僕は将棋が好きだ。
自分で指すのも好きだけれど、プロ棋士の対局を見るのも好きだ。
とはいえ、ものすごく詳しいわけではない。
プロの対局を見ていても、
「これは先手が少し指しやすいですね」
と言われて、
「そうなん?」
と思っているくらいである。
僕にはどちらも元気そうに見える。
飛車もいる。
角もいる。
王将もいる。
何なら歩もいっぱい残っている。
それでもプロには、僕には見えない何かが見えているらしい。
そんな将棋の対局を見ていて、盤面とは別にずっと気になっていることがある。
棋士、長考しているとき、めちゃくちゃ揺れてない?
もちろん全員ではない。
ずっと姿勢を変えず、盤面を見つめている棋士もいる。
でも、考え始めると身体を前後にゆらゆらさせる棋士がいる。
盤面に近づく。
少し離れる。
また近づく。
また離れる。
ゆら。
ゆら。
考える。
ゆら。
ゆら。
まだ考える。
一手も指していない。
でも身体は結構動いている。
あれは何なのだろう。
普通、考え事をするときに揺れるだろうか
最初は、
「人間は考えると身体が揺れるものなのかな」
と思った。
でも、よく考えるとそんなことはない。
僕も日常生活で考え事をする。
今日の晩ご飯を考える。
明日の予定を考える。
ブログに何を書こうか考える。
財布の中身を見ながら、これを買って大丈夫なのか考える。
そのたびに前後へゆらゆらしているだろうか。
していない。
スーパーのお菓子売り場で、
「ポテトチップスにするか。いや、じゃがりこか」
と考えながら、
ゆら。
ゆら。
ゆら。
そんな人がいたら、商品よりそっちを見る。
だから、
「考えているから揺れる」
だけでは説明できない気がする。
では、なぜ棋士は揺れるのだろう。
そもそも長考って何をしているのだろう
プロ棋士の長考は、僕たちが日常でする「考え事」とは少し違う。
次の一手を一つ考えて終わりではない。
この手を指したら、相手はどうする。
それに対して自分はどうする。
さらに相手はどうする。
こちらの変化はどうか。
別の手ならどうなる。
こっちは危ない。
戻る。
では別の手。
そんなことを頭の中で延々と繰り返している。
杉本昌隆八段は、長考には「迷っている長考」と、局面に入り込んで先を深く読む長考があるという趣旨の説明をしている。藤井聡太竜王・名人についても、長い時間を使って深く考えること自体が棋風に合っていると語っている。
つまり棋士の頭の中では、実際の盤上では一枚も動いていないのに、何十枚もの駒が何度も動いているのだろう。
進んでは戻る。
進んでは戻る。
この変化を読む。
ダメ。
戻る。
別の変化を読む。
また戻る。
そう考えると、あの前後の揺れが少し面白く見えてくる。
身体まで一緒に読み筋を往復しているように見える。
もちろん、本当に身体の動きと読み筋が連動しているのかは分からない。
でも、見ている側にはそう見える。
頭の中で前へ進む。
身体も前へ。
読み筋を戻す。
身体も後ろへ。
また読む。
前へ。
戻る。
後ろへ。
もしかすると、あの揺れは棋士にとっての**「思考のメトロノーム」**みたいなものなのではないだろうか。
リズムを作っているのかもしれない
僕が一番ありそうだと思うのは、リズムである。
人間は何かに集中するとき、一定の動作を繰り返すことがある。
貧乏ゆすりをする人もいる。
ペンを回す人もいる。
指で机を叩く人もいる。
歩きながら考える人もいる。
別に、
「今から集中するために右足を一定周期で動かします」
と決めているわけではない。
気づけばやっている。
棋士の揺れも、それに近いのではないか。
一定のリズムで身体を動かす。
そのリズムの中で考える。
前へ。
後ろへ。
前へ。
後ろへ。
考える。
考える。
考える。
実際、長考派として知られた加藤一二三九段は、秒読みでも「リズムにうまく乗る」と調子よく指せるという趣旨の話をしている。秒読みのやり取り自体を読みのリズムにしていたとも紹介されている。
もちろん、これは「身体を揺らせば将棋が強くなる」という話ではない。
そんな簡単なら僕も今すぐ揺れる。
将棋盤の前で朝から晩まで揺れる。
三日後くらいには初段になっていてほしい。
たぶん、ならない。
落ち着くためでもあるのだろうか
もう一つ考えられるのは、自分を落ち着かせるためだ。
プロの公式戦。
しかも大きな棋戦。
長時間の対局。
持ち時間も減っていく。
一手のミスで、それまで何時間も積み上げてきたものが崩れることもある。
僕なら落ち着かない。
「これで合ってる?」
「ほんまに?」
「こっちじゃない?」
「待って。やっぱりさっきのほうがいい?」
頭の中が大変なことになる。
そんな状態で椅子に完全静止しているほうが難しい気もする。
身体を少し動かす。
姿勢を変える。
前に行く。
戻る。
また盤を見る。
そうやって身体を動かすことで、張り詰めすぎるのを防いでいる可能性もありそうだ。
何時間も同じ姿勢で座っているのもしんどい。
実際、長時間の対局では棋士が席を外して身体を休めることもある。竜王戦の中継ブログでも、相手の考慮時間中などに席を外して休む棋士の様子が紹介されている。
将棋は座っているから身体を使わない。
そんなことはないのだろう。
長時間座る。
集中し続ける。
姿勢を変える。
席を立つ。
戻ってくる。
また考える。
頭脳戦だけれど、頭だけで戦っているわけではない。
でも、全然揺れない棋士もいる
ここで面白いのが、みんなが揺れるわけではないことだ。
揺れる人がいる。
姿勢を頻繁に変える人もいる。
一方で、
地蔵みたいな人もいる。
動かない。
盤を見る。
動かない。
まだ見る。
こちらが心配になるくらい動かない。
さっきから映像止まってない?
と思う。
コメント欄を確認する。
動いている。
本人だけ止まっている。
同じ「考える」でも、身体の使い方が全然違う。
これが面白い。
もし「考えるためには揺れる必要がある」なら、全棋士が揺れるはずだ。
でも実際はそうではない。
つまり、揺れることそのものが将棋に必要なのではなく、集中状態に入る方法が人によって違うのだろう。
動くことで集中する人。
止まることで集中する人。
棋士にも個性がある。
地蔵タイプは何をしているのだろう
僕はむしろ、地蔵タイプも気になる。
あんなに動かずにいられるものなのだろうか。
普通なら少しくらい姿勢を変えたくなる。
首を動かしたい。
肩を回したい。
足を組み替えたい。
僕なら五分くらいで、
「ケツ痛いな」
が思考に入ってくる。
十分快適な椅子でも関係ない。
盤面。
飛車。
角。
王将。
ケツ。
金。
銀。
ケツ。
もう将棋どころではない。
それなのに、ほとんど動かず盤面を見続けられる棋士がいる。
これはこれで特殊能力に見える。
揺れる棋士を「思考のメトロノーム」と呼ぶなら、動かない棋士は何だろう。
思考の地蔵。
ありがたそうである。
揺れには限界があるのだろうか
ここまで考えて、新しい疑問が出てきた。
どこまで揺れていいのだろう。
少し前後に揺れる。
これは普通に見る。
もう少し大きく揺れる。
まあ、いいだろう。
さらに大きく揺れる。
相手から見ても明らかに気になるくらい揺れる。
これはどうなのだろう。
日本将棋連盟の対局規則を見てみると、「身体を揺らしてはいけない」という反則は列挙されていない。一方で、公式戦の立会人には、規則が守られているかを確認し、「良好な対局環境」が維持されるようにする役割があり、必要に応じて注意や警告などの措置を取る権限がある。
つまり、
「揺れは前後3センチまで」
みたいなルールがあるわけではない。
そりゃそうだ。
そんな規則があったら面白すぎる。
第○条。
長考時の揺れは前後5センチ以内とする。
タイトル戦については7センチまで認める。
そんなわけはない。
でも、相手の集中を妨げるほどやれば、さすがに問題になる可能性はある。
では、その境界はどこなのだろう。
僕ならリズムをつけたい
もし僕がプロ棋士なら、どうするだろう。
せっかく揺れていいのなら、リズムが欲しい。
前。
後ろ。
前。
後ろ。
ただ揺れるだけではもったいない。
小さく肩も入れたい。
うんちゃ、うんちゃ。
盤面を見る。
うんちゃ、うんちゃ。
▲7六歩。
また考える。
うんちゃ、うんちゃ。
肩を右。
肩を左。
いや、身体そのものは前後にしておこう。
うんちゃ、うんちゃ。
相手はめちゃくちゃ嫌だと思う。
対局開始から二時間。
ずっと向かい側で、
うんちゃ。
うんちゃ。
うんちゃ。
盤面より僕が気になる。
これは強い。
いや、たぶん注意される。
音を出したら一気にアウト感が出る
身体を少し揺らすだけなら、対局中によく見られる。
では、
「うんちゃ、うんちゃ」
と実際に口に出したらどうだろう。
これは急にダメな感じがする。
将棋の対局室は静かだ。
駒を指す音。
時計。
記録係。
ときどき聞こえる衣擦れ。
そんな中で、
「うんちゃ、うんちゃ」
僕だけクラブにいる。
相手が飛車を動かす。
「うんちゃ」
角を打つ。
「うんちゃ」
王手。
「うん……」
そこだけ止まる。
めちゃくちゃ分かりやすい。
「あ、効いてるな」
と相手にバレる。
将棋では表情や動きも情報になるだろう。
そう考えると、棋士は大変である。
考えなければいけない。
でも考えていることを相手に悟られすぎてもいけない。
いっそ踊ったらどうなるのか
では、踊るのはどうだろう。
これも公開されている対局規則に、
「対局中に踊ってはならない」
とは書かれていない。
当たり前である。
まさか規則を作った人も、
「将来、対局中に踊る棋士が出てくるかもしれない」
とは考えなかっただろう。
でも、禁止と明記されていないから何をしてもいいわけではない。
良好な対局環境を壊せば、立会人の判断が入るだろう。
だから本当に踊り始めたら、たぶん止められる。
ただ、その瞬間を少し見たい。
長考。
30分。
棋士が立ち上がる。
相手は、
「離席かな」
と思う。
違う。
踊り始める。
ステップ。
ターン。
着席。
▲4五桂。
何だったんだ、今の。
相手の集中は完全に切れる。
歩きながら考えるのはどうなのか
でも、「歩きながら考える」なら少し現実味がある。
僕たちも考え事をするときに歩くことがある。
家の中をうろうろする。
散歩する。
歩いているうちに考えがまとまる。
棋士も長時間の対局中、ずっと盤の前に座り続けるわけではない。相手の考慮時間中などに離席し、休憩することがある。
これも面白い。
将棋は盤を見て考えるものだと思っていた。
でも盤から離れても、頭の中には盤があるのだろう。
廊下を歩いていても、
▲5二金。
△同飛。
▲4三銀。
みたいなものが頭の中にある。
僕なら廊下に出た瞬間、
「自販機あるやん」
で全部消える。
コーヒーを買う。
戻る。
盤を見る。
何考えてたっけ。
プロにはなれない。
将棋は静かすぎるから、少しの動きが目立つ
そもそも、なぜ僕は棋士の揺れがこんなに気になるのだろう。
たぶん将棋が静かだからだ。
サッカーなら選手はずっと動いている。
野球でも投手が投げ、打者が構え、野手が走る。
ボクシングなら身体そのものが競技である。
でも将棋は基本的に座っている。
盤を挟んで二人。
大声も出さない。
派手なガッツポーズもほとんどない。
だからこそ、小さな動きがものすごく目立つ。
前へ身体を倒す。
背もたれ側へ戻る。
頭を抱える。
姿勢を変える。
扇子を持つ。
席を立つ。
戻る。
また盤を見る。
普通のスポーツなら埋もれてしまうような小さな動作が、将棋では一つ一つ見える。
静かな競技だから、身体の癖がむき出しになる。
これは観戦の面白さの一つなのかもしれない。
楽しそうに指す棋士はあまり見ない
もう一つ気になることがある。
プロ棋士の対局を見ていて、
「めちゃくちゃ楽しそう!」
という人は、あまり見ない。
もちろん本人は将棋が好きなのだろう。
長時間考えることそのものを楽しめる棋士もいるだろうし、藤井聡太竜王・名人について高見泰地七段が、長時間の対局でも集中が切れず、考えること自体が好きなのだろうという趣旨で語ったこともある。
でも見た目だけなら、楽しさはあまり表に出ない。
ニコニコしながら、
「いやー、この角いいねえ!」
みたいにはならない。
相手が好手を指して、
「うわー!それかー!」
と手を叩いたりもしない。
静かに考える。
静かに指す。
また考える。
だからこそ、身体の揺れが感情の代わりに見えてくることがある。
焦っているのか。
集中しているのか。
迷っているのか。
それは本人にしか分からない。
でも身体だけは動いている。
身体は隠せないのかもしれない
人間は面白い。
頭の中は見えない。
棋士が何を読んでいるのか、僕には分からない。
表情も大きく変わらない。
言葉もほとんど発しない。
でも身体には何かが出る。
前のめりになる。
戻る。
また前へ行く。
手を顔に当てる。
姿勢を変える。
そして、ゆらゆらする。
もしかすると、本人も意識していないのかもしれない。
「よし、ここから揺れよう」
なんて思っているとは考えにくい。
集中しているうちに自然と身体が動く。
だとしたら、あの揺れは面白い。
言葉にならない思考が、身体から少しだけ漏れている。
そんなふうにも見える。
「考える」は頭だけの仕事ではないのかもしれない
僕たちは「考える」と聞くと、頭の中だけで行われるものだと思いがちだ。
脳が考える。
身体はその入れ物。
でも、本当にそうなのだろうか。
歩きながら考える。
手を動かしながら考える。
姿勢を変えながら考える。
何かを触りながら考える。
一定のリズムを刻みながら考える。
僕たちも普段からやっている。
棋士の揺れは、それが極端に見えやすいだけなのかもしれない。
何時間も集中する。
何十手も先を読む。
膨大な選択肢を頭の中で試す。
そんな特殊な思考状態に入ったとき、身体も完全には無関係でいられない。
頭が考える。
身体がリズムを作る。
また頭が考える。
もしかすると人間は、身体ごと考えている。
そう思うと、あのゆらゆらが少し格好よく見えてくる。
そして僕には最後の疑問が残る
棋士がなぜ長考すると身体を揺らすのか。
正確な答えは、棋士によって違うのだと思う。
落ち着くためかもしれない。
癖かもしれない。
長時間同じ姿勢でいるのがしんどいだけかもしれない。
一定のリズムが思考に合っている人もいるのかもしれない。
そもそも本人は、自分が揺れていることに気づいていないかもしれない。
そして、まったく揺れない地蔵タイプもいる。
だから、
「棋士は○○だから揺れる」
と一つの理由で説明することはできない。
でも、それでいい。
次にプロ棋士の対局を見るとき、僕は盤面だけではなく棋士の身体も見てしまうと思う。
長考に入った。
盤を見る。
少し前へ。
戻る。
また前へ。
ゆら。
ゆら。
思考のメトロノームが動き始める。
何十手先まで読んでいるのだろう。
僕にはまったく分からない。
その頭の中では、ものすごい数の駒が動いているのだろう。
身体も一緒に考えているのかもしれない。
静かな対局室。
盤を挟んだ二人。
一人の棋士が、今日もゆっくり前後に揺れている。
それを見るたび、僕は思う。
集中しているんだろうな。
ものすごく深く考えているんだろうな。
リズムを作っているのかもしれないな。
なるほど。
分かった。
いろいろ考えて、だいたい納得した。
でも。
どうしても一つだけ分からない。
あんなに長時間、
前へ。
後ろへ。
前へ。
後ろへ。
ゆら。
ゆら。
ゆら。
酔わないのだろうか。
