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スクールカーストなんてゴミでくだらない。属さない人になれ。

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一軍。

二軍。

三軍。

誰が決めたんだ。

教室のどこかに順位表でも貼ってあるのだろうか。

1位、田中。

2位、佐藤。

3位、鈴木。

何の大会だ。

学校には、スクールカーストと呼ばれるものがある。

クラスの中心にいる人。

目立つ人。

友達が多い人。

静かな人。

一人でいる人。

そんな人たちを勝手に上と下に並べて、「一軍」「二軍」「三軍」なんて呼ぶ。

僕は、この考え方が嫌いだ。

一軍と呼ばれる人が嫌いなのではない。

人気者が嫌いなわけでもない。

友達が多い人も、クラスの中心で騒いでいる人も、それはそれで楽しければいい。

僕がくだらないと思っているのは、人間を勝手に順位表へ並べることだ。

そして、もっとくだらないと思うのは、その順位表を自分まで信じてしまうことだ。

「僕は三軍だから」

「私は陰キャだから」

「あの人たちとは住む世界が違うから」

そんな言葉で、自分の行動範囲まで狭くする。

もったいない。

僕は学生時代、自分がスクールカーストのどこにいるのかを考えた記憶がほとんどない。

一軍だったとも思わない。

二軍だったとも思わない。

三軍だったとも思わない。

たぶん、誰かの頭の中では何かに分類されていたのだろう。

別にいい。

底辺だと思われていたとしてもいい。

僕自身は、どこにも入っている気がしていなかった。

というより、

どうでもよかった。

目次

僕はスクールカーストを飛び越えていたわけではない

休み時間になる。

将棋が好きな子がいる。

将棋を指す。

別の日には遊戯王カードを持っている子がいる。

デュエルする。

やんちゃそうな子たちがぶらぶらしている。

一緒にぶらぶらする。

今になってスクールカーストという物差しを無理やり当てれば、たぶんそれぞれ違う場所に分類される人たちだったのだと思う。

でも、当時の僕には関係なかった。

将棋がしたい。

じゃあ将棋を指す。

遊戯王がしたい。

じゃあ遊戯王をする。

ぶらぶらしたい。

じゃあ一緒に歩く。

それだけだった。

「あいつと一緒にいたら、周りからどう見られるだろう」

そんなことを考えた記憶がない。

僕は別に、いろんなグループを横断するコミュニケーション能力抜群の少年だったわけでもない。

そんなかっこいい話ではない。

ただ、グループとして見ていなかったのだと思う。

将棋が好きな「あいつ」。

遊戯王をする「あいつ」。

一緒にぶらぶらする「あいつ」。

一人一人だった。

だから僕は、スクールカーストを飛び越えていたわけではない。

そもそも、そこに壁があると思っていなかった。

相手を見るときにも、順位表はいらない

自分がどこにいるかを気にしない。

それだけではない。

僕は相手と接するときも、そこで判断しない。

人気者だから仲良くしよう。

地味だからやめておこう。

あのグループだから怖そう。

あのグループだから自分とは合わない。

そんなことは、話してみないと分からない。

もちろん僕だって、全員を好きなわけではない。

嫌いな人もいる。

合わない人もいる。

できれば関わりたくない人だっている。

でも、それは僕がその人を見て決めればいい。

「何軍だから嫌い」

ではない。

嫌うなら、自分で嫌えばいい。

好きになるなら、自分で好きになればいい。

人気者だから好きになる必要もないし、一人でいるからかわいそうだと思う必要もない。

相手を所属ではなく、その人自身で見る。

人間関係なんて、本来それくらいでいいのではないだろうか。

一人でいる人を勝手に不幸にするな

学校では、一人でいることが妙に目立つ。

休み時間に一人。

昼休みに一人。

移動教室で一人。

すると、周囲が勝手に意味をつけることがある。

「あの人、いつも一人だよね」

本人は本を読んでいる。

面白い。

続きを読みたい。

それだけなのに、

「あの人、友達いないのかな」

勝手に心配される。

いや。

本読んでんねん。

一人でいる人が全員、グループに入れなかった人ではない。

入らなかった人もいる。

今日は一人でいたい人もいる。

たまたま一人の時間なだけかもしれない。

ぼっちは身分ではない。

ただの状態だ。

もちろん、一人でいることがつらい人もいるだろう。

本当は友達が欲しいのに孤立してしまっている人まで、「一人最高!」で片づけるつもりはない。

でも、

「一人でいる=下」

という発想は捨てていい。

一人で昼飯を食べてもいい。

一人で本を読んでもいい。

一人で帰ってもいい。

その瞬間、隣に誰もいないだけで、人間としての価値が下がるわけではない。

僕の理想は、ピラミッドの枠外だ

スクールカーストをピラミッドで表すことがある。

上に一軍。

その下に二軍。

さらに三軍。

僕はどこにいたいか。

頂点ではない。

底辺でもない。

たぶん、

枠外だ。

ただし、誰とも関わらず山奥で暮らしたいわけではない。

枠の外をぶらぶらしている。

すると、将棋をしている人たちがいる。

「コンチわー」

入る。

将棋を指す。

終わる。

「じゃーねー」

出ていく。

今度は遊戯王をしている。

「コンチわー」

入る。

デュエルする。

「じゃーねー」

出ていく。

やんちゃそうな子たちがぶらぶらしている。

「コンチわー」

混ざる。

一緒にぶらぶらする。

「じゃーねー」

また出ていく。

滞在時間が短い。

どこにでも顔を出す。

でも、どこにも心の住民票を置かない。

そんなイメージだ。

もちろん、仲のいいグループができるのは悪くない。

毎日同じ友達と過ごすのが楽しいなら、それでいい。

僕は「グループに属するな」と言いたいわけではない。

属してもいい。

属さなくてもいい。

大事なのは、

「ここから外れたら終わり」

と思わないことだ。

所属先に自分の価値まで預けない。

いつでも自分で選べる状態にしておく。

今日はここ。

明日はあっち。

一人でいたければ一人。

楽しそうなら、

「コンチわー」

それくらい軽くていい。

一軍を敵にする必要もない

こういう話をすると、スクールカースト上位への反撃みたいになりやすい。

でも僕は、一軍と呼ばれる人たちを敵にしたいわけではない。

人気者は人気者でいい。

友達が多いなら素敵なことだ。

クラスの中心でみんなを笑わせられるなら、それも一つの才能だと思う。

登りたい人は、ピラミッドを登ればいい。

僕は横を歩く。

それだけだ。

「一軍なんてクソだ!」

と毎日一軍を見ながら怒っていたら、それも結局、一軍をめちゃくちゃ意識している。

カーストから自由になりたいのに、ずっとカーストを見ている。

それでは疲れる。

最終的には、

どうでもいい。

ここまで行けたら強い。

自分から順位表に名前を書かない

では、どうすればカーストに縛られにくくなるのか。

僕が学生時代に自然とやっていたことを、今になって考えてみる。

まず、自分からカーストを表す言葉を使わない。

「僕は一軍」

「僕は三軍」

「僕は下位」

「僕は陰キャだから」

そうやって自分を分類しない。

「僕は三軍だけど気にしていません」

と言いながら、しっかり自分の順位を確認している。

気にしてるやないか。

誰かが勝手に順位表を作るのは止められない。

でも、自分までその紙を受け取って、名前を書き込む必要はない。

自分は何軍なんだろう。

考えなくていい。

順位表から自分の名前を消すというより、

そもそも順位表を見ない。

他人が何軍だと思っているかも放っておけ

自分がカーストを使わなくても、他人は勝手に使うかもしれない。

「あいつ三軍だよな」

「あいつ五軍じゃね?」

いい。

好きにしてくれ。

なんなら17軍でもいい。

僕は17軍のエース選手だ。

不動のレギュラーである。

17軍の四番も任せてほしい。

ただし、その17軍がどこで練習しているのか僕は知らない。

ユニフォームもまだ届いていない。

誰かの頭の中で勝手に結成されたチームだからだ。

他人が僕をどう分類するかは、完全には管理できない。

だったら、そこに人生を使いすぎなくていい。

「えっ、僕って五軍なんですか? 四軍に昇格するにはどうしたらいいですか?」

と聞きに行く必要はない。

好きに五軍へ入れておいてくれ。

僕は知らない。

17軍でも、一軍であるかのように振る舞え

ただし。

誰かに17軍だと思われたからといって、自分まで17軍らしく縮こまる必要はない。

僕が言う「一軍であるかのように振る舞う」は、人気者の真似をしろという意味ではない。

偉そうにしろでもない。

自分を勝手に下に置くな、ということだ。

「あの人は人気者だから、僕なんかが話しかけたら変かな」

話したければ話せばいい。

「一人で昼飯を食べていたら、下に見られるかな」

食べればいい。

腹が減っている。

「あの人たちと遊びたいけど、自分は場違いかな」

行きたければ行けばいい。

自分で自分に、

「僕はこの程度の人間だから、ここまで」

という柵を作らない。

誰かの頭の中では17軍。

構わない。

17軍所属、一軍の振る舞い。

かなり面倒な選手である。

でも、自分の人生では自分を一軍として扱っていい。

全員に好かれるなんて、そもそも不可能だ

属さないためには、嫌われる可能性も受け入れないといけない。

でも、「嫌われる勇気を持て!」なんて大げさなことを言う前に、一つ前提がある。

人間、すべての人に好かれるなんて不可能だ。

よく喋る人を「楽しい」と思う人もいる。

「うるさい」と思う人もいる。

静かな人を「落ち着いていて好き」と思う人もいる。

「何を考えているか分からなくて苦手」と思う人もいる。

同じ自分なのに、見る人によって評価が変わる。

だったら全員から高評価を取るなんて、最初から無理だ。

全員に好かれようとすると、周囲の評価がどんどん気になってくる。

「あの子と遊んだら、どう思われるかな」

「あのグループから離れたら、嫌われるかな」

「一人でいたら、変に見られるかな」

そうやって、自分が誰といたいかではなく、観客からどう見えるかで人間関係を決め始める。

しんどい。

僕だって嫌われる。

たぶん結構嫌われる。

まあ、仕方ない。

僕も全員を好きではない。

なのに僕だけ全員から好かれようなんて、

ずいぶん都合のいい話である。

ぼっちを恐れない

グループから離れられない理由の一つは、一人になるのが怖いからだと思う。

本当は合わない。

一緒にいても楽しくない。

しんどい。

でも抜けたら一人になる。

だったら我慢してここにいよう。

そうなることもある。

だから、一人でも大丈夫な自分を少しずつ作っておく。

孤独になれという話ではない。

友達が欲しいなら作ればいい。

一緒にいたい人がいるなら、一緒にいればいい。

でも、

「一人になるくらいなら、嫌な人と一緒にいる」

まで行かなくていい。

一人でいられる人には、合わない場所から離れる選択肢がある。

今日は誰とも予定がない。

じゃあ一人で過ごす。

明日は将棋。

次の日は遊戯王。

その次の日は誰かとぶらぶら。

それでいい。

一人は敗北ではない。

休憩時間である。

学校以外にもコミュニティを持っておく

これはかなり大事だと思う。

学校だけを自分の世界にしない。

学校しかコミュニティがないと、そこでの評価が人生全部の評価に見えやすくなる。

学校で嫌われた。

学校で一人になった。

学校で居場所がない。

すると、

「自分には居場所がない」

と思ってしまう。

でも本当は、

「学校という一つの場所で、今うまくいっていない」

だけかもしれない。

だから、学校以外にも場所を持っておく。

習い事でもいい。

スポーツでもいい。

地域の活動でもいい。

オンラインゲームでもいい。

SNSでもいい。

創作のコミュニティでもいい。

安全に使える場所なら何でもいい。

できるなら、一つだけではなく複数あるといい。

無理してコミュニティを100個作れという話ではない。

自分の世界を一か所に集中させない。

学校がすべて。

会社がすべて。

恋人がすべて。

一つしかないと、そこが崩れたときに世界全部が崩れたように感じやすい。

でも場所がいくつかあると、

「ここではうまくいかなかった」

で終われる。

「人生が終わった」

ではない。

学校では静かな人。

SNSではよく喋る人。

将棋の集まりでは強い人。

創作の場所では面白いものを書く人。

家ではただのお兄ちゃん。

どれが本当の自分なのか。

全部だ。

一つの教室だけを見て、

「お前は下だ」

と言われても、

何のランキングの話?

となる。

何か一つ、好きなことで結果が出たら最高だ

そして、好きなものがあるなら思い切りやってみてほしい。

結果なんて出なくてもいい。

結果が出ない人には価値がない、なんて話では絶対にない。

ただ、何か一つでも結果が出たら最高だ。

スポーツ。

絵。

音楽。

勉強。

将棋。

ゲーム。

小説。

動画。

SNS。

何でもいい。

学校では「本ばっかり読んでるやつ」と思われていた人が、文章を書いたら評価されるかもしれない。

ゲームばかりしている人が、その知識を生かせる場所に出会うかもしれない。

絵ばかり描いている人が、作品を好きだと言ってくれる人に出会うかもしれない。

教室以外に、

「僕にはこれがある」

と思えるものが一つできる。

すると、教室内ランキングを一つ上げることより、

昨日より将棋が強くなったか。

昨日より絵がうまくなったか。

昨日より文章が書けるようになったか。

そっちの方が面白くなってくる。

学校の外にも自分の世界が広がる。

これは強い。

将来に目を向ける

学校にいると、今の教室がものすごく大きく見える。

毎日同じ場所へ行く。

同じ人と会う。

何時間も一緒に過ごす。

だから、その中で誰が人気なのか、誰が目立つのか、誰と誰が仲良しなのかが、とんでもなく重要なことに見える。

でも少し先を見る。

卒業する。

進学するかもしれない。

働くかもしれない。

引っ越すかもしれない。

新しい趣味を始めるかもしれない。

今はまだ知らない人と出会う。

世界はどんどん広がる。

数年後、

「高校2年のとき、クラスで何軍だった?」

と聞かれても、

知らん。

たぶん17軍。

エースやった。

それくらいになっているかもしれない。

今、一軍になるために必死になるより、未来の自分に何を渡せるかを考える。

教室内ランキングを一つ上げるより、

未来の自分に一つ武器を渡してやる。

そっちの方が、僕はずっと大事だと思う。

自分の中に軸を持て

結局、これなのだと思う。

自分の判断基準を、全部他人に預けない。

みんなが好きだから好き。

人気者だから仲良くする。

みんながダサいと言っているから避ける。

そんなふうに決めない。

僕はこれが好き。

僕はこれは嫌い。

僕はこれをやりたい。

僕はこの人と話したい。

それを少しずつ持つ。

強烈な信念なんてなくていい。

好きなものを好きと言う。

嫌なものから離れる。

話したい人と話す。

やりたいことをやる。

それくらいでいい。

だから僕は将棋を指した。

遊戯王をした。

やんちゃそうな子とぶらぶらした。

「なんであいつといるの?」

と言われても、

僕が一緒にいたいから。

本来、それで終わる話だ。

自分の中に小さな軸があれば、周囲の順位表は少しずつどうでもよくなる。

スクールカーストは学校を出ても形を変えて現れる

そして、この話は学生だけの話ではない。

学校を卒業したら、カーストなんて全部なくなって自由になります。

残念ながら、そんな単純でもない。

人が集まる場所では、人気や権限、発言力、立場などの差が生まれやすい。

会社に入れば、今度は役職がある。

社歴がある。

正社員、非正規。

仕事ができる、できない。

上司に気に入られている。

発言力がある。

中心人物がいる。

「一軍」「二軍」という名前を使わなくなるだけで、似たようなしょうもない順位づけを始める人はいる。

だから僕は、

「今だけ我慢しろ。卒業したら終わる」

とは言いたくない。

今だけの問題ではないからだ。

これから先も、似たようなものに出会う可能性はある。

だったら今のうちに、自分なりの付き合い方を持っておいた方がいい。

僕は昔、主任だった

僕は以前の仕事で主任をしていた。

一応、役職があった。

今は違う。

役職もない。

では僕は、会社カーストで底辺に落ちたのだろうか。

最初はそんな言い方もできるかなと思った。

でも、よく考えると違う。

僕はたぶん、今もどこにもいない。

役職を上げる競争に参加している感覚もない。

誰かより上に行きたいとも思っていない。

評価を上げて、会社の中で偉くなって、自分の価値を証明したいとも思っていない。

昔は主任。

今は役職なし。

でも、僕という人間が「下がった」感覚はない。

変わったのは会社の中につけられた肩書きだ。

学校でも会社でも、たぶん僕は同じなのだと思う。

ピラミッドの何段目かを確認するより、

枠の外をぶらぶらしている。

必要なら、

「コンチわー」

と入る。

やることをやる。

「じゃーねー」

と出ていく。

会社に所属していても、心まで会社の順位表に住ませなくていい。

カーストなんて、ものすごくローカルなランキングだ

考えてみれば、スクールカーストなんて驚くほど狭い。

高校2年3組で一軍。

すごい。

でも隣のクラスへ行ったら?

隣の学校へ行ったら?

電車に乗ったら?

コンビニへ行ったら?

誰も知らない。

大阪府高校生総合ランキングでもない。

全国高校生ランキングでもない。

2年3組ランキング。

狭い。

めちゃくちゃローカルである。

会社も同じだ。

○○会社の○○部署では偉い。

会社を一歩出れば、その肩書きを知らない人だらけだ。

もちろん学校や会社の中では、その立場が現実的な影響を持つこともある。

だから全部無視できるとは言わない。

でも、その場所限定の順位を、自分という人間全体の順位にまで拡大する必要はない。

場所が変われば、あなたは一軍のエースになりうる

今、あなたが三軍だと思われているとする。

五軍でもいい。

17軍でもいい。

でもそれは、

今、この場所、このメンバーで作られた順位だ。

場所が変わる。

人が変わる。

評価されるものが変わる。

すると、あなたの立ち位置なんて簡単に変わりうる。

学校では本ばかり読んでいる地味な人。

読書コミュニティへ行けば、

「めちゃくちゃ本詳しいやん」

となるかもしれない。

学校では将棋ばかり指している人。

将棋の場所へ行けば強い人になる。

学校では絵ばかり描いている人。

創作の場所へ行けば、憧れられる人になるかもしれない。

場所が移れば、

あなたは一軍のエースになりうる。

ただし。

僕は一軍のエースを目指せと言いたいわけではない。

そこでもまたランキングばかり気にし始めたら同じだからだ。

一軍のエースでもいい。

17軍のエースでもいい。

無所属でもいい。

大事なのは、自分の価値までその順位に預けないことだ。

今、この場所、このメンバー限定のものだ

ここまで好き勝手に書いてきた。

スクールカーストなんてくだらない。

気にするな。

枠外を歩け。

でも、実際には難しいと思う。

今まさに学校の人間関係で悩んでいる人に、

「そんなもん気にすんな!」

の一言で終わらせるつもりはない。

気になるものは気になる。

明日も学校がある。

同じ教室へ行く。

同じ人たちと会う。

昼休みもある。

行事もある。

一人になったらどう思われるだろう。

このグループから離れたらどうなるだろう。

悩むと思う。

そりゃそうだ。

毎日そこへ行かなければならないのだから。

でも、そんなに難しく考えすぎないでほしい。

今あなたが見ているカーストは、

今、この場所に、このメンバーが集まったから生まれているものだ。

クラスが変わる。

学年が変わる。

学校が変わる。

一人メンバーが変わる。

それだけでも、人間関係は変わる。

あなた自身に永久に刻まれた階級ではない。

「あなたが三軍」なのではない。

「今、この場所で、誰かの物差しではそう見えている」

それだけだ。

その順位を家まで持って帰らなくていい。

卒業したあとまで背負わなくていい。

ましてや、

「自分はそういう人間なんだ」

と人生全部に貼りつけなくていい。

順位表の外から「コンチわー」でいい

僕は、スクールカーストをなくせるとは思っていない。

人が集まれば、何らかの力関係や人気の差は生まれる。

誰かが勝手に順位をつけることもあるだろう。

それを全部止めるのは難しい。

でも、

自分まで参加する必要はない。

誰かが勝手に一軍を作ればいい。

二軍を作ればいい。

三軍を作ればいい。

17軍まで作りたければ作ればいい。

僕?

17軍のエース選手でお願いします。

でも僕自身は、ピラミッドの外を歩いている。

楽しそうなものを見つける。

将棋。

「コンチわー」

指す。

遊戯王。

「コンチわー」

デュエルする。

誰かがぶらぶらしている。

「コンチわー」

一緒に歩く。

そして、

「じゃーねー」

また外へ出る。

別にずっとそこにいなくていい。

所属してもいい。

離れてもいい。

一人でもいい。

誰かといてもいい。

自分で決めればいい。

カーストから抜ける一番の方法は、カーストと戦って勝つことではない。

一軍になることでもない。

下位であることを誇ることでもない。

たぶん、

どうでもよくなることだ。

誰かが勝手にあなたを五軍だと思っている。

いい。

思わせておけばいい。

場所が変われば、あなたは一軍のエースになるかもしれない。

でも、そんなことすらどうでもよくなるくらい、自分の好きなものや、自分の世界を持てたらもっといい。

自分を順位で見ない。

相手も順位で見ない。

話したい人と話す。

好きなことをする。

一人を恐れすぎない。

学校以外にも世界を持つ。

未来を見る。

そして、自分の中に小さな軸を持つ。

学校という狭い場所で作られた順位表なんかに、人生全部を渡さなくていい。

あなたは一軍でも三軍でも17軍でもない。

あなたは、あなたである。

それでもどうしても何軍か答えろと言われたら。

胸を張って言えばいい。

「俺?」

僕ならこう答える。

「17軍のエースやで」

そして枠外から、

「コンチわー」

と顔を出す。

少し遊ぶ。

満足したら、

「じゃーねー」

と出ていく。

そのくらいでいい。

順位表の中で必死に自分の場所を探すより、

枠外は案外、広くて自由だ。

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