反応も嫌だ。

じゃあどうしてほしいんだ。

僕にも分からない。

たぶん、これも疲れる原因なのだと思う。

自分の中に正解がない。

他人が歌っているときも困る

自分の番が終わった。

やっと休める。

次の人が歌う。

普通ならここで安心するはずだ。

ところが、僕には新しい問題が始まる。

どんな顔をしていればいいのか。

歌っている人をずっと見る。

怖い。

四分間ずっと見つめるのは怖い。

ニコニコしておく。

これも変だ。

四分間ずっと笑顔を固定していたら、そっちの方が怖い。

スマホを見る。

楽だ。

でも、

「あなたの歌に興味ありません」

みたいに見えないだろうか。

デンモクで次の曲を探す。

合理的ではある。

でも、ずっとデンモクを触っていたら、

「俺の歌、全然聴いてないやん」

と思われるかもしれない。

じゃあ軽くリズムに乗る。

首を動かす。

うん。

うん。

うん。

いつまでこれやればいいんだ。

しかも相手の曲を知らない

ここで最初の問題に戻る。

僕は人とあまり音楽の趣味が合わない。

つまり、僕の好きな曲を相手が知らないだけではない。

相手の好きな曲を僕も知らない。

相手は楽しそうに歌っている。

たぶん大好きな曲なのだろう。

でも僕は知らない。

イントロも知らない。

Aメロも知らない。

サビも知らない。

だから、どこで盛り上がればいいのかすら分からない。

急に声量が大きくなる。

サビか?

とりあえず少し体を揺らしてみる。

違ったかもしれない。

もう分からない。

知らない曲を四分間聴くとき、

人間はどんな顔をしていればいいのだろう。

僕はその答えを長い間探してきた。

そして、ついに見つけた。

タンバリンだけが僕の逃げ道だ

タンバリン。

あれは素晴らしい。

僕にとってタンバリンは楽器ではない。

逃げ道だ。

タンバリンを持った瞬間、僕には役割が生まれる。

さっきまで、

「どこ見よう」

「スマホ触っていいかな」

「笑った方がいいかな」

と困っていた。

でもタンバリンを持てば、

僕は今、タンバリンを叩いている人

になれる。

これでいい。

知らない曲でも関係ない。

リズムに合わせて軽く叩く。

シャン。

シャン。

何かやっている。

ちゃんと場に参加している。

そんな人になれる。

目を瞑って、軽く叩く

さらに僕は考えた。

タンバリンを叩きながら、

目を瞑ればいい。

これで完璧だ。

目を瞑る。

軽く叩く。

シャン……。

シャン……。

歌っている人と目が合わない。

どこを見ればいいのか考えなくていい。

しかも外から見れば、

めちゃくちゃ音楽に浸っている人

に見えるかもしれない。

違う。

時間を潰しているだけだ。

「いい歌だなあ」

と感動しているわけではない。

「素晴らしい歌声だ」

と思っているわけでもない。

目を瞑って、

「あと何分かな」

と思いながら軽く叩いている。

シャン……。

シャン……。

何かやっている人を演じている。

これがいい。

タンバリンがあるだけで、僕はカラオケという場所に存在できる。

タンバリンがない店は困る。

素手になる。

素手の僕には何もない。

次に何を歌うか考えるのも忙しい

他人が歌っている時間は休憩ではない。

次の曲を考えなければならない。

誰かが歌っている。

僕はタンバリンを叩いている。

でも頭の中では、

「次どうしよう」

と考えている。

予約を見る。

僕まであと二人。

まだ大丈夫。

一人終わる。

あと一人。

まずい。

デンモクを持つ。

曲を探す。

これ歌いたい。

でも知らないだろうな。

次。

これも無理か。

今歌っている曲が終盤に入る。

さっきまで、

「知らない曲長いな」

と思っていたのに、

終わるな。もう一回サビ歌え。

と思い始める。

勝手な人間である。

そして、

「次、何歌う?」

と聞かれる。

いや、まだ決めてない。

待ってくれ。

僕は今、必死にみんなが知っていて、なおかつ僕でも何とか歌えそうな曲を探している。

これは選曲ではない。

試験問題である。

採点機能はいらない

さらに僕が苦手なのが採点だ。

なぜ娯楽に点数をつけられなければならない。

僕は遊びに来たのだ。

試験を受けに来たんじゃない。

ただでさえ音痴なのは分かっている。

そこへ機械まで参加してくる。

歌い終わる。

点数が表示される。

低い。

知ってる。

わざわざ数字にしなくていい。

しかも前の人が95点なんて出したあとに僕の番が来たら最悪だ。

比較が始まる。

いや、誰も比較していないのかもしれない。

でも僕は勝手に気にする。

人間だけでも大変なのに、

機械まで僕を評価するな。

採点なしでいい。

僕は静かに音を外させてほしい。

デュエットを突然振らないでほしい

さらに困るのがデュエットだ。

「これ一緒に歌おう!」

と言われる。

知らない。

俺に突然パートを与えるな。

僕は今までタンバリン係だったのだ。

それが突然、

「ここからあなたのパートです」

と言われても困る。

しかも一人なら多少誤魔化せるところを、デュエットになると相手との違いが余計に分かる。

音程。

タイミング。

声量。

全部違う。

僕は静かにタンバリンを叩いていたかった。

なぜ急に前線へ出されたのだ。

「盛り上がる曲歌って」も困る

「なんか盛り上がる曲歌ってよ!」

これも困る。

僕は宴会部長ではない。

僕が好きな曲が、必ずしも盛り上がる曲とは限らない。

静かな曲だって好きだ。

暗い曲だって好きだ。

なのにカラオケでは、

「この曲を歌いたい」

ではなく、

「この場に適した曲は何か」

を考え始める。

好きな歌を歌う場所なのに、

場の空気を読んで選曲している。

もう音楽より人間関係の方が忙しい。

歌わなくても逃げられない

じゃあ歌わなければいい。

僕もそう思う。

端っこでタンバリンを叩いていればいい。

ところが、しばらく歌わないと、

「歌わないの?」

と聞かれる。

来た。

歌ったら緊張する。

歌わなかったら、

「歌わないの?」

と言われる。

どこにも逃げ道がない。

「いや、聴いてるだけでいいよ」

と言っても、

「せっかく来たんだから歌おうよ」

となる。

分かる。

カラオケだから。

歌う場所だから。

何も間違っていない。

だから僕は、そもそもここに向いていない。

だったら行かなければいい

ここまで書くと、当然こうなる。

「そんなに嫌なら行くなよ」

本当にその通りだ。

僕もそう思う。

ただ、僕の場合、カラオケって最初から予定されていることがあまりない。

「○月○日、19時。カラオケ集合」

なら断れる。

行かなければいい。

でも実際は違う。

友達とご飯を食べる。

飲みに行く。

遊ぶ。

そして終盤。

誰かが言う。

「このあとどうする?」

別の誰かが言う。

「カラオケでも行く?」

突然だ。

さっきまで一言もカラオケの話なんてしていなかった。

みんな、

「行こ行こ」

となる。

ここで僕だけ、

「じゃあ帰るわ」

と言えばいい。

でも、なんとなく帰りづらい。

それまで一緒に楽しく遊んでいたのに、カラオケという単語が出た瞬間、一人だけ駅へ向かう。

なんか変な感じがする。

「カラオケ嫌いなん?」

「歌わんでもいいやん」

「ちょっとだけ行こうや」

となるのも面倒くさい。

だから、

「まあ、行くか」

となる。

そして三十分後。

僕は望遠鏡を担いでいる。

職場でも友達でも楽しくない

職場の人とのカラオケは特に難しい。

年代が違う。

好きな音楽も違う。

何を歌えばいいのか余計に分からない。

上司も知っている曲?

盛り上がる曲?

無難な曲?

そんなことを考える。

でも、じゃあ友達なら楽しいのか。

楽しくない。

仲のいい友達でも同じだ。

音楽の趣味は完全には合わない。

僕は音痴だ。

人前で歌うのは恥ずかしい。

他人が歌っている間の過ごし方も分からない。

つまり職場だから嫌なのではない。

友達が嫌いなわけでもない。

僕は「人とカラオケに行く」という行為そのものが苦手なのだ。

何人なら楽しいのだろう

人数の問題かもしれない。

二人ならどうだ。

一曲歌う。

相手が一曲歌う。

また僕。

早い。

休ませてくれ。

四人くらいならどうだ。

少し間が空く。

でも自分の番は普通に来る。

六人ならどうだ。

自分の番は減る。

これはいい。

でも今度は、知らない曲を聴いている時間が増える。

タンバリンを叩く時間も増える。

じゃあ僕にとって、カラオケを一番楽しめる人数は何人なのだろう。

考えてみる。

二人ではない。

四人でもない。

六人でもない。

一人。

いた。

答えが出た。

一人なら何をしてもいい

一人なら、好きな曲を歌える。

誰も知らない曲でもいい。

そもそも僕しかいない。

同じ曲を三回歌ってもいい。

途中で、

「やっぱ違うな」

と思ったら止めてもいい。

二番を歌いたくなければ止めてもいい。

なんならサビだけ歌ってもいい。

キーも好きに変えればいい。

音を外しても誰も知らない。

声が裏返ってもいい。

疲れたら休めばいい。

スマホを触っても誰にも失礼ではない。

そして何より、

天体観測をしなくていい。

もちろん本当に歌いたければ歌えばいい。

でも、

「みんなが知っているから」

という理由で望遠鏡を担ぐ必要はない。

タンバリンもいらない。

他人が歌わないからだ。

目を瞑って、

「何かやっている人」

を演じなくてもいい。

僕はただ歌えばいい。

僕はカラオケが嫌いなのではないのかもしれない

ここまで考えてみて、少し分かった。

僕は歌が嫌いなのではない。

音楽も嫌いではない。

カラオケという機械そのものが嫌いなわけでもない。

たぶん、

人前で歌うことが嫌いなのだ。

そして、人とカラオケに行ったときに発生する細かい気遣いが苦手なのだと思う。

何を歌うか。

みんな知っているか。

盛り下がらないか。

音を外していないか。

どこを見ればいいか。

他人が歌っているときスマホを見ていいか。

次の曲を探していいか。

拍手した方がいいか。

歌わなかったら変なのか。

採点するのか。

デュエットするのか。

考えることが多すぎる。

歌を楽しむ前に、人間関係を処理している。

だから楽しくないのだと思う。

カラオケを楽しんでいる人を演じている

そして一番大きいのは、これなのかもしれない。

僕は人とカラオケに行くと、

「カラオケを楽しんでいる人」を演じている。

知らない曲でも少し体を揺らす。

歌い終わったら拍手する。

自分の番になったら、みんなが知っていそうな曲を探す。

そして他人の番になったらタンバリンを持つ。

目を瞑る。

シャン……。

シャン……。

外から見れば、それなりに楽しんでいるように見えるだろう。

でも僕は、

何かやっている人を演じながら時間を潰している。

そりゃ疲れる。

カラオケに歌いに来たはずなのに、歌手より俳優をやっている時間の方が長い。

それでも、また行くのだろう

カラオケが好きな人を否定するつもりはない。

むしろ僕からすると、楽しめる人はすごい。

好きな曲を堂々と入れる。

人の知らない曲でも気にしない。

デュエットする。

採点で盛り上がる。

知らない曲でも楽しそうに聴く。

「次これ歌おう!」

とどんどん予約する。

本当に楽しそうだ。

僕には、それがなかなかできない。

だから別に無理して好きになる必要もないと思う。

人と行くのが好きな人もいる。

一人が好きな人もいる。

歌わない人もいる。

それでいい。

ただ、ここまで散々、

「人と行くカラオケは嫌いだ」

と書いてきた僕だけれど。

次に友達とご飯を食べていて、

「このあとどうする?」

となり、

「カラオケ行く?」

と言われたら。

僕はきっぱり断れるだろうか。

たぶん、

「まあ、行くか」

と言う気がする。

そして店に入る。

デンモクを渡される。

何を歌おう。

好きな曲を探す。

みんな知らない。

別の曲。

これも知らない。

また別の曲。

やっぱり知らない。

しばらく考える。

そして僕は、静かに検索する。

『天体観測』。

まただ。

また僕は望遠鏡を担ぐ。

死ぬほど音痴なのに歌う。

音を外す。

星たちも逃げていくだろう。

ようやく曲が終わる。

次の人が歌い始める。

知らない曲だ。

どんな顔をすればいいのか分からない。

僕は静かにタンバリンを手に取る。

目を瞑る。

軽く叩く。

シャン……。

シャン……。

これでいい。

何かやっている人を演じよう。

自分の番では天体観測。

他人の番ではタンバリン。

天体観測。

タンバリン。

それを繰り返して、二時間後。

店を出る。

そして僕はまた思うのだ。

何してんだ、僕は。

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