僕には、どうしても理解できないことがある。
2階や3階へ行くために、エレベーターを使う人たちだ。
いや、わかっている。
エレベーターは誰でも利用できる。
2階で降りてもいい。
3階で降りてもいい。
別に法律で禁止されているわけではない。
何か悪いことをしているわけでもない。
それは理解している。
理解しているのだが。
お前、階段でよくないか?
僕は職場でも、自宅のマンションでもエレベーターを利用する。
そして、どちらでも遭遇する。
低層階で降りる人に。
もちろん、足を痛めている人や、ご高齢の人なら何とも思わない。
重い荷物を持っている人もいるだろう。
外見ではわからない事情だってある。
そういう場合は、いくらでも待つ。
僕が気になってしまうのは、見るからに元気そうな若者たちである。
さっきまで軽快な足取りで歩いていた。
スマホを片手に、颯爽とエレベーターホールへやってきた。
そして、何の迷いもなく2階のボタンを押す。
……。
お前、めちゃくちゃ元気じゃないか。
若いじゃないか。
さっきまであんなに元気に歩いていたじゃないか。
なのに、階段を前にした瞬間、どうしたのだ。
突然、足の機能が停止したのだろうか。
僕は不思議で仕方がない。
なぜなら、僕自身は2階や3階に行くとき、必ず階段を使うからだ。
階段の方が早い。
エレベーターを待たなくていい。
誰かと気まずい時間を過ごさなくていい。
しかも、運動にもなる。
僕からすれば、いいことばかりである。
それなのに、なぜか待つ。
エレベーターが10階にいても待つ。
階段がすぐ横にあっても待つ。
じっと待つ。
何としてでも乗ろうとする。
お前、そこまでしてエレベーターに乗りたいのか。
今回は、そんな低層階でエレベーターを利用する人について考えてみたい。
なぜ階段を使わないのか。
なぜ、わざわざ待ってまで乗ろうとするのか。
そして、なぜ僕はこんなにもイライラしてしまうのだろう。
少し考察してみようと思う。
エレベーターを待つ時間が、まず気まずい
そもそも、僕はエレベーターという空間があまり得意ではない。
いや、エレベーター自体は便利だと思っている。
高い階まで移動するときには欠かせない。
問題は、知らない人と一緒になったときである。
例えば、自宅のマンション。
僕はエレベーターホールへ向かった。
誰もいない。
素晴らしい。
僕はボタンを押した。
エレベーターは現在10階にいる。
ゆっくりと降りてくる。
9階。
8階。
そのときだった。
背後から足音が聞こえた。
一人の男がやってきた。
……。
来た。
知らない人だ。
男は僕の隣に立った。
どうやら、同じエレベーターを待つらしい。
別に悪いことではない。
エレベーターは共用のものだ。
僕だけの乗り物ではない。
それはわかっている。
しかし、何とも言えない空気が流れ始める。
会話はない。
お互い、階数表示を眺めている。
7階。
6階。
何となくスマホを見る。
特に見るものはない。
もう一度、階数表示を見る。
5階。
4階。
……。
何なんだ、この時間は。
別に話しかける必要はない。
知らない人なのだから、無言でも構わない。
それなのに、なぜか気まずい。
相手も気まずいと思っているのだろうか。
いや、そんなことを考えているのは僕だけかもしれない。
男は平然と立っている。
僕だけが、何となく落ち着かない。
ようやくエレベーターが到着した。
扉が開く。
二人で乗り込む。
男がボタンを押した。
「2」
……。
お前、2階かい!!
僕は思わず心の中で叫んだ。
あれだけ待っていたのに。
あれだけ気まずい時間を共有したのに。
お前、2階なのか。
僕はもっと上の階へ行く。
しかし、男はわずか1階分で降りるらしい。
エレベーターが動き出す。
すぐに止まる。
チーン。
扉が開く。
男が降りる。
僕は思う。
お前と二人で待った、あの時間は何だったんだ。
しかも、僕の移動時間まで少し延びている。
待っている間も気まずい。
乗っている間も気まずい。
さらに、途中で止まる。
何という三段構えだろう。
もちろん、相手には何の悪意もない。
ただエレベーターに乗っただけである。
しかし、僕の心の中では、すでに小さな事件が起きている。
2階なら階段の方が早いのではないか
そして、僕が最も疑問に思うのが、移動時間の問題だ。
例えば、エレベーターが10階にいるとする。
自分がいるのは1階。
行きたいのは2階。
階段はすぐ横にある。
さて、どちらが早いだろう。
建物の構造や混雑状況にもよるが、階段の方が早いことは十分にある。
特に、エレベーターが上の階にいる場合はそうだ。
しかし、男は待つ。
9階。
8階。
7階。
じっと待っている。
6階。
5階。
4階。
……。
お前、もう階段で着いてるぞ。
僕は心の中で実況を始める。
男はまだ待っている。
エレベーターはまだ来ない。
階段はすぐそこにある。
しかし、男は動かない。
やがてエレベーターが到着した。
男が乗り込む。
2階のボタンを押す。
扉が閉まる。
少し上昇する。
すぐ止まる。
扉が開く。
男が降りる。
……。
お前、待ち時間の方が長いやんけ。
そこまでして乗りたかったのだろうか。
何か特別な魅力があるのだろうか。
自動で開く扉か。
光る階数ボタンか。
上昇するときの独特な感覚か。
もしかすると、エレベーターに乗ること自体が目的になっているのではないだろうか。
お前、遊園地に来てるんか。
しかも、乗車時間は数秒である。
何という短いアトラクションだろう。
待ち時間の方が長い。
そして、僕までそのアトラクションに付き合わされている。
もちろん、本人にとっては階段を上るより楽なのだろう。
しかし、僕にはどうしても理解できない。
時間をかけて待つくらいなら、階段を使った方が合理的ではないだろうか。
少なくとも、僕ならそうする。
なぜ低層階でもエレベーターを使うのか?その心理を考察
では、なぜ2階や3階でもエレベーターを使う人がいるのだろう。
もちろん、すべての人が同じ理由で利用しているわけではない。
体調や身体的な事情、荷物の重さ、建物の構造など、さまざまな理由が考えられる。
ここでは、そうした事情とは別に、日常的な心理について考えてみたい。
① とにかく楽をしたい
まず考えられるのは、単純に体を動かしたくないという心理だ。
階段を上るには、足を動かす必要がある。
当然だ。
一段ずつ上らなければならない。
しかし、エレベーターなら立っているだけでいい。
ボタンを押せば、自動で目的の階まで運んでくれる。
何と便利な乗り物だろう。
文明の発展とは素晴らしい。
ただ、僕は思う。
2階だぞ。
わずか1階分である。
それくらい歩いてもいいのではないだろうか。
もちろん、楽をすること自体が悪いわけではない。
便利なものを利用するのは自然なことだ。
しかし、目の前に階段があり、エレベーターを何十秒も待つ状況でも、なお楽を選ぶ。
そこまでして体力を温存したいのだろうか。
お前、これから何か大きな戦いでも控えているのか。
2階へ行く前に、そんなに体力を温存する必要があるのだろうか。
僕には不思議で仕方がない。
② エレベーターを使うことが習慣になっている
次に考えられるのは、習慣だ。
人間は、毎日の行動を無意識に繰り返すことがある。
例えば、帰宅したら靴を脱ぐ。
朝起きたら顔を洗う。
建物に入ったらエレベーターへ向かう。
そうした行動が習慣になっているのかもしれない。
つまり、階段を使うという選択肢が、そもそも頭に浮かんでいない可能性がある。
建物に入る。
エレベーターホールへ向かう。
ボタンを押す。
待つ。
乗る。
降りる。
これが一連の流れになっている。
本人にとっては、ごく自然な行動なのだろう。
しかし、僕は違う。
低層階なら階段。
上の階ならエレベーター。
そうやって使い分けている。
だからこそ、何も考えずに2階のボタンを押す人を見ると、不思議に感じてしまう。
③ 時間よりも快適さを優先している
三つ目は、時間より快適さを優先する心理だ。
僕は、階段の方が早いなら階段を使う。
しかし、すべての人が時間を最優先しているわけではない。
例えば、少し待ってでも歩きたくない人もいるだろう。
階段を上る数十秒が面倒なのかもしれない。
エレベーターを待っている間は、スマホを見ることもできる。
何も考えずに立っていられる。
つまり、移動にかかる時間よりも、体を動かさずに済むことを重視しているのかもしれない。
そう考えれば、少し理解できる。
理解できるのだが。
やはり思ってしまう。
お前、そこまでして乗りたいのか。
④ 階段を必要以上に面倒だと感じている
階段を上ることに対して、心理的な負担を感じている可能性もある。
実際には短い距離でも、階段というだけで面倒に感じる。
一方、エレベーターなら立っているだけでいい。
だから、多少待ってでもエレベーターを選ぶ。
人は必ずしも、最も時間効率のよい方法を選ぶわけではない。
目の前の負担が小さい方法を選ぶこともある。
これは日常生活でもよくあることだ。
少し歩けば済む距離でも、車を使いたくなる。
自分で取りに行けば済むものでも、誰かに持ってきてほしくなる。
そうした心理の延長なのかもしれない。
ただ、僕としては言いたい。
階段は敵ではない。
お前を襲ってくるわけでもない。
ただ、そこに存在しているだけだ。
⑤ ほかの人を待たせることまで考えていない
最後は、周囲への意識だ。
エレベーターは共用の設備である。
自分が2階で降りれば、そこで一度停止する。
扉が開く。
人が降りる。
扉が閉まる。
再び動き出す。
その分、上の階へ向かう人の到着は少し遅くなる。
もちろん、それはエレベーターの正常な使い方である。
途中で止まることを責める権利など、僕にはない。
しかし、僕自身は低層階へ行くとき、階段を使う。
自分がエレベーターを使わなければ、ほかの人を途中で止めずに済む。
そんな考えもある。
一方で、そこまで意識していない人もいるのだろう。
そもそも、他人の移動時間まで考えてエレベーターを利用する人ばかりではない。
そして、考える必要があると決まっているわけでもない。
わかっている。
わかっているのだが。
僕は今日も、2階で止まるエレベーターの中で、静かに天井を見つめている。
階段を使えば運動にもなるのに
ここで、もう一つ考えたいことがある。
運動である。
僕は低層階へ行くとき、必ず階段を使う。
その理由の一つが、運動になるからだ。
階段を上れば、脚の筋肉を使う。
平地を歩くよりも負荷がかかる。
日常生活の中で、自然に体を動かす機会になる。
わざわざ運動の時間を確保しなくても、少しずつ身体活動を増やせる。
これは、なかなかいいことではないだろうか。
例えば、毎日2階や3階へ行く機会があるとする。
そのたびに階段を使えば、少しずつ運動量が積み重なる。
もちろん、それだけで十分な運動になるとは限らない。
しかし、何もしないよりは体を動かせる。
しかも、お金はかからない。
無料である。
階段を上るのに利用料金は必要ない。
予約もいらない。
会員登録もいらない。
僕は思う。
お前、無料の運動機会を放棄しているぞ。
しかも、階段の方が早い場合もある。
時間を節約できる。
運動にもなる。
知らない人と気まずい時間を過ごす必要もない。
何という素晴らしい移動手段だろう。
しかし、目の前の男はエレベーターを待っている。
9階。
8階。
7階。
……。
お前、健康も時間も捨てて、何を手に入れようとしているんだ。
もちろん、エレベーターを使うことが不健康だと言いたいわけではない。
ただ、日常の中にある小さな運動の機会を、わざわざ避けなくてもいいのではないかと思うのだ。
いつから人間はこんなに貧弱になったのだ
そして、ここまで考えているうちに、僕の疑問はさらに大きくなっていった。
そもそも、人間とは何なのだろう。
かつて人類は、二本の足で大地を歩いていた。
長い年月をかけ、さまざまな環境に適応してきた。
山を越え、谷を渡り、広大な土地を移動してきた。
人類の歴史は、移動の歴史でもある。
そして、文明は発展した。
道具を作った。
建物を建てた。
車を発明した。
飛行機を発明した。
ついには宇宙へ進出した。
人類は月にまで到達したのである。
何という進歩だろう。
しかし、現代。
目の前の男は、2階へ行くためにエレベーターを待っている。
階段は、すぐ横にある。
わずか1階分。
しかし、男は動かない。
じっと待っている。
……。
いつから人間は、こんなに貧弱になったのだ。
我々の祖先がこの光景を見たら、何と思うだろう。
「我々は一体、何のために二足歩行を獲得したのだ?」
いや、祖先よ。
僕にもわからない。
人類は月へ行けるようになった。
しかし、目の前の男は2階へ行くために機械を待っている。
何ということだろう。
文明が進歩した結果、人間は歩くことすら面倒になってしまったのだろうか。
いや、待て。
もしかすると、これは進歩なのかもしれない。
自分の足で移動しなくても、目的地へ行ける。
それこそが文明の力なのだ。
しかし。
2階である。
月ではない。2階だ。
そこまで文明の力を借りる必要があるのだろうか。
僕の頭の中では、もはや人類史を揺るがす問題になっていた。
しかし、現実の男は何も知らない。
ただ、エレベーターを待っているだけである。
階段を上ると死んでしまうのか?
僕は、さらに考えた。
もしかすると、階段には何か恐ろしい秘密があるのかもしれない。
男がどうしても階段を使わない理由。
それは、階段を上ると命に関わるからではないだろうか。
……。
お前、階段を上ると死んでしまうのか?
何かの呪いにでもかかっているのだろうか。
一段上るたびに寿命が縮むのか。
それとも、2階に到達した瞬間、全身が石になってしまうのか。
そんな恐ろしい階段なのだろうか。
僕は恐る恐る階段を見た。
普通の階段だった。
手すりもある。
照明もついている。
特に呪われている様子はない。
僕自身、何度も利用している。
今のところ、何の問題もない。
……。
大丈夫だ。僕は何度も上っている。まだ生きている。
もちろん、これは僕の頭の中で勝手に膨らんだ妄想である。
実際には、見た目ではわからない体調や身体的な事情があるかもしれない。
若くて元気そうに見えても、階段を使うのが難しい人はいる。
だから、見た目だけで判断するべきではない。
それは十分に理解している。
しかし、目の前で元気そうな人が2階のボタンを押すと、僕の頭の中では、どうしてもこの疑問が浮かんでしまうのだ。
お前、階段を上ると死んでしまうのか?
なぜ僕はこんなにイライラするのだろう
ここまで、低層階でエレベーターを使う人の心理を考えてきた。
しかし、少し視点を変えてみたい。
そもそも、なぜ僕はこんなにイライラするのだろう。
相手は、ただエレベーターを利用しているだけである。
誰でも使える設備だ。
2階で降りることも、3階で降りることも、何も問題はない。
それなのに、僕は腹が立つ。
その理由を考えてみると、いくつか思い当たることがある。
まず、僕自身が低層階では必ず階段を使うことだ。
僕にとっては、それが当たり前なのである。
だから、ほかの人にも同じ行動を期待してしまう。
自分なら階段を使う。
なのに、相手は使わない。
その違いに、違和感を覚えるのだろう。
つまり、僕は自分の価値観を、無意識に他人にも当てはめているのかもしれない。
次に、時間を奪われたように感じることだ。
エレベーターが2階で止まる。
扉が開く。
人が降りる。
扉が閉まる。
再び動き出す。
実際には、わずかな時間かもしれない。
しかし、自分にとって必要のない停止だと感じると、その数秒が妙に長く感じられる。
さらに、知らない人と一緒に待つ気まずさもある。
待っている時間。
乗っている時間。
そして、途中で止まる時間。
この三つが重なることで、苛立ちが強くなっているのだと思う。
つまり、問題は単に2階で止まることではない。
自分なら絶対にしない行動に、自分の時間まで付き合わされているように感じること。
これが、僕のイライラの正体なのかもしれない。
もちろん、相手は僕の時間を奪おうとしているわけではない。
ただ、目的の階へ移動しているだけである。
頭ではわかっている。
しかし、感情はそう簡単には納得してくれない。
職場でも自宅でも、僕は2階に付き合わされている
この問題が厄介なのは、職場でも自宅でも起こることだ。
例えば、仕事中。
僕は上の階へ向かおうとしていた。
エレベーターに乗る。
一人の男が乗ってくる。
男が押したボタンは2階。
……。
また2階か。
エレベーターが動き出す。
すぐ止まる。
男が降りる。
僕は再び上昇する。
仕事が終わる。
疲れた。
ようやく帰宅する。
マンションのエレベーターホールへ向かう。
誰もいない。
よし。
今日は一人で乗れそうだ。
そう思った瞬間、背後から足音が聞こえる。
一人の男が現れた。
……。
またか。
二人でエレベーターを待つ。
気まずい沈黙。
ようやく到着する。
二人で乗る。
男がボタンを押す。
「3」
……。
お前は3階かい!!
職場で2階。
自宅で3階。
僕は一体、何回低層階に付き合わなければならないのだろう。
仕事が終わっても、低層階問題は終わらない。
僕の人生は、いつまで2階と3階で止まり続けるのだろう。
そんなことを考えながら、今日もエレベーターに乗っている。
低層階なら階段を使う。それだけで解決することもある
ここまで散々文句を言ってきたが、結局のところ、僕が言いたいことは単純だ。
階段を使える状況で、2階や3階へ行くなら、階段という選択肢も考えてみてはどうだろうか。
階段の方が早い場合もある。
運動にもなる。
エレベーターを待つ必要もない。
ほかの人の移動を途中で止めることもない。
もちろん、エレベーターを使う自由はある。
階段を使うことが正義で、エレベーターを使うことが悪だと言いたいわけではない。
ただ、便利なものがあるからといって、必ずしもそれを使うことが最善とは限らない。
少し歩いた方が早いこともある。
体を動かした方が気分転換になることもある。
僕は、そう思っている。
そして、僕自身も他人の行動に必要以上にイライラしないようにしたい。
相手には相手の事情がある。
僕には僕の考えがある。
それだけのことだ。
……。
と、ここまで考えて、僕は少し反省した。
そうだ。
エレベーターは誰でも使える。
2階でも3階でも、好きな階で降りればいい。
僕が文句を言う筋合いなどない。
もっと心を広く持とう。
他人の行動をいちいち気にしていても仕方がない。
僕はそう自分に言い聞かせた。
翌日。
僕はエレベーターに乗っていた。
行き先は10階である。
すると、隣にいた男が僕に話しかけてきた。
「10階ですか?」
「そうです」
男は少し考えてから言った。
「階段使わないんですか?」
……。
僕は男を見た。
男も僕を見ている。
しばらく沈黙が流れた。
そして、僕は心の中で叫んだ。
お前、10階と2階を一緒にするな。
階段を上ると死んでしまうわ。
