僕は最強の遅読だ。
なんたって、読みながら考えるわ、メモするわ、漢字を調べるわ、戻るわ、何回も同じ文章を読むわ。
そもそも読むのが遅いわ。
最強だ。
一時間読んでも、びっくりするくらいページが進んでいないことがある。
「え、まだここ?」
自分で驚く。
ずっと一緒にいたはずなのに、待ち合わせ場所からほとんど動いていない。
本も困っていると思う。
たぶん本の方が先に進みたがっている。
「そろそろ次のページ行きません?」
うるさい。
今、考えている。
そうやってまた止まる。
たまに、ぼーっとする。
最悪だ。
一体何をしているんだ。
早く読め。
隣にこんな奴がいたら、僕は言うだろう。
「早く読めよ」と。
それくらい僕は読むのが遅い。
そして、そんな自分がずっと嫌だった。
読書が遅いのが、めちゃくちゃ嫌だった
本を読むのが速い人が羨ましかった。
一日で一冊。
休日なら二冊。
月に二十冊、三十冊。
そんな話を聞くたびに思っていた。
いいなあ。
僕もそれくらい読みたい。
読みたい本なんて、いくらでもある。
一冊読み終わるころには、なぜか読みたい本が三冊増えている。
減らない。
本棚を見ても減っていない。
むしろ増えている。
算数がおかしい。
一冊読んだら一冊減るはずなのに、どういうわけか三冊買っている。
これでは永遠に終わらない。
だから僕だって、速く読みたかった。
速読ができる人を見ると、「その能力、ちょっと貸してくれ」と思った。
同じ一時間でも、その人が七十ページ読んでいる横で、僕は二十八ページくらいにいる。
何をしていたんだ。
いや、読んでいた。
ちゃんと読んでいた。
むしろ、かなり集中していた。
なのに二十八ページだ。
そこで僕は、速読の本まで買った。
本を速く読むための本である。
これを読めば僕も変われるかもしれない。
もっとたくさんの本を読めるかもしれない。
期待した。
そして、その本を読んだ。
もちろん、
時間をかけて読んだ。
速読の本を、ゆっくり読んだ。
我ながら見事である。
そして、その本を最後まで読み終えたとき、僕は思った。
このままでいよう。
速読の本を読んで「このままでいよう」と思った
別に速読が悪いと思ったわけではない。
今でも速く読める人は羨ましい。
速く読めて、たくさん受け取れるなら、それが一番いい。
読みたい本は山ほどあるのだから、一冊を速く読めれば、その分だけたくさんの本と出会える。
それは間違いなく魅力的だ。
それでも僕は、速読の本を読み終えて、自分の読み方を無理に変えるのはやめようと思った。
なぜだろう。
考えてみると、理由はかなり単純だった。
僕は、せっかく本を読むなら、できるだけ受け取りたいのだ。
気になる言葉があったら止まりたい。
知らない漢字があったら調べたい。
「この文章、さっきのあそこにつながってないか?」と思ったら戻りたい。
心に残った言葉があったらメモしたい。
一度読んでよく分からなければ、もう一度読みたい。
二度読んでも分からなければ、もう一度読む。
三回目で分からなかったら、
ちょっと窓の外を見る。
見るな。
読め。
でも、そうやって立ち止まる時間まで含めて、僕にとっては読書なのだと思う。
たくさんの本を読みたい。
これは本当だ。
だけど、たくさん読むために、一冊から受け取るものを減らしたくはない。
せっかく読んでいるんだから。
せっかく読むなら、本からできるだけ受け取りたい
読書をしていると、たった一行で止まることがある。
別に難しい文章とは限らない。
むしろ、なんでもない一文だったりする。
なのに、なぜか引っかかる。
「これ、なんか分かるな」
と思う。
そこから自分の過去を思い出す。
昔の誰かの言葉を思い出す。
そういえば、あのとき自分はどうしてあんなことを言ったんだろう。
いや、待て。
もしかすると、あの人はこういう気持ちだったんじゃないか。
今になって初めて分かった気がする。
そんなことを考えている。
本を見る。
まだ同じページだ。
最悪だ。
でも、僕はこういう時間が好きなのだ。
ページは一ページも進んでいない。
なのに、自分の中では結構遠くまで行っている。
読書というのは不思議だ。
本に書かれているのは一つの文章なのに、そこからどこへ行くかは読んでいる人によって違う。
昔の記憶へ行く人もいる。
自分の仕事について考え始める人もいる。
誰かの顔を思い浮かべる人もいる。
僕なんて、そのまま全然関係ないところまで行く。
思考が飛びに飛ぶ。
ダージリンだ。
意味は分からない。
でも、飛んだ思考が、ときどき思いがけない思考を連れて帰ってくる。
マーガリンだ。
もっと意味が分からない。
こうして読書は進まない。
僕は主人公と「余計な会話」をしている
僕が遅い理由は、もう一つある。
主人公と余計な会話をするのだ。
主人公が変なことをすると、
「いや、なんでやねん」
と思う。
誰かを傷つければ、
「それ言ったらあかんやろ」
と思う。
何も言えずに黙っている人物がいたら、
「いや、言えよ」
と思う。
でも少し先まで読んで、その人物の事情が分かってくると、
「ああ、言えなかったのか」
と思う。
忙しい。
勝手に怒って、勝手に納得している。
もちろん主人公は僕のことなんて知らない。
僕だけが一方的に話しかけている。
それでも楽しい。
小説を読んでいると、ときどき登場人物が本当にどこかで生きているように感じることがある。
そうなると、ただ文章を追うだけでは済まなくなる。
「僕ならどうするだろう」
「この人は本当は何を考えているんだろう」
「なんでこんな言い方をしたんだろう」
そんなことを考える。
答えが出ないことも多い。
というか、ほとんど出ない。
それでも考える。
必要のない会話である。
物語を最後まで読むだけなら、たぶんしなくてもいい。
でも僕は、この余計な会話がしたい。
せっかく同じ物語の中にいるのだから。
作者とも勝手に話している
登場人物だけではない。
作者とも話す。
これも勝手に。
「なんでここで、この言葉を使ったんだろう」
「この場面、必要なのかな」
「さっきの一文とつながっているのか?」
「もしかして、こういうことを言いたいのかな」
作者に聞く。
もちろん返事はない。
困る。
仕方がないので、自分で考える。
だからまた止まる。
作者がそこまで考えて書いたのかなんて、僕には分からない。
僕が勝手に意味を見つけているだけかもしれない。
でも、それでいいとも思っている。
本は作者が書いたものだけれど、読み始めた瞬間から、そこには読んでいる自分の経験も入り込んでくる。
同じ文章を読んでも、僕と誰かでは引っかかるところが違う。
同じ僕でも、二十歳のときと三十三歳の今では、たぶん違う。
だから僕は作者と勝手に話す。
登場人物とも勝手に話す。
そのうち自分自身とも話し始める。
一冊の本を読んでいるだけなのに、ずいぶん賑やかだ。
僕にとって読書は、一方通行ではないのだと思う。
本から言葉を受け取って、
それについて何かを考えて、
また本へ戻る。
その往復を何度もする。
だから遅い。
そりゃ遅い。
全然前を向いて歩いていない。
ずっと往復している。
読書中の集中力だけは、異常だと思う
こんなことを書くと、僕は集中力がないから読むのが遅いと思われるかもしれない。
でも、たぶん逆だ。
読んでいるときの集中は、異常だと思う。
本当に入り込んだときは、かなり深く潜っている。
ただ、その集中力が、
前へ進むことに使われていない。
一つの言葉に集中する。
一人の人物について考える。
さっきの場面へ戻る。
思いついたことをメモする。
知らない言葉を調べる。
効率という観点から見れば、かなり怪しい。
「集中力を切らしたくないから、分からない漢字があってもその場では調べない」
という読み方を聞くことがある。
そう。
完全に正解だ。
だから僕は調べる。
なぜだ。
気になるからだ。
気になったものを放置したまま次へ行く方が、僕には気持ち悪い。
一度本を置く。
スマホを開く。
漢字を調べる。
ついでに、その言葉の由来まで見始める。
やめろ。
帰ってこい。
読書に。
こうして一つの漢字をきっかけに、僕は本から離れていく。
でも数分後、何食わぬ顔で戻ってくる。
しおりはさっきと同じ場所にある。
知識だけが一個増えている。
ページは増えていない。
好きな本ほど、読み終わりたくない
さらに面倒なことがある。
僕は好きな本ほど、読み終わりたくなくなる。
ただでさえ遅いのに。
面白くない本なら、まだ前へ進もうとする。
早く続きを知りたい。
早く読み終えたい。
ところが、本当に好きな本に出会うと様子がおかしくなる。
「もう残りこれだけか」
と思う。
寂しくなる。
だから戻る。
好きな文章をもう一回読む。
また戻る。
この場面、やっぱりいいなと思う。
また読む。
アホだ。
読みたい本は山ほどある。
積んでいる本もある。
次に読みたい本も決まっている。
だから速く読みたい。
なのに、今読んでいる本が好きすぎると、読み終わりたくない。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいる。
エンストだ。
また窓の外を見る。
運転手は、ハンドルすら持つのをやめている。
一体何をしているんだ。
早く読め。
でも、好きな物語が終わってしまうのは、やっぱり少し寂しい。
読み終えたら、もう「初めて読む時間」には戻れない。
次に読むときは再読になる。
もちろん再読には再読の面白さがある。
それでも、初めてその物語を歩いている時間は一度しかない。
そう考えると、もう少しここにいたくなる。
急いで出口へ向かわなくてもいいじゃないかと思う。
そして戻る。
だから遅い。
読書に「タイパ」を求めて、僕はどこへ行くつもりだったのか
いつからか「タイパ」という言葉をよく聞くようになった。
タイムパフォーマンス。
かけた時間に対して、どれくらいのものを得られたか。
便利な考え方だと思う。
仕事なら、同じ成果を短い時間で出せる方がいい。
家事だって早く終われば、その分ほかのことができる。
だから僕も、読書について考えた。
一時間で三十ページより、六十ページ。
一週間で一冊より、三冊。
一年で五十冊より、百冊。
数字だけ見れば、たくさん読める方がすごい。
僕だって百冊読みたい。
二百冊だって読みたい。
でも、あるとき思った。
そもそも僕は、読書に何のタイパを求めているんだ。
早く読み終えて、どこへ行くんだ。
次の本である。
その次は?
また次の本である。
ずっと次の本じゃないか。
本を読むことが、次の本を読むための作業になってしまったら、僕は何をしているんだろう。
もちろん、たくさん読むことには意味がある。
多くの物語や考え方に触れられる。
速く読めることだって立派な能力だ。
だから、速読を否定する気なんてまったくない。
僕だってできるなら欲しい。
今でも羨ましい。
でも、僕が本を読む理由は「読了冊数を増やすため」ではない。
一冊の本から何かを受け取りたいから読む。
面白い物語に出会いたい。
知らなかった考え方を知りたい。
自分では思いつかなかった言葉に出会いたい。
登場人物に腹を立てたい。
作者に勝手に質問したい。
自分の昔の記憶まで引っ張り出したい。
それを全部やっていたら、
そりゃ遅い。
一時間で何ページ読んだかは数えられる
一時間で何ページ読んだかは数えられる。
一か月で何冊読んだかも数えられる。
一年で何冊読んだかも数えられる。
でも、一つの文章から何を考えたかは数えられない。
何年前の記憶を思い出したか。
主人公に何回ツッコんだか。
一つの言葉が自分の中にどれくらい残ったか。
その本を読んだことで、翌日の世界がほんの少し違って見えたか。
そんなものは数字にならない。
だから、僕の読書をページ数だけで見たら、たぶんかなりタイパが悪い。
一時間かけて二十八ページ。
遅い。
でも、その二十八ページの間に、いろんなところへ行っている。
本の中へ行く。
昔の自分のところへ行く。
作者の頭の中を勝手に想像する。
登場人物と話す。
自分とも話す。
窓の外も見る。
最後のは必要ない。
それでも僕は、ページを進めることだけを読書だとは思えなくなった。
ページは進んでいなくても、思考は遠くまで行っていることがある。
それなら、それも読書でいいじゃないか。
僕は本を早く読み終えたいんじゃない。本と長く遊びたい
速読の本を読み終えたあとに「このままでいよう」と思った理由は、たぶんここにある。
僕は自分の遅さを克服したかった。
でも、速くなるために削ろうとしていたものを見てみたら、それは僕が読書で一番楽しんでいる時間だった。
立ち止まる。
戻る。
考える。
調べる。
メモする。
主人公と余計な会話をする。
作者とも余計な会話をする。
本から離れて、まったく別のことを考える。
そして、また帰ってくる。
効率だけ考えれば、いらない時間なのかもしれない。
全部なくせば、もっと速く読めるのかもしれない。
でも、必要のない時間を全部削った読書が、僕にとって楽しい読書なのか。
たぶん違う。
僕は本を早く読み終えたいんじゃない。
本と長く遊びたいのだ。
せっかく一冊の本を開いたのだから。
できるだけ受け取りたい。
余計なことまで考えたい。
書かれていないことまで想像したい。
主人公にも話しかけたい。
作者にも話しかけたい。
自分にも話しかけたい。
それで一冊に時間がかかるなら、もう仕方がない。
これは欠点というより、僕の読み方なのだと思う。
……などと考えているうちに、
またページを読む手が止まっている。
早く読め。
ダージリンティー。味はあまり好きじゃない
そのうち、ダージリンティーなんか飲んじゃったりする。
ダージリンティー。
味はあんまり好きじゃない。
では、なぜ飲んでいるのか。
僕にも分からない。
そもそも何がダージリンなんだ。
何が入ってるんだこれ。
まずはそれを調べろ。
ただ、一つだけ分かっている。
完全に語感がかっこいい。
ダージリンティーを飲みながら読書をする。
なんか、いい。
ダージリン。
りん。
気分も上がる。
ページは進まない。
最悪だ。
そもそも、さっきまで何を読んでいたんだ。
本へ戻る。
数行読む。
また何かを考える。
思考が飛ぶ。
ダージリンだ。
その飛んだ思考が、思いがけない思考を連れてくる。
マーガリンだ。
何を言っているんだ。
でも、これでいい。
それが、読書だ。
たぶん違う。
遅読でも、もうこのままでいい
僕は今でも、速く本を読める人が羨ましい。
これはたぶん、これからも変わらない。
一日で一冊読めたらいいなと思う。
積読をものすごい勢いで減らしてみたい。
本屋で気になった本を「どうせ読むのに時間がかかるしな」と考えず、片っ端から読んでみたい。
速く読めて、たくさん受け取れるなら最高だ。
だから「遅読こそ正しい」なんて言うつもりはない。
速読と遅読のどちらが優れているかなんて、どうでもいい。
ただ僕は、自分が本をどう読みたいのかを、ようやく分かってきた。
せっかく読むなら、できるだけ受け取りたい。
気になる言葉があれば立ち止まりたい。
分からなければ調べたい。
好きな文章なら何度でも戻りたい。
主人公と余計な会話をしたい。
作者とも話したい。
そこから全然関係ないことを考えてしまう時間も楽しみたい。
好きすぎる本なら、読み終わりたくないと駄々をこねたい。
そんなことを全部やっていたら、これからも僕は遅いだろう。
たぶん、速くならない。
でも、速くならなきゃとも思わなくなった。
一冊読み終えるまでに時間がかかってもいい。
その一冊と過ごした時間まで、短くする必要はない。
今日も僕は本を開く。
読む。
止まる。
考える。
戻る。
メモする。
調べる。
また読む。
たまに窓の外を見る。
ダージリンティーも飲む。
味はあまり好きじゃない。
そして気づけば、
まだ同じページにいる。
最強だ。
もし、僕より遅読の人がいるなら教えてほしい。
いい友達になれそうだ。
