20代の頃、僕はお酒が好きだった。
ビールを飲むのも好きだったし、酔っ払うのも好きだった。
別に、誰かに無理やり飲まされていたわけではない。
自分から進んで飲んでいた。
お酒を飲むと、気分がよくなる。
何となく楽しくなる。
ほろ酔いになって、心地よい時間を過ごす。
そんな感覚が好きだったのだと思う。
しかし、34歳になった今、僕はほとんどお酒を飲まなくなった。
というより、まったく飲みたいと思わなくなった。
禁酒しているわけではない。
健康のために我慢しているわけでもない。
飲んではいけないと決めているわけでもない。
飲みたければ飲めばいい。
ただ、飲みたいと思わないのだ。
不思議なものである。
昔は、あれほど好きだったというのに。
一体、何が変わったのだろう。
味覚だろうか。
年齢だろうか。
それとも、僕自身の考え方が変わったのだろうか。
今回は、なぜお酒が好きじゃなくなったのか、なぜ飲みたいと思わなくなったのかについて、自分自身の経験を振り返りながら考えてみたい。
そもそも、僕は本当にお酒が好きだったのだろうか
まず、最初に疑問に思ったことがある。
僕は、本当にお酒が好きだったのだろうか。
いや、好きだった。
それは間違いない。
20代の頃は、自分から進んで飲んでいた。
しかし、よくよく考えてみると、少し違う気がしてきた。
僕が好きだったのは、お酒の味そのものだったのだろうか。
それとも、酔っ払うことだったのだろうか。
例えば、ビールを飲む。
最初の一口はおいしい。
冷たくて、喉越しがよくて、何とも言えない満足感がある。
しかし、そのあとも飲み続けるのは、純粋に味を楽しみたいからだったのだろうか。
少しずつ酔いが回ってくる。
気分がよくなる。
楽しくなる。
その感覚を求めていた部分もあったのではないか。
そう考えてみると、僕の場合は、お酒の味よりも、酔っ払うことが好きだったのかもしれない。
もちろん、純粋にお酒の味が好きな人もいるだろう。
ワインの香りを楽しむ人もいれば、日本酒の繊細な味わいを楽しむ人もいる。
ビールの苦味が好きな人だっている。
それは、それでいい。
ただ、僕自身はどうだったのか。
そう考えると、少し怪しくなってきた。
お酒が好きだと思っていた。
しかし、本当に好きだったのは、飲んだあとに訪れる心地よさだったのではないか。
だとしたら、僕が好きだったものは、お酒そのものではなく、お酒によって変化した自分の気分だったのかもしれない。
酔うと気持ちいい。でも、翌日はしんどい。なんだこれ?
僕がお酒に対して疑問を持つようになったのは、あることを考えたからだ。
お酒を飲む。
酔っ払う。
気分がよくなる。
楽しい。
ここまではいい。
問題は、そのあとである。
翌日、しんどい。
体がだるい。
頭が重い。
何となく調子が悪い。
もちろん、毎回そうなるわけではない。
飲む量によっても違うだろう。
しかし、飲みすぎた翌日に、体調が悪くなることはあった。
そこで、ふと思った。
なんだこれ?
いや、本当に。
一体、何をしているのだろう。
お金を払う。
お酒を飲む。
気持ちよくなる。
翌日、しんどくなる。
……。
何という仕組みなのだ。
昨日の僕は楽しかった。
しかし、今日の僕はしんどい。
同じ人間である。
それなのに、まるで別人のような扱いではないか。
昨日の僕が勝手に楽しんで、その代償を今日の僕に押しつけている。
楽しい時間の請求書が、翌日の僕に届いているのだ。
しかも、昨日の僕はもういない。
責任を取ってくれない。
なんという無責任な男だろう。
もちろん、適量のお酒を楽しんで、翌日も元気に過ごしている人はいる。
だから、お酒を飲めば必ず翌日しんどくなると言いたいわけではない。
ただ、僕の場合は、あの心地よさと翌日の不快感を天秤にかけたとき、ある疑問が生まれたのだ。
そこまでして、酔いたいのだろうか。
そして、考えてみた。
別に、酔いたくない。
気分を高揚させたいとも思わない。
嫌なことを忘れたいとも思わない。
だったら、飲む理由がないではないか。
それから、僕にとってのお酒の魅力は、少しずつ薄れていったのかもしれない。
お酒を飲んで、嫌なことを忘れたいと思わなくなった
お酒を飲む理由は、人によって違う。
味が好きだから飲む人もいる。
料理と一緒に楽しむ人もいる。
誰かと過ごす時間が好きな人もいる。
そして、嫌なことを忘れるために飲む人もいるだろう。
仕事で嫌なことがあった。
人間関係で疲れた。
今日は何も考えたくない。
そんなときに、お酒を飲んで気分を変えたいと思うこともあるのかもしれない。
しかし、今の僕には、その感覚があまりない。
嫌なことを忘れるために、お酒を飲みたいと思わないのだ。
もちろん、嫌なことがまったくないわけではない。
生きていれば、いろいろある。
腹が立つこともあれば、面倒なこともある。
しかし、それをお酒で忘れたいとは思わない。
そもそも、酔って忘れたところで、問題が解決するわけではない。
翌日になれば、また現実が戻ってくる。
それなら、最初から飲まなくてもいいのではないか。
そんなふうに考えるようになった。
ただし、これは僕自身の考え方である。
お酒を飲んで気分転換することを否定したいわけではない。
自分に合った楽しみ方があるなら、それでいい。
僕は単純に、お酒に気分転換を求めなくなったということだ。
そして、酔って気持ちよくなりたいとも思わない。
こうして考えてみると、飲みたい理由が一つずつなくなっていったのかもしれない。
久しぶりにカルピスとファンタを飲んで、驚いた
そういえば、最近、久しぶりにカルピスとファンタを飲んだ。
そこで、僕は驚いた。
めちゃくちゃうまいではないか。
いや、知っていた。
もちろん知っていた。
カルピスもファンタも、子どもの頃から存在している飲み物である。
今さら、その存在を発見したわけではない。
しかし、久しぶりに飲んでみると、これが驚くほどおいしかった。
カルピスの甘酸っぱさ。
ファンタの爽やかな炭酸。
口に入れた瞬間に広がる、あの分かりやすいおいしさ。
何だこれは。
こんなにおいしかったのか。
僕は、すっかり忘れていたのかもしれない。
考えてみれば、別にお酒を飲まなくても、おいしい飲み物はいくらでもある。
カルピスがある。
ファンタがある。
コーラもある。
それなのに、どうして大人になると、お酒ばかりが特別な飲み物のように扱われるのだろう。
もちろん、甘い飲み物が苦手な人もいるだろう。
糖分が気になる人もいる。
それぞれ好みがあるのだから、何を飲むかは自由である。
ただ、僕は久しぶりにカルピスとファンタを飲んで、素直に感動した。
おいしい。
それだけで十分ではないか。
しかも、酔わない。
飲んだあとに判断力が鈍ることもない。
翌日に二日酔いになることもない。
もちろん、甘い飲み物ならではの健康面の注意はある。
だから、いくら飲んでもいいという話ではない。
しかし、少なくとも僕が飲み物に求めているものは、これで満たされてしまう。
おいしい飲み物を飲みたい。
ただ、それだけなのだ。
だったら、わざわざお酒を選ぶ必要があるのだろうか。
そこで、ふと思った。
もう、お酒いらなくないか?
別に酔いたいわけではない。
気持ちよくなりたいわけでもない。
だったら、自分がおいしいと思う飲み物を飲めばいい。
お酒を飲まなくなったから、こうした飲み物のおいしさに気づいたのか。
それとも、こうした飲み物のおいしさを再発見したから、お酒を飲みたいと思わなくなったのか。
どちらなのかは分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
ファンタ、めちゃくちゃうまい。
「お酒の味が好き」というのは、本当なのだろうか
ここで、もう一つ考えてみたいことがある。
「お酒の味が好き」という言葉だ。
もちろん、本当に味が好きな人はいる。
それは分かっている。
ただ、僕は自分自身の経験から、少し疑問を持つようになった。
例えば、ビールが好きだという人。
好きなのは、何だろう。
苦味だろうか。
香りだろうか。
喉越しだろうか。
それとも、飲んだあとに気分がよくなることだろうか。
あるいは、そのすべてかもしれない。
では、もし、まったく酔わないビールがあったとしたら。
それでも、同じくらい飲みたいと思うだろうか。
もちろん、ノンアルコールビールが好きな人もいる。
一方で、アルコールが入っているからこそ好きだという人もいるだろう。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、自分が何を楽しんでいるのかを考えるには、面白い問いだと思う。
お酒の味が好きなのか。
酔う感覚が好きなのか。
お酒を飲む時間が好きなのか。
お酒を飲んでいる雰囲気が好きなのか。
一口に「お酒が好き」と言っても、その中身は人によって違う。
そして、本人ですら、その違いを意識していないことがあるのかもしれない。
少なくとも、僕はそうだった。
昔は、お酒が好きだと思っていた。
しかし、今になって振り返ると、酔うことの楽しさが大きかったように思う。
だからこそ、酔いたいと思わなくなった今、お酒そのものへの興味も薄れてしまったのだろう。
「この料理には、このお酒が合う」それは本当なのか?
そして、僕にはもう一つ疑問がある。
料理とお酒の組み合わせについてだ。
よく聞く言葉がある。
「この料理には、このお酒が合う」
例えば、ステーキには赤ワイン。
刺身には日本酒。
焼き鳥にはビール。
なるほど。
確かに、よく聞く組み合わせである。
しかし、僕は思う。
本当に、そうなのだろうか。
いや、別に否定したいわけではない。
ステーキと赤ワインが最高だと思う人は、それを楽しめばいい。
刺身と日本酒が好きな人もいるだろう。
焼き鳥とビールの組み合わせが好きな人もいる。
それは、その人の自由である。
ただ、僕は少し考えてしまうのだ。
例えば、ステーキと赤ワイン。
なぜ、赤ワインが合うのだろう。
赤ワインの酸味や渋みが、肉料理の脂っこさと調和する。
そんな説明を聞くことがある。
なるほど。
確かに、味覚的な相性はあるのだろう。
しかし、ここで僕は思う。
それなら、別の飲み物でもいいのではないか。
例えば、コーラ。
ステーキとコーラ。
最高ではないか。
熱々のステーキを食べる。
口の中に肉のうま味が広がる。
そこに、冷たいコーラを流し込む。
炭酸が弾ける。
何という幸せだろう。
別に、赤ワインである必要はないではないか。
もちろん、赤ワインとコーラでは味が違う。
料理との相性も違うだろう。
だから、どちらも同じだと言いたいわけではない。
ただ、料理をおいしく楽しむために、アルコールが必要とは限らないということだ。
脂っこい料理のあとに、口の中をさっぱりさせたい。
それなら、炭酸水でもいい。
ウーロン茶でもいい。
レモンを入れた水でもいい。
もちろん、それぞれ味わいは異なる。
しかし、口の中をすっきりさせるという目的だけなら、ワインでなければならない理由はないだろう。
それなのに、なぜ料理との組み合わせを語るとき、お酒ばかりが特別な存在になるのだろう。
少し不思議である。
料理がおいしいのか、酔って気持ちよくなっているのか
さらに、もう一つ考えてみたい。
お酒を飲むと、気分がよくなることがある。
ほろ酔いになって、心地よくなる。
会話が弾む。
食事の時間が楽しくなる。
その結果、料理までおいしく感じることもあるのではないだろうか。
もちろん、これは一つの可能性である。
アルコールが必ず料理をおいしく感じさせると断定したいわけではない。
ただ、食事のおいしさは、舌で感じる味だけで決まるものではない。
誰と食べているか。
どんな場所で食べているか。
どんな気分なのか。
そうしたことも、食事の満足感に関係するだろう。
だとしたら、お酒を飲んで気分がよくなったことも、食事の楽しさに影響しているのかもしれない。
そこで、僕は思う。
それは本当に、料理とお酒の相性がいいからなのだろうか。
それとも、お酒を飲んで気分がよくなったことで、食事全体を楽しめている部分もあるのだろうか。
もし後者なら、料理は何でもいいのではないか。
ステーキでもいい。
焼き鳥でもいい。
刺身でもいい。
もちろん、実際には料理とお酒の味や香りの相性もある。
そこを否定するつもりはない。
ただ、味覚的な相性と、酔うことで得られる心地よさは、別のものだと思う。
その二つが混ざっている場合もあるのではないか。
そんな疑問が湧いてくるのだ。
そして、今の僕は、酔うことに魅力を感じていない。
だからこそ、料理とお酒の組み合わせについても、以前とは違った見方をするようになったのかもしれない。
僕にとって、ステーキとコーラは最高の組み合わせである。
それで十分なのだ。
お酒をやめたい人は、そもそもなぜ飲みたいのか考えてみてもいい
ここまで、自分自身のお酒に対する考え方を振り返ってきた。
そこで、ふと思うことがある。
世の中には、お酒をやめたいと思っている人もいるだろう。
健康のため。
お金のため。
翌日の体調のため。
理由はさまざまだと思う。
しかし、飲みたいという気持ちがあるから、なかなかやめられない。
そこで、我慢しようとする。
飲まないように頑張る。
もちろん、それも一つの方法だろう。
ただ、その前に、一度考えてみてもいいのではないか。
そもそも、自分はなぜお酒を飲みたいのだろう。
味が好きだからだろうか。
酔う感覚が好きだからだろうか。
嫌なことを忘れたいからだろうか。
毎日の習慣になっているからだろうか。
あるいは、飲む時間そのものが楽しみなのだろうか。
理由が違えば、向き合い方も変わってくると思う。
例えば、味が好きなら、ノンアルコール飲料を試してみる方法もある。
気分転換が目的なら、ほかの楽しみを見つけることもできるかもしれない。
習慣になっているなら、いつ、どんなときに飲みたくなるのかを振り返ってみてもいい。
ただし、お酒には依存の問題もある。
飲酒量が多い人やアルコール依存症の人は、考え方を変えるだけで簡単にやめられるとは限らない。
身体的な依存がある場合、急に飲酒をやめると危険な離脱症状が起こることもあるため、医療機関に相談することが大切だ。
僕が言いたいのは、誰でも簡単にお酒をやめられるということではない。
ただ、自分がお酒に何を求めているのかを知ることは、飲み方を見直すきっかけになるのではないかということだ。
僕自身、昔はお酒が好きだった。
しかし、よく考えると、好きだったのは酔う感覚だったのかもしれない。
そして、酔うことの楽しさと、翌日のしんどさを考えた。
なんだこれ?
そう思った。
それから、お酒に対する魅力が薄れていった。
今では、飲みたいとも思わない。
我慢しているわけではない。
単純に、欲しくなくなったのだ。
お酒を飲まなくなって、困ることはあるのか
お酒を飲まなくなると、飲み会や食事の場面で困ることもあるのかもしれない。
周囲が飲んでいるのに、自分だけ飲まない。
そんな状況を気にする人もいるだろう。
しかし、僕はあまり難しく考える必要はないと思っている。
飲みたければ飲めばいい。
飲みたくなければ、飲まなくてもいい。
それだけのことだ。
そもそも、僕はお酒を飲んではいけないと決めているわけではない。
飲む機会があれば、飲んでもいい。
ただ、自分から飲みたいと思わない。
また、お酒を飲まなければ、その分のお金はかからない。
飲みすぎによって翌日の体調を崩すことも避けられる。
僕の場合は、こうしたことも、お酒を飲まなくなった理由の一つなのだろう。
お酒が好きな人を否定したいわけではない
ここまで、いろいろな疑問を書いてきた。
お酒の味が好きというのは、本当なのだろうか。
料理に合うお酒とは、何なのだろうか。
酔うことで、食事までおいしく感じている部分はないのだろうか。
しかし、誤解してほしくないことがある。
僕は、お酒が好きな人を否定したいわけではない。
お酒が好きなら、飲めばいい。
ビールが好きなら、ビールを飲めばいい。
ワインが好きなら、ワインを飲めばいい。
日本酒が好きなら、日本酒を飲めばいい。
料理との組み合わせを楽しむのも自由だ。
酔う時間を楽しむのも自由だ。
誰にも迷惑をかけていないのなら、僕がとやかく言う必要はない。
ただし、周囲に迷惑をかけるほど酔っ払うことについては、別の話である。
金曜日の電車などで見かける酔っ払いについては、別の記事で詳しく書いているので、興味のある方はそちらを読んでいただきたい。

今回、僕が考えたかったのは、他人のお酒の楽しみ方ではない。
自分自身が、なぜお酒を飲みたいと思わなくなったのか。
その理由である。
そして、考えてみると、人間の好みというものは不思議だ。
昔は、あれほど好きだった。
自分から進んで飲んでいた。
それなのに、今ではまったく欲しくない。
嫌いになったわけでもない。
我慢しているわけでもない。
ただ、興味がなくなった。
何とも不思議な変化である。
昔好きだったものを、今も好きでいる必要はない
今回、お酒について考えてみて、もう一つ思ったことがある。
それは、昔好きだったものを、今も好きでいる必要はないということだ。
20代の頃の僕は、お酒を飲むことが楽しかった。
それは、それでよかったのだと思う。
酔っ払って気分がよくなることも、当時の僕にとっては一つの楽しみだった。
しかし、今の僕は違う。
酔いたいと思わない。
嫌なことを忘れたいとも思わない。
翌日しんどくなるくらいなら、普通に過ごしていたい。
そして、お酒を飲まなくても、楽しいことはたくさんある。
だから、わざわざ飲む必要を感じなくなった。
ただ、それだけなのかもしれない。
人間は、年齢を重ねるにつれて変わっていく。
好きな食べ物が変わることもある。
好きな音楽が変わることもある。
趣味が変わることもある。
それなら、お酒に対する好みが変わったとしても、何も不思議ではない。
大切なのは、昔の自分に合わせ続けることではなく、今の自分が何を求めているのかを知ることなのだろう。
僕は、お酒をやめようと思ったわけではない。
ただ、お酒について考えてみた。
そして、今の自分には、それほど必要なものではないと気づいた。
だから、飲みたいと思わなくなった。
もちろん、これから先、また飲みたいと思う日が来るかもしれない。
そのときは、飲めばいい。
今は飲みたくない。
それなら、飲まなければいい。
何も難しいことではない。
そして、僕は今夜も、お酒を飲まない。
代わりに、コーラを飲みながらポテトチップスを食べる。
最高の組み合わせだ。
……。
ん? こっちの方が体に悪いだろう。
