飲食店で、僕が密かに恐れている質問がある。
「辛さは何辛になさいますか?」
これだ。
僕はカレーを食べに来た。
店の前に飾られた、おいしそうなカレーの写真。
大きな肉。ゴロゴロと入った野菜。食欲をそそるルーの色。
いいではないか。
今日はこれにしよう。
そう思って店に入り、席に座る。
メニューを開く。
「辛さは1辛から20辛までお選びいただけます」
20段階。
多い。
多すぎる。
甘口、中辛、辛口ではいけないのだろうか。
3つで十分ではないか。
しかし、目の前には20個もの選択肢が並んでいる。
3辛か。
5辛か。
7辛か。
思い切って10辛にしてみるか。
いや、10辛は危険かもしれない。
そもそも、僕は自分が何辛の人間なのか知らない。
「趣味は読書です。好きな食べ物はカレーです。辛さは6辛です」
そんな自己紹介をしたこともない。
自分の身長や体重ならわかる。
年齢もわかる。
しかし、辛さの数値は知らない。
測定した覚えがないのだ。
僕はカレーを食べに来たのであって、自分の辛さレベルを測定しに来たわけではない。
なぜ昼飯を食べるだけで、こんなに悩まなければならないのだろう。
今日は、そんな辛さを細かく選べる飲食店について考えてみたい。
そもそも1辛がどれくらい辛いのかわからない
まず、根本的な問題がある。
1辛とは、どれくらい辛いのだろう。
まったく辛くないのか。
ほんの少し辛いのか。
それとも、辛いものが苦手な人にとっては、1辛でも十分に辛いのか。
わからない。
1辛がわからないのだから、5辛もわからない。
10辛なんて想像もできない。
しかも、店によって基準が違う。
あるカレー屋で5辛がおいしく食べられた。
だから、別の店でも5辛を注文する。
すると、猛烈に辛い。
何だこれは。
同じ5辛ではないのか。
どうやら違うらしい。
同じ数字なのに、まったく信用できない。
例えば、身長170センチといえば、どこでも170センチである。
大阪で測っても、東京で測っても変わらない。
しかし、辛さは違う。
大阪の5辛。
東京の5辛。
同じとは限らない。
もっと言えば、同じ街にある店同士でも違う。
これは困る。
せめて全国共通の基準でも作ってほしい。
どの店でも5辛は同じ辛さ。
そうなれば、僕も安心して注文できる。
「いつもの5辛でお願いします」
かっこいい。
まるで行きつけの店で注文する常連客のようだ。
しかし、現実にはそんな便利な仕組みはない。
店が変われば、また最初からである。
辛さの世界では、転校するたびに一年生へ戻されるのだ。
目安は書いてある。でも実感が湧かない
もちろん、店側も何も説明していないわけではない。
メニューには、辛さの目安が書かれていることもある。
「3辛:ピリ辛」
「5辛:辛いもの好きにおすすめ」
「10辛:激辛」
「20辛:超激辛」
なるほど。
親切である。
しかし、正直に言おう。
実感が湧かないのだ。
ピリ辛とは、どれくらいなのだろう。
辛いもの好きとは、どの程度の人間を指しているのだろう。
僕は辛いものが嫌いではない。
むしろ、好きな方だと思う。
しかし、世の中には激辛料理を平気な顔で食べる人がいる。
あの人たちと同じ「辛いもの好き」に分類されては困る。
僕は辛いものが好きなのであって、舌を破壊したいわけではない。
「辛いものがお好きな方におすすめです」
そう言われても、自分が対象者なのかわからない。
「刺激的な辛さです」
刺激的。
何を刺激するのだ。
舌か。
胃か。
人生か。
「超激辛」
超が付いた。
それはわかった。
しかし、激辛と超激辛の間には、どれほどの差があるのだろう。
説明を読めば読むほど、わからなくなる。
言葉で説明するより、一口食べさせてくれ。
僕の舌に直接聞いた方が早い。
せめて5辛を味見させてくれ
例えば、10段階の辛さがある店なら、5辛を味見させてほしい。
ほんの一口でいい。
「こちらが5辛になります」
そう言って、小さなスプーンで出してくれ。
僕は食べる。
なるほど。
この程度なのか。
少し物足りないな。
それなら7辛にしよう。
逆に、5辛でもかなり辛かったら、3辛にすればいい。
こうして判断できる。
服を買うときは試着できる。
靴を買うときは試し履きできる。
香水だって、試せることがある。
なのに、カレーはどうだ。
「20段階から選んでください」
「どれくらい辛いんですか?」
「こちらが目安になります」
「味見はできますか?」
「できません」
ぶっつけ本番である。
一度選んだら、基本的にはその辛さのカレーが一皿出てくる。
僕はまだ一口も食べていないのに、重大な決断を迫られている。
せめて5辛を味見させてくれ。
もっとも、こんなことを客全員が言い始めたら、店側も大変だろう。
「5辛を一口お願いします」
「私は7辛を試したいです」
「やっぱり9辛も少し」
店員さんは何をしているのかわからなくなる。
カレー屋なのか。
試食会場なのか。
しかも、僕のような人間は、一口食べたところでさらに悩む可能性がある。
「5辛はわかりました。では6辛もお願いします」
きりがない。
最終的には20段階すべてを試食することになるかもしれない。
そこまでしたら、もう一皿分くらい食べている。
注文する前に、お腹がいっぱいになってしまう。
しかし、こちらにも言い分がある。
そこまで細かく選ばせるなら、判断するための材料もほしいのだ。
店員さんを待たせるのが気まずい
辛さを選ぶとき、もう一つ困ることがある。
店員さんを待たせてしまうのだ。
「辛さは何辛になさいますか?」
「えーっと……」
メニューを見る。
1辛から20辛。
多い。
目安を読む。
よくわからない。
「少々お待ちください」
店員さんが待っている。
僕は考えている。
沈黙が流れる。
気まずい。
店員さんは悪くない。
仕事をしているだけだ。
僕も悪くない。
真剣に辛さを選んでいるだけだ。
しかし、なぜか申し訳なくなる。
店員さんが伝票を持って立っている。
僕はメニューを見つめている。
後ろには、注文を待っている客がいるかもしれない。
僕一人の辛さが決まらないせいで、店の時間が止まっている。
早く決めなければ。
でも、失敗したくない。
5辛か。
6辛か。
7辛か。
いや、8辛も気になる。
「お決まりでしょうか?」
「はい! 7辛で!」
決まった。
いや、決めた。
適当である。
あれほど悩んでいたのに、最後は適当なのだ。
なぜ7辛にしたのか。
特に理由はない。
店員さんを待たせるのが申し訳なかったからだ。
おかしい。
僕はおいしいカレーを食べるために辛さを選んでいたはずだ。
それなのに、いつの間にか目的が変わっている。
店員さんを解放するために、7辛を注文したのだ。
注文したあとも不安になる
ようやく注文が終わった。
これで一安心。
とはならない。
むしろ、ここから新たな不安が始まる。
7辛でよかったのだろうか。
6辛の方がおいしかったかもしれない。
いや、8辛でもいけたのではないか。
頭の中で反省会が始まる。
まだカレーは運ばれてきていない。
食べてもいない。
それなのに、すでに自分の選択を疑っている。
注文を終えた瞬間から、後悔が始まるのだ。
やがて、カレーが運ばれてくる。
おいしそうだ。
しかし、僕はすぐには食べない。
まず、少し警戒する。
どれくらい辛いのだろう。
スプーンですくう。
口へ運ぶ。
緊張の一瞬。
まるで試験の結果発表である。
本来、食事とは楽しむものではないのか。
なぜ僕は、こんなにも自分の選択の正しさを気にしているのだろう。
カレーを食べる前から、すでに疲れている。
辛さ選びを間違えたときは地獄だ
そして、最も恐ろしいのがこれである。
辛さ選びの失敗。
例えば、7辛を注文したとする。
一口食べる。
辛い。
二口目。
猛烈に辛い。
三口目。
無理だ。
汗が出る。
鼻水も出る。
水を飲む。
まだ辛い。
しかし、目の前には大量のカレーが残っている。
地獄である。
これが普通のメニューなら、まだ諦めもつく。
おいしそうだと思って注文した料理が、たまたま自分の好みに合わなかった。
そんなこともある。
しかし、辛さを選べる店では事情が違う。
辛さを決めたのは僕なのだ。
自分で7辛を選んだ。
誰にも強制されていない。
だから、文句を言いにくい。
「辛すぎる!」
そう叫んだところで、店員さんは思うだろう。
いや、あなたが7辛を選んだんでしょう。
その通りである。
反論できない。
僕は自分で地獄を注文してしまったのだ。
しかも、店によっては辛さを上げると追加料金がかかる。
お金を多く払う。
そして、より辛いカレーが出てくる。
それを食べて苦しむ。
追加料金を払って、苦痛を購入している。
何をしているのだ、僕は。
もちろん、辛いものが好きな人には、それが楽しみなのだろう。
しかし、僕が求めているのはおいしいカレーである。
限界への挑戦ではない。
食べ終わったあとに達成感が欲しいわけでもない。
ただ、「うまかった」と思って帰りたい。
それだけなのだ。
自分に合う辛さを見つけるまで何回来店すればいいのか
では、何度も通って、自分に合う辛さを見つければいいのだろうか。
確かに、それなら解決するかもしれない。
最初は5辛。
少し物足りない。
次は7辛。
辛すぎる。
それなら6辛。
悪くない。
しかし、もう少し辛くてもいい気がする。
もしかすると、僕にとっての正解は6.5辛なのかもしれない。
ない。
メニューに存在しない。
どうするのだ。
店員さんにお願いするのか。
「6辛と7辛の間でお願いします」
何という面倒くさい客だろう。
しかも、ようやく自分に合う辛さを見つけたとしても、次に来るのは一か月後かもしれない。
その頃には、前回の辛さを忘れている。
「前は6辛だったかな」
「いや、7辛だったかもしれない」
また悩む。
辛さを覚えるために、メモでも取らなければならないのだろうか。
スマホに記録する。
10月10日。
某カレー店。
6辛。
やや物足りない。
次回は7辛を検討。
何だこれは。
研究日誌ではないか。
僕はカレーを食べたいだけなのだ。
何度も通って最適な辛さを探す。
それを楽しめる人がいるのはわかる。
しかし、僕は毎回そんなことをしたいわけではない。
昼飯を長期研究プロジェクトにするな。
初めての客と常連客を同じ土俵に立たせるな
常連客なら、まだわかる。
「前回は6辛だったから、今日は7辛にしよう」
過去の経験がある。
しかし、初めて来た僕には何の情報もない。
店の辛さを知らない。
料理の特徴も知らない。
それなのに、常連客と同じ20段階のメニューを渡される。
ベテランと初心者に、同じ試験問題を配るな。
せめて、初めての客にはおすすめを教えてほしい。
「当店は5辛が標準です」
この一言があるだけでも違う。
もちろん、5辛が自分に合うかはわからない。
それでも、何もないよりはずっといい。
僕は辛さの専門家ではないのだ。
店側も大変ではないのだろうか
ここで、ふと疑問に思う。
20段階も用意して、店側は大変ではないのだろうか。
3辛。
7辛。
12辛。
18辛。
注文が入るたびに、それぞれの辛さへ調整する。
もちろん、辛味調味料の量を変えるだけなら、それほど難しくないのかもしれない。
しかし、それでも20段階も管理する必要があるのだろうか。
間違えてはいけない。
7辛の注文に12辛を出したら大変だ。
客は突然、予定外の戦いを始めることになる。
厨房でも確認が必要だろう。
「こちら、8辛です」
「いや、9辛です」
そんな間違いが起きないようにしなければならない。
お前ら、自分で仕事を増やしていないか。
客は悩む。
店員さんは待つ。
厨房では辛さを調整する。
みんな忙しい。
僕はただカレーを食べたかっただけなのに。
そして、もう一つ気になる。
20段階あるとして、実際には何辛がよく注文されているのだろう。
仮に、多くの人が3辛から7辛を選んでいるとしたら。
残りの辛さは、どれくらい出番があるのだろう。
20辛を注文する人は、毎日いるのだろうか。
それとも、たまに現れるのだろうか。
20辛は、誰を待っているのだ。
そんなことまで気になってしまう。
辛さに保険をかけるな
そして、僕が店側に言いたいことがある。
お前ら、辛さに保険をかけていないか。
例えば、僕が7辛を注文したとする。
食べてみた。
あまりおいしくなかった。
そこで店員さんに感想を伝える。
「ちょっと好みに合いませんでした」
すると、こんな返事が頭に浮かぶ。
「辛さが合わなかったのかもしれませんね」
なるほど。
便利な言葉である。
辛すぎたら、辛さのせい。
物足りなかったら、辛さのせい。
おいしくなかったら、辛さのせい。
しかも、その辛さを選んだのは僕だ。
いつの間にか、まずかった責任まで僕にあることになっている。
待ってくれ。
僕はカレーを注文したのだ。
味付けの責任者として雇われたわけではない。
そもそも、料理のプロはお前らだろう。
このカレーには、どの辛さが一番合うのか。
肉や野菜のうまみを感じられるのは、どの辛さなのか。
スパイスの香りが最も引き立つのは、どの辛さなのか。
それを知っているのは、料理を作っている人間ではないのか。
だったら、その辛さで出してくれ。
お前らが一番うまいと思う辛さで勝負してくれ。
もちろん、客の好みに合わせることが悪いと言いたいわけではない。
ただ、僕は料理人のおすすめを食べてみたいのだ。
「当店のカレーは5辛が一番おいしいです」
そう言ってくれたら、僕は迷わず5辛を注文する。
そして、おいしかったらまた来る。
何と簡単な話だろう。
僕に必要なのは20個の選択肢ではない。料理人の自信なのだ。
辛さに保険をかけるな。
僕に味付けの責任を押しつけるな。
僕はおいしいカレーを食べたいのである。
しかも、最近はカレーだけではない
辛さを細かく選べる料理といえば、以前はカレーの印象が強かった。
しかし、今は違う。
ラーメン。
担々麺。
麻婆豆腐。
火鍋。
スープカレー。
さまざまな料理で、辛さを選べる店がある。
僕は辛さから逃げられない。
カレー屋に入れば聞かれる。
ラーメン屋に入っても聞かれる。
麻婆豆腐を注文しても聞かれる。
どこへ行っても、僕の辛さレベルを確認されるのだ。
しかも、料理が変われば辛さの感じ方も違う。
唐辛子の辛さ。
山椒のしびれ。
スパイスの刺激。
同じ「辛い」という言葉でも、中身はさまざまだ。
カレーで5辛が食べられたからといって、麻婆豆腐の5辛が食べられるとは限らない。
つまり、新しい店に行くたびに、また一から考えなければならない。
僕の辛さに関する経験値は、店を出た瞬間にリセットされる。
なかなか厳しい世界である。
スーパーのレトルトカレーを見習ってほしい
その点、スーパーのレトルトカレーは素晴らしい。
甘口。
中辛。
辛口。
わかりやすい。
僕はだいたい中辛を選ぶ。
迷わない。
悩まない。
数秒で決まる。
もちろん、商品によって辛さは違う。
同じ中辛でも、メーカーによって感じ方は変わるだろう。
しかし、僕はそれほど気にしていない。
大まかな目安があれば、それで十分なのだ。
ところが、飲食店に入ると突然20段階になる。
さっきまで中辛で幸せだった男に、20個の選択肢が突きつけられる。
なぜだ。
スーパーでは中辛で通用した僕が、飲食店では自分の辛さすらわからなくなる。
僕は何も変わっていない。
舌も同じだ。
胃も同じだ。
変わったのは選択肢の数だけである。
それなのに、突然難しい判断を要求される。
レトルトカレーの中辛を選ぶとき、僕は自分の辛さ耐性について深く考えない。
今日は中辛でいいか。
それだけだ。
そして、だいたい満足している。
食事の注文とは、本来このくらい気楽なものであってほしい。
だったら、そんな店に行くなと言われそうだが
ここまで読んで、こう思った人もいるだろう。
「そんなに嫌なら、辛さを選ぶ店に行かなければいいじゃないか」
ごもっともである。
しかし、一つ言わせてほしい。
入ってから知ることもあるのだ。
店の外に、おいしそうな料理の写真がある。
僕はそれを見て、食べたくなる。
店に入る。
席に案内される。
水が運ばれてくる。
メニューを開く。
辛さ、20段階。
ここで初めて知るのである。
どうしろというのだ。
「すみません。辛さが20段階もあるとは知らなかったので帰ります」
そんな客がいるか。
しかも、もう水までいただいている。
席に座って、水を飲んで、メニューを見て帰る。
辛さに驚いて逃走する男である。
店員さんも困るだろう。
「何かございましたか?」
「辛さが多すぎました」
何という理由だ。
そんなことを説明するくらいなら、適当に5辛を注文した方が早い。
そもそも、僕はその店の料理を食べたいのだ。
辛さを選べることが嫌だからといって、料理そのものまで嫌いになるわけではない。
だからこそ、もう少し簡単に選べる仕組みがほしいのである。
でも、それだけ辛さにこだわる人がいるのだろう
ここまで散々文句を言ってきた。
しかし、考えてみれば、店側が10段階も20段階も用意しているのには理由があるはずだ。
それだけ辛さにこだわる人がいるのだろう。
僕には5辛と6辛の違いがよくわからない。
しかし、その違いを楽しめる人もいる。
「今日は少し刺激が欲しいから8辛にしよう」
「昨日は7辛だったから、今日は9辛に挑戦してみよう」
そんな人たちにとっては、20段階のメニューは魅力的なのかもしれない。
辛さを少しずつ上げていく楽しみもあるのだろう。
自分にぴったりの辛さを探す楽しみもあるのだろう。
それはそれで素晴らしい。
好きなだけ楽しんでほしい。
僕だって、好きなものにはこだわりがある。
本を選ぶときは、あれこれ悩む。
著者、あらすじ、表紙、出版社。
細かいところまで気になる。
しかし、本に興味がない人からすれば、そんな違いはどうでもいいのかもしれない。
辛さも同じなのだろう。
僕にとっては必要のない選択肢が、誰かにとっては大切な選択肢なのだ。
だから、20段階をなくせとは言わない。
むしろ、残しておいてほしい。
ただし、僕のような人間もいることを忘れないでほしい。
辛さにそこまでこだわりがない人間が。
知らないブランドを20種類並べられている気分なのだ
例えば、僕が服を買いに行ったとする。
店員さんが20種類のブランドを並べる。
「どちらのブランドがお好みですか?」
知らん。
全部初めて聞いた名前だ。
「こちらは少し個性的なブランドです」
なるほど。
「こちらは上級者に人気です」
そうですか。
「こちらは通の方におすすめです」
通ではない。
僕は普通に着られる服が欲しいだけなのだ。
それなのに、ブランドへのこだわりがある前提で話が進んでいく。
困る。
辛さ選びも、僕にとってはこれに近い。
「1辛から20辛までございます」
「何辛がお好みですか?」
知らん。
僕には、そこまで明確な好みがない。
なのに、20種類の中から自分にぴったりのものを選ぶことを求められる。
こだわりがない人間に、こだわりがある前提で選択を迫らないでほしい。
選択肢が多いことは、ありがたい。
しかし、多ければ多いほど誰もが喜ぶわけではない。
選ぶこと自体を楽しむ人もいれば、早く決めたい人もいる。
僕は後者なのだ。
カレーを食べる前に、辛さについて深く考えたくない。
おいしそうだな。
これを食べよう。
それくらいの気持ちで注文したい。
こだわりがない人用の3択を作ってくれ
そこで、僕から店側に提案がある。
20段階のメニューは、そのままでいい。
辛さにこだわりたい人は、好きなだけ細かく選んでほしい。
その代わり、もう一つ用意してくれ。
「辛さにこだわりがない方はこちら」
そして、その下に3つだけ書いてほしい。
甘口・中辛・辛口。
これでいい。
できれば、中辛の横に「店主おすすめ」と書いておいてくれ。
僕はそれを注文する。
何も悩まない。
店員さんも待たなくていい。
厨房も、いつものおすすめの辛さを作ればいい。
僕も安心して食べられる。
何と平和なのだろう。
20段階から選びたい人は、20段階から選ぶ。
3段階で十分な人は、3段階から選ぶ。
それだけの話である。
もっと言えば、「辛さはおまかせ」という選択肢があってもいい。
料理人が、その料理に一番合うと思う辛さを出してくれる。
僕はそれを食べる。
気に入れば、また注文する。
辛すぎたら、次は少し控えめにしてもらう。
それくらいでいいのだ。
選べる自由があるのはありがたい。しかし、選ばずに済む自由もほしい。
僕が求めているのは、そこなのである。
僕は辛さの専門家ではない
結局、僕が言いたいことは単純だ。
辛さを20段階から選べること自体は、悪いことではない。
むしろ、辛さにこだわる人にとっては、素晴らしいサービスなのだろう。
ただ、僕のようにこだわりがない人間もいる。
そんな人間にとって、20段階の選択肢は少し重たい。
1辛の基準も知らない。
目安を読んでも実感が湧かない。
店員さんを待たせるのが気まずい。
適当に決めたら、今度は辛さが合うか不安になる。
間違えたら地獄だ。
自分に合う辛さを見つけようと思ったら、何度も通わなければならない。
そして、ようやく見つけたとしても、別の店では通用しない。
何と面倒くさい世界なのだろう。
僕は、もっと気楽に食事がしたい。
メニューを見て、おいしそうな料理を選ぶ。
注文する。
運ばれてくる。
食べる。
うまい。
それでいい。
そこに、20段階の辛さをめぐる長い思考時間はいらない。
だから、店側にお願いしたい。
辛さにこだわる人のための20段階は残してくれ。
ただ、こだわりがない人のための3段階も用意してくれ。
そして、できれば店主が一番おいしいと思う辛さを教えてほしい。
僕はそれを食べてみたい。
次に飲食店でこう聞かれたら、僕は何と答えよう。
「辛さは何辛になさいますか?」
きっと、こう言うだろう。
「何辛がおすすめですか?」
すると、店員さんは答える。
「お客様のお好みによりますね」
……。
だから、その好みがわからないから聞いているのだ。
もういい。
中辛でお願いします。
僕はただ、おいしいものが食べたいだけなのだから。
