小学生の頃、僕には仲のいい友達が4人いた。
僕を入れて5人。
放課後になると、よく一緒に遊んでいた。
ゲームをしたり、公園へ行ったり。
そんな普通の小学生だったのだけれど、僕たちにはひとつ、かなり重要な活動があった。
探検である。
僕たちは自分たちのことを、
「我らが探検隊」
と呼んでいた。
誰が名付けたのかは覚えていない。
結成式をした記憶もない。
何月何日に設立されたのかも知らない。
もちろん活動計画書もなければ、年間目標もない。
気がついたら、僕たちは探検隊になっていた。
そして、学校やその周辺をウロウロしていた。
何か珍しいものはないか。
知らない場所はないか。
面白そうなものはないか。
ただ、それだけを探していた。
もちろん、
木の棒を持って。
なぜ探検をするとき、小学生は木の棒を持つのだろう。
今考えてもよく分からない。
別に何かと戦うわけではない。
ジャングルへ行くわけでもない。
猛獣が出てくるわけでもない。
大阪の小学校周辺である。
それでも木の棒が一本あるだけで、僕たちは少し強くなった気がした。
ただの木の棒ではない。
あれは装備だったのだ。
剣だったのかもしれない。
杖だったのかもしれない。
草をかき分ける道具だったのかもしれない。
用途はよく分からない。
ただひとつ確かなことがある。
探検には木の棒が必要だった。
我らが探検隊には、隊長がいた
探検隊には、もちろん隊長がいた。
ひろき君である。
なぜ、ひろき君が隊長だったのか。
これも覚えていない。
ただ、僕たちの中では自然とそうなっていた。
「俺が隊長になる!」
という選挙演説があったわけでもない。
投票した記憶もない。
気がつけば、ひろき君が隊長だった。
そして僕たちは、それを普通に受け入れていた。
小学生の組織というものは不思議だ。
会社なら大変である。
役職を決める。
業務内容を決める。
責任の範囲を決める。
評価制度を作る。
会議をする。
我らが探検隊には、そんなものは一切なかった。
ひろき君が隊長。
以上。
ところが、ある日。
そんな我らが探検隊に人事異動が起きた。
僕が、
副隊長に任命されたのである。
これは嬉しかった。
ただの隊員から副隊長。
大出世である。
小学生の僕は、きっと誇らしかったと思う。
では、なぜ僕は副隊長になったのか。
何か大きな功績を残したのだろうか。
未開の地を発見したのか。
仲間を危機から救ったのか。
探検隊に革命的なアイデアをもたらしたのか。
違う。
たしか理由は、
「頑張ってるから」
だった。
なるほど。
頑張りが認められたらしい。
素晴らしい。
努力は人を裏切らない。
そう言いたいところなのだが、大人になった今、ひとつだけ疑問がある。
僕は一体、何を頑張っていたんだろう。
まったく覚えていない。
そもそも僕たちの探検に、何をもって「頑張っている」とするのか、その評価基準すら分からない。
たくさん歩いたのだろうか。
木の棒を一生懸命持っていたのだろうか。
隊長への報告回数が多かったのだろうか。
それとも単純に、僕だけ妙に探検を楽しんでいたのだろうか。
真相は分からない。
ひろき隊長による人事評価の詳細は、現在も開示されていない。
それでも僕は、副隊長になった。
人生で経験した昇進の中でも、最も理由が分からない昇進である。
僕たちは、何を探していたのだろう
探検といっても、僕たちは秘境へ行ったわけではない。
主な探検場所は、
自分たちの小学校だった。
毎日通っている場所である。
朝になれば登校して、授業を受け、給食を食べて、帰る。
そんな見慣れた学校を、僕たちはわざわざ探検していた。
考えてみれば不思議だ。
毎日見ている場所なのだから、何も珍しくないはずなのに。
でも、子どもの頃の学校には、まだ知らない場所がたくさんあった。
普段は通らないところ。
校舎の端。
体育館の裏。
何があるのかよく分からない場所。
いつもなら気にも留めないもの。
そういうものが、探検隊として歩くだけで急に気になった。
「あそこ何やろ?」
「行ってみようぜ」
それだけで探検が始まる。
目的地なんてない。
宝の地図もない。
最終的に何を見つければクリアなのかも決まっていない。
ただ歩く。
そして何かを見つける。
それだけで楽しかった。
学校以外にも行った。
近所を歩いたり、いつもとは違う場所へ行ったり。
今考えれば、どこも普通の場所だったと思う。
でも、僕たちにとっては違った。
知らない道を一本曲がるだけで、そこはもう未知の世界だった。
「この先、どこにつながってるんやろ」
それだけでワクワクした。
大人になった今なら、スマートフォンを開けば一瞬で分かる。
地図を見る。
現在地を見る。
目的地を見る。
最短ルートまで教えてくれる。
便利だ。
迷う必要がない。
でも、あの頃の僕たちは知らなかった。
知らないから、行ってみたかった。
答えがないことが、不安ではなくワクワクだった。
「隊長!マーガリンがありました!」
我らが探検隊の活動について思い返すと、今でも忘れられない出来事がある。
ある日、僕は学校であるものを発見した。
マーガリンである。
給食に出てくる、小さなマーガリン。
今なら見つけても何とも思わない。
「あ、マーガリンあるな」
それで終わる。
しかし当時の僕は違った。
僕はすぐさま隊長へ報告した。
「隊長!マーガリンがありました!」
すると、ひろき隊長は言った。
「よし!でかした!」
何が「でかした」なのだろう。
マーガリンである。
徳川埋蔵金を発見したわけではない。
新種の生物でもない。
マーガリンだ。
しかも給食に出てくるやつだ。
しかし、探検中の僕たちにとっては立派な発見だった。
そして、そのマーガリンをどうしたのか。
5人で食べた。
パンはない。
マーガリンだけである。
なぜ5人でマーガリンだけを食べたのか。
今の僕には説明できない。
そもそも給食のマーガリンを勝手に持ってくるなという話なのだが、そのあたりの倫理観については、当時の探検隊にはまだ十分な研修が実施されていなかった。
ただ、僕は嬉しかったのだと思う。
何かを発見した。
隊長に報告した。
隊長が、
「よし!でかした!」
と言った。
そして仲間と分けた。
たったそれだけ。
マーガリンそのものに価値があったわけではない。
「見つけた」ということに価値があった。
僕たちは、価値のあるものを探していたわけではなかったのだ。
発見すること自体を楽しんでいた。
だからマーガリンでもよかった。
石でもよかった。
変な木の実でもよかった。
よく分からない部品でもよかった。
普段なら見過ごしてしまうようなものが、
「探検中に発見した」
というだけで宝物になる。
子どもの想像力はすごい。
世界そのものを変えなくても、世界の見え方を変えることができる。
学校は学校ではなくなる。
探検場所になる。
木の棒は木の棒ではなくなる。
装備になる。
マーガリンはマーガリンではなくなる。
重要物資になる。
まあ、食べたのだけれど。
我らが探検隊は、駄菓子屋の安全も守っていた
我らが探検隊には、探検以外にも重要な任務があった。
地域の安全を守ることである。
特に僕たちが重要視していた場所が、
近所の駄菓子屋だった。
定期的に駄菓子屋へ向かう。
そして店に入る。
何か異常がないか確認する。
以上である。
別に店の周囲を警備するわけではない。
不審者を追い払うわけでもない。
防犯訓練をするわけでもない。
ただ、
駄菓子屋に入って、中を見る。
異常なし。
任務完了。
もちろん、駄菓子屋側から依頼されたことは一度もない。
おそらく店の人からすれば、
「また、いつもの小学生が来た」
くらいだったと思う。
しかし僕たちにとっては違う。
あれは安全確認だった。
我らが探検隊が今日も地域の平和を守っている。
少なくとも、僕たちはそんな気分だった。
今考えると、これも面白い。
ただ駄菓子屋へ行く。
それだけの行動に、
「安全確認」
という物語をつけていた。
大人なら「駄菓子屋へ行く」で終わる。
子どもは、そこに勝手に物語を作る。
そして自分たちも、その物語の登場人物になる。
僕たちは単なる小学生5人組ではなかった。
我らが探検隊だった。
ひろき君は友達ではなく、隊長だった。
僕はなぜか副隊長だった。
木の棒は装備だった。
駄菓子屋は警備対象だった。
マーガリンは発見物だった。
何でもない日常を、自分たちで面白くしていた。
今思えば、それが一番すごい。
保育園や幼稚園でも「探検」は大切にされている
大人になってから、ふと気になった。
そもそも僕たちがやっていた「探検ごっこ」には、何か意味があったのだろうか。
僕たちは何かを学ぼうとして探検していたわけではない。
好奇心を育てよう。
観察力を身につけよう。
友達と協力する力を養おう。
そんな立派な目標は、一つもなかった。
木の棒を持って歩いていただけである。
しかし調べてみると、少し驚いた。
保育園や幼稚園などの幼児教育でも、子どもが身近な環境に自分から関わり、「なんだろう?」「やってみたい」と感じ、発見したり、考えたり、試したりする経験は大切にされているらしい。
もちろん、全国の保育園で「探検ごっこ」という名前の活動が必ず行われているわけではない。
ただ、身近な自然や物、人に興味を持って、自分から関わっていく。
そこで何かを発見する。
不思議に思う。
試してみる。
友達と発見を共有する。
そうした「探索」や「探究」につながる経験そのものが、幼児期の学びとして大切にされている。
なるほど。
それなら我らが探検隊も、知らないうちにずいぶんいろいろなことをやっていたことになる。
「この先、何があるんだろう」
と歩いてみる。
これは好奇心。
普段なら気にしないものを、
「あっ、なんかある」
と見つける。
これは観察する力。
「これ何やろ?」
と考える。
これは探究心。
「こっち行ってみよう」
と実際に動く。
これは主体性。
仲間と、
「あっち行こう」
「いや、こっちやろ」
と相談する。
これは人と関わる力。
何かを発見したら、
「隊長!」
と報告する。
これは発見を人に伝える力。
そして、
「隊長!マーガリンがありました!」
「よし!でかした!」
発見の共有まで完璧である。
我らが探検隊。
意外と教育的だった。
ただし、給食のマーガリンを持ってきて5人で直接食べることまで推奨されているわけではない。
そこは我らが探検隊独自の教育方針である。
さらに探検には、想像する力も必要だったのだと思う。
僕たちは、現実にないものを見ていたわけではない。
学校は学校だった。
木の棒は木の棒だった。
駄菓子屋は駄菓子屋だった。
マーガリンはマーガリンだった。
でも、僕たちの中では意味が違った。
学校は探検場所になる。
木の棒は装備になる。
駄菓子屋は僕たちが守る場所になる。
マーガリンは発見物になる。
現実は同じなのに、想像力によって世界の見え方が変わる。
これって、子どもの頃には当たり前にやっていた。
石ころ一つでも遊べる。
木の枝一本でも戦える。
何もない場所でも秘密基地になる。
ただ歩くだけでも冒険になる。
何か特別なものを用意してもらわなくても、自分たちで面白いものを見つけられた。
考えてみれば、すごい能力だ。
さらに、探検では自分たちで判断もしなければならない。
どっちへ行くのか。
どこまで行くのか。
ここへ入っていいのか。
これは危なくないのか。
怒られないのか。
正解が書かれたプリントはない。
先生も横にいない。
自分たちなりに考える。
そして、ときには間違える。
戻る。
また別の場所へ行く。
そんな小さな試行錯誤も、きっとたくさんしていた。
もちろん当時の僕たちは、
「今日は主体性を伸ばそう」
なんて一度も考えていない。
そんな小学生5人組が木の棒を持って歩いていたら、逆に怖い。
僕たちはただ、
ワクワクしていただけだ。
でも、それでよかったのだと思う。
学ぶために遊んでいたのではない。
夢中で遊んでいたら、結果的にいろんなことを学んでいた。
遊びって、本来そういうものなのかもしれない。
……待て。これ、今の僕じゃないか
ここまで探検ごっこについて調べたり、昔のことを思い出したりしていて、僕はあることに気づいた。
好奇心。
観察する力。
疑問を持つ。
調べる。
考える。
面白いものを見つける。
そして誰かに伝える。
……。
これ、今の僕じゃないか。
僕は今でも、変なことが気になる。
電車に乗っていても気になる。
街を歩いていても気になる。
店に入っても気になる。
みんなが普通に通り過ぎているものを見て、
「なんでこうなってるんだろう」
と思う。
「これって何なんだろう」
と思う。
「なんでみんな普通にやってるんだろう」
と思う。
そして家に帰って調べる。
考える。
ブログに書く。
昔は学校の中を歩きながら、
「何かないかな」
と探していた。
今は日常の中を歩きながら、
「何かないかな」
と探している。
やっていることが同じだ。
しかも本を読むのもそうだ。
本を開く。
知らない世界へ入る。
知らない人に出会う。
知らなかった考え方を知る。
心に引っかかる言葉を見つける。
「こんな本があった」
「この話、面白かった」
「この言葉がよかった」
そして、それを誰かに伝える。
昔の僕は、
「隊長!マーガリンがありました!」
と言っていた。
今の僕は、
「こんな本がありました!」
と伝えている。
報告するものがマーガリンから本に変わった。
報告する相手も、ひろき隊長からたくさんの人に変わった。
ずいぶん規模は大きくなった。
でも、やっていることはそれほど変わっていない。
気になるものを探す。
見つける。
面白がる。
誰かに伝える。
昔は、それを探検と呼んでいた。
今は、読書とかブログとか、そんな名前になっている。
でも根っこは同じだ。
ワクワクするものを探している。
大人になると、探検をしなくなる
大人になると、探検をしなくなる。
当たり前かもしれない。
木の棒を持って知らない道を歩いていたら、ちょっと怖い。
33歳の男が木の棒を握って、
「何かないかな」
とウロウロしていたら、かなりの確率で警察官に声をかけられる。
ただでさえ僕は声をかけられやすい。
木の棒まで装備したら、いよいよ説明が難しい。
「探検です」
では、おそらく帰してもらえない。
だから大人は木の棒を持たない。
でも、それだけじゃない気がする。
大人になると、目的を求めるようになる。
ここへ行く。
これを買う。
この時間までに着く。
この道を通る。
スマートフォンで地図を開けば、最短ルートが出る。
わざわざ知らない道へ行く必要はない。
何か分からないものがあれば、その場で検索すればいい。
「分からない」がすぐに消える。
便利になった。
間違いなく便利だ。
でも、少しだけ寂しい。
子どもの頃は、
「分からない」が冒険の入口だった。
知らないから見に行った。
知らないから触ってみた。
知らないから友達と考えた。
目的のない時間もたくさんあった。
何のために歩いているのか分からない。
何を探しているのかも分からない。
でも楽しい。
大人になると、そういう時間は少なくなる。
「それ、何の意味があるの?」
「何か得られるの?」
「時間の無駄じゃない?」
そんなことを考える。
でも、小学生の僕たちに、
「その探検、何の意味があるの?」
と聞いても困っただろう。
意味なんてない。
マーガリンを発見するくらいである。
それでも、あの時間は楽しかった。
意味がなくても、ワクワクすることには意味がある。
今なら、そんなふうに思う。
僕は木の棒を、本に持ち替えただけなのかもしれない
僕は今でも本を持って歩く。
電車の中で読む。
休憩中に読む。
ページをめくる。
知らない世界へ入っていく。
考えたことのないことを考える。
知らなかった人生を見る。
ときどき、ものすごく好きな文章に出会う。
心の中で、
「あった」
と思う。
たぶん、あの頃と同じだ。
木の棒を持って学校を歩き回っていた僕と、本を持って日常を歩いている今の僕。
ずいぶん違うように見える。
でも、やっていることはそれほど変わらない。
僕は、木の棒を本に持ち替えただけなのかもしれない。
探検する場所も変わった。
昔は学校だった。
近所だった。
知らない道だった。
今は小説の中だったり、街だったり、人の言葉だったり、自分の日常だったりする。
昔より探検できる場所は増えたのかもしれない。
本を一冊開けば、知らない国へも行ける。
知らない時代へも行ける。
自分とはまったく違う人の人生にも入れる。
そして本を閉じれば、今度は現実の世界に戻ってくる。
すると、さっきまで普通だったものが少し違って見える。
僕はそれを面白がっている。
ブログを書くときも同じだ。
何でもない日常から、何かを拾う。
「これ、なんでだろう」
と思ったら、しばらく眺める。
考える。
調べる。
文章にする。
そうして誰かに、
「こんなのありました」
と報告する。
ああ。
やっぱり副隊長のままだ。
ひろき隊長。
あなたが昔、
「頑張ってるから」
という、あまりにも曖昧な評価基準で僕を副隊長にしてくれた判断は、もしかすると間違っていなかったのかもしれない。
何を頑張っていたのかは、今でも分からないけれど。
我らが探検隊は、いつ解散したんだろう
そういえば。
我らが探検隊は、いつなくなったのだろう。
僕には分からない。
解散式をした記憶はない。
ひろき隊長が僕たちを集めて、
「今日をもって、我らが探検隊を解散する」
と宣言したわけでもない。
副隊長だった僕が辞表を提出したわけでもない。
最後の探検がいつだったのかも覚えていない。
最後に木の棒を持った日も覚えていない。
最後に、
「隊長!」
と呼んだ日も覚えていない。
最後に駄菓子屋の安全を確認した日も。
気がついたら、やらなくなっていた。
たぶん、子どもの頃の遊びって、そういうものなのだと思う。
「今日で終わり」
なんて決めない。
昨日までやっていたことを、ある日やらなくなる。
そして、その日が最後だったことに気づかない。
別の遊びを覚えたのかもしれない。
興味が変わったのかもしれない。
少しずつ大人になったのかもしれない。
僕たちは木の棒を持たなくなった。
学校を探検しなくなった。
駄菓子屋の安全を確認しなくなった。
マーガリンを発見しても、
「隊長!」
とは言わなくなった。
そして、我らが探検隊は消えた。
でも今回、昔のことを思い出しながら探検ごっこについて考えてみて、少しだけ分かったことがある。
たぶん僕たちは、
何かすごいものを探していたわけじゃない。
宝物でもない。
秘密基地でもない。
価値のあるものでもない。
だからマーガリンで喜べた。
駄菓子屋に入るだけで任務になった。
木の棒一本で冒険できた。
僕たちが探していたのは、
ワクワクだったのだと思う。
そして僕は今でも、それを探している。
本を読む。
街を歩く。
何でもないことを気にする。
「なんでだろう」と考える。
面白いものを見つけたら、人に伝える。
どうやら僕は、探検隊を完全にはやめられなかったらしい。
ただ、探検の仕方が変わった。
木の棒を本に持ち替えただけだ。
あの頃、一緒に歩いた4人も大人になった。
もう木の棒を持って探検することはないだろう。
駄菓子屋へ入って、
「異常なし」
なんて思うこともないだろう。
マーガリンを見つけても、
「でかした!」
とは言わない。
それぞれ違う場所で、違う毎日を生きている。
でも。
まだ彼らも、どこかでワクワクを探しているといいな。
