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目が笑っていない人は怖いし不気味。なぜ?本人の心理と笑顔の裏側を考えてみた

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職場にいる。

そう、目だけ笑っていない上司が。

怖い。

怖すぎる。

口元は笑っている。確かに笑っている。こちらに向かって、にこやかに話しかけてくる。声だって普通だ。怒鳴っているわけでもない。何か注意されたわけでもない。

しかし、目が笑っていない。

なんだ?

何を仕掛けたのだ?

僕は何も聞かされていない。何か重大なことが起きているのか。それとも、これから起きるのか。いや、そもそも僕が何かしたのか。

上司は相変わらず笑っている。口元だけで。

さ、さ、さ、サイコパスか!?

いや、待て。落ち着け。まだ何もされていない。ただ笑顔を向けられただけだ。上司が何か企んでいる証拠もない。

それなのに、僕の頭の中では、すでに事件が起きている。

普通、笑顔は人を安心させるものではないのか。ところが、この上司の笑顔を見ると、なぜか身構えてしまう。怒った顔をされているわけでもないのに、怒られているときより怖い気さえする。

なぜだろう。

そもそも「目が笑っていない」とは、どういう状態なのだろう。本人は何を考えているのか。そして、なぜ僕はそこまで不気味に感じるのか。

今日は、この謎について考えてみたい。

目次

目が笑っていない人の特徴とは?

「目が笑っていない」と言われても、実際に目が笑うわけではない。目玉が口を開けて笑い出したら、それはそれで大事件だ。

僕たちが見ているのは、目の周囲の動きや、顔全体の印象なのだろう。

例えば、口角は上がっているのに、目元の表情がほとんど変わらない人。口だけがにこりと動いて、目は真剣なまま。まるで顔の上半分と下半分で、別々の会議をしているように見える。

口元の会議では「笑顔で対応しましょう」と決まったのだろう。

しかし、目元の会議には、その連絡が届いていない。

結果、笑顔なのに、どこか不自然な表情が完成する。

また、表情の変化が少ない人も、目が笑っていないように見えることがある。楽しんでいないわけではなく、感情が顔に出にくいだけかもしれない。

「目に輝きがない」という表現もよく聞く。ただ、瞳の輝きは光の当たり方や見る側の印象にも左右される。輝きがないから心が冷たい、などと決めつけることはできない。

自然な笑顔では、頬が持ち上がり、目の周りの筋肉が動くことが多い。一方、愛想笑いでは口元の動きが目立つ場合もある。とはいえ、目元が動かない笑顔が必ず嘘というわけではない。顔立ちにも、表情の癖にも個人差がある。

つまり、僕が上司の目を見て「笑っていない」と思ったところで、本当に心から笑っていないかどうかまでは分からないのだ。

分からない。

だからこそ、怖いのかもしれない。

考えてみれば、僕は人の顔をそこまで注意深く観察するタイプだっただろうか。普段なら、相手の表情を一瞬見て、すぐに話の内容へ意識が移る。それなのに、あの上司が笑うと、なぜか目元ばかり気になる。

笑顔を見た瞬間に、確認作業が始まるのだ。

口角、上昇。頬、異常なし。目元、変化なし。

……。

異常あり。

いや、異常なのは僕の観察の仕方かもしれない。上司の顔は検査対象ではない。本人はただ、今日の仕事について話しているだけなのだ。

それでも気になるのだから、人間の印象というものは厄介である。一度「この人は目が笑っていない」と思うと、次に会ったときも、そこばかり確認してしまう。笑っていない証拠を探しているようなものだ。

もし一度でも自然な笑顔を見せてくれたら、僕の印象は変わるのだろうか。それとも、「今日は珍しく目が笑っている。何かあったのか?」と、また疑うのだろうか。

……。

どちらにしても疑っているではないか。

目が笑っていない人は、何を考えているのか

では、本人の心理はどうなのだろう。

まず考えられるのは、愛想笑いである。

仕事をしていれば、心から面白いと思っていなくても笑う場面がある。相手の冗談がそれほど面白くなくても、口角を上げる。話を円滑に進めるために、にこやかな表情を作る。

それは別に悪いことではない。むしろ、人間関係を円滑にするための気遣いだろう。僕だって、いつでも心から笑っているわけではない。

しかし、口元だけが笑顔になっていると、見る側には「本当は笑っていないのでは」と感じられることがある。

次に、緊張している可能性もある。相手に失礼がないように笑顔を作ろうとしているのに、緊張で表情が硬くなってしまう。本人としては、むしろ頑張って笑っているのかもしれない。

疲れている場合もあるだろう。仕事が忙しく、余裕がない。それでも人と接するときには笑顔を作る。心の中では別のことを考えていて、目元まで表情が追いつかない。

あるいは、ただの表情の癖かもしれない。本人は普通に楽しく笑っている。それなのに、周囲からは「目が笑っていない」と言われてしまう。

そう考えると、少し気の毒でもある。

せっかく笑っているのに、怖いと言われるのだから。

僕の上司も、もしかしたらそうなのかもしれない。

本人は何も考えていない。ただ普通に話して、普通に笑っているだけ。それを僕が勝手に怪しんでいる。

……。

しかし、怖いものは怖い。

理屈で分かったところで、目の前の笑顔が急に安心できるものに変わるわけではないのだ。

なぜ目が笑っていない人は怖くて不気味なのか

そもそも、なぜ僕はこんなに怖がっているのだろう。

考えてみると、笑顔には安心感がある。相手が笑っていると、少なくとも今は怒っていないのだろうと思いやすい。こちらもつられて笑ってしまうことがある。

ところが、口元と目元から受ける印象が違うと、その安心感が揺らぐ。

口は「大丈夫ですよ」と言っている。

目は何も言っていない。

いや、目がしゃべらないのは当然なのだが、そういう問題ではない。

顔の中で情報が食い違っているように見えるのだ。

怒っている人なら分かりやすい。眉間にしわが寄っている。声が強い。ああ、怒っているのだな、と判断できる。

無表情の人も、少なくとも笑っているふりはしていない。

しかし、目が笑っていない人は違う。

笑顔なのだ。

なのに、安心できない。

何を考えているのか、読み取れない。

もしかしたら、僕が怖がっているのは、相手の悪意ではなく、相手の感情を予測できないことなのかもしれない。

「この人は楽しんでいるのか」「何か怒っているのか」「今の笑顔には別の意味があるのか」。そんな疑問が次々に湧いてくる。

そして、分からない部分を、自分の想像で埋め始める。

何を仕掛けたのだ?

……。

だから、何も仕掛けていないかもしれないと言っているだろう。

勝手に疑い、勝手に怯える。上司からすれば、実に迷惑な話である。

例えば、上司から「最近どう?」と聞かれたとする。

普通なら、近況を尋ねる何気ない一言である。ところが、目が笑っていないと、僕の脳内では急に尋問が始まる。

最近どう、とは何だ。

何について聞いているのだ。

仕事の進み具合か。それとも、僕が知らない何かについて、すでに情報を握っているのか。

「順調です」と答えていいのだろうか。

その返事を待っていたのではないか。

気づけば、何でもない会話に勝手な裏設定を追加している。上司は一言しか話していないのに、僕の頭の中では三話分くらい物語が進んでいる。

しかも、上司はその物語の存在を知らない。

主演を務めていることすら知らないだろう。

そう思うと、少し申し訳なくなる。ただ笑顔が独特だというだけで、知らないうちに謎めいた人物に仕立て上げられているのだから。

なぜか立場が上の人に多い気がする

ここからは、完全に僕の個人的な印象である。

僕がこれまで出会ってきた「目が笑っていない人」を思い返すと、なぜか立場が上の人ばかりなのだ。

上司。管理職。何かしら人の上に立っている人。

反対に、部下や後輩など、立場が下の人で「この人、目が笑っていないな」と感じた記憶がない。

一人もいない。

もちろん、世の中全体でそうだという話ではない。統計を取ったわけでもないし、すべての上司の目を調べたわけでもない。あくまで僕の経験に限った話だ。

それでも、妙に気になる。

立場が上になると、目が笑わなくなるのだろうか。

出世すると、給料が上がる。責任が増える。部下ができる。

そして、目の笑顔が消える。

そんな昇進制度があるのだろうか。

「このたび、課長に昇進しました。おめでとうございます。なお、本日より目元で笑うことは禁止です」

そんな会社は嫌だ。

しかし、少し真面目に考えると、立場が上の人は、笑顔を作りながら相手を観察する機会が多いのかもしれない。

部下の話を聞く。仕事の進み具合を確認する。相手の反応を見る。和やかに話しながらも、頭の中では別の判断をしている。

そうしたとき、口元は笑顔でも、目つきが真剣に見えることはありそうだ。

ただし、これは僕の想像である。上司の頭の中を見たわけではない。

もう一つ考えられるのは、僕の見方そのものが変わっている可能性だ。

同じ笑顔でも、友達なら何とも思わない。ところが、上司となると、こちらが勝手に身構える。

相手には仕事を評価する立場がある。注意される可能性もある。何か言われるのではないかと、こちらが警戒している。

すると、普通の笑顔まで意味深に見えてしまうのかもしれない。

つまり、目が笑っていない人が上司に多いのではなく、上司の目だけを、僕が必要以上に観察している可能性もあるのだ。

……。

それはそれで、嫌な発見である。

そもそも、立場が上の人には、こちらが勝手に「余裕があるはずだ」「何か考えているはずだ」という印象を持っているのかもしれない。

後輩が笑っていたら、単に楽しそうだと思う。上司が笑っていたら、「この笑顔には何か意味があるのでは」と考える。笑顔そのものより、相手に対して抱いているイメージが違うのだ。

だとしたら、僕は上司の目を見ているようで、実際には上司という立場を見ているのかもしれない。

もっと言えば、目が笑っていない人を見つけたのではなく、目が笑っていないように見える人だけを強く覚えている可能性もある。怖い印象は記憶に残りやすい。普通に笑っている上司のことは、そもそも話題にすらならない。

そう考えると、僕の「立場が上の人に多い」という説も、ずいぶん怪しくなってきた。

ただし、だからといって、あの上司の笑顔が怖くなくなるわけではない。

理屈と感覚は、なかなか仲良くしてくれないのである。

彼らも昔は、普通に笑えていたのだろうか

ここで、ふと疑問が湧いた。

あの上司も、昔は普通に笑っていたのだろうか。

学生時代、友達とくだらない話をして、腹を抱えて笑ったことがあるのだろうか。

教室でふざけて、先生に怒られたことはあるのだろうか。

家族と食卓を囲み、テレビを見て笑ったこともあるのだろうか。

きっと、あるのだと思う。

いや、分からない。僕は上司の幼少期を知らない。

ただ、今のあの表情しか知らないから、昔の姿が想像しにくいのだ。

若い頃は、目を細めて笑っていたのかもしれない。

それが社会人になり、責任を負い、部下を持ち、少しずつ笑顔が変わっていったのだろうか。

もしそうなら、何だか切ない話である。

出世とは、笑顔まで変えてしまうものなのか。

もちろん、そんな因果関係があると決まったわけではない。仕事を離れれば、今でも心から笑っているかもしれない。

家では子どもと遊んで笑っているのかもしれない。友人の前では大笑いしているのかもしれない。

職場で見せている顔が、その人のすべてではない。

それでも、僕は想像してしまう。

では、もし昔からずっと目が笑っていなかったとしたら。

赤ん坊の頃から、口元だけでにやりと笑っていたのだろうか。

母親に抱きかかえられ、にこり。

口元だけで。

……。

怖すぎるだろう。

いや、赤ん坊にまで失礼な想像をするな。

それに、僕が勝手に「笑えていたのだろうか」と心配しているだけで、本人は今も十分に笑っているつもりかもしれない。休日には大笑いしているかもしれないし、仕事中の笑顔だって本物かもしれない。

人の人生を、職場で見かける数秒の表情だけで想像するのは、ずいぶん乱暴なことだ。

それでも、想像してしまうのが人間なのだろう。目の前の人について知らないことが多いほど、勝手に物語を作ってしまう。僕は上司の昔の写真を一枚も見たことがない。それなのに、頭の中では勝手に青春時代を上映している。

しかも、なぜか少し切ない音楽まで流れている。

上司は今日も普通に仕事をしているだけなのに。

目が笑っていない本人は、自覚しているのだろうか

さらに気になるのが、本人に自覚があるのかということだ。

僕たちは、自分の顔を直接見ることができない。

鏡を見れば確認できるが、誰かと話している最中の自然な表情を、ずっと鏡で監視しているわけではない。

自分では笑っているつもりでも、相手からどう見えているのかは分からない。

上司だって、そうだろう。

本人はにこやかに話しているつもりかもしれない。

むしろ、職場の雰囲気をよくしようと努力している可能性すらある。

「今日は部下に優しく接することができた」

そう思いながら帰宅しているのかもしれない。

一方、その部下である僕は、帰り道で考えている。

何を仕掛けたのだ?

なんというすれ違いだろう。

本人に悪気がなくても、表情の受け取られ方は違う。逆に、愛想笑いだと自覚していても、相手がそこまで怖がっているとは思っていないだろう。

では、直接言えばいいのか。

「すみません、目が笑っていませんよ」

……。

言えるわけがない。

仮に言えたとして、上司はどう反応するのだろう。

「そうか、教えてくれてありがとう」

にこり。

口元だけで。

やめてくれ。余計に怖い。

そもそも、人の笑顔を勝手に採点するのも失礼な話である。本人が気にしていないなら、無理に指摘する必要はないだろう。

目が笑っていない人は性格が悪いのか

ここまで読んで、目が笑っていない人には裏があるのではないかと思った人もいるかもしれない。

僕自身、上司の笑顔を見て勝手に疑っている。

しかし、はっきりさせておきたい。

目が笑っていないからといって、性格が悪いわけではない。

腹黒いとも限らない。冷たい人とも限らない。ましてや、サイコパスかどうかなど、表情だけで判断できるものではない。

僕の「さ、さ、さ、サイコパスか!?」は、あくまで怖がりすぎた心の声である。診断でも分析でもない。

考えてみれば、口元が笑っていても、目元があまり動かない人はいる。緊張している人も、疲れている人も、表情を出すのが苦手な人もいる。

人間の内面は、そんなに簡単には分からない。

本当に見るべきなのは、日頃の言動なのだろう。

相手にどう接するのか。困っている人をどう扱うのか。約束を守るのか。人によって態度を変えるのか。

そうした積み重ねの方が、目元の動きよりもずっと多くのことを教えてくれる。

笑顔だからいい人とも限らないし、目が笑っていないから悪い人とも限らない。

それなのに僕は、上司の目だけを見て、頭の中で勝手に事件を起こしている。

そろそろ反省した方がいいのかもしれない。

目が笑っていない上司には、どう接すればいいのか

では、実際に目が笑っていない人と接するとき、どうすればいいのだろう。

僕が思うに、まずは普通に接することだ。

笑顔が不気味だからといって、相手が何か悪いことを考えているとは限らない。こちらが勝手に身構えてしまうと、かえって会話がぎこちなくなる。

相手の目を観察しすぎないことも大切なのかもしれない。

「今、笑ったか?」「いや、目は動いていない」「さっきより少し細くなったか?」

そんなことを考えながら話していたら、肝心の話が頭に入ってこない。

仕事の話をしているのに、僕だけ目元の鑑定士になっている。

何の仕事をしているのだ。

もちろん、相手の言動に問題があるなら、それは別だ。理不尽な要求をされたり、威圧的な態度を取られたりしたなら、笑顔とは関係なく対処を考える必要がある。

しかし、ただ目が笑っていないというだけなら、まずはそれ以上の意味を勝手に付け足さない方がいいのだろう。

そう頭では理解している。

理解しているのだが。

上司が近づいてくる。

にこり。

目は笑っていない。

……。

何を仕掛けたのだ?

どうやら、僕の警戒心はそう簡単には消えないらしい。

そもそも、僕の目は笑っているのだろうか

ここまで、目が笑っていない人について散々考えてきた。

特徴を考え、心理を考え、なぜ怖いのかを考えた。立場が上の人に多い気がするとまで言い出した。上司の学生時代を想像し、ついには赤ん坊の頃の笑顔まで疑った。

ずいぶん失礼なことをしている。

しかし、ここで一つ、重大な問題に気づいた。

そもそも、僕の目は笑っているのだろうか。

僕は、自分が笑っているときの顔を知らない。

鏡の前で笑顔を作ることはできる。しかし、それは鏡に向かって作った笑顔だ。誰かと話しているときの、自然な表情とは違うかもしれない。

僕だって、仕事中に愛想笑いをすることはある。

面白くない話に、笑顔で相づちを打つこともある。

疲れていても、普通に話そうとすることはある。

では、そのときの僕の目はどうなっているのだろう。

口元だけ笑っているのではないか。

相手は僕の顔を見て、「なんだ、この人。目が笑っていない」と思っているのではないか。

もしそうなら、話が変わってくる。

僕は上司を怖がっていた。

しかし、誰かは僕を怖がっているのかもしれない。

僕が「何を仕掛けたのだ?」と考えている一方で、相手も同じことを考えている可能性がある。

何という職場だろう。

全員、ただ笑っているだけなのに、全員が互いを疑っている。

いや、そんな職場だと決まったわけではない。想像が飛躍しすぎている。

ただ、自分の笑顔を知らないまま、他人の笑顔を怖がっていたことには気づいた。

人の表情から本心を読み取るのは難しい。

相手の目が笑っていないように見えても、本人は楽しいのかもしれない。緊張しているのかもしれない。何も考えていないのかもしれない。

そして、僕自身も、誰かからそう見られているのかもしれない。

結局、目が笑っていない人の本心は、目を見ただけでは分からないのだろう。

今度、鏡の前で笑ってみようか。

そう思った。

しかし、少し考えて、やめた。

鏡の前で一人、口角を上げて、自分の目が笑っているか確かめる。

……。

それはそれで、怖すぎるだろう。

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